キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2021/2/14誤字修正。
 みえるさま、水上 風月さま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!


22 赤小屋への出頭-参謀総長の真意

“『ターニャ・デグレチャフ魔導少尉。救援到着まで敵魔導中隊を拘束。満身創痍となりながらも撃破確実四、不明二の赫々たる戦果を挙げ、敵部隊の戦線突破を阻止した功を友軍への多大な貢献と認められ、銀翼突撃章を受章。「白銀」の二つ名を拝命す』か”

 

 軍事公報を目で追いながら、私はフェアリー〇八改め、デグレチャフ少尉が無事快復した事に心から安堵した。

 デグレチャフ少尉の銀翼突撃章受章に関しては、私は推薦人となる事も出来たがそれをせず、飽くまでゾフォルトの記録映像と戦域付近の遺体から確認し、人事局功績調査部の判断に委ねることとした。

 これは何も、年端もない少女に勲功を与え、英雄に祭り上げるのを嫌ったという訳ではない。私が過去にも、そして今現在さえ撃墜スコアを他人に譲ってばかりいるので、私が推薦人になっては、却って信憑性が薄まってしまうと危惧したからだ。

 

 人事局としては、私にもデグレチャフ少尉を救出した功で銀翼突撃章の柏付──同勲章を複数回授与された際は、柏が付く規定となっている──を贈りたかったようだが、流石にあからさまな話題作りの為に名誉ある勲章を頂くのは、過去に同じ勲章を受章された偉大な先人達に失礼であるので、今回ばかりは固辞した。

 何よりここで無理に柏付きを貰わずとも、私は既に空と言わず陸と言わず友軍の救援には心血を注いでおり、既に複数部隊から柏付銀翼突撃章の推薦を得ている為、話題作りに乗る必要はなかったというのもある。

 

 それにしても、と。私は軍事公報の記事に再度目を通した。幼年学校には通わず、八歳という皇族でさえ前例のない最年少での士官学校合格を果たし、飛び級を重ね僅か一年で次席卒業。

 エルマーにも匹敵するのではないかというデグレチャフ少尉の天才ぶりには、私も目を皿のように丸くしたものである。

 

“その才が、軍以外で使われてくれれば”

 

 そんな、軍人としては恥ずべき考えが脳裏に浮かんでしまうのは、やはりデグレチャフ少尉が、私に死にたくないと縋ったからか。いや、これが大人の士官であれば、間違いなく私はこんな事を考えなかったろう。

 死にたくないのは、誰だとて同じだ。将校となるべく志願し、覚悟を持って軍衣に袖を通した以上、いつか死ぬその時まで戦うか、嫌ならば除隊しろと冷たく突き放したに違いない。

 全くもって酷いえこ贔屓だとは、私自身自覚している。大人か子供か。違いはただ一つだけで、デグレチャフ少尉以外にも少年兵は居るというのに。

 

「中佐殿、到着致しました」

「ご苦労」

 

 私は運転兵に礼を述べ、軍帽を被って将校鞄を手に、赤小屋へと歩を進めた。赤小屋などという愛称は口にすれば可愛いものの、重厚な赤煉瓦造りの中央参謀本部は、正しく帝国の中枢にして頭脳と呼ぶに相応しい威圧感を見る者に与えていた。

 

「重役出勤かね? 中佐」

「遅参をお詫び致します、閣下」

 

 冗談だという事は分かっているが、この場では人目がある上に厳格な空気がのしかかっている為、私は謝罪と共に敬礼する。

 

「いや、時間通りだ。行くぞ」

「はっ」

 

 私は進級理由に心当たりがないまま、突如ノルデンで中佐への進級と帝都への帰還を命じられた訳だが──そもそも私は総司令部付の為、前線で飛んだこと自体問題なのだが、そこは緊急時故に不問にされた──ベルンに到着して早々、レガドニア協商連合の越境侵犯の直前に進級されたフォン・エップ中将から直々に、迎えを寄越すので赤小屋に出頭するよう言われて得心した。

 要するにこれからフォン・エップ中将の副官として、また辛労を少しでも和らげる為に、矢面に立ってくれという事なのだろう。案の定フォン・エップ中将は、私に打ち合わせも同然の愚痴を零して来た。

 

「参謀長方が、周辺国に動きがないのを良い事に『大規模攻勢に出るべきだ』などと中央に提言しおった。赤小屋の参謀連にも、同調する声は多い」

 

 正気の沙汰ではないな、という私の内心は間違いなくフォン・エップ中将も同じだっただろう。

 プラン三一五は、四方を列強に囲まれた帝国の地政学に基づき構築された内戦戦略であり、どのタイミング、どの国家からの奇襲を受けようとも即応可能な鉄道輸送網であるが、仮にここで大規模攻勢などに出てしまえば、間違いなく乱れのないダイヤに支障をきたすどころか、帝国防衛網の崩壊さえ招く恐れがある。

 

「連中の飾緒が、豚の紐飾りに見えたら終わりだぞ。この国に未来がないと思うのと同義だ」

 

 普段ならば慎重な所があるだけに声を押し殺して、それも決して他軍種の前では罵詈雑言など口になさらないフォン・エップ中将が、ここまでの怒りを顕にしている時点で大凡の事情は察せられた。つまりは私のような、帝国の頭脳とは比べるべくもない凡庸な人間さえ、顔を顰めざるを得ない状況という事だ。

 だが、フォン・エップ中将がこれ程までお怒りであるのは、参謀長方の妄言だけが理由でない事は、私にも容易に察せられた。

 

“空軍の長たる閣下が、中央参謀本部に『出頭』せねばならないともなればな”

 

 如何に中央参謀本部が帝国の枢要を担う、陸軍省から独立した最高機関であっても、陸軍全体でみれば、あくまで一機関に過ぎない。既にして空軍は国家航空省が置かれ、指導部が存在し、参謀をはじめ多くの頭脳が存在している。何もかもが陸軍任せだった頃は、とうの昔の話なのだ。

 

 だが、陸軍は未だその認識が無いのだろう。或いは過去の会食で海軍元帥が不平を漏らされたように、空軍もまた外局かそれ以下の扱いというだけの事かもしれない。

 如何に中央参謀本部が戦争指導を担うとはいえ、本来であれば陸海がそうであるように、他の軍種とは最高統帥府内での合議によって戦略を固め、それを元に中央参謀本部が統帥府に戦争ないし国防計画を帷幄(いあく)上奏するものである。

 空軍総司令の副官たる私のみを通すならばいざ知らず、曲がりなりにも総司令官たるフォン・エップ中将にまで出頭を要請するのは、我々空軍は統帥府内での合議には値せず『この程度の場』での調整で十分と考えているのが、透けて見えてしまっていた。

 

 そして、そこまで分かっていながら、出頭要請を呑まねばならなかったフォン・エップ中将のお立場は察するに余りある。

 陸海空三軍の中において空軍は他の軍と比べ、その規模は余りに脆弱だ。仮にフォン・エップ中将が空軍の名誉を守る為、意地を見せたとしよう。空軍内での若手の士気は上がるかもしれないが、陸軍は間違いなく圧力をかけてくる。

 陸路での補給を滞らせたり、人員輸送を後回しにするのは可愛いもので、本来基地防衛に必要な人員さえ手を引くやもしれない。

 面子の為だけに友軍を窮地に陥れるのかと思われるやもしれないが、陸主海従という言葉が帝国軍に知れて久しい通り、どちらが上かを徹底的に分からせようとしてくるのは確かだろう。

 

 フォン・エップ中将を始め、陸軍から出向した時点で首輪を繋がれた人材は、陸軍の手口を嫌というほど理解している者達だ。

 他国の目からは、或いは軍というものの内部を知らない市井の人間には、三軍は一枚岩に映るのかもしれないが、その内情はドロドロとした政の世界と大差はない。

 政治と違いがあるとすれば、こうした後方の考えとは異なり、助け合わねば生き残れないという意識が前線将兵に戦友愛と紐帯精神を培い、所属の違いなど些事同然と笑い飛ばせる柔軟さを有していた事か。

 

 後方で悪い上官に唆され、現場で他軍の将兵と諍いを起こす者も居ない訳ではないが、そうした手合いは長生きできないから止めろと周囲が忠告する。それでも相互依存の精神を養えず、変わらない馬鹿ならば、早々に泥の棺桶に足を突っ込む羽目になるのが定番だ。

 だが、ここは飽くまで前線でなく後方。互いが互いを影で嘲り、唾棄し、自軍が上に立とうという野心と支配欲渦巻く伏魔殿の一角なのだ。

 そして、今や私は帝国陸軍の近衛槍騎兵でなく、空軍将校にして忠誠を尽くすべきフォン・エップ中将の副官でもある。

 上官への忠誠は帝国軍にとって絶対の掟である以上、私は何事があろうともフォン・エップ中将の側に立たねばならぬ。

 

「閣下。小官は副官として、断固として空軍の意を表する覚悟は出来ております」

「すまんな」

 

 短く謝罪されるフォン・エップ中将に、私は「勿体無い言葉です」と返した。元は陸軍からの転籍であろうと、フォン・エップ中将は空軍に決して欠けてはならない才覚を有しておられる。こんなところで不興を買い、後に響いてしまうような事があっては決してならない。

 押し付けられたものであったとしても、フォン・エップ中将の為に嫌われ役を務めよと言われれば、私は喜んで引き受けよう。

 

 

     ◇

 

 

「エップ空軍総司令、キッテル参謀中佐、入ります!」

 

 ノックと共に中央参謀本部第一部(戦略)会議室に入室する。目に眩しいほどの明かりで溢れた空間は、同時に紫煙が充満しており、喫煙者である私でさえ少々目に痛いので換気を推奨したくなった。

 

「ご苦労、楽にしたまえ」

 

 しかし、私達を促された小モルトーケ参謀総長は、葉巻や紙巻の類を銜えられてはいなかったし、灰皿に置かれてもいない。その眼光鋭い視線は、卓上に広げられた地図に描かれた戦場全体に注がれており、私達を一瞥さえしていなかった。

 

“なんという集中力だ”

 

 やはり小モルトーケ参謀総長は、他の者とは一桁も二桁も違っておられる。今、小モルトーケ参謀総長の意識は、私達には到底及びも付かない深遠無辺の世界にあるのだろう。

 だからこそ、私は思わずにはいられなかった。

 

 それに引き換え、と。

 

「参謀総長。私はやはり、戦力の逐次投入は避けるべき愚と提言致します。今こそ大規模攻勢によって、敵を完膚なきまでに追い込むべき好機であると考えます」

「小官も参謀長に賛同致します。我々帝国軍は、ようやく国防の地政学的課題を解決する機会を得るに至ったのです」

 

 協商連合さえ潰せれば、ノルデンでの国境問題は片が付く。少なくとも事が成功した暁には、他戦線での防衛線を厚くする事が可能だというのは、成程、中央大陸の実質的中心地に位置する国土故に、四方を潜在的敵国に囲まれている帝国にしてみれば、魅力的な提案ではあるのだろう。

 全てが大規模攻勢の『成功』を『前提』としたものである、という点に目を瞑ればだが。

 

 一方、こうした攻勢意見に対し、反対意見がない訳ではない。

 フォン・ゼートゥーア、フォン・ルーデルドルフ両准将は、大規模攻勢はプラン三一五の前提基盤を破壊するばかりか、戦略的にも無意味であると語る。

 曰く、帝国軍は現状況下において既に敵野戦軍を殲滅している。この上で防衛線の崩壊さえ招くリスクを孕んでまで、敵への追撃に兵力を投入する意味などあるのか? と。

 

 立場を弁えず口に出来るならば「無い」と断言してやるところだ。目先の勝利に目が眩む余り、博打に貴重な財産を注ぎ込むなど冗談ではない。それも、失えば家が傾くような金額をとなれば尚更にだ。

 私は攻勢を主張するルートヴィヒ中将(参謀長)以下の幕僚と、赤小屋の参謀連を内心唾棄しつつも、少なくとも小モルトーケ参謀総長以外に良識と知性を保っていた優秀な軍人が居てくれた事に心から感謝した。

 

 しかし、同時に中央参謀本部という組織に対しては疑心が生まれた瞬間でもある。大モルトーケ伯の手で育てられ、完成した帝国軍の『叡智の殿堂』。我が祖国が誇る、究極の頭脳集団からなる『実務の館』。

 私が頭の中で築き上げてきたそうした『盲信』は、今この時を以て瓦解した。偉大なる小モルトーケ参謀総長や優秀な参謀個人としてはともかく、少なくとも組織としての中央参謀本部は、決して全てを委ねるに足る全能の存在などではなかったのだと落胆したものである。

 しかし、そんな私の思いなど知る由もなく、ルートヴィヒ中将は私とフォン・エップ中将に水を向けてきた。

 

「空軍の意見を訊きたい。地上軍の大攻勢と勇猛なる諸君らの活躍があれば、間違いなく協商連合は膝を屈する。係争地の確保や賠償金ばかりではない。協商連合の中核州さえ、掴む事は夢ではないぞ?」

 

 嗚呼、なんと魅力的な提案であろう事か。ルートヴィヒ中将は自分達の側に付けと仰りたいのだろう。勝ちに浮かれ、驕り、その傲慢さ故に寝首を掻かれた愚将の例は枚挙に暇はないが、これ程までの増上慢を見せられては、怒りよりも呆れが先に来てしまった。

 

「おそれながら中将閣下、空軍は大攻勢に反対致します」

 

 水を向けたルートヴィヒ中将はフォン・エップ中将からでなく、一佐官から述べられた反対意見が殊更腹に据えかねたのだろう。鼻を鳴らしつつ私を視界から外し、フォン・エップ中将を見据えたが、私は更に横合いから口を挟んだ。

 

「エップ総司令閣下も同様であります。小官は閣下の声として、空軍の総意を述べているに過ぎません」

 

 副官としても階級としても過ぎた発言であるが、元より弾除けないし、海軍で言う被害担当艦として矢面に立つ為の進級と出頭である。

 ことが終われば中央参謀本部の面子を保つ為、懲罰人事として最前線に配置されるだろうが、私にしてみれば最前線は帰るべき場所であって懲罰でも何でもない。

 初めからそのつもりで私を副官に宛がったのだから、フォン・エップ中将も人が悪いものである。

 或いはルートヴィヒ中将もそれを見越して、前線から離れた僻地辺りに私を飛ばせと空軍の人事に口を挟んでくる可能性もあったが、それならそれで別の手がある。具体的には、後に矛を交えるであろうダキアに私を飛ばすのだ。

 退路が確保されている以上、私に恐れ、萎縮する理由など何処にもない。胸に去来した反感と憤怒は、この際フォン・エップ中将の分まで吐き出してしまう事にした。

 

「では中佐。貴様の、いや、空軍の反対する根拠はなんだ?」

「はい、閣下。現在我が軍は再編成が間に合わず、敵航空戦力に対し寡兵で防衛空域を確保している状況が続いております。その上での大規模攻勢など、現実的とは申せません」

 

 私は北方戦線(ノルデン方面)での各基地の配備数を示す記録簿を提出した。売却された旧型機と導入された新型機の落差は著しいもので、同時にその数字は、ルートヴィヒ中将を激高させるばかりか、この会議室の参謀らを絶句させるには十分過ぎる数字だった。

 年間での配備数は予算案の提出と軍事計画の作成上、事前に陸海軍に送ってはいたのだが、どうやら工場の稼働率が想定以上に悪かったようである……というのは嘘だ。

 実際には前年度に工場稼働率を水増しして提示し、あたかも今年の配備数が『偶然』間に合わなかったかのように見せているに過ぎない。

 そうでもしなければ、到底軍を名乗るには数が足りなかったからだ。案の定、ルートヴィヒ中将もそこを突いて来た。

 

「貴様らこんな数で軍を名乗っておるのか!? いや、待て! それなら今日までの戦果はなんだ!? まさか貴様一人で半数以上平らげたとでも言う気か!?」

 

 語気荒く怒号するルートヴィヒ中将は、数字を誤魔化しての提示だと考えたのだろう。その考えは正しくもあり、間違いでもある。まず、数字に関しては飽くまでノルデン方面の各基地の配備数であって、全体のそれではない。単にノルデンの配備数が他と比べ、圧倒的に少ないだけだ。

 しかし、戦果に関しては紛う事なき事実でもある。私が食ったのは全体の五分の一もない。

 

「はい、いいえ閣下。空軍は一昨年から大規模な軍用機更新に踏み切り、昨年から再編成を計画しておりました。我々の編成計画は最低でも三年の時間を要するものでしたが、これは各国でも同様の期間を要するものである為、問題視されていませんでした。

 現在、空軍が敵航空兵力を圧倒しているのは、エルマー技術少将閣下(一九二三年、一月進級)のもたらした、圧倒的性能差があったればこそなのです」

「何故旧型機を残さなかった! 用兵以前の基本を忘れたか!」

 

 士官学校や軍大学では、ナイフとフォークの使い方しか学ばなかったのかとルートヴィヒ中将は口角泡を飛ばしたが、私は柳に風とばかりに返した。

 

「航空兵力は魔導師と異なり、飛行には燃料を必要とします。加え、航空機の製造は演算宝珠ほどでないにせよ予算を要し、人件費を含めた維持・整備にかかるコストも莫大*1なものであります。価値ある内に旧型機を手放さねば、予定している編成計画の目標数に達する事は、至難を極めたでしょう」

 

 実際には空軍の予算は潤沢であり、しかも新型機の開発に当たって付き纏う技術者の試行錯誤に伴う実験を含む研究費は、エルマーという発案即実用可能な天才技師のおかげで、大幅という言葉でさえ可愛く思えるほどのコスト削減が為されている。

 ゾフォルトのような中型(双発)爆撃機に匹敵する高級機を持ち得ながらも、その気になれば航空省主導で工場を増設する事は十分可能だったが、それを口にしてやる理由はない。飛行機を作るばかりが、金の使い道ではないのだ。

 

「そして、戦いにおいて数が必要であるという意見につきましては、小官も賛同致します。しかし、小官のような一部のパイロットを除けば、帝国と他国との錬度に差はありません。いえ、我々帝国軍よりもいち早く航空機の価値に気付いた他国にこそ、一日の長があります。

 仮に旧型機で出撃させれば、これ程までの戦果を我が軍が得る事は叶わなかったでしょう。これまで育ててきた、貴重な搭乗員達を徒に消費するばかりであったと確信を持って申し上げます」

 

 これも嘘だ。帝国空軍の錬度は、たとえ同性能の機体であっても、他の列強国に対して十分以上の戦果を挙げる事は可能だろう。ルートヴィヒ中将の言通り、やはり数という埋めがたい差により、この程度の戦果しか出せていないという事実には歯痒ささえ感じている。

 寡兵で敵大軍を破るという構図は、国民や戦友を湧かせるには良いかもしれないが、やはりこちらの被害が皆無という訳ではない以上、もどかしさはどうしても拭えない。

 

“それでも、『今後』を考えればこれ以上北方戦線に回してもやれん”

 

 前線の戦友達には悪いが、今しばらくは耐えて貰わなくてはならない。何故ならば、我々帝国と協商連合との終戦を望まない国々(ものたち)がいるからだ。

 

「話は分かった。空軍の立場もな」

 

 もう帰れとルートヴィヒ中将は言いたいのだろう。言うべき事は言った以上、こちらとしては留まる必要はない。後はフォン・エップ中将が私に最前線行きを命じれば、全てが丸く収まる筈だ。しかし、ここで待ったをかけた者が居た。誰あろう、小モルトーケ参謀総長である。

 

「中佐。エップ空軍総司令の声として、私の質問を代弁したまえ」

 

 これまで一言も喋ることなく、静観に徹していた小モルトーケ参謀総長からの言葉であっただけに、皆一斉に意識を参謀総長へと向けた。先程まで興奮冷めやらぬ状態であったルートヴィヒ中将さえ、息を呑んで言葉を待っている。

 

「はい、閣下。何なりと」

 

 内心張り裂けそうな程鼓動が響く心臓を抑えながら、私は平静に努めて応えた。

 

「空軍が攻勢をかけられない事情は理解した。では、プラン三一五そのものについて意見はあるか?」

「プラン三一五は帝国が誇る防衛機構の芸術であり、より優れた防衛案を提示する事のないまま、これを崩す事は帝国の安全を脅かすものであると考えます」

「宜しい。では、重ねて問おう。プラン三一五を維持した上で帝国が勝利するには、どれ程の期間を要する?」

「協商連合の本心と致しましては、即時にでも和平交渉の席に着く用意があるでしょう。ノルデンに関しても、ロンディニウム条約で見せた妥協以上の領土を我々に提示し得るかと」

「その根拠は?」

「この戦争は、協商連合にとって初めから勝ち目のないものであります。帝国と比して彼らの軍事力、国力は脆弱と言えぬまでも、決して独力で乗り越えられるようなものではありません。

 敗戦の後に全てを失うのは必然。であれば、戦力を手元に残せる現段階で交渉の席に着けるならば、彼らとしても望外の幸福である筈です」

 

 ですが、と。ここで顎に手を当てていた小モルトーケ参謀総長に、私を含む空軍指導部が懸念し、合議していた事を告げる事にした。

 フォン・エップ中将の声という職責から、外れる事を自覚した上で。

 

「フランソワ共和国とアルビオン連合王国は、間違いなくそれを阻むでしょう。共和国は、仮想敵国たる我が国が勝利者となり、北方に安全圏を築く事を良しとはしません。北方の兵力が、そのまま自分達に向く事を、彼らは恐れて止まない筈です。

 そして、連合王国は長い歴史において、幾度となく中央大陸内での戦争に介入してきました。連合王国は我々が隣り合う者達と戦い、疲弊すればする程に、南方大陸を始めとする植民地確保を容易とするばかりか、自分達の国力をその間に増幅させる事が出来るのです。

 アルビオン連合王国は『日の沈まぬ国』を維持する為、何としても我々の肥大化を阻止しようとする筈です」

「つまり、現状仮想敵国が我々に攻勢を仕掛けない*2のは、まだその時ではないというだけであり、牙を研いで機を待っていると言いたいのだな、貴官は」

 

 エップ空軍総司令は、と言わない辺り見透かされているのだろう。いや、このお方は初めから何もかも理解されていた上で、私に質問されたに違いない。

 小モルトーケ参謀総長としては、当然プラン三一五を崩したくはなかっただろう。しかし、鶴の一声で全てを決しては、英知の結集たる中央参謀本部の気質から大いに逸れてしまう。

 かといって、現状大攻勢に反対しているのは、二名の准将を中心とした佐官ばかり。

 肩の星が多い者達が攻勢側に立っている以上、小モルトーケ参謀総長は我々空軍に反対の立場を取らせる事で釣り合いを取らせ、皆を納得させるに十分な意見が出たところで、そちらに誘導しようという腹積もりだったに違いない。

 

「はい、閣下。おそらくフランソワ共和国は、既にダキア大公国を引き込む手立てを整えている事でしょう。かの国は六〇万を擁する陸軍のみならず、二万近い航空兵力を有しております。()()()()()我々の防御を抜くに当たって、現状では最高の戦力と言えます」

 

 二万という数字に、誰しもが表に出さないまでも、内心息を呑んでいる事だろう。彼らの頭の中には当然情報部から送られてきた各国の兵力が刷り込まれているが、現実に敵対するとなれば、やはり動揺の色も見えてくる。

 地図の上に視線を這わせ、敵の予想進撃路と防衛網を計算。敵航空兵力が展開し、我々が迎撃に出た所までを想像した段階で、一斉に私とフォン・エップ中将に視線を寄越した。

 

 それの意味するところは一つ。お前達はどれだけ粘れるのか、だ。

 

 彼らの頭に、空軍(われわれ)が勝つイメージはない。現状の航空兵力と、私が語った二万の数字。そしてダキア方面の空軍基地の数は、彼らの脳裏に瞬時に残酷な計算式を立てるには十分だった筈だ。唯一人。小モルトーケ参謀総長を除いては。

 

「そこまで読んだ以上、手はあるのだろう。申せ」

 

 私はフォン・エップ中将を僅かに横目見た。この計画は我が空軍における秘中の秘であり、来るべきダキア戦までは、何者にも口外する事を許されない策だったからだ。

 先に語った通り、三軍は前線ではともかく、後方では陸が頂点に立って海空を従わせようという図式が成立してしまっている。

 空軍内でも陸軍に対する不満と不信の声は上がっており、計画発動前に仔細を打ち明けては、陸軍はこれが自分達の発案であったと統帥府に根を回し、手柄を掠め取るのではないかと危惧する者は多かった。

 それでも私が小モルトーケ参謀総長に必要以上に語ったのは、何としてでもプラン三一五の崩壊を阻止する為と、フランソワ共和国とダキア大公国に左右を挟まれた際は、ダキアに最優先で陸軍を送って貰う必要があったからである。

 しかし、私の本命はそこではない。

 

 仮に、いや、万が一にも有り得ないであろうし、こんな事は私とて考えたくはない。しかし、もし他の低俗なる陸軍高官同様、小モルトーケ参謀総長の胸に陸主他従の精神が根付いていたなら?

 ここで計画を打ち明けた結果、来るべきダキア戦役の功を奪われたとしても、私はそれはそれで構わないという考えであった。

 私にはまだ、他の空軍高官とは異なり、僅かながらにも陸軍には信頼を築く余地が有ると考えていたからである。

 中央参謀本部の内情には不信を抱いたとしても、少なくとも良識ある誠実な軍人が、他の手柄を自分のものとするような、破廉恥極まりない蛮行を止めてくれるだろうという、期待を抱ける程度には。

 だからこそ、ここが私にとっても、空軍にとっても分水嶺となる場面であった。

 小モルトーケ参謀総長さえ、陸軍高官に見られる支配欲に感化されてしまったとしたら……私は、否、空軍は陸軍と袂を分たねばなるまい。

 

 空軍は完全に、空軍独自として自主権ある軍を持つ。これまで陸軍に頼りきりだった地上兵力を自ら持ち、航空魔導師を裏で引き抜き、自分達で完全に独立した軍に切り替えるべきという、空軍内でも『急進的拡大派』と称すべき者達の主張に賛同し、これを推し進める事も現実に考慮せねばなるまい。

 私は再度、フォン・エップ中将に視線を投げた。言うべきだと。私はここで、彼らの本性を白日の下に晒すべきだと視線で訴えた。

 もしも空軍の全ての栄を奪い、誇りに唾を吐くような結果となれば、私は近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)の軍服を脱ぎ、徹底的に彼らと抗する道を取る。

 

 だが、もし我々の不信が杞憂であったなら、少なくとも小モルトーケ参謀総長がその偉大な才覚に相応しい、英雄たる高潔な精神を持ち合わせているのだとしたら。我々の側からも、彼ら陸軍に歩み寄る余地は十分に有る筈だ。

 或いはそれを機として、陸・空の間に横たわる亀裂の架け橋になり得るかもしれない。いがみ合い、憎み合うのでなく、皇帝(カイザー)の赤子として手を取り合い、支えあう未来もある筈だと。

 フォン・エップ中将は私の視線に対し、神妙に頷かれた。そして、ここから先は私の身に余ると判断したのだろう。フォン・エップ中将は私に声の役を降りさせた。

 

「参謀総長。我が空軍の作戦はダキア大公国に対して、確実な戦果をもたらすものと確信を持ってお伝え致します。少なくとも、ふた月(・・・)以内にダキア大公国の航空戦力を沈黙させる事を確約致します」

 

 随分と多めに見積もったものだと私は思う。周囲に配慮して、辛うじて現実的に可能であろう数字を提示したつもりなのだろうが、それが通用する程、小モルトーケ参謀総長は甘いお方ではない。

 

「エップ空軍総司令、正確な数字を出せ。何日でダキア空軍を落とす気でいた? 我々は一朝一夕で作戦案を練っている訳ではないのだ」

 

 正確であればあるほど。提示するのは早ければ早い程良い。そして、数字に嘘がなければ、それに見合う作戦を用意すると小モルトーケ参謀総長は豪語される。

 ここいらが潮か、と、この時私は他人事のように思った。元より空軍だけで戦争が終わる訳がない以上、どうあっても陸軍の手は借りねばならない。いや、今も昔も、戦場の主役は彼らなのだ。我々空軍はただ、戦争にかかる時間を縮めるだけだ。

 フォン・エップ中将は先程とは違い、空軍指導部が弾き出した正確な数字を示した。

 

「三〇日で、各前線及び後方の敵空軍基地を破壊し尽くす予定でありました」

「始めの二週間で、前線は片付くな?」

 

 ダキアの駐在武官や、情報部の報告に嘘がなければという前提の上であるが、フォン・エップ中将は首肯した。

 

「宜しい。私とて陸軍の専横は目に余ると感じていた。仔細を語れぬ空軍の気持ちは、よく分かる。我が叔父上の名と、中央参謀本部の名誉にかけて誓おう。我々中央参謀本部は、空軍の手柄を簒奪する事は決してしないとな。この場に居る全員が証人だ」

 

 そこまで言って、小モルトーケ参謀総長は全員をその鋭い眼光で射抜いた。ここまで自分に言わせておきながら、統帥府に良からぬ事を告げるような者は、よもや居るまいな? と。その視線に皆は唯々圧倒され、静かに頷く事で意を示した。

 

「皆、一時退席してくれ。エップ空軍総司令とキッテル中佐に話がある」

 

 高級参謀はダキア戦を想定した、空陸作戦の打ち合わせだと考えたのだろう。事務的な動作で書類を片手に退席した途端、小モルトーケ参謀総長はその自信溢れる顔つきを萎ませ、深いため息を漏らされた。

 

「エップ空軍総司令、キッテル中佐。此度の中央参謀本部への招集に対する非礼は私からお詫びしよう。次の機会には、必ず最高統帥府に二人の席を用意させて頂く。今回の事情に関しては、察して頂いていると思う」

 

 恥ずかしい限りだよ、と小モルトーケ参謀総長は零された。私達にしても、今日一日だけで中央参謀本部の事情は嫌と言うほど理解してしまった。何より、これ程まで御労しい小モルトーケ参謀総長の姿を前にして、なお陸軍や中央参謀本部に対する不満を吐き出せる程、私もフォン・エップ中将も厚顔では居られない。

 小モルトーケ参謀総長はもう一度私達に対し、誠実に謝罪して下さると、そのまま訥々と語り出された。

 

「昔は、こうではなかったのだよ?」

 

 前参謀総長たるシュリー伯とプラン三一五の計画案を練っていた頃。小モルトーケ参謀総長は、参謀次長としてシュリー伯の側に侍っていたという。

 

「あの頃の中央参謀本部は不夜城でね。シュリー伯は唯でさえ勤勉かつ自他共に厳しいお方だったから、皆気が抜けなかった。誰もが休みをくれ。一〇分でも良いから寝かせてくれと、内心悲鳴を上げていた。

 私も同じだった。私は叔父上とは違うのです。決してシュリー伯の片腕となれるような男ではないのですと、心中で弱音を吐き続けていたものだ」

 

 辛かった日々だ。しかし、栄光と活力に満ちた日々であったとも語られる。

 

「少なくとも、あの頃の中央参謀本部は、帝国の誰もが思い描く『叡智の殿堂』だった。シュリー伯は、どのような石でさえ美しく磨き上げられる方だった。伯の指導と仕事は厳しかったが、皆成長し続けていた。私とは違う、紛れもない叔父上の後継者だった」

 

 私には、才能が無かったのだと小モルトーケ参謀総長は零された。無論、私もフォン・エップ中将もそれを否定した。小モルトーケ参謀総長程のお方に才気が無いとするならば、この世の全ては木石のそれではないか。

 

「今の中央参謀本部を見て、それを言うのかね? 私は、シュリー伯のように皆を纏められなかった。いや、伸ばし続ける事が出来なかったと言うべきだろうな」

 

 才とは、能力とは劣化しないだけでは駄目なのだ。常に新しい物を吸収し、絶えず己を磨き続け、昨日より今日、今日より明日と飛翔を続ける事。それが出来ない軍ならば、間違いなく他国の餌となり国家を崩壊に導いてしまうだけだと語られる。

 

「ルートヴィヒ中将を見ただろう。彼の旗下に集った者達も。皆、シュリー伯が存命の頃は、赤小屋の門弟であった頃は才気溢れる者達だった。常に貪欲に知識を求め、国に尽くし、最善を模索し続けていた。

 だが、私が彼らを老いさせたのだ。この美しい、シュリー伯の芸術たるプラン三一五を壊せばどのような結果となるか、それさえ想像出来ん者達に……私は、自分が恥ずかしい」

 

 辞表を出す事さえ、小モルトーケ参謀総長は何度も考えたという。現に、皇帝(カイザー)にもそれとなく参謀総長の職を辞したいという意思を伝えられたとも。

 

「だが、陛下はそれを呑まれなかった。当然だな、私の他にはまだ誰も値する者が居らん。ルーデルドルフか、ゼートゥーアか。後任にはどちらかを据えたいが、現状ではどちらも肩の星が足りんと来ている」

 

 それでも、自分はまだ恵まれていると小モルトーケ参謀総長は語られた。自分が存命のうちに、次代の長たり得る者を二人も見出せたと。

 それは紛れもなく偶然の産物に過ぎないし、自分は彼らに何一つとして与えられるような知識を持たないが、それでも大モルトーケ伯とシュリー伯から継いだ、中央参謀本部を壊さずに済むと安堵していた。

 

「愚痴が長くなりすぎたな。外の者も、堪りかねて聞き耳を立てる頃合だ。エップ空軍総司令、これからは陸空の友誼を深める為、幾度かキッテル中佐を借りる事になるが、良いかな?」

「存分にお使い下さい。此奴めは、目を離せばすぐに空の上に逃げますからな」

 

 小官は、自分の仕事を投げ出した事は有りません。と苦言を呈したかったが、小モルトーケ参謀総長は聞く耳を持って下さらず、それは行かんぞと私をお叱りになられた。

 

「貴官は既にして十分に祖国に尽くし、最高位の戦功章さえ手にしたではないか。貴官の能力は、新たに空を飛ぶ若人の為にこそ使うべきだ」

 

 まこと仰る通りである。耳の痛い正論とはこの事か。しかし、表向き小モルトーケ参謀総長に粛々と頷きつつも、内心では決して地上勤務だけに(・・・)収まる気はないぞと反骨していた。私は空を飛ばねばならない。

 少なくとも、デグレチャフ少尉が平和な世界を謳歌出来るようになる、その日までは。

 

 

*1
 この点演算宝珠は、使用魔導師の月一の定期メンテナンスだけで問題なく使用できるという利点を有している。

*2
 ここでの仮想敵国とは、アルビオン連合王国とダキア大公国、そしてルーシー連邦を指す。

 フランソワ共和国はロンディニウム条約締結時に、帝国の膨張を抑えるための措置として、レガドニア協商連合と軍事同盟を締結しており、レガドニアと帝国との開戦時に、なし崩しに参戦していた。

 アルビオン連合王国が旗幟を鮮明にし、今日に知られる一大『連合軍(アライド・フォース)』の体を成したのは、ダキア大公国の参戦が決定してからである。

(訳註:連合軍[Allied forces]は俗称であり、正式名称は対帝国『同盟及び連合国[Allied and associated Powers]』である。同盟は中央大戦以前に軍事同盟を締結していた共和国-協商連合間を。連合は開戦後に帝国への宣戦布告を行ったダキアと連合王国を指す)




 主人公がモルヒネデブみたいなこと言い出しかけましたが(空軍が独自の地上戦力持つ云々)寸でのところで止まってくれました(……あっぶねぇ)

 ちなみに小モルトーケさんは、仮にプラン三一五以上の案があったとしても、「一度決めたことをコロコロ変えるな!」って史実通り突っぱねた筈ので、結果的に帝国にとってセーフだっただけだったりします。
 ていうか物語的には、それを見越しての小モルトーケさんの起用でした。
(書籍版1巻に名前だけだけど、大モルトーケさんが出てきてくれてたというのも起用理由ではありますが)

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【人物名】
 シュリーフェン伯爵→シュリー伯


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