キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/2/20誤字修正。
 くるまさま、びちょびちよさま、水上 風月さま、佐藤東沙さま、ご報告ありがとうございます!


04 南方大陸へ-伝説の男との出会い

 検査官の手に委ねられたものとは言え、最高の初飛行を終えた私は、その後約一ヶ月、航空隊員として座学と操縦に関する基礎訓練を課せられた。

 航空魔導師は幼年学校から鍛え上げられ、戦況が逼迫して短縮でもされない限りは、最低でも二年間はみっちりしごかれるのに対して、私達パイロット候補生の動力機の機上訓練は、僅か二〇時間に過ぎなかったのだから、如何に航空隊が陸軍の窓際なのかが判ろうというものである。

 

 とはいえ、私とて航空隊の懐事情を理解していなかった訳ではなく、また、窓際どころか断崖絶壁の崖に片手でしがみついているとさえ言われるパイロットが、どのような場所に配属されるかも十分に理解できていた。

 当時の陸軍航空隊の任地は帝国領オストランド(東方領)、帝国領ノルデン(北方領)、帝国保護領ファメルーンの計三箇所であり、成績に応じて志願者を出向させていた。

 帝国領オストランド、帝国領ノルデンは航空隊員の受け入れ先としての基地が複数──といっても二箇所だが──存在したが、ファメルーンには一箇所しか航空隊を受け入れる基地は存在しなかった。

 世界に冠たる我らが帝国本土を去り、航空隊志願者一七名の内、私を含む四名と物資を乗せた輸送船が到着したのは、南方大陸の帝国保護領ファメルーンであった。

 

 

     ◇

 

 

「少壮気鋭にして、栄えある陸軍航空隊に志願してくれた諸君を歓迎する」

 

 ファメルーンの陸軍航空隊試験工廠監督官ならび航空技術研究所所長は、そう我々を歓迎したが、言葉とは裏腹に覇気は皆無であり、全身から伝わるのは結果を出せない事への憔悴と、諦めにも似た光のない瞳だった。

 

「見ろよウルス。新しいお嬢様達だ」

 

 軽口と共に、兵舎で寛いでいた航空魔導将校が、にやけ面で私達に近付くと「煙草はあるか?」と聞いていた。

 

「はい。中尉殿」

 

 私は肩の星が違う事もあって、粛々と煙草を一本差し出すが、そうじゃないと彼らは笑う。

 

「一箱だ。魔導師達へのチップだよ」

 

 成程と、私は抵抗する事なく煙草を一箱と言わず、手持ちの三箱全て差し出した。本音を言えば少々惜しいが、所詮は嗜好品であるし戦闘口糧の兵隊煙草もある。

 何より彼らから漂うのは、硝煙弾雨に慣れ親しんだ古参特有の空気だ。新品少尉同然の私にしてみれば、仲良くしておくに越したことはない。

 フランソワ共和国産の黒煙草と私の気前の良さに気を良くしたのか、魔導中尉は連れのウルス少尉と一緒に私の肩を叩いた。

 

「俺はアントンだ。ケツが狙われたら、真っ先に助けてやる」

 

 アントン中尉の言葉は嫌味ではなく、本心から来る親切心である。

 私が本著で散々航空隊に──より正確には航空機に──未来がないと述べたのは、当時は彼ら航空魔導師と比べ、航空機の性能が目を覆わんばかりだったからだ。

 

 ここで、当時の列強国における空の事情を説明したい。

 航空魔導師の出現は、気球による敵地観測を不可能たらしめ、これを克服する『逃走目的』として偵察機が出現したが、この航空機は当初、軍部の要求を満たすものではなかった。

 実用・限界高度は兎も角、飛行速度に関しては航空魔導師が優位性を保ち続け、貫通術式による長距離射撃が、より高みにある筈の偵察機を撃ち落とし続けたのは、性能差からくる当然の帰結であった*1

 

 一度空に上がれば鉄の棺桶となって散華する事から、偵察機は『鉄の花火』の蔑称を授けられ、偵察隊員は出撃前に必ず遺書を戦友に手渡してから出撃したものである。

 航空技師は死亡率を下げる為に苦心し、最終的には装甲を犠牲に高度限界を一万三〇〇〇まで確保する事に成功。速度も同様に底上げされ、魔導師に運悪く発見されたとしても、確実に撃墜されるという事態は回避できたが、技術とは一つの分野だけが突出する訳ではない。

 技師達が航空機設計に苦慮する中、航空魔導師の心臓たる演算宝珠も、同様に進化を続けていた。

 空を飛ぶばかりが魔導ではない。彼ら魔導師は魔導障壁によって銃弾から身を守り、貫通術式によって航空機のエンジンさえ貫通させ、爆裂術式によって地上軍に砲兵同様の被害を与える、正しく人間兵器にして万能の兵科である。

 

 対し、航空機の役割はどうか? 空から敵陣地を撮影ないし記録し、これを魔導師に撃墜される恐怖に苛まれながら、後方に届けるという役割は、やろうと思えば魔導師にも可能である。

 そうならず済んでいるのは、魔力波長の探知技術が、航空機探知レーダーの技術以上に優れており、結果として偵察機が首の皮一枚繋がっている事にある訳だが、有用であるが故に対策された魔導師に対し、手をつけぬまま見逃された偵察機の存在は、何とも哀れなものであった。

 

 しかし、これが航空技師らに火を点けた。

 

 必ずや、自分達は航空魔導師を倒す。自分達の作品が、空を席巻する日を夢見、その妄執の末に『戦闘機』が各国列強で少数ながら開発された。

 

 いつか。きっと。必ずや。

 

 しかし、その熱意は現実の壁に阻まれた。

 一九一八年。私がファメルーンに到着した時点における帝国軍制式採用戦闘機の性能は、巡航速度六五ノット。最高速度でも七五ノットであり、実用高度に至っては、約四〇〇〇フィートに過ぎない。

 これは、当時帝国軍航空魔導師の装備として制式採用されていたエレニウム八〇式の巡航・最高速度と互角のものであり、高度限界だけは一〇〇〇フィートもの大差をつけて勝利したが、こんなものは負けない為の、逃げる為のものであって、魔導師を打倒するという当初の目的には沿わなかった。

 

“どれだけ高く飛べようと、自分達から近づく必要があるからな”

 

 斯様なまでの醜態を戦闘機が晒すのは、その武装故である。

 魔導障壁を展開する航空魔導師に、貫通術式等の魔導を行使せず有効打を与えるには、当時は一般に七・七ミリ以上の銃弾を()()する必要があった。

 これは帝国技術廠のデータが証明した、極めて正確な結果である反面、非常に困難な問題だった。何しろ魔導師といえば、縦横無尽に格闘戦を仕掛け、射角さえ三六〇度自由自在に変換できる相手で、しかも的は非常に小さいと来ている。

 加え、当時の機銃は命中精度が劣悪で、接近を余儀なくされることから、明らかに分が悪いどころか、まともな戦いにもならなかったのだ。

 魔導障壁に命中したとしても、一発は耐えられるし、場合によっては下なり上なりに逃げて、エンジンに穴を開けられればそれだけで戦闘機は終わってしまう。

 そこで戦闘機は、二センチにもなる火砲を二門備え、これを以て魔導師の防御を一撃で抜くという手段が選ばれた*2

 一発でも中てるのが難しいなら、その一発で決めろということだろうが、明らかに当時の航空機には重量過多の武装を付けた事で、戦闘機は飛ぶ力を根こそぎ奪われていたのだ。

 

『幸運なるパイロットよ! 汝、空の安全は我らに任せ、敵の情報を持ち帰り給え!

 諸君らがやがて至るヴァルハラの門は、我らが先んじてお守り致そう!』

 

 かつての航空魔導師の間では、航空隊員の出撃前に、こう歌うのが定番だった。

 航空機など、資源と燃料と人命を無駄にする騎兵以上の無駄飯喰らいであり、空飛ぶ棺桶に乗ろうとする者は、軍人として後のない者だと嘲笑された。

 当時の軍事評論家や有識者達が、『戦闘機不要論(輸送・高高度専用機は改良の余地有と除外されていた)』を語るのも無理からぬ話である。

 

 これが将来は、航空隊が帝国空軍なる陸海と並ぶ帝国第三の軍となり、魔導師が陸海の一兵科に収まり続けているのだから、まこと世の流れとは分からないものである。

 

 

     ◇

 

 

 ファメルーンでの我々航空隊員の任務は、表向きアルビオン連合王国植民地ニジェリアと、フランソワ共和国植民地・南方大陸西部との国境線の監視と哨戒にある訳だが、現実には異なる。

 

 国境地帯では常に小規模な戦闘が続いており、毎日のように兵士達が命を落としているが、帝国・連合王国・共和国三国の本国国民はおろか、政府さえその事に関心を払わない。

 原因としては、当時三国が出した犠牲者の大半が本国国民でなく、保護・植民地領出身の兵士であった事。何よりこの土地での……より正確に言えば、南方大陸での列強の戦闘は、全て新型兵器のテストに費やされていたといっても過言ではなかった為だ。

 

 無論のこと、前線将兵は大真面目に戦うし、国の為に命も捧げる。だが、本国国土への直接的被害がないというだけで、国民の危機感というものは何処までも薄くなるのである。

 ここファメルーンに、本土以上に立派な航空工廠や航空技術研究所があるのもそうした理由で、時に己の技術を高め、時に敵の技術を盗みながら、日夜熱心に自国の兵器を開発していた*3

 

 我が弟、エルマーの戦車も南方大陸で試作機が作られ、在ニジェリア連合王国軍の心胆を寒からしめたのは、帝国・共和国軍においては、つい昨日の出来事である。

 

「少尉が、あのエルマーの兄というのは本当なのか?」

 

 これは南方大陸で上官・部下問わず、私の姓を知った者が、最初に問う言葉となっていた。エルマーが本国で開発した兵器は次々と南方大陸でも輸送ないしコピー生産され、テストされたが、私が初めて南方に着任した半年間(一九一八年、五月~翌年一月)で、エルマーの兵器が制式採用を見送られた事は一度としてなかった*4

 

 そんな事情であるからして、哨戒飛行を行うと言うことは、敵との交戦を意味している。よって、生存率を高める為、哨戒任務に就くには、訓練と模擬戦の双方で一定の水準を満たす事が条件とされたが、ここで私は伝説の男との邂逅を果たした。

 

 彼の名は、イメール・マルクル中尉。

 

 航空界と空軍史において今尚、そして未来永劫語り継がれるであろう、私が生涯尊敬し続けた帝国将校にして、読者諸氏も名前ぐらいは聞いた事があるだろう『イメール・ターン』なる空戦機動を編み出した、至高のエース(エクスペルテン)である。

 

「新しいパイロットだね?」

 

 マルクル中尉は、まだファメルーンに着任して間もない私にお声をかけられたが、この時にして既に、私はマルクル中尉の『伝説』を聞き及んでいた為に、まるで将軍に対して行うように大仰な動作で踵を鳴らし、直立不動の姿勢を取った。

 

「中尉殿! お会いできて光栄であります!」

「必要以上に畏まらなくて良い。私は運が良かったに過ぎないし、航空隊で持て囃されているのも、それぐらいしか良い話題がないだけだよ」

「運で魔導師を二名撃墜は出来ませんよ、中尉殿」

 

 横合いから声がかかるのは、美髯の美しい、三〇間際の少尉だ。名をダールゲ・クニックマンと言い、ファメルーン航空隊内でもムードメーカーとして知られ、誰にでも声をかけては、好かれるか嫌われるかのどちらかだったが、憎まれる事はないという変わった性分の男であった。

 ダールゲ少尉はどんな時でもユーモアを失う事のない快活な人物で、私も含めてそれに助けられた航空隊員も多く、私や他の航空隊員達は、親しみを込めて彼をファーストネームで呼んだ。

 

「中尉殿、小官も同意見であります」

 

 ダールゲ少尉に追従し、私はマルクル中尉が如何に誇らしいかを力説したい気持ちだったが、中尉はやめてくれ、と笑いながら手を振った。

 マルクル中尉はその名にフォンが付かない事からも判る通り、貴族の生まれではない。しかし、その整った顔立ちと洗練された動作。何より、非の打ち所のない潔癖なお人柄が、中尉を貴族以上に男らしい士官に仕立てていた。

 私は、マルクル中尉のような帝国最高のパイロットが何故声をかけてくれたのかトンと見当がつかず、内心首を傾げていたのだが、要件はすぐさま中尉自身の口から伝えられた。

 

「まだ飛ぶ為の条件を満たしてないのだろう? 私でよければ、付き合うよ?」

 

 なんと! 伝説の男が、私の模擬戦デビューを務めて下さるというのだ!

 私はその申し出に誇張ではなく飛び上がり、抱き着かんばかりに受諾の意を全身で表現した。

 しかし残念ながら、それは私が特別という訳ではなくて、マルクル中尉は非常に面倒見の良い、戦友思いの男であったから、新人にはまず声をかけて実力を把握し、実際に飛ぶ段になっても、後方で見守って下さる為だったのだ。

 

 

     ◇

 

 

「また中尉殿が始めるぞー!」

 

 新人との模擬戦は、ここでの風物詩なのだろう。私が今日すぐにでもと模擬戦を受けた途端、航空隊員のみならず魔導師や手の空いている兵卒らが、我も我もと見物に来ては、賭けの元締めなぞやっている下士官の軍帽にマルクやペニヒ硬貨を放り込んでいた。

 これは私とマルクル中尉のどちらが勝つか、ではなく、私が何分持つかを賭けるものである。

 私は過去の最高は何分かとダールゲ少尉に問えば、離陸してから三分半であり、四分を越えた者はないという。

 

「いいか? ここだけの話だが、中尉殿に長く粘ったからって、そいつが強い訳じゃあ無いんだ。中尉殿に『芸術』を使わせた奴が、この航空隊で長生きするんだ」

 

 その芸術とは何なのか、ダールゲ少尉は私に教えてはくれず、ニヤニヤとした表情でさっさと乗れと顎で示した。

 

「準備はいいな!?」

「はい、中尉殿!」

 

 始動したエンジンの轟音にかき消されないよう声を張り上げると、マルクル中尉は私に親指を立てた。その様がどうしようもなく絵になって私は見惚れかけたが、すぐに気を引き締めて離陸準備を始める。

 機体はどちらも同じフォルカーD型。性能面に差はなく、整備も職人気質の帝国人であるから、私は自分の実力こそ全てだと自信を持って迎え撃つと決めた。

 真っ直ぐな滑走路を、二機の戦闘機が進む。スロットル・レバーを全開にした際、私はちらと横目にマルクル中尉を見やると、なんと中尉の方が明らかに早い!

 機体が一切ぶれる事なく、真っ直ぐ進めている証左だ。私はこの時点で、彼我の実力差を認めざるを得なかった。やはり物が、格が違う。当然と言われればそれまでだが、何事にも全力で取り組む、負けず嫌いな性分の私は、この程度で挫けてなるものかと己を鼓舞した。

 地上滑走と離陸の早さでは敵わないが、完全に飛ばれるまでの差は僅かだ。

 

 読者諸氏の中には、遅く飛んだ方が後ろから狙いをつけられるので有利だと思う者も居られるだろうが、そうした行為はこの場合『反則』である。

 よって、機体が二機とも水平飛行に移り、横並びに飛んでからが本当の勝負だ。

 私は速度を落とし、後ろに付こうとしたが、マルクル中尉はいち早く察知して機首を落とすと、地面に触れるのではないかという低空で飛行してみせた。

 その命知らずな行為に私は目を丸くしたが、すぐに勝負なのだと思い出して、照準器に相手を収めようと覗き込んだ。

 勝利条件は、ぴたりとエンジンないしコクピットを五秒以上捉える事で、結果は自己申告なのだが、地上のギャラリーは経験豊富な者が多く、何よりパイロットは気位が高いので、決して嘘は吐かない。負けた時は負けたと盛大に悔しがり、勝った時は両手を挙げて喜ぶのだ。

 

 私は五秒ぐらいどうという事はあるまいと高を括っていたのだが、なんと二秒と持たずマルクル中尉は左右に機体を揺らして狙いを外す。

 私は実弾の試射を何度か見ていたし、実際に中るかどうかを頭の中でシミュレート出来たが、一向に弾が中ったというイメージがない。むしろ、私は散々に無駄弾を撃たされ、ばかりか集中力まで削られていると感じていた。

 

“このっ!”

 

 私は後ろを取っている。有利なのは間違いなく自分の筈だ。そう思う事で気を鎮めようとしたが、思いに反して心はエンジンより昂っていた。

 

“上がってこい”

 

 私は、地面すれすれの方が撃たれにくいのだと察して──勿論こんな行為は、さしもの伝説の男と言えど実戦では無理だろうし、私はマルクル中尉が低空飛行で狙いを逸らすのは、これ以後も模擬戦以外で見たことがない──敢えて隙を作ったが、乗って来ない。

 マルクル中尉が機首を上げ、上昇してきたのは、私の張り詰めた緊張の糸が緩んだ、刹那にも満たない時間、本当の意味での隙を晒してからだった。

 

南無三(しまった)!”

 

 後悔は、余りに遅い。私は逆に後ろを取られそうになり、これを振り切るべく右へ左へと旋回したが、マルクル中尉の機体は、私の機体の尾翼から伸びた糸で結ばれているかのように、ぴったりとくっついて離れない。

 意識の隙間に入り込み、立ち所に攻守の境を異にするその手管は、正しく達人の手管だった。

 

“負けて、なるものか!”

 

 しかし、何度も書いたが、私は負けず嫌いで諦めも悪いのだ。操縦桿を手に旋回を続ける中、どうすれば、より機体が小さな円で旋回出来るか感覚を掴んできた。後は動く上での適切なタイミングだ。私は心の中で秒数を数えた。相手が自分に合わせて舵を切った瞬間、何秒で追随出来るか?

 一、二……心中の時計が秒針を刻み、私はそれに合わせて操縦桿に力を込めた。

 

“いま!”

 

 私は馬鹿の一つ覚えの旋回に見せかけて、マルクル中尉の下腹へと速度を落として潜り込んだ。中尉も予想してなかったに違いない。私だって、旋回を直前まで考えていた。だが、何度も旋回して見せて、徐々に上手くなったのだから、今なら誤魔化せるのではないかと賭けに出たのだ。

 

“やったぞ、成功だ!”

 

 内心自分に喝采を送り、再び後ろを取った一瞬を照準器で覗こうとし──瞬間、マルクル中尉が空から()()()

 

 馬鹿な、何処だ、有り得ない、後ろを取られた、左、右、いや……

 

“どれも違う!”

 

 幼少の頃より、器械体操と馬術で培った動体視力が、三次元的な空間を正しく認識し、刹那の判断で私は機体軸を横にずらして回避運動を取った。

 

“中尉殿は、()だ!

 

 横でなく縦の機動! 垂直上昇からの失速反転!

 私はダールゲ少尉の『芸術』の正体を即座に看破したものの、同時に脳裏に刻まれたのは、紛れもない敗北のイメージだ。

 マルクル中尉と私の距離は五〇メートル以内。火砲どころか、機銃による有効打を与えるのにも確実な距離。私の回避は間に合わない。翼は確実に捥がれただろう。運さえ良ければ、エンジンは無事か? いいや、一発は絶対に命中した。コクピットは? 判らない。

 いずれにせよ、二センチもの火砲を受けて無事な戦闘機など有る筈もない。人間が無事だとしても、すぐさまパラシュートで飛ばねば、地面に激突して終わるだろう。現実の空中戦なら、直ちに燃料と点火装置を切って脱出に備えなければならない場面なのだ。

 私は五秒のルールなど、この時点で頭からすっぽ抜けていた。そんなルールなどなくとも、自分は完膚なきまでに敗北したのだと、私自身が一番理解出来ていたからだ。

 

 私は降参を示した後、滑走路に着陸した。着陸は自分でも良い出来栄えだったと思うが、負けた事への悔しさの前では、何の慰めにもならない。

 目に見えて肩を落とす私に、しかし後ろから勢い良く抱きつく者があった。

 

「あれで()()()()()()のは、少尉が初めてだよ!? 誰かから聞いていたのかい!?」

 

 伝説の男は飛行眼鏡(ゴッグル)を外しながら、悔しさを微塵にも感じさせない、朗らかな笑みで私に肩を回した。私は驚きと負けた事での萎縮からたじたじとなり、まるで内向きな少年の様に返した。

 

「その、ダールゲ少尉から『芸術』を使うと……警戒はしておりました」

「あいつか。だが、あいつはそれ以上は絶対言わないな。良いぞ、実に良い」

 

 しきりに満足げに頷かれるマルクル中尉に、私は気になっていた事を訊ねた。

 

「中尉殿……小官は、死ななかったのですか?」

「模擬戦で死ぬ奴はいないよ……と、言いたいが、降参した時点では生還だな。少尉の体には中らなかった。エンジンに一発は穴を開けたろうが、あの高さならパラシュートは開くよ」

 

 私のイメージと、マルクル中尉のそれは同じであったらしい。中尉は皆の方に顔を向けると、高らかに宣言した。

 

「決めたぞ! この少尉は私の僚機にする! 少尉のケツが欲しいなら、私に勝ってからにしろ!」

 

 私は一瞬、頭が真っ白になった。そして、頭がマルクル中尉の言葉を反芻し、意味が分かった途端、嬉しさのあまり中尉に抱きついてしまった。

 

「中尉殿、結婚式は何時ですか!?」

 

 ダールゲ少尉のジョークは、大爆笑の渦を生んだ。

 

 

*1
 これは気球も同様で、どれだけ高く飛ぼうと止まっていれば複数人によって同調・強化された貫通術式が確実に墜とした。当時の魔導師達は、これを『風船割り』と称した。

*2
 当時から一三ミリ機銃は既に存在していたが、炸裂弾の開発はなされておらず、高速移動する魔導師を一撃で下すには不向きとされ、実装はされなかった。

*3
 ファメルーンで航空隊員の受け入れが一箇所であったのは、これが原因である。私達志願者は、彼らの開発した航空機に搭乗し、結果を出す必要があったのだ。

*4
 というより、エルマーが生涯の中で採用を見送られた兵器は一作品のみであり、そちらも実用性が証明されてから制式採用の運びとなった。




補足説明

※ドイツ陸軍航空隊では、単座式戦闘機に乗るまでには
 複座機での観測任務→爆撃機→複座戦闘機
 と段階的に経験を積まないといけないのですが、本作品では物語をスムーズに進めるため、一気に単座式戦闘機に乗せています。
 ……この話の時点では、まだ爆撃機が影も形もないという理由もありますが。

※幼女戦記原作1巻の参謀本部会議では、帝国軍は自分たちの地上戦力を『大陸軍』と呼称しているのですが、本作では『地上軍』に変更しています。
 これは後々この作品で、ナポレオンの大陸軍を『フランソワ大陸軍(グランダルメ)』ないし『大陸軍』という名前で使ってしまったので、混同を避けるために変更させて頂きました。
 お気に触られた読者様がおられましたら、この場をお借りしてお詫び申し上げます。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【社名】
 フォッカー社→フォルカー社
【人物名】
 マックス・インメルマン→イメール・マルクル
【地名】
 カメルーン→ファメルーン
 ナイジェリア→ニジェリア

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