キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/3/2誤字修正。
 すずひらさま、佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


47 入院-告白

 私とグロート大尉を見やった兵士達は本物かと目を丸くして驚いていたが、私がポケットから取り出した簡易身分証明書と、首にぶら下げた認識票を確認すると、すぐさま大尉を担架で運び、私も包帯所に来てくれと言われた。

 

 魔導軍医のおかげでグロート大尉の骨折は半日と経たず完治したが、私に関しては「肋が五本も折れていますよ! これで大尉を担いで走り続けたんですか!?」と、大層驚かれてしまった。

 折れたのは無理に走り続けたからだろうし、私もそれは承知していた。胸の辺りの痛みが急に強くなっていたし、皮下出血もしていたからだ。ただ、折れ方が良かったらしく、骨片を外科医療で取り除く必要はないだろうと言われたのは安堵した。

 

 私の肋も一日と置かず治ったので、すぐに東部方面軍司令官と空軍総司令部に連絡を取ろうとしたのだが、こちらから伝えるので、直ちに本国の病院に行ってくれと軍医は言う。

 確かに本国の病院に行けるなら、フォン・デグレチャフ参謀中佐に会う事が出来る。だが、それはあくまでも私人としての望みであり、個人的な欲求に過ぎない。

 

 祖国は今まさに、共産主義の魔の手に脅かされている。そして戦友達は、今なお傷つきながらも祖国防衛の為に奮迅しているというのに、帝国貴族たる私が義務を放棄して、一人平和な本土で休み続ける訳には行かない。

 何より、私は出来る事ならば自分の口から上官や家族に無事を伝えたかった。家族の皆が、私が死んだと勘違いしていないかと気が気ではなかったし、フォン・エップ上級大将(一九二六年、四月進級)にも自分の口で謝罪がしたかったのだ。

 傷が問題なく癒えたのだから、もう心配はいらないと私は断ったが、軍医は首を横に振ると、従軍看護婦に鏡を持ってこさせた。

 

“これが、私か?”

 

 私は愕然とした。まるで骸骨のように痩せこけた頬と、屍蝋のような肌の男が、鏡に映っていたからだ。グロート大尉が、何度も私を見ては体を気遣ってくれた理由がようやく分かった。帝国軍兵士が、しきりに私の顔を見て確認を取ったのも当たり前の話だった。

 約二週間もの間、ひまわりの種数粒と僅かな水しか摂らず、七〇キロ余りの成人男性を抱え、自動小銃や拳銃などを携えて泥濘地帯を走り抜けたのだから当然だ。私の体重は、二〇キロ以上落ちていた。

 

 確かにこれは拙い。一日でも早く体重を戻して身体を作り直さなくては、飛行勤務には確実に支障をきたしてしまうし、栄養失調で療養生活を強いられかねない。

 私は軍医に、カルテを見せて欲しいと言ったが断られた。栄養失調と脱水、疲労面を考えて、最低でもひと月は休んで欲しいというのだ。

 ひと月など到底耐えられない。いま、赤軍の戦車や大砲がどれだけ戦友達を苦しめているか知らない筈もないだろうと抗議した。しかし、軍医は頑なに首を振り、階級が上の私を睨んだ。

 

「そう思われるのでしたら、何故無謀な飛行をされたのですか?」

 

 私は押し黙るより他になかった。既に私の単独飛行は知れ渡っており、軍医はこれ以上話を続けるなら、療養期間を伸ばすようカルテに書くとまで脅してきた。

 私は後生だから止めて欲しいと頭を下げ、せめて二週間に削ってくれと拝み倒した。パイロットとしての仕事は無理でも、後方勤務なら十分可能な筈だと訴えたが、無理だった。軍医は「心から快復をお祈りしております」と告げ、有無を言わさず私を輸送機に詰めたのである。

 

 グロート大尉も私と同様に休養が必要だと言い渡され、同じく輸送機に乗って帝都の病院まで飛ばされたが、大尉とは途中で別れた。本国でなく、休養陣地内の病院でグロート大尉は療養することになったからだ。

 

 

     ◇

 

 

 帝都に到着した私の側には、ご丁寧に病床看護という名目で軍医が付けられた。早い話が病院を脱走させない為の見張りであり、なんと憲兵まで病室の外に待機するという徹底ぶりだった。

 ご不浄から院内の散歩まで、常に彼らは短機関銃を携えて付いてくる事を義務付けられているそうだが、全ては私の為だと言う。

 

 流石に帝都に戻されてまで、黙って前線に戻ろうとは思わなかったが、既に私の信用は地の底にまで落ちていた。自業自得だ。

 私の墜落を聞いて、受話器を落としたというフォン・エップ上級大将は、帝都の病院に電話を入れると、受話器に耳を当てた私にがなり立ててきた。

 方舟作戦を阻止した時以上の、火を噴くような赫怒と剣幕に、たじたじとなりながら私は謝罪の言葉を延々と述べ続けると、上級大将は上がった息を深呼吸で正しつつ、私が撃墜されてから、どれだけ空軍が阿鼻叫喚の絵図と化したか。何より、ダールゲ中佐を筆頭とした前線パイロットたちが、如何に憤激したかを述べられた。

 

「『俺たちがママを助け出すぞ!』とな。皆口々に叫んでおったぞ」

 

 ママというのは、当時はあまり知られたくなかった私の愛称だ。軍事公報なども題材向きでないとして掲載していなかったから、このあだ名を知っていたのは、私を知る現役武官ぐらいだろう。

 フォン・デグレチャフ参謀中佐が少尉であった頃に配属先を根回ししたことや、彼女との図書館でのやりとりから伺えると思うが、私は非常におせっかいな性質であった。

 

 常日頃から部下の体調を気にかけ、悩みを聞き、時には上官や他軍種からの差別的な誹謗中傷──嘆かわしい限りだが、民族主義が台頭していた当時では、往々にしてあった──から庇っていた反面、訓練では厳しいという言葉を通り越した苛烈な性分であったこと。

 常日頃、軍人として襟を正すよう周囲に徹底させていたことから、私を知る周囲……というよりダールゲが「ニコは教育ママだ」と、広めて今に至ってしまったのである。

 かくして私は、当時の帝国軍がプロパガンダとして大々的に持ち上げた『空の騎兵、フォン・キッテル』でなく『ママ・キッテル』が空軍での──勿論、私に面と向かって口にするような剛毅な者はいなかったが── 一般的な愛称として通っていた。

 

 それはさておき。私の撃墜を知って憤死しかねないほどの憎悪を滾らせたパイロットの中でも、特にダールゲ中佐の怒りは凄まじいものであったらしい。

 ダールゲ中佐は、まるでライン戦線での私のように空と大地を蹂躙したという。

 特に高射砲部隊に関しては一際激しく、情け容赦ない苛烈な地上攻撃でもって殲滅しながら、私の為の救援部隊が一刻も早く活動に移れるよう、空と大地双方の連邦軍を、徹底的に駆逐していたという。

 生涯を通しても、最高の悪友であったダールゲ中佐が見せてくれた友情に感激した反面、無理に出撃した戦友たちには、大変申し訳なくなった。

 要らぬ心配をかけさせてしまったこともそうであるし、私が撃墜されてから今日までの間に、無理な出撃で疲弊した将兵も、当然多くいただろう。

 受話器越しに項垂れる私に、しかしフォン・エップ上級大将は手心を加えず、今後について釘を刺してきた。

 

「反省の色が見えたからとて、それで許されるとは思うな? 次に同じ真似をすれば、貴様が退役するまで飛行勤務を禁じる。

 完全に快復した事を明記された医師の診断書が空軍総司令部に提出されるまで、同じく飛行勤務を禁じるよう指示したから、病院を抜け出そうなどとも考えるなよ?」

 

 そして、私の出撃に関しても、今後は規則を明文化する旨が伝えられた。曰く。

 

 ・出撃から日没までには帰投すること。

 ・小隊以上の規模で飛行すること。

 ・出撃には基地司令官ないし、方面軍司令官の同意を得ること。

 ・夜間飛行を恒久的に禁じる。

 ・管制官の許可なき飛行を禁じる。

 ・僚機にスコアを譲る事を禁じる。

 

 これらに僅かにでも違反した場合は、飛行勤務を生涯禁ずると言うし、今後も私の勤務態度次第では、随時規則が追加されるとの事であった。

 

 私は一先ず、飛行時間と休暇に関する規則が設けられていない事に安堵した。連邦軍によるあれだけの蛮行を見せられていながら、これ以上飛行時間を削られるなど我慢ならない。

 病院に到着してからまだ半日と経っていないが、私は一日でも早く快復してここを去りたかった。

 

 読者諸氏におかれては、私がフォン・デグレチャフ参謀中佐に会いたいと思っていた事は嘘なのかと思われるだろうが、勿論その気持ちに偽りはない。

 肉体が活力を取り戻すまでは、一歩たりとて病院の敷地から出る事を許されない身だからこそ、私は早く快復してフォン・デグレチャフ参謀中佐に謝罪したかったし、友軍の元にも駆けつけたかった。

 特に、フォン・デグレチャフ参謀中佐については敵地から帰還してからというもの、殆ど何も知らされなかった。

 誰に聞いても「査問会議は無事に終わったので問題ありません」「今は中央参謀本部に勤務しております」としか応えてくれず、私は悶々とした時間を過ごすしかない現状が歯痒くてならなかった。

 事実を伝えれば、彼らは私が病院を脱走するとでも考えたのだろう。本当に、嫌になるぐらい正確な分析だ。

 

 これ以外に入院生活で辛かったのは、私から電話をかけることも禁止されたことだ。もし私が自分から電話をかければ、原隊の基地とやり取りして仕事を始めたり、或いは空軍総司令部の下っ端を捕まえて、机仕事に精を出すだろうとフォン・エップ上級大将に読まれていたのである。

 家族への私用電話さえ一切認めないというのだから、その徹底ぶりは本物だった。

 

 私はベッドで、疲れきった胃に配慮した汁のようなマッシュポテトと麦粥を口に運びつつ、病院での一日を振り返る。

 最初の一日は、精密検査を受けるので面会謝絶にすると医師たちに言われたときなどは、エルマーが知らずに飛んで来ないかと不安だったが、どうやら軍には前もって通達が行っていたらしい。

 本来なら空軍からも電話はかけて来ないで欲しかったそうなのだが、フォン・エップ上級大将は直接見舞いに行くような暇はないし、病院を出ないよう釘を刺す為だと言ってかけてきたそうなので、断りきれなかったらしい。

 私は凄まじい剣幕であったフォン・エップ上級大将に心中で再び謝罪したが、同時に上級大将の親心には、深く感激したものである。

 そして、フォン・エップ上級大将が私の元に来られないほど多忙だということは、未だ戦線は予断を許さない状況にあると見るべきだ。

 

 圧倒的航空優勢を帝国が確保していながら、無尽蔵の兵器を送り続ける連邦軍は底なしだ。私は自分が無謀な真似さえしなければ、フォン・エップ上級大将の負担を和らげることが出来たのだろうことを思えば、自分の専恣を恥じるしかなかった。

 一日に五輌。たった五輌の戦車を破壊するだけでも、一三日あれば六五輌の戦果だ。そして鉄道を、大砲を、高射砲を、発電所を、輸送車輌や輜重隊を潰せれば、どれだけ帝国軍の負担を軽減させる事が出来ただろう?

 たった一日、一度の愚かな過ちが、ここまで友軍に負担をかける事になってしまった事実を受け止めると共に、深い後悔に苛まれながら眠りについた。

 

 

     ◇

 

 

 明朝、私に無数の電話がかかり、面会人も押し寄せるだろうという旨が、医師と憲兵達から告げられた。体調が優れないなら断ることも出来るし、逆に優先して欲しい人物が居るならば、名前を記載しておくと言ってくれたので、私は家族とフォン・デグレチャフ参謀中佐を優先して欲しいと告げる。

 家族に関してはいちにもなく頷かれたが、フォン・デグレチャフ参謀中佐に関しては憲兵らに逡巡が見られた。しかし、私がそれについて問い質すより先に平静を装って「そのように取り計らわせて頂きます」と取り付く島もなく踵を返してしまった。

 何かあるのだろうとは前々から考えていたが、私には情報を得る手段がない以上、どうしようもない。

 相手から電話がかかってきた時に、フォン・デグレチャフ参謀中佐について何か知っている事があれば教えて欲しいと訊く事も出来なくはないが、それをすれば間違いなく電話も取り上げられるし、面会も謝絶されるだろうことは目に見えていたからだ。

 

 午前中には個室に電話が引かれると、正午を回った辺りから慌ただしくベルが鳴り響いた。憲兵達が私の為に電話スケジュールを調整してくれているので、短ければ五分、長ければ一五分区切りで絶え間なく私は受話器を取り続けた。

 電話先は帝国官吏や本国の将官であり、皆一日も早く私が前線に復帰してくれる事を心待ちにしていると、温かな言葉をかけて下さった事は本当に嬉しかったものである。

 もし飛行を止めろと言われれば、立ち直れなかった所だ。彼らは最後、私に「何か欲しいものはないか」とも仰って下さったが、私の答えは決まっている。

 

「一日でも早い、退院許可証と飛行許可を欲しております」

 

 皆、「そればかりは無理だ」と苦笑しながら電話を切られた。駄目元での要求だったが、やはり無理だったかと私はため息を漏らした。

 その後も私の元へは、再びフォン・エップ上級大将から連絡が入った。「抜け出してはおらんようだな」と上級大将は安堵されると、私に幾つかの朗報を持ってきてくれた。

 一つは私の経過次第だが、軍務に就かないと確約するなら、早期退院も許可するという。散々に休暇を溜め込んできたのだから、この機会に一日でも多く使ってしまえという事だ。

 もう一つは中央参謀本部からで、現在参謀総長の副官を勤めるフォン・デグレチャフ参謀中佐を、中央参謀本部を代表して見舞いに寄越すというのだ。

 

「参謀総長から伝言だ。貴官が望むなら、フォン・デグレチャフ中佐にも一時休暇を与える用意があるそうだ。新編部隊編成の準備期間を充てる形でな」

 

 それはつまり、フォン・デグレチャフ参謀中佐が編成準備をしているという名目だが、実際には別人に仕事をさせて本人に休みを取らせるという事だろうか?

 

「軍規においては、些か以上に問題では?」

「貴様がそれを言えた口か。ともあれ、私としてもフォン・デグレチャフ中佐には休暇を取らせることを勧めるよ。中央参謀本部には電報を発しても良いが、この件に限っては私にかけても構わん。その方が早いし確実だ。ああ、それから」

 

 そこまで言ってフォン・エップ上級大将は含むように笑った。

 

「エドヴァルド歩兵大将には、きちんと話をしておけ。一六時には電話が来るぞ」

 

 

     ◇

 

 

 昼食と適度な運動を終えれば、午後は見舞い人との面会が待っている。最初に私の元を訪れたのは宣伝局の者達で、彼らは病室に撮影機材を持ち込むと、私と見舞いに来られた帝国宰相との挨拶や握手にシャッターを切り、会話にフィルムを回し始めた。

 帝国宰相は私にどんな状況だったかを尋ねられ、私は逃走劇の内容をあるがまま告げた。

 

「泥濘が特に辛かったものです。泥に足を取られて、二時間で二〇キロしか進めなかったときは本当に焦りました」

「……後席の大尉を、抱えていたと聞いたが?」

「はい。それと、敵に残骸とは言え突撃銃を渡したくありませんでしたので、護身用にと思って首にかけてもいました」

 

 一発も撃たずに済みましたがね、と私が笑うと、帝国宰相も宣伝局の皆も顔を引き攣らせていた。他にも私は自軍機の姿は見えていたが、泥濘に車輪が嵌って動けなくなることや、魔導師の救助は危険が伴うために見送って、彼らから身を隠していた事も正直に告げた。

 

「自分を撃った高射砲部隊に恨みは?」

「敵は軍人としての義務を果たしたに過ぎません。恨みがあるとすれば、無謀な攻撃をした私自身に対してです。小官としては撃墜した彼らを称えるため、祝電を発したくあります。そして、叶うならばもう一度相対したいとも願っています」

 

 既に連邦では、私を撃墜した高射砲部隊に勲章が配られ、モスコーで連邦記者団からのインタビューや撮影まで行われていた。是非とも彼らには、敵である私からも健闘を称えたくあったのだが、帝国宰相は私の言に苦笑して「連中は偽者だよ」と告げた。

 

「貴官を撃墜した連中は、とっくの昔に空軍の地上攻撃で壊滅している筈だ。決して逃げられないよう、付近の輸送網を潰した上でな」

 

 この時の私は半信半疑というより、宰相の言葉の方が疑わしかった。連邦にしてみれば、件の高射砲部隊は何としてでも戦意高揚に利用したい筈であるから、万難を排してでも本国に招聘するだろう。

 何より、如何に帝国が高射砲部隊や輸送列車を叩いたと言っても、あの広漠なオストランドを、しかも防御側として必要に応じ後退している以上、完全な殲滅を証明し得ないことは明らかだ。

 大方、私を撃墜した相手を『叩いた』という事にしなければ、帝国軍の面子に関わるから、そのような筋書きを用意したのだろうと私は捉えていた。

 

 しかし、戦後連邦側の資料を確認すると、宰相の言葉もあながち嘘でなかったことが分かった。高射砲部隊は報復に出た帝国空軍に対し、辛くもオストランドから脱出する事に成功したが、その帰路は帝国軍の地上攻撃を避ける為、列車でなく輸送機に乗り込んだようである。

 そして、不運にも当時珍しかった連邦の輸送機を目にした帝国空軍は、前線視察に来た党高官か、或いは連邦の将軍でも乗っているに違いないと、これに接近し撃墜したそうだ。

 結果。終戦まで連邦も帝国も、互いの主張を通し続け、相手を嘘吐きだと詰り続けたのであるが、今となってはどちらもどちらだなと苦笑するばかりである。

 

 このような事実を知らなかった当時の私であるが、いずれにせよこの高射砲部隊に関しては『終わったこと』だと納得するしかなかった。

 帝国宰相を嘘吐き扱いする訳には行かないし、モスコーに着いたという高射砲部隊も、仮に本当に生存していたのだとしても、敵側の士気の問題から、二度と前線に姿を見せる事は無いだろうと諦めていたからだ。

 

「惜しい物です。今一度、矛を交えたかったのですが」

「敵を称えるのは美徳だが、貴官は連邦に対して、思うところは無いのかね?」

 

 連邦を悪と見做し、喧伝している以上、私の発言は騎士道の権化としては良くとも、戦意高揚には向かないと言外に告げられていた。無論のこと、私は自分を撃墜した高射砲部隊に関しては同じ軍人として賞賛を送るが、断じて敵の蛮行を許している訳ではない。

 

「勿論、敵の悪行を容認することは出来ません。私は逃走中、無残な姿で放置された戦友達を見ました。誰もが身ぐるみを下着一つ余さず剥がされ、有刺鉄線を巻きつけられた挙句暴行され、殺害されていました。

 女性士官も、その中には……彼らは、認識票さえ持ち去っていたのです。名を知ることも、遺体を埋めることも出来ませんでした」

 

 十字を切って冥福を祈ることしかできなかったのが無念だったと語り、その地を奪還した暁には、私自身の手で埋葬したいものだと語った。

 連邦軍の悪逆非道は、私の発言を通じて帝国中に知れ渡る事だろう。理不尽な暴力の前に、尊い命を奪われた前線将兵の最期がどのようなものだったか、どれだけ連中が許されざる行為に及んだかを、私は静かに、しかし怒りを滲ませて語った。

 

「それを見て、貴官はどうしたいかね?」

「最前線を希望します。一刻も早く、友軍と共に祖国を救いたいのです」

 

 帝国軍人らしいなと帝国宰相は笑いつつ、固い握手をして別れた。目元に残る隈からも分刻みの合間を縫っての一席だったと分かるだけに、私は帝国宰相が直々に足を運んで下さった事実に感涙さえしかけたものである。

 宣伝局の皆は満足の行く画が撮れたと足早に去ったが、彼らに関してはそれが仕事なのだから当然だ。一日でも早く、連邦軍の蛮行を世界に広めて貰いたいものである。

 その後も私の元へはリービヒ大尉を始めとした本国勤務の武官や、ベルトゥス皇太子までもがお見えになり、初日だというのにこれでは、今後も休まる暇はないだろうなと内心苦笑したものだった。

 

 

     ◇

 

 

「本日の面会は、これで最後となります」

 

 一五時丁度。そう切り出した憲兵がドアを開けると、そこには私が再会を切望して止まなかった少女がいた。

 初雪のように白い肌。鈍色を帯びた金の髪。色素の薄い、青より蒼に近い瞳は、雫を静かに湛えていた。

 

「デグレ……」

「……っ」

 

 胸の前で、しわくちゃになるぐらい握り締め、押し潰していた軍帽を捨てて、私の首に飛びついて、その腕を回して抱きしめてくる。

 言葉は、何一つとしてない。胸に顔を埋めてぐずぐずと泣き、頬と頬を擦り合わせては、私がそこにいるのだと確かめる様に温もりを分かち合おうとする。

 愛らしく、いじらしく、微笑ましい姿だというのに、私も同じように涙がこぼれた。

 

 嬉しいのだ。彼女が、私をこんなにも想ってくれていたという事実が

 悲しいのだ。彼女を、こんなにも私が傷つけていたのだという事実が。

 

 軍帽に纏める為に、結えられた後ろ髪を優しく撫でる。年頃の少女らしからぬ、乱雑に纏められた髪は、けれど彼女らしいとも思う。

 自分が、彼女に愛されているのだと実感する。そしてそれを、心から恥じるしかなかった。

 

「フロイライン、私は君に謝らなくてはならない」

 

 ふるふると、そんな言葉はいらないと首を振る。査問会議のことも、無謀な攻撃からの墜落も、全てを知った上で、知った事ではないと胸に縋る。

 

「私は、君が思うような人間ではない」

 

 君に幸あれと願いながら、心の奥底では君を求めて止まなかった。幸福な未来を願いながら、君の人生に違う誰かが入り込むことなど、想像さえしていなかった。

 

「私は、欲深な男だった」

 

 常に、欲しいと思ったものを求めていた。空への夢から、貴族としての義務を放棄したように。戦争を終わらせるのだという誓いも、彼女の無事と未来だけを願う建前だった。

 愛おしいから。抱きしめたいから。私が求めて止まないから、私は優しくし続けていただけだった。

 

「私とて、同じです」

 

 だから、こんな言葉も要らないと首を振る。彼女は私に真実を告白した。軍になど入りたくなかったこと。戦争など、人間同士の殺し合いなど大嫌いだったこと。

 そして、私という英雄の立場を利用したがっていたことや、自分の栄達しか心になかったということも、全てを誠心から語ってくれた。

 

「私は、愛など知らなかった。理解しようとも思わなかった。大佐殿に綴った手紙とて、ご機嫌取りです。気持ちを確かめようとした文も、嘘偽りでした」

 

 あれは部下と練り上げた物だ。私が恋していたといえば、近付こうとも思わなかったと言う。愛だの恋だのという関係など、鬱陶しいばかりで仕方ない。自己愛ばかりが先に立つ、可愛くない女だったと彼女は自嘲し続けるから、私は笑って首を振った。

 

「我が身可愛さなら、お相子だ」

 

 私は彼女を求め、彼女は自分の未来を求めた。他人の人生を縛る男に比べれば、他人を利用する女など、可愛らしいものだろう。何より。

 

「あの手紙が、偽物だというぐらい分かっていたとも」

「知って、います」

 

 お互いに気付いていた。偽物の気持ちだったと分かっていたから、こうして思いをぶつけることに迷いがない。あれが、互いの手紙が真実心からのものだったなら、私達は身を引いていた。たとえ想いを自覚しても、自分というものが相手の心にないのなら、それは空虚な一人芝居に過ぎないから。

 けれどそれは違うから。私達はお互いに、まだ想いを伝えていないから。

 そして、こういう事は男の口から告げるべきだ。

 

「フロイライン、私は君に相応しい男ではないと自覚している」

 

 自分本位の男だから、真実の愛を与えられはしないだろう。

 未熟で不出来だから、荒んだ心を清く育めないだろう。

 共に歩んだところで、善き道に導けはしないだろう。

 

「それでも私は、君を愛している。フロイライン・デグレチャフ、どうか私と共に生きて欲しい」

 

 自分本位で、未熟で、良いところなど見つからない男の告白。

 だけど、それを笑って許してくれたのが、私の未来の妻だった。

 

「はい。喜んで」

 

 一緒に、生きましょうと彼女は微笑む。頬を薔薇のように赤く染めて。流れる涙を、安堵から歓喜に変えて。

 

「だけど、大佐殿は幾つも誤解していますよ?」

 

 抱きしめたまま。今更ながらに彼女の頬が痩せ、唇が乾いているのだと気付けた私に、彼女は淡く微笑んだ。

 

「私は、貴方を愛していたと気付けました」

 

 文通を続けたのも、私の為に必死になれたのも、死んだのだと勘違いして、胸が苦しくなったのも。

 

「貴方が、愛を与えてくれたからです。そして私は、自分を知る事が出来ました」

 

 合理と打算だけではない。自分もまた同じように、感情に突き動かされる存在だった。人形でも、世界を俯瞰して見つめる傍観者でもない。

 

「何処にでもいる、恋した女なのです」

 

 手と手が触れ合う。指が絡まる。熱い吐息を孕ませて、彼女は静かに語りかける。

 

「私は今、幸せです。これからも、共に居られるなら。歩めるなら最期の時まで幸せだと信じています」

 

 だから、情けない言葉など吐いてくれるな。私の愛する殿御は、誰より強くて愛しいのだからと。

 

「きっと、私達の人生には善き道が続いています。これだけ多くを与えてくれた大佐殿が、私の手を引いてくれるのですから」

「────」

 

 呑む息は小さく。けれど、私は小さな手を握り返しながら頷いてみせた。

 ここから始まる道行きの中で、決して彼女に後悔だけはさせたりしない。

 悲しいことも、諍いもない人生は無理だろうけれど。終わりの時、振り返った人生に微笑むことぐらいは出来るだろう。

 この人生に、この愛に生きる時間を最期の一時まで、幸せだったと満たされながら眠りに就こう。

 

 二人で、手を繋いで生きながら。

 




 大魔王デグ様がターニャちゃんになったようです。

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