月が消え、朝日も顔を出していない宿の一角で風を切る音が響く。
その音の正体は南雲ハジメより頂いた刀を振るう浩二であり、人気のない宿の一角で浩二は日本で身に付けた八重樫流の剣術を振るっている。
長年に渡って毎日のように振り続けた八重樫流の技が風を切る音と同時に披露される。
その動きは洗練されて、流れるような自然さを以て振るわれる。
――だが。
「……ダメだ、こんなんじゃ」
浩二は自身の動きに当然のように納得しなかった。
幼少の頃よりずっと振り続けた剣術、鞘術、体術、投擲術。どれも必死に努力して毎日のように振るってきた。それでもどれだけ努力しても雫にも光輝にも及ばなかった。
―――才能の有無。
それが雫や光輝との差だろう。
なにより今はそれ以前の問題として技の冴え以上に心が荒れている。
八重樫流の道場で剣術を習い始めた時から精神を整え、静かな状態を保つ教えを受けてきた浩二は精神を整えて静かな状態を保とうとしてもあの夜のことを思い出してしまう。
「女々しいんだよ、俺は……ッ!」
型も何もないただ自身の心を表すかのように我武者羅に刀を振るう浩二はまだ雫のことを諦めきれていなかった。
雫に想いを遂げて見事に玉砕した浩二は後に自身の取り返しのつかない愚かさと過ちに気づき、雫に抱く恋心も想いも何もかも諦めて死なないように強くなろうと決めていた。けど、それでもまだ諦めきれない想いが確かに浩二の胸の中に宿っている。
初恋は涙と共に捨てた。その筈なのに浩二はまだ女々しくも雫に想いを寄せていた。
刀を振りながら必死に雫の事を諦め、幼馴染もしくは友人として接するように気持ちを切り替える。
「雫は幼馴染、そう幼馴染だ。香織や龍太郎……ついでに光輝と同じ大事な俺の……」
幼馴染。そう言葉にするのは簡単なのに口が動かなかった。
「ああ、もう!」
女々しい自分に、諦めきれない自分自身に苛立ちと共に刀を振るう。
「どんだけだよ、俺!! 香織のこと何も言えねえ!?」
現在ハジメと共に行動している幼馴染に文句一つ言えない。
だがしかし、それは無理もない。今の平野浩二は雫に想いを寄せていたから形成された存在と言っても過言ではなく、雫を諦めるということは己のこれまでの人生を否定することに繋がる。それ故に一度フラれた程度で諦められるほど浩二は大人ではなかった。
それから暫く、もはや型とは呼べない滅茶苦茶な素振りを行い肩で息をしながら呼吸を整えながらぼやく。
「こんなんでこれからどうすんだよ、俺……死ぬぞ……」
死なない為にも強くならないといけない。しかし、今のままでは死んでしまう。死なない為にも雫の想いを断ち切らなければいけない。
「こちらにおられましたか」
「ティニアさん……」
呼吸を整えている時、旅に同伴しているティニアが浩二の元に歩み寄り、浩二の持つ刀に視線を向ける。
「浩二様は剣術も扱えるのですね」
「……雫や光輝に勝ったことはありませんけど」
自虐気味に告げる。
(今じゃもっと勝てないだろうけど……)
雫の天職は‶剣士〟で光輝は‶勇者〟。そして二人共、‶剣術〟の技能を所持している。投擲のみならともかく剣術はもう天と地ほどの差があるだろう。
(浩二様の自己評価の低さはその劣等感のせいでしょう……)
間近に天才がいればどうしても劣等感を抱いてしまう。浩二がまさにそれだ。それでも剣術を捨てることも諦めることもしなかった為に自分自身の評価まで低くなってしまったとティニアは推測する。
(浩二様も十分凄いお方ですのに……)
それは惚れているからではなく、贔屓目抜きでティニアはそう思っている。
医学を身に付けるだけでも相応の努力が必要だ。それなのに技能もなく剣術を使える浩二は本当に血を滲むような努力をされてきたことがわかる。
才能もなく努力のみでそこまで成し遂げた浩二のその根性と精神力はもはやアザンチウム鉱石に匹敵するだろう。
自己評価の低さゆえに本人はそれを認めようとはしないだろうが……。
(今ここで言葉を尽くしても聞き入れてはくださらないでしょう。少しずつ自信をつけさせていくしかありませんね。後は私に振り向いて貰えるように気持ちを誘導させれば浩二様を私のモノにできますし)
ティニアは打算的ではあるも、とても強かな女であった。
慌てることも急かすこともなくゆっくりと浩二の心を己に向かせる為にあらゆる方法を模索して行動する。浩二の心を鷲掴みにする為に。
「浩二様。そろそろ朝食のお時間になりますので共に参りましょう」
「もうそんな時間か……。わかりました」
気がつけばもう朝日も顔を出していた浩二は刀を鞘に収めて食堂で朝食にしようと足を動かすと……。
「使徒様! 使徒様はおられますか!?」
どうやらすぐに朝食を取ることはできないようだ。
‶アルドの宿〟の入口に宿の店主とその従業員それと宿泊客が何事かと思い、集まっている。そんな彼等の視線の先には一人の子供を抱えている親子の姿が見受けられる。
そして朝食を取ろうと足を動かしていた浩二の登場に彼等の視線は浩二に集中し、親子も浩二に気づいて浩二の元まで駆け寄った。
「使徒様! どうか、どうか我が子を助けて下さい!」
「お願いします! お願いします!」
抱きかかえる我が子を救う為に必死の思いで使徒である浩二に頭を下げて懇願する親子に浩二は言う。
「落ち着いてください。患者はこの子で?」
「……はい」
父親が子供に被せていた毛布を取ると誰もが目を見開かせた。
何故ならその子供の手足がまるで結晶のようになっているからだ。
手足が赤黒い結晶になっている子供を見て浩二はすぐに何の病か察した。
「魔結晶病か……」
「魔結晶病ですか?」
「ああ、千人に一人ぐらいの割合でなる魔力が結晶化してしまう病気だ」
魔結晶病。そう病名を告げる浩二だが、その進行具合に眉根を寄せる。
「魔結晶病は最初は手足の痺れから始まって指先から魔力の結晶化が始まる。そこから内臓器官のある所まで症状が進行していき、最後には全身が結晶化してしまう。既に手足の殆どが結晶化している。この子供の身体を考えればあともって一週間が限界だろう」
「……回復魔法で治すことは?」
「逆効果。この結晶は魔力を吸収して症状を悪化させる。回復魔法をかけたらこの子供の命を縮めてしまう」
回復魔法では治せない。そう告げられて顔を青ざめる親子に浩二は言う。
「だけど俺はこの病気の特効薬を既に調合したはず。何故それを買わないのですか? 薬が広まっていないことはない筈ですが……」
「そ、それは……」
浩二の言葉に言葉を濁らす父親。母親も浩二から目を逸らす。それに怪訝の表情を浮かべる浩二に宿の店主が浩二に言う。
「使徒様。実は使徒様が調合してくださった薬は我々、一般人には手が届かない程に高額なのです」
「え……? いや、そんなことは無い筈ですが?」
「本当なんです! ですから我々も薬が欲しくても買えずに……」
宿の店主それから他の人達の表情を見てそれが嘘ではないことに察する浩二は首を傾げる。開発した薬やその調合方法はリリアーナに広めるように頼んでいるし、リリアーナ本人もそれを了承した。現に【ホルアド】でも浩二が調合した薬が販売されていたが、ちゃんと一般人にも手が届く代金になっていることは確認済みだ。
それがどうしてここだけ高額になっているのか? それに疑問を抱いている浩二にティニアは耳打ちする。
「恐らくは一部の聖教会の仕業かと。寄付と称して大金を要求する者も聖教会にはおられます。その方々が浩二様の薬を利用して高額で販売し、利益を得ようとしているのと思われます」
「……教会は碌な奴がいないな」
確かに浩二はリリアーナの他に聖教会側にもいくつかの薬を送っていた。しかし、リリアーナ同様に一般人にも手が届く価格設定にするように伝えたはずだが、一部の教会関係者が金に目が眩んで高額設定にしたのだろう。
その高額設定された一つがこの魔結晶病の薬だったというわけだ。
「なら誰かその薬を売っているところまで案内してください。俺が言えば素直に薬を渡してくれるでしょうから」
だがいくら高額設定されているからといっても薬を調合した浩二が薬を販売している者に一言、譲れとそう伝えればいいだけの話だ。使徒である浩二の言葉にわざわざ逆らう者はいない。
しかし――
「それが、昨日から店がもぬけの殻で、薬が一つもなく……」
「はぁ?」
それには思わず浩二も呆気を取られた。
「どうしてまた急に? ……いや、もしかして」
「浩二様の存在にお気づきになられたのでしょう。それで薬を抱えてこの町から逃げた。そう推測してもよろしいかと」
浩二がこの町に訪れた以上、万が一にバレたらもう薬を売ることは出来ないと判断したのか、薬を売っている者は浩二に出会う前にとんずらしたのだ。
(面倒なことをしてくれやがって……)
内心舌打ちする浩二だが、薬が売っていない以上は自身で新たに調合するしか術はないのだが……。
(魔結晶病の薬を調合する為に必要な材料が足りない……)
ある程度は手持ちでどうとでもなる。最悪、浩二自身の体内にある薬毒を排出させて改造すれば打つ手はある。だがそれでもどうしても必要な材料がなかった。
(でも、この付近にあるかどうかわからない薬の材料を探すのにどれだけ時間がかかる……?)
旅には目的がある。浩二は一刻も早く【エリセン】に足を運ばなくてはいけない。
ハイリヒ王国の権力が使える浩二は旅人のように無理に【グリューエン大砂漠】を超える必要もなく、貴族や一部の商人など高額を払って使用することができる【エリセン】行きの船(海人族の護衛付き)に乗ることが出来る為に最速最短距離で浩二は【エリセン】に足を運ぶことが出来るが、その船に到着するまでまだ日数がいる。
だからここで足を止めている暇はないのだ。
死なない為に強くなる必要がある。その為に浩二は先を急がなければいけない。
だけど―――
(それが患者を見捨てる理由にはならない。間に合わなかった時はその時に考えればいい)
浩二は目の前の命を救うことを優先する。
「薬を調合する為に必要な材料を集めてきます。それまでこの子にこれを飲ませてあげてください。症状を緩和させることができます」
症状を緩和させる薬を父親に手渡し、浩二はティニアに謝る。
「ティニアさん。すみませんが、薬の材料を探すのを手伝ってくれませんか?」
「かしこまりました。ですがよろしいのですか?」
「はい。患者を放っておくことはできません」
心身に染み付いた性分とも言えるだろう。ここで患者である子供を見捨てれば浩二はずっと後悔することになる。それが自分が損する結果になったとしても浩二は目の前の命を救う選択を選ぶ。
そして浩二達は子供の病気を治す薬の材料を探しに向かう。