地獄のようなボス戦だった。撤退が出来ない……つまりは初見で挑まなければならないボスが同時に四体。ある程度の攻略情報がNPCから与えられたのはゲーム制作者からのせめてもの温情なのか。
歴戦のプレイヤーが揃っていた。それでも4つもレイドを組めばギリギリしかいない人数であり、交代要員を含めれば余剰人員など一人もいない……つまり、この攻略に失敗すればもう後は無い。
それでも攻略組達は誰一人臆することは無かった。自分達がずっと最前線を引っ張ってきたという矜持もあったし、これで最後だという覚悟もあった。自分達が他のプレイヤーを生きて現実に帰すのだという使命感もあった(とはいえ、攻略に集中してもらうためと、低層の情報はしばらく前からもらわないようにしていたが)。
激戦の末、生きて帰ってこれたのは全体の半分程度か。それでもなんとか攻略を成し遂げて。仲間を失った悲しみを達成感で上書きするために勝鬨をあげようとして──
ザン、と、首が一つ空を飛んだ。
「……ははっ」
楽し気に口を歪めた女がもう一つ、二つと首を飛ばしたあたりでようやく反応が早い何人かが正気を取り戻せた。
「何かが居る! 囲んで倒せ!」
「女……PKだ! クソ!」
だが、それはもう手遅れだったと言っていいだろう。プレイヤーキラーである女に対処しようとしたからこそ、続々と現れてくるプレイヤー達に背後から襲われる羽目になった。
「何で……なんでだよ……」
「せっかくここまで……!」
「ははっ! 知るかよ!」
「クリアなんて望んじゃいねぇ! ここで殺して犯して生きるんだ俺達は!」
人の足を引っ張って、その場の快楽のために将来を考えずに動いて、他人の気持ちを思いやったことなんて一度も無くて。だからこそこの場ではラフィンコフィンのメンバーはレベル以上の強者となれた。今後のために被害を出せない上に、人を殺したことのない攻略組と、殺人に慣れきって、それを目的としてこの場に来たラフィンコフィン。後者が圧倒的な優勢であった──攻略組の覚悟が決まるまでは。
全てのプレイヤーを救う、だなんて崇高な理念の下にあるのは『自分達こそがトッププレイヤーである』という強烈なプライド。死を眼前に突き付けられた今、そのエゴも剝き出しになり始めた。
「死ね! お前らごときに負けるわけにいかねえんだよ!」
「こんなところで今更!」
「後ろからしか刺せない卑怯者共!」
叫んで、無我夢中で、同じ人殺しへと堕ちていく。『ショウ』として見る者からすれば最高の喜劇だっただろう。
攻略組が万全であれば、被害は出たにしろ勝ちを収めただろう。だが、ボス戦直後に襲い掛かられればいくら攻略組の……つまりは現状最強のプレイヤー達であってもどうにもならなかった。
一人、また一人と数を減らして──それ以上のラフィンコフィンを道連れにした者も多かったが──最後の一人が消滅し終わった時、残ったのは数人のラフィンコフィンのメンバー達であった。つまりは、攻略組と呼ばれていたプレイヤー達はここに全滅したということだ。
「さて──」
そこから一瞬。生き残った数人も殺された。彼らはHPがゼロになるまで……いや、そのポリゴンが消滅するまで何が起きたのか分からなかっただろう。
「手伝ってくれてありがとね、PoH」
「いや? お前と話すのにコイツラがいたんじゃ興が削がれるからな。それだけだ」
最後の二人。
「殺し合うのに話す必要がある?」
「殺し愛うんだからな。前戯は必要だろう?」
少し引き気味な顔をした女と、楽し気にする男。そこにたった今百人程度を殺し合わせた気負いは全く感じられない。
「俺は、お前の中に真実を見たんだ」
「何急に。ポエムならお茶のラベルにでも載せてもらいなよ」
「誰にも汚されない強靭な意思。他に穢されない真なる魂。お前にはそれがある」
「……それ、長くなる? 私のこと、少しは分かってくれてると思ったんだけど」
「ああ、悪いな。人を愛したくなるなんて初めてなんだ。大目に見てくれ」
「……まぁ、いいよ。最期だろうしね」
「最初は俺と同じだと思った。猿を争わせて愉しむ。間抜けを嘲笑う愉快犯」
「間違ってはないと思うけど?」
肯定と言うには薄い反応だが、それでも男、PoHは嬉しそうに笑った。
「そうだろう? だがな、お前は俺よりきっともっと深い」
「ふうん?」
「嫌いなんだろう? 人が。物が。アインクラッドが。現実が。──何もかもが」
「……だとしたら?」
「やっと分かった。お前のようなものをずっと見たかったんだ俺は。何物にも汚されない黒より黒い心。──美しい」
「変わった告白だね」
「そうだ。俺はお前を愛している。お前が俺を憎悪しかしていなかったとしても」
「……そろそろいいかな? いつまでも遺言を聞くほど暇じゃないんだ」
「ああ、悪かった。始めようか。お前に俺を、刻み込ませてくれ」
言葉と共にナイフを投げる。愛用の武器ではないがそれなりに上位の品。刺されば麻痺する毒も塗ってある。
「弾くしかないよな」
一度振った刀を再度ソードスキルを発動出来る姿勢に持っていくよりも早く、懐に飛び込んでその心臓を貫く。目論見通りに行けばこれで勝負はついていたかもしれないが、誤算が一つ。投げたナイフを弾いた時点で彼女のソードスキルは発動していて、それはまだ終わっていないということ。
(まず──)
「──『燕返し』」
躱せたのは勘のおかげだ……いや、HPを持っていかれた時点で躱せてはいないが。
「隠し玉か? ユリ」
「使う相手が居なかっただけ。それより早く終わらせよう。遅漏は嫌われるよ?」
「好き勝手言ってくれるもんだ」
迂闊には近寄れない。なにせ武器の間合いでPoHはユリに劣っているのだから。決め手があるとすれば不意打ちかカウンター。そんなことを考えているうちに彼女の方から動く。意趣返しのように武器の投擲という手段で。
(避ける? 弾く? 受ける?)
頭に浮かんだ選択肢。隙を晒すか、最小の動きで弾ける程度に軽いことに賭けるか、受けるのは──論外だろう。
結論。彼は弾くことを選び、それは功を奏したと言っていいかもしれない。踏み込んできた彼女に対して武器──それも魔剣での武器防御が間に合ったのだから。普通であればこれで凌げたはずであった。
唯一の誤算は、彼女の一撃の余りの重さ。受け止めたはずの武器は真っ二つにへし折られ、その勢いは衰えることなく身体を両断する。
「はい、おしまい。最期に何か聞いてあげようか?」
「……何も。お前に殺してもらえただけで満足だ」
殺してやりたかった。黒より黒い彼女の心を穢して、犯して、壊してやりたかった。だがそれが出来なかった……いや、出来ないからこそ。
「愛してるぜ、ユリ」
「そ。私は別に」
「ハハッ」
こうしてラフィンコフィンの最後の一人も死んだ。残ったのは女が一人。このままラスボスに挑むことだってできる。けれど。
「まだ片付けが終わってないからね」
紅い扉に背を向けて。彼女は転移結晶ではじまりの街へと戻っていった。
狂乱と言っていい状態であったはじまりの街も、今や随分と静かになっている。戦争で大半のプレイヤー達は死んでしまった。残っているのは宿屋で何も知らずに、最近客が来ないと訝しんでいる娼婦達と、教会に逃げ込んで震えながらクリアを待つことにした数少ないプレイヤー達だけだ。
そんな中で女……ユリは、また別の女性と会話をしていた。
「少し……一時間もかからないかな。その間だけ子供を連れて教会から離れて欲しいんだ。声が聞こえないぐらい遠くにね」
「……何を、する気なのですか?」
「子供の安全確保を、確実にしようと思ってね。殺し合いから逃げて来たあの人達、信用できる?」
「それは……! ですが、何をする気……いえ、殺す気なのでしょう? なにも──」
「なにもそこまで? 夜に子供が犯された後でもそんなことが言えたらいいね」
「何を、言って……?」
「あの人達、娼婦を……困ってる女性を金で買ってたような人たちだよ? 今は良いかもしれないけど、少し経って気力を取り戻して、そういう欲が向くかもしれないって」
「やめてください!」
聞きたくもない悍ましい可能性。だが、絶対に有り得ないなんて否定はできなかった。彼女──サーシャもはじまりの街を拠点としていたプレイヤーであったから……つまりは、娼館の話も、質の悪いプレイヤー達の諍いの話も身近なものとして受け止め続けていたから。
「……大丈夫。あなたは子供達を連れて何も知らなかったことにすればいいだけ。あとは私がやるから」
抵抗はそう長くは続かなかった。元より他のすべてのプレイヤーの命より子供達の生活を優先したからこその教会での生活なのだ。そうでなければ攻略組に入って一日でも早く子供達を解放する道を選んでいただろう。
教会が元の広さを取り戻すまでに、三十分も経たなかった。
黒鉄宮にある生命の碑。もはや9割9分線が引かれたそれ。サーシャという名前に横線が引かれるのもさほど時間はかからなかった。
教会の子供達は不安に包まれている。当然だろう。はじまりの街を取り巻く環境は激変を続けていたし、その中でずっと一緒に居てくれて守ってくれていた女性が姿を消してしまったのだから。
そんなところに一人の女性がやってきた時、一瞬サーシャが帰ってきたのではと期待に包まれたが、すぐに違うことは分かった。纏う雰囲気があまりに違いすぎていたから。
その女性が言うには『ヒースクリフ』という悪いプレイヤーが、子供の面倒を見ている大人が居なくなればどうなるだろうと面白半分でサーシャを殺したらしい。そんなことを聞かされて怒りを抱かない子供は居なかった。
「私がそこまで連れてってあげる。だからみんなで仇を取ろう」
そんな言葉に否を言う者はいなかった。内心では嫌だと思っている子供もいたかもしれないが、子供の同調圧力は強烈なものだ。このような事情であれば猶更に。
かくして、ユリという女を除いた最後の生き残りプレイヤー達は、アインクラッドのラスボスに無謀な特攻をして、全員がその命を散らせることとなったのだ。
「久しぶりですね、ヒースクリフ……茅場晶彦」
「先程ここに、子供達が来た」
女の……ユリの言葉を無視してヒースクリフは語る。
「泣きながら私に切りかかってきたよ。返せ返せとね」
「そうですか。ラスボスも大変ですね」
「ああ、本当に。……君が、焚き付けたのか?」
「そうですよ? それが何か? ……ああ、私のせいで子供達が死んだと、そう思いたいのですか?」
笑わせることだ、と言わんばかりの態度。
「貴方が巻き込んだんですよ。貴方がこの世界に閉じ込めて、貴方が現実世界で殺して。貴方のせいだと、そのぐらいの覚悟はあったのでしょう?」
一万人を閉じ込めた世界を作った。その初日で無理矢理ナーヴギアを外したことによる死者が出ている。それこそ数百人という単位で。だと言うのに今更10やそこら増えたからと動揺する? 馬鹿らしい。だったら初めから死ねば普通にログアウトするようにすれば良かったのだ。再ログイン不可にでもすれば、SAOというゲームでは死んだのと同じなのだから。彼女の意見としてはそのようなものだろう。
「……その通りだ。私が殺した。管理者権限を使えば幾らでもやり方はあったのにね」
「……何が言いたいんですか? 罪の意識で自殺したいとでも?」
「それも考えたさ。今や生き残っているプレイヤーは君だけだ。私が死んだところでゲームとして大差は無いからね」
彼女からすればどうでもいい話だ。自殺したくなったのならして欲しい。彼女からすればもうこのゲームは遊び尽くした。ゲーマーに時折起こる悪癖のようなものだろう。勝ちが確定した時点で続きはどうでも良くなる。ラスボス前で急にやる気を無くして積んだゲームというのも、珍しい話ではないだろう。
「だがね、私にもまだ一つだけやらなければならない事がある」
「へえ。何です?」
「君だよ。一体何人のプレイヤーが君のせいで死んだと思う?」
「ああ、簡単ですね。ゼロ人ですよ。殺したのは貴方なのですから」
「なんの迷いも無くそう答えられる君を、生きて現実に帰す訳には行かない。これが私の、最後の責務だ」
「なんでもいいですけど……要はラスボス戦でしょう? 早く済ませましょう」
ヒースクリフ……茅場晶彦は魔王の役割としてこの場に立ち、勇者の役割を担うユニークスキル──二刀流使いか、他のユニークスキルかは別として──の前に立ちはだかるはずであった。
しかし現れたのは殺人鬼が1人。ならば立ちはだかるのは魔王としてではなく管理者として。
これはゲームであっても遊びでは無いのだ。ならば遊びとして人を殺すような者には罰が与えられなくてはならない。
そこにはもう、空に浮かぶ鋼鉄の城を夢見た夢追い人はおらず、プレイヤーの前に立ちはだかる最後の障害である魔王でもなく、ただ責任感に押し潰されそうになっているだけの一人の人間が居るだけであった。
……とはいえ。そんな思考をもし殺人鬼たる彼女が知ったとしたらきっとこう言っただろう。『殺さない選択肢がある唯一の人間だったくせして、自分の罪から逃げてること、気づいてます?』と。
そんな2人の戦闘は、しかしこの世界最後の戦闘としては実に地味な物であった。この世界の創造主にソードスキルなんて使えばどんな動きをするか教えるようなものだと、自分の感覚に任せて武器を振るう女と、ただ只管に最適解を選び戦っていく男。どちらも有効打と言えるような一撃を入れることは出来ず、じわりじわりとお互いにHPを減らしていく。
「……そんなに私が憎いですか? それともおぞましい? 理解できない?」
「何の話かな?」
剣戟を交わしながら、悪魔は嘯く。
「私を許さないと言ってますけどね。殺したのは貴方ですよ……なんてことは、もう今更いいでしょう。では何故私を許せないのかという話です」
返答を求めているわけでは無いのだろう。女は一方的に語り続ける。
「ご自慢の世界のお披露目を邪魔されたのが許せなかったのでしょう? 大きな砂山を皆に見せて悦に入ってたのに、砂場ごとめちゃくちゃにされてしまいましたものね。……貴方のそれは、幼稚園児の癇癪と同じですよ」
癇に障る言葉。癇に障る言葉。癇に障る言葉。
聞き流してしまえれば良かったのだろうが、アインクラッドという茅場晶彦の原点をコケにするような言葉を無視出来ようはずもない。その結果が僅かに晒した隙と、逃さずに叩き込まれた刃で。本来であればここで終わるはずだった。
immortal object
表示されたシステムメッセージは、世界のルールをすら捻じ曲げた何よりの証拠。
「……これも君を殺すため。卑怯と罵ってくれて構わない。だが、人に溶け込める殺人鬼を世に放つ訳には行かないのでね」
「あは。それなら20年は遅かったですね」
絶望の象徴のはずだった。なぜならシステム上破壊不能オブジェクト……つまりは、ヒースクリフのHPがゼロになることは無いのだから。彼女の敗北──即ち死はこの瞬間に確定している。
「にしても、最後の最後でシステム頼りとは……正直、失望しましたよ」
「甘んじて受け入れよう。最期に言い残す言葉があるのなら聞くが?」
本来なら自身の力で勝ちたかったのだろう。そうでなければもっと理不尽に決着をつけることだって出来たはずなのだから。管理者権限を使えばコンソールを弄るだけでHPをゼロにすることだって出来る。
つまりこの瞬間、魔王ヒースクリフとしての最後の矜恃すら捨て去ってしまったということだ。
「一万人を殺してでも自分の夢を叶えようとする姿勢は尊敬してたんですけどね。所詮、その程度ですか」
「負け惜しみ……とは言わないさ。恨み言を言われるくらい覚悟している」
「ああ、違いますよ。心底失望したと、それだけの事です」
言葉と共に、女の身体が黒く光って──振るわれた刀は、破壊不能オブジェクトと化している筈の茅場晶彦ごと、鋼鉄の城の壁までを切り裂いた。
「……信念がなくなれば。こんな城はただのハリボテ。偽物の刀で両断されるのが相応しいでしょう?」
システム的に有り得ない、破壊不能オブジェクトの破壊。本来の武器の射程以上の攻撃範囲。アインクラッドを作り出した男の妄執が、女の狂気に負けた結果がこれだ。
それでも、最期まで足掻こうと茅場晶彦は残った腕で管理者用のコンソールを開こうとして──
ぐしゃり、とポリゴン片になるまで踏み砕かれた。
SAOというゲームの幕引きは、この程度の呆気ないものだった。
『ゲームはクリアされました』と、カーディナルが流す音声だけが虚しく流れている。
「これでログアウトされない……ってオチは、流石に無いかな?」
身体がポリゴン片と化していく、他人であれば何度も見たその現象。しかし自分の身に起こるとなれば少しは興味も湧くのか、ぼんやりと視線をそちらに向けている。
「さて。ベッドで目覚めるか、それとも脳が焼かれて地獄行きか……どっちも同じようなもんだね」
これで一応完結ですがおまけであと1話投稿する予定なのでまだ完結にはしません