キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/3/22誤字修正。
 佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


66 逆転の可能性-ターニャの記録24

 ニコから東部復帰を知らせる旨の便りが届いたのは、前線で流れるラジオの特別放送を耳にしてからすぐだった。

 帝国軍では中隊ごとにラジオが配備されており、軍の公式発表や演説といった戦意高揚、速報性故の情報確認のみならず、流行歌や娯楽番組の類も流される。

 私や戦闘団の面々もラジオの時間となればスイッチを入れ、荒んだ前線生活にささやかな文明の潤いを求めたものだが、今回ばかりは度肝を抜かれた。

 スオマ解放と北方攻略の功で少将進級と叙勲を言い渡された筈の婚約者が、三月には東部に舞い戻るばかりか、親友の仇に対して挑戦状まで叩きつけたのだ。

 

 敵対勢力向けの放送から抜き出したニコの声明は、私も含めた連邦公用語を嗜む士官らの耳に響き、放送が終わると同時、瞬く間に戦闘団に広まったが、おそらく各軍も似たようなものだろう。

 戦闘団の面々は帝国貴族らしい名乗り上げに対する賞賛や、ニコの『粋』な機体がどのようなものか拝みたいものだという好奇。或いは戦線を共にしては自分たちの獲物が減るから来ないで欲しい、という豪胆なものまで様々だったが、どのような感想であれ、それが前線・後方を問わず将兵の話題作りになったことは間違いない。

 誰も彼もガヤガヤと語らう中、私は仏頂面で筆を走らせていた。

 

“ニコ! あの大馬鹿が!”

 

 私の査問会の時がそうだったように、頭に血が昇っているのだろうと信じて疑わなかった私は、あらん限りの言葉で婚約者を罵った。

 時代錯誤で黴臭い騎士道精神と軍事ロマンチズムに酔ったナルシストだの、将官の立場を忘れた前線馬鹿だのと、兎に角見るに堪えない文章のオンパレードだったが、何より馬鹿だと思ったのは、散々私に念押ししてまで口を塞がせた派手なカラーリングを、ここに来て乗機に使用すると宣った事だ。

 英雄願望持ちの新星の餌には、確かに好都合だというのは分かる。だが、どのような英傑であろうとも何百と戦えばいつかは倒れるもので、狙われる可能性というものは極力減らすべきなのだ。

 手紙を読み返し、悪い意味で持ち得る限りの言葉を尽くした便箋を野戦郵便局に渡そうとしたのと同じタイミングで、ニコからの便箋が飛び込んできた。

 

 どうせ私に対して、あれやこれやと言い訳じみたことを書き連ねているに違いないから、知った事かと自分の便箋を渡しても良かったが、結局私は自分の文を引っ込めてニコからの手紙の封を開けた。

 ……決して、キロ単位で送られてきた珈琲豆に釣られた訳ではない。そしてヴィーシャ、相伴に与りたいのは理解するが、私の分も丁寧に淹れたまえ。私の怒りを鎮められるだけの、味と量を準備するのだ。

 

 

     ◇

 

 

 手紙の内容は、案の定言い訳じみた説明から始まっていた。

 ニコは仇討から事を起こした訳でない事や、最前線に戻る事は軍の命令である以上覆らないこと。釣り餌とはいえ敵の目を態々引くような機体で飛ぶのは、自殺願望を疑われて然るべきだと理解もしているとのことだが、分かった上でやっているなら一層性質が悪い。

 目を通せば通すほど眉間に皺が寄っているのを自覚しつつ、ようやく許容できる内容の文にまで到達できた。

 私の大反対を予想していてか、初めからそのつもりだったのか。おそらく両方だろうが、ニコは自分の行動に幾つかの条件をつけ、遵守すると私に約束した。

 

 その条件とは、前線復帰したのだと喧伝するために赤い機体に乗って飛ぶが、それは始めの数回の任務だけで、その後は一日一度の出撃に留めること。

 噂が広まるのに十分だと判断すれば、その後はシェスドゥープ親衛少佐がニコの作戦空域を飛ぶ事が確認できるまでは、赤い機体には乗らないというものだ。

 ニコの目的はシェスドゥープ親衛少佐を墜とし、軍と戦友の被害を減らす事であって、それ以外に派手な機体に乗る理由はないのだから当然だろう。もしも四六時中派手な機体で飛ぶようなら、親衛少佐の前に私がニコを撃墜してやるところだ。

 

“尤も、たかが一将校をここまで買う理由は理解出来ないが”

 

 ニコは復讐でも仇討ちでもなく、純粋に敵を国家と戦友の脅威として捉えているようだが、私に言わせれば一個人で出来る範囲など高が知れたものだ。ニコや故クニックマン少将の活躍は味方であっても驚嘆に値するし、敵に回れば恐ろしいことは間違いない。

 しかし、所詮個人は個人なのだ。如何に英雄といえども、個の直接的な戦果が戦局を覆す要因には足り得ない。

 まして、こんな荒唐無稽な戦法を取れる奴がいるものかと、手紙に書かれたニコの危惧は馬鹿にさえしたもので、だからこそ検閲官も苦笑しつつ黒塗りにはしなかったに違いない。

 

 開戦劈頭の赤色空軍ならいざ知らず、十全な防御線の張られた空域を突破し、濃密な対空防御を構築した水素化合(合成石油)工場区域を重点的に爆撃するなど、親衛連隊以外全ての赤色空軍が瓦解している現状では、実行など到底不可能だ。

 

“あり得るとすれば、本当に最悪に最悪が重なって、その上で敵がニコ以上の実力を有していた場合、万一の確率で起こり得るぐらいか”

 

 私はニコの危惧を杞憂と断じていた。既に帝国軍はウリヤノフグラードの攻略準備を整え、モスコー方面からこれを包囲しようとする連邦軍を、迎撃するどころか逆包囲して崩壊させつつある。

 勿論、私とてこのままコミーが終わってくれるなどとは楽観視していない。

 既に連邦はモスコーから何処かの都市に首都機能を移している事だろうし、如何に我が方が優勢と言えど、現状の侵攻領域では帝国軍に連邦の都市機能の移転を止める手立てがない以上、戦争はまだ続く。

 

“だが、もはや帝国の勝ちが覆ることはない”

 

 この時の私は愚かにも自軍の優勢が、否、勝利が盤石のものと信じて疑わず、敵を軽んじた。かつて方舟作戦を予見し、全力で残党狩りを進言した私が、愚かにも無能と罵ったかつての中央参謀本部や上官らと同じ過ちを犯していたのだ。

 尤も、弁明しておくならば、方舟作戦のそれは兆候が見られたのに対し、今回は敵に全く動きがなかったのが大きい。

 後ろ向きな視点に立てば、石油精製施設の空爆による生命線の破壊ほど、背筋を凍らせるものもない。敢えて見ないようにしてきた全てを、最悪の可能性と言う言葉の下に考えれば、それは言い知れぬ不安が過るのも致し方ないだろう。

 しかし、それでも私はニコのそれを杞憂と断じ、想像が飛躍しすぎていると苦笑したのだ。何故ならば。

 

“敵の戦力では、不可能だからな”

 

 壊滅間際まで追い込まれた赤色空軍では、薄氷どころか、剃刀の上を歩き渡るようなものだろうと、私はため息と同時に手紙を投げた。

 こんな妄想じみた問題を危惧したが為に、前線に戻って命を張るなど、馬鹿の所業としか言いようがない。

 

“釣り合わない費用対効果。失うには大きい損失だと、以前の私ならそう考えただろうな”

 

 いいや、未だにそう感じている。特に後者は、合理の塊だった過去の私以上に。

 

“あの大馬鹿には「お前無しで生きれない」ぐらい言わねば、きっと止まらんのだろうな”

 

 私は罵詈雑言で満たされた手紙をぐしゃぐしゃに丸めて捨て、新しい用紙に思いを綴る。一服して冷えた頭だ。罵詈雑言より、ずっと効く内容にしてやろう。あの手の責任感が強い男には、泣き落しが一番有効なのだ。

 お願いだから生きて欲しいと。無茶な事だけはしないで欲しいと泣訴し、そして婚約者を失う痛みを二度と私に与えないで……待てヴィーシャ。

 捨てた手紙を拾って読むんじゃあない。何? ではこちらを見せろ?

 駄目に決まっておろうが拾った方で我慢しろ。泣き落しの文面といえど、見られるには私の羞恥心が持たん。だから横から覗き込むなというに!

 

 

     ◇ニコラウスの回想記

 

 

 東部に到着した私だが、早速というべきか、或いは当然というべきか。野戦郵便局から私宛だと、到着早々に婚約者からの便りを手渡された。

 差出人は確認するまでもない。私はどのような叱責を受けるのだろうかと、親に叱られるのを待つ子供のように戦々恐々としながら封を開けたが、目を通した感想としては、いっそあらん限りの罵詈雑言で満たしてくれた方が、まだ良かったと思う。

 自分が死ねば、いや、負傷するだけでも、私の婚約者は泣くだろう。常日頃は佐官としての格式を保ち、泰然と振る舞うフォン・デグレチャフ中佐が年相応のターニャになる姿は、笑顔ならば愛おしく感じられたとしても、痛みからの涙は耐え難い。

 

“それでも。だとしてもだ”

 

 傲慢なのだろうが、私はシェスドゥープ親衛少佐を墜とせるのは自分だけだと確信していた。シェスドゥープ親衛少佐の活躍は目覚ましく、帝国空軍内ではまるでダールゲ少将が敵に回ったようだと心胆を寒からしめているほどである。

 実際、これまで個人単位での撃墜は有っても、航空優勢を脅かされたことの無かった常勝不敗の帝国空軍が、たった一人の敵機を前に部隊単位で敗北を喫していた。

 そして、奪われた空をどのように有効活用すべきかは、帝国軍が教師として徹底的に連邦軍に叩き込んでいる。

 有能な敵を模倣するのは当然で、帝国陸軍は驟雨の如きクラスター爆弾の洗礼を受けた。

 ラインの砲火からこの手の攻撃に耐性が付いている古参でさえ、空爆に対しては経験が浅いが、それも当然だろう。

 帝国軍にとって空爆とは自分達がする側であり、される側に回る機会など、レランデルの地を踏んだ者か、余程運のない最前線の部隊ぐらいしかいなかったのだ。

 高射砲部隊は爆撃機に果敢に立ち向かい、これを防いだ猛者も出たが、やはり被害は免れない。連邦軍にしてみればようやく反撃の目が出てきたといったところで、しかも余りに遅きに失したと呻いているだろうが、我々帝国軍にしてみれば自分達をここまで追い詰めた初めての強敵だ。

 幸いにして帝国陸軍は空軍から空爆の対策と訓練を入念に叩き込まれている上、シェスドゥープ親衛少佐さえ現れなければ空そのものが奪われることもないので、被害状況はひっ迫するほどではない。

 だが、全体の数はともかくとして、陸の前線将兵のみならず、空の前線将兵に与えた影響は深刻なものだった。

 いや、実際の所、陸より空の影響が遥かに大きい。基地然り滑走路然り、自分達が攻撃地点とする事はあっても、攻撃を受ける事は皆無だった。

 前線に立つ以上は危惧すべき問題であり、日夜訓練を欠かしていないとはいえ、それでも現場の経験と訓練ではあまりに勝手が違う。

 

 空にさえ上がれれば。そう思いながら無念に散った戦友を見、側に居ながら機体も滑走路も無い為に飛べないパイロット達は、皆一様に憎悪と不満を募らせている。

 ダールゲ少将の死から間を置かず、いいや、それを機にして自分達こそが支配する場であった空に、赤い星の翼が悠々と翻るというのは、誇り高き帝国空軍には耐え難かったのだろう。

 どの部隊にも、シェスドゥープ親衛少佐を発見しても交戦するなと命じていながら、エース級どころか撃墜王(エース・オブ・ザ・エース)らも、挙って親衛少佐に挑もうとしている。

 戦闘機乗りとしての誇りと、帝国騎士としての信念がそうさせるのか。私としてもその気持ちは痛いほど分かるが、彼らには他にやるべきことがある。

 具体的には、本土防空の任に回って貰わなくてはならない。

 既にターニャが語った通り、私は敵が我々の水素化合工場を、工業都市を叩くと確信していた。たとえどれだけ無謀だとしても、それ以外に帝国の侵攻を阻む手立ては残されていないからだ。

 出来るならばそうなる前にシェスドゥープ親衛少佐を撃墜したいもので、私は鮮やかな赤のJä002-1に搭乗しては、久方ぶりに純粋な戦闘機乗りとして空戦を行ない、その乗機を敵味方に見せつけた。

 陽光を浴びて空に煌めく赤い星を一つ残らず地に墜としては、シェスドゥープ親衛少佐が現れる日を待ち望んでいたが、彼は私の前に全く姿を見せず、ウリヤノフグラードを落とす段になっても、終ぞ現れはしなかった。

 全てが終わった後で知ったが、共産党指導部はシェスドゥープ親衛少佐に対し、私との対決を控えるよう厳重に釘を刺し、彼は早々にして南部資源地帯の防衛に回されていたのである。

 シェスドゥープ親衛少佐が私の挑戦に乗ったのは本人の意思で、戦いたいと意気込んでもいた。しかし、共産党や連邦軍にしてみれば派手な機体を晒す私の位置さえ確認出来ればよく、挑戦状など破り捨ててしまえば良いと判断した訳だ。

 

 私がシェスドゥープ親衛少佐の居場所を知ったのは、彼の乗機と同じく白い機体を駆る『鉄人』イェーリングとの対決を耳にしてからだ。

 

 元々連邦南部諸都市の攻略と資源地帯奪取は目標までの縦深や兵力の負担から、帝国軍内でも消極的だったが、フォン・ルーデルドルフ中将(参謀次長)の強い意向により決定したものである。

 とはいえ、小モルトーケ参謀総長にしてみても少々博打に過ぎると苦言を呈していたようで、「そこまで自信があるならば」とフォン・ルーデルドルフ中将を『調整担当』という肩書きだけの役職で東部に送りだした。机上の空論でないことを、自らの手腕で証明しろというのである。

 当然、頭を冷えさせるにしてもやり過ぎではないか? と同期にして中央参謀本部の英邁たるフォン・ゼートゥーア中将(参謀次長)は反対したが、これに対して、小モルトーケ参謀総長は冷ややかに返した。

 

「奴は後方で頭が固くなっているのだ。前線で柔軟さを取り戻して貰う。奴が凱旋将軍として帰還すれば、次は貴様だ」

 

 脅しではない。既にしてターニャから副官職を継いだ筈のフォン・レルゲン大佐も最前線の泥濘に沈められ、東部流の洗礼と現場の艱難辛苦を味わわされた。

 そうして才覚を見出された後のフォン・レルゲン大佐は、指揮官として強制的に戦闘団を運用させられている。

 レルゲン戦闘団と言えば、今日ではターニャのサラマンダー戦闘団に次いで戦史に登場する戦闘団の顔であるし、フォン・レルゲン大佐は終戦間際には才幹一つで准将に進級し、連隊長にまでのし上がるのだが、そんな未来の栄光を知る由もない当時の大佐は、戦闘団の運用に四苦八苦したものだと戦後回想している*1

 フォン・ルーデルドルフ、フォン・ゼートゥーア両中将も「意に添わぬ人間は戦死しろ」と言外に告げられたと疑わなかったらしい。

 三名は漏れなく遺書を書いてから東部に来たというから──別段遺書を認める事は前線であれば日常なのだが──その時の面持ちは嫌でも分かる。

 しかしながら、彼ら三名は漏れなく生還し、フォン・ルーデルドルフ、フォン・ゼートゥーア両中将は大将進級後に中央参謀本部に戻った。

 しかも、フォン・ルーデルドルフ、フォン・ゼートゥーア大将などは、どちらも後方に戻ってから「仮設司令部で戦争のことだけを考えられた日々の、なんと甘美であったことか」と再度の前線勤務を希望したというのだから、小モルトーケ参謀総長の人事は英断だったという他ない。

 フォン・レルゲン大佐もまた、後方に戻ろうと思えば戻れたにも拘らず、前線に残ることを選択したのだから。

 

 

     ◇

 

 

 さて、この辺りで話を戻すが、フォン・ルーデルドルフ中将は南部で辣腕を振るい、南部方面軍を遅滞なく進攻させていたが、流石に個の武威が自分達の侵攻に歯止めを掛けられるとは夢にも思わなかった事だろう。

 無論のこと、帝国空軍はその威信と矜持と、何よりも己の名誉にかけて赤色空軍の空爆阻止に心血を注いでいる。オルカンを装備した戦闘攻撃機は真っ先に爆撃機を狙い、戦闘機隊もこれを支援すべく率先して敵戦闘機に喰らいついているが、攻撃機であれ爆撃機であれ、航空優勢を自軍が確保していない限りは万全ではない。

 戦闘機が戦闘機を墜とし、魔導師が魔導師を墜とす事で(そら)(から)にしてからでなければ、攻撃機や爆撃機は真価を発揮し得ないのだ。

 シェスドゥープ親衛少佐と親衛連隊はその点よく心得たもので、先陣を切って地上支援機の為に空を()けようとする帝国軍戦闘機を先んじて撃墜するし、逆に赤色空軍の地上支援機を掩護する側になっても、そこは変わらない。

 優先順位を正しく把握し、帝国に手痛い一撃を与えるべく注力している。

 

 シェスドゥープ親衛少佐に対し、誰より真っ先に挑み、果敢に戦ったのは先に語ったイェーリング大尉だが、これは彼が戦友愛の強い皆が頼る兄貴分だったばかりでなく、後に本人が語ったところによると、シェスドゥープ親衛少佐の乗機が気に入らなかったそうだ。

 

「奴は俺の真似をしやがった!」

 

 私が乗機を赤く染めると宣言した後、真っ先に誰より目立つ純白に機体を塗装して、私の帰還を待っていたと同僚らに誇っていた矢先に、シェスドゥープ親衛少佐が大々的に白の機体に乗ると言っては立つ瀬が無かったのだろう。

 二つと同じ色は空に要らぬ。世の戦闘機乗りたちの例に漏れず、負けん気の強いイェーリング大尉はその撃墜記録に相応しい見事な空戦機動(マニューバ)と、粘り強い格闘戦で喰らい付いたそうだが、最後にはエンジンをやられて脱出せざるを得なかった。

 

「俺はまだ負けていない! 死んでいないのだからな!」

 

 捜索隊に保護された際、イェーリング大尉はそう叫んだそうだが、彼は運が良かった。シェスドゥープ親衛少佐は兎も角、赤色イデオロギーに凝り固まった親衛連隊や他の赤色空軍は、撃墜したパイロットが脱出しようとパラシュートを開いた後でも撃ち殺しているし、中には地面に降りた後、自らも地上に降りて絞殺したという話も多くあったからだ。

 無論のこと、それはパイロットとしては最低限尊重すべき部分であって恩義と思えと言う訳には行かないが、一部始終を耳にした私としては、少しは命を大事にして貰いたかったものである。

 そして、イェーリング大尉をはじめ、帝国空軍でも多くの撃墜王がシェスドゥープ親衛少佐に挑んだものの、その全てを親衛少佐は打ち負かし続けた。

 航空機の黎明期、陸軍航空隊時代からの生き字引であった『空軍戦術の父』、ベルク大尉。帝国空軍撃墜数、第四位『壊し屋』キップ中尉などは、親衛少佐と相対し戦死したことからも、読者の中にも知る方が居られるのではないだろうか?

 世界に名だたる空戦の名手にして、最高峰の実力たる撃墜王たちを、しかも一対一でなく部隊単位を相手取りながらこれを討ち取り、勝利の勲章を掴み続けたシェスドゥープ親衛少佐。

 帝国空軍にとっての忌まわしき怨敵でありながら、同時に彼と戦い敗れた者は再戦を望み、高きところに旅立った者たちは、安らかな死に顔を晒していたことから、当時の我々にとって、彼は告死の天使のようだと語られていた。

 彼の手にかからず、運よく逃げおおせた者は、きっとその時ではなかったのだと囁かれたものである。

 当時の私は伝え聞くばかりで実感などなかったものだが、後に相見えたとき、その言葉に嘘偽りなどなかったと思い知らされることとなる。

 

 ただ、こうして名の知れた帝国軍パイロットが撃墜されたり、帝国地上軍が被害を被る一方で、やはり連邦軍全体としては焼け石に水と言ったところであったのも事実だ。

 シェスドゥープ親衛少佐がその勇名を内外に轟かせ、連邦軍最高の栄誉たる英雄称号を複数回受章する一方、彼の現れない戦域ではこれまで同様に連邦軍は劣勢を強いられ続けている。

 敗戦まで秒読みとまでは行かないものの、既にしてその莫大な人的資源を武器にし続けてきた連邦軍にも、底が見え始めて来ていたのだ。

 二〇代の若年層は、開戦劈頭と比して目に見えて削減された。独立を求める構成国の相次ぐ離脱、パルチザン活動の激化。或いは帝国と連邦の勝敗を悟ったが故に選択し、連邦の背中を刺す勢力まで現れ始めた。

 帝国軍のモスコー攻略も着々と進み、合州国製の兵器やPMCの人員さえ、損切を考慮して目減りしつつある。

 だからこそだろう。私の危惧は、いよいよ現実のものになった。東部に残る事を希望したエース級を空軍総司令部の将官らが有無を言わさず本国に戻し、再三陸軍から無駄だ止めろと叩かれつつも、各人が伝手を頼りに最低限の高射砲部隊や空軍地上員を内地に送った成果が、ここに来て役に立ってしまった。

 

 打てる手を尽くした我々に問題があったとするならば、それは一つ。

 敵が我々以上に上手だったというだけだ。

 

*1
 とはいえ、最前線での活躍と水を得た魚の如き動きを鑑みれば、謙遜と捉えるのが妥当だろう。後年出版されたレルゲン回顧録の中でも、彼はルーシー戦役の日々で、我が妻との背中合わせの日々を、楽しげに語っていたのだから。




 ドイツ軍が中隊ごとにラジオを配備したのはWW2からなのでフライングです。兵器とか一部戦後に突入してるので今更感全開ですが。

 他に前線の娯楽として有名なのは、楽団が演奏してくれたりした事でしょうか。こういう戦闘以外の当時の事を知ると、結構面白いと思います。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【人物名】
 オズヴァルド・ベルケ大尉→ベルク大尉。
 オットー・キッテル中尉→キップ中尉。


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