キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/2/6誤字修正。
 くるまさま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


12 さらばノルデン-死者に捧ぐ花

 勲章授与式典と、それに付随する各種軍務──宣伝中隊からの軍事公報用のインタビューなど──を終えた私は、与えられた恩賜休暇を殆ど使う事もなく、逃げるように本国からノルデンへと舞い戻った。

 

 前線基地の皆は、勲章を身に着けた私が戻ってくるなり「撃墜王キッテル万歳!」と祝福の歓声を上げながら、代わる代わる基地中を担ぎ回ってくれた。

 暗く沈みこんだ私の心は、戦友たちの温かな気持ちに包まれ、何とか身体に前を向けるだけの意思と活力が吹き込まれる。叙勲を言祝いでくれた彼らの戦友愛は私にとってこれ以上ないほどの励みであった。

 基地司令官は私が休暇を使わなかった事にはじめは良い顔をしなかったが、笑顔を貼り付けた私の表情の裏に、翳りがあることを察して頂けたのだろう。深くは追求せず、黙して肩に手を置いて下さった。基地司令官の慈愛は、その掌の温もりと、私の心を案じて下さる視線から汲み取れたものである。

 

 ノルデンに戻る際、銀翼突撃章を始めとした叙勲に伴う特別賞与金を、実家に送る分を除けば全て戦友達への酒精や煙草、キャンディやチョコレートといった嗜好品に変えていた私は戦友達にこれを振る舞うと、彼らは狂喜して受け取り「何か頼みがあれば遠慮なく言って欲しい」と口々に言うので、私は空を飛びたいと思いを告げた。

 皆、本当に空のことしか頭にないのだなと私を笑い、私も釣られた様にして無理に笑いながら、基地司令官にもシャンパンと葉巻を渡し、頼むから空を飛ばせて欲しいと頼み込んだ。

 今の私は、安息など欲しくなかった。地に足を着け、息つく暇など与えられてしまえば、途端に鉛のように重くなった心が自責の念で体さえ縛り、軍務に精を出す事さえ出来なくなってしまうかもしれない。

 我が身の罪業を顧みれば、きっと私は飛ぶことさえ出来なくなるだろうという不安に苛まれていたのだ。

 

 私は家族を愛している。心から両親を尊敬し、姉上を敬愛し、弟を誇りに思っている。だが、私は我が家に帰る事を許されてはいない。

 あの美しい帝国北東部に戻れないのであれば、長期の休暇に一体何の意味があろう? 勿論、幼い頃の友人達は私が故郷に戻れば歓迎して泊めてくれるだろうし、今や軍事公報だけでなく、帝国中の新聞やラジオで持て囃されて時の人であるから、故郷の誰もが歓迎してくれるに違いない。

 しかし、最愛の家族のいる我が家だけは、私に対して門を閉ざさざるを得ない。それは全て、私自身が招いた事だ。

 

 だからこそ、私は第二の我が家たる帝国空軍こそを、心から愛し尽くすのだ。たとえそれが、現実からの逃避に過ぎないのだとしても、同じ我が家に住む家族を守りたいと思う気持ちに嘘はない。

 私は前線基地に戻ってから、皆に祝福された今日だけは休む事にした。

 そしてまた次の日には空に戻る。我が家に住む、皆と共に。

 

 

     ◇

 

 

 同月、勝利を信じて疑わなかった帝国軍は、思わぬ苦戦を強いられた。

 エレニウム八四式の光学術式を、敵が見破り始めたというのだ。これに関しては、経験を積んだ熟練魔導師であれば迷彩を見分ける事も可能である事を技術局の技師から伝えられていた為、はじめは驚くに値しなかったが、明らかに敵が魔導師の動きを察知しているとなれば、嫌が応にも危機感は高まった。

 加え、敵魔導師の運動性能や速度も、帝国魔導師に追いつき始めたとなれば、導き出される答えは一つである。

 

「敵も新型を作ったと見るべきだな」

 

 基地司令官は紫煙を燻らせながら漏らし、私を始めとする空軍将校と魔導将校も同意した。

 

「キッテル大尉。貴官の目から見て、敵はどの程度のものと感じたかね?」

「はい、閣下。敵魔導師は我々との交戦で光学術式を始めとする新規の術式を使用して来ない事から、格闘戦の向上を重視した演算宝珠であると予想されます。速度は大凡一〇五ノット。高度限界は四二〇〇フィートと言った所かと」

「うむ。魔導将校らは、空軍大尉の意見に反論はあるかね?」

「はい、いいえ閣下。キッテル大尉の目測は、正鵠を得たものと考えて宜しいかと」

「加え、敵魔導師の演算宝珠は、至近距離内での魔力波長を探知するソナーとしての機能を有していると見るべきでしょう。或いは、陸軍総監部で開発中と噂のある『熱源探知』の可能性も視野に入れるべきかと」

「考えたくはないが、敵の無能を期待する愚将になるのは、私は御免だな。では対策を。皆、忌憚無く意見具申してくれたまえ」

 

 基地司令官の申し出に一同は唸った。自分達の隠密性が小手先の手品に落ち、基本性能でも上を行かれた以上、これの攻略手段を確立する事は至難の業だ。何しろ一芸特化とは違い、性能の向上というものは隙のない強さなのだから。

 

「古典的手法となりますが、分隊に対し小隊で当たり、中隊には大隊で当たるべきかと」

「質を数で圧するのは基本だな。しかしキッテル大尉、魔導師は数を揃えられん。それは貴官とて承知の筈だ」

「はい、閣下。しかし基本性能という点では、我々戦闘機乗りにこそ分があります。我々空軍は従来、小隊(三機編隊)での行動を前提としてきましたが、本土からの新規隊員と戦闘機を含めれば中隊(三個小隊)での活動でも十分ローテーションを組めます。

 魔導小隊と航空中隊の混成部隊であれば、数の上で十分優位に立てるものと判断致しました。元より我々空軍は常に航空魔導師に随伴しておりましたので、連携の点でも問題ないかと」

「航空魔導師としての意見は?」

「空軍には負担を強いる形となりますが、現状ではそれが確実かと愚考致します」

「中尉、我々は幾度となく魔導師に窮地を救われた身だ。この程度では、とても借りなど返しきれんよ」

 

 私が微笑を浮かべて魔導中尉に告げると、中尉はもう十分返して貰っておりますと返した。だが、それは過小評価というものだ。彼らがいなければ私を含むファメルーンの航空隊員は、誰一人として生きて祖国の土を踏む事は出来なかった筈なのだから。

 

 

     ◇

 

 

 我々帝国空軍と航空魔導師の混成部隊は損耗を抑えつつ、順当に勝利を収める事に成功した。以前であれば圧倒的優位を確立し得ただけに歯痒いものを感じるが、私はパイロットに決して敵を深追いしないよう厳命していたし、それは魔導師も鉄則として心得ているのだから、耐え忍ぶべきだろう。

 敵を全滅させられずとも、味方が生き残って経験を積めれば糧に出来る。そうして生き残って強くなった兵が、また次の面倒を見る。軍隊が強くなるには、そうした生存術こそ必須なのだと私は信じている。

 

「スコアが落ちましたな、大尉殿」

「そうだな。しかし、部下の経験こそ代え難い奇貨だ」

 

 至言ですなと魔導中尉は頷く。前々から共同スコアは譲っていた身であるから、その事は気にしていない。今はそれより、一人でも多くの部下を育てる事にこそ注力したかった。

 

「やはり、学校は偉大だな。基礎というものを、しっかりと土台から作ってくれる」

 

 今年に入ってから帝国では初の空軍学校が開校し、志望者は教育の後に各戦線へ送られてきていた。

 私やダールゲ中尉にも、開校が決定した時点で教育総監から教官としての声はかかっていたのだが、その時の私達は、とにかく自分達が飛ぶ事で頭が一杯だったし、基礎なら教えられる者は幾らでも居るだろうと考えて、気にも留めず前線への転属願いを何枚も書き連ねていたのであった。

 

“今にして思えば、その道も悪くなかったのではないか”

 

 この時はそう自分の選択を惜しんだものだが、二年後の私は、その思いを撤回することになる。もしも教官になってしまえば、当然私が前線に出ることはない。そうなれば、私が生涯をかけて愛する女性が、命を落としていたかもしれないからだ。

 

 とはいえ、この時の私に、そんな思いも寄らぬ未来の事情など知る由もない。私の頭の中は、立派に成長して大編隊で飛行する部下達の英姿で一杯だったのだ。

 

 

     ◇

 

 

 ノルデンは安定し始めた。以前までの苛烈な戦死報告はなりを潜め、互いが膠着の姿勢を取り出したのだ。

 帝国もレガドニア協商連合も、係争地での我慢比べめいた戦いは、潮時だと考えたのかもしれない。

 如何に戦闘機を増産出来ても、人的資源の損耗が大き過ぎては話にならない。

 航空機は確かに役に立つ。しかしそれだけでは、魔導師を完全に駆逐するには至らない。

 敵味方両方に魔導師と航空隊がいる以上、互いに守り、ぶつかり合う以上、両者共に数を減らしては増やしていく。空の世界に新規参入者が加わったというだけで、戦争の形が変わってしまうほどの変化ではなかったのだ。

 

「一度作られた以上、これからも航空機は増えるでしょうが、どれほどになるでしょうか?」

「互いが、空を埋め尽くすぐらいは作るだろうな」

 

 空軍将校の疑問に、私は簡潔に答えた。有用ならば作られる。戦力は多ければ多いほど良い。そして互いが力を貯め込めば貯め込む程、互いに手が出せなくなっていく。

 協商連合は、独力で帝国と矛を交えられる程の国力を有していない。帝国はやろうと思えば協商連合に勝利出来るが、主要列強は──少なくともフランソワ共和国は確実に──それを容認すまい。

 この大陸中央部に他国より突出した国家が誕生すれば、それは列強間の力関係を決定的なまでに崩す事になる。

 帝国がレガドニア協商連合に勝利したとしよう。では次に帝国は何処に向かう? アルビオン連合王国か、フランソワ共和国か、それともダキア大公国やルーシー連邦か?

 列強は帝国を恐怖し、それ故に一致団結するだろう。それぞれの思惑や利益はどうあれ、安全保障の観点から見るならば、周辺国は帝国の勝利を望まない。

 帝国も、それに気付いている筈だ。一介の空軍大尉が危惧している事を、国家の頭脳が予想し得ない筈がないし、だからこそ係争地は一大戦争にならず済んでいる。

 

 しかし、ここに来て空軍という新規参入者が現れた事で、係争地は限界を迎えてしまった。これまでギリギリのラインで保った血潮の水嵩が、遂にそれを吸う大地の許容量を超えたのだ。

 これ以上の戦いは全面戦争への片道切符に等しく、帝国と協商連合は、兵力を配しながらも直接殴り合う事を控えた睨み合いに切り替えた。

 敵を殺す為に作る兵器と人員が、敵味方の流血を止める結果となるのは、なんとも皮肉なものである。

 

「ですが、無念です。出来る事ならば勝利したいものでした」

「気を落とす事はない。こんなものは準備期間だ」

 

 争い合うのは人の性だ。戦争は私達の父祖より遥か古くから、常に人の側に寄り添い続けた存在だ。この膠着も、いつか誰かが、何かが確実に狂わせる。

 空軍という新規参入者のように。戦車という大地の王者のように。新しく生み出された何かが、或いは国家の思惑や個人の思想が、時代を動かし流血を求めるだろう。

 しかし、その絶え間ない流血の中に用意された一時の膠着を、私達は噛み締めておくべきだ。今、この僅かな時間だけは、私達は息つく事を許されているのだから。

 

 

     ◇

 

 

 基地司令官より私に辞令が出た。戦局の膠着したノルデンを去り、直ちにあの懐かしきファメルーンに向かえと言うのである。戦友達との別れは何度も経験しているが、やはりこればかりは慣れる物ではない。

 私は戦友達一人一人の顔を頭と心に焼き付け、出立の前日に、花輪と色とりどりの花束を手に航空機に乗った。空から見える、この多くの血の流れたノルデンに献花を捧げたかったからだ。

 私は空から、帝国・協商連合双方の国旗を巻いた二つの花輪を海に投げ、大地に紐解いた花束を撒いて弔意を示した。敵も味方も、多く亡くなった。私は生ける敵兵とは戦うが、死者にまで敵意は抱かない。どちらも祖国に殉じた勇者であり、その死に貴賤は決してないと私は思う。

 人によっては、私の行為は自己満足や、エゴイズムでしかないと思われる事だろう。私はそれを否定できないし、無理に理解して欲しいとも思わない。これは私自身がしたいと思ってした事であり、私なりのやり方で、死者に敬意を表したかったというだけなのだ。

 

 十字を切って聖句を唱え、黙祷を終えて引き返した私は、このような我が儘を聞き入れて下さった基地司令官に心からの感謝を述べると、基地司令官は晴れやかな表情で口を開かれた。

 

「この地の戦いが終われば、私は慰霊碑を建てたいと考えていた。貴官のように、軍人の死を数字として見ず、悼んでくれる者が居てくれる事を喜ばしく思う」

 

 基地司令官は私に抱擁し、別れの挨拶と共にパイプを渡して下さった。メシャムという石と、瓢箪を削って作られたキャラバッシュパイプなる品で、息つく間もなく飛び続ける私への気遣いとして、ゆっくり時間をかけて一服するようにと仰って下さったのである。

 このパイプは、私が喫煙をやめた今も執務室に飾っている。

 

 アルビオン連合王国仲介の下、レガドニア協商連合との間に、事実上の国境線を規定するロンディニウム条約が妥結されたのは、私がノルデンを発ったひと月後の事だった。


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