キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/2/13誤字修正。
 水上 風月さま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!


26 西方の現実-ターニャの記録3

 ダキア大公国の降伏文書調印と共に、帝国は降伏に伴う条約を発効した。

 帝国側の条件は、ダキア大公国の国力と戦後復興や遺族恩給に伴う出費を考慮した上で、第三国通貨ないし貴金属での賠償金の支払い義務を課す。金銭での支払いが難しいのであれば、油田地帯の石油を世界市場換算額の平均で充てる事も可とする。

 そして、以前から紛争地域として、また国境問題から再三協議が繰り返されてきた、帝国領ダキアを正式に帝国国土(マジャール州)と認め、ダキア国民を退去させる事。但し、帝国人と婚約・婚姻関係にあるダキア人と家族に対しては例外措置を取るという二点だった。

 

 侵略国に対する降伏条約にしては異常な程に穏当なものであったが、明らかに善意からでなく、すぐにでも降伏して貰って他の戦線に軍を動員したいという本音が、ダキアからも透けて見えるものであった。

 しかし、ダキアとしては帝国の内情を理解しても、足元を見て交渉するのでなく、唯々諾々と呑まざるを得なかった。もうこの国には、抵抗する力など残されていないからだ。

 賠償金とて、本来なら連合国の勝利を当てにして、フランソワ共和国やレガドニア協商連合の降伏後に支払うようにすべきところが、国軍が崩壊したダキアは、ルーシー連邦の侵略を酷く恐れていたために、進んで支払いに応じていた。ダキアは恭順を示す事で帝国と安全保障条約を結び、帝国の庇護下に収まる事で、独立国家としての立場を守ろうとしたのである。

 

 侵略国を守ってやる義理など欠片もないが、帝国はこれをルーシー連邦との交渉の足がかりに出来ると考えたのだろう。何より、賠償金代わりの石油は、戦時下にある帝国にとっても大変魅力的だった。

 帝国は賠償金の上乗せを条件として、帝国領ダキア、ランシルヴァニア地方にてルーシー連邦と会談。ダキア大公国の共同不可侵と安全保障を、帝国・連邦両国が承認するランシルヴァニア条約(◆1)が締結され、それに伴って帝国と連邦の相互不可侵も約された。

 帝国にしてみれば後者こそ本命であり、これで後顧の憂いなく北方と西方に軍を送れるという訳だが、後の歴史を知る者からすれば、こんな条約は紙切れにしか過ぎなかったことは承知のことだろう。

 ルーシー連邦の横紙破りは有名で、当時からしてアルビオン連合王国の三枚舌外交並みに信用の置けない代物だったのだから*1

 

 

     ◇

 

 

 南方戦線は決着が着いた。ダキア方面空軍は、ダキア国軍が想定より遙かに脆弱であると理解し、敵前線・後方を問わず軍需施設を破壊し尽くした一〇日以降、北方・西方に可能な限りの航空戦力を輸送し、私自身も首都包囲の成功を確信した時点で、空軍総司令部へと引き返した。

 私としては、ダキア戦役後は直ちにライン戦線の友軍支援に回りたかったのだが、そこに空軍総司令部が待ったをかけてきたのである。

 

 ダキア戦役での大戦果を讃えられ、大将に進級したフォン・エップ大将は、私を大佐に進級させた上で、空軍総司令部で指揮を執れと言うのだ。

 空軍総司令たるフォン・エップ大将は、空軍の長として一日でも早い元帥就任が求められる為に、何かと理由をつけてでも進級して貰いたいというのは三軍種の一致するところだろうが、一介の将校となれば話は別である。

 年に二度の進級など、陸も海も良い顔をしないから来年まで待つべきだと私は進言したのだが、この戦時下に有能な人間を遊ばせておく理由はないと押し通したらしい。

 私はこの時既に、デグレチャフ少尉がライン戦線に送られていた事を知っていたので、本土に留まらなければならないという現実に、忸怩たる思いを抱えていた。

 帝国軍のラジオ放送では『白銀』が撃墜王(エース・オブ・ザ・エース)となり、敵魔導師の心胆を寒からしめていると、デグレチャフ少尉の活躍に対して惜しみない賛辞を捧げていたが、それでも傷付いた彼女を腕に抱いた身としては、あの日の事が脳裏を過って仕方なかった。

 

「死にたくない」

 

 耳元に、あの日の言葉が残響する。

 日光の乏しいラインの曇天の下、地獄のような激戦区で、デグレチャフ少尉は今日も飛んでいる。それも、精鋭で鳴る共和国軍魔導師を相手にだ。

 出来る事なら、すぐにでも飛んで行きたい。しかし、私は軍人である。軍人である以上、与えられた仕事はこなさなくてはならない。そして、やるからには忠実かつ、徹底的にだ。

 自らの足で駆けつけることが許されないのなら、私は私にできる最善を、デグレチャフ少尉の為に尽くそうと奮起した。

 

 

     ◇ターニャの記録3

 

 

 皆様、本日も曇天のライン戦線で敵魔導師を駆逐し、砲兵を蹂躙し、危険な高射砲陣地は迂回しつつ順当に戦果を重ねております、ターニャ・デグレチャフ少尉であります。

 我が夫はこの時期の私を大層心配しておられたようですが、ええ、全く心配には及びません……などと。冗談でも言える立場にない程に、ラインは連日連夜地獄でありました。

 

 何しろ防衛戦初期とくれば、地上軍も空軍も皆ダキアにかかりきりで御座いましたので、ラインは常に人手不足の兵器不足。

 私に宛がわれた初めての部下は、幼年学校からの引き抜き三名! しかもうち二名は士官候補生志望の癖に使えない上、すぐさま二階級特進致しましたので、小隊長から分隊長に格下げと相成りました。いえ、それは別に構わなかったのですよ? 無能な味方が敵より恐ろしいのは万国共通なのですから。

 

 その点、私の初めての部下であるセレブリャコーフ伍長は大変優秀。

 徴兵組とはとても思えない見事な空戦機動の上、必要とあらば友軍救援の任に自主志願する程の敢闘精神の持ち主でしたので、国家の財源を蚕食する無能な士官候補生共は、セレブリャコーフ伍長の爪の垢を煎じて飲むべきだと私は何度も思ったものであります。

 

 しかし、空軍の支援は欲しい。兎にも角にも爆撃機が欲しい。魔導攻撃機は是非とも私に代わって、忌々しい連合軍魔導師を徹底的に蹂躙して欲しい。

 ラジオでは散々ダキアを叩き、叩き、叩き潰してもう良いだろうというぐらい徹底的に蹂躙したと報じられるのだ。少しぐらい戦力を分けろと、私はラジオを掴んで吠えたくなった。

 

 勿論、私とて初めからこんな事を叫んでいた訳では無い。ラジオでの情報と友軍の話ぐらいでしかダキアの軍備に明るくなかった私は、敵航空兵力と地上軍の総数に度肝を抜かれ、さしものフォン・キッテル参謀中佐と言えども、これは危ういのではないかと、柄にもなく他人の心配をした程だ。

 だが、蓋を開けてみればダキアの奇襲は見通されていて、帝国空軍は一方的な蹂躙劇を展開。我が未来の夫は一日で撃墜王(エース・オブ・ザ・エース)に値するスコアを稼いだばかりか、帝国空軍は味方地上軍到着までに侵攻軍を一方的に蹂躙し、夜間には徹底的な基地爆撃まで行ったと言うではないか。

 

 ダキア戦役の初めの二日間は、私は南東方面の帝国空軍にあらん限りの賛辞を送った。敵軍の奇襲侵攻を予見しつつ、高度な戦略思想によって統制された帝国空軍が、大戦果をもたらしてくれたのだと信じて疑わなかった。

 だが、三日目になると数字がおかしいと気付く。四日目になると、敵軍の対応に疑念を抱く。五日目になると、自分がプロパガンダを聞いているのでは? と疑い出した。

 そして、ひょっとして、と私は思った。この異常過ぎる戦果は、何かおかしい。私は、というより帝国軍は何か勘違いしていたのではないか? と。

 

 

     ◇

 

 

 一〇日後、私の予想が的中していた事が判明した。ダキア陸軍の主力は歩兵で構築された師団で錬度は最低! 航空兵力は全てが旧式で、ダキア五機分が列強軍用機一機の戦果!

 詐欺! 正しく詐欺! 一体どうして私が地獄の奥底も同然の戦場で苦しんでいる間、空軍の連中はスコア稼ぎに注力しているのか!? そんな連中なら帝国陸軍を四個師団ほど送れば問題ないだろう! 空軍は全員こっちにこい!

 ラインは今日も地獄なんだぞ!?  私だって安全圏で出世したいぞ今すぐ代われ!

 

 斯様に醜い私の魂の叫びと同じく、我が上官にして中隊長たるイーレン・シュワルコフ魔導中尉も似たような思いであっただろうが、中尉は私の内心よりは表向き冷静だった。

 私より早く情報を得られるので、シュワルコフ中尉は、既にダキアから航空勢力が輸送されている事を知っていたのが、精神的安定に繋がったのだと思われる。

 とにかく、シュワルコフ中尉から事情を伺った私は安堵した。特に、向こうの戦局が安定したという事は、間違いなくフォン・キッテル参謀中佐が来てくれる筈である。

 

 あの参謀中佐は最前線をこよなく愛し、死後はヴァルハラから戦乙女達がダースを通り越して、地上を埋め尽くさんばかりに迎えにやって来るぐらいの戦争の申し子である。

 一体どうしてこの化物が、参謀徽章を得る必要があったのかと、その仕事ぶりを知るまでは当時の軍人なら誰もが首を傾げたに違いないが、世の中とは非常に理不尽なもので、我が未来の夫はエルマー兄様ほどでないにせよ、凄まじく事務仕事が早い上に、後方勤務を嫌悪している訳ではなかったのである。

 

 ともあれ、私を含めた航空魔導師や地上軍の皆は、フォン・キッテル参謀中佐の到着を心待ちにしていた。しかし、嗚呼、何という無情! フォン・キッテル参謀中佐は大佐に進級した後、本国指導部に勤務するというではないか!

 当然の如く私は激怒した。というより、西方方面軍の全将兵が激怒した。身内である筈の空軍さえもである。

 

「空軍は俺達陸軍を見殺しにする気だ!」

「ダキアでも、陸が戦果報告を疑ったりして揉めたらしいからなぁ。海さんより陸と仲が悪いってのは本当だったらしいな」

「いや。俺は空軍総司令閣下が統帥府じゃなくて、中央参謀本部に出頭させられた腹いせだと思うぞ」

 

 前線将兵の口々から上がる不平不満。これまで表沙汰にならなかった陸空の確執。私だって、それが事実なら空軍指導部の嫌がらせも仕方がないのではないかと思う。

 それに、空軍は北方より優先してラインに航空兵力を送ってくれているのだから、数字の上だって文句は言えない。

 フォン・キッテル参謀大佐を寄越さないのも、個人が戦争を左右できる時代はとうの昔に終わっているのだから、その分航空兵力を送れば事足りるだろうというのも、至極尤も。否定はできない。

 しかし、前線は英雄を欲しているのだ。精神的支柱を欲して止まないのだ。

 

 何より私は自分の命が大事なのだ!

 

 当然、フォン・キッテル参謀大佐が後方に配置されると知った西方方面軍司令官、モーリッツ=ポール・フォン・ハンス元帥の決断は早かった。全ての将兵が激怒したと語った通り、フォン・ハンス元帥も激怒していた一人だったのだ。

 

「キッテル参謀大佐一人で、一個師団の価値があるのだぞ!? この危急存亡の(とき)にこそ必要な戦力であろうが! 大佐だろうが少将だろうが、陸には幾らでも進級を認めてさせてやるし、奴以外の人事なら今後一切陸が口を挟まぬよう掛け合ってやる!

 だから一刻も早く、あの不休の前線狂いを送って来い! どうせ貴様ら、死なれては困ると強引に進級させたのだろうが!」

 

 このフォン・ハンス元帥の台詞は私の夫を語る上で分かりやすく、後年でも余りに有名な発言の一つだろう。一個師団の価値と言うのは私も認める。前線狂いも大いに認める。

 私の夫は最前線程度では満足出来ず、常に激戦区に行きたがり、阿鼻叫喚の戦火を楽しげに闊歩しては、帝国軍の戦争狂すら一歩も二歩も引かせてしまう生粋のプロシャ軍人だ。

 しかし、いざ実物が出撃するのを目の当たりにすれば、こう思わずにはいられない。

 

 これは酷い、と。

 

 

     ◇

 

 

「デグレチャフ少尉殿は以前、砲兵は戦場の女神だと讃えられておりましたが、だとするとあれは何なのでしょうか?」

「破壊神か何かだろう。いいか、セレブリャコーフ伍長。私も撃墜王として化物扱いされている身だがな、本物の化物というのは、ああいうのを言うのだ」

 

 戦友魔導師達と双眼鏡を用いて*2、両主翼にマルタ十字を描いたゾフォルトを観戦する私は、今なら確信を持って言える。

 私は間違いなく人間だ。少なくとも、あんな常識外れの空戦機動を行いながら、魔導師と戦闘機と爆撃機を潰し、弾襖(たまぶすま)を作る高射砲陣地を掻い潜りつつ蹂躙するような、怪物の同類では断じてない。

 世界には、人間というカテゴリから外すべき人外が間違いなく存在する。少なくとも、フォン・キッテル参謀中佐は間違いなくその部類だ。

 

「魔導師のように二つ名を拝命するなら、あれは間違いなく『魔王』だな」

 

 私のジョークを皆笑わなかった。それどころか、天才だなお前という目で見てきた。

 名付け親としては如何なセンスかと思うが、少なくともこの場にそのセンスを否定する者はいなかった。

 

 

     ◇ニコラウスの回想記

 

 

 ここからは妻に代わり、ニコラウス・フォン・キッテルが再び筆を執らせて頂く。妻の私に対する評価に関しては少しばかり傷ついたが……、まぁこの手の冗談はいつもの事である。

 話は変わるが、妻が先に語った程、当時のライン戦線は終始逼迫した状況下に置かれていた訳ではなかった。この戦線が後の世に語られる程に凄惨さを見せたのは、ダキア敗戦が濃厚となってからである。

 

 それというのも、共和国は帝国侵攻時に総動員こそ発令したものの、当初は真面目に戦争などする気はなかったのだ。

 共和国軍としても共和国国民としても、何故越境侵犯を犯したレガドニア人の為に自分達が血を流さねばならないのかと不満を募らせており、前線での士気は著しく低かった。

 共和国政府としても、この総動員は飽くまでレガドニア協商連合に対するアピールでしかない。彼ら共和国の心算としては、協商連合に降伏や和平交渉を行われては、帝国の国力を削ぐ事が出来なくなる。

 何としてでも帝国の出血を多くしたい共和国は、協商連合に自分達のみならず、連合王国とダキアが連合軍(アライド・フォース)として参戦する旨を伝えつつも、実質的な侵攻はダキアに任せきりにするつもりだったのだ。

 

 帝国がダキアを過大評価していたように、共和国も──そして連合王国も──ダキアを過大評価していた。第一波の侵攻地上軍ですら六〇万という大兵力を擁し、二万以上の航空兵力まで有するダキアを、共和国は帝国の踵を射抜く、必殺の一矢(◆2)と信じて疑わなかったのである。

 だからこそ、共和国は真面目に戦おうとはしなかった。自分達が戦うのは、ダキアが帝国本土に食らいつき、帝国がそちらに兵力を割いて右往左往する間に、一点突破で左右から挟み合流するという計画だったのだ。

 加えて、本格的に侵攻するにも自分達だけでなく、秘密裏に手を組んだ連合王国の派遣軍の到着を待ってから行うつもりだった辺り、口先で戦争をしていたという後世の評価は的を射たものだろう。

 

 そんな訳であるからして、各戦線では基本的に膠着状態が続き、中には『戦争をしている振り』を帝国軍との合意の上で行っていた部隊まであった。

 敵国人同士が互いの顔が確認出来る距離でサッカーに興じ、野原に寝転んでポーカーまで始めていたというのだから、何とも釈然としない話である。

 本国空軍総司令部に戻り、斯様な西方戦線の有様を知った私に、フォン・エップ大将は肩に手を置いてこう言った。

 

「そういう訳だ、大佐。北方の方が、遥かに緊張感ある戦争が続いているぞ?」

 

 私が本国に戻され、進級した上で後方に就けと命じられた理由がこれである。指導部に到着してから、何としてでもライン戦線に勝利をもたらさなくてはと息巻いていただけに、当時は拍子抜けしたものであった。

 当然、読者諸氏は私の真実を聞いて疑問に思い、説明を求める事だろう。

 

「先程まで、お前の奥方が語っていた事は何処までが本当なのだ?」と。

 

 結論から言うと、どちらも真実である。

 如何に共和国軍の士気が劣悪を通り越した最低なものだったとは言え、中にはきっちりと仕事に励む軍人も無論いた。

 特に、若かりし頃プロシャ・フランソワ戦争に出征し、辛酸を舐めさせられた老将軍方*3は鬼気迫る士気で、彼らは同戦争の勇士が賜る緑と青の徽章を佩用し、勝利を祖国に持ち帰るか、しからずんば死を求めて*4進撃の指揮を執った。

 この『緑と青の勇士』と戦後称された老将軍達は、頑迷固陋の共和国陸軍にあって、最も恐ろしい帝国の敵だった。

 フランソワの議会で元陸相が「赤いズボンこそがフランソワ軍なのだ!」と力説するほどに絢爛華美な装いを好む中、この緑と青の勇士は晴天であっても泥色のレインコートの着用を将兵に強制し、赤いケピ帽をいち早く鉄兜に切り替えさせた。

 また、フランソワ陸軍士官学校出の士官が、白い前立て付きの軍帽を被ろうとすればこれを毟り取り、白手袋をはめて死ぬのが、シックな嗜みなのだと信じて疑わなかった伊達男達を罵倒しては、これを取り上げて塹壕に蹴り込んで泥まみれにした。

 ナポレオーネ率いるフランソワ大陸軍(グランダルメ)のように勇壮な戦いに憧れ、大いなる使命感と戦場の感激に浸っていた共和国の若者にとって、この仕打ちは耐え難いものであった半面、華美な装いを捨てる事で若者達は生き長らえ、帝国軍は苦しんだ。

 緑と青の勇士達は、その苛烈な攻撃も然る事ながら、何よりも攻撃精神(エラン)の伝統故に禁句とされた『防御』を率先して行い、引き際と心得れば即時撤退して戦線を整え、他の戦線では連絡将校程度にしか見られなかった参謀の意見具申さえ、徹底して取り入れたというから、如何に彼らが名将であったかが窺える。

 

「フランソワの陸軍総司令官は、地位を脅かそうとする有能を排斥したがる無能だ」

「ライン戦線を越えたなら、そこから先はひと月で終わるだろう」

 

 だが、そう笑った帝国軍が表情を硬くし、神妙な顔つきで、異口同音に言葉を続ける。

 

「緑と青の勇士には敬意を払え。彼らは一人一人が、フランソワ大元帥に匹敵する」

 

 猪武者と、死に装束の軍勢と、カエルばかり食うから飛び跳ねる逃げ足が達者なのだと共和国軍を笑える者は幸運だ。お前達の前には未だ、緑と青の勇士が立っていないのだ。

 世界最強を自負する帝国陸軍の、背筋を凍らす者達が。誰よりも恐るべき、勝利に喰らいつく将帥の権化が、立ちはだかってはいないのだと。

 

 緑と青の勇士が率いる軍勢は、帝国の重厚な防御線を一点集中する事で一時的に突破。

 それに呼応する精強かつ意気軒昂の共和国航空魔導師は、ライン戦線の一部を終始徹底して地獄にした。

 私の妻は、その有り余る才覚と新兵器の性能故に、かくも無慈悲で凄絶な戦場に放り込まれてしまったという訳だ。

 この回想記の執筆中も常々思っていた事だが、本当に運がないな、彼女は。

 

 そして、そんな状況ならば何故熟練の下士官や兵卒でなく、新兵以下の幼年学校生がデグレチャフ少尉の麾下に入ったのかと言われれば、厄介払いの一言に尽きる。

 これは私も戦後に知った事であるのだが、どうにも件の士官候補生志望の二名は、意欲旺盛なるも命令違反と上官への不服従の傾向有り。将校としての資質は皆無と判断されていた。

 しかし、この二名はいずれも帝国貴族出身であり、情実人事がまかり通ってしまう可能性が高かった為、意図して名誉の戦死を遂げさせられたという訳だ。

 セレブリャコーフ伍長に関しては、完全にとばっちりである。彼女は徴兵組の中でも、分けて成績優秀で素行も良い。しかしながら、小隊として前線に送るならばあと一名は必要で、士官候補志望二名の間を取る形で、徴兵組の中から抜擢されたという訳だ。

 

 不運という言葉では足りない程の境遇だが、デグレチャフ少尉と同性である事に加え、セレブリャコーフ伍長の素行と才能からも、捨てるには惜しいと判断して保護してくれるだろうという期待もあったそうだ。

 流石に希望的観測が過ぎる上、新兵以下の兵士など運が悪ければすぐ死ぬのが戦場なのだから、もう少し手心を加えてやれと私は思う。

 尤も、その希望的観測通りにデグレチャフ少尉はセレブリャコーフ伍長を気に入り、後々も副官として戦場を共にしたというから、思わぬところで縁が出来た事はお互いにとっても喜ばしい事ではあったのだろう。

 人の縁というものは、本当に分からないものである。

 

 

     ◇

 

 

 しかし、そんな一部を除いてぬるま湯のようだったライン戦線も、ダキアが徹底的に叩き潰されたと知れば話は変わる。共和国軍も政府も、ダキアが潰れれば次は自分達だと、ダキアという必殺だった筈の一矢が、帝国という()()()()()()()()へし折れてから、ようやく悟る事が出来たらしい。

 加え、増援として当てにしていた連合王国は、自分達がダキアにしたように日和見を決め込み、本当に危うくなるまで動く気配はなかった。

 ここまで来れば、共和国軍も腹を括るしかない。元々軍隊としての錬度は高く、攻撃精神旺盛な彼らであるから、いざ本気で侵攻してくるとなれば、流石の帝国軍も手を焼かされた。西方戦線は途端に全戦線が血と屍で埋め尽くされ、唐突な敵軍の大攻勢に西方方面軍は完全に狼狽してしまっていたのである。

 

 そして、空軍総司令部にも共和国軍の猛攻が伝えられ、私の最前線行きを西方方面軍が希求して止まないと知らされた時、空軍総司令部にもまた動揺が走ったが、これに関しては、私は不謹慎ながらも良い教訓になったと思う。

 

 ダキア戦役での勝ちに浮かれ、私達空軍は他の戦線でも、十分余裕を持って事に当たれると考えてしまっていた。ダキアが潰されれば、間違いなく共和国の目が覚める事ぐらい分かりきっていた筈なのに、勝って兜の緒が緩みきっていたのである。

 如何なる状況でも最善を模索し、最悪に備えよ。ライン戦線の混乱は、私達にそれをはっきりと教えてくれた。

 

 かくして私は本国指導部での頭脳労働から一変。進級を帳消しにされた上で、ライン戦線の最前線へと飛び立つ事になった。

 進級の取り消しについては、元々、年に二度の進級というのはかなり強引な手段を取っていたので、人事局と揉めていた*5こと。私の中佐への進級理由が副官勤務だったというのに、私がその職責を果たせていない事が、かねてより問題視されていた事が原因の一つだ。

 副官職に関してはあくまで軍務の一つに過ぎず、緊急時においては前線勤務を務めるのは当然だと納得させたが、大佐への進級をダキア戦役での功とせず、本国指導部の幕僚とする為、という名目にしたのは失策だった。

 私は指導部の幕僚でなく、直ちに前線に向かうのだから、すぐに進級させる必要はないと人事局は進級撤回を申し付けたのである。

 フォン・エップ大将は苦々しげな顔をして「来年には必ず奴を大佐にさせろ」と人事局に吐き捨てたらしいが、私としては進級速度が速過ぎると感じていたし、前線勤務を止めるつもりも更々なかったので、全く気にも留めなかった。

 

「そういう所が行かんと言っておるのだ!」

 

 フォン・エップ大将としては、出向した魔導将校ばかりが空軍高級将校の席に着く現状を憂慮しており、一刻も早くパイロットとして、前線への理解と知識のある私に上の席を与えたかったらしい。

 その気持ちは確かに嬉しくあるのだが、私はフォン・エップ大将や魔導将校が上に立ってくれて良かったと思っていた。

 彼らは自分達が専門家でないと自覚しているからこそ、新しいものを柔軟に取り入れて下さり、下の者の意見にも細かく目を通し、耳に入れて下さっている。

 帝国軍のみならず他の列強国もそうだが、後方指揮官は前線指揮官を蔑視しがちだというのに、空軍にはまるでそれがないのである。

 本業の者は確かに知識と経験を有するが、自身の成功例や価値観ばかりを縁にしてしまい、固定観念に囚われて組織を駄目にしてしまう可能性がある。

 だから私は、フォン・エップ大将や空軍指導部を心から尊敬し、頼りにしている。無理に自分に席を与えようなどとしなくとも、彼らが上に立って導いて下されば、少なくとも今代の空軍は安泰だし、次代の芽もしっかりと育んで下さる筈だ。

 私は出立前、フォン・エップ大将や幕僚にその本心を告げると、彼らは鼻を掻いて私を見た。

 

「そう煽てるな、ムズ痒い。それにだ、次代の芽というなら貴様がそうなのだ。前線が片付いたらすぐ戻れ。上の人間として覚える事をみっちり叩き込んでやる」

 

 私は答礼と共に「ご指導の日を心待ちにしております」と告げ、最低限の生活必需品を詰めた将校用旅行鞄を手に、輸送機へと乗り込んだ。

 

 


訳註

◆1:この他にもランシルヴァニア条約には秘密条約議定書が締結されていたが、本書では原著で取り上げられなかった(おそらくは原著者が意図的に隠したものと思われる)条約をここで述べる。

   条約内容は、ダキア国土の割譲(侵攻の黙認)を条件として、帝国が共和国・協商連合との戦争継続中は相互不可侵を遵守することと、その間はダキアへの侵攻は行わないこと。

   ダキア割譲時においては油田地帯の譲渡も認めるが、その際には相互不可侵を更新し、帝国がダキア大公国の石油を購入する際は、市場価格の半額まで抑える事が盛り込まれていた。

   しかし、一九二六年、六月二二日のルーシー連邦と帝国による開戦が、この秘密議定書を実質無効化した。

 

◆2:古代神話における半神の英傑、アキレウスの最期に因んだものと思われる。

   アキレウスは赤子の折、母から冥府を流れる川の水に浸され、無敵の存在となったが、母はアキレウスの踵を掴んで水に浸していたため、完全な不死とならず、そこだけが弱点として残った。

 

*1
 現に、ルーシー連邦は相互不可侵条約締結の三年後に帝国に宣戦布告し、ダキアにも侵略戦争を行うのである。

*2
 この頃は既に望遠術式が一般化していたが、魔力波長を探知されないよう、交戦時以外は道具を用いることを推奨されていた。

*3
 フランソワ軍の兵役は六四を定年と定めているが、プロシャ・フランソワ戦争を経験した多くの予備役将校は最前線を自主志願し、ライン戦線に配置されていた。

*4
 実際、アルビオン・フランソワ戦役の趨勢が決し、帝国が名誉ある降伏を求めても、彼ら勇士は最後の一人となるまで戦いを辞さず「屈辱と敗北は一度で良い」と、死を求めてサーベルを抜き、盛大に果てるのである。

 カイザーは彼らの死を惜しみ、グランダルメの老親衛隊の如き最期を遂げた勇士一人一人を丁重に棺に納め、遺体をフランソワ政府に返還した。

*5
 帝国空軍の人事は航空省人事局が行うが、陸・海軍と比して、戦果はともかく新興であった帝国空軍は、他軍種に付け入る隙を与えまいと、進級や叙勲は他軍種以上に入念かつ厳密・厳正な審査を行っていた。




 秘密議定書の内容がゲスい? 他人の土地売買は列強国の基本だからね、仕方ないね。
 そして秘密条約は、もう一点あったりします(こっちは主人公が後々自主的に書きますが)。

 ていうかさー、自国の恥だからって意図的に隠すとか、主人公は主人公としてどうなん? 騎士道精神溢れてるって読者様から評価されとるんやで? なのに隠すとかねーわーマジ主人公失格だわー。
(実際にどんな高潔な軍人さんでも、お国の恥を誤魔化すのは常なのですが。まぁ結局時代が下れば、ばれるから無駄なんですけどね! というのをやりたかっただけの、作者の意地悪)

 さて、後々語られる予定の秘密条約についてですが。
 本作品のあらすじに掲載した地図で、私たちの世界におけるベルギー・オランダ・ルクセンブルクの有るところがあるじゃろ?
 ここ帝国領土になったらさぁ……連合王国とか、メッチャヤバそうじゃなぁい?(ねっとり)

【本日のデグ様の本音:主人公がライン戦線に来て】

 デグ様「いやー、東部戦線でルーデルに会ったソ連兵の気持ちが分かるわー。それはそれとしてメッチャ清々しくて気持ちいい景色だわー。よくも散々苦しめてくれやがったなカエル野郎ども! 出来るだけ酷く死んで魔王様のスコアになれい!」

 もうこの作品のデグ様はギャグキャラですね。どうしてこうなったし……

補足説明

※モーリッツ=ポール・フォン・ハンス西方方面軍司令官は、アニメ版幼女戦記第8話に登場したお方でありますが、アニメの肩章とドッペルリッツェンの襟章を見るに中佐であります。
 しかし、佐官が方面軍司令官というのはちょっと無理がありそうですので、本作品では元帥にさせて頂きました。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【地名】
 ハンガリー→マジャール州
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