キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/2/20誤字修正。
 くるまさま、水上 風月さま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!


03 少尉任官-我が道は空か馬か

 一八にて士官学校を第五──騎兵科内では首席──席次で卒業した私は、成績と素行を評価されてか、全帝国騎兵が羨望して止まない帝国近衛槍騎兵(ライヒス・ガルデ・ウラーネン)第一連隊に士官候補生として入営した後、騎兵少尉として正式に任官、配属することを通達された。

 父上にはこの通達を大いにお喜び頂け、家族皆も祝福して下さったものの、反面、私の心は萎えていた。

 戦争における流行り廃りとは実に残酷なもので、かつては戦場の花形として騎士の姿を体現せしめた騎兵は、もはやその煌びやかな装いとは異なり、日陰より一層暗い所へと追いやられていたからだ。

 

 読者諸氏は考えてもみて欲しい。私の父上の時代さえ、既に塹壕という概念が存在し、陣地には有刺鉄線が張り巡らされていたのだ!

 一八という私の若き日の頃には、平野での一大決戦などというロマンチズム溢れる戦いは絶滅していた。歩兵はシャベルを手に塹壕を掘り進め、突貫する敵兵を有刺鉄線が食い止め、機関銃が薙ぎ払うのは当然として、その塹壕を突破すべく、アルビオン連合王国は戦車を発明し、我が帝国の兵器開発に多大な影響を与えていた。

 騎兵が前線を駆け回るのは自殺行為であり、後方での伝令さえ、電信を使用した通信網に置換されている。ばかりか、最近では騎兵に代わり斥候と障害設置を担当する、オートバイ部隊などという物まで現れ始めていた。

 

 時代は変わった。

 老いた者、歴史に取り残された者はそう懐古するが、騎兵もまた例外ではない。

 

 騎兵科は縮小の一途を辿り「近衛に配属されたければ騎兵科を選択せよ」とまで、当時は軽口混じりに語られていた程である*1

 騎兵が肩で風切る時代は、当の昔に終わっていた。

 それでも諦めの悪かった騎兵達は、出来る範囲で結果を残そうとした。

 最精鋭にして最高峰の錬度を誇る我が第一連隊は、周囲から向けられる『騎兵不要論』の嘲笑に反骨精神を燃やし、陸軍のどの兵科の古参軍人でも根を上げるような苛烈極まる訓練を連隊員に課したが、誰一人として一言の弱音を吐くこともなければ、一滴の涙も訓練の中で流す事はなく、むしろ喜々として辛苦の限りを受け入れた。

 世間では近衛が優遇され、パレード用の儀仗兵としてしか活躍できぬ存在と決めつけていたが──これ自体は騎兵に限らず、どの近衛連隊でも同様であったが──我々は帝室の守護者として、また帝国軍人の模範たらしめるべく日夜研鑽を積み、求められる要求には──例えそれが馬鹿げた、冗談の類であろうとも──全て応えてみせた。

 

 今日まで多くの者が誤解している事なので、敢えてこの場を借りて説明させて頂くが、近衛の俸給は他の部隊と同様であり、決して他に比べてえこ贔屓されている訳ではない。

 どころか、近衛将校の給料は生活難に喘ぐ徴募兵や、一般兵らへの配慮から通常の将校以上に俸給を抑えられていたのである。

 戦功を立て、機会を得れば叙勲に伴う年金で食い繋げるし、中級貴族からならば実家に仕送りをするほど逼迫しないだろうが、兄弟姉妹の多い下級貴族や市井からの将校は俸給だけで食って行けず、海外文学や論文の翻訳といったアルバイトで生計を立てていた。

 当然、仲間意識の強い軍隊のこと。そんな戦友を放ってはおけないと、私も含めた比較的生活に余裕のある者達は──しかし、決して裕福ではない。軍服の仕立て金*2や馬具はおろか、騎乗する軍馬さえ自費で揃えるのが慣例だからだ──アルバイトをして稼いだ給料を、気前よく分け与えたものである。

 

 また、近衛武官の進級が早いというのは、彼らの多くが血統確かなる貴族故でも、箔付けの為という訳でもなく、近衛に任じられる者は、それに相応しい才覚を有しているが故であると、彼らの名誉の為に記載させて頂く。

 

 少々話題が脱線したが、そうした騎兵の内情故に、私もまた自らを不要と断ぜられる事が我慢ならず、古参連隊員さえ目を張る鍛錬を己に課した*3

 その甲斐あって、私は最年少にありながら各連隊内で一二名のみに授与される最高の槍騎兵の証、フェヒター章を第一連隊名誉連隊長たるベルトゥス皇太子から下賜された。

 

 私は同連隊の隊員達から持て囃され、軍務にもやりがいを感じたが、悲しいかな、生き甲斐には程遠かった。

 どれだけ結果を出そうとも、私の心は、やはり空に残っていたのだ。

 

 

     ◇

 

 

 そんな私に、人生の転機が訪れた。

 近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)第一連隊に所属して一年後、航空隊員の募集が、突如として航空魔導師を除く全陸軍兵科に舞い込んだのである。

 資格要件は現役武官・民間人を問わず。

 航空隊員となるには身体検査と筆記試験、各種精神鑑定に合格する必要があり、パイロットを希望する場合、年齢は二八を上限としていた。

 募集を知るより以前から、私は魔導師でなくとも飛行機に乗れば飛べる事は知っていた。

 だが、陸軍航空隊が正式に発足されたのは、私が士官候補生の二号生となってからであり、一号生の時点で騎兵となる道を選んだ時点で、縁のない話だと割り切っていたのである。

 何より当時の私は――今日の読者諸氏には信じ難い事と思われるが――航空隊の命は騎兵より短く儚いものであろうと考えていただけに、この募集を受けるか否か真剣に悩んでいた。

 

 既に私は、将校としての未来を約束されているに等しい身である。皇・王族が代々名誉連隊長を務め、式典にも必ず参加する近衛騎兵が──縮小はするだろうが──解散などされる筈もなく、まして私はフェヒター章という最高の栄誉を授かった身であるから、周囲からかけられる期待も大きかった。

 父上も、行く行くは名誉連隊長の副官として、ベルトゥス皇太子のお側に侍る事になるだろうと、戦働きこそ出来ずとも、私の出す結果に十分ご満足して頂けていた。

 その私が空を飛びたいという思いからだけで、先のない航空隊に転属するなどと言えば、周囲がどのような顔をするかは想像に難くない。

 同僚たる連隊員からの私刑などは可愛いもので、最悪、殺されても可笑しくはないだろう。それを薄情や残酷とは思うなかれ。家族のように絆が深いからこそ、それが反転してしまった時の憎悪も、一層深くなってしまうものなのだ。

 

 

     ◇

 

 

 そこまで理解していて尚、私は航空隊のポスターから目が離せない。

 航空隊募集を一任された人事局要員管理部*4も必死なのだろう。

 現役武官はパイロット未経験者であろうと同階級にて転属させ、専門訓練を受けさせると確約しているし、万一航空隊が廃止されるようになれば、原隊への復帰も認めるという旨も記載されてはいたが、私は一度離れれば絶対に戻ることは出来ないし、そもそもにして上官が受理するとも思えない。

 私は悩みに悩んだ。このまま軍人として武勲を重ねる事も、空にかける情熱に胸躍らせる事もないまま、安定と出世の為に騎兵を続けるか。それとも藁に縋る思いで、航空隊の門を叩くか。

 悩み抜いた末、私は空への夢を求め、当然の如く周囲からは猛反発を受けた。一年とは言え、苦楽を共にした連隊員達は、どうなっても知らんぞと冷ややかな目で私を送り出し、父上は烈火の如く怒った。

 

「軍は子供の遊び場ではない! お前をそのように育てた覚えはないぞ!」

 

 日頃、父上が怒りを見せる時は理性の中にある静かで、しかし有無を言わせぬものであった。厳しくも教え諭し、前に進ませるという人格者としての正しい怒りであり、だからこそ父上を知る誰もが尊敬こそすれ、無闇に恐れ、疎う事は決してなかった。

 

 しかし、この日ばかりは父上も堪忍袋の緒が切れたのだろう。騎兵が前線に姿を見せず、将来は機械化された軍隊に置き換わる事は、父上とて十分理解していた。

 理解しているからこそ、父上は私に激怒している。仮にこれが他の兵科であったならば、父上とてここまで激しはしなかった筈だ。

 戦場から消える事を由としないのであれば、それは帝国の利となり、糧となる道を選ぶべきである。歩兵であれ、砲兵であれ、或いは衛生兵や輜重隊であれ、それが未来ある選択ならば、最後には肩を竦めて背を押して頂けたに違いない。

 

 だが、私が選んだのは、先などないと誰もが口を揃えて断言する航空隊だ。

 望み薄どころの話ではない。文字通り望みも希望も未来もない道だと、私自身心の何処かでは理解出来ており、だからこそそんな私を見透かして、父上は一層厳しく責めた。

 

「なんと愚かなるかなニコラウス! お前は今まさに、決して背を向けてはならぬものに背を向けたのだ! 世とは理不尽なもの。不条理なるものである。叶わぬ夢など、幾らでもあるだろう。だが、ならばこそ残された道の中から、悔いなく誇りを持てる道を選ぶべきだったのだ!

 お前の弟、死の淵から舞い戻った、誇り高きエルマーのように!

 エルマーは武人の道を絶たれた時、子女のように泣き喚く事も、自暴自棄になる事もなかった! 将来の道を、キッテル家に恥じぬ道を歩むと決めたのだ! だというのに長男の、武人となれた、我が家を継ぐお前が……」

 

 父上は目頭を押さえ、次いで祖父の肖像画を見上げた。

 

「……我が父に、お前の祖父にこの場で詫びよ。馬鹿げた夢は、今ここで捨てると誓え」

 

 それで終いだと、そう睨む父上に、しかし私は応えない。

 

「どうあっても、これ程まで私が言っても、お前は……!」

 

 父上は私を拳でなく、杖で殴った。口端が切れ、口内を鉄臭い味が満たしたが、それでも私は黙し続けた。

 

「……良かろう。好きにせよ。だがニコラウスよ、たとえ規則がお前を許そうと、私はお前に帰る場所を与えぬ!」

 

 父上は怒号と共に私の軍服に手をかけた。

 

「お前はもはや騎兵ではない!」

 

 まず、父上は曲馬徽章を剥ぎ取った。

 

「お前の未来に栄光の光はない!」

 

 次いで、黄金馬術徽章が床に転がった。

 

「玩具に跨り、夢から醒めぬまま世を去るか、軍を去って野に降るが良い!」

 

 そして、最高の槍騎兵の証たる、フェヒター章が毟り取られた。

 

「出て行け! 二度とキッテル家の敷居を跨ぐでない!」

 

 

     ◇

 

 

 締め出された扉の向こう。執務室から響いてくる父上の嗚咽が、殴打以上の痛みを私の胸に響かせた。私は耳を塞ぎたいという思いを堪えつつ、人生にやり直しは効かないのだと言い聞かせながら、我が家を去るべく歩を進めた。

 

 

     ◇

 

 

 私は親不孝などという言葉では、決して足りぬ人間だろう。

 万の言葉で口汚く罵られようと、まだ足りぬと蔑まれて当然の愚物だろう。

 夢から醒めよ、ニコラウス。その両眼で、現実のお前の姿を見るが良い。

 お前は生まれながらに翼を持たぬ身ではないか。地を駆けるだけの、矮小なる人間ではないか。ニコラウス、お前はなんと無知蒙昧なる男であろうか。

 

 脳裏に響く自責の幻聴は、父上との仲違いから常に私の頭に響いていた。

 以前の私ならば、そのような思いを振り切るのに読書をしたものであるが、今は煙草へと逃げていた。

 フランソワ共和国産の黒煙草を吹かし、落ちぶれた浮浪者のような足取りで進む私は、文字通り全てを失った落伍者であり、絞首刑台に上がる囚人のようにさえ見えた事だろう。

 

「兄上!」

 

 だが、そんな身も心も腐りかけた私に情けをかけたのは、私を心から愛してくれる、私より遥かに素晴らしいキッテル家の男児に育った、精悍なる弟だった。

 

「父上は、動転しておいでなだけです。どうか真に受けないで下さい」

 

 父上が話題に出す筈もない。おそらくは母上が、私を案じてエルマーに報せて下さったのだろう。今や昼夜を問わず激務に追われ、片時とて手を離す暇などないエルマーが私の元へ会いに来てくれた事は、それだけで私の心に活力の火を与えてくれた。

 

「……エルマー、お前は、いつも家族に優しいな」

「我が家に、家族を愛さない不得な者は居りませぬ。兄上も、姉上も、私と同じ程家族を愛して下さいました。父上も、同じなのです」

 

 だから、どうかと。出来る事ならば、今すぐにでも和解して欲しいのだろう。だが、そればかりは出来ない相談だ。

 

「エルマー。やはり私は、諦めきれない」

 

 航空隊員など玩具のお遊びだと理解していて、先などないと分かっていても、私には空への憧れを抑える事は出来ないのだ。

 

「それほどまで、空とは魅力的なのですか?」

 

 実際に飛んだ事など一度としてなく。ただ、見上げるだけであった人生なのに? と。エルマーはそう言いたかったのだろう。

 

「ああ。本望だ」

「なら」

 

 エルマーは静かに、何かを決意した表情で告げる。

 

「兄上、どうか二年お待ちを。必ずや、兄上を大空に……」

「嬉しく思う。本当だ。だが、お前は既に戦車開発で手一杯だろう?」

 

 ベルン大学を卒業後、エルマーは造兵廠で戦車開発に携わり、着任してから数ヶ月足らずで、兵器開発の枢要たる兵站総監部技術局に転属。総監部の上官のみならず、軍首脳部や陸軍技術廠からも、戦車開発の第一人者として、将来を嘱望されていた。

 エルマーは戦車を塹壕突破という歩兵支援の形に留まらせず、戦車によって戦車を撃破する対戦車戦闘という形を提案。

 多砲塔という帝国のみならず、各国で研究されているスタイルをコストの無駄と上官らの前で一刀両断し、多砲塔に付随する数々の問題を指摘した。

 その代案として傾斜装甲という防御強化と、単砲塔に絞る事での砲の大型化による攻撃性能の上昇、機動性の確保を提案。帝国技術部はエルマーが手ずから設計した戦車に驚愕し、そのブレイクスルー故にパンツァーショックという名が付けられた程である。

 

「既に一級白翼鉄十字*5の受勲も確定したと聞いている。お前まで、経歴を無駄にする事はない」

「兄上。私が一度でも『出来ない』と根を上げた事がありましたか?」

 

 ああ、そうだ。その通りなのだ。我が弟の辞書に、不可能の文字など無い事は、兄たる私が一番よく知っている。

 

「そうだな。お前は何時だとて優秀だった」

「ならば、頼んで下さい。私に、最高の翼を与えてくれと」

「はは、こいつめ。兄が頭を下げる姿が見たいというのだな?」

「それはもう。この機会を逃せば、二度と無いでしょうから」

 

 笑い、肩を叩いて私はエルマーに頭を下げた。普通、仲の良い兄弟でも喧嘩ぐらいはするものだが、キッテル家はその厳格な気風故に己を戒めがちであり、口喧嘩はおろか、兄弟間でそれという頼みをする事さえなかった。

 ましてや、兄が弟に──というより兄弟のどちらかが──頭を下げるなどというのは初めての事だったのだ。

 

「頼む。正直、お前が力になってくれれば、これ以上なく心強い。だが、無理はするなよ。気持ちだけでも嬉しいのは、本当なのだからな?」

「兵器廠は人の缶詰だと言われますがね。私に言わせれば、彼らは仕事が遅いのです」

 

 それはお前が飛び抜けているからだと、私はエルマーに笑う。戦車設計の傍ら、手慰みにと数学論文をメモ用紙に書き綴るのは、世界広しといえども我が弟ぐらいのものだろう。

 

 

     ◇

 

 

 多神教なるオリエントにおいて、捨てる神あらば、拾う神有りという言葉があるらしいが、エルマーだけでなく、二児の母となった姉上もまた私の選択を応援して頂き、父上を取り成しておく旨の手紙が私宛に届いた。

 そして、最も私を驚かせたのは、近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)第一連隊名誉連隊長、ベルトゥス皇太子が私をお叱りするどころか、応援すると仰って下さった事である。

 

「いつかは、こんな日が来ると承知していた」

 

 近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)第一連隊の証たる、プルシアンブルーと白で構成された礼装とフェヒター章を含む徽章類全てを正式に帝国へ返納*6するとした私に、ベルトゥス皇太子は寂しげな、けれど諦められていた事を、私を安心させるような柔らかな口調で伝えられた。

 

「槍騎兵としての少尉に、非の打ち所はなかった。だが、少尉は我ら皇族の『玩具の兵隊』に留まるには器が大き過ぎたようだ」

 

 玩具の兵隊。自分達近衛騎兵が、そう帝国軍からも、市井からも影で囁かれている事は、当然ベルトゥス皇太子のお耳にも入っていたのだろう。

 近衛騎兵の誰も彼もが帝室への不敬だと憤り、その都度自らに重責を課して来たが、どのような努力をしようとも、心無い風聞が消え去る事はなかった。

 

「殿下。小官は……」

「良いのだ少尉。最早騎兵の時代は過ぎた。我々帝室の伝統が、少尉のような少壮の軍人を縛る事こそ間違いなのだ」

 

 暫し、沈黙が満ちた。執務室で柱時計の音が虚しく響いたが、ベルトゥス皇太子は重苦しい空気を払うように、再び優しげな口調で声をお掛け下さる。

 

「制服と徽章は、個人的に預かる。飛べなくなれば、すぐに戻るように」

 

 なんと慈悲深く、寛大なお言葉であろう。己が欲望の為、下らぬ夢の為に連隊を去ろうという恩知らずを、しかしベルトゥス皇太子は我が子の行く末を案じる親が、子を送り出すような思いで見送って下さるというのだ。

 

「この御恩は、終生忘れません」

「何を言うか。私は帝国軍の規則に従っているに過ぎんぞ?」

 

 募集要項に目も通していないのか? とベルトゥス皇太子は冗談交じりに微笑まれた。

 

 

     ◇

 

 

 かくして私は陸軍省人事局に転属願を提出し、航空隊員としての第一歩を踏み出すべく、適性検査と飛行資格試験を受ける事となった。

 陸軍省人事局のみならず、検査官も私の経歴を二度ならず三度、四度と確認し「悪いことは言わないから引き返せ」と気遣って下さったが、私の決心は変わらない。

 

 身体検査では私の身長が一八〇と、パイロットとしては高身長である事が問題視されたが、逆に問題視されたのはその一点に止まった。

 視力は両目共に二・五。これは一番下をスラスラと当ててから更に確認したもので、より詳しく検査すれば正しい数値が出るだろうが、これ以上は必要ないとされた。

 肺活量に関しても十分で、こちらも難なく一番で通った。

 この他にも事細かな検査はあったものの、大半が徴兵時の兵役検査と変わりない物であった為、本著では省略させて頂く。

 

 ここから先がお待ちかねの、動力機への搭乗である。

 志願者には高所に対し恐怖を感じる者も多く──教会の尖塔程度の高さで問題なくとも、飛行機では勝手が違うものらしい──恐怖心に耐えられない者。また、肉体が高度に耐えられず、失神や嘔吐する者も航空隊員候補から外される。

 その為、動力機では当時高高度飛行のみに全力を注いだ専用偵察機を使用し、この確認に当たる事となった。

 他の志願者が緊張に顔を強ばらせる中、私は喜々として複座式の後座席へと乗り込み、検査官を急かすように飛んで貰った。

 生まれて初めて空から見た世界は、どんな教会の尖塔から見える景色よりも、遥かに違って見えていた。顔に吹き付ける風も、想像以上の寒ささえ、この景観の前には些事に過ぎない。

 世界とは、こんなにも広く大きなものだったのか。何処までも高く、遠くに広がる青と、大地に根付き色づく文明の双方が、私の瞳を子供のように輝かせる。

 この時の私は個人として、軍人として、貴族として、己を戒める為の枷を知らぬ内に外してしまった。それ程までに、空は私の心を自由奔放にさせてしまっていたのだ。

 私は大声を上げたり、腕を伸ばして風を感じたいという衝動に駆られたが、検査官はそんな私に対してミラー越しに──後座席を確認する為、前側の座席にはミラーが取り付けられている──「問題ないか!?」と大声で聞いてきた。

 

「最高であります!」

 

 私は無邪気に大声で答えると「なら、もっと行けるな!」と検査官は更に高度を上げた。

 メーターの高度は一万三〇〇〇フィート。これが涙ぐましい努力によって製造された、当時の高高度偵察機の性能である。

 

「もっと高く飛べませんか!?」

 

 しかし、まだまだ満足できない私は、再び大声で叫んだ。

 

「踏ん張れば、あと五〇〇〇は伸ばせるだろうな!」

「お願いします!」

 

 私は検査官の言葉に飛びついた。

「よし来た!」と明るく、気前の良い検査官は私を高みへと押し上げて下さり、私は感無量と行った心地で地上へと降りた。

 検査結果は『最高高度へ耐える頑健な肉体。しかし好奇心旺盛に過ぎる』という、苦言・苦笑混じりのものであった。

 

 私の顔は羞恥で真っ赤になり、二度とこんな振る舞いはすまいと、制帽を目深に被って、そそくさと隅の方に行く事にしたのであった。

*1
 事実、三年後の一九二〇年に近衛連隊を除く騎兵部隊の大半は廃止され、軍馬は輜重科に転用。陸軍に残った騎兵科軍人は戦車兵やオートバイ部隊員となる。

 近衛騎兵も式典と一部訓練を除いて軍馬に跨る事はなくなり、他の騎兵軍人と同様、機甲部隊の教育を受けた。

*2
 軍服に関しては任官時に被服費が出るが、礼装を始め複数着用意せねばならない為、到底賄いきれるものではなかった。

*3
 本来ならば、任官一年目の近衛騎兵は士官心得として典礼の勉強や上官の馬具の取り扱いについてなど、所謂かつての従騎士としての心得作法を学ぶのであるが、私はキッテル家の貴族としてそれらを完璧に心得ていたので、正規士官として一年目から訓練に参加する事を許されていた。

*4
 ここで記載する人事局とは、個人・部隊の論考調査や、評価・報酬・等級を管理する陸軍参謀本部(中央参謀本部)の一部局のものではなく、陸軍省の人事局を指す。以降、陸軍省管轄の場合、混同を避ける為、陸軍省人事局と記載する。

*5
 白翼鉄十字は直接戦闘以外において、顕著な功績を上げた個人に授与される栄誉ある勲章。

 エルマーはこの時点で技術鉄十字勲章、二級白翼鉄十字勲章を受勲している。

*6
 将校の軍服は各人のオーダーメイドだが、死亡・傷病・退役以外で隊を離れる際は、国に返納ないし処分する事を求められる。




補足説明

※徴募兵について
 今話で『徴募兵』の単語を出したので、この場をお借りして独自設定の説明をさせて頂きます。
 幼女戦記原作では、帝国では魔導適正を持った者が「将来徴兵されるから覚悟してね♪」的な赤紙送られて強制徴募対象となる以外は、一般に志願制(1巻P176)とのことだったのですが、本作品では史実ドイツ同様、徴兵制度を採用しております。
 理由としては、原作1巻P31で『長大な国土防衛の兵力は喫緊の課題』と明記されているのに、魔導師だけを半強制的に放り込むのは(如何に帝国軍が任務遂行型の、現代戦よろしくなプロ軍人ご用達の集団といえど)フレッシュミートと言う名の人的資源を維持するのが困難であろうと考えた為であります。

 ……尤も、志願制であったとしても、現実のドイツのように、徴兵で軍役に就かなかった場合は、周囲から虐めに遭う(戦後のドイツ連邦でも、軍の徴兵じゃなくてボランティアに行った人は、職場でも軟弱者扱いされて公然と苛められてたそうです)ので、「男は志願するのが当たり前だから、徴兵なんて必要ない」という理屈なのかもしれませんが。
 そこを説明すると、紙文を余計に割かないといけないので、本作品では「原作と違って史実通り徴兵されるよ! お国の為に元気よく死んでね!」という設定で行かせて下さい。

※将校の軍衣を含む自費購入品について。
 史実ドイツをはじめとして、WW2までは基本的にどの国でも少尉任官時にはオーダーメイドで制服を仕立て(日本やドイツでは少尉任官時に『被服費』が出ましたが、足りなかったそうです)必要物品は自費で購入しました。
 現代でも制服の自費購入は自衛隊を始め、どこの国でもやっているそうです。
 騎兵が馬を購入しないといけないのも史実で、シュリーフェンプランで有名なシュリーフェン伯家も、幼少期に父親が息子を騎兵に入れたいが為に、わざわざ馬を買ったという話が残っています。

※フェヒター章の元ネタはドイツ帝国の『Fechterabzeichen』です。
 連隊司令官が一年間で最大一二名まで授与できる物で、授与された人の軍服の右腕にV字の徽章が付きます。
 多分WW2ドイツに詳しい人が真っ先に『アルターカンプ』かな? と思っちゃうデザイン。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【人物名】
 フーベルトゥス王子→ベルトゥス皇太子
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