薄暗く明かり一つ無い部屋の中に、格子の嵌った小さな窓から月明かりだけが差し込んで黒と白のコントラストを作り出している。
部屋の中は酷く簡素な作りになっていて、鋼鉄製の六畳一間。木製のベッドにイス、小さな机、そしてむき出しのトイレ。地球の刑務所の方がまだましな空間を提供してくれそうだ。
そんな牢獄にしか思えない部屋で雫は囚われの身となっている。
その手首にはブレスレット型のアーティファクトが付けられており、その効果として雫は魔法が使えない状態となっている。
「このっ!」
それでも雫はただ助けを待っているだけのお姫様ではない。脱出を試みようと何度も鋼鉄の扉に拳や蹴りを叩きつけている。しかし、勇者パーティーの前衛である雫の攻撃でも扉はビクともしない。
「はぁ……はぁ……」
乱れた呼吸を整えながら雫は攫われた時のことを思い出す。
銀髪の修道服を着た女に突然手合わせをしてあっさりと敗北した。万全の状態ではなかったなどというのはただの言い訳。雫はその女に敗北を叩きつけられて人質としてこの牢獄に閉じ込められている。
(私が浩二の枷になるなんて……)
雫はどうして女が浩二を狙っているのかその理由は知らない。けれど浩二の枷になっているのは確かなことだ。
「痛っ!?」
鋼鉄の扉を殴った手から痛みが走る。手だけではなく足からも鈍い痛みが雫を襲う。
(折れてはいないようだけど罅は入っているわね……)
実家で怪我をすることには慣れている雫は痛みには耐性がある。だから冷静に自分の状態を把握することが出来るもどう足掻いてもここから脱出することができないことがわからない雫ではない。
自身をここに閉じ込めた銀髪の修道服を着た女との実力差は歴然。仮にここから出られたとしてもまたここに戻ってくるだけだ。
それでもじっとしていることができない雫は脱出を試みるも無意味に終わっている。
(せめて黒刀があれば……)
それがあればまだ脱出できたかもしれない。しかし、今は雫の手元にはない。
雫は一度落ち着きを取り戻す為にベッドの上で膝を抱えて小さくなる。
「私、どうしちゃったんだろう……」
自身でもらしくないと思うことがある。あの日、浩二が告白してくれたその日から浩二のことが頭から離れない。
雫とてこれまで異性の告白されたことはある。だが、大半が下心丸出しの告白だった為に全て断った。女子生徒からも‶お姉様〟と熱の籠った視線で告白されたこともあったけど雫はノーマルなので丁重に断った。
幼馴染の想いに気づけなかった自分に罪悪感を抱く雫はその身を小さくする。
「……私に人質の価値なんてないわよ。だって私がそうしたのだから」
自虐気味のそうぼやく。
まだ浩二がその想いを抱いているのなら人質としての価値はあっただろう。だが、雫は浩二の想いを断ち切った以上はもう浩二が危険を冒してまで助けに来る価値はない。そう考えると雫の諦観したかのように薄く笑う。
(案外、これでよかったのかもしれないわね……)
浩二をフッてよかったと雫は思う。フッたから人質としての価値はない以上浩二の枷にはならない。自分を切り捨てて他の誰かを助けに行ってくれたらいいと雫は考える。
「……浩二」
「ああ、なんだ? 雫」
ポロリと零れた彼の名を呟いたらこの場にいる筈がない彼の返事が返ってきた雫は思わず、部屋を見渡すが自分以外誰もいない。幻聴? だと首を傾げると。
「こっちだ、こっち」
再度聞こえた声に雫は格子の嵌った小さな窓に視線を向けるとそこには、窓から顔を覗かせている黒眼紅瞳のオッドアイの男性がこちらを覗いていた。
「だ、誰!?」
雫は思わず警戒して痛めている手足を動かして八重樫流体術の構えを取ると浩二はがっくりと肩を落とした。
「助けに来た幼馴染に対して酷い言い草だな、ええ、雫さんよ? ちょっと見た目が変わっただけで間違えるなんて浩二さんはショックだぞ」
「へ? 浩二? えっ? うそ、どうして……? だってここ……」
混乱しながらマジマジと目の前にいる浩二と雫が覚えている浩二を見比べてみると確かに面影がある。
「とりあえずちょっと離れてろ。‶分解〟」
壁を‶分解〟させて浩二は中に入る。今度は顔だけではなく身体全体を見て雫は本当に浩二なのだと確信した。確信したからこそ口に出てしまう。
「どうして……?」
「囚われのお姫様を助けに来るのは王子様の役目だろ? と言いたいけど生憎と王子様は似合わないから囚われのお姫様を助けに来た村人Aとでも思ってくれ」
「そういうことを聞いているんじゃないわよ!? どうして私を助けにきたのよ!? 私は貴方を……ッ!」
フッたはず。だが。
「惚れた女を助けに来るのは当たり前だろ」
「――――っ」
そんなの当然と言わんばかりに平然と言い切った浩二に雫は言葉が出なかった。だけど、やはり、それでも雫はわからなかった。どうしてまだそんなことを言ってくれるのかを。
「というよりも女の子が骨に罅が入るまで鉄の扉を殴るなよ。‶焦天〟」
相変わらずの幼馴染に呆れながらも回復魔法を施す浩二は続けて雫の手首に嵌められているアーティファクトを‶分解〟して黒刀を雫に渡すと雫はそれを黙って受け取るも、なんとも言えない空気が二人に流れると、浩二が先に口を開いた。
「お前にフラれた時は滅茶苦茶ショックを受けた。生まれて初めて大泣きするぐらいにショックで何度もお前を諦めようと思った」
「……」
その言葉に黒刀を持つ手に力が入る。
「それでも諦めきれないぐらいに俺はどうしようもないぐらいにお前に惚れてる。雫にフラれて、雫の傍から離れてようやくそれに気付いた」
「浩二……」
「けど、南雲ほどじゃないけど俺も皆の傍から離れて色々と変わった。だから今の俺は雫が知っている俺じゃない。だからこれは宣戦布告だ」
ビシッ! と浩二は雫に指先を向けて宣言する。
「俺は必ず今の俺を惚れさせる。これからは‶幼馴染〟としてじゃない。一人の‶男〟としてお前を惚れさせてみせる。だから俺を見ろ、俺の話に耳を傾けろ。心身共に俺無しじゃ生きられないようにしてやるから覚悟しろ」
雫と離れる前はまだ‶幼馴染〟だった。だが今は違う。一人の‶男〟としての宣戦布告だ。改めて浩二は今の自分を好きになって貰う様に行動する。だからこれはその宣誓でもある。
「……どうして、そこまで」
私の事を―――。そう問いかけようとした時、カッ!っと、外から強烈な光が降り注いだ。
「っ!?」
浩二は雫を抱きかかえて外壁の穴から飛び出した。
「……おかしいとは思ってはいた」
先ほどまで雫を閉じ込めていた牢獄は細かい粒子となり、夜風に吹かれて空を舞い上がりながら消えていく。その事に関しては浩二は疑問は抱いてはいない。
「雫を俺を誘き寄せる餌兼人質として有効活用する為に用意したことは別にいい。理解できることだ。だが、どうしてそんな人質をこうも簡単に俺の元に返したのか。それがわからなかった」
ここに来るまでに浩二は雫を人質にした戦闘から有効活用に至るまでの利用方法について模索していた。最良から最悪のパターンまで考えていた浩二は雫を助ける前に神の使徒と戦闘があることさえ考えていた。
何もここまで来るまでに戦闘のせの字も雫を人質にした交渉という名の脅迫もなかった。だからこそ浩二は理解できなかった。せっかく手に入れた浩二の弱みを簡単に手放すことができたのかを。
「そういうことか……」
「うそ……」
二人の前に現れるのは雫を攫った張本人である神の使徒。今は修道服ではなく戦闘服でその両手には銀色の魔力を纏った鍔無しの大剣を手にしている。しかし、問題はそこではない。
数百人にも及ぶ数の神の使徒の大群が浩二達を取り囲んでいる。
「随分と熱い歓迎だな……」
「初めまして、平野浩二。私は第三の使徒ドリットと申します。貴方方を我が主の元へ連れて行きます」
(初めから実力行使が目的なのね……)
エヒトの元へは連れて行く。だが、力の差を思い知らせて連れて行く。そんな無言の圧力がひしひしと伝わってくる。
(俺達を取り囲んでいるのは恐らくは量産型だな……)
目の前にいるドリット。そして浩二が倒したフィーアトやフィンフトとは違った同じ姿をした贋作。だが神の使徒としての技能はある。それが数百体以上。
「貴方の力は承知しています。しかし触れなければ脅威ではありません。お荷物を抱え、この数から逃れられるとは思わない事です」
神の使徒であろうとも問答無用で倒すことが出来る‶改造〟の派生技能である‶改造改悪〟。神の使徒の言う通り、その技能は対象に直接触れなければ発動しない。数を揃えたのは浩二を逃がさないようにする為でもあり、浩二の必殺技を封じるためでもある。更には両腕に雫を抱えている以上は無茶な動きもできない。
「ご安心を。命を奪うことはしません。貴方には我が主の為に役に立ってもらわなければいけませんので」
「こ、浩二……」
自分が足手纏いになっていることに雫は歯痒い思いをしながら浩二の名を呼ぶ。だが。
「お前、馬鹿だろ?」
浩二は呆れるようにそう言い切った。
「神の使徒としてのプライドか、エヒトの命令なのか知らないけどな。俺から言わせることはただ一つ。お前は馬鹿だということだ。……いや、あれこれと考えていた俺が馬鹿だったわ」
哀れみすら見せる浩二に雫はただ啞然となる。
「俺が一番警戒していたのはお前が雫を手元に置いているかどうかだ。‶近づけば人質の命はない〟や‶こちらの命令を聞かなければ殺す〟って感じに雫の首元にその大剣を押し付けられていたら流石の俺もできる手段は少なかった。最悪、俺は本当にクソ神の都合のいい駒にされる覚悟もしていたが……まさかこうも簡単に雫を取り返すことができるとは思わなかった」
それはまるでこの状況をどうにかできる。苦戦するまでもないと遠回しに言っているようなものだ。
「……強がりを。確かに貴方はイレギュラーと同程度の脅威ではありますが、お荷物を抱えたままこの数をどうにかできるとでも?」
ドリットほどではないにしても量産型にも厄介な‶分解〟やその他の技能もある。それが数百にも及ぶ数相手にどうにかできるとは思えない。
「そうだな。どんな戦いでも数は重要だ。戦いは数って言葉があるぐらいだからな。――だから‶死ね〟」
刹那、量産型の神の使徒はまるで糸が切れた人形のように地上に落ちていく。
「なっ!?」
たった一言。たった一言浩二が‶死ね〟と口にしただけで量産型の神の使徒が地面に向かって落ちていく。流石にそれはドリットも驚きを隠せない。
「いったい何を……ッ!?」
「教えるつもりもないし、答える意味もない。まぁ、あえて教えてやるとしたら生物である以上は俺の敵じゃないってことだ」
浩二オリジナル魔法‶言霊〟。
以前神の使徒フィンフトの戦闘の際に使った‶白昼夢〟が対象に都合にいい夢を見せる魔法ならば‶言霊〟は浩二が発した言葉を思い込ませる、簡単に例えるのなら超強力な暗示に近い魔法だ。
量産型の神の使徒達は浩二が‶死ね〟と発したことによって自分は死んだと思い込んで生命活動を停止したのだ。今頃は高さ八千メートルから落ちて赤い花が咲いている頃だ。無論、生物相手なら誰でも効果があるというわけではない。魔耐のステータスが高い人や精神力が強い人には効果が薄いが、量産型である神の使徒相手には十分だ。
「さてドリットって言ったか? お前、覚悟しろよ」
浩二の瞳から宿る鮮烈さにドリットは無意識にその身を引いてしまう。
「俺の‶特別〟に手を出したんだ。楽には終わらせない、ホルマリン漬けにしてやる」
「――――――っ」
ドリットは思う。目の前にいるのは本当に人間なのか? その気迫、その圧力はまるで命を刈り取る死神のようだった。しかし、ドリットはエヒトの忠実な使徒。相手が死神だろうと命令に遂行するまで。