キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2023/2/2誤字修正。
 蓮菖さま、ドン吉さま、オウムの手羽先さま、oki_fさま、佐藤東沙さま、すずひらさま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


51 ターニャの記録19-家族の権利

 ニコに招待された家を見たとき、私はそこにある歴史というものを確かに感じた。事業に成功しただけの成金では、決してこうはいかない。華美でなく、豪奢でもないというのに、内にも外にも画趣香る風雅さに満ちている。

 階段に敷かれた絨毯といい、大理石やフローリングの床も、それなりの屋敷であれば見られる全てが、この邸宅では完璧な調和を生んでいた。

 

“加えて、誰も彼もが善人とあってはなぁ”

 

 使用人も、キッテル夫人やフラウ・コンスタンツェも、皆私とニコの関係を否定しない。誰もが心から、私達を祝福してくれている事が分かる。

 正直に言ってしまえば、この家の一員になっても良いのかとさえ考えた。何より、私は私生児であるから、どれだけ優秀なのだとしても貴族としては快く思われていないのではないかと不安だった。

 

“ニコは私を妻にしたいと言ってくれたが、しかし、当人の意思がどうあろうと、結婚には家長の同意が不可欠だ”

 

 電話では認めると言った。だが、それが本意であるのか、根負けしたというだけなのかでは大きく意味合いが異なる。いざ私生児たる私を前にして、諦めて欲しいと言われる可能性がない訳ではないのだ。

 私は意を決して食堂に入り、ニコの父君と対面した。

 エドヴァルド・フォン・キッテル歩兵大将。二〇代にして軍大学を第五位という席次で卒業し、一二騎士の一翼となりながら、徴兵組の損耗率改善に尽力すべく、高級参謀の道を蹴った変わり種。

 しかしてその実態は軍教育の第一人者であり、『エドヴァルドなくして精兵なし』とまで教育総監に言わしめたばかりか、前線将兵から尊敬を込めて『兵舎の父』と称された養成の鬼でもある。

 

 ニコからお母上の農地経営を耳にして、キッテル家の人間とはそういう者達なのだなと理解した。鳶が鷹を産むという言葉があるが、この家は代々荒鷲の家系なのだろう。

 ニコも、エルマー兄様も、キッテル夫人も、おそらくはフラウ・コンスタンツェも、全てが高水準にありながら、そこに加えて特化した物を持つスペシャリスト。

 そんな家に招かれるだけのものを私は持っているのだろうかと自問し、弱気になるなと己を叱咤した。士官学校でも、軍大学でも私の最年少記録は破られていない。武器になるものなら他にも幾らでも有ろうと考え直し、キッテル家家長(エドヴァルド)を見つめれば、なんと満面の笑みで席を勧められた。

 

 そうして呆気に取られたまま唯々諾々と席に着く私に、家長はキッテル家の実態を赤裸々に告白した。

 貴族としてのしがらみ、生活の重み。口にされたそれらは、暗に私に身を引いてくれと言っていると捉えることも出来るが、そうでないという事がひしひしと伝わる。

 家族となる以上、嘘偽りは語らない。誠意を持って打ち明けた上で、改めて家に来て欲しいと家長直々に声をかけてくれたのだ。

 

 それに対して、私も思い悩んでいた事を晒した。自分が私生児であること。血の貴賎で見るならば歴史や伝統とは程遠い市井の、その中でも更に低い出自だ。

 勲爵士(リッター)として貴族の称号を得ていても、その事実は決して変わらない。フォン・キッテル家に嫁げば、私は重荷となるだろう。それでも尚、受け入れてくれるのかという問いに、家長でなくニコから声がかかった。

 

 血の貴賎など、個の優劣とは関係ない。前例など幾らでもあるのだから、娶る事は問題ないという言葉は、この上なく嬉しかった。だから、思わずにやけそうになる口元を押さえるために、つい意地悪をしたくなった。

 私以上の女は知らぬと語るニコに、初恋の女性と比べさせたくなったのだ。

 

「王太子妃殿下よりも、ですか?」

 

 だが、ニコは私が良いと即答した。ああ全く。どうして臆面もなく、それも家族の前でこんな言葉を言えるのだろうか? 家長など、実にげんなりとした表情で私達を見ているではないか。

 惚気は他所でやれという家長のお言葉は尤もで、私も心底同意する。気恥ずかしさを誤魔化す為にキッテル夫人の言葉に乗り、緩んだ口元がバレてはいないかと不安になりながら、食堂を後にした。

 

 

     ◇

 

 

「フロイライン・デグレチャフ。息子を選んでくれてありがとう。母として、これ以上喜ばしいことはないわ」

 

 食堂を離れ、居間に席を移した私をキッテル夫人は笑顔で抱きしめた。四〇代でありながら、まるで二〇後半なのではないかという程に若々しい夫人は、ゆっくりと私から身を離す。

 

「私の方こそお認め頂いて光栄です。ですが、その。本当に宜しいので?」

「エドヴァルドが認めたのですもの。もう心配いらないわ。でも、そうね。確かに他家からの、心無い言葉が耳に入る事もあるでしょう。息子との縁談を望む家は多かったし、英雄として子女の羨望も集めていたから、嫉妬心から聞くに堪えない嫌味を言われるかも知れない。

 でも、そんな時はこう言っておやりなさい。『私以上に、あの方に相応しい強い女など居やしないわ』と。選ばれなかった女達は、歯軋りしながら悔しがるでしょうね」

 

 同性からの嫉妬は、女にとっての勲章だとキッテル夫人は笑う。こういう(したた)かさがなければ、貴族はやっていけないという事なのだろう。私は自分が女らしい繊細さとは縁遠い人間であることを自覚して、この時初めてそれを感謝した。

 

「早速だけど本題に入りましょうか。ニコから聞いているかもしれないけど、当家は地主貴族(ユンカー)なの。エドヴァルドは現役武官だから私が切り盛りしているけれど、いずれは貴女にも勉強して貰う事になるから、時間がある時にはこれに目を通して」

 

 そう言って渡してきたのは簡潔かつ明快なマニュアルと、目を通しておくべき経営学書のリストだった。将来フォン・キッテル家に嫁ぐ子女の為に、前々から準備していたのだという。

 

「これは飽くまで基礎だし、フロイラインが本格的に経営を始めるのは軍を退役してからでしょうから、それまでは私が気長に教えるわ。それよりも、目先の問題を解決する為に動かなくては」

 

 目先の問題と言われても、私は何の事だか全く分からなかった。当然、キッテル夫人は私の意を汲んで説明する。

 

「フロイラインは、結婚式がどのようなものかご存知かしら?」

「帝国法では、市庁舎の戸籍局で手続きを済ませてから六週間以内に、教会で誓いを立てる物と記憶しております」

「ああ、うん。そうね、ずっと軍にいたのですから、知識に偏りがあるのも当然よね」

 

 そうだろうとは思っていたという諦観からキッテル夫人は溜め息を零され、その後、真面目な顔で私を見つめた。

 

「フロイライン、ワルツは踊れて?」

「士官候補生時代に、最低限の作法は習得しております」

 

 当時は士官として修めるべき教養に、何故このような物があるのかと疑義を呈したかったものであるが、このような形で役立つとは思わなかった。

 尤も、学徒であった頃は身長差から私と踊りたがる者など──数少ない女性士官候補生であっても──多くはなかったし、私自身も一人の方が気楽だと足型練に努めつつ、パントマイムで踊り明かすばかりだったが。

 

「最低限でも十分よ。ニコには女に恥をかかせないよう、徹底的に仕込んだもの。それに、新郎とウェディングワルツを踊ったあとは、壁の花になっても何とかなるから、気負わなくても大丈夫よ。それから、結婚式の計画は夫婦で立てるものだから、今後はニコと相談しておいてね」

 

 私は結婚式というものを甘く見ていた。精々が必要書類を整えて提出し、教会で誓いを立ててから披露宴を開けば良いだろうと見積もり、半日程度で終わるものだと考えていたのである。

 キッテル夫人が語った通り、軍という世界しか知らないことの弊害が、というより女としての無知が詳らかにされていた。

 勿論、キッテル夫人はそんな私に目くじらを立てたり、苦言を呈する事は一切なかった。恥じる私の髪を撫でて「これから一つずつ覚えていきましょうね」と微笑んでくれたのである。そこには、私の人生に対しての同情も過分にあったのだろうと思う。

 

 だた、そのおかげで私はニコと出会えたのだから、私としては不幸というほどでは……いや、フォン・シューゲル主任技師の実験台にされたり、地獄のライン戦線に放り込まれた事は、どう考えても不幸だな。常人なら確実に三桁近い回数で死んでいる。

 取り敢えずフォン・シューゲル主任技師には絶対に招待状など贈らぬと心に誓いつつ──結局奴はエルマー兄様の伝手で来てしまったが──キッテル夫人のレクチャーに傾注した。

 結婚式というものは夫婦が二人で形にする、初めての営みであり形作られる愛なのだと力説するが、正直私には恥ずかしくてならなかった。

 そういう観念的な部分ではなく、実際にどうしたら良いのか教えてくれとせがむ。

 

「そうは言われてもねぇ。あとは用意した進行表に合わせて神父様と調整したり、予行練習をしたりする程度よ?」

 

 教会か。私は人生が人生であっただけに無神論者であったが、今ではどういう訳か如何にも古めかしい聖母様を象ったロザリオなど首にぶら下げ、時折は祈りを捧げているのだから人生というものは分からない。

 私が斯様な心変わりをした理由については、気になる読者もそれとなく察している読者も居られる事だろうが、私の口からは語らずにおこう。そう時間を置かずとも、ニコの手で語られる事なのだから。

 

 

     ◇

 

 

 一時間以上続いた式のレクチャーが終わりを迎え、フラウ・コンスタンツェが居間に入ると、彼女はようやく私やキッテル夫人と話ができると顔を綻ばせた。

 私はキッテル夫人と家長の馴れ初めにはそこまで興味はなかったのだが、一応女として乗っておく。

 

 どうやらキッテル夫人は、私同様にあまり女性としては感心できない、勉学一辺倒の人生であったのだが、二歳の折に「将来の婚約者だよ」と父君に紹介されて以来顔を合わせる事のなかった家長と、一一の誕生日に再会。

 以来、一回り近い歳の差の家長と文通や偶の逢引きで交情を深め、どちらともなく恋に落ちたという。

 

「あの頃のエドヴァルドは、何かと物入りの上に薄給の少尉だったから親同士の婚姻とはいえ、私に苦労させてしまうのではと苦慮していたらしいの。でも、私のお父上にはそんな態度を出さず毅然として言ったわ。

『親同士の縁とは言え、私はユーディットを心から愛しております。彼女の為、帝国軍人として恥じぬ道を行ける者となります。どうか、ご息女を頂けませんか?』とね。

 お父上は笑ったわ。そして言ったの。『もし許さねば?』と。そうしたら、ねぇ、どうしたと思う?」

「あの父上ですから、『認められるだけの結果を示します』と誓ったのでは?」

 

 ああ、確かにそれが納得できると私もフラウ・コンスタンツェに追従したが、キッテル夫人は「まさか」と笑った。

 

「もっと大胆だったわ。『では、攫わせて頂きます』って、私を抱えて去ろうとしたの」

 

“駆け落ちとは大胆だな家長!? 軍人の道より貴族としての責務を学んだ方が良いのではないか!?”

 

「私のお父上は、大慌てで止めたわ。元々認めていたのだから悪戯心程度のものだったし、エドヴァルドも理解した上で私への愛を示したかったのでしょうけれど、あの時はそこまでしてくれるとは思わなかったから、本当に感動したわ」

 

 いや。確かにロマンチシズムには溢れているのかもしれないが、これが息子達には聞かせられない内容なのは分かった。

 度の過ぎた冗談であったとしても、貴族としての義務やら家やら全て投げ出してでも添い遂げようとしたというのは、家長の面目が完全に潰れてしまう話ではないか。

 

「それはまた。それで? 母上はどうなさったの?」

「すぐエドヴァルドのお父上に、ご挨拶に伺ったわ。私の時は何事もなかったから、拍子抜けしてしまったの」

 

 もし断られたら、「添い遂げられないならエドヴァルドに自分を殺して欲しい」と哀願するところだったというだけにアグレッシブな夫婦である。

 

「お気持ちは分かりますわ。私も、夫との婚約が認められぬものだったなら、似たようなことをしていたかもしれませんもの」

「貴女とグレーゴールは、家としても男女としても理想的だったでしょうに。まぁ、そこは私とエドヴァルドも同じだったから、とやかくは言えないけれど」

 

“どれだけ恋に情熱を注いでいるのだキッテル家”

 

 私は胃もたれしかけた恋話に苦笑いが止まらなかったが、話に熱を上げているうちに矛先がこちらにまで向いた。聞かせろと目で訴えているのが分かる。

 

“勘弁してくれ”

 

 恥ずかしいのだ分かってくれと訴えるが、女同士で何を男のような事を言っているのかと追い込まれた。私は仕方なく、ノルデンでの墜落から今日まで、覚えている事を語って行く。

 ノルデンでの墜落という最もドラマチックな場面は生憎と記憶がなく、小モルトーケ参謀総長を前に勲章を叩きつけたり、或いはニコが墜落した時の心情やエルマー兄様との和解。病室でのニコとの再会を語る羽目になった。

 

「愛されているわねぇ、我が弟は。殿方の為に銃殺も覚悟で中央参謀本部に乗り込んで、死んでしまったのだと泣いた相手と奇跡の再会を遂げて告白するだなんて、劇作家でも恥ずかしくて書けないわ」

 

 悪かったな、恥ずかしい人生で! だがな未来の姉上よ! その恥ずかしい女が貴女の未来の義妹なのだぞ! 将来の身内の恥を列挙してくれるんじゃない!

 

「エドヴァルドより、情熱的な愛に生きていたのね」

 

 頼むからやめてくれキッテル夫人。何一つ嘘偽りのない事実だが、事実だからこそ羞恥がこみ上げて仕方がないのだ。一三にもならない小娘だが、それでも若気の至りというものはこういうことを言うのだと感じずにはいられなかった。

 それから、家長を引き合いに出すのもやめて差し上げろ。あの方も昔は若かったのだ。何? 今でも根はあまり変わらない? そうか、愛が重い一族なのだな。また一つキッテル家を理解したよ。したくない部分だったが。

 あと、私が一番情熱的だとか言うな。一番重い女みたいに聞こえるぞ。

 

「それにしても、エルマーは狡いわ。こんな可愛らしい義妹を独占して、一人だけ兄呼ばわりだなんて。ねえフロイライン。私も今日から貴女をターニャと呼ばせて」

 

 そして私をコンスタンツェ姉様と呼んでとせがむフロイラインの要望を、私は快く受け入れた。ニコとの過去を語るよりも、そちらの方がずっと気が楽だったからだ。

 

「他家の縁談をこちらで決めなかったのは正解だったわ。フロイライン・ターニャを差し置いて他の娘と結ばせていたら、私は地獄に落ちるところだったもの」

 

 その点に関してはキッテル夫妻には感謝しかない。自覚はしたが互いに結ばれないなどというメロドラマは、劇や小説なら良い題材だろうが現実には唯の悲劇だ。

 キッテル夫人は礼を述べた私に笑顔で頷くと、柱時計を見て目を瞬かせた。

 

「あら、いけない。そろそろ食堂に戻りましょうか。男達が、女の話は長いと思いながら待ってる頃ね。ああ、そうだ。ねえフロイライン・ターニャ。もし、ニコが婚約指輪を貰って欲しいと言って来たら、貴女はどうするかしら?」

 

 正直、凄く嬉しい。嬉しいが、私の指は女児の指だ。どうせサイズが合わなくなってしまうのだから、結婚式までは我慢すると告げた。

 

「私もエドヴァルドにそう言ったわ。でも、貰っておきなさいな。そういう形が無いと、男は不安になるの」

 

 自分の手から離れてしまうんじゃないか。自分より良い男が、連れ去ってしまうのではないかと、心の底では女々しく考えるのだとキッテル夫人は笑った。

 

「女はとっくに決めてるし、動いたりしないのにね」

 

 

     ◇

 

 

 時刻は一五時を過ぎた辺りだろう。私はキッテル家の皆と茶会を楽しんだ後に別れ、ニコと二人で婚約指輪を注文する為に店に赴く事となった。

 私がサイズが合わなくなるだろうから良いと断ると、男達は顔を見合わせ、キッテル夫人は良い子でしょう? とコロコロと笑った。

 茶会の前にキッテル夫人が「やっぱり一度は断っておいて。私と同じ対応をして、驚く男達が見たいの」と悪戯心故に提案したのだが、エルマー兄様にはバレているだろう。

 

 私としても悪戯半分本音半分だったが、そのどちらも察した上でエルマー兄様はキッテル夫人に「本当に良い子になってくれました」と同意していた。エルマー兄様よ、頼むから以前の私については語ってくれるなよ?

 

「ターニャ、ニコだけじゃなく私からも手紙を送らせてね」

「楽しみにしております。コンスタンツェ姉様」

「姉上、義姉にせがみましたな?」

「あら。我が愛しい次男は、姉から義妹を遠ざけて独占したがるのね?」

「姉上。エルマーの気持ちもお分かりでしょう? 姉上が逆の立場なら、可愛い義妹を甘やかしたがるのでは?」

「そうね、ニコの言う通り、それは否定出来ないわ。でも、ニコもエルマーも私と違って距離が近いのだから、少しは姉に譲ってくれても良い筈でしょう?」

 

 ご尤もですとニコもエルマー兄様も白旗を振った。二人揃って同じような笑顔を見せると、やはり兄弟なのだなと思う。そして、そんな二人に笑顔を向けながらコンスタンツェ姉様は私の両頬に口付けた。

 

「ターニャのウェディングケーキは私が作るわ。だから、絶対に戻ってくるのよ?」

「はい、姉様。必ず戻ります」

「姉上の腕は保証しますよ。今日の食事も菓子も、どの帝国の店より美味だったでしょう?」

 

 なんと。あの一口含んだだけで頬が落ちそうな料理の全てが未来の姉君の手によるものだったとは驚きであるが、エルマー兄様は姉君の主人が不憫だとも肩を竦めた。

 

「姉上の手料理を一度味わっては、どのような美食も粗食と大差ありませんからな。グレーゴール氏も家を空けてから大層お嘆きになったのでは?」

「エルマーの言う通り、夫は家に戻る度に泣き言ばかりだわ。『君の愛と料理に飢えている』とね。市井の妻なら冥利に尽きるのでしょうし、私としても誇らしいけれど、貴族としてはどうなのかしら?」

「良いではないのコンスタンツェ。家を守る女として、働ける場所があるのは幸福なことよ?」

「母の言う通りだぞ、コンスタンツェ。キッテル家は」

「『キッテル家は清貧を旨とし、夫婦は支え合い、家族は愛し合う事を永久の誇りとする』ものでしょう? 勿論、父上の至言を忘れてはおりませんわ。刺繍と手紙、読書と美容にばかり時間を注ぎ込む生活は、私としても御免被りたいものです」

 

 嗜みとしてならば何れも結構だが、女の本分は尽くし支えてこそ。本懐は愛を貫き、子を産み育む事だと胸を張るコンスタンツェ姉様は、これ以上なくお美しかった。こうして筆を執る私も姉様に近付けるよう生きてきたつもりだが、死ぬまで追いつくことはないだろう。

 愛を知るまで女だと自覚しなかった私と、生まれながらに女であることを誇りに生きてきたコンスタンツェ姉様とでは、女としての重みがまるで違うのだから。

 

「分かっておるならば良い。善き妻、善き母として支え愛してやれ。支えることも、愛も無償の奉仕ではない。その分は必ずお前に返る」

 

 そういう男と家でなければ、決して嫁がせはしなかったと家長は微笑んでみせた。

 

“本当に良い家族だ。私には、勿体無い程”

 

 俯いて、帽子を深く被ってしまう。認められているのに、一員になれるというのに、どうしても後ろめたい。場違いだと、思わずにいられない。

 

「何を考えているかは、それとなくだが分かるつもりだ」

 

 目深かに被った帽子をずらして、ニコは皆に顔が見えるようにしてしまった。頼むから、帽子を戻してくれ。今、思わず泣いてしまいそうなんだ。

 

「フロイライン・ターニャ」

 

 家長が涙ぐむ私に膝をつく。とっておきの一張羅が汚れることも気にせず、威厳の中に家族に向けるものと同じ愛情を湛えて、全てを包むような声で囁くのだ。

 

「貴女の半生(ひとみ)に私達がどう映っているかは問わない。貴女にとって、私達が違う世界の住人なのだと感じるのは、貴女の半生を知る者として致し方ないとも思う。

 だが、貴女は決して孤独ではない。温かな家庭の輪には、一歩踏み出せば入れるのだ」

 

 もう家の戸は開いている。私達は待っている。だから、どうか輪の中に手を携えて入ろうと誘われて。恐る恐るだけれど、私は手を伸ばす。

 

「私は、皆を愛します。だから、どうか」

「愛そう。フロイライン・ターニャ、血の繋がらぬわが娘よ」

「愛しますわ。ターニャ、血の繋がらない母ですけれど。貴女は私の娘よ」

「愛してるわ。ターニャ、本当の兄弟姉妹のように」

「愛しておりますよ。ターニャ、貴女は私の義姉なのですから」

 

 そして。私の未来の夫も言う。

 

「愛している。妻として、家族として、生涯貴女を愛して行く」

 

 結婚はまだだけれど。私はこの日、本当の意味での家族を得た。

 孤独を当然のものとして受け入れていた過去。打算と合理の上にでしか自他を測れなかった過去。愛でなく磐石な地位を求め、唯我に生きていた過去に別れを告げる。

 

 私は恋をした。愛を知った。そして今日──家族の温もりを知ったから。

 

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