フラットラインさま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!
「大尉殿! ご壮健で何よりです!」
溌剌とした声でファメルーンに到着した私を出迎えてくれたのは、最早腐れ縁という言葉さえ通り越した大親友たるダールゲ中尉だったが、肩の星をみれば、何と私と同じ大尉となっていた。
「ならば、もう敬語の必要は無くなるな」
勿論、これからはそうさせて貰うとダールゲ大尉は首肯する。
「その為にオスト*1で気張ったからな」
見ろよ、ダールゲ大尉は首元の勲章を指で弾く。大尉の首には剣付白金十字が下げられており、陽光に反射してキラキラと輝いていた。
「ニコほど化け物にゃなれないが、自分だってやれば出来るんだぜ?」
「そんな物が無くとも、私は貴官が優秀だと知っているよ」
愛称で私を呼ぶダールゲ大尉に、思わず私の顔が綻ぶ。そういえば、久しくその愛称で自分は呼ばれなかった。軍隊は厳格な縦社会であるし、母上や姉上とも離れたままであるから当然だ。
愛称で呼ばれた事に気を良くした私であるが、そんな和気藹々とした空気も、ファメルーンでの報告を受けてからは霧散した。
私が現地到着までに耳にしていたのは『ファメルーン出身の将校団が蜂起したので、直ちにこれを制圧せよ』という物であった。
しかし、いざ現地に着いてみれば、将校団のみならず保護領軍人の大半がこの反乱に加担したばかりか、帝国と隣接するアルビオン連合王国・フランソワ共和国両国の植民地軍とも内応していたと言うのである。
「なんで帝国に……連合王国とか共和国なら判るけどよ。あいつら恩知らずにも程があるだろ」
ダールゲ大尉はそう不平を漏らしたが、これは大尉が自民族至上主義者であるが故に、保護領軍人を一段下に見ているという訳では無いし、ここで口にした『恩知らず』とは所謂列強国の特有の『文明を野蛮人に与えてやった』という意識からでもない。
ダールゲ大尉は、栄達の機会を与えてくれた『帝国軍』に対して、保護領軍人を『恩知らず』だと言ったのだ。
連合王国や共和国と異なり、当時の帝国では保護領出身であっても本国軍人と同様の功労で出世する事を確約していた。
これは人権意識からではなく、他の列強と比して保護領政策に遅れた帝国が他国に対抗する為の
むしろ、帝国軍人にも負けず劣らずの気迫でもって最前線で戦うファメルーン人の姿には、私達帝国人も負けていられないと大いに鼓舞され、任務が終われば共に酒を酌み交わしたり、数の少なくなった煙草を回して吸ったりしたものである。
ダールゲ大尉も私も陸軍航空隊時代はパイロットであったから、彼ら保護領軍人とそこまで深い関わりがあった訳では無い。しかし、地上要員として基地内で働くファメルーン人とダールゲ大尉はよく談笑していたし、困った時には何かと手を差し伸べていた。
普段からユーモアを忘れず、ファメルーンから幾度となく死地を潜り抜けて来ただけにタフな印象を与えるダールゲ大尉だが、その実かなり繊細な所のある情に厚い男でもあったので、彼らの反乱がやりきれず、また、これまでの友情が偽りに過ぎなかった事へのショックから、こんな言葉を口にしてしまったのだろう。
私はダールゲ大尉を慰めてやりたい気持ちで一杯だったが、今は軍務に就いているし、上官からの質疑応答も有ったので、そちらに意識を回さざるを得なかった。
「現在、この反乱に対して連合王国・共和国両国は関与を否定しているが、それを鵜呑みにする無能は我が軍に居まい。情報部の報告と反乱軍の装備から、間違いなく両国から人員、物資両面での支援を受けた上で反乱を計画した事は明白である」
実際、この反乱の首謀者たるハルシャール歩兵少佐は、ファメルーン独立と帝国からの解放のみならず、これを期に南方大陸全体での一大決起と大独立を呼びかけたが為に、これまで忠勤に勤めていた植民地軍人が、唆されて去ってしまったと連合王国・共和国は言う。
その上『自分達の元を去る際に軍需物資まで植民地軍は強奪していった』『自分達も被害者なのだ』と、連合王国と共和国は関与を疑う帝国に抗議したそうだが、白々しいにも程がある。
軍需物資を強奪された挙句、植民地人におめおめと逃げられたなど、あの苛烈な植民地支配で知られる連合王国と共和国が許容する筈も無い。
見せしめとして現地部族の族長達を吊るすのは当然として、植民地軍内でも徹底的な粛清の嵐が吹き荒れるのは当然だろうに、袂を分かった植民地軍に『罪を不問とするので、装備を返却し原隊に復帰せよ』などと呼びかけるだけに留めているのだから、明け透けにも程があろう。
尤も、内応自体初めは本物で、後からこれを利用した可能性も十分あるにはあるのだが、いずれにせよ帝国が被害を被っている以上、細かな経緯を考える事に意味はない。
仮にハルシャール歩兵少佐が本気で南方大陸全土の独立に動き、連合王国・共和国両国が手を噛まれそうになったとしても、帝国と比して駐留軍が圧倒的に多い両国ならば、早期鎮圧は容易いだろう。
そうした国家の思惑は一先ず脇に置き、今は軍人としての仕事を全うすべきだと私は意識を切り替えた。私達空軍に与えられた任務は、反乱軍魔導師を含む航空戦力を徹底的に叩く事であり、これを受けて「お任せ下さい」と胸を叩く私の姿を、皆頼もしいと言いつつ苦笑していた。
「もう空はニコに任せておこうぜ。旧式の魔導師と戦闘機なんぞ、一日で全部墜ちるだろうさ」
サボタージュは許されないと私はダールゲ大尉を叱責したのだが、どうやらこれは他の者も同意見だったらしい。幾ら私でも、規模も所在も未知数の航空戦力を、一日で全て撃墜する事など不可能だ。見つければ確実に墜としてみせるが。
◇
だが、ダールゲ大尉にとっても私にとっても予想外であったのは、反乱軍が実に用意周到で嫌らしい存在であったという事だ。
反乱軍魔導師は決して小隊以上の規模で行動せず、
「ニコが有名になり過ぎたってのも有るんだろうが、流石は元帝国軍人。彼我の実力差ってもんを実に良く理解していらっしゃる」
「有能でなくば、佐官になどなれんよ」
武功だけでのし上がれるのは尉官まで。そこから上を行きたいならば、広い視野と知識を兼ね備え、地位に相応しい責任を持つ必要が有る。
「まかり間違っても、教育総監からの誘いを蹴って、前線勤務を希望する馬鹿共に勤まる役職ではないからな」
「違いない!」
ダールゲ大尉は大笑いし、私も一緒に笑った。だが、笑い声とは裏腹に、私は内心焦っていた。
地上における帝国軍の被害は想定より遙かに甚大だ。帝国の為を思い作ってくれたエルマーの兵器は、当然の事ながら反乱軍が用いてもその優秀さを遺憾なく発揮していた。
安価であるが故に数の揃っていた無反動砲は多数の戦車を潰して尚有り余り、輜重隊の馬車*2などには、遙か遠距離からの高射砲で護衛ごと粉微塵に吹き飛ばされた。
帝国航空魔導師は地上軍への支援を惜しまず、爆裂術式や貫通術式を用いて砲兵や機関銃手を潰してくれているが、何分にも敵の攻撃範囲が広すぎる事や、エルマーの高射砲から放たれる炸裂弾は彼ら魔導師にとっても大変危険であったので──そもそも高射砲は最初期において、航空魔導師を地上から撃墜する用途で作られたのだから当然だが──敵地上兵力を満足に叩けていなかった。
「ダールゲ大尉、我々にも出来る事はないだろうか?」
「哨戒以外となると、輸送機で空から物資を運ぶぐらいだな。まぁ、輸送機は貴重な上に燃料も食うから、許可は下りないだろうが」
敵さんが空に近づいてくれればなぁ、とダールゲ大尉が零す。大尉にとっては唯の愚痴のつもりだったのかもしれないが、その言葉が私の琴線に触れた。
“敵が我々に近づかないなら、我々が近付けば良いのではないか?”
私は思いついた。戦い方を変えてみよう、と。
◇
私は上官らに、航空戦力とは戦わない事にしたと告げた。より正確には、航空戦力という物に拘らないようにしたと言うべきか。無論これは、私が敵と相見える機会がない為にサボタージュをしようと言うのではない。
「一体どういう事か?」
説明したまえという上官に、私は敵航空戦力が自分達と矛を交える気がなく、幾ら哨戒を行ったとしても、これでは時間と燃料を浪費するばかりだと訴えた。
「先の鉄道破壊に於いても、敵魔導師は離脱するギリギリまで飛ばなかったと聞き及んでおります。戦闘機も姿を見せない以上、今叩くべきは間違いなく地上戦力です」
「しかし、貴官らは空軍であろう?」
「はい。しかし、攻撃手段はあります。我々の戦闘機が装備する一三ミリ機銃は対魔導師を想定した物でありますが、地上軍にもその威力を発揮し得ると、確信を持って申し上げます」
これまでの戦闘機は空で魔導師と、或いは戦闘機や偵察機といった、空の住人と戦う為の物であった。そもそもの戦闘機の始まりからして、魔導師を撃墜する為の大口径装備であったのだから当然だが、テーブルに卵を立てた船長のように、物の見方を変えてしまえば良いのだ。
「是非ご想像下さい。三〇機余りの戦闘機群が、反乱地上軍に一斉掃射を仕掛ければ、如何程の戦果を得られるでしょうか?」
◇
このような大言壮語を吐いたものの、しかし問題もあった。私も含めて、パイロットの誰一人として、地上標的に対して攻撃を行った事などなかったのだ。
戦闘機は航空戦力と戦うという固定観念は拭い難く、誰一人として魔導師が爆裂術式を用いるように、地上に機銃や機関砲を放とうとは思い至らなかったのである。
私がこの案を基地内の上官らに提示する以前には、パイロットに対して事前に案を話し、当然テストも行った。案山子を標的に見立て、それを降下しつつ訓練用の弱装弾で狙い撃つというものだ。
はじめは誰もが楽勝だと胸を張った。空を縦横無尽に駆ける航空魔導師や戦闘機を相手にしてきた自分達が、地上で動かない的に外す訳がないと思ったのだろうが、これが中々に難しい。
勝手が違うというのも、無論ある。しかし、誰もが事に当たる時、降下時の空中分解を恐れて機首を必死に上げ下げしていたから狙いが定まらず、満足の行く結果を得られなかったのだ。
旧型機がそうであったように、やはり大口径の武装が、機体の急降下を妨げていた。空中戦での一定の動力降下*3には耐えられても、地上めがけてのそれとなれば、話は全く変わってしまう。
私達は加速する機体を押さえつけながら標的を狙わなくてはならないが、これは決してエルマーの機体のせいではない。本来の用途と、全く異なる使い方をした私の方が問題なのだ*4。
それでも私は機銃での地上攻撃が見込める戦果は大きいと信じていたから、皆には一定以上の速度に達しそうになったらその位置で攻撃し、機首を上げて離脱するよう指示した。
対して私自身は、無理や無茶など慣れっこであるから、どれだけ動力降下が出来るか。どれだけ接近すれば地上目標に対して、確実に命中させられるかを何度も自分でテストした。
ただ、これまでのテスト飛行では、私の無茶を苦笑しつつ許容していたダールゲ大尉が、今回に限って必死で止めたのは誤算だった。
「こんな下らない実験で撃墜王が命を危険に晒すんじゃない! 死ぬなら空の敵と戦って死ね!」
これまでにない声と形相だっただけに、私は委縮してしまった。しかし、自分以外に実験出来る者が居ない以上、私はダールゲ大尉に頭を振った。
「危険操縦なら、知っての通り私は慣れっこだ。私が機体性能を確認する為に、どれだけ無茶な飛行を続けてきたか、知らない大尉ではないだろう?」
ゆっくりと、声を張り上げるダールゲ大尉の怒りを私は鎮めようとした。けれどそれは、ダールゲ大尉の怒りに油を注いだだけだった。
「ニコ! お前は今、高く飛んでるんじゃない! 地面に
だから止めろ。金輪際、こんな真似だけはしてくれるなと。それは戦友として、空を飛ぶ仲間として、最も愛すべき、親しみ深くかけがえのない友人としての、ダールゲ大尉の心からの泣訴だった。
「ダールゲ大尉。貴官の思いは嬉しく思うが、これが成功すれば多くの戦友達を救う事が出来る。手を拱いている時間は終わりにしたいのだ」
「だったら自分や他の連中に任せろ! ニコが危険な目に遭うぐらいなら、誰だって身代わりになる! 自分達とあんたじゃ、命の価値が違うんだぞ!?」
「それは違う! 私と貴官や戦友の命に、貴賤などあろう筈がない!」
私はこの時、将校として、軍人としてでなく、個人としての意思で叫んだ。祖国の為、国民の為に賭ける命に貴賤はないと反駁した。しかし、それは違うとダールゲ大尉は言う。
「ニコは皆の英雄だ。今も、これから先も、あんたは自分達パイロットに、空軍に、帝国に必要なんだよ。イメール・マルクルはもう居ない。もう、ニコしか象徴になれる人は残ってないんだ。
将校は皆の模範たれとは言う。国から部下を預かる以上、しっかり守るのも当然だ。
でもな、これは本当に、ニコがやらなくちゃならない事か? ニコ自身の手で、尽くさなきゃならんものなのか?」
胸に手を置いて考えろ。必要ならば命じろ。それがもたらす結果と利益の天秤とを、きちんと釣り合わせてから判断しろ。
ダールゲ大尉の言葉は、何もかもが正論で、何もかもが彼の誠実さと良心と、軍人としての規律の上に成り立っていた。
だが。しかし。それでも。
「これは私の案だ。提案した以上、私はそれをきちんと実行できる形にした上で、貴官らに役を任せたいと思う」
「……そうかい」
私は、いつも駄目な所で頑固だ。父上との離別も、ダールゲ大尉との、このやりとりも。いつも張らなくて良い筈だと言われる場面で意地を張る。だが、父上との時とでは決定的に違うことが一つある。
「私は、貴官らを失いたくはないのだ」
戦場で、誰一人として死なせない訳には行かない。死は悲しく、別離は苦しいが、それは誰もが覚悟の上で軍服を纏う。だからこそ。嗚呼、だからこそなのだ。
「私は栄光の勝利と、相応しい死を与えてやりたい」
将校として、預かった部下達が、最期の時に胸を張っていと高き場所に逝けるように。
「全く、この頑固者が」
重く、深い溜息を吐きながら、しかしダールゲ大尉の口調は、いつもの軽やかなものに戻っていた。
「一体どういう教育を親御さんから受けりゃ、こんなんになっちまうんだか」
「代々プロシャ軍人の家系でね。頑固さは、父祖譲りであろうさ」
「プロシャ人ねぇ? 頑固さと折り目の正しさはそうなんだろうが、豪快さが足りないな」
違いないと私は笑う。プロシャ人といえば、多くがその厳格さ故に無駄口を叩かず、寡黙で威厳ある人物像を思い浮かべるだろうが、彼らは基本的にゲルマニア気質が強く、豪放磊落で声は大きく、自己主張の激しい者達なのだ。
「私のこれは、我が家の処世術でね。宮中で声が大きくては、受けが宜しくないのだよ」
「成程。出世して登城出来るようになったら、是非ニコの言動を参考にさせて貰うよ」
先の長い話だと肩を叩きながら、私は戦闘機に乗り込んだ。但し、これからは慎重にしようと心に決めて。
訳註
◆1:帝国軍内においては差別こそなかったが、ファメルーンにおける帝国人及び政府の意識と政策は他の列強と比して変わるところはなかった。
帝国人入植者はファメルーン人に対して労働保証のない薄給で各種職務に従事させていたし、政府もファメルーン人に多大な税負担を強いていた。
帝国軍はそうした中にあって数少ない『逃げ道』の一つとされていた為、保護領軍人は栄達を求めて意欲的に働いていたというのが現在の共通認識である。
この物語はニコ君の自伝です。上記の訳註(補註)にも記載しましたが、実際の帝国植民地での政策、現地帝国国民の心象や意識とは異なる可能性があります。
以下、現実。
帝国軍「軍人になれば立身出世も夢ではないぞ! ん? 現地民への配慮? いやそれうちの仕事じゃねーし」
帝国人入植者「ただ同然で使える人的資源とか最高やん!」
帝国政府「税金かけまくって国庫が潤うぜ!」
大体こんな感じ。列強が支配地域に対してまともな訳ねーのである。
え? 自国のお金でインフラ整備までやった大正義日本がいるだろって?
……う、うん。そうだね。日本はいい子だよね(WW1以降のアレっぷりから目を逸らしつつ)