キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/2/10誤字修正。
 赤土 かりゅさま、フラットラインさま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


24 ターニャの記録2-技術検証員として

 安全な後方で優雅に過ごしつつキャリアを積む。そんな私の目論見は、呆気なく崩れた。

 

“嫌だ、嫌だ! 流石にもう限界だ! 最前線の方がマシとかどうなっている!?”

 

 何故素直に鉄道部か、中央参謀本部勤務を選ばなかったのかと、私ことターニャ・デグレチャフは小一時間己を責めたくなった。過去に戻ってやり直せるなら、絶対にそれだけは選ぶんじゃないと、自分のこめかみにピストルを押し付けてでも止めただろう。

 総監部に新型演算宝珠のテスト要員として招かれた私は、それはもう地獄のような日々を送っていた。明らかに当時の技術限界を超えた、一万三〇〇〇という高高度を飛行して死にかけた日もあれば、爆発干渉術式を起動していないのに演算宝珠が起爆し、北方戦線での自爆さながらの大惨事の憂き目にあった事もざらだった。

 

“何もかも、この欠陥機のせいだ!”

 

 九五式試作演算宝珠。後の私の切り札*1たるエレニウム九五式の試作機であるこれは、エレニウム工廠とその主任技師、フォン・シューゲルが起死回生の一手として制作したものだ。

 宝珠核の四機同調によって複数術式の発動のみならず、基本性能面でもカタログスペックの上では絶大な性能を有していた。

 しかしだ。所詮カタログスペックはカタログスペックに過ぎない。現実には四機の宝珠核を積みながらも、従来の演算宝珠と変わらぬ小型化に成功した事によって、遊びは皆無で整備性は最悪。しかも四機の宝珠核を発動させるという事は、最低でも四倍の魔力という燃料を食う。現実に戦闘飛行を行うとすれば、間違いなく六倍の消費は固いだろう。

 

 その上聞いて驚き給え読者諸君! 何とこれには、意味もなくランダムでの自爆機能まで搭載済みだ!

 

 ……失敬。興奮しすぎたようだ。ともあれ、そんな代物であったから、私は何度もフォン・シューゲル主任技師に抗議した。私達魔導師が扱っているのは軍用品であって、一点物の高級車や、サーキット用のレーシングカーでは断じてないと。

 フォン・シューゲル主任技師は、全く取り合わなかった。主任技師の言い分は、「理論上は可能」「私の扱いが悪い」の一点張りだった。

 はっきり言わせて貰うが、こんなものはどんな撃墜王魔導師でも使いこなせない。私の夫が魔導適性を持って生まれ変わりでもすれば、万に一つの可能性はあったのかもしれないが、どの道軍用品としては最低最悪の部類であるという事実は変わらない。

 それでもフォン・シューゲル主任技師やエレニウム工廠の技師達が、この試作機を失敗と認めたがらないのは、フォン・シューゲル主任技師の航空機への対抗心もあるだろうが、最早エレニウム工廠に後がないからだ。

 

 航空機と魔導師の立場は逆転した。『戦闘機不要論』は過去の遺物と成り果て、誰もそれを口にしなくなって久しい。

 空の王冠は簒奪された。かつては木製の小鳥に過ぎなかった者達は今や鉄の荒鷲となり、パイロットは空の騎兵と謳われたが、それはフォン・キッテル参謀中佐の活躍や、その弟御の発明があってのものでもなく、必然であったように私は思う。

 魔導師というものは、どう足掻いても生身で空を飛ばねばならない存在だ。両手で抱えられる武装の量は限られており、空を高く飛べば飛ぶ程、速く進めば進む程、専用の術式が枷となる。

 酸素の供給。気圧変化への対応。増大する重力加速度の克服。戦闘に回せるリソースは少なくなるどころか、常駐式の多用で飛行そのものさえ覚束無くなって行く。

 

 対して、航空機は違う。魔導師という生身でなく、パイロットは航空機という外殻に守られている。エンジンも機関部も演算宝珠とは違い、圧倒的に大型化出来る。

 新しいものを次から次に詰め込める魔法の箱。魔導師が口にするような言葉ではないかもしれないが、航空機にはそれを実現出来るだけの素地が確かにあったと思うのだ。

 

 勿論、これは後から結果を知ってしまっている人間の戯言に過ぎないというのは分かっている。未来を知る者が、訳知り顔で過去を語るのは、実に烏滸がましい行為なのだろう。

 だが、それを受け入れられなかったのがフォン・シューゲル主任技師であり、エレニウム工廠だった。過去に航空技師が、魔導師打倒を胸に誓ったように。今はフォン・シューゲル主任技師が、航空機に勝利する事を望んでいた。

 より高く、より速く。航空機と戦える距離まで至る。航空機より速く進んで見せる。その妄執が、フォン・シューゲル主任技師とエレニウム工廠の凋落を招いた。

 高さ速さに拘泥し、それのみを求め続けた彼らは、自分達が何を作っているのかを忘れてしまった。

 

 彼らが戦おうとした相手は、最早彼らを見てはいない。大地に蠢く万の軍勢を焼き払い、あらゆる空の敵を撃墜する。魔導師も航空機も、最早今の『空軍』には特別な好敵手ではなく、戦果の一つとして数えられる、敵の一つに過ぎないのだ。

 魔導技師にとっては余りに残酷な現実を、彼らは決して認めなかった。空の王冠を簒奪者から奪い返す。いつの世も、常に魔導師こそが頂点に立つのだと信じて疑わない。

 その集大成こそが、四機同調という究極の無茶だ。不可能とされてきた複雑かつ膨大な魔力消費を伴う、高難易度術式の多重起動。未だ帝国軍航空機の限界高度には届かずとも、狙撃そのものは可能とする超長距離術式。

 これが実現すれば、魔導師の将来は大きく変わる。少なくとも、かつての航空機がそうであったように、魔導師を軽視する者は居なくなるだろう。

 

 ……その為のモルモットにされるのは、正直いい迷惑でしかないのだが。

 

 

     ◇

 

 

 かくしてフォン・シューゲル主任技師とエレニウム工廠の野望の為、日夜手足が吹き飛びかねない実験に身を晒された私は、戦傷十字の申請資格を得るにまで至った。おそらく、帝国史上類を見ないほど、不名誉かつ理不尽な受章資格であろう。

 ここでの生活を長々と説明するのは私の精神衛生上もそうだが、読者諸君の心臓にも悪いと思われるので、一区切りとしたい。私としても、少々気が滅入ってきたところだ。

 なので、ここからはエレニウム工廠以外のエピソードを語ろう。

 

 その日の私は怒っていた。これ以上なく激怒していた。一体どうして未来に流行るコメディ映画よろしく、日夜爆発劇を繰り広げねばならぬのか。

 特に前日は首から上が吹き飛びかけた事もあって、完璧に形式を整えた転属願いを脇に抱え、総監部に直接乗り込む程に私は追い詰められていたのだ。

 

“これで駄目なら最前線だ! もう最前線に逃げるしかない!”

 

 ここは地獄より地獄だ。最前線に逃げるというのは自分でも表現としてどうかと思うが、とにかくそれぐらい私は命の危険に晒されていたのだ。

 私は肩で風切る高級将校もかくやと言わんばかりに、ずんずんと進んでいったが、それを総監部の者達は必死の形相で止めてきた。私が上官を殺しに来たと勘違いでもしたのだろうと思ったが、そうではない。

 

「これ以上進めば、少尉を機密保持上逮捕せねばならなくなる」

「は?」

 

 一体何を言ってるのだ、こいつは。と思いたくなったが、肩章の色と制服からして、情報部の人間のようである。つまり、冗談の類ではない。私はこれ以上進めば、営倉すら可愛い悪夢の監禁生活が待ち受けている事を悟った。

 

「エルマー技術少将閣下が通られる! 道を開けろ!」

 

 一体どこのお大臣だと私は突っ込みたくなった。兄とは違う意味で怪物だということは私も存じていたが、まさかここまで優遇されているとは思わなかった。

 しかし、何故通路を通る姿を見ることが、機密保持上問題となるのか? 私は好奇心もあって、遠巻きからフォン・キッテル参謀中佐の弟御を拝見する事にした。情報部は勿論、良い顔をしなかったが。

 

 そして、私はエルマー技術少将の姿を見て驚愕した。左足を患っているようで、地に足を引き摺りながら歩を進めていたのだが、杖を突く様子はない。

 エルマー技術少将は、足を引き摺ったままバインダーに挟んだ用紙に何やら文字を書いている。それも、とてつもなく早い。それは政府高官の秘書や専門のタイピストでさえ到底追いつけない速度で、おそらくは口述や速記記述法を用いるプロフェッショナルよりもずっと早いだろう。

 エルマー技術少将は書き終わるや否や、用紙を床に捨ててしまう。そして手に持った鉛筆が使えなくなると、それも同じように床に捨てては、首から紐でぶら下げた大量の鉛筆から一つを取って書き続ける。

 私が横目見た姿は僅かだったが、それでも一〇枚以上の用紙と鉛筆が散らばっていたのは確かだ。全ての用紙を使い切ると、次はバインダーさえ投げて次の用紙が挟まれたバインダーを受け取っていた。

 

「あれが、帝国の頭脳ですか」

「帝国一の変人でもあるがな」

 

 あれがまともに会話をするのは家族だけで、その時だけは人間らしくなるのだと情報部将校は語られた。

 

「床に落ちた紙切れ一枚で、一生寝て暮らせる金を積む国は五万とある」

 

 これは誇張でも何でもない。石炭から石油を精製する合成石油。海軍国たるアルビオン連合王国でさえ躓いた酸素魚雷。パイロットが高高度の低気圧下でも順応出来るようにする為の低圧室。

 泥濘地帯を悠々と走破するハーフトラックなど、あの紙切れの束がどれだけ帝国に貢献したかは計り知れない。

 しかし、あの紙に書ける範囲は当然限られているので、一から十までという訳には行かないらしく、大抵は専門家に回して各々で研究を進めて貰っているという。

 唯一の例外は空軍の──というより兄の──為、空軍設立からこちら、予算を奪われたことで目の敵にされている海軍の留飲を下げるために、()()()()の労力を費やしたことか。

 エルマー技術少将(設計時は大佐)は当時のスタンダードモデルであった潜水可能な『水上艦艇』であった潜水艦でなく、現代の我々が思い描く、過酸化水素を利用する熱機関と、水中航行用の蓄電池を取り入れた、全く新しい『水中高速型潜水艦』を一から設計して見せたのだ。

 中央大戦戦勝後、ダイヤ付き白金十字を賜ることとなる『灰色狼』ペーニッツ中将(当時)などは、この潜水艦に驚喜して感状を送った*2そうである*3

 これらは情報部将校がこの場で語ったものではなく、戦後、エルマー兄様が私に打ち明けてくれた事だから間違いない。

 エルマー兄様曰く、航空機開発だけでは時間が余ってしまうが、かといって本格的に開発して、空軍の兵器や設備が後回しになっては意味がないので、作業机に着くまでの息抜きだと語られた。

 

 後に私は、エルマー兄様の計らいで作業を見せて貰う機会があったが、こちらはもっと凄かった。エルマー兄様は両手で筆を執り、左右別々の手が、定規もコンパスもないのに直線や真円を描き、計算尺も使わずに、あっという間に一枚の正確な図面を描き上げてしまったのだ。

 それこそまるで、複写機を使っているような速度で図面が出来上がり、作業机に見習い技師達が次の紙を敷いて固定すると、また新しく図面が仕上がる。

 そうした図面が何十枚にもなると、それらは情報部将校が厳重に封をした上で、別の場所へ運ばれていく。私が見た時は、飽くまで見学だからという事で一〇分程で終わったが、あの時の衝撃は、私の生涯でもかなりの上位に入ると思う。

 エルマー兄様はこの作業を朝から晩まで、それこそ食事と就寝、排泄や入浴といった、生活に関わる事柄以外は続ける。唯一の例外は、兄や家族から連絡が入った時と、後に出来る唯一の、私にとっては本当に不本意で、相手を選べと言いたくなった友人との交友だけだ。

 他は本当に必要な時に、事務的なことしか喋らなかったというのは総監部の皆が口を揃えて語るので、おそらく事実なのだと思う。

 

 ともあれ、この場においては私とエルマー技術少将との邂逅……というより観察とでも言うべきだろうか。とにかくここで関わり合いになる事もないまま別れてしまう筈だったのだが、すぐに杖が床をつく音が聞こえてきた。

 先程まで目の前を通り過ぎたエルマー技術少将が、趣味の良い蛇木の杖を片手に私へと近付いてきたのだ。

 

「デグレチャフ魔導少尉だね。勇名は耳にしている。ノルデンで名誉の負傷を負ったと伺ったが、壮健そうで何よりだ」

 

 先程までの、無表情な自動筆記人形か何かのような姿とは全く異なっていたので、私は別人ではないのかと一瞬我が目を疑った。

 軍事公報で拝見する、兄そっくりの端正な顔立ちと、細くすらりとした長身。肌は象牙のように白いが、病的というよりも彫刻のそれに近い美しさがある。

 首にぶら下げた無数の鉛筆も今はなく、軍衣の上から白衣を羽織る姿は、正しく若手のエリート技術将校そのものの姿だった。

 

「キッテル参謀中佐殿の救援があったればこそです。あの方が居なければ、今頃はどうなっていたか」

「いや、少尉のカルテは見たが、あれであれば兄上が来られずとも命に別状はなかったろう。発見日数によっては、危うかったろうがね。貴官の防殻術式展開は見事な手際だ。あれなら十分教導隊でやって行ける。そう私が兄上に太鼓判を押した」

 

“こいつが私を教導隊に……”

 

 私は理不尽にも内心に怒りが込み上がるのを感じた。勿論、選んだのは私なのだから、文句を言える立場では断じてないのだが。

 

「そう怒らないでくれ。まさか、あのような場末の工廠に回されるとは夢にも思わなかったのでな。兄上に知られて困るのは私も同じだ。ここは一つ、互いの為に話し合おうじゃないか」

 

 付いて来てくれ、と食堂に招かれる。無論技術局は昼夜など有ってないようなものなので、どのような時間でも食事を摂る者は存在する。

 私は将校用の席で歓待を受け、早めのランチと相成った。

 

 

     ◇

 

 

「デグレチャフ少尉。あの工廠で貴官が受けた被害に関しては、間違いなく不当であり、国家の貴重な血液たる魔導将校を食い潰す害悪でもある。私が口添えすれば、すぐにでも地に墜ちた元天才とその部下の首を飛ばせる。

 これはデグレチャフ少尉にとって最も楽で、私にとっては余りやりたくない手段だ。兄上に少尉の負傷を勘付かれては困るのだよ。なので、代案を出そう。

 近々エレニウム工廠は、総監部の命により『閉鎖』となる。少尉の正確なレポートに加え、私の『構造的欠陥の指摘』があって嫌と言える者はおらん」

 

 私は開いた口が塞がらなかった。今でさえ手元に有る転属願いの事さえ忘れる程、エルマー技術少将の言葉に愕然としたものだが、すぐに理性を取り戻して熟考した。

 複座式魔導攻撃機などという埒外な代物を作った所からしても、魔導工学を修めているのは確実。おそらくだが、欠陥機と称すべき試作機は徹底的に問題を追及された上で叩き潰されるだろう。

 私としてはキャリアに傷が付く事なく足抜け出来るのだから、断る理由は何一つとしてない。しかし、気になる部分もあった。

 

「大変魅力的な提案ですが、何故小官如きの為にそこまで?」

「単純な話だ。私にとって、家族こそが全てなのだよ」

 

 国家への忠勤も成果も、全ては家族が喜んでくれるから、しているだけの事。仮に他の道を望むようならば、エルマー技術少将は一切の躊躇なく軍を抜けてそちらの道を進むと言う。

 

「私はね、少尉。家族に嫌われたくないのだ。勿論、兄上や他の皆が私を嫌うなど有り得ないと分かってはいても、不安材料は潰したい。

 兄上は貴官の事を大層気にかけておいでだ。後方への斡旋とて、貴官に対する侮辱ではないだろうかと気を揉んでおいでだったのだよ?

 まぁ、貴官が宣伝局が触れ回っているような軍人でない事は、一目実物を見て察したがね」

 

 私はどんな嘘だろうと見破れる。どんな虚飾だろうと引き剥がせる。どんなに仕草や表情で、視線や言葉で世界中の人間を誤魔化しても、私は決して騙されない。

 口元に弧を描いて指を組むエルマー技術少将は、まるで悪魔のような笑みで私を見ていた。

 

「だから私は、心から家族を愛しているのだよ。家族は決して、貶めようという意図で私を偽らない。利用しようという腹積もりで、私に関わらない。どんな時でも私を裏切らず、心から愛してくれている。

 そして少尉。貴官が兄上を、便利な男として見ている程度だという事も理解しているつもりだ。私に兄上の名を出した時、貴官に陶酔や真の意味での感謝の色はなかった。あったのは私に対してのへつらいだけだったからな。正直失望したぞ。

 ああ、これに関しては口外するつもりはないので安心してくれて良い。貴官のキャリアを傷つけるような真似もしないとも。

 この場で聞き耳を立てている輩も、一言でも漏らせば首を飛ばしてやる。私にはそれだけの力が既にあるのでね」

 

 皆の食器が音を立てた。誰もが決して口外しないと目で訴えていた。それ程までに、エルマー技術少将が恐ろしいのだろう。かくいう私とて、それは同じだ。顔芸は得意なつもりだったし、声色も完璧だった筈だが、やはりこの程度では天才の目は欺けないという事か。

 

「少尉。そこで先程の質問の答えを示そう。何故、貴官の為に私が行動するか? 兄上が、貴官の平穏を願って止まないからだよ。貴官が傷つけば、兄上はお嘆きになる。

 元より他者の為に身を擲てる方ではあったが、死にかけた貴官の姿は、相当に堪えたらしい。ましてや今回は、自分が送った後方での負傷だ。あの心優しい兄上が、どのような反応をされるかは想像に難くない。

 教導隊の席を兄上の為に薦めた私にも責は無論あるが、兄上は私を責めはすまい。それが、私には大変心苦しいのだよ。当たられるより、ずっとずっと私は苦しい」

 

 だからこそ、総監部にいる限りエルマー技術少将は私を守るという。そして、今後も必要ならば可能な限り便宜を図ってやるとも。

 

「私から見た貴官は、外側だけが幼女の狡猾な男だ。思考が女のそれではなく、実に合理的で打算に塗れている。企業なら大層出世したろうが、私とは別の意味で友人の出来ん手合いだな。人の理性を過信する余り、感情の愚かさには配慮が行き届かん類だ。

 忠告しておくが、誰もが貴官のように優秀にも合理的にもなれん。他人が自分のように生きていると思えば、手痛い目に遭うぞ」

 

 耳に痛い言葉である。確かに私は、常に合理的な言動を心がけているつもりであっても、それが予期せず他人に異なる印象を与えたり、或いは理性ある人間なら、必ず自分の意図を察してくれている筈だと過信して、その人が全く予期しない行動に出ると「どうしてこうなってしまったのだ!?」と自問自答に陥ってしまう事もしょっちゅうだった。

 実際この問題は、私が改心するまで散々に付き纏ってきたので、この時の忠告をより深く心に留めておけば良かったと、後になって何度も後悔したものである。

 

「しかし、兄上から見た貴官は戦争が生んだ社会の被害者であり、いたいけな少女であり、守るべき対象の一人なのだ。馬脚を現さねば、今後も兄上は貴官によくしてくれるであろうさ」

 

 精々仲良くするといいと吐き捨てるエルマー技術少将に、私は疑問を投げた。何故、「兄上に関わるな」と言わないのかと。

 

「どうせあのお優しい兄上の事だ。私が本性を語った所で、それは貴官の責任ではなく貴官の環境のせいだと仰られるし、貴官を案じている以上、いつか兄上の方から声をかけられる。

 貴官がそれを鬱陶しいと跳ね除ければ別だが、それは絶対にすまい? 貴官にしてみれば、金の鵞鳥(ガチョウ)を手放すようなものだ。度が過ぎれば流石に兄上も心がお離れになるだろうが、貴官は間抜けではあるまいし、抜け目もない。

 私なら貴官を兄上から遠ざけるのも可能だが、やりたくないな。私は兄上に嫌われたくないし、貴官は兄上にとっての清涼剤にもなる。戦争で心を病む事などないだろうが、それでも貴官が息災なら気も和らごうさ」

 

 まるでアルビオン小説の名探偵のような男だと私は思った。浮世離れして人間嫌いで、助手の博士以外に心を開かないところなどそっくりじゃないか。

 

「話は以上だ。転属届は私から出してやろう。貴官より、よほど真に迫った演技も私は出来るぞ?」

「小官の怒りは、演技ではございませんが」

 

 知っているとエルマー技術少将は含み笑った。私と未来の義弟は、最悪の出会い方をしたものである。しかし、これを機に私は、ようやく命の危機を脱した……筈だった。

 

 

     ◇

 

 

 なんという事でしょう。道連れは一人でも多い方が良いと狂ったフォン・シューゲル主任技師が、事もあろうに予定にない試作演算宝珠稼働実験を敢行してくれやがったのございます。

 

「呪われてあれ! 呪われてあれドクトル・シューゲル! 呪われてあれエレニウム工廠!」

 

 私の怨嗟は天に轟かんばかりだった。しかも、ここに来て完璧にフォン・シューゲル主任技師は狂ったのだろう。これまで無神論者だった主任技師は、今日になって急に敬虔な信徒に鞍替えし、神に祈れば実験は成功すると無線で宣って来たのである。

 

 困った時の神頼みとは言うが、流石にこれは酷すぎる。行き詰った失敗確定の研究に他人を巻き込んだばかりか、技術的改良もないまま魔導師を空に上げてくれやがったフォン・シューゲル主任技師に、私は今手元に小銃さえあれば、自爆も覚悟の上で空間爆発術式をぶち込んでやると憎悪の火を燃やした。

 しかし、今の私は他人への憎悪より自分の命こそ大事である。私は藁にも縋る思いで、本当に心の底から現状に対する不平不満をぶちまけた後に、神に祈る事にした。

 

 

     ◇

 

 

 結果は、成功だった。

 

 納得が行かない。これ以上なく納得が行かない。明らかな欠陥機が、欠陥機のまま問題なく起動している。

 魔導核の魔力暴走中、運良く干渉式が一致した為に暴走が停止。融解しかけた魔導核がコーティングの役割を果たした事で、軍用機として振り回す事にも問題がなくなった訳だが、こんなものは偶然と偶然と、そして偶然と幸運が重なっただけの結果でしかない。

 何しろこの後、この実験成功を機に中央直轄の魔導教導隊員が同調実験を行ったところ、エレニウム工廠ごと吹き飛んでしまったのだ。

 もし実験に参加したのが、かつて我が夫と対決したリービヒ大尉(一九二一年、進級)でなければ、間違いなく即死していただろう。リービヒ大尉は不幸にも全治一ヶ月の重症を負ってしまわれた。名誉なんて言葉は欠片もない、本人もこんな惨めな負傷は初めてだと男泣きに泣かれていた程の悲痛さと悲惨さである。

 エレニウム工廠が吹き飛んだ事への痛快さなど、リービヒ大尉の負傷の報に私でさえ同情の余り忘れた程だ。

 余談だが、リービヒ大尉の元へは後日、フォン・キッテル参謀中佐が見舞いに来たらしい。私にも後年の手紙で、あの時の事は本当に嬉しかったと送ってくれた。

 

 ともあれ、新型試作機の成功例は私だけ。九五式試作演算宝珠は、その名をエレニウム九五式と改められ、私は試験運用という形で西方戦線に送られた。

 その別名をライン戦線。レガドニア協商連合と軍事同盟を結んでいたが為に、なし崩しで帝国に宣戦布告したフランソワ共和国との、地獄の防衛戦を繰り広げた戦線である。

 私はここでの初戦闘で撃墜六、撃破三、未確認三という大戦果を収めたものの、しかしそれを新型機の性能故と上は世間に公表しなかった。

 何故飛んでいるのかも分からず、量産さえ不可能な欠陥機。そんなものを告知するぐらいなら、銀翼突撃章保持者の技量という形にして、大々的にプロパガンダに利用しようというというのが、上の方針だったようである。

 かくして順当に戦果を挙げ続けた私の魔導波形を、敵はネームド*4として登録し、こう畏怖した。

 

 ラインの悪魔、と。

 

 

*1
 後に安全面を考慮して再設計された双発式九七式『突撃機動』演算宝珠であってさえ、当時の諸列強国が制式配備している演算宝珠の性能を凌駕していた。

 エレニウム九五式は四発機という、当時はおろか現代魔導師の水準をも凌駕し得る粋にあった為、私(ターニャ・デグレチャフ)は九五式を秘匿すべき性能と判断し、必要に差し迫った時以外は使用を自制していた。

 ……純粋に、安全面から使用を憂慮していたのもあるが。

*2
 そして、当然ながら海軍はエルマー技術少将を海軍工廠に引き抜こうとしたが、エルマー技術少将が首を縦に振ることはなかった。

*3
 これに加え、帝国空軍も謝罪の後に、海軍との連携を重視する事を確約していた。後に帝国海軍の名を世界に広める『オステンデ海戦』を筆頭に、帝国空軍は常に海軍への助力を惜しまなかった。

*4
 エースを六名以上有する部隊ないし、個人による撃墜スコアが三〇を超えた魔導師は敵軍に魔導波形を『登録』され、識別コードを割り振られるが、ネームドはこれら登録対象の総称である。

 ネームド部隊ないし魔導師は、味方から崇敬の、敵からは畏怖の対象とされた。




 デグ様は今日もノリノリで執筆作業に勤しまれているようです。
 多分後年の秋津島読者からの渾名は腹黒デグちゃま。
(なお回想記中盤になると、渾名が大魔王デグ様になり、ラストはターニャちゃんにシフトチェンジする模様)

 次回からはニコ君の話に戻ります。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【人物名】
 デーニッツ元帥→ペーニッツ大将

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