キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/3/23誤字修正。
 佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!


68 核の火-最後の戦いへ

 燎原の火という言葉がある。防ぎようのない激しい火のことだと、ここで記すような意味はまるでない言葉だ。

 だが、それを直接でないとしても結果として見て、知ることになった私は、その言葉を頭の中に思い浮かべながら、空虚な瞳で()()()()なる写真を眺めるしかなかった。

 灰燼と化した都市を、為す術なく吹き飛ばされた敵軍を、或いは無慈悲な炎に包まれ、炭化した市民を、私はぼんやりと眺めていた。

 

 清々したと口にする者。党幹部をこの手で殺してやりたかったと漏らす者。裁判にかけたかったと悔しがる者。誰もがこの破壊に対して、良心が苛まれる以上に、敵に対して行われた破壊を、連邦への()にして()()としてしか見ていなかった。

 私もきっと、エルマーが核兵器を作り出したのだと知らなければ、犠牲となった市民に懺悔しつつも、心の何処かで喜んでいたことだろう。

 

 戦争は終わりだ。連邦内にはまだ生き残っている党員もいるだろうし、連邦軍にも無条件降伏を勧め、乗り出す者も出ているだろう。

 現に、運良く生き残ったゲオルギウス・ジャウコフ連邦軍参謀総長は地下壕の司令部に身を置いていた為に難を逃れ、正式に降伏文書に調印。

 無条件降伏を認め、生き残った党幹部を帝国に差し出した*1

 

「戦争は終わりだ!」「我々の完全勝利だ!」「悪しき共産主義は遂に滅んだ!」

 

 そう無邪気に叫べたなら、私はどれだけ良かっただろう。

 帝国は勝利した。祖国は安寧の時を得た。もはや、核を手にした我々を脅かす国家など、この地上には存在し得ない。

 勿論、帝国に世界を焼き尽くす意思などない。だが、世界は帝国を恐れ、恐怖するだろう。或いはスオマやルーシー帝国のように、戦後正式に軍事同盟という名の傘下に加わり、立ち位置を明確にするだろう。

 

 少なくとも、表立って帝国と鉾を交えたがる国など、もはやこの世界の何処にも存在しない。かつて帝国と戦った敗戦国らは挙って長期的な不可侵を提案するか、或いは戦後、核を化学兵器同様禁ずる為の動きを見せた。

 勿論、帝国は反発したし、今日に至るまで核兵器は廃絶に至っていない。帝国は核の製造を秘匿したが、保有に関しては後の同盟国に認め、気前よくバラ撒いたのである。

 核という傘。核という同盟。たった一発で戦局が塗り変わる悪夢の火を前に刃向かえる国家はなく、現在の我々は正義の味方でなく、暴力に拠って立つ国家と一部では見られている。

 

 それらが帝国の庇護下に入れなかった事へのやっかみや、或いは純粋な恐怖としてのものだとは理解しているつもりだ。

 合州国などはその代表で、核ミサイル使用直後には国民は恐慌状態に陥り、「直ちにPMCを引き払え」「武器貸与法(レンドリース)も取り消せ」と議事堂に無数の群衆が押し寄せたし、議会も経済恐慌への()()()としてこれらを通した議員たちの首を挿げ替えた。

 その上で、合州国に事前に亡命した党高官らを、掌を返すように帝国に差し出したのだから、彼らがどれだけ必死だったかは想像に容易い。

 自分たちが世論を通じ、核兵器廃絶の為の準備時間を稼げるなら、他の全てがどうなろうと知ったことではないということだ。

 

 だが、核を恐れ、核を禁じる動きを見せても、それを行うまでには遅く、仮に叶ったとしても、経済大国としての合州国は洛陽の時を免れなかった。

 武器貸与もPMCも、焼け石に水であるばかりか、東部戦線中期の時点で損切りを迫られていた。

 国債は自国民さえ購入せず、兵器は連邦に届かず逆に帝国の手に渡り、PMCも死亡率の高さという血の匂いは誤魔化しきれない。

 戦後は財政破綻こそ免れたものの、長らく合州国は恐慌に苦しみ続ける事になる。

 

 

     ◇

 

 

 少し先の未来を、いや、今となっては戦後という過去を語ったが、事態を核の使用と、その後の報告まで巻き戻そう。

 

“私の戦いは、一体何だったのだろうか?”

 

 祖国は勝利した。婚約者は生きている。それだけでも、十分だと言えるのかもしれない。私自身もまた、結果として生き存えているのだから。

 だが、エルマーの名は永久に破壊者として歴史に刻まれるだろう。敬愛する小モルトーケ参謀総長も、共産主義廃絶という大義達成と同時に、拭いきれぬ汚点を残されてしまった。

 

 私は、私が愛し、尊敬する者達が、手を汚す前に終わらせることが出来なかった。

 この一点を見れば、私は紛れもない敗者だろう。敗残兵とさえ言って良い。

 いつかこんなことになるかも知れないと、誰よりもエルマーの優秀さを理解していながら、こうなる前に終わらせる事は出来なかった。

 

 己の無力さに打ち拉がれ、無念に歯を噛み締めることも、拳を叩きつけることさえできないまま、虚脱感だけが全身を蝕む。

 物語ならば、何もかもが主人公の思い通りに行く展開もあるのだろう。どれだけの苦難があっても、最後には大団円で締め括られることもあるのだろう。

 だが、私は今を、この時代を生きるちっぽけな人間に過ぎない。

 どれだけ嫌な現実だろうと、それを受け入れて生きていくしかないのだ。

 

 だから、気持ちを切り替えようとした。切り替えようと努力して、戦友たちと肩を叩き、無理に笑い合い、祖国への帰還を待ち遠しいと語らい合った。

 けれど、そんな中にあって、一つの音が私の、帝国軍の耳に飛び込んだ。

 周波数の割り込み。帝国の中に紛れる音。それは、力ない私のそれ以上に悲壮な、末期の声だった。

 

『赤色空軍親衛連隊中佐、シェスドゥープだ。私を撃墜した人物に賛辞を述べると共に、この放送が、どうか栄えある帝国空軍に届いていることを願う』

 

 歓声が静まり返る。誰もが、この言葉を遺言と理解したのだ。敵への野次や嘲りの言葉はなく、我々は誇りある軍人として、シェスドゥープ親衛中佐の言葉を待った。

 

『もはや我が軍は壊滅状態にあり、我々に勝利はないだろう。だが、我々の祖国はルーシー帝国でなく、ルーシー連邦なのだ。諸君らにとって唾棄すべき敵であろうと、我々は赤い旗を国旗と仰ぎ、赤い星を人民を導く一等星として見上げてきた』

 

 たとえ生きていたとしても、祖国の土を踏むことが出来たのだとしても、この戦いが終わってしまえば、そこは祖国であって祖国でないと、シェスドゥープ親衛中佐は吐露した。

 

『私の生存は、諸君らにとって面白からぬことと思う。だからこそ、私は死に場所を同志と求める。キッテル少将閣下。閣下との戦いを避けた身でありながら、勝手なことを述べているとは承知している。

 だが、私を止める者は最早ない。一切の虚偽や、騙し討ちの意思はない。

 どうか、三日後の正午、モスコーの空で決闘を。

 たとえ閣下が現れず、殺されるとしても恨みはしない。私と、残る四人の同志は潔く空で死のう』

 

 

     ◇

 

 

 通信の直後、私は三日までに当空軍基地に到着し、私と共に出撃したい者は居るかを各基地に問い合わせた。いや、問い合わせるまでもなく、各基地から撃墜王らが、私に同伴させて欲しいと基地司令官に嘆願しているという。

 まこと異例なことであるが、空軍総司令部も、まるで中世の槍試合を見たがるように、私に行けと命じた。

 物語の主人公とて、ここまで出来過ぎな展開は用意されないだろう。だが、帝国軍は理解したのだ。これを逃せば騎士道に準じる戦いは、以後の歴史には行われないだろうということを。

 私の滞在する基地には、空軍のみならず陸軍からも絶え間なく電報が飛び込んでいた。

 正々堂々たる一戦を、丁々発止の空戦を受けるか否か。もし受けるなら、邪魔立てはしないと。

 

 私の答えは決まっていた。

 

 そして、私の元に集った戦闘機乗りから四名しか選べないのかと、到着した面々の顔ぶれに度肝を抜かれたものである。

 はっきり言って、この戦いに軍事的な意味など欠片もない。消え行く祖国に殉じる者たちは死を望みながらも、決死で戦いを望むという矛盾した、しかし誰より強く恐ろしい強敵だ。

 終戦を待っていれば輝かしい栄光が付いてくるというのに、態々死地に飛び込むなど馬鹿としか言いようがない。

 だというのに、この空に魅入られ、敵を称える素晴らしき馬鹿共は私についてきたいといって聞かなかった。

 若輩から老練まで、誰を指名したとしても、黄金剣付白金十字が五機編隊の通常軍装(ディーンストアンツーク)となるだろう。

 私は悩みに悩み、意思と闘志を発散させる彼らの中から、四名を選抜した。選ばれた者は感謝の言葉や敬礼、或いは熱狂によって沸き立ち、選ばれなかった者は無念そうに肩を落としつつも、私と選抜者に固い握手をして別れた。

 中には、地上から私達の戦いを見守ると言い出す者も出た。

 

 ここで、私と共に撃墜王部隊(フェアバント・デア・エクスペルテン)の一員として来るべき戦いに臨んでくれた、四名の勇士を紹介したい。

 私とライン戦線を共にし、今や皆から兄貴分として信頼される『鉄人』ヘルムート・イェーリング大尉。

 イェーリング大尉の親友にして、偵察飛行隊から鞍替えの後は卓抜なる戦功を収めた『囚人*2』ブルーム・レルツァー大尉。

 自身も仲間も生還させる事を信念として貫き続けた、帝国空軍唯一の女性撃墜王『黒いチューリップ*3』エーリカ・ハルトマン大尉。

 そして、シェスドゥープ親衛中佐を撃墜した『黄の12』ヨーヘン・マリエール大尉だ。

 

 彼らは信頼のおける武勇を示し続けた最高の勇士たちであり、誰も文句のつけようがない顔ぶれだった。僅かな嫉妬や羨望と共に、戦友は私の同伴者らに声をかけ続けたが、マリエール大尉は私に一歩進み出ると、その端正な美貌とは裏腹な崩した口調に、真摯な思いを舌に乗せて私に告げた。

 

「閣下。私はシェスドゥープ親衛中佐と相打ったと思われていますが、現実には異なります。親衛中佐は、私を殺す事も出来たのです」

 

 あの日、マリエール大尉の乗機はエンジントラブルで思うように動けていなかった。そして、シェスドゥープ親衛中佐も、それを理解していたという。

 

「ですが、親衛中佐は私が脱出しようとした際、敢えて尾翼を撃ちました。私が、脱出時に尾翼と激突するのを防ぐためです」

 

 弾丸が敵機のエンジンに命中したこと自体を、運だったと言うつもりはない。しかし、たとえ一緒に墜ちたとしても、片方は生存し、片方は死んでいただろうとマリエール大尉は語った。それが、どちらがどちらかは語るまでもない。

 

「願わくば、万全の状態で決着を着けたいものでした」

「なら、私が墜とされた際は、貴官がシェスドゥープ親衛中佐と戦うと良い」

 

 はい、とマリエール大尉は頷く。しかし、それに残る三名が待ったをかけた。

 

「いえ、小官にやらせて下さい。以前は不覚を取りましたが、次こそは必ず」

「イェーリング、私も空の騎士として、戦いたいという思いはあるのだがね」

「いやいや、レルツァー大尉。ここは公平に行きましょう。自分が相手にする機を一番早く墜とした者が権利者にして頂けませんか?」

「ハルトマン大尉、貴官にはヨセフグラードの白薔薇というライバルがいたと記憶しているが? 雌雄を決する相手は他にいるだろう?」

 

 俺が私がと言い合う様は、死地に赴く人間とは思えない。これだから空に魅せられた者は始末が悪い。私も含めて、どうやら撃墜王には命知らずしかいないようだ。

 

 

     ◇

 

 

 選抜は完了した以上、我々が後にすべきことは何もない。逢引のそれのように、時間を厳守して目的地に到着すればいい。

 ただ、やはり戦いそのものは伊達と酔狂でしかない以上、誰もが大真面目にふざけていた。イェーリング大尉は自らが被弾した部分に赤い鉄十字(アイザーネスクロイツ)を描いて、よく狙えと見せつけているし、マリエール大尉も過去に削り取られた尾翼部分を黄色に塗り潰していた。

 既にこれ以上ないほど各々の機体は際立っているというに、更に装飾を施そうというのだから、私は苦笑したものである。

 

「しかし、閣下。こう派手では統一感というものがありませんね」

「そうだな、これではまるでサーカス団だ」

 

 ハルトマン大尉の無邪気な発言に同意すれば、それは良いとレルツァー大尉が笑った。

 

「サーカス団には共通のシンボルが必要ですな。提案なのですが、宜しければマルタ十字を尾翼に描く栄誉を頂いても?」

「好きにしたまえ。但し、死化粧にはならぬようにな」

 

 もう怒る気にもなれない私は、微笑を浮かべつつ撃墜王や整備員に投げた。空の騎士として最後の戦いとなるなら、戦化粧にとやかく言うのは野暮だろう。

 歓声と共に意気揚々と尾翼にマルタ十字を描き始めた彼ら。元より部隊として逸脱した編成であった我々に、マルタ・サーカスの名が後年与えられたきっかけである。

 たった五機。空軍のあらゆる編成や管轄形態に反した我々が、ただ一つの戦場で名乗ることを許された隊名が、尾翼のマルタ十字と共に形作られるのを横目に、私は赤い乗機を撫でた。

 

“ようやく、この機に相応しい相手が来るな”

 

 

     ◇

 

 

 決闘の日がやって来た。当基地のみならず、本土からやってきた老練なる地上要員達は我々の機体を最高の状態に整え、「全て良好です(アレス・クラー)!」と太鼓判を押してくれる。

 そして、いよいよ出撃という時に、私は整列する四名の勇士に、そして彼らを見守る聴衆を前にして滑走路にて訓示を行う運びとなった。

 

 私は敗者だ。誰がどう言おうと、それは変わらないし変えられない。そして、シェスドゥープ親衛中佐も、同じような思いだろう。私の心の痛みや無力感など、シェスドゥープ親衛中佐のそれに比べれば、痛痒にさえ値しないのだと弁えてはいる。

 私に出来るのは、死地に飛び込む彼らに、最高の桧舞台を用意する以外ない。それこそが、最高の手向けだと信じていた。

 いいや、信じたいのだ。敗者同士、傷を舐め合いたいのだろう。そのような情けない思いで決闘を受けたことを、そして傑物たる撃墜王らを巻き込んでしまった事を恥じつつ、意識を切り替えようと顔を上げた。

 私の翳りに気付いてしまった撃墜王たちに、それを察せられることのないように。彼らに、胸を張って戦いに臨んで貰う為に口を開く。

 

「諸君。我々は死に逝く者を相手にする。私は連邦に、社会主義国家と共産主義に憎悪を抱いていたことを否定しない。共産主義は、我らの奉じる諸王と皇帝(カイザー)を否定し、聖なる祖国を蝕まんとする存在であるからだ」

 

 だが、と。私は将として、彼らを率いるものとして、背を伸ばして声を張る。

 

「我々が相対するのは、如何なる主義思想を持とうとも一切の怯懦なく、死地に赴く誇り高い英雄だという事実は揺るぎない。

 そして諸君らもまた、敵が本懐と感じるに足る勇士だと認めるが故に選んだのだ。

 帝国の父祖から高貴なる魂と高潔なる血を受け継ぎ、聖なる大地に育まれた諸君! 私は諸君の誰もが生還し、凱歌に包まれながら、祖国の地を踏みしめると確信している!

 戦場を前にしながら諸君らの目は光に満ち、その五体と半身たる乗機でもって勇気を示さんとしているからだ!

 私もまた、諸君らを率いる者として卑怯者にはなるまいと誓おう! 万策尽きるその時まで操縦桿を握り締め、勝利がもたらす歓喜の門を、この手で皆と開かせよう!

 忠勇烈士たる諸君! 空の騎士たる諸君は、この戦いに何を求める!?」

 

「我らが祖国(ライヒ)に、不朽の逸話が刻まれんことを!」

皇帝(カイザー)に、無欠の勝利が報として届かんことを!」

「我らと敵の行く末に、栄光の輝きがあらんことを!」

「人民の英雄らが、誉れある死を賜らんことを!」

 

 イェーリング大尉が、レルツァー大尉が、ハルトマン大尉が、そして、マリエール大尉が、天に轟かんばかりに叫ぶ。その締め括りとして、私は最後に声を張り上げた。

 

皇帝陛下万歳(ハイルカイザーディ)!」

「「「「皇帝陛下万歳(ハイルカイザーディ)!」」」」

 

*1
 同じ軍人として名誉のため明示するが、ジャウコフ参謀総長は売国奴の類ではない。彼は党との折り合いは悪かったものの、軍人として政治に我関せずを貫いており、帝国軍にも名将として名を轟かせていた。

 ジャウコフ参謀総長が党員を差し出したのは、ルーシーの大地と、これ以上民を破壊の火に巻き込みたくないが為の決断だった。

*2
 縞模様の機体が敵味方に囚人服を連想させたことに由来する。

*3
 異名の由来は乗機に施されたチューリップのノーズアートから。




 パンツ一枚で空飛んでる女性が居る? はい、ネタ枠兼、スターリングラードの白薔薇さんの相手にして貰うためだけに入れさせて頂きました。これにてクロスオーバータグさんのお仕事は終了です。
 ホントはアフリカの星さんもエスコンの黄色の13にしようかと思ってたのですが、彼はジェット戦闘機乗りなので諦めました。
 多分黄の12の息子さんが……いや、エルドアはイタリアだから無理だわ。

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【人物名】
 ゲオルギー・ジューコフ→ゲオルギウス・ジャウコフ
 ブルーノ・レールツァー→ブルーム・レルツァー

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