キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/2/8誤字修正。
 水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


17 フュア・メリット-黄金の一日

 勝利と栄光。口にすれば簡単な二つの単語だが、それを手にするまで、一体どれほどの人間が道半ばで倒れただろう。

 エルマーは私に、それを贈ると言ってくれた。かの偉大なゾフォルトの翼が、大空の剣が私に黄金の時間をもたらしてくれたのだ。

 一九二〇年、一一月一五日。皇帝(カイザー)厩舎(きゅうしゃ)より寄越された二頭立ての箱型馬車が、特別司令部に待機していた私を迎え、宮中まで届けてくれた。

 これ程の歓待は侍童(パージェ)であった頃でさえなかったもので、宮門の衛兵は窓から外を眺めていた私に、捧げ銃をして通してくれた。

 

「お加減が、優れませんかな?」

「いいえ、胸の高鳴りを抑えられぬのです」

 

 私の返しに気を良くして下さったのだろう。この道に生涯を捧げてきた御者は「誰もが初めはそうなるものです」と優しく微笑まれた。

 

 

     ◇

 

 

 帝国本土に帰還してからというもの、私は様々な者達から声をかけられ、会食や挨拶に足を運ばざるを得なくなった。

 前人未到の最多撃墜王。魔導師から空の王冠を簒奪した男。好みに沿う沿わないは別として、帝国中の新聞が私を書き立て、無数の記者が万年筆や鉛筆を手にして質問攻めに来る日もあれば、まるで映画や舞台俳優に求めるように、握手やサインをせがむ者まで多く出た。

 こうした事態は一度目のファメルーンからの帰国や、銀翼突撃章の叙勲式の折にもあったが、流石に今回は数が数なので参ってしまい、軍高官や官吏が呼んでいるとお声がかかった時には、逆にこれで逃げられると思ったものであるが、しかし気は休まらない。

 

 何しろ、私の父上さえ顎で使える*1ような陸海軍の元帥方や政府高官が、私とフォン・エップ少将(一九二〇年、八月進級)との会食を望まれたのだ。

 フォン・エップ少将は汗をかきつつも私を褒め称えて下さり、大臣や元帥方におかれても私の活躍を大いに寿いでくださったが、反面私は気が気でなかった。

 一体何故、多忙を極める高位官吏や陸海軍の元帥らが、私如き一士官を会食に招かれたのか? 確かに今は世間で持て囃されて時の人であっても、それが有用なのは航空省人事局や宣伝局の人間だけである。

 英雄の誕生を寿ぎたいというのであれば、それは式典で盛大に行えば良い。しかし、その式典こそ最大の問題であり、お歴々が私とフォン・エップ少将を招いた理由でもあった。

 

我らが皇帝陛下(マインカイザー)が、貴官への叙勲を望まれておいでだ」

 

 私は叙勲の沙汰に接して、ナイフとフォークを持つ手を感動に震わせた。

 帝国(ライヒ)統一戦争以降、帝国はプロシャ王が頂点たる皇帝(カイザー)として君臨し、諸邦は恭順を示すか、降伏の後に和解した王家が治める連邦国家として誕生したが、帝国軍創設以降、戦功・功労章は大規模改定が行われ、これらの勲章は軍が授与する規定となっていた。

 皇帝(カイザー)や諸邦の王が伝統ある勲章を授与するのは、自州で華々しき功労を果たした退役軍人や終身制たる元帥位の授与者か、或いは政治家や科学者、芸術家に対してであり、現役武官の、ましてや今月二一になろうというばかりの若造大尉に、皇帝(カイザー)が御自ら勲章を下賜されるなどというのは、正しく前代未聞である。

 

「本当に、小官如きが騎士勲章を……?」

「そちらの方が良いかね? だが、それは無理だ。貴官に授与されるのはフュア・メリット勲章だからな」

 

 私は言葉さえ失い、フォン・エップ少将などは、まるでコメディアンのように音を立ててフォークを落とし、口を開けて固まっていた。

 

 

     ◇

 

 

 フュア・メリット(勲功に報いて)の意が示す通り、この勲章は古プロシャ大王が制定して以来、戦場の英雄として後世に語り継がれるに値する者のみ授与*2される事を許された、プロシャ王国の最高名誉勲章である。

 かくも偉大にして過大なる勲章が授与されるに至った理由を訊ねれば、最早私に授与する勲章がないからだ、と会食時にお歴々は肩を竦めた。

 

「貴官は既にして帝国軍の最高軍事功労勲章たる、黄金柏剣ダイヤモンド付白金十字の授与規定を満たして尚、余り有る戦功を立てた。

 無論、それは貴官の弟君たるエルマー技術中佐の攻撃機あってのものであるし、敵機や魔導師も多くが旧式だったことも聞き及んでいる。

 その間の論考基準値を半減せよとの声は、人事局功績調査部からも当然上がったがな。それをして尚、この勲章に貴官は手を届かせたのだ」

 

 加えるに、私は九月二〇日以降魔導師撃墜をカウントせず、これ幸いとばかりに戦友達にスコアを譲り続けていた。

 そんな事は上も承知していたが、戦果を報告せねばならない以上、数字を誤魔化す為に戦友を使った時点で彼らも同罪である。

 当然、帝国軍の士気を上げ、国民に戦意掲揚を促したいが為に人事局功績調査部や宣伝局も黙認していた訳だが、これは致し方ない面もある。

 ファメルーンでの私の正確なスコアなど公表しては、他国からは悪質なジョークか、過剰過ぎるプロパガンダにしか見られないだろう。

 そこに撃墜スコア以外の戦功評定基準となっている、出撃回数や地上兵器の撃破数なども含めるとなると、会食の主催者らが苦笑いしつつ肩を竦めたのも無理からぬ話であった。

 

「貴官が佐官か将官ならば、名誉章や各種功労章の授与と年金で埋め合わせる事も出来たが、年功さえ足りんと来た。貴官は知らんだろうが、皇帝陛下は大層貴官を気に入られておいでだ。正確には、英雄たる貴官の『戦果』と『経歴』をだが」

「皇帝陛下は、海軍の拡張こそ関心を払われておいでと小耳に挟んでおりましたが?」

 

 更に言えば、皇帝(カイザー)は中央参謀本部の特別大演習に騎兵将校として参加したというのは、帝国軍でも大変有名な話である。

 全騎兵の誉れたるフェヒター章を受けながら、パイロットとして空を飛んだ私は、どう考えてもお気に召されるような経歴ではない筈だ。

 

「そこはベルトゥス皇太子殿下の口添えあってのものだ。貴官の活躍は騎兵への裏切りでなく、武人として帝国に尽くしたいが為のものであるとな」

 

 空の王者たる魔導師に果敢に挑み、遂には空軍さえ開設させるに至った私と航空隊員を、ベルトゥス皇太子は「彼らこそ空の騎兵です」と讃えて下さり、皇帝(カイザー)も溜飲を下げられたのだという。

 そこから先の話は早く、撃墜王に至るまでの目覚しい活躍や、プロシャ王と皇帝(カイザー)に仕え続けた貴族の血筋。何より軍用機や魔導師との対決は馬上槍試合(ジョスト)にも似た趣があるということで、槍騎兵であった頃の経歴も含め、徐々に英雄を好む皇帝(カイザー)の関心を得るに至ったという。

 

「エップ将軍。将軍はどうして開設から今日まで、空軍に潤沢な予算が回され続けているか、考えた事はあるかね?」

 

 にっこりと微笑む海軍元帥は、決して目が笑っていなかった。本来融通を付けて頂ける筈だった海軍の予算が、新興の第三軍に回されたのだから、その怒りも当然である。

 軍種こそ違えど、相手は天上人。フォン・エップ少将は深々と謝罪し、私もまた右に倣った。

 

「海軍は前々から優遇されておったろうに。陸軍にはそのような恩寵、一度として得られなんだぞ?」

「海軍を陸軍の外局扱いしている身でよく言うものだ。予算ならば、そちらが常に多く持って行くだろうに」

 

 私とフォン・エップ少将は、心も胃の痛みも同じだった事だろう。陸海軍両元帥との優雅極まる会食を終えた私とフォン・エップ少将は、仲良く寝る前に胃薬を飲んだ。

 

 

      ◇

 

 

 こうして後日、叙勲式典の日程調整や打ち合わせに追われ、馬車で王宮に到着した私は宮中で朝食を摂った。

 酒を入れる訳には行かないのは当然の為、食後酒の代わりとして葡萄ジュースが振舞われたが、ワイン用の葡萄からアルコールを止めて作られたジュースは大変美味で、ワインと変わらない味わい深さであった。

 そうして舌鼓を打った後は、私のような見習い以下であったそれと違う、本職の侍童頭が着付けを始めてくれたが、用意された礼装には大層驚かされた。

 なんと、私がかつて返納した筈の近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)第一連隊のものであり、唯一の違いがあるとすれば、肩章がエポレットではなく、空軍大尉のそれに変わっているぐらいだった。

 

「これは、もしや」

「はい。ベルトゥス皇太子殿下より、お預かり致しました」

 

 自らの元を去った一士官に、ここまでのご厚情を頂けようとは。私は瞳から雫を零すのをこらえていたが、その間にも侍童頭はてきぱきと着付けを済ませ、最後に首元のホック留めて満足げに頷かれた。

 騎兵の頃と比べて体がなまり、軍服が体に合わないのではないかと袖を通すまで心配していたが、私の体は一層逞しくなっており、少々窮屈ささえ感じる軍服が却って体のラインを強調し、メリハリを与えてくれていた。そして何に増しても驚くべきは、あのフェヒター章が腕に留まっていた事だ。

 

“これを、身に着ける資格はあるのだろうか?”

 

 いや、無いと言えば、それはベルトゥス皇太子への紛れもない背信である。これを再び身に着ける栄誉をお与え下さったベルトゥス皇太子のご期待を、私は生涯決して裏切るまいと誓った。

 

 

     ◇

 

 

 本来、宮中の叙勲式典は厳格な規定の上に成り立っており、騎士の間*3にて叙勲を行うのが慣例であったが、私は騎士勲章を得る資格を有していない為、異例だが祝典の催される白の間にて叙勲式を執り行う運びとなった。

 士官候補生時代、ヴィクトル・ルイス皇女とひと時の蜜月を過ごした、あの広間である。しかし、そこがかつて歴史ある調度で溢れ、着飾られた貴婦人が談笑し、ベルン・フィルの楽団が天上の調べを奏でた広間だと言われても、おそらく誰も実感は沸くまい。

 広間の左右に居並ぶ方々の厳格な空気が、優美なる広場の面影を完全に塗り潰していたからだ。

 叙勲式の作法に倣い、右側は帝国宰相や宮内庁大臣、宗教顧問員といった高位顕職が爵位と役職に応じて並び、彼らと向き合うように帝国軍統帥、陸軍大臣、参謀総長に続く形で各軍の元帥らが並んでいた。

 

 その中には無論のこと、フォン・エップ少将も空軍総司令官たる職務に就いておられる以上参列なさっておいでだったが、爵位においても階級においても本来なら参列を許されない身であり、先駆的過ぎる空軍の装いも相まって、かなり浮いてしまっていた。

 私の目から見てもそうなのだから、当人の居心地悪さは相当のものだろう。私は思わず苦笑しそうになる口元を真一文字に引き締めて堂々と、しかし作法に則った足取りで泰然と歩を進めた。

 反射する大理石の床は長靴を鳴らし、かつかつと音を響かせる。

 玉座に座す皇帝(カイザー)は、敬虔なる信徒が瞑想するような神聖さを放っており、静謐の中にある絵画の如き美しさであったから、私はその姿を前に何度も足を止めて、本来跪かねばならない位置より遠くに跪いてしまいたくなった。

 だが、此度の叙勲式は畏れ多くも私の為に催されたものなのだからと、私はそれを堪えて帝国軍人らしく昂然として胸を張って進み、何とか言われた位置に辿り着く事が出来た。

 私が片膝をつくと同時に、皇帝(カイザー)がゆっくりと腰を上げられる。皇帝(カイザー)近衛胸甲騎兵(ギャルド・ドゥ・コーア)の軍服を纏っておられたので──おそらくは私の槍騎兵服(ウランカ)に合わせて下さったのだと思われる──、がしゃりと重厚な音を立てられたが、それが何とも言えぬ威圧感と王者の風采を放っており、皇帝(カイザー)の威光に当てられてしまった私は、己など、英雄とは程遠い小童に過ぎないではないかと感じた。

 皇帝(カイザー)侍童(パージェ)の中でも、ひと際見目麗しい宮侍童(ホーフパージェ)がビロードのクッションに乗せて恭しく運ばれたフュア・メリット勲章を手に取り、私の首にかけて下さった。

 黒と銀のリボンに、七宝焼きの青いマルタ十字。数多の武人が手にする事を望みながら、しかし多くが叶わなかった英雄の証に私の胸は高まる一方であったが、しかし皇帝(カイザー)は未だ、私が拝謁の栄に与る事をお許し下さらない。

 いや、そもそも本来であれば面を上げる事を許された後に、授与されるのが慣例の筈であっただけに、私は混乱するばかりであったのだが、やがてその疑問に応えて下さるかのように、私の肩に剣身が添えられていた。

 

「ニコラウス・アウグスト・フォン・キッテル空軍大尉。

 ファメルーン、ノルデンでの働き、大儀であった。余はフォン・キッテル家の剣に、新たなる二つの土地を付す。更に、貴官が世界に冠たる帝国の為、大いに貢献したとし、ここにフュア・メリット勲章を授与する。英雄よ、面を上げよ」

 

 ゆっくりと面を上げると、皇帝(カイザー)は私の頬を強くぶたれた。個人として、軍人として忍耐を忘れず、驕れる事を許さぬという皇帝(カイザー)からの戒めであったが、痛みからでなく、私の頬には一筋の雫が伝った。

 二度とお許し頂けぬものと思っていた。どのような勲功を得ようとも、お認めになるまいと悔いていた。私にはもう、帰る我が家は軍だけなのだと諦めていた。

 

 だが、この剣こそ父上の心そのもの。何よりも深い慈悲と赦しの表れに他ならず、それを思えば、今だけは涙する事をお許し頂きたくあった。

 

「強く、打ち過ぎたか?」

「いいえ、いいえ、陛下。ですが今だけは、何卒、今だけはご寛恕を」

 

 私の涙の理由を、皇帝(カイザー)は決して理解されておらぬだろう。だが、皇帝(カイザー)は私の肩に優しく、静かに手を置かれた。

 

「許そう。今だけは、その涙を、耐えぬ事を許そう」

 

 慈悲深きお言葉は、私の心を抱擁するかのようだった。

 

 

     ◇

 

 

 赤く腫れた目元を皇帝(カイザー)は大層(いたわ)って下さったが、これが歓喜の涙だという事を私がお答えすると「ならば、もう大丈夫だな」と微笑んで下さった。

 幾人かの武官や役人は、私の涙を芝居がかった演出と見たかもしれないが、私の涙は父上に対してのものであって、断じて嘘偽りの演技ではない。それは誰よりも私の肩に手を置き、今まさに微笑んで下さっている皇帝(カイザー)の瞳こそが証明しておられた。

 仮に私が偽りの涙を流し、虚構の感動を皇帝(カイザー)に示そうものならば、あの澄んだ、万物さえ見通してしまいそうな程深い瞳が容易くそれを看破して、私から勲章を取り上げたに違いない。

 

 そして、晴れがましい叙勲式を終えた私は、何と宮中の遊歩庭園を皇帝(カイザー)と並び歩むという栄に浴したばかりか、皇帝(カイザー)はそのまま午後の茶宴へとお誘い下さったのである。

 このような席には、武官であれば参謀総長や陸軍大臣が招かれるものであって、大尉に過ぎない私には畏れ多いばかりだったのだが、今回は私だけでなく他にも客を招いているので、固くならずとも良いと皇帝(カイザー)は仰られた。

 この言葉を受けて私は、ああ、フォン・エップ少将だろうな。空軍総司令官閣下が、感動のあまり心臓発作で倒れなければ良いが、と身近な人間を想像して──それでも少将と大尉では雲泥の差であるのだが──心に余裕を持つことが出来た。

 

 しかし、そんな私の予想は的外れも甚だしかったと、現実を見て愕然とした。

 用意された茶宴の席に、直立不動で皇帝(カイザー)と私を出迎えて下さったのは、参謀総長たる小モルトーケその人であったのだ。

 私はかの偉大な御仁に立ち会えた事への感動と、軍人としての習性から踵を鳴らして敬礼したが、小モルトーケ参謀総長はその逞しい体躯には控えめな、しかし気品ある口髭を撫でながら私を窘められた。

 

我らが皇帝陛下(マインカイザー)の御前である。軍人としての作法でなく、貴族として振る舞い給え」

 

 語句こそ厳しくも、慈愛と気品溢れる声音で諭された小モルトーケ参謀総長に深い感銘を受けつつ、皇帝(カイザー)に促されるまま参謀総長と共に席に着いた。

 

 帝国国民であれば語るまでもない人物であろうが、小モルトーケ参謀総長はその名から察せられる通り、プロシャ・フランソワ戦争で勇名を轟かせ、私が本日拝受したフュア・メリット勲章の最上位等級たる、フュア・メリット大十字星章を授与された世界最高峰の軍人、大モルトーケ伯の甥に当たるお方である。

 帝国(ライヒ)建国の臣たる大英雄を叔父上に持つ以上、周囲からの期待は並々ならぬものであった事だろうが、小モルトーケ参謀総長はその期待に見事応えられ、彼こそ帝国軍の未来を担うであろうと、誰もが期待と尊敬の眼差しを向けていた。

 

 それにしても、と私は小モルトーケ参謀総長を間近で見て思う。一九〇以上の長身に、鍛え抜かれた厚みのある体躯。鷲のような眼光鋭い瞳に見事な禿頭と、正しく豪傑で鳴るプロシャ軍人を体現する風采だというのに、何と洗練された行儀作法であろう。

 私は父上から、宮中で偉ぶったが為に顰蹙を買った将軍は多い。お前は決してそのようにはなるなと再三聞かされては作法を叩き込まれてきたが、私などより遥かに優美な小モルトーケ参謀総長の物腰には、思わず陶然としてしまったものである。

 そこから先も、皇帝(カイザー)は私や小モルトーケ参謀総長との歓談に際し、軍の話題をお振りになられるのだろうとばかり考えていたが、お二方の話題はもっぱら芸術や音楽、文学に対してのみであり、私は面食らいつつもお二方との歓談を楽しんだ。

 

 特に、初めの内こそ私に対しては口数少なかった小モルトーケ参謀総長であったが、私がお二方の予想以上に、これらの話題に対して造詣の深い事に気を良くされたのだろう。

 小モルトーケ参謀総長の口からは途方もない文学に対する愛情と知識が溢れ出し、同じく文学を愛好する者として、私は一層参謀総長に対して深い敬意の念を抱いた。

 しかし、文学以上に小モルトーケ参謀総長が好まれるのは音楽のようであり、私が古プロシャ大王への憧れからフラウト・トラヴェルソ(◆1)を嗜んだのに対し、参謀総長は純粋な音楽への愛情から、自らチェロを弾かれる事が多いと言う。

 心地よい時間の中、皇帝(カイザー)は私が槍働きで鳴らすばかりが能の武辺者ではなく、貴族として相応しい教養を持っている事に、いたく満足されたようであった。

 

「貴官は、自負と傲慢を履き違えておらんようだ。礼節も、慎みもある」

 

 余は嬉しいぞ、と紅茶を含みながら漏らされたお言葉には、私の方こそ嬉しさの余り身を震わせてしまった。

 そんな私に小モルトーケ参謀総長はいじらしい少年を見るように穏やかな表情を浮かべ、皇帝(カイザー)もまた、何度も満足げに頷いて下さった。

 

 

     ◇

 

 

 茶宴が終わり、特別司令部へと来た時と同じく箱型馬車で送り返された私は、恍惚の表情のままベッドに横たわる。まどろみの中、机の上に寝かされたキッテル家の剣が、月明かりに反射して煌めいていた。

 

 


訳註

◆1:今日のフルートの前身となった横笛。

 

*1
 一九二〇年時点での我が父、エドヴァルド・フォン・キッテルは御歳五〇歳であり、歩兵中将として精力的に軍務に励まれていた。

*2
 勲章制定に当たって、制定者が自ら佩用することは慣例として認められるが、古プロシャ大王はフュア・メリット勲章に対して、そうした名誉・儀礼的措置の一切を禁じた。

 今日に至るまで、この勲章は古プロシャ大王の遺言に従い、皇・王族に対する儀礼的授与や皇帝への没後授与も含めた一切の例外(戦功以外での授与)が認められていない。また、仮に時のプロシャ王が自ら佩用したとしても、死後功労に値しなければ剥奪することも遺言に遺されている。

*3
 騎士勲章を授与された者は騎士団の団員となる為、そちらで勲章授与と騎士叙任式が行われる。




 この作品で会食時の元帥たちのお名前が載らない理由は、実名出すと色んな所から怒られちゃうからだね、仕方ないね。(但しこれでも相当マイルドな描写だったりします。現実? 言葉のスターリングラードから始まって、リアルファイトのゴングが鳴りかけたよ?)

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【勲章】
 プールルメリット→フュア・メリット勲章
【人物名】
 小モルトケ→小モルトーケ

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