「けほっ、こほっ」
「ほら、しっかりしろ」
結構な量の海水を飲んでしまったイリエはむせながら浩二に背中を擦って貰っている。
二人がいる場所は砂浜のような場所でそれ以外は特に何も見当たらない場所だ。
巨大クリオネから戦力的撤退を図ったハジメ達。
彼等が落ちた場所は巨大な球体状の空間で、何十箇所にも穴が空いており、その全てから凄まじい勢いで海流が噴き出し、あるいは流れ込んでいて、まるで嵐のような滅茶苦茶な潮流となっている場所だった。
その激流に身体を海人族と同じになるように‶改造〟した浩二は皆を助けようとしたが、予想以上に激しくランダムな流れに身体が思うように動かなかった。それでもティニアとエフェルが近くに流れてきたので二人に手を伸ばすも、苦しげなイリエの姿を捉えた。
ティニアとエフェルは自身よりもイリエを優先させようと浩二に促し、浩二も二人を信じてイリエを救出。そのまま激流にさらされ、一つの穴に吸い込まれるように流されていた。そして水流が弱まったところで光が見えて浮上し、今に至る。
「……どうして、あたしを助けた?」
「はぁ?」
呼吸が落ち着いて喋れるようになったイリエは浩二にそう尋ねた。
「あたしよりもあの二人を助けるべき」
「そしたらお前は死んでいた。だからお前を助けた。それにあの二人なら問題ない」
(香織は……まぁ、問題ないだろう)
原作通り、ハジメが香織を助けに行っている姿は目撃したし、もしもの時の保険も施している。少なくとも溺死することはないだろう。
それにティニア達もその保険を施しているから今の浩二達のようにどこかに浮上して行動に移している頃だ。
「それよりも動けるか? 身体には問題はないように診えるが」
「……ん、もう動ける」
流石は元は魔人族の兵士なだけあって心身共に強靭だ。もう呼吸を整えて万全な状態に戻している。
「他の皆も深部を目指して行動している筈だから俺達もそうしよう」
「了解」
浩二とイリエも他のメンバーと合流する為にも迷宮のゴールを目指す。浜辺を歩きながら浩二は先程の巨大クリオネのことについて考えていた。
(あれが‶悪食〟。遥か昔、太古から巣くう化け物か……想像以上に厄介なモンスターだ)
原作知識で知っていたとはいえ、舐めていた。いざとなれば‶改造〟の派生技能である‶改造改悪〟でどうにかできると踏んでいたからだ。
神の使徒でも通用したこの技なら悪食にも通用する。そう思っていた浩二だが悪食を目の当たりにして気づいた。
――あ、無理、と。
浩二の‶改造〟の派生技能である‶改造改悪〟は対象を改悪、破壊させる技能で生体に直接干渉する為にあらゆる耐性を無価値にするのだが、その‶改造改悪〟が悪食には通用しないことを診て気づいた。
悪食には生体に直接干渉する為の肉体構造、人間でいうところの細胞やDNA、身体を構成させる為の組織などがなかった。言ってしまえば‶生命〟ではあるも‶生物〟ではない。それが悪食の正体だ。
‶生物〟でなければ浩二の
(やばいな……)
内心でそうぼやきながら歩みを進めていくと周囲の風景がぐにゃりと歪み始める。驚いて足を止めた浩二達が何事かと周囲を見渡すが、そうしている間にも風景の歪みは一層激しくなり―――気がつけば戦場へと変わっていた。
人間族や魔人族がそれぞれ武器や魔法を使って雄叫びを上げながら戦う光景。
突然、戦場に放り込まれたように驚く二人だが、辛うじて混乱しそうな精神を落ち着かせて周囲の様子を見渡す。
「これは幻覚……?」
‶幻惑〟の固有魔法を持つイリエはその光景に見てそう呟く。
「神の御心のままにぃ!」
一人の兵士と思われる男性がイリエに襲いかかる。しかし、反射的にイリエは槍を振るって迎撃しようとするとその槍は男性をすり抜けた。
「え?」
それに目が点になるイリエに剣が振り下ろされそうになるも。
「‶光絶〟」
浩二の光属性の初球防御魔法の障壁で防いだ。そして浩二は魔力を纏わせた刃でその男性を斬ると淡い光となって霧散した。
「どうやら魔力を纏った攻撃なら通用するみたいだ。イリエ、攻撃の槍は槍に魔力を纏わせておけ」
「……わかった」
対処法に頷き、浩二と同じように‶魔力操作〟で槍に魔力を流して襲ってくる兵士を迎撃するイリエだが、その表情は優れない。
「全てはエヒト様の為に!!」
「異教徒めがぁ! 死ねぇ!」
「エヒト様! 万歳!」
二人が体験しているこの戦場にいる者全てに共通していることは誰もが神の為に戦っているということだ。その瞳に狂気を宿して自らの命を顧みず、神敵を殺そうとしている。
こちらの気まで狂いそうになる戦争にイリエの方が先に参ってしまいそうになる。
「……どうして」
イリエには理解出来なかった。
どうしてそこまでして神の為に戦えるのか? 身命を捧げられるのか? 命を捨てられるその信仰心がイリエにはわからなかった。
「イリエ」
「!」
浩二はイリエを脇に抱きかかえて翼を広げて空高く飛翔すると魔弾を掃射。狂気に彩られた兵士達を一掃して殲滅させる。
「神の使徒の力があってよかった……」
殲滅に超便利な攻撃方法。その力を使って一瞬で戦争を終わらせた浩二達は再び、周囲の景色がぐにゃりと歪み、気がつけば元いた場所に戻っていた。
「大丈夫か?」
ひとまず、危機は去ったことから浩二は脇に抱えているイリエを下ろすも本人は顔を俯かせて無言だった。
「先に進むぞ?」
浩二の言葉にイリエは頷いて応じた。
そして先に進むと全長三百メートル以上はある巨大帆船で荘厳な装飾が施されている豪華客船だ。二人はその豪華客船の最上部にあるテラスへと降り立つと案の定、周囲の空間が歪み始める。
今度は海上に浮かぶ豪華客船の上にいた。時刻は夜で、満月が夜天に輝いている。甲板には様々な飾りつけと立食式の料理が所狭しと並んでいて、多くの人々が豪華な料理を片手に楽しげに談笑していた。
「パーティー……?」
先ほどの凄惨な光景とは程遠く肩透かしを喰ったような気になるイリエ。そして甲板には人間族だけではなく魔人族や亜人族も多くいる。その誰もが、種族の区別なく談笑をしていた。
「もしかして終戦後? 和平でも結ばれた……?」
先の光景の後。戦争が終わった後の光景でも見せられていると思ったイリエはそう推測すると楽しそうに談話している同族の姿に思わず頬を緩ませてしまう。
しかし、檀上に登った初老の男性の演説を聞いてその表情は凍りついた。
「―――こうして和平条約を結び終え、一年経って思うのだ。……実に、
「え?」
その言葉に多くの人が聞き間違いだと己の耳を疑う。イリエも同様に聞き間違いだと自身に言い聞かせるも。
「そう、実に愚かだった。獣風情と杯を交わすことも、異教徒共と未来を語ることも……愚かの極みだった。分かるかね、諸君。そう、君達のことだ」
「い、いったい、何を言っているのだ、アレイストよ! いったい、どうしたと言う―――がはっ!?」
国王アレイストの豹変に、一人の魔人族が動揺したような声音で前に進み出たが、その結果は胸から剣を生やすことになった。
崩れ落ちる魔人族に場が騒然とする。
「さて、諸君。最初に言った通り、私は、諸君が一堂に会してくれて本当に嬉しい。我が神から見放された悪しき種族如きが国を作り、我ら人間と対等のつもりでいるという耐え難い状況も、創世神にして唯一神たる‶エヒト様〟に背を向け、下らぬ異教の神を崇める愚か者共を放置せねばならぬ苦痛も、今日この一日に終わる! 全てを滅ぼす以外に平和など有り得んのだ! それ故に、各国の重鎮が一度に片付けられる今日この日が、私は、堪らなく嬉しいのだよ! さぁ、神の忠実な下僕達よ! 獣共と異教徒共に捌きの鉄槌を下せぇ! ああ、エヒト様! 見ておられますかぁ!!」
膝を突き、天を仰いで哄笑を上げるアレイスト王。彼が合図すると同時に、パーティー会場である甲板を完全包囲する形で船員に扮した兵士達が現れた。
それから数分もしないうちに甲板は一瞬で血の海に様変わり、海に飛び込んだ者もすぐに殺されて海が鮮血に染まる。
「うぅ」
その光景に吐き気を催すイリエだが、どうにか堪える。それでもイリエにとってはショックが大きい。嘔吐しなかったのが奇跡だ。
「……」
隣で必死に堪えているイリエの横で浩二はフードの人物を見ていた。
(間違いなく神の使徒だ……)
既にその目で見ている為に見間違えるはずもない。つまりこの惨劇を生み出したのはエヒトの仕業である。
(本当に気持ち悪い光景だ……)
知っていたとしてもこれは気持ち悪い。見ているだけで吐き気がする。
「……どうして」
すると、浩二の横でイリエは膝を突いて涙ながらに己の疑問を口にする。
「どうして、こんなことに……? そんなに神が大事……? 平和な未来を壊してまで守らなければいけないこと……? それじゃ、あたしは、あたしの家族は……何の為に……」
イリエとイリエの父親は魔人族の平和の為に戦ってきた。しかし、神からのたった一つの神託によってそれは簡単に壊されることを知ったイリエはもはや戦う意味を見失おうとしている。
そんなイリエに浩二は言う。
「折れるな、イリエ。折れたら本当に戦えなくなるぞ」
「けど、あたしは……」
「お前は何の為にここに来た?」
「それは……」
「神代魔法を手に入れてフリードとかいう奴の真意を確かめる為だろう? それならここで折れていいわけがない」
「だけど! あたしにはもう!」
―――なにもない。
そう言おうとしたイリエに浩二が言う。
「俺がいるだろうが」
その言葉にイリエは思わず顔を上げた。
「人は何かを信じなければ生きてはいけない弱い生物だ。信じるものがなんであろうとも大切なのは自分を見失わないことだ」
「自分を、見失わない……?」
「自分を見失えば思考が停止し、ただ信じるものの道具、先の狂信者に成り果てる。だから自分の心を強く持て、イリエ。その先へ進めるかどうかはお前自身が決断することだ」
「あたし自身が……」
浩二はイリエに手を差し伸ばす。
「立て、イリエ。お前にはまだやるべきことが残っている筈だ。歩みを止めるのはそれからでも遅くはないだろ? それまでは俺がお前を生かす理由になってやる」
「……」
イリエは涙を拭い、浩二の手を取って立ち上がる。
「……ごめん、迷惑かけた」
「気にするな。仲間だろ?」
「……うん」
小さく頷くイリエ。すると周囲の景色がぐにゃりと歪み、元いた場所に戻ってきた。
「それじゃ、こんな気味の悪い迷宮さっさと攻略するぞ」
「うん」
二人は大迷宮攻略の為に先へ進む。