‶人型〟のゴキブリが形成する魔法陣。それとは別にハジメ達の足元で形成された魔法陣。その魔法が発動して無事を確認しようとハジメ達は顔を見合わせたその瞬間、凄まじい嫌悪感が湧き上がっていた。
憎悪とも言い換えてもいいかもしれない。そんな暗い感情を抱き、その表情も憎々しげに歪められ、瞳には殺意すら宿っている。
(ああ、
無論それは浩二でさえも例外ではない。雫達を見るだけで解体して苦痛の果てに殺してやりたいという暗い感情を抱いている。
感情の反転。それがこの大迷宮での最後の試練。
記憶、あるいは絆を以て反転した感情を振り払い元に戻れるか、あるいは、悪感情を抱いたままでも、今までの自分達を信じて共に困難を挑めるか。
質が悪いことに、絆が深ければ深いほど反転した時の感情は大きくなる。
そして、敵であり、否応なく嫌悪感を抱くはずの黒い悪魔が愛しさすら感じてしまっている。
味方同士は絆の深さ故に憎しみ合い、嫌悪を抱く敵だからこそ愛しく思えて刃が鈍るというそういう狙いなのだろう。本当に嫌らしい試練だ。
明かに異常をきたらしているハジメ達に再びゴキブリの大群が押し寄せてきている。
‶人型〟がいくつもの魔法陣と黒い球体を作り出し、次々に縮小版の人型ゴキブリを作り出している。‶人型〟に比べ全体的に歪で、普通のゴキブリ―――‶小型〟同士の結合も甘いようだ。
おそらく、‶人型〟の劣化版なのだろう。‶半人型〟というべきか。それを量産している。‶人型〟をボスとするなら、‶小型〟は兵士、‶半人型〟は騎士というべきか。
だがこのままでは連携はおろか、足を引っ張り合って‶小型〟の津波に呑み込まれるか、‶人型〟と、次々と生み出されている体長一メートルくらいの‶半人型〟を前に刃が鈍り、餌食になるか……。
今ここにいる全員の感性は、ゴキブリという存在は非常に愛するべき、庇護欲をそそる生き物になっている。そんな生き物に危害を加えられるものか。
だから
「ああ、本当に愛らしいな。―――じゃあ、死ね」
「……ん。本当に素敵。―――取り敢えず、死ね」
――電磁加速式対物狙撃砲 シュラーゲン
――空間魔法 震天
同時に放たれる凶悪な攻撃。
ハジメの貫通特化の紅い砲撃。ユエの空間振動による衝撃波にゴキブリは塵芥となった。
愛しくても、可愛くても、殺したくなくても敵である。ならば殺す。
好悪の感情など、挟む余地はない。慈悲もない。
本当に感情が反転しているのか疑わしい二人を脅威に感じたのか、‶人型〟は無尽蔵に近い‶小型〟を呼び寄せる。二人に対抗するには戦力を二分している余裕はないようだ。
だがそれは妥当の判断。
強力かつ凶悪な殲滅力を持つこの二人を前に余裕ぶってはいられない。だが、その代わりと言わんばかりにシア達の前には‶人型〟を二回りほど小さくした‶半人型〟の群れ。
数は優に二百……否、現在進行形で増殖している。
ハジメやユエ達はともかくとして、感情が反転しているシア達にとっては強敵なうえに戦いたくない相手。本来の実力を出せるかどうかも怪しいのだが。
「ハッ。舐められたもんだ」
――八重樫流抜刀術改 魔血月刃
突如、‶半人型〟に襲いかかる赤黒い斬撃の嵐。そしてその斬撃を放ったであろう人物はスタスタと雫達より前に出る。
「浩二……」
驚きながら憎々しい者の名を口にする。だが、浩二はそんなこと気にもせずに皆に告げる。
「お前達は何の為にここに来た? 生半可な覚悟でここまで来たのか?」
厳しく、咎めるかのような言葉に雫達の表情は更に厳しくなる。お前から葬ってやろうか? と言っているほどに。
――だが
「違うだろ? 俺も、お前達も自分達の意志でここにいる。覚悟を決めて大迷宮に挑みにきた。ならやることは簡単だ」
憎々しくも、忌々しくも思う浩二のその言葉は何故か心に響かせる。
「心を定めろ。顔を上げて前を見ろ。突き進め。己の意志と共に」
その言葉を置いて灰翼を広げて浩二は結界を飛び越え、‶半人型〟がいる戦場へ飛び立った。
――八重樫流刀術改 双刀紅月
刀を持っていない左手から自らの血を凝固させた血の刀を生み出し、二振りの刀で‶半人型〟を斬り捨てていく。
浩二は自分には才能も素質もないことは嫌というほど知っている。
ハジメとの戦いで色々と吹っ切れてはいるもののそれはどうしようも変えようがない事実だ。
今こそは高いステータスや自身の技能と応用力でどうにかなってはいるものの素の剣術勝負でなら雫はおろか光輝にすら劣る。
そこで開発したのが‶八重樫流改〟だ。
トータスに転移する前から磨き続けてきた八重樫流と技能を組み合わせることで浩二は自分だけの技へと昇華させた。浩二だけの浩二しかできない。それが八重樫流改。
幼少の頃から雫の父親、師範から教わり、磨き続けてきた八重樫流に手を加えることに些かの抵抗もあった。だけど大事なのはそれに拘ることじゃない。強くなる為に自分がどうあるべきかだ。
だから浩二は元の世界、日本に帰ったら師範に全てを打ち明けるつもりでいる。勝手に八重樫流を改造したことで破門を言い渡されたら浩二は二度と八重樫流の門を潜らないことを覚悟して。
――八重樫流忍術 轟炎魔浪
刹那、‶半人型〟を襲う炎の津波。
最初に放った魔力を込めた血の斬撃を‶魔力操作〟の派生‶遠隔操作〟によって魔法陣を形成し、炎の津波を発動した。正確に言えば‶忍術〟ではなく‶魔法〟で、それも神の使徒が使っていた‶劫火浪〟という属性魔法なのだが、その辺は本人の趣味が反映していそうだ。
だが、‶半人型〟はその炎の津波を飛び越えて浩二に襲いかかる。どうやらいくつかの‶半人型〟を肉壁にして炎の津波を飛び越えてきたようだ。
迎撃しようとする浩二だが、白銀色の羽が‶半人型〟を仕留めた。
「憎々しいですが、貴方様の言う通りでしょうね」
「そうですね。貴女と同意見なのは不服ですが」
ティニアが氷のように冷たい眼差しを浩二に向けながらも浩二を助けて、エフェルもまたティニアと同意見だったことに不服そうにするも、二人は己の果たすことに意識を集中させる。
「浩二様。援護しますので気にせず戦ってください」
「旦那様、敵の数を減らしますよ」
「ああ」
ティニアの正確無比な‶分解〟が付与されている銀羽で浩二の死角から襲う‶半人型〟を仕留めてエフェルの‶ブレス〟が‶半人型〟を消し飛ばしていく。
「チッ。サディストに先を越されたですぅ!」
悪態と共にシアもまた動き出す。
虚空に出現する巨大な赤い球体――剣玉。
直後に響くは、大気すら戦くような衝撃と轟音。
直径二メートルの巨大な金属球が、ドリュッケンに叩き出されて砲弾と化す。
進路上にいた‶半人型〟は出端を挫かれる形で潰され、ひしゃげ、砕けながら吹き飛んだ。
「放置とか許しませんよ! おチビとドS!!」
憎い相手が、自分には目もくれず戦場へ飛び出していったことが屈辱だったのか……。シアは剣玉の砲撃で空いた大穴へ飛び込み、ハジメとユエのもとへ行こうとするが、そうさせまいと‶半人型〟が四方八方から殺到した。
「ええいっ、この構ってちゃん達め! ですぅ!」
ちょっぴり頬を染めながら、殺到する‶半人型〟達に足を止められたことにウサミミを荒ぶらせるシアはドリュッケンで‶半人型〟をぶっ叩く。
‶半人型〟は腐蝕のオーラを纏おうとも、ドリュッケンが一度振るわれるだけで発生する衝撃波が全て蹴散らす。全方位同時攻撃をしようとも、鎖で繋がった剣玉が、シアの回転に合わせて周囲一帯を薙ぎ払う。まさに暴風。
「……そうだ。あたしは」
浩二の言葉にイリエもまた動き出す。
父親が為せなかった魔人族の未来の為にここにいる。それを実現する為の力を求めて仲間と共に大迷宮に挑みにきた。だからここで足を止めているわけにはいかない。
「強くなる為に、あたしはここにいる」
イリエもまた槍を構えて‶半人型〟と戦う。
「まったく、私としたことが出遅れましたわ」
愛らしいゴキブリ達に攻撃を躊躇ってしまった。そんな自分に情けないと思いながらも先の浩二の言葉で目を覚ました。
「どれだけ愛らしくても夫のように強くなければ愛せませんわ」
愛らしくても強くなければ意味がない。まずは強くなければどれだけ愛おしくても愛せない。
「私の愛が欲しければまずは強さを証明しなさいな!」
そう言って攻撃を繰り出す。
「……そうだ、やらなきゃいけねぇ」
「そうだよ、鈴だって……」
龍太郎や鈴もまた動き出そうと前へ出る。
「なっ、戦う気か!?」
光輝がハッとしたように龍太郎を見た。正気を疑うような目だ。
この期に及んで躊躇いがあるらしい光輝に、雫が苛立たしげに語気を荒らげる。
「光輝。やるのよ。聞いたでしょう? 感情が反転しているって。今抱いている感情は、本当の感情じゃあないのよ。やらなきゃ死ぬわ」
「だ、だけど……そうだっ、浩二がいる! 殺さなくても防御に徹していれば、浩二が終わらせてくれるはずだ!」
光輝がたじろぐ。雫という腹立たしい相手より、信頼できる浩二に任せようとするが。
「馬鹿野郎! 光輝! あんな奴に任せっぱなしでいいのかよ!?」
龍太郎が叫んだ。
「だ、だけど……」
「俺はその為にここに来たんじゃねえ! 俺は俺の意志でここに来た!! 強くなる為に!!」
「鈴も恵理ともう一度お話する為にここに来たんだ!!」
だからこそ龍太郎そして鈴は浩二より与えられた切り札を使う。
「‶竜人化〟!!」
「‶第二魔力炉起動〟!!」
鈴は第二魔力炉を起動させて結界を強化させると同時に龍太郎の身体が変貌する。
その背より広がる翼、鋼のような鱗、無骨な鉤爪、口腔から見える鋭牙。その姿は人の形をした竜そのもの。それが浩二が龍太郎に与えた切り札。
龍太郎は神の使徒との適性が低い上に鈴のように‶第二魔力炉〟を与えても十全にそれを活用することはできない。自らの肉体を武器にする龍太郎をどう改造しようかと浩二自身も悩んだ。
だが、龍太郎の身体を調べる際に浩二はあることが判明した。
龍太郎は神の使徒との適性が低い代わりに魔物との適性が非常に高い。ハジメのように魔物の固有魔法を獲得できるほどに。だが、今からオルクス大迷宮に行く時間はない。そこで浩二は閃いた。
―――なら南雲から貰えばいいじゃねえか、と。
ハジメから(こっそりと無断で)血液を採血し、ついでに竜人族であるティオとエフェルからも血液を採血し、それを調合して改造し、龍太郎に注入させた。
その結果、完成したのが‶竜人化〟
竜人族の‶竜化〟同様にその状態の時だけ龍太郎のステータスは跳ね上がる……だけじゃない。
「‶限界突破〟!!」
その身体から深緑色の光が包み込む。
‶勇者〟である光輝とハジメしか持っていない‶限界突破〟の技能。ハジメの血液も注入したからか、もしくは限界を超えてでも強くなりたいという龍太郎の意志が生み出したものなのかは定かではないが、現に龍太郎はその技能を獲得した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
雄叫びと同時にその翼を広げて‶半人型〟に突貫する龍太郎。荒ぶる竜のようにその猛威を‶半人型〟に振るう。しかし、その顔は自分の新たな力が通用することができる喜びよりも焦りに近い。
龍太郎はこの世界‶トータス〟に召喚されて戦争に参加することになっても特に深くは考えなかった。
光輝がいればなんとかなる。それに何かあっても浩二や雫がフォローしてくれるから自分は光輝を助けてやればいつも通り、なんとかなるとそう思っていた。
魔人族が襲撃してくるまでは。
これまでの魔物とは比べものにならない強さの前に光輝は敗北し、もう駄目かと思った矢先、浩二が魔物を倒し、魔人族を殺した。
わかっていた。自分達がやっているのは魔物退治ではない。戦争であることを。だが、それを自覚せずに生半可な覚悟で戦場に出ていた。そして浩二だけは覚悟していたということを。龍太郎はそこで初めて自分の覚悟の無さを痛感した。だがその結果、浩二は皆の前から姿を消した。
人の死を間近で見た皆は人を殺した浩二と距離を取っていた。だから浩二は皆の士気を下げない為に皆の前から消えることを選んだ。
香織はハジメについて行き、浩二は王城、王都から去った。雫の様子もおかしく、光輝もどこかおかしく、これまでずっと一緒にいた仲間であり友人であり大切な幼馴染がバラバラになっていった。
だから龍太郎は俺が強くならねえとと思ってこれまで以上に鍛錬に励んだ。
しかし、王都襲撃の際に恵理の裏切りに龍太郎は何もできず、戻ってきた浩二は自分達以上に強くなって戻ってきた。勇者である光輝を圧倒するほどに。
何もできなかった。強くなると決意したのに、光輝達のことを頼まれたのに何もできなかった。
龍太郎は自分を恥じた。強くなりたいと心から願った。
それが人を辞める結果になったとしても龍太郎に後悔はない。
「どうした? 龍太郎。その程度か?」
「うるせぇ!!」
挑発するような言葉に龍太郎は苛立ちを吐き捨てるようにそう返す。
「すごい……」
‶半人型〟を相手に無双する浩二達を見て、香織は妬ましそうにそう呟いた。
浩二もシアも強いのは知っていた。だが、間近でその戦いを見るのは初めてだった。いや、浩二とシアだけではない。ティニアやエフェル、イリエにレイナ、龍太郎までも奮闘している。しかし香織も負けてはいない。襲ってきている‶半人型〟を、大剣で切り裂いては、分解の魔力を纏う銀羽の弾幕で撃墜し続けているので、香織自身も圧倒的な戦闘力を示してはいるのだが……
(私のは……貰った力だし)
という思いが、湧き上がってしまう。
貰った力というのであれば鈴や龍太郎達も同じだが、それでもそう思ってしまう。
「その感情は、メルジーネで克服したのではなかったのかの?」
「え?」
ブレスを散弾のように拡散させて連射しながら、ティオがチラリと香織へ視線を寄越しながら呟いた。
完全に内心を見透かされて、香織の中の悪感情が膨れ上がる。
だが、ティオはお構いなしに続けた。
「どのような手段であれ、手にした力はお主の力じゃ。そんな顔をするではないよ」
思わずティオに視線が吸い寄せられて、一瞬の隙を晒してしまった香織。振り返った香織の頭上から‶半人型〟が迫るが、ティオが見もせず片手間に放った風刃があっさり両断してしまう。
「胸を張って良いのじゃよ、香織。一途な想いも、その努力も、今この場に立っていることも、お主は誇ってよい」
「……うるさい。別に、ティオに言われなくたって分かっているもん」
つい子供じみた文句を言ってしまう香織は八つ当たり気味に、分解の砲撃を放ちながら扇状に薙ぎ払う。軌道上にいた全ての‶半人型〟が風化したように塵となって落ちていく。
やはり、見透かしているのか。そんな香織に小さく笑いながら、ティオは「それに」と続けた。
「シアもまた、特別な子じゃ。誰かと比べられるものではない」
確かに、シアは特別だ。亜人族で唯一、魔力を有し、あんなにも強い。
香織がそう思っていると、ティオは首を横に振った。
「そうではないよ。あの子の能力を言うておるのではない。心のことを言うておる」
「心?」
「そう、心。元より、シアは兎人族。その心は平穏を愛し、争いを苦手とする」
けれど、それでも望みは叶えられないから。
「怯えながら一歩を踏み出し、泣きべぞ掻きながら戦い、愛した者と、友の傍に立ち続けた。どうやら、世界は光輝に勇者の称号を与えたようじゃが……」
ティオの視線が、シアへと流れる。
「妾からすれば、光輝も、それどころかご主人様ですら、その称号には不相応。真に‶勇ある者〟とは、‶勇者〟とは―――シア・ハウリアのことであろうよ」
ティオにとって、仲間の中で最も敬愛の念を抱いていたのは、驚いたことにシアだったらしい。
それに気が付いた香織は当然驚いたが、しかし、それよりも驚くことがある。というより、疑問がある。
「……ねぇ、ティオ。感情、反転してる、よね?」
自分に対する言動、シアに対する隠すこともない敬愛の念。どう見ても悪感情を抱いているようには見えない。
「ふんっ。お主等のことは気に食わん。今も、憎々しい感情が湧き上がっておる。……じゃがなぁ、それがどうしたというのじゃ?」
「え?」
ティオの視線が、再び香織へ向いた。その瞳に宿る‶深さ〟に、‶重み〟に、香織は思わず息を呑んだ。
ふっと笑ったティオは、またも隙を晒した香織の背後へブレスを放ちつつ、事もなげに言った。
「感情の好悪など……そんなものに左右されるようでは、五百年も生きておれんよ」
記憶と、魂の標が、ティオに正しい判断を与えている。一度抱いた想いを、容易に忘れて感情に流されるようでは、彼女の長きを生きる心はとっくの昔に壊れている。だから、今憎くても、好意を抱いていた時の記憶さえあれば、ティオ・クラルスは決して流されない。正も負も、愛も憎しみも、全てを呑み込み背負うのだ。
「それに妾はシア以上に浩二の方に驚かされておる」
「浩二くんが……?」
確かに浩二は強い。今だって‶半人型〟相手に無双している。だけどそうではない。
「シアのように‶勇ある者〟とはまた違う。心を定め、ただひたすらに前へ突き進む強い精神力と胆力。どれほど高い壁が立ち塞がっていようとも、強大な敵が待ち受けていたとしても浩二の歩みを止めるものは恐らくおらぬであろう」
それこそハジメが立ちはだかろうとも浩二は怯むことなく突き進む。
「突き進むその姿、その言葉は迷う者の心を鼓舞する。現に妾も先の浩二の言葉は胸に響いた。お主もそうであろう?」
「……」
無言になるもそれは肯定だった。
勿論それは香織だけではない。憎々しいと思うも先の浩二の言葉は嫌でも胸に響いた。その言葉にティニア達だけではない龍太郎や鈴も動かした。
「残酷な現実に打ちのめされようとも、絶望を突き付けられたとしても、それでもと前を見て、突き進むことができる者の言葉は人の心を震わせ、ただひたすらに前に突き進むその背は憧憬を抱かせる。それが人々が英雄と呼ばれるモノの在り方じゃ」
偉業を為したから英雄と呼ばれるのではない。誰かにそう認められた時点でその人はもう英雄なんだ。
例え本人にその自覚はなくても、もう既に浩二は多くの人に認められている。
認められているからこそ人々を動かすことができる。
それがどれだけ憎々しくても忌々しくても関係ない。自分自身がそう認めているから動いてしまうのだ。
「エフェルも良い男を選んだものじゃ」
彼女を幼少の頃から知っているティオは本心を口にする。とはいえ、今はそれどころではない。
為すべきことを為さなければいけない。
「香織。お主のことも、妾が守ろうぞ。天職‶守護者〟を持つ、黒竜ティオ・クラルスの名に懸けて」
身に纏うは王の如き覇気。他者に与えるは大樹の如き安らぎ、瞳に宿るは鋼鉄の意志。
炎と風に黒髪を靡かせて、誇りを宣言するその姿は、思わず見惚れるほど美しい。
「け、けけ結構です! 私、自分で戦えるから!」
またも、子供じみた言葉を返してしまう香織。頬が微妙に熱くなっている。
香織は思った。感情反転の魔法は凄まじい、と。
ド変態が、物凄く恰好良く見える! と。
おそらく、乱れる感情を制御するために、余計な趣味嗜好を削ぎ落している結果として‶竜人ティオ・クラルス〟が全面的に表出しているのだろうが……
まともなティオが、格好良くも美しい、誇り高き理想の‶お姉様〟だった。
それがハジメ達と出会う前のティオだとしたらエフェルが落ち込むのも理解できる。そんな理想のお姉様がどうしようもないド変態の駄竜になってしまえばそうなるのも頷ける。
「きゃっ!?」
不意に悲鳴が響いた。
雫が足元に付着していた‶半人型〟の体液で足を滑らせ転倒していた。その隙を‶半人型〟は見逃すことなく腐蝕を纏った腕を振りかぶる。
――八重樫流刀術改 壊刻斬像
しかし、振りかぶるその腕は雫に触れる前に‶半人型〟は斬られていた。
「何が……」
起きたのか? 理解ができない雫だったが不意に雫を見ている浩二と目が合った。
(浩二が私を、助けた? この距離で……?)
距離も離れているのにどうやって‶半人型〟を斬ったのか。それは再生魔法によるものだ。
‶壊刻〟という対象が過去に負った傷や損壊を再生する魔法。それを応用して斬撃を再生魔法によって再生させた。斬撃の再生。斬った時間を再生魔法で復元した。その斬撃によって‶半人型〟は斬られたのだ。
だけど雫は感謝よりも苛立ちを募らせる。憎々しくも気に入らない相手に助けられたから。
「雫ちゃん!」
「か、香織……」
「ほらっ、立って雫ちゃん! 休んでいる暇なんてないよ!」
「え、あ、うん」
手を引っ張られて、わたわたと起き上がる雫。戸惑いながら香織を見れば、香織は既に雫に背を見せて大剣を構えていた。
「大丈夫だよ。雫ちゃんには守ってくれる人がいるから」
それが誰なのか、聞かずともわかる。
「あ……」
いつだってそうだ。誰が自分を守り、助けてくれたのか。
『心を定めろ。顔を上げて前を見ろ。突き進め。己の意志と共に』
先の浩二の言葉が蘇る。
その言葉が胸を響かせる。まるで心の奥底にまで届いたかのように雫は自然と香織に背を向けた。
憎い相手だから―――ではない。背を預け、背を預かる為に。
親友と背中合わせになって、雫は力強い声で言う。
「ありがとう、香織。もう大丈夫よ」
抜刀一閃。
先程までより格段に鋭さを増した抜刀術が‶半人型〟を両断した。
「うん!」
銀羽が乱舞する。回復魔法の輝きが駆け巡り、魔力も体力も傷も、みんなまとめて回復させる。
「ティオ! こっちは私と雫ちゃんで対応するから、反対側をお願い!」
「うむっ、心得た!」
ティオが即応した。
これによって如何に‶半人型〟が‶神の使徒〟を模倣した魔物といえど、そのスペックは‶人型〟の劣化版。数の暴力が強みではあるが、一人の英雄の活躍によってもはや試練にはなり得なかった。