キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/2/29誤字修正。
 八連装豆鉄砲さま、佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


46 帰還の道のり-思いの自覚

「大尉! 無事か!」

 

 私は風防をこじ開けて、後席に座るグロート大尉の安否を確かめた。「大丈夫です」と大尉は薄く笑うが、額には脂汗が浮かび、息も深い。私はグロート大尉を座席から引き摺り出す前に周囲を確認し、それからくまなく大尉の身体を調べた。

 金属片が刺さっていたり、被弾したという訳ではない事に安堵した私は、触診を開始した。どうやら左足が折れているようで、私が触ると無理に平静を繕った。

 

「すぐバレることを隠すな」

 

 私は渋い声で言うと、グロート大尉を一旦そのままにして、後席に積まれた護身用のStG25を手に──MP2A1は既に多数配備されていたが、どうせ墜落した先で撃ち合うならと、私は自動小銃を選択していた──連邦の哨兵が彷徨いていないか警戒した。

 

 幸いにして雲の流れが早く、着陸地点にはもう雨は降っていなかったが、ここでも暴風雨は来たようで地面が酷くぬかるんでいた。

 当然ながら、ゾフォルトはもう飛べない。着陸時に車軸がずっぽりと泥濘に埋まり、そのまま地面を滑るように着陸したので、車軸が完全に折れていた。

 

「大尉。ここから基地まで貴官を担いで動く。辛くなれば下ろすから、隠さず言うように」

 

 ゾフォルトは敵に鹵獲されることを防ぐため、規定通り魔導核を暴走させて自爆させる。未だにどの国家も魔導攻撃機を実用化できていないのは、費用対効果の側面も大きいが、墜落間際に後席手が内部機関を完全に崩壊させて来たからだ。

 出来れば政治将校あたりに撃ち殺された兵卒の死体でもあれば、追跡を逃れる為に偽装できたのだが、そう上手くは行かなかった。いや、敵が居ないのは良い事ではあるのだが。

 

「どうか置いて行って下さい。大佐殿一人なら、逃げおおせられます」

「馬鹿を言うな」

 

 グロート大尉は私に無理やり連れてこられた被害者で、私が無茶さえしなければ、大尉がこんな目に遭う事はなかったのだ。元凶たる私が部下を置いておめおめと逃げ出し、生き存えるなど考えられない。

 私は有無を言わさずグロート大尉を引き摺り出して、どうせ派手に吹き飛ぶのだからと操縦桿を折って添え木代わりに大尉の足に宛てがい、巻きつけてから担いだ。

 この時の担ぎ方は今日で言う所のファイヤーマンズキャリーに近いもので、片手が空くので拳銃を握る上では、大変勝手の良いものだった。

 ただ、この時私は初めて、ズキリと胸のあたりに鋭い痛みが走ったのを自覚した。グロート大尉にばれないよう触診して確認すると、どうやら私も肋に罅が入っていたようである。

 

“右が三本、左が二本か”

 

 罅程度なら全く問題ない。折れていれば肺に刺さる可能性もあっただろうが、痛み程度で止まっていては、軍隊ではやって行けない。

 

“ここから基地まで、一〇〇キロはあるか”

 

 地図とコンパスを確認して現在地を割り出す。私一人ならば三日三晩走り続けようとどうという事はないが、敵兵を警戒する以上は迂回路を取る必要があるし、適宜グロート大尉を休ませねばならない。

 私はどれだけ早くとも、基地に辿り着くには四日は見るべきだろうと考え、ポケットに入るだけのの携行糧食や戦闘口糧を詰めてから、StG25の負い紐を首にかけた。

 当然、携行糧食や戦闘口糧、水筒の水は全てグロート大尉の物だ。斯様な事態を招いた傲慢な阿呆は、木に伝う雨水でも舐めておくべきだろう。

 

 

     ◇

 

 

 長靴が沈み込む泥濘を、私はひた走る。一刻も早くグロート大尉を安全な基地に届けねばならないのだから、歩くなど論外である。

 何より、時間を置いて爆発するゾフォルトから一刻も早く遠のき、一秒でも早く自軍の下へと進まねば、連邦軍は我々を殺す為に包囲環を形成するだろう。フュア・メリットやダイヤ付きの白金十字を得た将校など、連中からすればこれ以上ないプロパガンダの材料だ。

 平野部なら二時間あれば楽に四〇キロは進めるが、ここでは半分が限度だった。

 泥濘である事に加え、村落や敵兵が哨戒を配置するだろう位置を避けながらとはいえ、この結果はあんまりだ。

 近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)時代なら「何という様か!」と上官から尻を蹴り上げられた事だろう。山岳部でもあるまいにこの様とは、デスクワークが祟ったのか、随分と足が遅くなったらしい。

 

 我が身の不甲斐なさを恥じつつも、泥濘の少ない場所に一旦グロート大尉を下ろし、フライトスーツのジャケットを脱いで地面に敷いてから、大尉をその上に腰掛けさせた。上半身だけなら、横になっても不快感は少ないだろう。

 ジャケットを脱いだ私は汗だくだった。七月の初旬にフライトスーツを着て延々と走り続けたのだから当然だが、水分が抜けるのも惜しいと汗を舐めた。

 水筒の水に手を出したい衝動に駆られるが、それだけは駄目だ。まだ二四時間も経過していないし、水と食料は全てグロート大尉の物なのだから。

 StG25を携え、グロート大尉に拳銃を握らせてから周囲を警戒。敵兵の姿がないと分かると、私はすぐに大尉の元に戻って、眠るよう命令した。

 

「大佐殿は?」

「私を気にせずとも良い。これは命令だ。体を休ませろ」

 

 物申したげなグロート大尉から拳銃を奪い、私は寝ずの番についた。といっても、定期的に数秒程度は目を閉じて身を休めるようにしていたので、完全に不眠不休という訳ではない。

 私は四時間程経過してからグロート大尉を起こし、泥で強張ったフライトスーツを再び着てから、大尉を担いで走った。

 後はもうこの繰り返しで、一定時間経つか、グロート大尉が自己申告すると下ろして下の世話をし、チョコレートバーやビスケットを食べさせては担いで走り続ける。

 道中では兎が多く目に付いたので、私は何度も銃やナイフを抜きたい衝動に駆られた。幼少の頃より培った狩猟技術もそうだが、射撃の成績は常に一番だった。どんな距離だろうと銃の性能さえ問題なければ射抜ける自信はあったし、どれだけ素早かろうが関係ない。

 けれども、この逃走中に私が銃を抜く事は一度もなかったし、当然ナイフでカエルや兎を捌く事もなかった。

 そうしたことに時間を費やすより、一刻も早くグロート大尉を友軍に送り届けねばならなかったし、何より銃というものは音が響く。それこそ、何処までも遠くにだ。一発の発砲音が軍用犬どころか敵兵の耳に届けば、私達はたちまち袋の鼠となるだろう。

 グロート大尉の分だけなら、生き残る分には三週間は問題ないのだから、無用な欲はかくべきでないと自制した。夜間の警戒中に可食野草があれば摘み、大尉に食べさせていたから、まだある程度余裕もある。

 

「大佐殿は、召し上がられないのですか?」

「実は大尉が寝ている間に、我慢出来ず食べてしまった」

 

 済まないなと詫びたが、下手な嘘なのでグロート大尉にはバレていただろう。当然バレた所で気になどしない。私は上官という立場を使って、問答無用で食事を与えて水も飲ませる。部下の栄養管理も上官の仕事の一つなのだから当然だ。

 部下の忠告に聞く耳を持たなかった馬鹿な大佐は、馬車馬の如く働くべきなのだ。

 

 

     ◇

 

 

 晴れ間が覗き、鬱陶しい快晴が私達を襲ってきた。唯でさえ滝のように汗が流れているというのに、太陽は私には兎も角、グロート大尉にまで優しくない。

 しかし、私は空に希望を見出すことが出来た。帝国空軍機が、私達を捜索してくれている姿がはっきりと目視出来たからだ。

 ただ、ここで助けを請う事は出来ない。地面の泥濘は深刻で、強化された主脚を武器に不整地でも難なく離着陸を可能とするヴュルガーのF・G型であっても、離陸は無理だろうと私は弁えていたからだ。

 彼らが私達を見つけて無理に着陸しないよう、敵にするように息を止めて身を潜めた。戦友達は懸命に私達を捜索してくれたが、やがて後ろ髪を引かれる思いで帰っていった。これで良い。彼らはこの地に着陸せず済んだ。

 私は安堵しつつ、再び広大な大地を駆けた。魔導師も捜索隊に駆り出されたようだが、万一私達の救助や搬送中に空中戦など起きようものなら、希少な魔導師を負傷させてしまうのでこちらも見送った。

 

 私もグロート大尉も安堵したが、同時に友軍の索敵能力も少し不安になってきた。

 

 

     ◇

 

 

 四日目、私とグロート大尉は、余りにも無残な戦友達の姿に愕然とした。

 後退途中、捕虜になったのだろう。銃剣や銃床でずたずたにされた者。執拗に顔面を潰された者。耳や鼻を削がれた者。腸が飛び出したまま失血死したであろう者など、誰一人として蛮行を受けていない者はいなかったが、彼らに共通しているのは、軍服はおろか下着さえ剥かれ、裸の状態で有刺鉄線を巻かれて息絶えていたことだ。

 特に、女性軍人の姿は直視に耐えない。まだ幼さの残る一〇代後半の少女が、敵の辱めは受けまいと銃を咥えて自決したのだろうが、遺体であっても敵兵が彼女を陵辱した事がはっきりと分かった。

 私はグロート大尉に、上着をかけたいので下ろすと告げた。大尉は快く頷くと、腰を下ろした状態のまま十字を切り、私が女性軍人に上着をかけている間、戦友達に鎮魂の聖句を唱え続けていた。

 戦友の遺体で丸々と肥え太った蠅を払いつつ、私は腐敗した遺体の瞼を下ろし、顔を覚えた。出来ることならば、私は彼らの認識票を携えたかったが、それさえも許されなかった。連邦軍は自らの戦果を誇示する為に、私達の戦友から認識票までも奪い去っていたのだ。

 

“蛮族共め……!”

 

 私は歯を食い縛った。奴らには人の心というものがないのか? 戦争である以上、死は避けられないのだとしても、遺された者達に死を伝える権利さえ奪い去ろうというのか?

 便りも届かず、行方もしれないとすれば、家族や親友らは察する事が出来るだろう。けれど、それとは別の問題なのだ。彼らの死を知らず、愛する者たちが日々無事を願って祈り続ける日々は、どんなに残酷なものだろう?

 祖国の為に戦地に赴いた彼らが、かくも無残な姿で置き去られている事を知らずに、戻ってきて欲しいと願い続ける日々は、どれほど苦しいものだろう?

 連邦軍は自分達が逆の立場に置かれたとき、遺された者達に死んだ事を伝えられない事が、どれほど悔いが残るかを考えられないのであろうか?

 

 いや、もう止そう。私は連邦軍に、人として持つべき良心など期待はしていなかった筈だ。今も昔も、彼の国の蛮行は聞き及んでいたではないか。進軍の途次に有って、敵がどのような行為に及ぶかは、理解していた筈ではないか。

 心苦しいが、私は彼らを埋葬する事も、名前を知る事もできない。だから、私は彼らの前で十字を切って誓う。必ずや、この報いを連邦に受けさせる。諸君らの守り抜かんとした祖国を、決して敵の手に渡しはしないと。

 かの邪悪と冷酷の息遣いも荒々しい、悪意の国を討つのだと。

 

     ◇

 

 

 墜落から、一週間が経った。流石にこの頃になると赤軍兵士らの姿も見えたので、私達は如何に身を潜めながら切り抜けるかに注力せねばならなかった。

 流石の私も、一週間となれば睡魔にも襲われる。グロート大尉には一〇分以上は決して寝させるなと念を押して目を閉じた。

 

 私は微睡みの中で、空軍指導部勤務の頃の夢を見た。正確には、指導部勤務時の休暇の夢だ。後方勤務でも休みを欲しなかった私は総司令部から蹴り出され、「軍大学の資料室にも行くな」「映画でも観ておれ」と強引に車に押し込まれたのだ。

 渋々ながらの休暇だが、休んだ分は明日倍働けば良いと意識を切り替え、映画館に入った。軍の記録映画でなく、合州国でも評判だった一昔前の無声映画だ。だが、宣伝局のプロパガンダは帝国の何処にでも付き纏う。

 

「はじめまして! 私が、白銀、ターニャ・デグレチャフです!」

 

 制帽に収まるよう纏められた髪を下ろし、年相応の少女らしいドレスを纏い、愛らしい笑みで彼女は私に、私達鑑賞者に語りかける。広報が彼女に可憐な愛国者を求め、唯々諾々とそれに従って国家を賛美する彼女を私はそれ以上直視出来ず、映画もまだだというのに席を立った。

 

「帝都を散策したい」

 

 運転兵にはそう言って引き上げて貰い、穏やかな街並みを眺めながら歩けば、そこにもターニャ・リッター・フォン・デグレチャフの姿があった。勇ましい姿でポスターに写り、戦意高揚を訴える彼女。『戦地で待つ』と、手を差し伸べる彼女。何処にもかしこにも、栄えある魔導師として、軍人としての彼女が居た。

 

“今は、どうしているだろうか?”

 

 私は何度も、それを思う。一日のうちに、ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフという少女を思い浮かべなかった日はなかった。私は便箋とインクを買い求め、その日も手紙を認める。今日の文は、少々返信に困る内容だ。

 

『私の事を愛しておいでなのですか?』

 

 これが彼女の言葉でない事は、すぐ分かった。言い回しも、言葉遣いも、表現も、全てがターニャ・リッター・フォン・デグレチャフのそれでないと私には分かってしまう。

 同僚の女性武官か某かが、それとなく私に恋人が居るか、ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフに気があるのか気になって書かせたか。或いは単に、私が気付くかどうか確かめたかったのか。

 どのような意図があるにせよ、彼女の心からの言葉でない以上、私も礼儀作法に則る程度で良いだろうと有り体な言葉で認めた。

 ただ、私はこの時、ふと思った。もし、ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフが本当にこの問を投げてきたら。もし、私の心を知りたいと思って文を出したなら。

 

“私の心は、揺れたのだろうか?”

 

 

     ◇

 

 

 グロート大尉は起きた私に「きっかり一〇分ですよ」と言うが、大尉の懐中時計も私の腕時計も針を弄られていたのはすぐ分かった。

 困った部下だと思いつつも、日の高さから正確に時間を割り出す。どうやら一時間も眠ってしまっていたらしい。近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)時代なら、複数人から打擲(ちょうちゃく)された後に厳罰に処されることは間違いない。古プロシャ時代の兵士なら、鞭打ち刑は確実だ。

 

“無様なものだ”

 

 どうやら私は、自分で思う以上に身も心も弱っていたらしい。睡魔に魘されて少女の夢を見るなど、軟弱な男そのものだ。だというのに、私はフォン・デグレチャフ参謀中佐の事ばかり考えてしまう。逃走中は敢えて思い出すまいとしていたというのに、夢に見て、顔がはっきりと思い浮かぶようになってからは、ずっと彼女が気になって仕方なかった。

 査問会議は無事終わったろうか? 不当な発言に傷ついてはいないか? 赴けなかった私を、怒っているだろうか?

 私は不安だった。フォン・デグレチャフ参謀中佐が心配だったことと、自分が嫌われてしまったのではないかという思いから。

 

 そして気付く。私は恐れていたのかと。だから、あんな無謀な真似をして墜落したのかと。だとしたら、嗚呼、なんという喜劇であることか。

 私は間違っていた。エルマーは正しかった。私は、あの幼い少女を、フォン・デグレチャフ参謀中佐を好いていたのだ。

 

“何時からだったのだろう?”

 

 ノルデンの空で抱きしめた時は、本当に必死だった。死なせるものかと我武者羅になって、他の事など考えてはいなかった。病室で眠るデグレチャフ少尉に手紙を置いた時も、私は無事だった事への安堵だけが胸を占めていた。

 だとしたら、一目惚れでないとしたならば、何時だったのだろう? 心の中で、何時彼女は大きくなったのだろう? 日々、健やかであって欲しいと祈り続ける中で? 軍学校で再会した時の逢瀬の合間に? 文通を続け、互いを知り合えるようになってから?

 恋の始まりが何処かは、こうして筆を取る中でも分からない。物語のような劇的な出会いをしたとしても、それは出会いのきっかけであって、恋のきっかけではない。

 ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフと関わり、彼女を想い祈り、再会して言葉を交え、手紙を通して相手を理解出来るようになって……そうした、一つ一つの積み重ねが今の私の心を、彼女で埋めたのだ。

 

 日々健やかであって欲しいと絶えなく祈り続けたのも。その顔を思い出す度に、胸を締め付けられていたのも。全ては恋したからなのだろう。

 何と滑稽極まりない。同情? 一個人の道徳? 私は何処まで、自分を誤魔化せば気が済むのか。なぁ、ニコラウスよ。お前はフォン・デグレチャフ参謀中佐の幸福を、明るい未来を望むと言いながら、彼女がどんな未来を歩むと考えていた?

 フォン・デグレチャフ参謀中佐が家庭を持ち、子を生し、平和を謳歌する日常。それをお前は想像していたか?

 

“いいや。想像していなかった”

 

 そうだ。想像などしていなかった。帝国人の、貴婦人的価値観こそを美徳とする女性像を理解していながら、彼女の未来に幸あれと願い、選択肢ある人生をと祈りながらも、ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフが、他の誰かと結ばれる事を、一度として考え望んだか?

 

“認めよう。私は彼女が、誰かと添い遂げる未来を望みはしなかった”

 

 幸あれとは心から願っていただろう。だが選択肢というものを、本当に正しく理解はしていなかった。ニコラウス、お前は偽善者だ。自己陶酔とエゴイズムに満ちた、欲深で罪深い男なのだ。お前がフォン・デグレチャフ参謀中佐に与える選択肢とは、職業という枠組み程度のものであって、平和の先にある人生ではなかった。

 

“私が、恋をしてしまったばかりに”

 

 ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフの人生に、常に自分が関わりたいと願った。手紙を送り親しくなり、日々祈り続けたのは彼女の為でなく自身の為。何処までも身勝手で、自分本位で、どうしようもないほどに醜い男が私だった。

 だが。それを醜いと自覚してなお、私はこの想いを捨てきれない。

 離れるべきだ。遠のくべきだ。彼女の伴侶となるべきは、清い心根を持つ男だ。愛を与え、心を育み、善き道へと導ける男だ。

 愛されたいが為に、愛したいが為に近づいた私は、似つかわしくないのだと弁えて身を引くべきだ。そう理解出来ていながら、私は未だ諦められない。醜くとも、相応しくなくとも、私は自覚してしまったから。恋に落ちていたと気付いてしまったから。

 

“会いたい”

 

 その一心が、疲労に蝕まれた体に活力を灯す。雨露と河で乾きを癒し、時には尿まで含んで耐えるばかりだった身体が、今ではとても軽かった。

 

「大尉、休憩は終わりだ」

 

 私はグロート大尉を担ぎ、ぐんぐんと速度を上げた。肋の痛みなど全く感じず、二人一組(ツーマンセル)の敵哨兵を見出せば背後からブーツナイフで一人目の口を塞ぎつつ腎臓を刺して迅速に処理した後、二人目も大尉のナイフで振り返った瞬間に頚動脈と気道を纏めて貫いて絶命させる。

 私は彼らの背嚢を手早く確認して必要な方を奪い、グロート大尉を担ぎ直すと音もなく消えて進み続けた。欲しくて堪らなかった物資は確保した。これまで通りの生活ならあと一週間は持つが、長居をしてやる義理はない。

 

 私は背嚢から赤軍がおやつ代わりに食しているひまわりの種を取り出して、移動中にグロート大尉に食べさせた。

 厳つい形をした男が、ポリポリと食べる姿を見て、まるでリスのようだと思うぐらいには余裕が出てきたが、大尉は「可愛いな」と笑う私にむくれた。これは私が悪い。

 ひまわりの種も要らないというので、私も墜落から初めて食事にありつける事に内心歓喜した。しかし消化に悪そうであるので、口の中で一粒がクリーム状になるまで噛み潰してから嚥下した。

 但し、全ては食べない。半分はグロート大尉に残す。また私の心の清涼剤の為に、大尉には食べて貰うのだ。しかし実に美味いな。空腹というスパイスあっての物なのだろうが、それにしても中々だ。

 次から自分の戦闘口糧は前線生活で疲労の溜まっている部下達にでも与えて、自分は今後ひまわりの種でも齧っていようかと思うぐらいには気に入っていた。花屋にでも行けば手に入るだろうか?

 

 

     ◇

 

 

 晴天続きの為に泥濘も多少はマシになり、私の移動速度はぐんと上がった。連邦軍の数も進めば進むほどに減っている事からも、帝国軍の勢力圏に近づいているのだということが感じられて、私は一層足早に駆け続けた。

 

「もうすぐだ、きっともうすぐだぞ、大尉!」

 

 ただ元気づけようというだけでなく、声の明るさからも本当なのだろうと気付いたグロート大尉も、その表情を明るくした。

 そうして私は持ち前の視力で、遂に友軍の姿を捉えた。灰緑色(フェルトグラウ)の軍服に、ライン戦線から本格的に行き渡った石炭バケツ(シュタールヘルム)。紛れもない、私達の戦友がそこにいた。

 

「頼む! 大尉を助けてやってくれ!」

 

 そう大声で何度も叫びながら、私は兵士達に駆け寄った。我々は、一三日にも及んだ家路への長い道のりを経て、ようやくゴールに辿り着いた。

 




 次回、告白回です。

補足説明

【デグ様の広報記録について】
 漫画版(コンプエース2019年7月の特典冊子)では、萌えるデグ様がレルゲン様の手によって可能な限り抹消されるという、A級戦犯不可避な事件が発生しましたが、原作でもアニメでも普通に記録がとられておりましたので、この世界線の映画館では大々的に公開され、帝都はデグ様のポスターで満ち満ちております!(ガッツポ)
 これは秋津島人がハッスルして骨董品店やらオークションでポスターを求めますね間違いない!
 多分アレですよ、この世界では運良くデグ様の足が滑らなかったり、偶然レルゲン様が居合わせなかったんだよきっとそう。いやー残念だわーターレル信者には申し訳ないわー(棒)

【ひまわりの種について】
 ひまわりの種が赤軍のおやつだったのは史実です。縄張り意識の強さとか実にハムスターっぽいですね。赤軍は外側も中身もアレな奴らばっかでしたので、全く可愛くありませんが。

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