キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2022/5/20誤字修正。
 広畝さま、佐藤東沙さま、すずひらさま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!



64 スオマの解放-ターニャの記録23

 VXの登場は、後の世において、エルマーが黒死病の如く恐れられた始まりに過ぎなかった。

 

 一九二七年、五月に発表されたファーバー・カッシュ法は人類の保護に貢献するものだったが、エルマーはこの生産法を確認するや否や「これを用いれば硝石を大量生産出来る」と軍部に進言。

『水と空気からパンを生み出す』人類の英知は『空気から火薬を生み出す』という戦時においては絶大な、しかし発明者が決して望まなかった方法を確立されてしまった。

 

 私としても、こればかりはエルマーの進言に苦言を呈したくなった。しかし、嫌われても構わないというのは、こういう事だったのだろう。

 善良なる他者の発明さえ、それが勝利の道となるなら躊躇しない。全てを理解し、覚悟した上での発言や研究だというのならば、私には何を言う資格もない。

 エルマーに地獄の釜を開かせたのは、他ならぬ私だ。罪があるというのなら、それは私に対してなのだ。エルマー自身が後年何度もそれを否定したとしても、私はその罪から逃げる気はない。

 

 東部戦線で、或いは北方地域(レガドニア方面)で、連邦軍将兵は抗し得る手段を持たないまま苦悶の死を遂げた。

 唯一救いがあるとすれば、戦意を削ぐ為に遅効性にし、意図的に長く苦しめるよう設計されたマスタードと違い、VXは即効・即死する劇物であった為、苦痛に苛まれ続ける事はないということだが、それが敵にとって救いとなる筈もないのは、語るまでもない。

 

 エルマーは自らが発明した化学兵器のみならず、既存の化学・細菌兵器全ての解毒剤と防護服を準備しての投入であったから、敵が毒ガスを用いたとしても問題はなく、また、我々の新型化学兵器を使用されたとしても、対策済みの我々に対して劇的な効果は得られない*1だろう。

 情け容赦のない、憎むべき敵に対してさえ良心の呵責に苛まれそうな殺傷性は、しかしながら帝国軍に対しては多大な貢献をもたらした。

 一方的なまでの化学兵器の投入は帝国軍の損耗を激減させたばかりか、レランデルでの初期がそうであったように、無傷の兵器を大量に確保し得たのだ。

 無論のこと、先に語った通りVXの残留性は高く、化学洗浄を要する為に鹵獲兵器の使用には手間取るが、それを差し引いてもVXには抗い難い、悪魔の誘惑めいた魅力があった。

 

 鹵獲した兵器群は義勇軍将兵のみならず、連邦からの独立を求める諸勢力──帝国呼称は自治評議会。連邦側の呼称は分離主義者──にも、多くの兵器が行き渡った。

 何よりにも増して大きいのは、我々の進軍速度を飛躍的に向上させた事だろう。

 フィーゼル・セカンドの他を隔絶した射程と、VXの組み合わせは悪夢そのものであり、赤軍に対しての虐殺に等しい蹂躙と、制空権の完全掌握という二つの要素が、我々に破竹の突破力をもたらした。

 空軍にとってもその恩恵は大きく、地上支援の効率化が進んだ分、海上に戦力を多く割り振れるようになっていたのだ。

 帝国海軍による洋上からの攻撃や輸送を阻むべく乗り出していた赤色海軍に対し、航空魚雷や爆弾を懸架した戦闘爆撃機は協商連合や連合王国の時同様、執拗な攻撃を繰り返しては撃沈していったのである。

 

 そうして赤色海軍の被害が大きくなれば次に狙うのは輸送船だが、こちらは足を止めての拿捕である。輸送船は合州国のものでなく、あくまで第三国から連邦が買い付けた物であるだけに、当然帝国軍は接収できる。

 仮に武器貸与(レンドリース)によって貸し付けただけだと主張しても、戦争当事国の立場からすれば敵に渡る前に鹵獲しただけだ。賠償に関しては連邦に請求してくれと突っぱねれば良い上、戦時国際法の観点からすれば、絶対禁制品に分類される物品を輸出した時点で、帝国には鹵獲する権利がある。

 勿論、名目上は供与でなく貸与であり、合州国は法の抜け道を使用していると信じていたからこそ、後に抗議してきた。

 帝国が鹵獲を合法化するには、毒ガス使用の裁可を求めた時と同様に、森林三州誓約同盟の国際裁判所の裁定を求める必要があったが、帝国は敢えてそれをせず、沈黙を貫いた。

 当時は最早、どの国家も合州国に肩入れなどしていなかったし、森林三州誓約同盟とて、流石に肩を持つには合州国はやり過ぎていたという認識があったのだろう。

 ここで森林三州誓約同盟が合州国に肩入れなどした日には、それこそ永世中立の立場を失いかねない以上は、帝国の鹵獲も、合州国の抗議も見て見ぬ振りをする以外なかったし、それを理解していたからこそ、帝国は裁可を得る手間をかけず動いたのだ。

 

 勿論、これは既にして合州国が事実上の敵対国になってしまったからこそ出来る手段であって、中立国に同じことをすれば宣戦布告に等しいが、武器貸与(レンドリース)などという悪法を通した相手が悪いという以外に持ち合わせる言葉はなかった。

 

 

     ◇

 

 

「本日もご活躍でしたな。来年には将官の席も開けるのでは?」

 

 そう言って淹れ立ての珈琲を振舞ってくれた基地の整備員に礼を述べ、私は一口含む。ターニャも珈琲を好んでいるが、今頃彼女は何処で何をしているだろうか? と、そんな惚気じみたことを思いながら、湯気立つ珈琲の香りを楽しんだ。

 仕事終わりの一杯というものは格別だが、この日は一四回という一日当たりでは過去最高の出撃回数だっただけに、一層美味く感じたものである。

 

「進級には、戦闘爆撃隊の総監職も付いてくるがね」

 

 北方地域が片付き次第──スオマ復権が叶い次第ともいう──空軍は本格的に私を事務机に縛り付ける気のようである。私としてもデスクワークが嫌いな訳ではないし、平時ならば大人しく椅子に座ったことだろう。

 だが、今は戦時だ。ターニャは今も東部で戦い、エルマーは莫大な予算と人員を組んで貰いながら、フォン・シューゲル主任技師と今次大戦を終わらせる為の兵器開発に尽力しているとも耳にした。

 そうした状況下にあって、一人だけ戦争の枠から抜けるような真似はしたくない。勿論、総監に就いたからといって完全に前線から離れる訳ではないが──視察と称して前線で飛ぶ事が出来るからだ──飛行時間を削られるのは確実であった為に、本国から伝えられた『朗報』は何とも二の足を踏む内容であった。

 

“とはいえ、拒否権も無いのだが”

 

 なまじ事務仕事が早いのと、北方地域での調整を首尾よくこなしただけに、上は私なら勤まると太鼓判を押して来ている。おそらくだが、仮に北方地域での戦闘が長引いたとしても、年明けには本国に戻るよう指示を受けるだろう。

 帝国と戦友の為にも、それまでには何としてもスオマを開放し、東部と合流出来るだけの素地を用意したいところである。

 

“しかし、戦闘爆撃の総監とはな”

 

 魔導攻撃機でないのは、ゾフォルトの生産数が他と比べて著しく低いのもあるが、それ以上に魔導攻撃機という分野が、潮時になりつつあるからだろう。

 一九二〇年からこちら、ゾフォルト以外の魔導攻撃機は帝国内でも、また他国でも誕生する事はなかった。

 この時期の私は知る由もなかったが、他国でも魔導攻撃機の研究は進めていたが、実用化に関しては早期に匙を投げていたそうだ。

 機体や人材育成のコストもそうだが、術式起動のタイミングが非常にシビアかつ調整しづらく、最悪弾倉内の暴発さえ頻発していたのが決定打だったそうである。

 設計も開発も、エルマーだからこそ可能だったに過ぎず、仮に成功させても高コスト故に他の兵器製造にまで影響をきたす。

 軍用機に関しては口出し無用とエルマーが念押ししていながら、総監部高官が一様にゾフォルトの後継機開発を諦めるよう進言するのも理解できる話だった。

 

 シャノヴスキー参謀少佐も、私が戦闘爆撃機に搭乗して以降は後方勤務であるし、魔導師の相手は既にして同じ魔導師の専売特許になりつつある。

 戦争の流行り廃りは残酷だ。騎兵が戦場から消えたように、ゾフォルトの生産が終了するのも、魔導攻撃機が廃れるのも近しい未来なのかもしれない。

 この時こそそう考えていたが、しかし、私の予想は裏切られた。

 

 連邦軍が、新型の演算宝珠を投入してきたからである。

 

 

     ◇ターニャの記録23

 

 

 一九二七年、九月。私ことターニャ・リッター・フォン・デグレチャフとサラマンダー戦闘団は信じ難い連絡を管制官から受けた。

 敵魔導小隊が、こともあろうに帝国軍魔導中隊を撃墜したばかりか、そのまま歩兵部隊を一方的に蹂躙しているというのだ。

 逆ではないのかと誰もが問い返したくなったが、合州国製の新型演算宝珠を用いているという可能性もある。

 私は魔導師の中からこれはという者を中隊規模で選抜し、敵を確認すべく現地に赴いたところ、誤報ではないのかと鼻白んだ。

 一見すれば高度も低く低速で、しかも術弾は調整が出来ていないのか、それとも使用者の錬度が極端に低いのかは定かではないが、命中精度も低く数撃って中てるという方式だった。

 こんな相手、我々ならば赤子の手を捻るようなものだと光学系狙撃術式を展開。命中と同時に敵魔導師の撃墜を確信したものの、防殻どころか防御膜さえ健在だった。

 

「成程、防御にリソースの全てを注ぎ込んでいる訳か」

 

 試しに放った長距離砲撃用の爆裂式でさえ飛行に問題なし。帝国軍でも最精鋭たる我々の攻撃でこれなのだから、並の魔導師の火力では歯が立つまいし、ましてや歩兵部隊の装備では豆鉄砲だ。この連中を墜としたいのなら、最低でも高射砲を持ってこなければ話になるまい。

 

「正攻法は、こちらの機動力を活かして釣瓶打ちか?」

「いいえ中佐殿。もう一つ存在します」

 

 そう言って笑うのは『魔弾』の二つ名を持つネームドにして、既にして三桁の撃墜記録を誇る撃墜王(エース・オブ・ザ・エース)として畏敬を集めるリービヒ大尉。

 他の面々がStG26Mを使用する中、一人ボルトアクション式の小銃を好んで用い、超遠距離から一方的に撃墜する、サラマンダー戦闘団きっての狙撃手にして缶切り職人でもある大尉ならば、確かにそれも可能かもしれないが。

 

「やれるか? 私とて、九七式では複数射でなければ厳しい相手だぞ?」

「やれねば、二つ名を返上致します」

 

 言いつつ、光学系収束式を発現。歌劇『魔弾の射手』の一節を口ずさみながら発射された弾丸は、敵魔導小隊の一人を射抜き、そのまま誘導式を込めているのか、威力を落とすことなく残る三名の頭蓋を吹き飛ばして全滅させてみせた。

 

「見事なものだ。が、リービヒ大尉以外には真似できそうにないな」

「いえ、ヴァイス少佐殿なら、いずれこの域に達するものと信じております」

 

 いつかは出来るだろう? 出来ると言え。出来ねば出来るまで鍛えてやると目で訴えるリービヒ大尉だが、これはパワーハラスメントという奴に当たるのではないかと私は思う。

 

 ともあれ、私達は敵の遺骸から演算宝珠を鹵獲し、戦闘記録を本国に提出した。

 連邦が新規開発したT3476型演算宝珠は、工作精度こそ低いものの希少金属の使用を極限まで抑えた大量生産可能なモデルであり、使用者の錬度が低くとも運用可能という、正しく数的優位という武器を活かす連邦ならではの代物だった。

 

 列強国ネームドに匹敵する魔導障壁。これに抗するにはそれ以上の火力で破る他ないが、帝国最精鋭たるサラマンダー戦闘団でさえ、原則として光学収束式で削る事が前提なのだから、相当に苦労するだろうと予想されたものである。

 

 しかし、何事にも相性というものはある。随伴歩兵のない戦車が対戦車兵の地雷や集束手榴弾の前に一方的に破壊されるように、全てにおいて万能な兵器などというものは往々にして存在しないし、作ったとしても器用貧乏になるのがオチなのだ。

 

 T3476に抗し得る兵器。それこそが、ニコが退場を予想したゾフォルトだった。

 

 

     ◇ニコラウスの回想記

 

 

 高コストを始めとする諸問題から、日陰に移りながら消え行くと思われていたゾフォルトは、T3476型演算宝珠の登場によって再び日の目を見た。

 Jä001-2Fヴュルガー同様に魔導師では運搬不可能な三センチカノン砲に換装し、硬芯徹甲仕様の術弾を装填。

 誘導弾等他の術式は一切組み込まず、貫通術式のみを盛り込んだゾフォルトは、再び魔導師殺しとしての本懐を遂げたのである。

 敵魔導師は速度が遅く、高度も低ければ命中精度も低いという有様で、正しくゾフォルトの鴨になってくれと言わんばかりの性能だった。

 ゾフォルトに対抗すべく、従来の演算宝珠を装備した魔導師がT3476型装備の魔導師の援護につく事もあったが、そうなれば帝国軍魔導師が遠距離から駆逐した後にゾフォルトに潰して貰えば良いというだけである。

 

 結果。苦戦を強いられるばかりか、進軍速度にも影響を与えると思われた敵の新型演算宝珠はゾフォルトのスコアにされたが、これは互いの兵器が噛み合ってしまったが為のもので、ゾフォルトがなければ、相当の被害が帝国に出た事は想像に難くない。

 

 そして、ゾフォルトの立場を継ぐ後継機も、七年の時を経てようやく形になった。

 但し、全くの新型ではなく、最新爆撃機の護衛として開発されたJä002タンクの複座式練習機を魔導攻撃機として改造したものである。

 エルマーはゾフォルトを開発してからというもの、常に魔導攻撃機の後継機を開発すべく日夜取り組んでいたそうであるが、終ぞ新規での開発は行わなかった。

 私が以前語ったように、コストや性能に見合う物を、魔導に頼らずとも実現し得てしまう領域に現代の──というよりエルマーと、フォン・シューゲル主任技師の──技術が踏み込んでしまったからである。

 

 本来ならば魔導攻撃機を諦め、従来の軍用機とは全く異なるものを開発したかったそうだが、長期化する戦争の中で全く新しい兵器を開発する事は、既存の生産ラインを捨てることを意味している。

 それをするぐらいならば、部品の互換性と共通性を保った既存機から後継機を用意する方が手早い。魔導攻撃機の原型として使用したJä002タンクも、ヴュルガーの発展機として有りものを有効活用する上で誕生した機体であるから、如何にエルマーが帝国の財政を鑑み、生産効率を重視していたかが判ろうというものだ。

 

 ゾフォルトの後継にして最後の魔導攻撃機。そしてヴュルガーの派生機としても最後のものとなるJä002-1Sタンク*2は従来の魔導攻撃機のように、複数の術式弾を搭載していない。

 

 Jä002-1Sタンクは装甲と主脚を強化した上で戦闘爆撃にも対応し、三センチカノン砲一門と二センチ機関砲を四門装備しているが、これらに術弾は装填されず、通常弾のみの配備を前提としていた。

 Jä002-1Sタンクの術弾は、弾薬ではなく小型ロケット弾に誘導式のみを組み込んだ代物であり、これまでの数を撃って当てる無誘導型でなく、後席手がミサイルを手動誘導することで、確実に目標に命中させる方式を採用したのである。

 

 これは後のジェット戦闘機の標準装備となった誘導ミサイルの走りで、当時の技術基盤では実用に難のあった赤外線式や光波式が実用可能に至るまでの、繋ぎとも言えるものだった。

 当然ながら、術弾に込められた術式を起動させるだけでなく、その後の誘導まで自力でなさなければならない分、後席手の魔力消費と負担は大きなものになるが、これまでの研究成果から魔力消費をゾフォルトのそれ以下に抑える事には成功しているし、全弾撃ち尽くさずとも目標さえ撃破すれば帰投しても良い。

 その速度も相まって一撃離脱が前提の、敵にしてみればこれ以上ないほどに厄介極まりないJä002-1Sタンクは、オペラハウス指示の下、赤色空軍の爆撃機を一方的に墜とし続け、更には持ち前の精密誘導で移動中の輸送列車にも被害を与え続けた。

 

 

     ◇

 

 

 快進撃を重ねた帝国軍はスオマに雪崩込むと、勢いもそのままに各都市を解放し、遂にはこの地に駐在する連邦軍を駆逐するか、或いは連邦領にまで追いやることに成功。

 一九二七年一一月二六日は、スオマ人が後世まで語り継ぐ解放記念日となった。スオマ人義勇軍将兵は事実上の祖国奪還と開放を叫び、帝国軍将兵と歓喜の涙を流しながら抱き合った。

 化学兵器の類は忌むべきものだが、同時にそれがこうした悲願達成を早め、結実させたのもまた事実である。勿論、だからといって化学・細菌兵器の存在そのものが正当化される訳ではないし、エルマーのVXが世に出る切っ掛けを生んだ合州国に対しての怒りも尽きはしないのだが。

 

「これで、諸君らが遮二無二戦う理由もなくなったな」

 

 ルーシー戦役でも北方方面軍司令官を勤めたウラーグノ元帥は、そう合流した亡命政府議員に微笑んだが、議員もスオマ人将兵も、それを下手な冗談だと笑って否定した。

 

「私達には、まだ取り戻せていないものがあります」

 

 それは勝利だ。祖国の真の開放を歌うなら、それは自分達に侵攻し、祖国を汚した敵を討ち滅ぼしてからだという。

 

「我々は、帝国と共に進みます。これは、祖国再興を望んだ、全てのスオマ人の結論です」

 

 

     ◇

 

 

 一方、こうした祖国解放に歓喜するスオマ人に対し、僅かな例外たるスオマ人も存在した。

 連邦のスオマ侵攻時、スオマをルーシー革命時のどさくさに紛れて武力で政権を樹立させたクーデター国家だと主張して憚らず、連邦と共産党に対して協力関係を築いたスオマ社会民主党議長、オット・シークネンは連邦のスオマ侵攻後に傀儡となっていたが、スオマ人義勇軍と帝国軍による祖国奪還が止められないと見るや、亡命に乗り出した。

 しかし、シークネンや彼と主義主張を同じくした共産主義者らは連邦への亡命と支援を求め出たものの、それが叶うことはなかった。

 シークネン達は共産党から白衛主義者の残党とインペリアリストを打破できなかった非革命精神の持ち主であると無能の烙印を押され、全員が強制収容所(ラーゲリ)へと送られた後、()()()死亡したという。

 

 

     ◇

 

 

 一二月。スオマ開放後も戦争は続き、厳しい冬を皆で乗り切ろうと悪戦苦闘したものだ。

 整備員は「回転翼機様々だ」と、後方から粗漏なく交換部品が届く度に歓喜した。

 我々飛行要員も一丸となって彼ら地上要員と協力し合い、身も凍る寒気の中で何時でも飛べるよう最善を尽くしていたが、何も辛いことばかりではない。

 スオマ人義勇軍将兵や、現地のスオマ人は冬季戦に移行した為に小康状態が続いているのを利用して、北方各所の帝国軍を労ってくれていたからだ。

 

 私達空軍の元にも訪れてくれたスオマ人義勇兵らが、感謝の言葉と共にクリスマスプレゼントだと称してコーヒーやチョコレート、ジンやジャムを持ち寄ってくれた日の事は、忘れがたい思い出だ。

 私達は諸手を挙げてスオマ人達を歓迎し、お返しにワインやブランデーの類を振るまい、ささやかな宴を開いたものである。

 スオマ語は世界でも屈指の難易度だと言われるが、私も含めた幾人かの将校は、現地人には多少の違和感こそあっても会話出来るし歌も歌える。

 私たちは歌える者達でスオマ民謡を肩組み歌唄い、彼らも返礼にと帝国国歌を高らか歌えば、これなら問題ないと他の帝国軍将兵も揃って歌った。

 

 今でこそ心の友として、また戦友としての愛を公言して憚らない私達だが、空軍の面々は始め、彼ら義勇軍の姿を見た時には、殺してやらんばかりの殺意の眼差しを宿していたといえば、読者諸氏はどう思うだろうか?

 それも。本当に下らない理由でだ。

 

 

     ◇

 

 

 東部戦線で初めて空軍と義勇軍が顔を合わせたとき、帝国空軍は彼らを見やると同時に歯ぎしりし、血涙を流さんばかりに睨んだという。

 民族主義者特有の外国人差別か何かかと、その様を見た野戦憲兵は空軍を咎めつつも宥めたが、そうではないと年嵩の空軍将校は言った。

 

「我々は、その制服が妬ましいのだ!」

 

 帝国空軍史上、後世にまで残ってしまった余りにも残念な迷言である。

 だが。彼らの気持ちも私には分かる。灰緑色(フェルトグラウ)の折襟軍服に、プロシャ時代から引き継がれた由緒正しき髑髏の帽章。機能美を保ちつつも洗練された軍服は、私でさえ一目見て着用したいという欲求が湧いてきた程だし、現に制服のデザインが優秀だった為に、他国のみならず徴兵を終えた帝国人さえ、義勇軍に参加したいと志願が殺到したほどだ。

 空軍のみならず、陸軍からも制服を更新する際はあれと近しいデザインにしてくれと要望が出た程なのだから、当時人がどれだけあの制服を求めて止まなかったかは、読者諸氏にも想像に易い事だろう。

 

 流石に戦時下で被服を全面改訂する訳にも行かず、かといって士気にも関わる。そこで帝国軍は『親衛』の称号を与えられた師団に限り、義勇軍の制服を着用する権利を与えた。

 外国人義勇軍は出身国や部隊に応じて右襟に異なったデザインの襟章──左襟には階級を示す襟章が付く──や袖章、盾章を加えられたが、帝国軍の親衛師団は新たに専用の袖章と、右襟に親衛部隊(Schutzstaffel)の頭文字を取りSSのルーン文字の入った襟章を与えられる事になった。

 

 帝国軍の各軍は親衛の称号を得んとする為、引いては制服を得る為に猛烈な勢いで戦ったというから、制服が与える士気や影響の絶大さが見て取れる。

 

 そしてここいらで、オチを用意しよう。帝国軍において親衛称号が与えられるのは陸軍のみであり、空・海軍は対象ではない。

 即ち空軍将兵の士気低下は甚だしく、その分は空軍が独自の栄典を創設することで対応したが、栄典よりも制服が欲しい空軍将兵には大して効果が無かったということをここに記載しておく。

 

 その結果、制服の存在を知りながらも手に出来ない空軍将兵の積もり積もった感情が、義勇軍と顔を合わせた瞬間に爆発し、後世にまで残る迷言が誕生したことは、世界に冠たる帝国空軍の中でも、最も恥ずべき歴史だったと言わざるを得なかった。

 

 

      ◇

 

 

 とまぁ、かくも残念な話だが、蟠りは時間が解決してくれた(というより空軍が諦めたのと、義勇軍らが怒るより呆れただけだが)。

 今となればこうして義勇軍と互いに酒を酌み交わし、来年はモスコーで戦勝パレードだと笑い合うが、そこまで上手くは行かないだろう。

 ナポレオーネもモスコーを取ったが、最終的には退却した。首都機能を別都市に移して奥に引き篭る程度の頭は連邦軍にもあるだろうし、現段階で戦後の労働人口に影響を与える規模の損害を出していても、独裁体制である以上、兵力はまだ捻出できてしまう。

 

 何より、モスコーから奥のインフラは一層絶望的で、重戦車が通るには相当の時間を要するだろう。考えれば考えるほど頭が痛くなるが、更に厄介なのが合州国だ。

 他の中立国の弾劾から合州国企業株の不買運動は各国で広がり、国債購入も響いている。武器供与や武器貸与(レンドリース)を行使しても、徐々に国家経済が軋む音が聞こえ出した彼の国は、更に悪辣な手段を取った。

 

 民間軍事会社(PMC)の設立。国家でなく企業による軍事サービスの提供であり、早い話が傭兵業だ。直接的な兵力や物資だけでなく、軍事顧問なども金額次第で如何様にでも提供するという企業は、挙って連邦と契約を結んだ。

 PMC社員は正規軍人でない為に国際法の庇護下になく、非常にリスキーではあるものの給金は良いという事と入社条件の敷居の低さから、食い詰め者や人種差別故に定職に就けない有色人種らにとっては救いの糸だった。

 PMC社員となった者達は主義主張や己の心情とは無関係に武器を取り、こうして中央大陸で我々と矛を交えている。但し、死亡者に給金は支払われず、特に有色人種は地雷除去等の危険任務にばかり駆り出された挙句、四肢が吹き飛んでも治療を受けられず死亡するというから、給金以外は最底辺という他ない。

 

 それでも例外というものはあって、退役士官等一定のキャリアを有している者や魔力量を持つ航空魔導師の有資格者は、同社内でも特別社員として優遇措置が設けられている。

 特別社員は独自の制服を着用し、合州国や他列強と同等の訓練を受けてから『出荷』されるが、はっきり言えば彼らの大半が合州国か、或いは他国の現役武官だ。

 これまでの戦闘でも幾人かのPMC特別社員が捕虜として捕らえられたが、帝国情報部が経歴を洗ったところ、表向き病気除隊という形で退役後、PMCに『入社』した形になっていた。

 連邦と帝国の戦争を長引かせ、帝国を疲弊させつつ連邦から利益を巻き上げる。忌々しいが効果はある上、特別社員の中には過去の敗戦から反帝国故に入社した玄人も多いため、規模こそ小さくとも、連邦軍より厄介な連中だ。

 

 何より、押されている連邦も、ただ手を拱いている訳でなかった。帝国が義勇軍を設立し、反共十字軍という御旗を掲げたように、連邦もまた赤色義勇軍という多国籍軍の設立に乗り出したのである。

 実際、赤色シンパは世界各国に存在する。彼らはテロリズムの行使や危険思想から自国内での立場は低く、皆こぞって連邦に集結した。

 それも、合州国の民間船に乗ってである。当然、帝国海軍は幾度となく臨検を行ったが、義勇軍に正式に加わるまでは民間人であり、武器の類も現地で受け取るのだから、観光や仕事だと言われれば拘束できない。

 そうしていざ連邦領に入れば、制服と武器を支給されて我々と殺し合うのだから堪ったものではなかった*3

 

 長々と語ったものの、何が言いたいかと問われれば、我々はまだ戦い続けねばならないという事である。

 

「キッテル大佐殿が、モスコーの空を飛ぶ日も近そうですな!」

 

 そう砕けた調子で笑うスオマ人中尉に「だと良いのだがね」と珈琲を注がれつつ応える。他は無礼講とばかりに酒精を入れているが、私は常に飛べるよう飛行を禁止されている夜間以外では酒をやらなかった。

 

「私としては、まずはウリヤノフグラードを落としたいところだな」

 

 折角スオマが解放されたのだから、東部の北方軍集団と挟み撃ちにするのが一番だ。陸軍内では無理にウリヤノフグラードを占領せずとも、包囲して干上がらせれば良いという意見もあるが、あの都市を野放しにすれば戦車や火砲、弾薬を連邦軍に供給し続ける。

 冬季までに各都市の工業施設だけは、最新鋭爆撃機の速度と航続距離を利用して叩けるだけ叩いていたが、都市部とは完全に制圧するまでは何度だろうと持ち直すものであるから油断ならない。

 

 尤も、挟み撃ちという部分には問題もある。我々はスオマを解放するほどの大躍進を遂げていたものの、肝心要の東部は中央軍集団がようやくスヴォレンスクを落としたばかりで、我々との合流には未だ時間を要するのだ。

 これは何も、東部が手を拱く事態に陥っているという訳でなく、補給線の確保を最優先にしている事や、独立を求める諸勢力と協力体制を維持するため、市街地への化学兵器を使用せず、反共産系パルチザンと共同で都市を攻略したが為である。

 

 その甲斐あってというべきか、時間こそかけたものの各都市は帝国の『解放』を喜び、友好関係を築けているし、今後も補給拠点としては大いに期待出来そうだという。

 多少の無理をすれば、確かにモスコーを落とすだけならば来年の春には叶うだろう。尤も、私としては無理にモスコーを落とそうとして逆包囲をかけられるなど御免被りたい上、ナポレーネの時がそうであったように、入城した都市に焦土戦術などされては堪ったものではないので、多少時間をかけてでも着実に継戦能力を削ぐ道を選択したい。

 しかし、スオマ人中尉の関心は、そうした部分とは別のところにあったようである。

 

「ウリヤノフグラード! 良いですな! 次はスオマが奴らの都市を奪うというのも一興です!」

「それは戦後の交渉次第だな」

 

 帝国はルーシーに対してオストランド以東の領土要求をしない事を誓っているし、賠償金も最低限だが、これは連邦打倒後に復権予定のルーシー帝国が、諸勢力の分離独立を認めた上でも国家を維持し得るラインを保つ為だ。

 加え、連邦の首都はモスコーだが、ルーシー帝国時代の首都はサンクトピチルブールクであり、現在のウリヤノフグラードでもある。

 未来のツァリーツァや旧体制派がそれを飲むかと問われれば、まぁ無理だろう。それよりはスオマを売ったレガドニア協商連合に対して、彼らが失地回復を望んだ際に幾つかの領土を要求する方が遥かに良い筈だし、亡命していたスオマ人議員もそのように動く筈だ。

 スオマ人中尉も分かっていたのか冗談半分だったようで、話題を変えてきた。

 

「遅ればせながら、キッテル大佐殿の進級決定と叙勲をお祝い申し上げます」

 

 ありがとうと、静かに笑いながらチョコレートを一つ齧る。彼らがここに来てくれた理由の一つが、年明けには北方地域を離れねばならない私に祝いの言葉をかける為だったと知った時には、思わず彼らを抱きしめたくなったものだ。

 

「出来れば、戦争が終わるまでは前線に残りたかったがね」

 

 それは無理だと、スオマ人中尉のみならず誰もが苦笑しだした。

 スオマ解放に至るまで、私は兎に角暴れに暴れていた。地上ではひたすらに支援の名目で火点潰しと戦車撃破に努め、海上では海軍と連携してウィレム海海戦にも参加した。

 海戦に関しては潜水艦の活躍と帝国海軍の練達な手腕もあり、空軍に大した見せ場もなく終わったが、それでもブークモール海では船団に対して一定の戦果を挙げる事が出来た。

 

 ダールゲ中佐などは『自分が唯一目立てる機会を奪うなんて!』と冗談交じりの手紙を送ってきたが、中佐は私が一隻沈める間には五隻沈める海上の覇者だ。

 東海(オストゼー)でも『船団殺し』の名声は絶大で、赤色海軍にしてみれば、ダールゲ中佐は私以上に殺しても殺し足りない存在だったことだろう。

 ダールゲ中佐は爆撃と同様に空戦の腕前も凄まじく、東部に専念して貰うべく戦闘航空団の指揮官に任命されてからは、赤色海軍が胸を撫で下ろした事は間違いない。

 

 今のダールゲ中佐は、それこそ私から最多撃墜王の座を奪おうとしているのではないかと勘ぐる程の追い上げを見せていたが、私に本国に戻れというのも、北方地域は片付いて戦線も安定しているという理由ばかりでなく、ダールゲ中佐の活躍が、私を後方に置けるだけの余裕を作っているからだろう。

 そう考えると、私は逆にダールゲ中佐に恨み言の手紙でも送ってやろうかと考えたが、止めた。相手と同じネタに走るのも芸がないし、冗談とは言え恨み言を親友に漏らしたくはない。毎年のそれと同じく、クリスマスプレゼントとカードを贈るのに留めよう。

 

 

     ◇

 

 

 一九二八年、一月。本国に一時帰還した私は正式に少将進級を伝えられ、突撃章の中でも最高位の黄金柏葉剣ダイヤモンド付白金騎士突撃章を授与された。

 

「貴官は十二分に尽くした。今後は後進を育て、活かす道を歩み給え」

 

 授与式の際に帝国軍統帥が述べた言葉は、要するに私は今後地上勤務に専念しろという念押しだった。私としても、今この瞬間に戦争が終わったのならば、それを受け入れる事も吝かではなかったが、そうでない以上答えは決まっている。

 

「祖国が窮地にある限りは、私に空を離れるという選択肢はございません」

 

 どうしてもというのならば勲章も進級も要らないと申し出た私に対して、統帥は良かろうと飛ぶ事を認めてはくれた。

 

「但し、飽く迄も階級に相応しい職務を全うし給えよ?」

 

 随分と太く長い釘だと思いつつ、授与式の後は命じられるがまま、大人しく戦闘爆撃機隊総監という新職務に精を出した。

 幕僚を纏め上げるのも、各種の事務手続きも非常に煩雑かつ膨大なものだったが、そこは自慢の体力と事務能力でやり遂げた。どの道冬季では前線でも耐え忍ぶ他ないのだという諦めもあったので、未練も不満もあっても、駄々をこねようとは思わない。

 

“尉官の頃であったなら、意地でも操縦席に齧り付いただろうにな”

 

 だが、今の私が成すべき事はパイロットであることでも、戦果を重ねることでもなく、一刻も早く連邦に勝利することだ。ターニャを死なせず、エルマーがこれ以上の悪名を広められる日が来ないよう、全力で職務に取り組むことだ。

 前線でも後方でも、自分の能力が活かせるならば居場所には拘泥すべきでないと、総監職に就いたばかりの時は意気込みを新たにしたものである。

 

 そう。あの日までは。

 

*1
 反面、連邦軍は毒ガス攻撃によって多大な被害を蒙った。

 連邦は合州国から化学兵器を購入し、独自研究もしていたが、未だ人命軽視の観が根強く、対ガス装備は行き渡っていなかったのである。

*2
 Jä002-1はエンジン部と出力増加装置の不具合を修正し、低・中高度飛行時の性能低下を克服した交代機。世界最高の称号を得たレシプロ機と言えば、Jä002でなくこれに当たる。

*3
 PMC社員も同様の手段で輸送されており、彼らの言い分は現地での契約が完了しない限りフリーであり、到着までは兵士ではないと拘束を拒絶していた。




以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【人物名】
 オットー・クーシネン→オット・シークネン
【地名】
 スモレンスク→スヴォレンスク
 ノルウェー海→ブークモール海
 バレンツ海→ウィレム海

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