キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2021/1/19誤字修正。
 TOMO_dottyさま、水上 風月さま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!


18 宝剣の返上-父上との和解

 宮中での叙勲式から一夜明けた後、私はキッテル家の剣を父上に返上すべく、帝国北東部行きの列車へと乗り込んだ。

 私は此度のフュア・メリット勲章と、帝国軍総帥から賜った黄金柏剣ダイヤモンド付白金十字の特典として、一二月一日にシャルロブルク軍大学へ入校するまでの間は恩賜休暇を賜る事と相成った訳だが、今の私は一等車で航空省人事局と宣伝局、そして民間記者の三方からの質問攻めに応対しつつ、撮影会を行わなくてはならなくなっていた。

 

 今まで私が休暇の類を全くと言って良い程使用しなかった為、どうせ今回も仕事漬けだろうと考えたフォン・エップ少将が、航空省人事局や宣伝局に何時でも大丈夫だと言ってしまったが為に起きた結果だったが、これははっきり言って私が悪い。

 今の今まで休めと命令されても強引に働き続けていた男が、今回に限って休ませろというのだ。既に各部署に許可を出している手前、ここで断ってフォン・エップ少将の顔に泥を塗る真似は部下としても人間としても許されまいと、私は仕事を引き受けた。

 

 しかし、航空省人事局や宣伝局もそうであるが、この時の彼らが真っ先に話題としたのが、私とヴィクトル・ルイス王太子妃が、士官候補生と皇女であった頃の祝賀夜舞踏会での一幕だったことには流石に閉口した。

 これが宮中の者達からのものだけなら恍ける事も出来たのだが、士官候補生時代の頃で語った通り、この話は私が最多撃墜王として世に出た時点で、ルイス王太子妃が大変楽しげにお話しされていたという事であったので、逃げる事は不可能だったのだ。

 ルイス王太子妃にしてみれば、祖国が誇る英雄への話題作り──王家がささやかな娯楽を国民に提供する為、思い出を語るのは珍しい事ではない──もあるだろうが、私が『空の騎兵』として喧伝されていた事が耳に届き、昔を懐かしまれて必要以上に多く語られたのだろう。

 

 あの頃の私とルイス王太子妃はどちらも十代。まだ顔立ちに幼さを残した男女による、騎士と王女の織り成す宮廷的至純愛(ミンネ)にも似た蜜月のひと時というものは、あらゆる出版関係者が飛びついて止まない垂涎もののネタだというのは分かる。

 私としては当時を思い返すだけで大変気恥ずかしく、またルイス王太子妃はかつての頃より一層お美しくなられた事を、新聞を通して知っていただけに、かつての恋心が燻りかけた。

 しかし、あの一夜は最早彼方に過ぎ去った日だ。今は遠く、振り返って懐かしむだけのものに過ぎないからこそ、ルイス王太子妃はイルドア王国と帝国国民への話題として取り上げたのだろう。

 私のルイス王太子妃への想いは、あの時限りのもの。一夜の逢瀬と一夜の舞踏、そして一夜の別れこそが全てであり、今となっては胸に仕舞うべき思い出ですらない。

 私達の恋は、もう自らの胸を焦がすものでなく、人に楽しまれる『物語』となったのだ。

 それを思えば、私はようやく、本当の意味で初恋を終わらせる事が出来たのかもしれない。こうしてこの日まで、ルイス王太子妃の記事を追い続けていたのは、きっと未練からだったのだ。

 ならば、私はそれを断ち切ろうと記者たちに出来る限り面白く、けれど事実からは逸脱せず、ルイス王太子妃のお言葉とも食い違わないよう気遣いながら話す事にした。

 

 記者の質問の中には──おそらくは何処ぞの出版社が、娯楽性を高める為に過剰な記事を書いたのだろう──ルイス王太子妃が去り際に私に接吻されたのは本当なのか?

 いいや、お手をお許しになられたと伺ったなどと、まるで演劇か子女の好むラブロマンスのような内容のものも多く含まれていたが、流石にそのような事は畏れ多いと否定した。

 私はルイス王太子妃とメリー・ウィドゥ・ワルツを踊ったに過ぎない。甘く切ない、けれど若さと情熱に溢れたダンスを。

 かつての余韻に浸るように語れば、記者だけでなく航空省人事局や宣伝局も満足げに聞き入っていた。

 

 

     ◇

 

 

 かくして諸々の質問を語り終えた頃には、北東部まであと僅かな距離となっていた訳であるが、航空省人事局も宣伝局も、まだ私への仕事は残っているという。

 そちらに関しては、当時は帰りの列車でという話になったのだが、本著では冗長となる為、ここで語ってしまうとしよう。

 彼らの要望は、今後私が帝国のプロパガンダとして執り行われるニュース映画への出演日程の調整であり、またフュア・メリット勲章と黄金柏剣ダイヤモンド付白金十字授与に伴い、新たにブロマイド用の写真撮影の段取りの必要があるという*1

 宣伝局は私のブロマイドの売れ行きは大変好評であり、特に帝都の子女からはファンレターが溢れんばかりに届いていると持ち上げていたが、私には何もかもが初耳のことであった。

 

「これまで、手紙の返信はどうしていたのかね?」

「キッテル大尉殿は常にご多忙の身でありますからな。宣伝局で雇った下請けの者達に、『大尉殿の部下○○が、お忙しいキッテル空軍大尉殿に代わり、返信致します』と記載した上で、お礼の言葉とお伝えし得る限りの大尉殿の動向を記しておきました」

 

 それは少々誠意に欠けるのではないかと私は考えたが、送られてくる私信の数を聞いて、考えを改めざるを得なかった。しかし、自分に宛てて書いて頂いた手紙に目も通さないというのは気が引けるし、中には知己や戦友からの手紙もある筈である。

 私はひとまず、送られてくる私信に現役武官や故郷からのもの、そして亡くなられた戦友遺族のものがあれば、自分に送って欲しいと頼む事とした。

 

 肝心のブロマイドに関してだが、後に話が大きく変わり、当時としては映画や売れ筋の舞台女優でさえ珍しい、写真集として販売される事となった。

 宣伝局はこれまでの売れ行きから行けるだろうと豪語していたが、間違いなく冒険だった筈であるし、経費もかなりの額に上ったので、失敗すれば何人かは確実に首が飛んだであろう事は当時でも想像に難くなかった。

 写真集の表紙にはカラー写真(オートクローム)による近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)の礼装を纏う私がゾフォルトと共に掲載されたが、機体の両翼には青のマルタ十字がマーキングされ、尾翼部分には私の魔導師、戦闘機、偵察機を合わせた合計撃墜数たる一五三の数字が堂々と記されていた。

 

 これ以外にも、私が垂直尾翼に五機撃墜を示す黄色い棒状マーク(バルケルン)を描いている図や、若手パイロットに指導したり、同僚とのチェスを楽しむ最中のもの。飛行帽とゴーグルを着けた犬と戯れているものなどが写真集に掲載されたが、これらは実際にやっていたのではなく、全て打ち合わせの上で撮影しただけだ。

 この宣伝局のイメージ戦略の効果は絶大で、写真集を確認した若者は挙って空軍に入隊希望届を出し、是非撮影に使用されたゾフォルトを見たいという者も多く出たが、撮影に使用したのは外側だけを似せた張りぼてに過ぎない。

 機密保持の点から、どうしても実物を使う許可が下りなかったのだ。

 

 ただ、この写真集は反響が大きかっただけに、誤解と空軍内の悪弊も多く招いた。両主翼のマルタ十字に関しては、後に私のシンボルマークとして正式に採用されたのであながち嘘ではないが、撃墜数や棒状マーク(バルケルン)に関しては──整備員や戦友が勝手にやった事は多くあるが──私は過去にも未来にも、一度として自分からマーキングはしなかった。

 撃墜スコアは軍がカウントしてくれている以上、わざわざ自分で機体に描く必要は無いという理由からである。しかし、これが多くのパイロットの流行りとなった。

 

 若手パイロット達は自分達が使用する機体に撃墜数を載せたがり、空の上で悪目立ちするようになったのだ。

 これは味方だけでなく、敵にも見えた事なのでお相子と言えばそうなのかもしれないが、それにしても当時の私は、実力が見合わない内から、そんな真似をして敵に狙われたらどうするのだ、と内心ハラハラしたものである。

 そして、若手パイロット達は尾翼に何もない私の機体を見ると「もう撃墜数は描かれないのですか?」と問うのが定番となった。

 そんな面倒な事をやる暇があったら、一秒でも長く飛んでいるよ。と言いたくなったが、若者の夢を壊すのも気が引けたので、こういう時、私はいつも同じ言い訳をしていた。

 

「これ以上描くと、尾翼からはみ出てしまうからね」と。

 

 皆は私の言葉を、疑いもせず瞳を輝かせた。

 

 

     ◇

 

 

 ニュース映画の方はというと、こちらは私個人や軍の宣伝というよりも、航空学校の入学希望者を増やしたいという要望からの制作だった。

 校内で食べられる三食は現役パイロット同様、カロリー消費を考慮して優遇しており、生徒らが美味しそうに食事を頬張る姿や、熱心に勉学に励み、飛行訓練に勤しむ姿が撮影された。

 

 私に与えられた役割は、空軍開設に至るまでのファメルーンでの体験談を語る──この映画は、当時としては映画大国である合州国でも革新的な発声映画(トーキー)の走りだった──事だった。

 私はまず、航空隊員達の身に降りかかる敵魔導師の脅威や、自分達が生き残るための過酷な訓練──読者諸氏は初期の頃は私が訓練を強要したものとご存知だろうが、この映画では初めから自主的なものであった事にした──の果てに、ようやく帝国魔導師と共に戦えるようになったこと。

 そして、偉大なるマルクル中佐の英姿を特に熱心に語り、中佐が如何に高潔な英雄であったか。その最期の一瞬までを克明に説明した上で、中佐が我々に遺してくれた最高の芸術たるイメール・ターンを、私自身が披露して映画の幕を下ろすという物だった。

 

 私の撃墜記録や相次いだ叙勲のせいで、マルクル中佐が帝国内で語られることは少なくなったが、私はこれを機に、僅かにでも中佐の事を国民が思い出して欲しいと考えていた。しかしこの映画は、そんな私の予想を遥かに超える大反響を呼んだ。

 映画の公開後は国内のマルクル中佐の墓地が帝国中からの献花で溢れ、中佐の故郷には慰霊碑と銅像が建った。

 更には、これまでマルクル中佐の事などすっかり忘れていただろう上層部から、後に私も改定に携わった航空部隊編制の際、『第一戦闘航空団はイメール・マルクルの名を冠するべし』との通達を受けた際には、私も苦笑いが止まらなかったものである。

 これは他の航空団でも同様の措置が取られ、航空団の名はファメルーンで散った英霊達の名で構成される事となった。

 

 

     ◇

 

 

 列車の到着が知らされると、私はキッテル家の剣を納めた紫檀のケースを手に、駅から実家まで馬車で送って貰う事とした。

 記者に関しては既に記事のネタを聞いた為、一足先に帝都へと引き返し、航空省人事局と宣伝局は私が戻るまで駅で待機するという。

 父上との離別から、一度として戻る事のなかった故郷であるが、富裕層が何台か自動車を持つようになった程度で、依然として幼い頃の情景そのままの長閑な景色が広がって見えた。

 道行く人々は、撮影のため着用したままの近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)の礼装を纏う私に帽子やハンカチを振り、子供たちは敬礼をしてくれたので、私は嬉しくなって答礼すると、彼らは実に見事な礼を示してくれた。

 

 そうして馬車に揺られつつ実家に戻る途中、私は幼い頃の親友である、エミールとアルフォンスにも再会した。どちらも家業を継ぐ道を選んだようで、一八からの二年間の兵役を立派に果たした後、エミールは靴屋に、アルフォンスは帽子屋になっていた。

 二人は店に寄る私を見るや平身低頭してしまったが、私が幼い頃のように肩を組み「どうしたガキ大将、随分良い子になったじゃないか」と笑うと、すっかり昔の調子を取り戻し、かつての頃のように笑い合った。

 とはいえ、私達ももう大人だ。私は貴族として彼らの上に立ち、彼らを庇護し支えねばならない地位にある以上、何もかもが昔のようには行かない。

 

「再会を嬉しく思う。そして、国家への献身に心から感謝を。貴君らこそ、帝国臣民の鑑だ」

 

 私の言葉には、先程とは違い壁があると二人は感じたかもしれない。しかし、貴族と市井の者が分け隔てなく笑い、時には感情を発露する事さえ許されるのは、戦友愛に結ばれた軍にあってさえ──無礼講として許されない限り──同じ階級にある者だけなのだ。

 

 上官として、貴族として許される笑いとは本来微笑みだけであり、怒りとは国家に仇なす敵と、無能であるが故、或いは背信故に組織を食い潰す寄生虫にのみ向けねばならない。

 たとえどれほど心の中で憎悪を叫ぼうと、どれほどの歓喜が胸の内を占めようとも、言の葉に乗せる時には、表情に出す際には、それを理性の中に押し込めた上で行うべきなのだ。

 勿論、それが難しい時もある。どうしようもなく苦しく、耐え切れなくなる事もあるだろう。果たせない時もあるだろう。貴族もまた人間である以上、それは致し方ない事かもしれない。

 しかし、それを耐えようとする心だけは忘れてはならない。貴族として世に生を享けた以上、私は常に彼らの模範たるべき人間として務めねばならないのだから。

 

「ニコは、立派になったな」

 

 私は別々の店で、別々の時間で、別々の友人から、けれど全く同じ言葉を受け取った。

 

「貴君らとの切磋琢磨があったればこそだ。さて、それではマイスター。注文を受けて頂けまいか。何を驚くのかね? ここは店だろう?」

 

 私はエミールから長靴を、アルフォンスから軍帽を仕立てて貰う事とした。半年の後、二人共マイスターと称するに足る、見事な仕上がりの逸品を私の元へと届けてくれた。

 

 

     ◇

 

 

 かくしてささやかな寄り道の後に実家へと到着した私が、御者を待たせた上で我が家への門を潜ると、少々白髪の増えた最年長の家令は、私の帰宅を心から喜んでくれた。

 

「奥様! ニコおぼっちゃまがお戻りになられましたよ!」

 

 ただ、何時までも私を子供のように呼ぶのは気恥ずかしいので止めて欲しいものだとも内心思ったが、この家令にしてみれば私は孫も同然であり、私もまた祖父を写真や肖像画でしか知らぬ身故、彼を(じい)と呼んで慕っていたので、どちらもお相子ではあった。

 (じい)の知らせを受けて母上は階段を慌ただしく降りられると、勢いもそのままに私を抱擁してくれた。

 

「ニコ、良かった! もう戻って来ないものと思ったのよ?」

「父上が、私にお慈悲を賜り下さったのです。此度は、我が家の宝剣を返上すべく参った次第です」

「まぁ、それで」

 

 どうやら母上は、父上が私をお許しになられた事をご存知無かったそうである。エルマーや姉上からの手紙では、私が父上と仲違いした後、母上は父上に涙ながらに懇願したものの、終ぞお許し頂けなかったとの事で、その後もエルマーや姉上を通じて父上に働きかけて頂いていたらしい。

 

「母上、私は親不孝な息子でありました。父上の期待を裏切ったばかりか、母上に涙を流させるような真似まで」

「良いのです。貴方はキッテル家の誰より、勇ましい武勲を立てました。此度の件は、少なくとも私はそれで不問とします。さぁ、執務室へ。お父様がお待ちですよ」

 

 幼い頃のように母上に招かれ、父上の執務室へと辿り着く。常日頃より多忙な軍務故に家を空けることの多い父上が執務室にいるのは、私が直ちに剣を返上するだろうと予期しての事に違いない。案の定、父上はお許しを得て入室する私に対し、待っていたと切り出してきた。

 

「仕事を控える身故、手短に済ませよ」

 

 これが私を嫌っての事でなく、本当に多忙なのだという事は、父上の仕事ぶりを同僚から聞かされてきた私は十分理解していた。常人であればひと月と持たず倒れる仕事を抱えながら、父上は弱音一つ吐かず、日夜精力的に取り組んでおいでなのだと。

 私は紫檀のケースから取り出した宝剣を恭しく差し出すと、父上は鞘から剣身を抜き、新たに付された土地を目で追った。

 

「ニコラウスよ、お前の罪は敢えて口にするまでもあるまい。お前がどれだけ、多くの人間に迷惑を被らせた上で栄光を得たか、お前自身が最もよく知る身であろう。

 だが、お前がその罪を雪ぐだけの働きをした事もまた、動かぬ事実である」

 

 父上は静かに剣を鞘に収め、壁へとかけた。そして、ゆっくりと私に振り向く。

 

「この場で我が父に、お前の祖父に詫びよ。お前の罪、お前の不純を。それを以て、私はお前を真の意味で赦すとしよう」

「はい。父上」

 

 私は跪き、祖父の肖像に、その魂に対して謝罪した。国家の為でなく、己が夢の為に空を目指したこと。多くの期待を裏切り、母上と姉上、エルマーをはじめとした多くに迷惑をかけ続けたこと。

 数え上げればきりのない謝罪を父上はじっと、私のそれが心からの物であるのかを、耳を澄ませて検分していたが、全てが終わった後は、私を優しく抱擁してくれた。

 

「私も、父上に詫びよう。お前が手にした栄誉を、無残にも引き剥がした事を。お前を我が家から突き放した事を。お前に、多くの痛みを与えた事を」

「いいえ、父上は何も間違ってはおりません」

「いいや、間違いなのだ。どのような動機であれ、お前の行動は軍規に悖るものではなかった。私がキッテル家の名を傷つけまいという保身から、お前を責め立てたのだ」

「家の名に泥を塗るような長男を、お怒りになるのは当然の事です」

 

 父上は譲らなかった。私も譲らなかった。ああ、全くもって何と似たもの親子であろう。母上が参られ、どちらもお止しなさいと言われるまで、私と父上は己を責め続けた。

 

*1
 当時、白金十字以上の勲章受章者は、ポストカードなどに写真を印刷して販売されていた。




 帝国軍は有給休暇取り放題のホワイトな職場(なお職務態度と成績次第の模様)を自主的にブラックにしていく主人公のスタイルは、父親譲りだったようです
(なおこのワーカーホリック一族が過労で死んだことは一度もない模様)

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