はじまりの街に引きこもったプレイヤー達。最初から攻略を諦めて外部からの助けを祈る者。モンスターと戦う恐怖に耐え切れなくなった者。単純に人が多い所にいて安心したい者。理由はそれぞれだが、共通点は一つ。まともな人間らしい生活は送れていないこと。
SAOはゲームデザイン上、トッププレイヤーへリソースが集中する格差社会を生むようになっている。
攻略組が最前線で敵を一匹倒して手に入る額と、はじまりの街のプレイヤーが必死で稼いだ額に大した差は無い。必然、暮らしぶりもその格差が反映されている。
プレイヤーホーム──現実で例えるなら一戸建て──で暮らし、システムが用意した"美味しい食事"を味わえる上位層。宿屋に泊まる金もなく路上で暮らし、食事などという言葉を過去に忘れてきた下位層。
軍と呼ばれるギルドが存在した頃はまだマシだった。高圧的な集団であったとはいえ、SAOでただ一つ下位層のプレイヤー達に目を向ける集団であった彼ら。絶対安全を謳ったモンスター狩りの提供や、最低品質とはいえ食糧の配給を行っていたソレが居た頃は、少なくともまだ生活と呼べるものを送っていた。
翻って現在。一個5コルにしかならない木の実を奪い合い、外に出る勇気さえ失われた集団(軍という下位層にとって高レベルな集団の壊滅が与えた心理的影響は大きかった。彼らは最早安全圏にしがみつく事でしか生きられないと思っている)は、諦観と絶望の中で、誰かが何とかしてくれるのを待ち続けている。
「──というのが現状。先に見てきたけど、まあ酷いものだったよ。あそこにもう、"人間"は居ないね」
「それで? 態々そんな事を言うからには何かするんでしょうけど、何を?」
自分の頭で物事を考えられるような人間は、ラフィンコフィンには殆ど残ってはいない。居るのは罪悪感に欠けた人間と、今日が楽しければ明日が地獄になろうと構わない人間と──とにかく、人格の破綻した人間だけだ。
尤も、扱う方からすれば都合がいいのだが。少なくともこのギルドを操る二人はそう思っているから放置している。
「……仏様に媚を売りにね。なにせ、蜘蛛を助けるだけで慈悲をくれるんだから。人の形をしてるものを助けたらもっとイイモノをくれるでしょ」
メンバーは疑問符を浮かべた表情をしているが、反対意見が出ることは無い。今までの美味しい思いをしてきた経験から、とりあえず従っておけば最終的には自分達の得になると知っているから。言い換えれば思考停止でもあるが。
はじまりの街に新しく来た集団は当然歓迎されなかった。1層の住人からすれば人が増えれば増えるほど自分の分のリソースが減るのだから当然だろう。
一目見て高級だと分かる装備でも身に付けていれば話は別だっただろうが、生憎そんな堅苦しい物は嫌いな面子ばかりだ。
だから彼女達は、百聞は一見に如かずという有難いお言葉に従いさっさと行動で示すことにした。
上層──最前線よりは少し下の、攻略組も中層プレイヤーも居ない狭間の階層──で買い込んだ大量の食料を持ち込んで、飢えたプレイヤー達に配る。簡単に言うなら炊き出しだ。
料理スキルの不要な所謂出来合いの物だが、店で売られている最も安い食料である黒パンすらも手に入れられない者達にとってはなによりのご馳走に感じられただろう。
炊き出しの事を広めてくれれば料金は要らないという謳い文句に、はじまりの街のほぼ全てのプレイヤーが釣られた。
見知らぬ集団への敵対心と警戒は、飢えを満たすという原始的な欲望に取って代わられた。配っていたのが見目麗しい女性だったというのも警戒心を薄れさせた理由かもしれない。
上層プレイヤーの気紛れかとも思われたその活動は、しかし一週間の間三食分の提供を続け、はじまりの街の日常と化した。少なくとも、呼び掛けなくとも時間になったら人々が集まってくるくらいには。
そして、唐突に途切れた。
いつもの時間になっても来ないことに戸惑いの声が上がり、日が暮れる頃になっても受け入れられない者が多かった。
ヒトは、良くも悪くも慣れる生き物だ。
飢えに慣れていた彼らは、一週間で贅沢に慣れた。しかし、生活水準を上げるのは簡単でもその逆は難しい。
3日後再び現れた彼女達──ラフィンコフィンを迎えた感情には、若干の悪感情が含まれていた。
単純に言うなら、3日も放置するなんてどういうつもりだというもの。別に支援すると約束した訳でもなくただの善意でしかなかったのだから、毎日持ってくる義務など当然存在しない……が、そんな事は施しを受けるのが当たり前になった人々には関係無かった。
少ないながらも聞こえるぐらいの声量で、不平不満を並べ立てる。今まで何してたんだ。飯をくれないなら用は無い。
それを聞いたラフィンコフィン……というより、その実質的なリーダーの行動は早かった。
「よし、帰ろうか。歓迎されてないのに居座る必要も無いでしょ」
「いいんですか?」
「え、いいでしょ。向こうが望んだんだからさ。ほら、結晶出して」
徒歩で帰ろうとするのなら幾らでも止める手段はあっただろう。なにせ人数ははじまりの街の住人の方が多いのだから。
ただ、転移結晶で逃げられてしまってはどうしようもなかった。消えていく彼女等を見送って、暫くの沈黙の後。罵り合いと犯人探しがその場を支配した。
良くも悪くも、はじまりの街の住人に変化が生じた。
贅沢を知ってしまって、今更元の生活に戻りたくないと思う者達が居た。彼らは今までの停滞した生活を捨て、何とかして金を手に入れようと──つまり、モンスター狩りの決意をした。
尤も、もとより死にたくない者達の集まりであるから可能な限りの大人数で、一体だけの敵を倒す。そんな安全性を最重要項目としたものではあり、効率の悪いこと甚だしかったが、それでもほぼ初めての外貨の獲得だった。
自立心が育まれめでたしめでたし──とは、当然ならない。
第一の問題に、一人あたりの獲得できる金額が少なすぎることが有る。街で木の実を取り合うのに比べればはるかにマシだろうが、それでも参加者全員に満足な食事を摂らせるには話にならない程度の額だ。
第二の問題に、コミュニティに加われない者の存在。問題を起こしていたり、人間性に欠点があったり、何かしらの理由で嫌われていたり。そのような人間の中で、諦めて引きこもっている者は良かった。自己を過信して一人でモンスターに挑みに行った者の半数以上は、すぐに無謀の代償を払い、プレイヤーネームに横線を加えることになった。
第三の問題。格差が生まれ始めた。引きこもり続けている者と、安全に極少量の金を手に入れる者と、危険の代償に多額──あくまで第1層基準だが──の金を手に入れた者。当然の話として、それぞれ暮らしぶりは違う。どこからか持ち込まれている1層では手に入れられないはずのアイテム群も拍車をかけている。
羨望が嫉妬に変わるのもそう遠くはないだろう。
そんな悪感情を、彼女達が見過ごすはずもない……というより、今のところは思惑通りだ。
「……ウチは、人間性がマトモなのがほとんど居ないのがキツイなぁ」
ギルドメンバーを品定めしながらポツリと呟く女。元々犯罪者の集まりでしか無いラフィンコフィンにそんなものを求めるほうが無理というものだが、それでも何人かはそれなりにマトモなフリを出来る人間も居る。筆頭が学生である赤目のザザという時点で推して知るべしというものではあるが。
わざわざ選抜して何をするのかといえば、傭兵業である。
高レベルのプレイヤーを一人護衛につけることで、安全かつ高効率なモンスター狩りを提供する、という謳い文句で営業を行う。
そんなことより飯をくれと要求してくる者達は相手にせず、外に出る意志のある者だけとやり取りをする。
どちらかといえば対人戦のほうが得意な面々ではあるが、1層の雑魚モンスター程度に遅れを取るわけもない。成果は露骨とも言えるほどに出た。ソロで挑戦せざるを得なかった者達の死亡率の低下、経験値・金銭の取得効率の上昇。唯一の問題としてリソースを奪い合ってしまう事があったが、それも傭兵組が街から少し離れた地域まで移動して狩りを行うようにすることで解決した。
この活動により──街の外に狩りに行く意志のある者に限っては──今までとは比べ物にならない生活が約束された……かに思えた。
「……それにしても、なんで男に限ってなんですかね? ザザさんはなんか聞いてます?」
『仕事』を終えた傭兵業担当のラフィンコフィンのメンバー達。やはりストレスの溜まる行為では有るのか、定期的に集まって息抜きをする習慣が出来上がっていた。
そんな中で話題に上がったのが、彼らへの指示について。
はじまりの街の住人へと金を行き渡らせるように。ただし男に限って。
あの人はどうせなにか企んでいるのだろうけれど、さてそれは何なのか。集まった彼らの共通の疑問である。
「さあな……どうせ……ロクでもないこと、だろう……」
実のところ。結成初期からのメンバーであるザザは、こうではないかという程度の予想は付いていた。格差を生む。性で役割を分ける。きっと、人がまだ猿に近かった頃の生活に近づいていく。
そこを救いに行くのか、付け込んで何かしらの利益を得に行くのか。或いはもっと放置して、遠くから眺めて楽しむのか。どれを選んでも損はないだろう。
ただ、それをわざわざ説明してやる必要は無いと彼は考えている。単純に面倒だということも有るが、一番は下手に伝えて足並みが崩れては困るからだ。
自分こそが利益を得ようとする、安いヒューマニズムに目覚めて仕事を躊躇う。可能性などいくらでもある。
ザザにとって、それは許容できることではなかった。
彼は、他のメンバーと違ってそこまでラフィンコフィンの活動に愉しみを見出しているわけではない。呑気で幸せそうな奴らへの歪な復讐心ぐらいはあるが、逆に言えばそれだけだ。殺人や女に夢中になっているわけでは無い。
ならばその忠誠心はどこから来るのか。言ってしまえば単純な話で、大したことはない。
ラフィンコフィンを動かす実質的なリーダー。彼女がかけてくれた言葉。
『君には期待してるんだ』
なんでもない、しかし彼がずっと欲しかった言葉。親からも教師からもそんな事を言われなくなって久しく、誰かから求められることに飢えていた。
能力を買われたのか、性格か、はたまた人手があれば何でも良かったのか。向こうの考えは理解できないし、どうでもいいことだった。
重要なのは期待されていること。そう言ってもらえたこと。それだけで、尽くすには充分だった。
ラフィンコフィンが介入して、1ヶ月程の時間が経った。
はじまりの街を1人のプレイヤーが歩いている。この街の住人ではなく、既に攻略された階層を根城に暇つぶし半分で金と経験値を稼ぐような、いわゆる中層プレイヤーである。
今回彼がわざわざ1層に降りてきているのは、ある噂を確かめるため。
曰く、最前線でも通用するような武器が格安で売られている。
曰く、データを解析して現実世界に極限まで近づけた料理が食べられる。
曰く────
裏路地のいくつ目かの角を曲がったとき、それまでとは明らかに雰囲気の違う光景が広がっていた。
今まで視界に入ってきていたのは、何もかも諦めましたと言わんばかりの顔をした落ちぶれたプレイヤーや、ガタガタ震えながら安全の確保された狩りに向かう勇敢な臆病者ぐらいだった。少なくとも見ていて愉快になるものではない。
だが、ここは違っていた。もちろん街並みは大差ないが、活気は段違いである。
道々に居る女性達。プレイヤーの男女比が偏っているSAOにおいて、これだけでも珍しいことである。
そんな彼女たちが、この世界においてそうそう見ることのない露出の高い衣装に身を包み、媚びた笑顔と仕草で客を誘う。この光景が見られるだけでもわざわざ1層まで降りてくる甲斐があるというものだろう。
何人目かに声をかけられた時、今日はひとまず街を見るだけにしよう、などと考えていた彼の予定は崩れ去った。
茅場晶彦にこの世界に閉じ込められて以来、少なくとも性に関しては禁欲生活を送らされていたのだ。たとえ稚拙な誘惑でも、理性を弱らせるには十分すぎる。
一回一時間。料金は三百コル──フィールドでモンスターを十匹も狩れば稼げる──禁則事項は無し。現実であれば確実に裏を疑っていたであろうその条件を受け入れたのは、システム……カーディナルによって守られているという安心感からだ。
出すものを出して落ち着いた後、彼は気になることを聞いてみることにした。
例えばこんな低価格で成り立っているのかだとか、どうしてこんなところで働いているのかだとか。デリカシーに欠けた質問なのは疑いようもないが、ここで遊んだ者は例外なく同じ疑問を抱いただろう。
「……低価格だなんて言えるってことは、お客さん上の人?」
「上って言うほどじゃないが……まあ、ここよりは」
「どうりで。……元々客層はここの人達だからさ。これでも高いぐらいなんだよ。なにせ、食事も毎日は食べられなかったぐらいだから」
暇つぶしがてらでモンスターを狩り、それなり以上に満たされた暮らしをしていた人間には実感のない言葉。絶対の安全を求めた代償とはいえ、あまりにも大きな格差だ。
「どうして働いてるかは……他にやりようがないからかな。細かいことは面倒だから言わないけど。でも、そんな悪いもんじゃないよ。死ぬ心配はない。ご飯はもらえる……それに、ここなら病気にならないし、気持ちいいしね」
本心で言っているのかは分からない。だが、このような店を利用する罪悪感を無くすにはちょうどいい言い訳であった。
人間らしい抵抗感を忘れれば、あとは安易に手に入る原始的な快楽に溺れるだけだ。
元々三大欲求の制御など無理な話。猿と大差なくなるのにさほど時間も必要ない。これは彼に限らず、はじまりの街に来た多くの中層プレイヤーに共通した話だった。
金を持っている者が悪い遊び……女遊びにはまったというだけなら何ら問題は無い。ただ忘れてはいけないのは、元々ここで遊んでいたのがはじまりの街の引きこもりプレイヤー達であったということ。
言うまでもなく、中層プレイヤー達とそれらの資産は比べるまでもない差がある。そして、ここでの商売は元々1層で稼ぐ前提での設定となっている。これは女遊びに限ったことではなく、はじまりの街に持ち込まれた品全てに共通することだ。
結果どうなるかと言えば、金持ちによる独占だ。
当然不満は溜まっていく。カーディナルによる犯罪の禁止と、レベル差という覆せない実力差が無ければとうに爆発しているだろう。
元々はじまりの街の住人同士で対立は生まれつつあったが、矛先が変わり始めた。
一度味わった快楽が味わえなくなることへ憤る者達、自分達との差をあらゆる面で見せつけてくる連中を憎悪する者達。
火種は十分だ。
最早利用するなどほぼ居なくなったNPCの経営する食事処で、2人の人間が話をしていた。
「……わざわざ血盟騎士団の団長様が、今更1層に何の用ですか?」
「なに。私が知っていた頃とずいぶん様変わりしたと聞いたものでね。単なる好奇心だよ」
「それで何故私を呼び出したんですか? ……なんて。とぼけても意味は無いのでしょうね。どうです? 実際に見た感想は」
表に出てはいなくとも、目の前の男ならどんな情報でも手に入るだろうと。そんな当たりを付けているからこそ彼女は誤魔化しはしない。
「率直に言って驚いたよ。システムに無いような商売をするような人間が現れるとは予想しなかった」
「ご不満が?」
「まさか。ここではカーディナルこそが法だ。それが許している以上、一プレイヤーである私に何も言う権利は無いだろう」
「へえ。ご立派なことですね。……神様はもっと自分の思い通りの世界にしたがると思っていましたが」
流石、と言うべきか。男の顔に動揺はほんの一瞬現れただけで、すぐさま元の表情を取り繕った。
「何の事かな? ……などと言っても意味は無いのだろうね」
「そもそも言い当てられて誤魔化す人だとも思ってませんが。で、どうなんです?」
「……私は別に、自分で何かしようとは思わないよ。ただ有るがままの世界を眺めるのが目的であって、それ以上でも以下でも無い」
ある種のからかいへのその答えに、女は我が意を得たりというように笑った。
「──思っていた通り、貴方はここでは神様だ。神様が気にするのはいつだって、お気に入りだけですから。……今だったら、ディアベルにクライン。後はアスナぐらいですか?」
有るがままの世界を眺めるなどと言ったところで、認識できる範囲は限られる。結局のところ、苦しむ人間など視界に入っておらず見たいものを見ているだけだろうという指摘。尤も、男はその程度のことは自覚しているだろうが。
「君は違うのかね? 人を煽り、欲を掻き立て、思うように動かす。同じようなものだろう?」
「悪魔は差別しませんから。私にとってはみんな等価値ですよ」
「……私の望みは既に果たされている。この世界を作った時点でね。悪魔の君は、何を望む?」
「何も。ただ私は皆の願いを叶えてあげてるだけですよ。この街でやってるように」
「君は……いや、或いは。そんな君だからこそ、私の正体がわかったのかもしれないな」
神も悪魔も、人間を下に見ている点では変わりない。血盟騎士団団長──この世界の創造主である茅場明彦の正体を見抜けたのは、何のことは無い。ただ人を人とも思わないろくでなしの同類だというだけの話だ。
「口封じでもしますか? バラされれば都合が悪いでしょう?」
「言った通りさ。ここではカーディナルだけが法だ。都合の悪いプレイヤーだからと消してしまうのは、私の矜持に反する」
そして人でなしだからこそ、自分の決めたルールは遵守する。相手がそれを分かったうえで言質を取ろうとしていようとも。
「私としてはありがたい限りですが。……最後に一つ。あなたは、人間を過大評価しすぎている。きっと、最後には後悔することになるでしょう」
「……覚えておこう」
この会話で何が変わるわけでもない。強いて言うならGMとしての権限を振りかざさないというお墨付きを得たぐらいか。
それを後悔するのかどうかは、今の時点では2人のどちらも知らないことだ。