「ユエさ~んっ、ハジメさ~ん。大丈夫でしたか? こっちは大丈夫じゃなかったです! ティオさんが格好良くて気持ち悪かったです!」
「ハジメくんっ、ユエ! 聞いて聞いて! ティオがね、すっごく‶お姉さん〟で怖かったよ!」
若干のやつれた感があるものの、傷などは回復したハジメと、やたらツヤツヤしたユエが広場へと戻ってくると、シアと香織が早速そう声を張り上げた。
さっきの魔法はなんだったのかとか、終わって早々イチャつきすぎでしょうとか、言うべきことはたくさんあるはずなのに、二人の第一声はそれだった。
「うっ、うっ……」
そしてエフェルは泣いていた。
ポロポロとその瞳からまるで抑えきれない感情が溢れて止まらないかのように涙を流しながらポツリと……。
「姫様は……姫様はまだ、お亡くなりになっておられなかったのですね……」
「お主の中では妾は死んでおるのかぇ!?」
ティオは思わず吠えた。
え? 妾、死んでいるの? と言わんばかりに驚愕を露にしている。
感情反転魔法による影響下で‶普通に伝説の竜人族モード〟を目の当たりにしたエフェルはまるで一粒の希望でも見つけたかのようにティオの両手を手に取る。
「ティオ様。先ほどのことを決してお忘れにならないようにしてくださいね。そして一緒に元の姫様に戻れるように頑張って参りましょう」
「今の妾が否定されているような気がするのじゃが……」
しかし、私も頑張りますと、燃え上がる同族の瞳を目の当たりにしてティオは強くは言えず、何とも言えない表情のまま周囲に助けを求めるも全員が一斉に視線を明後日の方向に向けた。ノータッチで行きたいようだ。
その後、全員が回復に専念したり休息することしばし。
その間、敢えて感情反転の際の言動には言及しない。いろいろ藪蛇になりそうな者もいるし、何より、黒いあんちくしょうへの感情を、誰も思い出したくないからだ。
そうして、ある程度、全員の肉体的疲労が回復した頃、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、突如、天井付近にある大樹の一部が輝き始めた。その輝く場所から、メキメキッと音を響かせて大きな枝が生え始め、広場まで到達する。
波打つような形を変えて天へと続く階段となってハジメ達はその階段を上りきると、大樹の幹に見慣れた洞ができていた。
そこにある転移魔法陣に乗って、いつも通り光が溢れ出し、転移が始まった。
光が収まった後、ハジメ達の目の前に広がっていたのは―――庭園だった。
空気がとても澄んでいて、空が非常に近く感じられる。
庭園の広さは学校の体育館くらい。美しい庭園で、清い水が流れる可愛らしい水路に、芝生のような地面が広がっている。小さな木々には果実が実っているようだ。その木々に囲まれるようにして、小さな白亜の建物もある。
「おい、南雲! あれか!?」
光輝が、どこか逸る様子で指を差した。
庭園の最奥に、一際大きな木があった。今立っている場所と同じように、水路に囲まれた円形の小島の上に生えている。木の根元には、めり込むようにして石板があった。
ここが大樹ウーア・アルトの天辺にあることに驚きながらハジメ達は石板のもとへ歩いて行った。
最奥の小島に続く可愛らしいアーチを渡る。
途端、石板が輝き出し、水路に若草色の魔力が流れ込んだ。水路そのものが魔法陣となっていたらしい。煌めく水路から蛍火のような燐光がゆらゆらと立ち上がる。
大迷宮攻略の際、いつも行われる記憶を精査されるような感覚と、その直後の知識を無理やり刻み込まれる感覚が襲ってきた。
(よし、昇華魔法を手に入れた……)
原作知識と流れ込んできた知識から新たな神代魔法である‶昇華魔法〟を手に入れることができた浩二は攻略が認められたことと神代魔法を手に入れた達成感に小さく拳を作る。
ティニア達も攻略が認められたが、それ以上に浩二が攻略に認められたことの方が嬉しそうに微笑んでいる。
その時、にわかに石板の木がうねり始めた。
何事かとハジメ達が身構える。
そんなハジメ達を尻目に、立ち上がる燐光に照らされた木はぐねぐねと形を変えていき、やがて、その幹の真ん中に人の顔を作り始めた。
ググッとせり出し、肩から上だけの、女性と分かる容姿が出来上がっていく。
そうして完全に顔が出来上がると、その女性は閉じていた目を開け、そっと口を開いた。
『まずは、おめでとうと言わせていただきますわ。よく、数々の大迷宮と、わたくしの――このリューティリス・ハルツィナの用意した試練を乗り越えましたわね。あなた方に最大限の敬意と表すと共に、酷く辛い試練を与えたことを深くお詫びいたしますわ』
木を媒体にした記録のようだ。
「……なんだか王女様みたい」
香織の呟きに、ハジメ達も「確かに」と頷いた。
リリアーナのような王族に通じる気品と威厳があるように感じる。
『しかし、これもまた必要なこと。他の大迷宮を乗り越えてきたあなた方ならば、神々と我々の関係、過去の悲劇、そして今、起きている何か……全て把握しているはずですわね? それ故に、揺るがぬ絆と、揺らぎ得る心というものを知って欲しかったのです。ここまで辿り着いたあなた方なら、心の強さというものも、逆に、弱さというものも理解なさったでしょう。それが、この先の未来で、あなた方の力になることを切に願っています』
神妙な顔でリューティリスの話を聞く浩二達だが、ハジメは既に焦れてきたようだ。
『あなた方が、どんな目的のために、わたくしの魔法―――‶昇華魔法〟を得ようとしたのかは分かりません。どう使おうとも、あなた方の自由ですわ。ですが、どうか、どうか力に溺れることだけはありませんよう。そうなりそうな時は、絆の標に縋りなさい』
ハジメがキョロキョロと攻略の証を探しているので浩二は大人しく話を聞いてろと、ハジメの脇腹に肘鉄を喰らわせる。うっ、と声が漏れるハジメは浩二を睨むも当人は
『わたくしの与えた神代の魔法‶昇華〟は、全ての‶力〟を最低でも一段進化させますわ。与えた知識の通りに。けれど、この魔法の真価は、もっと別のところにあります』
昇華魔法の真価など与えられた知識の中にはない。
『昇華魔法は、文字通り全ての‶力〟を昇華させます。それは神代魔法も例外ではありません。生成魔法、重力魔法、魂魄魔法、変成魔法、空間魔法、再生魔法……これらは理の根幹に作用する強大な力。その全てが一段進化し、更に組み合わさることで神代魔法を超える魔法に至る。神の御業とも言うべき魔法――‶概念魔法〟に』
誰かがゴクリと生唾を飲み込んだ。その音が、やけに大きく響いた。
『概念魔法――そのままの意味ですわ。あらゆる概念をこの世に顕現・作用させる魔法なのです。ただし、この魔法は全ての神代魔法を手に入れたとしても、容易に修得することはできません。なぜなら、概念魔法は理論ではなく、極限の意志によって生み出されるものだからです』
それが魔法陣による知識転写ができなかった理由。
『わたくし達‶解放者〟七人がかりでも、たった三つの概念魔法しか生み出すことができませんでした。もっとも、わたくし達にはそれで十分ではあったのですけど……そのうちの一つを、あなた方に贈りましょう』
リューティリスがそう言った直後、石板の中央がスライドし、奥から懐中時計のようなものが出てきた。
それを手に取るハジメ。表には半透明の蓋があり、中には指針が一本だけあった。裏側にはリューティリス・ハルツィナの紋様が描かれていて、どうやら攻略の証も兼ねているようだ。
『名を‶導越の羅針盤〟。込められた概念は――』
――望んだ場所を指し示す。
「!?」
その言葉を聞いた瞬間、ハジメは、自分の心臓が跳ねる音を確かに聞いた。
『望めば、その場所へと導いてくれますわ。探し人の所在でも、隠された物の在処であっても、あるいは――別の世界であっても』
「―――っ」
きっと、リューティリスの言っている‶別の世界〟とは、神のいる世界のことだろう。だが、別の世界であっても、神の世界ですら、その場所を示して導いてくれるというのなら、日本でも可能なはずだ。
羅針盤を握るハジメの手が震える。
ようやくつかんだ手掛かりにどうしようもない歓喜が湧き上がるも、まだその時ではないと必死に堪える。
『全ての神代魔法を手に入れ、そこに確かな意思があるのなら、あなた方はどこにでも行けますわ』
記録の向こう側、遥かな過去の世界で、彼女が込めた心からの祈りが、今を生きるハジメ達に――届いた。
『自由な意思のもと、未来を選択できますよう。あなた方の進む道の先に幸多からんことを、心から祈っておりますわ』
微笑みをそのままに、リューティリスは再び木の中へと戻っていった。
輝きを収めた石板の前で、余韻に浸かっているような、あるいは、今起きた出来事を一生懸命咀嚼しているかのような静かな時間が流れる。そよそよと吹く風の音と、葉擦れの音だけが辺りに響いていた。
やがて、その静寂をハジメが破った。
努めて冷静であろうとしているかのように、感情を抑えた声音でユエに尋ねる。
「ユエ、念のために聞くが……昇華魔法を使えば……空間魔法で…………………世界を超えられるか?」
その言葉の重みにユエは即答は避け、必死にその可能性を探る。
吟味と思考を重ね、トライアンドエラーを繰り返し、その結果、得た答えは……
「……………ごめんなさい」
「そうか……」
そういうことだ。ただ昇華しただけの空間魔法で世界を超えられるなら、きっと解放者達も苦労しなかったに違いない。
「なに、問題ないさ。あわよくばって思っただけだ。必要な神代魔法はあと一つ。それを手に入れればいいだけだからな。なんにせよ、ユエがそんな顔をする必要はねえよ」
ハジメが笑って言う。
その見慣れたはずの恋人の笑顔に、しかし、ユエは自分の心臓が跳ねる音を聞いた。
どこかが違う、ハジメの笑み。
柔らかく、温かい。ハジメという人間を、今までよりずっと、大きく、深く見せる笑い方。それはまるで、そう、この大樹のような……
(あっちは放っておいていいだろう……)
いつも通り、イチャイチャするハジメとユエはシア達に放り投げて浩二は光輝達に尋ねる。
「さて、どうやら元の世界に帰れる手掛かりは南雲が手に入れたようだからいいけど、皆は攻略はどうだった?」
元の世界に帰れる手掛かりはハジメが掴んだ。だけど、最初の問題、大迷宮に攻略が認められたかを確認する。光輝達はそのつもりで大迷宮に挑んだのだから。
「問題ありません」
「こちらも大丈夫です」
「問題ない」
ティニア、エフェル、イリエは当然のように頷いた。
「手に入れましたわよ。これが神代魔法なのですわね」
レイナも神代魔法を手に入れていた。
(本当、こいつはどうなってんだ……?)
浩二はもう驚かない。
この世界に召喚された浩二達チート集団はまだいい。そして改造を施したティニアや竜人族であるエフェルに固有魔法を持っているイリエが攻略に認められてもおかしくはない。だけど、レイナはこの世界の住人であり、固有魔法も持っておらず、ステータスだけで見ればこのメンバーの中でも最弱に分類される人間族だ。
それなのにさも当然のように初の大迷宮を攻略し、神代魔法を手に入れたレイナはただ歓喜する。
「ふふ、これでもっともっと浩二と熱い
うっとりとした恍惚な笑みを浮かばせながら子供のようにはしゃぐレイナに浩二は深い溜息を溢す。厄介な奴が厄介な力を手に入れたことに嘆きたい気分だ。
そんなレイナを
「お、おう。なんとか攻略が認められたみてぇだ」
「うん、鈴も手に入れたよ」
始めての大迷宮攻略の際に記憶を精査されるような感覚と、その直後の知識を無理やり刻み込まれる感覚に戸惑いながら二人は攻略が認められたことを肯定する。
原作では龍太郎も鈴も攻略が認められなかったが、二人の活躍を振り返れば攻略が認められても不思議ではない。
チラリと浩二は雫を見ると雫はビクッと一瞬だけ肩を震わせるも首を縦に振った。
「ええ、私も使えるみたい」
どうやら雫も無事に攻略が認められたようだ。
だが……。
「……」
一人だけ、そうではなかった。
皆が神代魔法を手に入れたことに素直に祝福したい気持ちと自分だけが神代魔法を手に入れられなかったことに表情に影を落とす光輝。
(まぁ、そうだよな……)
大迷宮に入って直後の蜂モドキとの戦闘、巨大トレントとの戦闘は決して悪くはなかった。むしろ、原作よりも良かったと断言できる。だがしかし、それだけで攻略が認められるほど大迷宮は甘くはなかった。