佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!
言うまでもないことであるが、本著はニコラウス・アウグスト・フォン・キッテルの回想記であって、私、ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフという幼女の戦記ものではない。
だというのに何故私の場面に移ったかと問われれば、まぁ、夫から文を引き継いだ時点で察せられる通り、私が浮気を疑ったからである。
ことの始まりは野戦郵便局がニコと、そして私自身は全く面識のない、フォン・エップ上級大将からの便りを届けに来たところからだ。
この時私は未来の夫にして婚約者の手紙でなく、先にフォン・エップ上級大将の手紙を、恐る恐るの体で開けた。
今でも鮮明に思い出せることだが、この時の私は手が震えていたし、視線も揺れていた。部下の誰もが家族や恋人からの手紙で喜ぶ中、私は便箋を開けることに怯えていた。
いっそ、恐怖で金縛りにでもなってしまえば良いのに、手を止めることができなかったのである。
不予であろうと、士官たるものは泰然自若に努め、表情と感情を切り離さねばならないと、そう常日頃から心得ていても、私には平静を装うことさえ出来なかった。
きっと、この手紙には重要な、けれど知りたくない事が書かれているのだろう。
でなければ、空軍総司令官からの個人的な便箋など有り得ない。
特に、軍内で機密に触れる内容を黒塗りにするため、便箋を検閲官が開封して再度封印し、開封した日付を記載するのが通常規定である中、例外措置として検閲をせずに済む特別封筒での郵送というのが、一層私を不安にさせた。
英雄の負傷、ないし死亡は士気に著しい影響を与える為、政府や軍が公表するまでは他言無用が原則。唯一の例外が特別封筒での身内への通達であるから、私は目尻に雫が溜まるのを堪えつつ、ゆっくりと封を開けて文に目を通し……呆れとも安堵ともつかない、溜息を漏らした。
便りの内容が、ニコが女性捕虜を保護・監視下に置かざるを得なくなったこと、当人の意思でないことを擁護する内容であったからで、拍子抜けと言う以外に表現出来ないものだったからだ。
“大方、女性捕虜を押し付けられた事を、邪推した周囲が触れ回った噂で知るより先に、誤解を防いでおきたかったのだろうな”
それほどまでの危惧を抱くほど、私が未来の夫に信を置いてないと思われたならショックだが、まぁ、あのニコの事だ。嫌われたくないが為にフォン・エップ上級大将のお手を煩わせてしまうほど、私の心を離したくなかったのだと思えば、可愛い殿御だと笑う事もできる。
そして私は、もう一通のニコからの手紙の封を開けた。もし、特別封筒が戦死したニコの手紙と同時に届いたか、或いはニコの遺書だったというのなら立ち直れなかったが、そうでないのなら気を楽にして目を通せる。
手紙には自分は浮気などしないし、不誠実な行為を捕虜にするつもりはない。何より婚前交渉など罪深い行為だから等々……兎に角婚約者に信じて欲しい一心で、狼狽しながら筆を執ったのであろうことが分かる、何とも可愛げのある恋人のそれだった。
◇
そう……初めのうちは、こんな風に微笑ましく考えていたのである。しかしだ。人間、どれだけ相手の誠実さを知っていたとしても不安という感情は拭いきれない。
時間が経てば経つほど、私の中の不安の種が育ってしまう。女としての魅力に欠いていることを自覚している身としては、どうしても心穏やかではあれなかったのだ。
齢相応どころか、それ以上に幼い顔つき。発育は悪く、肋の浮いた薄い胸に肉付きのない華奢な手足。小児性愛者などという、身の毛もよだつ特殊かつ異常な性癖の持ち主には垂涎ものかもしれないが、そうでなければ誰がこんな幼女を好くだろう?
姿見の前にいざ立ったとすれば、そこには乱れた髪と、血色の悪さから、吸血鬼を連想するような小さな子供が映るのだろう。仮に齢を重ねたところで、この発育具合では魅力的な女性には縁遠いだろうなと、この時は深く落胆の吐息を吐いたものである。
「中佐殿、如何されましたか? 何やら物憂げなご様子ですが」
何とも気の利く副官だが、ウール地の分厚い軍服の上からでも分かる凹凸と、野戦将校らしい短めの髪にも、女らしい気配りが見える姿を前にしては、同性としては一層気が沈んでしまう。私は少しばかり乾いた口調で、上官としてでなく女として本音を漏らした。
「いや。セレブリャコーフ大尉が、羨ましいと感じてしまってな」
こんな言葉で、真意を察せられる筈もあるまい。いや、むしろ要領を得ないからこそ深く追及して、相談に乗って欲しいという思惑もあったのだが、セレブリャコーフ大尉は気遣うように微笑んでくれた。
「中佐殿は、お綺麗になられましたよ」
「……っ」
気恥ずかしさとも、喜びともつかない感情に声が詰まる。私か、或いはセレブリャコーフ大尉が男であったなら、思わず恋心の一つでも抱いてしまったかもしれない。
「世辞は良い。私は、セレブリャコーフ大尉のようにはなれんよ」
思わずそっぽを向いてしまったが、そういうところがですよ、と言わんばかりの視線だ。私は分が悪いと察して白旗を上げた。
「ああ、糞。すまんな、大尉。少し相談に乗って欲しい」
将校のそれでない、齢相応の少女らしい吐露。手紙を受け取ってからというもの、気が気ではなかったという不安を包み隠さず打ち明けた。
「既に噂は耳にしていると思うが、私はキッテル大佐殿と婚約した」
以前に小児性愛者扱いした挙句、興味など無いと突っぱねた相手で、相手もそういう気持ちは無いと断ったと言うのにだ。傍目に見ればどういう心変わりだと思われるだろうが、そこは私もニコも、共に自分の気持ちに無自覚な朴念仁だったという事だ。
「あの方を疑いたくはない。誠実な方だと存じている。だが、な。自分以外の、きっと、美しいのであろう女性が傍にいるというのを知ってしまうと、どうしても不安になるのだ」
知ったことでないと思いつつも上官であるが故に付き合ってくれているのだろうと思い見やれば、逆にセレブリャコーフ大尉は傾聴してくれていた。
「それで、中佐殿はどうなさりたいのでしょうか!?」
「い、いや。どうするも何も、大佐殿の所在は掴めんのだ。直に顔を見て言葉の一つでも交わせるなら別だが、手紙では真意など知りようもなかろう?」
食い気味に問われて、私は気圧されるように説明したが、これに関しては嘘だ。軍内での機密等に関する事項は、全て検閲官が黒インクで塗り潰される為に通常は読み取れないが、それなり以上の数の文通をこなしてきた私とニコである。塗り潰された字幅から、内容は大凡に把握できるし行間も読める。
何よりも、私達は敢えて検閲官に塗り潰されるポイントを押さえて書きたい内容を書き、伝えたい内容を送る術を心得ていたから何の問題もなかった。
なので、居場所を知ろうと思えば可能であるし、何処でどのような会話を行ったかなど根掘り葉掘り聞き出せもするのだが、何とも意気地のない話で、私にその勇気が無かったのだ。いっそ女らしく感情を剥き出しに出来たならば、どれほど楽だろうとも思う。
しかし、自分が女なのだと自覚した今でさえ、長年の軍隊生活がどうしても男のそれのような、何処かで一線を超えられない壁というものを作ってしまっているのだ。
「いいえ! いいえ中佐殿! こういう時こそ押すべきです! しっかりと相手の真意を確かめる為に思いをぶつけては如何でしょうか!?」
心なしかセレブリャコーフ大尉が楽しそうに見えるのは、きっと気のせいだろう。彼女は出来る副官なのだ。他人の、ましてや上官の恋路を肴にするような趣味は持っていまい。
私はたじろぎつつも小さく頷き、一筆認めることにした。
◇
返信はない。が。代わりに野戦郵便局から小包が届いた。開けるまでもなくそれがムンダー氏の婿殿が手がけた婚約指輪だと分かっているが、私は人生最高のサプライズプレゼントを受け取るように、わくわくしながら小箱を開けた。
表面は何の飾り気もない幅広の純銀指輪だが、裏面には細緻な彫刻と文字が刻まれており、その内容は、互いが受け取るまで秘密という事にしていた。
私がニコに宛てた指輪は、おそらく当人が今後語る事と思われるので、ここでは私の指輪を語るに留めよう。
私の指輪の裏に刻まれているのはマーガレットで、その花弁の中にピンクの文字が小さく、まるで絵の一部のように違和感なく収められていることから花色が彫刻でも分かる。
斜体文字のメッセージは『貴女だけに贈る花』で、その横には私のイニシャルが刻んであった。
“私だけに、か”
試しにはめた指輪は流石にぴったりのサイズだったが、戦場で傷が付くのは嫌なので、今後は認識票の紐に通すことになるだろう。
今ぐらいはという気持ちで薬指に収まる指輪だが、一度身につけると外すのが惜しくなってしまう。
「ふふっ」
嗚呼、全く以てどうかしていた。花言葉など詳しくなかったが、それでも込められた思いぐらいは汲み取れる。私はニコを愛していて、ニコも私を愛すると誓ったのだ。
ならば一途に信を置けば良い。ただそれだけの簡単な事だったのにと、今更ながらにセレブリャコーフ大尉に押されて手紙を認めたことも、重い吐息を漏らし続けた日々も馬鹿らしく思えた。
「ご機嫌だな、中佐殿」
「あの笑顔を、自分達にも分け与えて頂けたらなぁ」
何やら外野がやかましいが、今回ぐらいは見逃してやる。それにだ。以前と比べれば、そう、以前の振る舞いを考えれば、私は随分丸くなったと自覚している。ただ、丸きり変える訳に行かないのは、偏に部下の命を思えばこそなのだ。
以前の私は常に効用最大化と自己幸福追求を第一にしていた数理と利益の権化だったが、言い換えれば常に損耗の最小化と、戦果の最大化を考えていたのである。
経験は最良の教師にして最大の武器だ。その経験を自分と部下に積ませる上で人的資源の浪費は最大級の愚行であり、私は自分の大隊を任されてからこれまで、隷下の人員を戦死させたことは無い。
確かに実利第一の厳しい訓練と統率を課し、即戦力を求めてしまう即物的傾向があった事は否めないが、それだとて軍隊という部下も上司も選べない職場に順応すれば、自分の手で育てる他ないという実情からだ。
振り返れば、私人としては血も涙もない碌でなしと称されるだろうとは自覚している。だが、公人として、組織人としての自分は間違ってないとも言い切れる。
だからこそ、人間性に問題があるのだと過去を自覚しても、私は厳格なボスを続けねばならない。基幹たる大隊魔導師にも戦闘団の面々にも悪いとは思うが、これも全ては彼らの為。そして共産主義打倒の為に、今日も厳しく砲火と銃声轟く地獄を潜り抜けて貰わねばなるまい。
何よりだ。男が出来た為に、私が腑抜けたなどと思われるのも我慢ならない。戦闘団を率いる為に大隊と合流してからというもの、連中、陰で妙に私が色っぽくなっただの、変われば変わるものだなどと、兎に角余計な事を囁き始め出したのだ。
そりゃあ、私は軍生活が人生の大半を占める幼女である。
だとしても。だとしてもだ。大隊員の連中、妙に視線が緩いと言うか上官への畏敬というものが欠けてきている気がする。
私人としてならば餓鬼扱いしようが、色気づいた小娘として見ようが自由だ。いっそ、子を産むには貧相な肉付きだと小馬鹿にしても良い。しかし、軍内での上下関係というものは常にして厳格たるべきであり、欠片にでも反抗心など抱かれては困るのだ。不服従は私にとっても、彼らにとっても最悪の結果をもたらすだろう。
気の緩みは死を意味する。ラインから地獄を渡り歩いた精強なる大隊が、下らぬ馴れ合いが理由で無駄死になど断じて許されない。
今次大戦の最古参たる彼らは、十分以上に祖国に尽くしたのだ。どのような人生を戦後歩むにせよ、その労苦に見合うものを得る権利がある。
だからこそ、今一度ヒエラルキーというものを徹底することで、勤勉な猟犬に戻って貰うのだ! さあキリキリ働け下僕ども! 死んだコミーだけが良いコミーなのだ!
◇
「さて、戦友諸君。今日は戦車に乗って出陣だ。ああ、乗ると言っても窮屈な車内ではない。見晴らしの良い外で、新鮮な空気を存分に堪能しようじゃないか」
俗に言うタンクデサント。連邦では随伴する歩兵の生存時間が二週間という狂気の沙汰。敵戦車にくっつく歩兵ごと吹き飛ばされる連邦兵達を、幾度となく目の当たりにしてきた──というより率先して蹂躙した──大隊員たちは顔を引き攣らせたが、指揮官先頭ともなれば拒否権などあろう筈もない。
リービヒ大尉などは嬉々として戦車にしがみついていたが、あれは例外としておくべきだ。私の婚約者が魂の友というだけあって、流石の戦狂いぶりである。未来の夫よ、友人は選べ。選んだ結果がこれだというのなら、私は婚約者として複雑だぞ。
しかし。脅し半分実験半分のつもりだったが、やってみると視界も開けていて、いち早く敵を発見できる上、敵影確認の為にハッチを開けた戦車長を狙撃手のスコアにされる事もない。
流石に敵戦車砲や野戦砲を受ければ魔導師とてひとたまりもないが、それは直撃すればの話。敵砲弾を受け止めるのでなく、傾斜装甲のように砲弾を防御膜で逸らすように用いてやれば良いし、それが出来ない魔導師は私を含めて我が大隊には存在しない。
何が言いたいかと言えばだ。
「悪くない! どころか、実に良いぞタンクデサント!」
空を飛ばないので楽な上、魔導反応を敵に探知もされないときた! 馬鹿な狙撃兵が時たま我々を歩兵と勘違いして鉛弾をぶち込んでくるが、居場所を自ら晒してくれた狙撃兵をこちらが遠慮なく狩らせて貰う。
楽に勝って効果は絶大。これほど愉快で楽しい仕事があろう筈もない!
「これは是非とも効果大なりと上奏せねばなるまい」
悪魔の如く口元を歪める私に、やはり中佐殿はおっかないと部下らは顔を青くしていたが、それで良い。上官などというものは、怖がられるぐらいで丁度良いのだ。
◇
タンクデサントは一定以上の効果を上げ、帝国軍も正式に採用した。今後は輸送・救護任務に就く回転翼機にも魔導師を搭乗させ、同様に護衛兼対地攻撃支援にも回るそうである。
古プロシャ時代、プロシャ大王が大嫌いな女帝は、大嫌いな大王の真似をして自軍を強化したという話があるが、私もそれに倣うとしよう。コミー発案のタンクデサントで、コミーを徹底的に、そして愉快に駆逐してくれるわ!
「……中佐殿が、戦場の空気を吸われて元に戻られてしまった」
「頼りにはなる。なるのだがなぁ……」
「はっはっは! 悪いな戦友諸君! この戦争が終わるまでは、酷い上官の下で働き続けて貰うぞ!」
「……終わるまでは?」
ち。勘が良い上に耳も良いな、セレブリャコーフ大尉。
「耳を寄せろ、大尉。ここだけの話、私は連邦との終戦後は退役する予定なのだよ」
所謂寿退社という奴だと笑う私に、セレブリャコーフ大尉は信じられないとばかりに顎を落とした。
「ちゅ、中佐殿がでありますか?」
驚くのも無理からぬ話だろう。自慢ではないが、私は軍大学で一二騎士の一員ともなった参謀将校にして、勲功著しい歴戦の野戦将校だ。戦勝後の待遇を考えれば、二〇代で将官の道は確実に開ける。今後の活躍次第では、一〇代でという事も十分有り得るだろう。
だが。私は最早栄達に興味はない。それよりも愛する者の家郷で、温かな家庭を築きたいという思いの方が強いのだ。
「まぁ、軍が私にかけた『教育費』という奴を考えれば、すぐには難しいだろうがな」
だが、士官学校や軍大学での『教育費』に対して、相応以上の貢献は軍にしてきたと自負している。それでも反対は必至であろうし、退役が受理されるには時間を要するだろう。
「それまでの間には、貴官やヴァイス少佐が私の代わりになり得る程度には育ててやるさ」
「出来ればグランツ中尉にお願いします。私も女ですので、家庭を持ちたくあります」
「奴をか? 前線指揮官ならまだしも、参謀将校が勤まる手合いではないぞ?」
確かに性能は良いし磨けば光るが、何処か抜けているのだ。副官としてならば太鼓判を押せるセレブリャコーフ大尉か、或いはヴァイス少佐ならば軍大学への推薦状を与えられるが、グランツ中尉ではまだその域には達していない。
戦争犬としては一級でも、野心は無いし上昇志向にも欠けている。過酷な塹壕生活も、「トランプと話し相手さえ居れば世はこともなし」と宣える図太さは前線ならば頼もしいが、何分配慮という奴が足りていないのだ。
「セレブリャコーフ大尉。グランツ中尉を一人前にしたいというのなら、まずは奴に将校の自覚と意欲を持たせ給え。猟犬としてどれだけ立派でも、頭の使い方が偏っている人間に参謀将校は無理だ」
お任せ下さいと美しい敬礼で意を示すセレブリャコーフ大尉。大方飴と鞭を用いるのだろう。私もニコで経験したが、男というのは存外単純な思考回路なので、この配分さえ間違えなければ良い方向に誘導できる。
女とは業深い生き物だと二人で笑いつつ、しかし職務中に私語ばかりでは頂けまいと、私は部下たちを鼓舞すべく大声を上げた。
「諸君! 地獄を作る事は称揚するが、天に旅立つことは私が許さん! 我々は死した勇者としてでなく、生者として英雄となり、凱旋するのだ! その為に私は諸君らに最善を尽くすと誓おうじゃないか!」
反応は千差万別。意気込みを新たにする者、やはり以前よりは丸くなったと感じる者、相も変わらず私が幼女の皮を被った軍人だと恐々とする者。
彼らを見渡しながら、私は再び前を見る。この忌々しい戦いを、一日でも早く終わらせる為に。
女帝マリア・テレジアさんは、フリードリヒ大王の軍の真似をして自軍を強化しました。
がっ……駄目! 大王の方が強かった! というオチが見事についています。
ていうかドイツって昔から不死鳥すぎる。なんであんなにボコられて最終的には生きながらえるんだよこいつら……