キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2022/5/11誤字修正。
 広畝さま、塔ノ窪さま、oki_fさま、水上 風月さま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!


31 逸話多き男-手紙と誕生日

 北方戦線に最新鋭戦艦を旗艦とした支援艦隊を派遣したチャーブル首相は、一九二五年、六月二三日こそ悪夢の始まりだったと後世に残したという。

 

 しかし、アルビオン連合王国の落日を嘆いた老いし日とは違い、当時のチャーブル首相もアルビオン国民も、自分達の国が斜陽を迎えつつあるのだという事には気付けなかった。

 それも当然だろう。結果的に彼の国を財政破綻という崩壊に導いた帝国さえ、連合王国を日の沈まぬ国として、七つの海を支配した偉業に対して、ある種畏敬を抱いて止まなかったのだから。

 チャーブル首相は、晩年の言葉とは真逆に、支援艦隊が玉砕したという報告を受けた日の事を、国民を前にしてこう語った。

 

「私はその日、受話器を置いた。静かに、しかし勇者達への鎮魂と復讐を胸に誓いながら。アルビオン国民諸君、日の沈まぬ国に生きる国民諸君。連中が、誰に噛み付いたかを教えてやろう! 世界の盟主は、七つの海を支配した我々なのだという事を!」

 

 アルビオン国民は、この鼓舞激励に熱狂した。議事堂の前で、全面戦争を演説する議員達の前で、或いは昼夜を問わず街路を練り歩きながら愛国歌と国王陛下万歳を叫び、自分達こそが世界の覇者なのだと叫び続ける。

 声に奮い立ち、陶酔した民衆は志願兵となり、火に注がれた油のように巨大なうねりを上げて燃え上がって行く。

 我らこそ、神に聖別されし選ばれた民。光輝溢れる王国の向かう所に敵はないのだと、誰もが矛を交えもしない内から、派遣艦隊の敗北という事実を覆い隠すように、高く高く声を張り上げる。

 そうして志願を求める予備役兵や、歳若い青年達に現役武官は最初の命令を口にした。

 

「諸君らはこれから女と酒から別れを告げ、それ以上の、名誉という名の抱擁を受けるだろう! 有志諸君! 共に戦列へ!」

 

 広報を勤める武官の、前もって用意されたこのスローガンが、熱狂の火に更なる油を注ぎ、際限なく燃え広がった。

 盾を手に、剣を振り上げる荒々しき翼獅子(グリフォン)の連合王国旗が世界を席巻し続けるのだと、彼らは無邪気に信じ続けていたのだ。

 

 

     ◇

 

 

 だが。そうしたアルビオン国民達の狂奔にも等しい活気の中、事態を重く、そして冷静に捉えていたのは他ならぬアルビオン王立海軍と、国民を焚きつけたチャーブル首相自身だった。

 連合王国にとって、北方に派遣した支援艦隊は帝国に対する見せ札に過ぎず、また、レガドニア協商連合へのアピールも含めた、ある種の砲艦外交にも似た牽制目的で派遣を決定したものに過ぎない。

 連合王国はその艦隊で、帝国海軍に痛打を与えてやろうという思いも、協商連合に勝利を直接贈ってやろうという気もなかった。

 協商連合には艦隊を派遣した事で、帝国への宣戦布告という事実を強調し、連合国の一員としての誠実さを訴えつつも、燃料や補給物資は全て彼らに持たせ、自分達は北方海域を哨戒という名目で練り歩くばかり。正しく給料泥棒という言葉でしか言い表せない対応だが、支援艦隊にしてみれば、それでも十分働いていると主張するだろう。

 

 何しろ、海洋国家たる連合王国にとって、王立海軍は欠くべからざる戦力なのだ。彼らは植民地に駐屯軍を派遣ないし、交代する上での護衛となり、その絶大なる武威でもって諸外国からの侵略から守るだけが役割ではない。

 連合王国が支配する、七つの大洋に跨る海上貿易上の安全面からも*1、王立海軍と艦隊はなくてはならないものだった。

 世界最高にして最強の海軍が、万が一にも敗北を喫しては、制海権の問題からも、国家の威信と権益からも、連合王国は世界の盟主たる地位を失いかねないのである。

 

 王立海軍とは、最も高価で高貴な連合王国の剣だった。ましてや、派遣を決定したのは就役直後の最新鋭戦艦と、世界最大の巡洋戦艦。その周囲を囲む多数の巡洋艦と駆逐艦。

 この支援艦隊の武威を前にして、正面から挑めるような度胸を陸軍国たる弱卒の帝国海軍が持つ筈はない。仮に噛み付いてきたとしても、自分達が負ける筈がないのだから、正面から殴り返せば良い。

 支援艦隊は自分達の強さに自信を持ち、帝国海軍の内情も正しく理解していた。

 尤も、そんな無謀な真似を帝国がするとは、連合王国も考えてはいなかった。私が連合王国本土に決して上陸出来ないと諦めていたように、連合王国も帝国が、自分達の本土を寸土と言えども脅かす事は不可能だと分かっていたし、だからこそ派遣艦隊が粉砕されたという事実は、連合王国に激震をもたらした。

 チャーブル首相の弁舌とて、意図的に国民の動揺を抑えるためと、急場を凌ぐ為に兵員をかき集めねばならないという、二重苦故の措置だったに過ぎない。

 当時の連合王国は、間違いなく帝国が本土に踏み込んでくるだろうと危惧しており、これを焦眉の問題として、早急に対策を打つべく議題に掲げた。

 そこが、彼らにとっての誤算の一つ。もはや帝国は、連合王国の本土上陸など考えていなかったということ。二つ目は、最早語るまでもないだろうが、当時最新鋭たる艦隊を滅ぼせるだけの戦力を、海軍でなく空軍が有していたという事だろう。

 

 アルビオン王立海軍は、直ちに生存者からの報告を元に以下の対策を講じた。

 

 一、帝国空軍の大規模空爆編制と索敵能力から、大艦隊での航行は全滅のリスクが伴う為、大規模な艦隊派遣と挑発目的の運用を打ち切る。

 二、今後は物資と人員を小規模の輸送艦と護衛で運搬し、出来得る限り被害縮小に務める。

 三、フランソワ共和国海軍にもこの情報を伝え、最大でも中規模の編制に留めた上で、協商連合国軍港付近での、北方海域の哨戒と帝国海軍の監視に勤めて貰い、可能ならば即座に帝国海軍を叩く。

 四、帝国空軍に関しては、爆撃機及び魔導攻撃機を駆逐すべく、連合王国最新鋭戦闘機『スピットファイア』を輸送し哨戒任務に当たらせる。

 五、王立海軍は帝国に対して最大限の海上封鎖を実施し、海上貿易崩壊と、現存艦隊の温存に努める。

 

 当時としては、正しく大盤振る舞いとしか言いようのない連合王国の対応だが、それだけ帝国軍の戦力を高く評価すると共に、これならば帝国に一矢報いる事が出来ると、自信を持っていた事だろう。

 

 尤も、結果だけを先に語ってしまうと、アルビオン連合王国の計画は失敗に終わってしまった。

 真っ先に躓いたのは五番目の項目で、これに関しては、然したる成果を上げる前に、連合王国は中止せざるを得なくなったのである。

 帝国は原材料を諸外国からの輸入に頼っていたが、当時の帝国は当然連合王国の拿捕を恐れていた為、禁制品*2を、海路から輸入する事を避けていたのである。

 当時帝国が海路から入手していたのは、農業肥料や酪農牛の冬用まぐさといった自由項目品に限られ、最大の商取引相手であった合州国を始め、複数国が度重なる臨検・拿捕に抗議したこと。

 帝国側が──少なくともこの時点では──海路で禁制品の類を輸入していないと明らかにした事で、連合王国は手を引かざるを得なくなったのである、

 

 しかし、海上封鎖を除いた各項目は、手持ちの情報だけならば、我々帝国空軍にも北方戦線にも、かなりの痛手を被らせた事だろう。

 悲しいかな。連合王国は北方支援艦隊全滅後、『不運』が続いてしまったのだ。それこそ、後にチャーブル首相が語った、悪夢の日々が始まったかのように。

 

 

     ◇

 

 

 最新鋭アルビオン艦隊全滅。空軍指導部どころか統帥府さえ驚嘆し、小モルトーケ参謀総長が直々に祝辞の電話をかけて下さった程、上にも下にも衝撃を呼んだ空爆作戦であったが、私の心は一向に晴れなかった。

 フォン・エップ大将は本国に帰還した私に対し、犠牲に見合う以上の戦果だったこと。戦死した戦友達も、帝国の勝利を信じて散った筈だと慰めてくれたが、私の脳裏には、私の失態によって失われた彼ら一人一人の顔が、声が、名前が離れずにいた。

 

“私がいながら、何という様だ”

 

 自分を殺してやりたい気持ちで一杯になったが、しかし、今の私は指導部の人間として、果たすべき事がある。もう二度と、あんな無様な結果は残さない。僚機を墜落させた時点で私は勝者でなく敗者であり、戦友を死なせた大うつけだが、それを次に持ち越すような真似だけは絶対にしない。

 

 私は直ちに、指導部の面々に方針を切り替えるべきだと提案した。大規模空爆は出撃準備に手間がかかりすぎる上、十全な防御を固める艦隊には被害が多く出てしまうし、ゾフォルトの速度では対空兵装の餌食になってしまう。

 私は今後、大規模な空爆は行うべきではなく、輸送艦や哨戒中の小規模な船団のみを、少数の爆撃機と護衛戦闘機で叩くべきだと訴えた。

 奇しくもアルビオン王立海軍が立てていた計画と噛み合ってしまった形だが、私には予知能力といった超常の類を用いる事が出来る筈もないので、恐ろしい偶然の一致と言う他ない。そして私の意見は、自分でも想像した以上にすんなりと通った。既にしてエルマーが、私の案を実行する上で最高の機体を、予定より早く用意してくれていたからだ。

 

 他国がエルマーという天才から戦闘機の理想形を知り、それに追いつくべく猛烈な勢いで技術の階段を駆け上がりながらも、それを嘲笑うかのように、エルマーは彼らの上を飛翔し続けていた。

 二年以内の更新を約束したヴュルガーは、最高速度三七〇ノットという数字で他を圧倒し、中央大戦中盤まで主力戦闘機として各戦線を縦横無尽に飛び回った傑作機だが、エルマーはそれに、新たに三つのモデルを用意した。

 一つ目のモデルは航空カメラを搭載し、偵察機型に改修したE型だが、こちらに関しては従来の偵察機でネックとなっていた速度の確保。単一型式機を複数用途で運用する事で、生産効率を向上させたかったという二点の意図からであって、機体そのものに特筆すべき部分はない。

 特筆すべきは後者二つのモデルで、ヴュルガーは戦闘機としても他の追随を許さぬ傑作ではあったが、それで満足できなかったエルマーは、この機体を戦闘爆撃機という新しい軍用機の一形態に仕立てたのだ。

 主脚と装甲を強化し、翼下と胴体下部に、計一・八トンもの爆弾を搭載する爆弾架を設置したF型と、両翼下に爆弾でなく増槽を懸架(けんか)するG型である。

 当時のエルマーは速度や高度、装甲の問題からコンドルに代わる新型爆撃機や、これまでの常識を覆す新兵器開発を優先していた為、今年の七月にはようやく配備出来る筈だと伝えられた時には、正しく天の助けだと思った。本来なら、来年の春までは待たなくてはならないだろうと諦めていた機体だったからである。

 鈍足なゾフォルトと違い、これなら素早い爆撃を行う事が出来るし、失敗しても速度を武器に体勢を立て直して逃げられる。

 当然私は自分に使わせて欲しい、僚機の敵を討たせてくれと頼み込んだが、フォン・エップ大将は「一度きりの約束だった筈だ」と断った。そして、私が行かずとも問題ないと笑った。

 

「敵艦艇への攻撃は、ダールゲ少佐と麾下の部隊に任せる。貴官は指を咥えて、もっと良い案を出せるよう知恵を絞ることだ」

 

 私は粛々と頷いたが、不満など有ろう筈がなかった。ダキア戦役でもライン戦線でも、そして北方でも、私はダールゲ少佐と直接会う事は叶わなかった。

 それは、ダールゲ少佐が私に次ぐ空軍最高峰の撃墜王であり、一つの戦場に二人も英雄を抱え込むより、別の戦場にいてくれた方が良いという、至極真っ当な理由からだ。

 私はまるで離れ離れになった恋人のような気持ちで、ダールゲ少佐には便りを送り続けたが、その度にダールゲ少佐は私を笑わせようとしたり、撃墜王としての自分の活躍を存分に語って私を安心させてくれたものである。

 出来れば電話で話せれば良かったのだが、私もダールゲ少佐も、互いにひっきり無しに飛ぶ事を理解していたので、直接語り明かす事はなかった。正直に言えば寂しい思いではあったが、その度に私は、少女ではないのだからと何度も自分を励ましていたものである。

 

 私はダールゲ少佐ならば安心だと胸を撫で下ろし、必ずや帝国に勝利の報を届け、私の僚機の仇も討ってくれるに違いないと信頼したが、その戦果は私も、空軍指導部の予想さえも上回るものだった。

 

 

     ◇

 

 

 戦闘爆撃機の配備後、ダールゲ少佐はF型を短距離哨戒以外では用いず、北方戦線での空爆任務の殆どをG型で飛行した。北洋(中央大陸とアルビオン島に囲まれた海域)は帝国軍に発見される可能性が高い為、輸送船団は大洋方面に迂回路を取りつつ、協商連合の軍港に向かうだろうと読んだからだ。

 

 ダールゲ少佐の読みは常にずば抜けていて、レーダーさえ届かない広大な海に、ぽつんと浮かぶ船団を的確に発見しては、ボーナスを見つけたと喜んで爆弾を落としたらしい。

 増槽を翼下に懸架している為、ダールゲ少佐の爆弾は胴体下部に抱えた五〇〇キロ爆弾一発*3だけだったが、少佐は全く問題にしなかった。

 ダールゲ少佐はゾフォルトのそれより遙かに速く、鮮やかな急降下で舞い降ると、的確に命中・沈没させて悠々と凱旋するのであったが、勿論百発百中と行くのは少佐だけで、麾下の編隊に同じ事は無理だ。

 ダールゲ少佐以外の者達は小隊ごとに降下し、命中率を高めた上で爆弾や魚雷を投下する事を前提としていたし、当然敵船の撃沈は共同スコアとなった。後にも先にも、空軍の個人スコアで三桁近い船舶を撃沈したのはダールゲ少佐だけである。

 

 ダールゲ少佐は根っからのギャンブラーで、その件で過去に私や戦友達に迷惑をかけた事も一度や二度ではなかったし、叙勲に伴う特別賞与を全額借金返済に充てたぐらい困った男ではあったのだが、今回の作戦では、そのギャンブラー気質が大いに発揮されたようであった。

 

 私はダールゲ少佐の戦果報告を聞く度に祝電を打ち、手紙でも喜びと賞賛の旨を綴ったが、それに対しての返信は『上は自分達の戦果を、過剰に受け取ってはいないか?』という空軍指導部を案じての言葉だったから、私は一層強く胸打たれた。

 それから指導部に届けられた戦果報告や、状況に間違いが無いと分かると、ダールゲ少佐は胸を撫で下ろす様な文を送ってきた。

 

『ニコ、これは私信だから友人として忠告しておくぞ。どんな時でも、情報は正確でなきゃ駄目だ。負けが込んで誤魔化して、あっちこっちに擦り合わせたって、最後に苦労するのは自分達なんだからな。お前達は自分のようになるんじゃないぞ』

 

 流石はギャンブルで破産一歩手前まで行った男の言葉である。私がダールゲ少佐の為に立て替えてやった借金は、仔細は省くが中央参謀本部付佐官の年収とほぼ同額であっただけに、その重みも分かろうという物であった。

 勿論ダールゲ少佐は私に全額返済してくれたし、借金漬けになった時に戦友から借りた金も全て返済した。戦死した戦友に対しては、きちんと遺族に手紙と一緒に返済金も送っている。

 私は女癖の悪さも、ギャンブル癖と一緒に治ってくれない物かと受け取った手紙を読みつつ苦笑したが、この手紙の内容が至言である事に変わりはない。

 私は私信であるのを良い事に、個人的な会食でフォン・エップ大将にも手紙を読んで頂いた所、返ってきたのは笑い声だった。

 

「全くその通りだ! 私にまで給与の前借を懇願してきた奴は言う事が違うわ!」

「奴め、閣下にまでそのような事を」

 

 私は頭が痛くなる思いだった。私自身に金の無心をして来なくなったから安心していたが、よりにもよってもっと悪い相手ではないか。

 

「当然断ったがな。それは兎も角として、ダールゲ少佐の言わんとする所は、我々とて承知している。これは内密の話だが、過去に陸の若い参謀めが、前線基地の戦果を裏付けも取らずそのまま報告しおってな。全滅したと思った場所を悠々練り歩いて、地獄を見た中隊が出た」

 

 あれは自分にも良い教訓になったよとフォン・エップ大将は笑い、この話は自分が退役した時か、亡くなった後にでも言い触らすと良いと仰られた。そうして今、私はこれを戒めとして本著に書いている。

 

 

     ◇

 

 

 話を北方に戻すが、有効な作戦というものは対策されるもので、連合王国や共和国の船団は、昼間航行を極度に恐れ、夜間航行での物資輸送に切り替えたようだが、これは何の役にも立たなかった。

 ダールゲ少佐の読みが、凄まじいというのも勿論ある。それでも光を漏らさず航行する艦隊を月明かりだけで見つけるのは至難の業だが、そこは空軍が以前から開発に着手していた照明弾*4が、ダールゲ少佐達の助けになった。

 僚機の一つが投下したそれは、パラシュートを開きながらゆっくりと落下し、何分も海上を明るく照らした。加え、これ自体小型であった為に、G型でも四発は確実に胴体下部に懸架出来たので、ダールゲ少佐は多くの僚機にこれを持たせては、自分の勘の赴くままに投下を命じ、敵船団を空爆し続けたのだ。

 

 ダールゲ少佐は『北方の勇者』『船団殺し』と軍事公報のみならずラジオや新聞で持ち上げられ、一時は名声を得たが、すぐに宣伝されなくなった。戦死や戦傷といった、不幸からではない。不品行とまでは言わないものの、余りに自堕落な私生活故に、宣伝局が「奴の記事は書くな」と口を閉じさせたのである。

 本人はその件で私に『折角美女が言い寄ってくる筈だったのに!』と地団駄を踏んでいるのが想像できる文を送ってきたが、普段が普段なのだから自業自得である。

 私はダールゲ少佐に『もう少し自分を見つめ直すように』と少々辛辣な文を送ったが、効き目は全くなかったとここに記載しておく。

 

 

     ◇

 

 

 また、話が脱線した。正直、ダールゲ少佐の逸話と活躍は私でさえ多過ぎると感じるので、これでも十分削っている筈なのだが、何分破天荒な人生を思うがままに送っていた男であったから、こうして有名どころを取り上げるだけでも結構な文量になってしまった。

 

 もうこの際であるので、今回は手紙繋がりで妻の話題も出そうと思う。

 ダールゲ少佐の活躍と私の手紙のやりとりは、主に七月から九月末にかけてのものであったが、八月の半ば、大隊指揮官にして参謀将校となったフォン・デグレチャフ参謀少佐に、私は誕生日プレゼントを贈ろうと考えていた。

 私とフォン・デグレチャフ参謀少佐との私信は、秘密保持の問題もあるが、それ以上に私が軍の話題を出したくないと考えていたので、音楽や芸術、文学といった類や、日常生活にまつわるあれこれなど、実に素朴で平凡な形になっていた。

 その中には誕生日の事も含まれており、私は毎年家族や親しい者にプレゼントを贈るのだが、もし迷惑でなければ贈っても良いだろうかと訊ねると、彼女は是非にと自分の誕生日を教えてくれた。

 

 現金なような気もするが、天使のように愛らしいフォン・デグレチャフ参謀少佐がプレゼントを強請る姿を想像してしまった当時の私は、思わず頬をはにかませてしまったものである。

 幼い娘のいる父親や、年の離れた妹のいる兄とは、きっとこのような気持ちなのだろうなぁと思ったが、すぐに私は無礼が過ぎたことを心中でフォン・デグレチャフ参謀少佐に謝罪した。

 彼女は私の娘でもなければ、当然妹でもない。既にしてフォン・デグレチャフ参謀少佐は一人の、一人前の淑女である。幾ら年の頃が幼いといっても、齢以上に立派なフォン・デグレチャフ参謀少佐にそのような感情を抱くのは、彼女の尊厳を著しく辱めるものである。私は二度と、このような事は思うまいと己を戒めた。

 

 こうして私はフォン・デグレチャフ参謀少佐の誕生日が、九月二四日である事を知り、プレゼントを選別する事にしたのであるが、全くと言って良い程彼女に相応しい物を見繕えなかった。

 何しろドレスも装飾品も興味は無し。娯楽本の類は私以上に詳しい上に、今年に入って刊行された書籍や海外文学さえ読了していた物も多い為、贈った物が既読であっては目も当てられない。

 食料品や珈琲豆という手もあるが、こうした消耗品の類に有り難みは少ないだろうと思ったので却下した。

 

 どうしたものかと悩みに悩み、答えも出せないまま数日が経過。遂に根を上げた私は、男としてはこれ以上ない程情けない話だが、エルマーに相談を持ちかけた。

 あの普段から気遣い上手で、女性への機微にも明るそうなエルマーなら、必ずや期待以上の答えを出してくれるだろうと信じていたのである。

 そして、まかり間違ってもダールゲ少佐に相談しようなどとは思わなかった。意見を求めた矢先に邪推した挙句、私に褥の技術を教授してくるに決まっていると確信していたからだ。

 

 私の要件を耳にしたエルマーは、まず高らかに、これまでの人生で聞いたことがないぐらい大笑いすると、一拍間の後、静かに息を漏らした。

 

「兄上。幾ら何でも、それは男としての甲斐性に欠けますぞ」

 

 ぐうの音も出なかった。だが、自分でもそれを自覚して電話をかけたのだ。最早恥だろうが何だろうが、この際気にしてはいられなかった。

 私の名で「早急に」と頼めば確実に便を届けてくれるだろうが、フォン・デグレチャフ参謀少佐は各戦線を飛び回っている有能かつ多忙な大隊長であったので、余裕を持たせねばすれ違いとなり、誕生日を過ぎての受け渡しとなってしまう可能性もあったから、私は大層焦っていたのだ。

 

「とはいえ、あのデグレチャフ少佐ですからな。女子としての真っ当な価値観など、欠片も持ち合わせてはいないでしょう。いっそ、兄上の名で叙勲申請でも提出しては?」

「エルマー。花も恥じらう年頃の少女に、そのような侮辱は感心せんな」

 

 それに、私の名で叙勲申請なぞ送ったところで、人事局が受け取る筈もない。私の信用は、自分の仕事と私生活以外では皆無だ。戦友へのスコア贈呈が響いた結果とはいえ、この時は今少し自重しておくべきだったと後悔したが、後悔とは先に立たないものだから後悔なのだ。

 

「失礼を致しました。デグレチャフ少佐にも、後ほど失言をお詫び致します」

「そこまでせずとも良い。私の胸に留めておく。まぁ、互いに笑い話に出来る齢にでもなれば、打ち明けるやもしれんがな」

 

 私はエルマーとフォン・デグレチャフ参謀少佐に面識があったなどと一度として聞いていなかったので、この時は内心驚いていたが、一時期フォン・デグレチャフ参謀少佐は総監部の配属になったというのは耳にしていたし、教導隊の推薦もエルマーが太鼓判を押したのが切っ掛けだったのだから、会っていても不思議ではないかと考えた。

 それにしても、あれ程まで情に厚く、人の感情に敏いエルマーにしては、随分と辛辣に過ぎる。

 一体どうして私の弟は、自分よりずっと年下の可憐な少女に、こんなに冷たいのだろうと疑問に思ったが、この時の私は、脳に電流が駆け巡った。邪推とも言う。

 

 つまりこれは、我が弟の心に、遅い春が来たのではないだろうか? これまで異性に恋をしたなどという相談を、私にも姉上にも、勿論両親も相談してこなかったし、今の今までそのような気配など微塵もなかったエルマーである。

 きっとエルマーは、自分に芽生えた感情を理解出来ていないのだろう。そして、思春期の少年がそうであるように、気にかけている異性だからこそ、どう向き合って良いかが分からず、却って心にもない態度を取ってしまったのだ。

 それを考えれば、私は二重の意味で失敗したと思った。弟の想い人の誕生日プレゼントの相談を持ちかけ、あまつさえ弟の手柄を、私が横取りしようというのだ。

 私は自分を恥じた。深く恥じた。そしてエルマーに、短く切りだした。

 

「エルマー、実はお前は、デグレチャフ少佐に恋をしたのではないか?」

「兄上、すぐ病院に行って下さい。いえ、私が直ちに安否を確認しますので、少々お待ちを」

 

 私は受話器を置いて駆けつけようとするエルマーを全力で止めた。一体どうしたというのだと私は思ったが、そもそも的外れな邪推をした私が悪い。エルマーも暫し黙し、私の発言の意図を正確に汲み取ってから、呆れたように返した。

 

「私はこれ以上なく、自分の心に正直な男ですよ。兄上の方こそ、ご自身がお分かりでないと見える」

 

 つまりエルマーは、私の方こそフォン・デグレチャフ参謀少佐に気があるのだろうと言いたいらしい。しかし、エルマーと違い、私は恋というものを一度は明確に経験し、実感している身だ。

 あの、士官候補生時代の焼けるような胸の熱さも、高鳴る鼓動も、私はフォン・デグレチャフ参謀少佐に感じていない以上、恋をしている筈はないのだとこの時は疑わなかった。

 私がフォン・デグレチャフ参謀少佐を思い描き、胸に抱くのは締め付けるような痛みであり、彼女の人生に対する同情と謝罪、そして光ある道を願う心だ。

 これが、こんなものが愛や恋の類である筈がない。これは人としての同情であり、或いは一人の少女が幸福であって欲しいという道徳心であり、自分自身が望む道筋をフォン・デグレチャフ参謀少佐に歩んで欲しいと願うエゴイズムだ。

 こんなものを愛や恋だと宣える者がいるならば、それは何処までも歪みきった自己陶酔主義者だろう。

 

 私の主張に、エルマーは深くため息をついた。私は分かってくれなかったのかと嘆いたが、後から思えばエルマーは私よりも、余程私の心を奥底まで理解していた。

 ともあれ、エルマーは「もう良いです」と言わんばかりに、話を本題に戻してきた。

 

「デグレチャフ少佐にならば、実用品の類が良いでしょう。それも、自身の身を守り、武勲を立てられる物ならば言う事はありません。幸いにして、私が手慰みに開発した新式歩兵銃が御座います。勿論、宝珠との適合も考慮した魔導師専用モデルも有りますが、正式な配備が見送られておりましてね、在庫を抱えたままなのですよ」

「お前の作品を採用しない愚物が、まだ上にいたのか?」

 

 私は帝国の将来を、この時ばかりは本気で案じた。世界で最も素晴らしい軍事発明家たる、私の弟の作品にケチを付けるような奴が、帝国にいた事が嘆かわしくて仕方が無かった。

 

「弾丸の規格が既存のものと異なるので、補給に支障が出ると言われましてね。まぁ、そこは私も理解した上で開発しましたので、中央参謀本部直轄の精鋭魔導大隊の大隊長殿に宣伝して頂きたかったのですよ」

 

 私に良し、兄上に良し、そしてフォン・デグレチャフ参謀少佐に良しだとエルマーは笑った。この抜け目のなさからして、本当にエルマーはフォン・デグレチャフ参謀少佐に恋などしていないのだなと改めて納得した。どうやら私の弟は、意外に強かな面も持ち合わせていたようである。

 

「ところで兄上、文はそちらで(したた)めるとして、ご希望があれば銃に刻印を刻みますよ? 私としては『愛を込めて』を、お薦めします」

「悪ふざけが過ぎるな、弟よ。しかし、刻印か」

 

 こういう時、宣伝局やフォン・デグレチャフ参謀少佐のように、気の利いた字句が出てこないのがもどかしい。結局私は、安直だが銃床にフォン・デグレチャフ参謀少佐のイニシャルと、『幸運を』という言葉を入れて貰うに留めた。

『愛を込めて』を銃に刻むセンスは理解しかねるし、そもそもにしてそういう関係ではないのだから当然である。

 

*1
 当時の連合王国は、国内食糧消費の三分の二を輸入することで賄っていた。また、生活必需品も貨物船から運ばれる外国商品に依存していた為、艦隊が傷を負うなどという事は悪夢以外の何物でもなかった。

*2
 戦時下における国際法の輸出品目は三種に分類され、中立国が商取引を行う際は規制がかけられる。種別は。

 一、軍事目的にのみ使用される絶対禁制品。

 二、軍事目的・非軍事目的に使用される条件付き禁制品。

 三、食料を含む自由項目。

 である。一の絶対禁制品は交戦国であれば自由に鹵獲が。二の条件付き禁制品は届け先が敵国であると証明出来れば、没収が可能である。

*3
 航空魚雷による戦果報告を受けてからも、ダールゲ少佐は徹甲弾(PC)での急降下爆撃を続けていた。

 これは魚雷の不発を危惧してのことではなく、自分の腕ならば確実に命中させられるという技量への自負と、何よりも航空魚雷は大変高価であったことから、ダールゲ少佐はここぞという場面以外で、航空魚雷を使用しなかった。

*4
 これはエルマーやフォン・シューゲル主任技師の作品でなく、航空兵器工廠のものである。




補足説明

【アルビオンの首相について】
 原作のこの頃はまだチャーブルさんは首相じゃないはずだし、原作3巻の共和国本土侵攻後はマールバラ公が海相から首相に任命されるのですが、物語的に登場人物増やしても本筋に絡まないので、フライングさせて頂きました。

【ダールゲの借金について】
 ダールゲ少佐の借金は実はもっと多くて、主人公にしこたま説教されてからは一時期ギャンブルから離れてたけど、主人公と離れ離れになってからギャンブル熱が戻っちゃった模様。嫁の目が離れた途端ダメになる旦那かよ。

【エルマー君が銃を作った本当の理由】
 エルマー君がわざわざ銃を設計したのは「その内兄上がデグ様にクリスマスとか誕生日プレゼント贈るようになる筈だし、絶対相談に来るだろうから用意しとこ」といった理由だった模様。
 でも手慰みというのは本当で、エルマー君からしたら「歩兵銃とか兄上が使わねーんだから別にいらねーし、やる気出ねー」って感じで手を抜いてました。
 本気出してたら、東ドイツのMPi-Kが完成していた模様(作らないとは言ってない)

【郵便物について】
 史実ドイツではスパイ等の問題防止や安全対策のため、郵便物に危険物はNGなのですが(野戦郵便局は事前にNG内容を伝えている)この作品ではその辺結構無視します。
 たとえば総監部からテストだったり、エリート部隊の隊員に個人的に贈呈する分はパス出来たりとか云々といった感じの設定で。
 あとは私信に関しては、チェックする将校に事前に提示してスタンプを押して貰えば、その後は目の前で封蝋すれば封蝋を壊さずに手紙を贈れるといった感じの設定で行きます。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【航空機】
 フォッケウルフFw190G→Jä001-1Gヴュルガー(エンジン部は改修済みなので、実質Fw190Dの魔改造機)
 フォッケウルフFw190E→Jä001-1Eヴュルガー(エンジン部は改修済みなので、実質Fw190Dの魔改造機なのに加えて、190A偵察型の要素も複合済)

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