キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/3/7誤字修正。
 すずひらさま、佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


53 逢引-祈りの理由

 ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフを実家に招いた翌日。最後の休暇を楽しみたいという理由から、なんとターニャの方から逢引を申し出てくれた。

 私としては欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したくなる提案だが、慣れぬ格好を二日も続けさせるのは相当の疲労を強いてしまう。私との逢引が出来なかった事を気に病んでいるのならば、無理をせず疲れを取って欲しいと告げたのだが、ターニャは酷く拗ねた。

 

「ニコ様は前線に赴く前に、婚約者と思い出を作りたくないのですか?」

 

 作りたいに決まっている。愛する女性と過ごしたい男なら、誰だとて同じ事を思うだろう。何より、女性の願いを断るものでないというのも理屈の上では分かるのだ。

 結局私は、ターニャの申し出を受けた。但し、服装は私もターニャも軍服で、逢引は一七時に終えると約束した上でだ。

 

「まるで子供の門限です」

 

 ターニャは口を尖らせたが、私達は婚約していても未婚だという事には変わりない。両想いであったとしても節度は保たねばならないし、公人として軍務に響かせる訳にも行かない。

 私は兵舎の門限とでも思って欲しいと笑いながら言い換え、宥め賺しながら中央参謀本部の宿舎まで送り届けると、抱擁と共に別れた。

 

 

     ◇

 

 

 翌日。私はターニャとの逢引もさる事ながら、ようやく空軍の軍服に袖を通せる事に歓喜した。空軍設立時はネクタイ兵と揶揄された軍服だが、アルビオン軍でもネクタイに開襟の上衣が採用されて以降、徐々にこのデザインも各国で受け入れられ始め、最近では合州国もこのスタイルを採用したという。

 

 帝国では散々に酷評された空軍軍衣のデザイナーが、他国の評価を受けてそのセンスが間違いでなかったと胸を張ったのは当然で、新たにネクタイ着用の戦車兵の制服を発表したが、こちらは違った意味で帝国空軍を激怒させた。

 曰く、戦車服は美しいが空軍軍衣は奇抜と言うだけで滑稽でしかない。何故自分達の時はこのようにデザインできなかったのか等々……兎角自分達の軍服と比べては、戦車兵の軍服を賛美しつつ再びデザイナーを攻撃したのだ。

 同じ開襟にネクタイという上衣でありながら、何故ここまで開きが付いたのか。おそらくだが、デザイナーは帝国空軍の先駆的すぎるデザインから失敗を──というより帝国人の好みを──学んだのだろう。

 戦車内での引っ掛かりを抑えるためにと従来の陸軍軍衣から袖ボタンを廃し、隠しボタンだらけで作業着もどきの簡略化した見た目になった軍服は不評極まりなく、それから一新した戦車服は帝国軍のみならず国民さえ魅了した。

 丈の短い、隠しボタンからなるダブルのパンツァーヤッケは近衛軽騎兵の伝統たる黒を用い、その両襟には同じく近衛軽騎兵の顎なし髑髏を襟章として付された。

 帽子も下士官は舟形略帽を、将校は制帽腰部中心に付された円形章(コカルデ)の周囲に柏葉が取り囲む独特の軍帽を被ったが、こちらは空軍のデザインから先駆的だった翼の生えた円形章(コカルデ)に修正を加えたのだろう。

『新たなる黒騎兵』の異名と共にプロパガンダポスターに描かれた戦車兵は、ネクタイにシャツでなく国内冬季用の官品黒セーターを内に着ていた為に、一層伝統的でありながら機能美を有するスタイルとして見られた。

 この軍服を目にした空軍は歯軋りしながら悔しがり、デザイナーに空軍軍衣の改訂を強く要求したが、デザイナー当人は空軍の軍服を最も洗練されたデザインだと言って譲らなかったそうだ。

 

 かくも身内からは散々な評価の空軍軍衣だが、私は前々から再三語った通り空軍の制服を気に入っており、槍騎兵服(ウランカ)だけでなくいつかはこちらにも袖を通したいものだと常々思っていた。

 折角仕立てた制服を、クローゼットの肥やしにしたくなかったというのもある。

 私は帝国国歌を鼻歌交じりに口ずさみつつ、糊を利かせた白シャツに袖を通し、姿見の前でネクタイを調整してからフュア・メリットとダイヤ付き白金十字を佩用。

 ジャケットに袖を通し、改めて問題ないことを確認した後に礼装ベルトを装着し、空軍将校短剣を吊るして宿舎を出た。否、出ようとした。

 

「キッテル大佐殿が軍服に袖を通されたぞ!」

「憲兵を呼べ! 拘束しろ!」

 

 フォン・エップ上級大将の差金であろう。私を空軍総司令部にも、他の軍施設にも立ち入らせるなと仰せつかっている同僚の動きは帝国軍人らしく迅速かつ合理的。私は短機関銃を突きつけられて立ち所に包囲された。見事だよ、完璧な仕事ぶりには舌打ちを禁じ得ない。貴族に有るまじき品行だが、この時は唾さえ吐き捨てたくなった。

 

「戦友諸君。どうにも誤解があるようなので、説明させて頂きたいのだが、私は仕事をしに行こうというのではない。私は婚約者との逢引に赴きたいだけだ」

「昨日は私服で婚約者を家郷に招かれた筈です。今日に限って、軍服をお召しになる理由はないでしょう」

「大佐殿、槍騎兵服(ウランカ)でなければ誤魔化しが利くとの発想は浅はかでありますな。直ちに自室に戻り、軍服を脱いで頂きたい。その服は、大佐殿の顔は暫く見たくないと仰っておりますぞ?」

 

 流石にそこまで浅はかな阿呆と思われていたのは心外だが、優秀な同僚たちを前に、しばし悩まざるを得なかった。

 正直に答えることは容易いが、それをしてしまえばターニャの女性としての欠点を晒してしまう事になる。気心知れた戦友達とは言え、婚約者の恥を大っぴらにしたいとは思わない。

 

「少尉、先程の冗談は悪くなかったと言っておく。だがな、この服はまだ私の顔を殆ど見たことのない引きこもりだ。何しろ、仕立ててから試着以外で袖を通せなかった程でね。一度ぐらいは着用して帝都を練り歩きたかったのだよ」

 

 仕方なしに肩を竦めつつ、冗談を交えて返した。仮装趣味のようで気が引けたが、軍服というものは見目の美しさが士気に関わる通り、男なら袖を通したくなるものなのである。

 実際、戦車兵の服に焦がれるお前達ならこの気持ちも分かってくれるだろうと期待のまなざしを向けたが、駄目だった。皆私を信じていない。

 

「このような伝統の欠片も見られぬ軍服をですか?」

 

 実に帝国軍人らしい返答である。信じられないという半分の瞳。もう半分は、事実なら私の趣味は悪いぞという批判が混じっていた。

 何故そうまで頑なに空軍軍衣を否定するのかと問われれば、先に語った通り、プロシャ軍からの伝統が一つとして継承されていなかったからだろう。新式の戦車服のように、ネクタイと開襟であっても伝統さえ取り入れていれば帝国人にも受け入れられる。

 しかし、何一つ先人から受け継ぐ物のない空軍の制服は、彼らのような保守的な層には耐え難いのだろう。常に洗練された戦装束を求める帝国人特有の制服信仰もそれを後押し、一層彼らを頑固にさせていた。

 

 彼らに言わせれば空軍軍衣はただ新しいだけで、先人への敬意が無いと言うのだ。

 もう制定されて何年も経つのだし、青年将校達などはすんなりと受け入れている者も多いのだから、私が好んでいても不思議ではないではないかと口を尖らせたが、誰も信じなかった。いや、信じたくなかったのだろう。

 普段からして槍騎兵服(ウランカ)を纏い、プロシャ軍人らしい力強くも落ち着いた発語を心がける私が空軍の制服を着たいなどというのは、彼らにしてみれば家では真面目な我が子が、学校では素行不良だったと知らされた時のようなものなのだ。

 そのような格好で恥ずかしくないのか? 人に見られているという事を弁えているのか? まるで教育者が駄目な教え子を叱るように、或いは親が放蕩息子を諭すように見てくるのだから、私には堪ったものではなかった。

 

 諸君らも式典で袖を通すだろうと言えば、嫌々に決まっているでしょうとすげなく返される。そうした問答を何度か続ける内、結局私は軍服を取り上げられた。

 かくして待ち合わせ時間の一〇分前にも姿を見せぬ私に、何事かあったに違いないとターニャが中央参謀本部の宿舎に戻って直接電話をかけるまで、私の誤解は続くこととなる。

 

 

     ◇

 

 

「それならばそうと仰って下されば良かったでしょうに」

「婚約者の恥を晒したくなかったのでな」

 

 次からは少しぐらい信用してくれと同僚に肩を竦めつつ、改めて空軍の制服に袖を通そうとしたが、宿舎にいた者達は皆止めた。

 

「大佐殿。軍服とは言え、逢引であれば相応しい装いというものが有りましょう」

 

 槍騎兵礼装(ウランカ)の方に袖を通せ。もう誰も軍務だとは誤解しないから、そちらを着てくれと懇願された。これ以上ターニャを待たせる訳にも行かない為、渋々ながらに槍騎兵礼装(ウランカ)に袖を通し、やはりこちらの方がしっくり来ると皆に頷かれた。

 私は皆の前でターニャに槍騎兵服(ウランカ)と空軍軍衣のどちらが良かったかと訊ねたが、珍しい制服姿を見たかったという好奇を除けば、やはり槍騎兵服(ウランカ)の方がしっくり来ると言うので、同僚達は「分かっておいでですな」とターニャを褒め称えた。対して同僚達は私に辛辣で「それ見たことか」と言わんばかりだった。

 どうやら私の味方は、ここには居ないらしい。

 

 

     ◇

 

 

 既にして時刻は正午となっていた為、私とターニャはカフェで昼食を摂る事にした。

 未だ制服の事に納得の行っていない私は、シュニッツェル(カツレツ)を切り分けつつそんなに変だろうかと改めてターニャに問うと、別に変という訳ではないとターニャは苦笑した。

 

「他国でも開襟の制服は広まっておりますし、その内帝国陸軍でも常勤服として採用されるやもしれませんよ?」

 

 ターニャの予言は終戦後本物になったが、伝統的な陸軍の制服が開襟になる事を想像すると、私はどうにも違和感を禁じ得なかったものである。空軍軍衣を頑なに拒む同僚達も、おそらくはこんな気持ちを拡大させているのだろう。

 そう考えれば彼らの気持ちも少しは分かり、洒落者であるよりも、もう少し落ち着いた装いを選択すべきだったかと昨日の私服を思い返したが、やはり年若い淑女と並ぶのならば、相方がドレスでもない限り、礼装とステッキは外すべきだろうという結論に至った。

 

 しかし、逢引だと言うのに軍服の話題を続けるのも如何なものか。華のない会話だと自嘲し、婚約者には楽しくもあるまいと、私は話題を切り替えようとして口を開いたが、ターニャは軍の繋がりから私の乗機を会話の種にしてきた。

 

「そういえば、ニコ様は乗機に撃墜数やマルタ十字を描いておりましたが、随分と控えめですね」

 

 あれを控えめと言うのか。派手だろう。誰がどう見ても華美に過ぎるだろうと喉から出かかったが、昨今では黒いチューリップやシャークヘッドのノーズアートを施すパイロットが出てきているので、私の機体は然程特徴のない物になってしまっていた。

 私自身としては目立たない方が良いと思うのだが、整備士達は大変不服そうで「新しいデザインを考えては?」とまで言われたものである。そういう時の私は「これが定着しているのだから良い」と返していた。

 しかし、これはあくまで雑談だ。試しに、ターニャはどんな機体が私に似合うと思うだろうかと問うと、彼女は晴れやかな顔で言った。

 

「いっそ真っ赤に塗っては如何です? マルタ十字は白塗りにしてしまえば、実に良く映えるかと」

 

 往来であったが為に呵々大笑を自制し、溢れそうになる笑いを噛み殺したが、あの合理性の権化とまで言われたフォン・デグレチャフ参謀中佐から、まさかこのような意見が出ようとは!

 赤! そう、鮮やかな赤! ターニャの口から出た余りに『粋』な提案にはプロシャ人なら笑わずにいられまい!

 

「君の父祖は、間違いなく生粋のプロシャ軍人だよ! プロシャ人の私が保証するとも!」

 

 戦場に在って身を飾り、勝利か死の何れかを求めるプロシャ魂を、ここまで感じさせようとは! ああ全く、彼女が私の妻になってくれる事はこれ以上ない喜びだ!

 

 ……とはいえ。

 

「フロイライン・ターニャ、その案は決して空軍に言ってはいけない。いや、誰の耳にも入れないようにして欲しい」

 

 私は捩れた腹筋を戻し、真顔になって要求した。もしこんな案を知れば、整備員と他のパイロットは一丸となって、私の機体を鮮やかな赤にしてくれる事だろう。

 真夜中だろうと目立ち、雪化粧の広がる冬のルーシーでは自殺願望でもあるのかと正気を疑う、赤い棺桶に乗せられてしまうこと請け合いだ。

 力及ばず斃れ果てる事は軍人ならば覚悟すべきだろうが、派手な棺桶が理由で死にたくはない。まして、私に婚約者を遺して逝く気は毛頭ないのだ。

 私の説明を受けたターニャは大いに頷くと、絶対に他言しないと誓ってくれたので胸を撫で下ろしたが、この約束は無意味になった。

 将来、あれ程華美な機体に乗る事を拒んだ私が、自分から機を赤に染めて飛ぶ事になるからだ。

 

 

     ◇

 

 

 昼食を終えれば午睡というのが一般的な帝国人の過ごし方だが、私もターニャも時間は有限であるし、眠くもないので帝都を散策した。

 帝国最大の都市にして世界有数の観光地だと言うのに、自国民である筈の私もターニャも仕事ばかりで碌に回った事がなかったから、私達にとっては酷く新鮮なものに映った。

 初代皇帝(カイザー)への追悼と功績を讃える為に建設された皇帝(カイザー)記念教会の夢のような壮麗さと荘厳さに圧倒され、小動物園では世界中の動物たちを観察し、無数の名作で満ち溢れる博物館島では、歴史情緒ある品々や絵画を鑑賞した。

 流石に全てをじっくりと堪能する事は不可能だったが、それでも私達にとってこの一日は生涯忘れ得ぬ思い出となり、戦後も休暇さえ有れば二人で回りきれなかった箇所を歩いて、この日のことを思い出したものである。

 

「戦時とは思えない時間でしたね」

「そうだな。二人揃ってサインを強請られねば、私も忘れてしまいそうだった」

 

 何しろ最多撃墜王と『白銀』の組み合わせだ。観光や休暇を楽しむ者達は軍服姿の私達に驚き、撮影か何かあるのだろうと距離を取っていたが、私達が純粋に逢引を楽しんでいるのだと知るや、皆祝福の声をかけるか、サインや握手を求めてきた。

 自分達の時間がなくなってしまうので全員の期待には応えられなかったが、それでも出来得る限りの要望には応えられたと思う。

 

「おしゃまな子女に、私が結婚したかったのに! と言われた時は困りましたがね」

 

 自分より年下の少女に嫉妬されるとは思わなかったとターニャは肩を竦めたが、私としてもあれは困った。淑女として扱い窘めても食い下がるし、かといってすぱりと断れば泣き出される。

 

「ご両親が連れ帰ってくれねば、今頃どうなっていたことやら」

「根負けしていたかもしれませんね」

 

 それだけはないと苦笑するターニャにはっきり告げる。私が愛しているのはターニャ・リッター・フォン・デグレチャフであり、彼女以外を妻にしたいとは思わない。

 

「私が、若くして亡くなったとしても? 戦死したとしてもですか?」

 

 縁起でもない事を口にする。確かにそうなれば、世継ぎの為に婚姻を迫られることもあるだろうが、そうなれば親族から養子を迎え入れれば良い。

 

「君以外を女性として愛する気はない」

 

 たとえこの先、どのような女性に巡り合おうとも。死が二人を分かとうと、永久の愛を誓い続ける。聖なる書にもある通り、愛とは滅びぬものなのだから。

 

「冥利に尽きるとはいえ、面映ゆいものです」

 

 じき、定めた刻限が来る。茜に染まる空より、赤らむターニャの頬に右手で触れ、左の手をとって、私はターニャに思いを告げる。

 

「覚えていないと思うが、ノルデンで君の手を取った時、君は神を否定された」

「正直、記憶にございません。ですが、確かに私は信心深いとは口が裂けても言えませんね」

 

 私を恥じますか? とターニャは問う。まさか。と私は一笑した。

 

「あの頃の君にとって、この世の全てに愛を感じられない世界だったと思う。だからこそ、私は君を愛で満たし続けたい」

 

 信仰より、希望より、愛こそが偉大だと聖なる書には記される。

 それは完全なるもの。忍耐強く、情け深く、妬まず、自慢せず、高ぶらず、礼を失せず、利を求めず、苛立たず、恨まず、不義でなく真実を喜ぶもの。

 全てを忍び、信じ、耐えるもの。この世で最も大いなるもの。

 主のように、全てを愛することは人の身の私には遠いだろう。だが、ターニャを愛し続けることは出来る。

 限りある命。限りある人生をターニャと満たそう。彼女に信仰が芽生えぬのだとしても、私はそれを否定しない。異なる宗教が世に満ちているように、高邁なる理想が一つでないように、人は自由な意思を持てる。

 それを否定して良いのは、その意思が他を苦しめてしまう時だけだ。

 信心を抱いて欲しいとは言わない。私に同調して欲しいのでもない。これは、私の決意表明だ。

 

「もう、満たされていますよ」

 

 握りしめた手を、小さな両手で包みながら、ターニャは自分の胸に持っていく。淑女の胸元に触れるのを躊躇って咄嗟に腕を引こうとしたが、ターニャは首を振って抵抗せぬよう言外に告げた。服の内、伝わる小さく硬い感触は、認識票ではなかった。

 軍学校時代から、ターニャがよく教会に顔を出していたことは知っている。安息日には、膝をついて祈っていたという話も仄聞していた。

 だが、私は彼女がどうして祈るようになったかを、この日まで知ることはなかった。

 

「笑ってください。私は貴方を利用していたと思いながら、同時に貴方に祈りました」

 

 始めは短く無事を。次には前より長くなり、聖句を覚えだしたのは、通って何度目だったかは定かではないという。

 

「私は、自分の気持ちに鈍かった。いえ、他人に対しても同じ事でしたが」

 

 病室で告白した通り、愛を知り変わった少女。ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフは、その変化の一幕を静かに明かす。

 

「ですが。今ならば、祈る意味が分かるのです」

 

 自分より巨大で、力ある見えざる者にひれ伏し、無為に崇める為ではない。或いは、自分自身が唐突に、天からの恵みや幸運で救われたいというのでもない。

 他者を愛し、慈しむ。どうかどうか、愛しいと感じる者達に祝福が。明日の安寧がありますようにと、天に縋るのでなく自分の想いを込めるのだ。

 私達人の子は、既に主の手を離れている。知恵の果実を齧り、楽園を離れた時点で、親を離れて自立の道を歩んでいる。だから、私達は天に坐す方に世に生を受けた事を、その手を離しながらも、見守られている事を感謝するだけで良い。

 主が全ての人に手を貸し、全てを満たしてくれるというなら、確かに地上は楽園であろう。嘆きも悲劇も苦痛もなく、凪のような穏やかな日々が続くだろう。

 しかし。あやされる幼子のように全てを与えられ続けるなら、私達の生には一体何の意味があるだろう?

 善行も、愛も、主は人の手に委ねられた。それを為す喜びを確かに与えて下さったからこそ、この世は不完全であっても、連綿と悲劇や争いが続こうと、確かに美しいものがある。

 

“今の、私の目の前にも”

 

「明日から離れてしまうとしても、私は祈り続けます。ニコ様を、家族を。祖国の安寧を、私は祈り続けます」

 

 それがターニャの信仰ならば、私はそれを尊重しよう。祈りと願いの形など千差万別。他者と異なる形であったとしても、それが人を傷つけないならば、確かな信仰の形である事は揺るぎない。

 

「私も、何時も君を思い祈る。これまでも、そうであったように満たされているという君に、それ以上の未来を届けようと思う」

 

 響く鐘の音と共に、愛を誓い合う未来を。手を繋ぎ、明日に進める未来を贈ろう。

 全てを伝えずとも、私の意思をターニャは理解していた。恥じらいながらも笑顔を浮かべ、胸元に置いた手を離して温もりを忘れぬようにと抱きついてきた。

 

「暫しの別れですが、悲しくはありません」

「私もだ。寂しくはあるがね」

 

 信じている。私はターニャを。ターニャは私を。必ず生きて、再会すると信じているから。離れがたくとも、決して悲しいとは思わない。

 

「ですが、一つだけ不安があります」

 

 なんだろうか? 胸裏に過る不安が有るなら、吐き出して欲しいと私は告げて。

 

「浮気だけは、ならさぬように」

 

 私は大笑し、強く強く抱きしめた。

 

「言っただろう? 君以外、女性として愛さないと」

「英雄、色を好むという言葉もございましょう?」

「要らんよ。少なくとも、私には一人で十分だ」

 

 安心したと微笑んで、ターニャはゆっくりと抱擁を解く。数歩を離れ、間隔を開ければ彼女は踵を鳴らして軍人の顔となっていた。

 

「ご武運を、大佐殿」

 

 軍帽を脱ぎ、束ねた髪を解いての礼法は、後方でさえそうお目にかかれるようなものでなく。一見すれば杓子定規とも取れるそれは、別れを惜しむ彼女なりの儀式なのだろう。閲兵式に臨む士官のようなターニャの敬礼に、私もまた作法通りの答礼で返すこととした。

 

「貴官もな、デグレチャフ中佐。互い、ヴァルハラには大いに遅参させて頂くとしよう」

 

 諧謔混じりの笑みをこぼし、私達は軍人としての明日を歩む。

 先に待つ、最大の戦いに赴く為に。

 




【主人公の機体について】

 デグ様「赤く塗らないんですか?(リヒトホーフェン的な意味で)」
 主人公「めっちゃ分かってんなこいつ!?(プロシャ魂的な意味で)」

【デグ様の祈りを受けて】

 存在X「なんか毒とか殺意電波が無くなってピュアな祈りが届くのに信仰パゥワーにならないんですけど!? どういう事なんこれ!?」
 デグ様「神の愛とか、敵味方関係なく皆平等に愛せって誰も愛してない無関心と同じ。つまりは矛盾の塊だからでしょうな。やはりビジネスモデルに構造的欠陥が見られるのでは?(分かってて祈ってた奴)」
 主人公「敵に敬意を抱く事はあっても愛まではキツイ。終戦後に和解しても、その時点では愛すべき隣人であって敵じゃないし」

 聖書的に言えば愛する人を愛したからって普通のこと。あんたらが普段嫌ってる徴税人だって同じことやってんだから徳にはなんねーよ? もっと敵とか憎いやつも愛しなさい。幼子のように見て感じなさい。差別なき平等こそジャスティスって理屈だからね。
 一般人にはハードル高いっすマジで。

※ただし、この理屈で信仰パワーにならないのは、この作品だけのオリ設定です。
 原作的には世界が戦争塗れで、皆神様に祈りまくってるから信仰パワー爆上がりでメシウマとか抜かしてやがるし、Web版だとクソ袋さんみたいなのでもOKな点から言っても、かなり緩そうです。ていうかマジタチ悪いな存在X!

補足説明

【戦車兵の制服デザインについて】
 戦車兵の制服は国家鷲章がないだけでWW2ドイツのパンツァーヤッケまんまです。

【デグ様、本当はどんな理由で祈ってたんですか?】
 当然「存在Xブチ殺すべし慈悲はない」です。
 だってのに意中のお相手の前では息をするように嘘を吐くデグ様。
 主人公はまんまと引っかかりましたが、ガチ告白という本音も入ってたので見抜くのは無理だったようです。あと、胸元にお手々当ててるので冷静な判断が出来てなかったのも騙された要因。どんだけピュアで初心だよ主人公もう二七やぞ。

 実際にデグ様が主人公の為に祈るようになったのは、デグ様が参謀総長相手にガーランド閣下ごっこやってからです。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【建物】
 カイザーヴィルヘルム記念教会→皇帝(カイザー)記念教会

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