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白く清潔な一室は重い空気に満ちていた。コチェグラ砲兵中尉との離別から、俯いて歯を食い縛るタネーチカ政治委員の対面に、シャノヴスキー参謀少佐は座り込んだ。
「これが現実だ。コチェグラ中尉の言った通り、貴官を特別扱いすることは、人道的には兎も角、捕虜にしては過ぎた厚遇だということは事実であると留意してくれ」
「なら、収容所に送ればよろしいでしょう」
自分の希望が必要だというのなら、そうしよう。例えそれで本当に連邦軍に暴行と陵辱を受けるのだとしても、それが政治将校の犯した罪故というのならと、投げやりにタネーチカ政治委員は漏らした。
「繰言だが、私は帝国将校だ。捕虜の私刑などという、軍規に悖る行為は認められん」
タネーチカ政治委員は、呆れたような吐息を漏らした。
「散々苦しませて、絶望させて、死なせてもくれないのですね」
何故、こんな事をするのか? 憎いのだろう。本当に、殺してしまいたいぐらい憎いのだろう。その憎しみは本物で、その怒りは正しくて、けれど軍規に反するから、それが出来ないのだろう。嗚呼、ならばと。そこから先、タネーチカ政治委員が取った行動は追い込まれた人間らしいものだった。
勢いよく飛びかかり、首を両手で締めようとした。手錠さえかけず、常日頃からこの一室では自由に過ごさせていたのだから当然だ。だが、音を立てても憲兵は部屋に踏み込まず、シャノヴスキー参謀少佐は瞬時にタネーチカ政治委員を拘束してみせた。
「気は、晴れたか?」
机に抑え付け、拳銃を後頭部に押し付けながら、シャノヴスキー参謀少佐は問う。引き金に指をかけ、何時でも発砲できる状態ではあったそうだが、一連の動作は当人の意思でなく、身に染み付いた無意識からのものだったそうだ。
「殺しても、軍規には反さない筈です」
楽にしてくれという哀訴。復讐を遂げろという挑発。そのいずれにも、シャノヴスキー参謀少佐は靡かなかった。
「私は、帝国軍将校だ」
怒りはある。恨みはある。しかし名誉も持っている。その名に反する行いは出来ないと、そう述べて、ゆっくりと銃口を後頭部から離した。
震えた手が、見えないように。泣きそうになっている自分の顔が見えないように、背後に回りながら拘束を続けた。
「タネーチカ政治委員。貴官は、何故共産主義に拘泥する?」
それさえ。その一つさえ諦めてくれたなら、憎悪を抱き続けずに済んだのに。過去と、敵とタネーチカ政治委員を分けることが出来たのにと、口にはしなかったがシャノヴスキー参謀少佐は心中で嗚咽していた。
「他に、道があるのですか?」
飢えた人民を。格差の広がり、特権の支配する世界を、肯定しながら生き続けろと?
そう問いたげなタネーチカ政治委員に、シャノヴスキー参謀少佐は吼えた。
「あるだろう。幾らでも、どんな道だってあった筈だ!」
人民を救いたいのなら、格差が憎いなら、
「国境なき思想。人民全てが兄弟姉妹として、一つに纏まる理想郷……人間は、そんなに綺麗なものではないだろう?」
家に鍵をかけるのは、他人が物を盗ると考えるからだ。
銀行に金を預けるのは、奪われないようにするためだ。
「人が上に立てば、腐敗する者は出る。導く立場の者とて、それは変わらない」
暴虐。腐敗。国家の停滞。失敗を続けながらも過ちと認めず、それを続けてしまうのなら、それは人民にとっての害でしかない。
「だが、貴官は多くを学んだ。そして、学んだ事が過ちだと気付けた」
ならば、それを活かすべきなのだ。共産主義を、宗教でも政治思想でもなく、再び学問の世界に戻してしまえば良い。間違えていた学説を否定し、その上で、新しい道を模索することは出来る筈なのだ。
「たとえば、これから先は筆を取れば良い。世界を変えたいのなら、血を流さずとも出来る事はある筈だ」
経済学を改めて学びながら、格差の問題を世界に訴えることも出来るだろう。
「行動せずにいられないのなら、教職の資格でも取れば良い」
貧しい者、身寄りのない者の為に孤児院で教鞭を執ることも出来るだろう。
他にも、他にも、シャノヴスキー参謀少佐は血を流さず、腐敗も蔓延らぬ『健全な』道を語ってみせた。
「そうする間にも、支配階級は肥え太ります」
競争は失業者を生む。企業の専横は、多くを飢えさせてしまう。
「それは、社会主義国家でも同じだ」
競争もないままに特権階級がのさばり、支配者の専横はいつまでも続く。自由競争故に格差の付いて回る資本主義社会と比べても、誰もが飢え続ける思想の方が正しいとは決して言えない。
「一足飛びで、世界を変える手段などないんだ」
改革とは地道に、懸命に進んで、ようやく一歩前に進めたと思えば、もう当事者は老いている。だから次に、その次にと託し続け、そうやって牛歩の如くゆっくりと進み続けるしかない。
「……分かっては、気付いてはいました。それでも私は、目に見える人を救いたかった」
今は無理でも、未来ならと、先に託す者達は言う。けれど、その今の犠牲を許容できない程高潔だったからこそ、タネーチカ政治委員は共産主義に縋るしかなかったのだろう。己の義務に、政治委員としての使命に背理することに耐えられなかったのだ。けれど。
「悲嘆は十分しただろう。そろそろ、前を向く頃合だ」
拘束を解き、機会は与えるとシャノヴスキー参謀少佐は告げた。
◇
この後のシャノヴスキー参謀少佐は、当時帝国軍で一部の軍人にのみ適用される通信教育制度を、タネーチカ政治委員にも受けさせて欲しいと私に頼み込んできた。
この制度は長きに渡る保護領や係争地での小規模紛争や、中央大戦による徴兵故に早期に学位を取得したくともに叶わない者、或いは不名誉除隊以外の理由で除隊した後、取得資格を活かして国家に貢献する事を望む退役軍人に対する措置だったが、幾つかの条件がついて回る。
まず、この制度を利用する上で帝国にどのようなメリットがあるかを提示すること。前線に試験官を送ったり、論文等を配達したりといった諸々のコストを希望者でなく国家が負担する形式である為──これは徴兵義務に対する報酬の一環という面がある──綿密に精査される。
二つ目は、通信教育制度を受けるだけの素地があるかの試験があり、これは原隊指揮官が書類を寄越して貰い、憲兵の監視下で受けさせるだけなので楽な部類である。
しかし、最後の条件が問題だ。
「要項はしっかりと確認したまえ。通信教育による学位取得は、『帝国国籍』を持つ『現役将兵』に限られるのだぞ?」
現役将兵という部分は義勇兵になれば通る。しかし、帝国国籍に関しては難しい。
独身のまま取得しようとするならば、義勇軍参加後に帝国軍籍を正式に取得し、義勇軍参加から計五年の入営年数を経験。更にその間の税金を納めることで、初めて帝国国籍を獲得出来る規定となっていた。
「貴官がタネーチカ政治委員と結婚でもすると言うのなら、すぐにでも手に入るだろうがね」
敵の捕虜と、数ヶ月会っただけの佐官が結婚など上が認めるかどうか。何より受理されたとしても、手続きで相当に時間を食ってしまう。
「私や貴官も、何時までもレガドニアに居座る訳にはいかん。結婚が受理される頃には、前線に配置される可能性もある。いや、その可能性が高いのだぞ?」
こうして説明を続けるのは、シャノヴスキー参謀少佐にタネーチカ政治委員を忘れろと意地悪を言っているのではない。私としても、参謀少佐の気持ちを知った上で任せたのだから意思を貫いて欲しいところだが、選択肢を説明するのも上官としての義務だからだ。
「政治将校には伝えてあります。私には相手などおりませんし、形だけの結婚で構わないと考えております」
「共産主義者には、憎悪しかないと言ってはいなかったか?」
この問いに関しては意地悪だ。シャノヴスキー参謀少佐はバツが悪そうな顔をして「主義者でなく、戦友となっても良いというのであれば無下には出来ません」と小さく語った。
シャノヴスキー参謀少佐の意思は固いようだが、タネーチカ政治委員当人の意思はどうなのか。私は参謀少佐を強引に連れてタネーチカ政治委員の元へ赴き、本当に本人の意思なのかと問うたが、彼女も満更ではないらしい。
「結婚など社会契約でしょう。帝国法では離婚も認められておりますし、義勇兵も適性によって任地が変わると伺っております」
自分は後方勤務に回されるだろうと語ったタネーチカ政治委員の自己分析は正しく、彼女は後に運転技術を買われて、輜重科へと回されることになる。
但し、正式に職務を任されたのは任官から半年後であり、それまでは他の捕虜と同様に敵味方を問わず戦死者の埋葬作業に従事させられた。
そこでタネーチカ少尉は、連邦軍の帝国軍人に対する残虐行為を目の当たりにし、党との決別を決意することになるのだが、それは後の動機であって、今の動機ではない。
コチェグラ砲兵中尉の勧誘には靡かなかったというタネーチカ政治委員が、一体どうして急に方針を変えたのだろうかと、当時の私はそれとなく訊ねてみた。
「人民のため。その思想は、今もあります。ですが、共産主義に具体案を見出せない以上、私は人民の為に別の道を模索せねばなりません」
祖国と同志に背を向けろというだけなら首を縦に振る事は出来ないが、支配階級の専横を少しでも改善する一助になる為の道が用意されるなら、取捨選択の余地はあるという。
「尤も、大佐殿に対しては、思うところもありますが」
「正直でなかったことは謝罪するが、共産主義が碌でもないものだという意見は曲げられん。私は貴族だが、人民が飢え、支配者以外の全てが苦しむ政治思想など認められんよ」
恨めしげに語るタネーチカ政治委員に、私は歯に衣着せず本音を打ち明けた。彼女一個人に恨みはないが、国家を破綻させる主義思想が、帝国を席巻する事は認められないとも付け加えて。
「当人の意思に問題ないのであれば、これで失礼するよ、タネーチカ『元』政治委員。偽装結婚に関しては言いたい事もあるが、そこは個人の道徳と当人同士での問題だ。私個人としては、これ以上口は挟めん」
出来れば両想いとなって、シャノヴスキー参謀少佐にとっての本物の花嫁になって欲しかったのだがなぁと、この日の私は内心で肩を竦めた。
◇
しかし、私の落胆とは裏腹に、いざ結婚という段になれば二人は本物の恋仲になっていた。
初めは共産主義の脅威を取り除く為に、私もシャノヴスキー参謀少佐も骨を折っていたのだろうとしか考えていなかったタネーチカ政治委員改め、ルーシー解放軍少尉に任官したタネーチカ少尉だが、流石に義理で動くにはシャノヴスキー参謀少佐の積極性は説明がつかないと気付いたようだ。
『何故、憎い私にここまでしたのですか?』
敵だったタネーチカ少尉が手紙で問えば、シャノヴスキー参謀少佐は手紙で本心を打ち明けた。敵であり、縁者の敵であり、共産主義の尖兵であると分かっていながら心奪われてしまったこと。意識しないよう、意図的に冷たい人間に見せていたこと。
形だけの関係でも繋ぎ留めたかったことなど、赤裸々な告白をしたそうだが、生憎他人の私信に目を通す訳にも行かない上、野戦郵便局の検閲官も一人一人の手紙の内容まで覚えている筈もないので、何処までが本当かは分からない。
確かなのは、二人は何処かのタイミングで本当の夫婦となる事を決意し、戦火の続く日に別々の地で結婚したということだ。
彼らの結婚が受理されたのは一九二七年の六月であり、奇しくも帝国と連邦の開戦という忌まわしい月であったが、シャノヴスキー参謀少佐は満面の笑顔で、分厚い黄色の封筒を私に見せてきた。
帝国が両者の結婚を認める公用書簡であり、これさえあれば遠隔結婚が認められるのである。私と空軍将兵は分列行進でシャノヴスキー参謀少佐の結婚を祝い、従軍司祭は即席の説教壇で、シャノヴスキー参謀少佐とタネーチカ少尉を夫婦とする事を認めた。
私と戦友達は司祭様の厳かな説法の後に和気藹々と祝福し、出来得る限り豪勢な食事を摂って祝ったものである。私からも個人的にシャノヴスキー参謀少佐にコニャックを渡し、心から結婚を喜んだ。
◇
だが、こうして一つの恋が将来成就することを知らない私は、一通の便箋を協商連合勤務の折に受け取って顔を青くした。
自分の人生でも、一、二を争うであろう窮地に私は追いやられているのである。
……私は、婚約者から浮気を疑われていた。