光輝達勇者一行は、再び【オルクス大迷宮】にやって来ていた。
自ら戦闘訓練を望んだ光輝達はもう一度訓練を兼ねて【オルクス大迷宮】に挑むことになった。今回もメルド団長と数人の騎士団員が付き添って、今日で迷宮攻略六日目。
現在六十階層。確認されている最高到達階層まで後五階層である。
しかし、光輝達は現在、立ち往生していた。目の前には何時かのものとは異なるが断崖絶壁が広がっていて、それが何時かの悪夢を思い出して思わず立ち止まってしまったのだ。
次の階層に進むのは崖にかかった吊り橋を進まなければならない。それ自体は簡単でもどうしても思い出してしまう。
特に、香織は、奈落へと続いているかのような崖下の闇をジッと見つめたまま動かなかった。
雫は強い眼差しで眼下を眺めていた香織に一声かけようとするも、浩二はそれを制する。
「香織なら大丈夫だ」
浩二のその一言はすぐに雫も察した。
洞察力に優れ、人の機微に敏感な雫には香織の瞳に強い輝きを放っていることに気づいている。
自らの納得のため前へ進もうとする香織に雫は親友として誇らしい気持ちで一杯だ。
だが、そこで空気を読まないのが勇者クオリティー。
眼下を見つめる香織の姿にハジメの死を思い出し嘆いているように映った。クラスメイトの死に、優しい香織は今も苦しんでいるのだと結論づいた光輝はズレた慰めの言葉をかけてしまう。
「香織………君の優しいところ、俺は好きだ。でも、クラスメイトの死に、何時までも囚われていちゃいけない! 前へ進むんだ。きっと、南雲もそれを望んでいる!」
「ちょっと、光輝………」
「雫は黙っていてくれ! たとえ厳しくても、幼馴染である俺が言わないといけないんだ。…………香織、大丈夫だ。俺が傍にいる。俺は死んだりしない。もう誰も死なせはしない。香織を悲しませたりしないと約束する」
「ああ…………また始まった……………」
「はぁ~、何時もの暴走ね……………」
何時もの暴走に深い溜息を溢す苦労人二人。
完全に口説いているように聞こえる台詞だが光輝は下心も打算もなく真面目に言っている。自分の信じたことを疑わずに貫き通す幼馴染の暴走に香織は何も言わずに光輝に合わせる。
例え光輝に香織の気持ちを伝えたとしてもそれは伝わらない。
良くも悪くも光輝は信じたことを疑わないのだ。
(ちった疑えよ、光輝…………)
それは決して届かない願いなのだろうか? それとも願うこと自体が傲慢なのか?
それ以前に浩二はそんな光輝の考えを矯正しようとした時期がある。
だが、三日で匙を投げる。
結論として手遅れだと判明。断じて途中から面倒になったからではない。
(まぁ、それを除けばいい奴なんだよな……………)
だからこそなんとも言えなくなる。故に苦労が増して浩二と雫は揃って溜息を溢すのだ。
「香織ちゃん、私、応援しているから、出来ることがあったら言ってね」
「そうだよ~、鈴は何時でもカオリンの味方だからね!」
光輝の会話を傍で聞いていて、会話に参加した恵理と鈴。そして浩二は恵理をじっと見る。
(本当、裏切るとは思えないな………。それにこれが猫を被っているなんて女とは恐ろしい)
原作知識として浩二は中村恵理が裏切り者になることを知っている。
光輝を手に入れる為に魔人族側についた恵理だが………………。
(でも、今回はそれがわからないんだよな……………主に俺のせいで……………)
運が良くも悪くも幼少期に浩二は中村恵理と接触してしまった。
中村恵理は五歳の時に父親を亡くし、夫に依存していた母親から暴力と罵詈雑言を耐える日常を送っていた。
父親を死なせてしまったのは自分のせいだと自責と孤独と心の痛みを何年を耐え続け、九歳の時に母親が家に連れて来た男に強姦されそうになった。
幸い、恵理の悲鳴を聞いた近所が通報して貞操を散らすことはなかったが、母親が恵理を愛さないことを理解し、恵理の心は壊れた。
そして自殺しようとする際に恵理は出会った光輝に。
そして光輝はいつものように恵理に言った。
―――もう一人じゃない。俺が恵理を守ってやる、と。
それに恵理は簡潔に言えば光輝に惚れた。しかし、恵理は勘違いしていたのだ。
光輝にとって恵理は正義のヒーローが助けるべき一人に過ぎなかったということに。
自分が光輝の‶特別〟ではないということに。
―――だが。
(そこで俺がカウンセリング紛いをしたんだよな……………)
恵理のような女子は別段初めてではない。流石に恵理ほどではなくも、光輝のせいで自分が光輝のお姫様だと信じて疑わない女子に浩二はカウンセリング紛いをしていたのだ。
光輝の性格を説明したり、気持ちを落ち着かせたり、時にはぶたれたりと幼少の頃から光輝に苦労していた浩二は恵理にもカウンセリング紛いを行っていたのだ。
(それが原作とどう違うのか…………流石にそれは俺もわからん)
投げやりのように聞こえるも浩二は己が使える手は尽くしたつもりだ。後は恵理がどうするか出方を窺るしかない。
「うん、恵理ちゃん、鈴ちゃん、ありがとう」
高校で出来た親友二人に、嬉しげに微笑む香織。
「うぅ~、カオリンは健気だねぇ~、南雲君め! 鈴のカオリンをこんなに悲しませて! 生きてなかったら鈴が殺っちゃうんだからね!」
「す、鈴? 生きてなかったら、その、こ、殺せないと思うよ?」
「細かいことはいいの! そうだ、死んだらエリリンの降霊術でカオリンに侍らせちゃえばいいんだよ!」
「す、鈴、デリカシーないよ! 香織ちゃんは、南雲君は生きているって信じているんだから!それに、私、降霊術は……………」
「ならそこは浩二君! 確か闇属性の適性あったよね!? エリリンの代わりに南雲君をえいやって!」
「鈴、降霊術はあくまで死者の残留思念に作用する魔法だぞ? 確かに使えるが、生き返らせるわけじゃない」
恵理と同じ闇系魔法の適性を持つ浩二も降霊術は使える。超高難度魔法ではあるが、浩二はしっかりと使えるように訓練しているのだ。
「それに仮に南雲が死んでいたとしても安心しろ。生き返らせる方法はある」
「おおっ! それは!?」
「南雲ハジメのクローンを作って代替霊魂と精神を組み合わせてクローン人間として南雲ハジメを蘇らせる。もちろん記憶も人格もそのままで」
「え? そんなことできるの?」
「できないと思うか?」
口角を歪ませて悪魔のような微笑みを見せる浩二に鈴は思わず恵理の背に隠れた。そして思った。
『こ、こいつならやりかねない!』
伊達にマッドサイエンティストと呼ばれている男ではない。気がつけばもう一人の自分に会える日が来るかもしれないと思うと背筋が凍てつく。
(まぁ、冗談だけど…………流石にクローン人間なんて作れねえし)
そもそも原作通りでは南雲ハジメは生きている。もちろん原作通り生きているとは限らないので浩二自身もそれを確かめるという意味でも香織に付き合っているのだ。
そうこうしている内に一行は遂に歴代最高到達階層である六十五階層に辿り着いた。
「気を引き締めろ! ここのマップは不完全だ。何が起こるかわからんからな!」
メルド団長の声に光輝達は表情を引き締め未知の領域に足を踏み入れた。
そして、奴が現れる。
見覚えのある赤黒い脈動する直径十メートル程の魔法陣。そこから姿を現れるのは死んだと思われていたベヒモスだ。
迷宮の魔物の発生原因は解明されていない。その為、一度倒した魔物と何度も遭遇することは普通にある。そしていざという時の為に退路は確保しておくメルド団長に光輝が言う。
「メルドさん。俺達はもうあの時の俺達じゃありません! 何倍も強くなったんだ! もう負けはしない! 必ず勝ってみせます!」
「へっ、その通りだぜ。何時までも負けっぱなしは性に合わねぇ。ここらでリベンジマッチだ!」
龍太郎も不敵な笑みを浮かべて呼応する。それにメルド団長はやれやれと肩を竦め、今の光輝達なら大丈夫だろうと同じく不敵な笑みを浮かべる。
「グゥガァアアア!!!」
咆哮を上げ、血を踏み鳴らす異形。ベヒモスが光輝達を壮絶な殺意を宿した眼光で睨む。
そして香織は決然として表情で真っ直ぐベヒモスを睨み返して誰にも聞こえないかのような声で確かな意思の力を宿らせた声で宣言する。
「もう誰も奪わせない。あなたを踏み越えて、私は彼のもとへ行く」
今、過去を乗り越える戦いが始まった。
先手は光輝だった。
「万翔羽ばたき、天へと至れ、‶天翔閃〟!」
曲線状の光の斬撃が、轟音を轟かせながらベヒモスに直撃し、ベヒモスの身体に傷を与えた。
「いける! 俺達は確実に強くなってる! 永山達は左側から、檜山達は背後を、メルドさん達は右側から! 後衛は魔法準備! 上級を頼む!」
メルド団長直々の指揮官訓練の成果を発揮する光輝は浩二に指示を出す!
「浩二! 可能な限りでいい! 奴の動きを阻害してくれ!」
「了解! ‶堕識〟!」
光輝の指示で浩二は闇系魔法の一つである‶堕識〟を発動。相手の意識を数瞬の間だけ飛ばしたりすることができる。
それによりベヒモスは数瞬だけ意識が飛ばされ、その間に包囲網は完成した。
前衛組が、暴れるベヒモスを後衛には行かすまいと必死に防衛戦を張る。
「グルゥアアア!!」
だが、ベヒモスは踏み込んで地面を粉砕しながら突進を始めようとした瞬間。
「‶邪纏〟」
その一瞬を許すことなく浩二は脳から身体へ発せられる命令を阻害する魔法‶邪纏〟を発動させてそれを防いだ。
そしてそれが致命的な隙となって雫とメルド団長が攻める。
「全てを斬り裂く至上の一閃、‶絶断〟!」
「粉砕せよ、破砕せよ、爆砕せよ、‶豪撃〟!」
魔法によって切れ味を増した雫の一閃と剣速と腕力を強化した鋭く重い一撃を叩きつける二人の攻撃によってベヒモスの角は一本断ち切られた。
「ガァアアアア!?」
角を切り落とされた衝撃にベヒモスは大暴れし、二人を吹き飛ばす。
「‶光臨〟!」
そこに無詠唱で発動した香織の魔法によって地面に叩きつけられそうになった二人を光の輪が無数に合わさって出来た網が優しく包み込んだ。
形を変化させることで衝撃を殺す光の防御魔法。更には。
「‶回天〟!」
即座に中級光系回復魔法で二人の傷を癒した。
「龍太郎! 永山! これを飲め!」
浩二はドクターコートの下から小瓶を取り出した二人に投擲。正確無比に二人の手元に投げられた小瓶を二人はキャッチして即座に飲み干す。
すると二人の身体から尋常じゃない力が漲る。
「どりゃ!」
「フン!」
二人はその漲る力を持ってベヒモスの顔面を殴りつけた。
「ガァアア!!」
尋常じゃないその二人の拳にベヒモスの牙は砕け折れて口腔は血だらけになる。
浩二が二人に投げたのは一定時間、ステータスの筋力を三倍する強化薬。天職‶拳士〟と‶重闘士〟である二人にはまさに鬼に金棒の強化薬だ。
「‶光爆〟!」
聖剣に蓄えられた膨大な魔力が、差し込まれた傷口からベヒモスへと流れ込み、大爆発を起こした。
「ガァアアア!!」
傷口を抉られ大量の出血をしながらも、ベヒモスは、技後硬直中の僅かな隙を逃さず鋭い爪を光輝に振るった。
「させるかよ! ‶邪纏〟!」
だが寸前に‶邪纏〟で使ってベヒモスの動きを阻害し、光輝は吹き飛ばされることなくベヒモスと距離を取った。
ベヒモスは、奮闘している他のメンバーを咆哮と跳躍による衝撃波で吹き飛ばし、折れた角にもお構いなく赤熱化させていく。
「…………角が折れても出来るのね。あれが来るわよ!」
雫の警告とベヒモスの跳躍は同時だった。
ベヒモスの固有魔法は経験済みなので皆一斉に身構える。しかし、今回のベヒモスの跳躍は予想外だった。
――――二人を除いては。
「「‶縛煌鎖〟!!」」
無詠唱で発動する浩二と香織。二人の捕縛魔法であるおびただしい数の光の鎖はベヒモスの足に絡み付いてその動きを封じた。それによってベヒモスは中途半端の跳躍しかできず、地面に叩きつけられる。
「フッ!」
そこで浩二は薬液が仕込まれている投擲ナイフをベヒモスの目に突き刺す。すると、赤熱化していたベヒモスの角が消えていく。
「……………何をしたの?」
「魔力鎮静効果のある静因石を頼んで液体化してそこに俺が独自に配合した薬も加えて即効性を高めた。効果はあったみたいだな。さて、光輝!」
「ああ! ‶限界突破〟!!」
一時的に基礎ステータスを三倍に引き上げる‶限界突破〟を発動した光輝は聖剣を構えてベヒモスに突っ走る。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
‶限界突破〟したその一撃でベヒモスを切り裂く。
「ガァァアアアアアアアアアアアアッッ!!」
確実な致命打を受けたベヒモスの血飛沫が舞い散り、
「下がって!」
そこに後衛代表の恵理の合図と共に前衛組は後退した。そして……………。
「「「「「‶炎天〟」」」」」
術者五人による上級魔法が放たれる。
超高温の炎が球体となり、太陽のように周囲一帯を焼き尽くす。ベヒモスの直上に創られた‶炎天〟は、一瞬で直径八メートルに膨らみ、直後、ベヒモスへと落下した。
絶大な熱量がベヒモスを襲い、その堅固な外殻を融解していった。
「グゥルァガァアアアアア!!!!」
ベヒモスの断末魔の悲鳴が広間に響き渡る。鼓膜が破れそうなほどのその叫びは少しずつ細くなり、やがて、その叫びすら燃やし尽くされたかのように消えていった。
最後に残ったのはベヒモスのものと思われる残骸だけだった。
「か、勝ったのか?」
「勝ったんだろ…………」
「勝っちまったよ……………」
「マジか?」
「マジで?」
皆が皆、ポツリポツリと勝利を確認するように呟く。そこに浩二が光輝の肩を叩いて正気に戻させ、光輝は背筋を伸ばし聖剣を頭上へ真っ直ぐ掲げた。
「そうだ! 俺達の勝ちだ!」
勝鬨を上げる光輝。その声に、ようやく勝利を実感したのか、一斉に歓声が沸き上がった。
皆の歓声に肩の荷が下りたかのように息を吐く浩二の肩に雫は手を置く。
「お疲れ様。助かったわ」
「そっちもお疲れ。俺の事は気にすんな。俺は後方支援としての仕事をしただけだ」
何気なく言うも恐らくこの戦いで一番貢献したのは浩二と香織だと雫は思っている。
二人がいなければ恐らくはもっと苦戦していただろ。
そしてもう一人の功労者である香織はベヒモスのいた場所をボーと眺めている。
「雫。皆の治療は俺がやっておくから香織を頼む」
「ええ、わかったわ」
親友である雫に香織を任せて浩二は怪我をした人達の治療に当たる。