キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2021/2/14誤字修正。
 みえるさま、水上 風月さま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!


07 帝国空軍設立-愛しき我が家の誕生

 マルクル大尉の二階級特進は、保護領のみならず、帝国本土でも大々的に報じられた。

 偉大なる芸術家は戦場で星となり、大地に埋まる事なく、今も空から帝国を見守って下さっていると私は信じるが、当時は私も含めた全ての航空隊員のみならず、魔導師達もその死を悼んだ。

 マルクル中佐は誰からも愛される温厚な人柄で、常に私達航空隊と魔導師との仲を取り持って下さったから、どちらにとっても、兄や父のように慕われていたのだ。

 

「仇を討とう」

 

 航空隊の誰もが、そう口にした。魔導師達も同様だった。

 これまでの航空隊には、マルクル中佐という偉大な芸術家がいた。だから誰もが、中佐に甘え続けていた。航空隊員はこの日、親を失い、独り立ちしなければならなくなった子供のように、大人びた表情で私の方へ向いた。誰も彼も、皆目つきが違っていた。鳩のような丸い瞳が、荒鷲のように鋭くなっていたのだ。

 もう絶対に弱音は吐かない。死ぬ気でしごいてくれ。

 隊員の誰もが、飛行訓練では極端に敬遠していた筈の私に、そう頼み込んできた。

 私もまた、いちにもなく彼らの言葉を受け入れた。

 

「私も死ぬ気でやる。付いてこれるな?」

 

 返答は、一斉に鳴る踵の音だった。

 この日、巨匠が死を迎えた七月一五日に我らは生まれた。

 

 世界に冠たる空の無敵艦隊(ルフトアルマーダ)──帝国空軍の前身が。

 

 

     ◇

 

 

 この日以来、ダールゲ中尉は弱音を吐かなくなった。持ち前の明るさで訓練に対するジョークを口にした事はあっても、本気で逃げ出したり、へとへとになって目を回すような真似は一度としてしなくなったのだ。

 私はマルクル中佐が亡くなった日、どうしていち早く飛んで駆けつける事が出来なかったのかと己を責めながら、より無駄のない、燃料を節約する飛び方をレクチャーしつつ、自分の空戦機動(マニューバ)を、あの『芸術』の粋に押し上げるべく試行錯誤を重ねていた。

 既に私は三機編隊(ケッテ)の指揮官として飛んでいたが、マルクル中佐のように決まったメンバーで飛ぶ事はなく、常に動ける人間を連れて、一日に三度も四度も出撃するのが常だった。

 

「そんな飛び方じゃ、すぐに死ぬぞ」

「空で死ねるなら、本懐だ」

 

 これが、ダールゲ中尉と私の定番のやりとりとなった。基地司令官も出撃が終わる度に、私の目を見て休めと声をかけて下さったが、私は地上に降りる気持ちにはなれなかった。

 より速く、より高く、より鋭く。頑健極まりない筈の肉体が痺れを覚え、限界を迎え、極限の中にあって無駄を削ろうと本能が己を研ぎ澄ませる。

 鈍重ななまくらを、ゾーリンゲンの如き美しい鋭利さを備える刃に鍛え、研ぎ直す。

 

“まだだ……まだだ!”

 

 マルクル中佐の飛行は、こんな物ではなかった。もっと、もっと、もっと先がある筈だと、そう叱咤して操縦桿を握った時、僚機から悲鳴のような音が耳に届いた。

 

「っ、テルボーフェン少尉!?」

 

 今まで一度として僚機を失わぬよう心がけてきた私の横で、初めて上がる煙に目を剥いた。助けなければ! しかし、まだ敵はいる。一刻も早くテルボーフェン少尉を救うか逃がすか、どちらにしても敵を引き付けねば始まらない。

 発光信号で離脱するよう告げつつ、私は敢えて敵魔導師の前に機体を晒した。しかし、それは私の想定より前に出ていた。明らかな操作ミスだった。

 完全なる自殺行為。飛んで火に入る夏の虫とばかりに、魔導師は銃口を突きつける。

 撃たれる、死ぬ、避けられない。濃密な死の気配が全身を包みかけたが、しかし背後にまだ部下がいる。ここで私が死ねば、敵は確実に部下を追う!

 

“させるものか!”

 

 私はこの時、自らを高める事も、敵を倒す事も忘れていた。唯々、部下の命こそが気がかりだった。

 強ばった体から力が抜け、張り詰めた糸がぷつっと切れる。操縦桿を握る手が、剣を持つそれでなく、画家が筆を執るような繊細な物へと置き換わった。

 

 

     ◇

 

 

 気付いた時、勝者と敗者の構図は逆転していた。

 

 敵は地に墜ち、私は未だ空を翔けている。そして、窮地を脱した部下達と地上に戻った時、テルボーフェン少尉はこう言った。

 

「まるで、マルクル中佐殿を見ているようでした」

 

 偉大なる巨匠の『芸術』。その形を、私は実感もないまま、この手に掴んだ。

 だが、これは私の力ではない。部下を救う為に、あの窮地にあったからこそ、私は亡き巨匠から、力を継ぐ事を許されたのだ。

 

 偉大なる、マルクル中佐の反転(イメール・ターン)を。

 

 

     ◇

 

 

『マルクルの亡霊』。それが、エースとしての私に敵が最初につけた渾名だった。

 だが、マルクル中佐の芸術は既に私だけのものではない。部下を窮地から救ったあの日以来、私は憑き物が落ちたように、マルクル中佐が実戦で教えてくれた技術を、戦友達に分け与えていた。

 私が『芸術』を、イメール・ターンを使いこなせたからとて、それは形見の一つを受け取ったに過ぎない。離着陸も、旋回も、マルクル中佐の飛行は、その全てが芸術的美しさを兼ね備えていた。

 獲物を狩るだけならば、猛禽は爪と嘴で出来る。人間は猟銃を用いれば出来る。だが、芸術を形作るのは、美しさを理解出来る者だけだ。

 アルビオン連合王国も、フランソワ共和国も、マルクル中佐の名声に怯えた者達は、将来、何十という中佐の影に恐れ戦く事だろう。

 偉大なる巨匠の後継者達は、今日という日にも精密なタッチで絵を描いている。生き残りさえすれば、この中の全ての隊員が巨匠の後継者になれる。

 今は私だけのイメール・ターンも、いつかは皆の物となるだろうと、そんな事を考えていた時、基地司令官からの招集がかかった。

 

『帝国陸軍航空隊員は非番の者も含め、大至急、兵舎中央広場に集合せよ!』

 

 これは只事ではないと、私は非番で出ている者も含め──といっても、この命令は午前の物だったので、任務で飛んでいる者以外は連れ戻す事は容易だった──慌てて招集した。

 元々航空隊には士官が少なかった上、着任してから積み上げた戦功の結果、今や私とダールゲ中尉の両名が事実上のツートップとなっていた為だ。

 広場に集合した我々は、基地司令官の言葉を待った。魔導師がこの基地を地上爆撃すべく迫っているのか。それとも、何らかの特命があるのか。或いは……想像したくはないが、陸軍航空隊の解散が通達される可能性もあるだろう。

 沈黙の続く内、誰かが生唾を飲み込む音が響いたが、私は自分が侍童(パージェ)であった頃を思い出しながら直立不動を保ち続けた。

 

「諸君に、陸軍省人事局より通達がある」

 

 ぶわっ、と。全員の全身から汗が噴き出した。自分達は、確かにここファメルーンで武勲を立てた。最早自分達を嘲弄する歌を合唱する航空魔導師は存在せず、対等な戦友として肩を組むにまで至ったが、しかしそれは、飽くまでこの基地の航空隊が為した成果に過ぎない。

 本土の新聞や軍事広報で、ファメルーンの戦いが書き綴られるようになった一方、帝国領オストランドやノルデンの係争地で飛ぶ航空隊員が、一度として魔導師を破った事があったか?

 この地以外でエースとなったパイロットの撃墜スコアに、戦闘機は何機入っている?

 

 誰も彼も、七・七ミリ機銃を装備した高度戦闘機で、非武装の偵察機を追い立て回して稼いだという方が多いだろう。

 そんな私の危惧を、現実を告げるように、司令官は訓示の如く、司令官の立場として、伝えねばならないという面持ちで言った。

 

「本年一二月を以て、陸軍航空隊は解散とする事が決定した。これは、陸軍省人事局からの正式な通達である」

 

 ああ、やはり……この地に訪れる以前、航空隊の募集を見た時から、覚悟していた事が現実となった。

 戦争とは、個人の武勇を競う場ではない。たとえ一つのナイトを、ビショップを、クイーンさえ失おうとも、代替が利く組織である事が軍隊に求められる絶対条件である以上、この結果は必定のものだったのかもしれない。

 

 見れば、涙を堪えきれない航空隊員の姿があった。目でなく鼻から雫が滴り、上着を汚してなお彼らは直立不動を保っている。傍目には滑稽に映るかもしれないが、もし彼らを笑う者がいたならば、私は容赦なくその顔面に鉄拳を見舞ったことだろう。

 戦友よ、私達は空で華々しく戦った。結果は無残だったとしても、私達はマルクル中佐の気高い遺志をこの地で引き継いだ。

 だから、夢から醒めよう。もう十分飛んだんだ。思い残す事は何もないじゃないか。

 そう慰めてやりたい気持ちで胸が一杯になっていたが、しかし我々に「解散!」という合図は言い渡されない。まだ我々に何かあるのか? 航空機に乗れなくなる以上、これまでの戦功を、功績調査部が見直して調整でもするのだろうか?

 せめて徽章ぐらいは、思い出の品として残して貰いたいものなのだがと、そんな心配を他所に、司令官はにこっ、と。そのカイゼル髭には余りに似合わない笑みを浮かべた。

 

「よって来年から、諸君らは新たに開設される帝国第三の軍、帝国空軍に転籍して貰う!」

 

 冗談ではなく、……私は、本気で聞き間違いだろうと思った。或いは、帝国空軍とは魔導師が勤めるもので、自分達は全員偵察隊行きなのだろうと疑ってもいた。

 だが、司令官は「それは違うぞ」と念を押した。

 

「魔導師は先天的才覚に左右される故、大規模編成は不可能だ。軍の体を成すには、安定した供給を続けられる組織でなければならん」

 

 つまり、諸君らだと。諸君達こそが一騎当千の魔導師を差し置いて、新たな軍に加わる栄誉を得たのだと。やはり似合わない笑顔で司令官は私達を寿ぐ。

 

「胸を張り給え。諸君らは『我が家』を得るに足る功績をこの地で成したのだ」

 

 絶望が歓喜に塗り潰され、叫びは天にまで響いた。軍帽が高らかに宙を舞い、隣合う者同士で抱き合った。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が歓喜に変わり、声を張り上げて「空軍万歳!」の叫びを上げた。だが、私としては万歳と叫ぶべきは空軍だけではない。

 

「我らがマルクル中佐殿に!」

「「「「マルクル中佐殿に!」」」」

「今は亡き戦友達に!」

「「「「戦友達に!」」」」

 

 五月にこの地に派遣されてから、約半年。マルクル中佐のみならず、一二名の尊い航空隊員が戦闘機で、或いは偵察機で帰らぬ人となった。

 彼らの勇気と献身こそが、残された一六名に我が家を与えてくれたのだ。

 

 

     ◇

 

 

 ここまでならば、麗しき思い出にして栄光の帝国空軍の時代が幕を開けたと語れるのだが、生憎ながら本著は創作でなく現実のものであるため、ここからは物哀しい現実の事情を語ることとする。

 まず、我々航空隊は皆帝国空軍への転籍が決定したのであるが、専用の制服が兵卒に配られる事もなければ、将校がオーダーで発注するにも『型』が足りないと言う始末だった。

 加え、募集ポスターに載った制服の見本は、当時大変不評であったのである。

 

「おい、ネクタイだぜ?」

「背広着て空飛ぶのか?」

 

 私達航空隊が武功卓抜なる航空魔導師に先んじ、新たに帝国空軍となる事を心から祝福してくれたファメルーンの魔導師らは、このポスターを見て大笑いした。

 

「お前らは明日から『ネクタイ兵』だな!」

 

 開襟のジャケットにネクタイの制服は、成程確かに背広姿で、そのあだ名もむべなるかなである。伝統を重んじる帝国人には、この制服は余りに先駆的過ぎて奇抜に見えてしまったのだろう。

 何にも増して、当時の帝国軍人は軍服を『王様の制服』と称し、皇帝(カイザー)への忠誠を絶対視する傾向にあったものだから、まるで旅客機パイロットのような制服は、帝室の品位を損ないかねないとまで見る向きさえあった。

 

 結局航空隊員達は、これなら原隊の制服の方が良いと、後に制服が支給される段になっても、式典等の正式な場以外では、兵科色だけを変えた陸軍時代の制服を着用したり、或いは将来、プロパガンダとして撮影された私の槍騎兵服(ウランカ)*1にあやかって、灰緑色(フェルトグラウ)槍騎兵服(ウランカ)を着用してしまったのだった。

 

 

     ◇

 

 

 そして、制服以上に厄介な問題は、私達は遂に手に入れた筈の我が家に帰る機会を──正確には赴く機会をだが──何と年が明けて、正式に開設しても得られなかったのである。

 確かに帝国軍首脳部も帝国政府も、空軍の開設には賛成であり、申請書類も全て受理されている。募集人数も日々増加しており、規定人数の条件も一応は──これは採用人数ではなく、志願人数で統計を取ったからでしかないが──満たしてはいる。

 だが、如何に予算が通り人員が集まろうとも、魔導師の手を借りず航空機に乗って戦える人間が、直ぐに死なず生き残れる人間がいるのかと問われれば、皆黙って目を逸らす始末だった。

 

 ファメルーンでも私が着任した半年で──私とダールゲ中尉以外の編隊は、魔導師が護衛として付いていながら──半数近い死者を出した。帝国陸軍航空隊を見渡しても、間違いなく最精鋭であろう我々ですらそうなのだ。

 徒に死者と負傷者を増やし、遺族への恩給や傷痍軍人への一時金で国庫を圧迫するような愚は、何としても避けたかったに違いない。

 

 新規志望者の育成は他に回し、ファメルーンの熟練パイロットは、二月から係争地に点在する既存の各基地に配属され、そこで技術交換と教練を務める事になった。

 そして、志望者の中でも分けて芽のある新人の指導と養成には、私とダールゲ中尉が中心となって当たり、その補佐をある程度実戦経験を有する、ファメルーン以外の航空隊パイロットが教官となって行うのが最適解だろうという声がファメルーンでも、新たに開設された空軍首脳部*2でも上がった。

 正直なところ、私はこの半年間で自分がどれだけ無茶な訓練を航空隊員に課してしまったかを、憑き物が落ちてからは嫌が応にも理解出来てしまったし、かと言って手を抜ける性分でもないので不安だったが、そこはダールゲ中尉がフォローするという事で収まった。

 

「こうしてみると、空軍開設は明らかに時期尚早だよなぁ」

「言うな、ダールゲ。政府も軍も、時節を見た結果だ」

 

 連合王国・共和国双方が空軍をいち早く開設した手前、早急な対応を迫られての空軍開設なのだろう事は、口にしたダールゲ中尉にも分かっている筈だ。

 かつて、連合王国が戦車を発明しながら、その価値を理解できず『戦車不要論』が囁かれる中、戦車の脅威を直接肌で感じ取った帝国が、戦車開発を推し進めたように。

 昨年の我々の活躍が、各国に『航空機侮り難し』という危機感を植え付けたのだ。

 

「そんで尻に火が点いたお上が、ようやく価値を認めて下さったと」

 

 締まらねえなあとダールゲ中尉はぼやく。しかし、逆に言えばまだ何処の国も航空機開発や人員育成が磐石でないという事でもあり、ここから追いつき追い越す事も不可能ではない筈なのだ。

 

“何より、航空機に関しては、来年には変わるだろうさ”

 

 エルマーとの約束を思い出しながら、私は口元を僅かに綻ばせる。弟が私との約束を破る事はなかったから、一体どんな飛行機を作ってくれるのだろうと、私は誕生日プレゼントを待つ子供のように、期待に胸弾ませていた。

*1
 私自身は革新的な空軍の制服を気に入っていたのだが、帝国航空省人事局や宣伝局は『空の騎兵』という私の異名を前面に出すため、式典であろうとも私に槍騎兵服を着用させ続けた。

*2
 空軍開設初期は戦略眼を有するパイロットが居なかった為、空軍首脳部は中央参謀本部・海軍参謀本部から派遣された魔導将校で構成された。

 当時としては非常に革新的な方策であった反面、これが原因で戦略眼を有する陸・海軍魔導将校が激減するという弊害を招いた。




補足説明

※兵科色について。
 ドイツ帝国では兵科で軍服の肩章やパイピングの色を分けるというのは、確かにあったのですが(ドイツ帝国は1915年時点に制服を更新した段階で制定してます。その後何度か改訂もあったようですが)、連隊色という独自のものや、バイエルンなど出身で異なったりと非常に面倒なので(何と将官に至っては、出身で襟章のデザインまで違ってたりします)、この作品ではWW2の兵科色を用いて統一させて頂きます。

 多分ライヒ統一時に全部ゴリ押ししたんだよきっとそう! ……と、言うことにさせてくださいお願いします(土下座)。



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