キッテル回想記『空の王冠』   作:c.m.

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※2020/3/26誤字修正。
 ギフラーさま、佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!



71 戦勝-観兵と叙勲

 迎賓館で両の手から溢れそうなほどの勲記を授かった後、私は来る日に備えた。祖国に帰還した将兵から選抜された者達は、帝都で華々しい凱旋を飾り、これを以て戦勝式典の開幕とされる。

 この手の戦勝パレードは、フランソワ・アルビオン戦役の終わりにもフランソワ共和国の首都パリースィイで執り行われたように、敗戦国から抵抗意識を挫き、勝利を国家の内外に喧伝するものであるが、大規模な戦勝パレードを行うには、今のモスコーは不適格であろうとされた。

 

 帝国軍にとっても予想の範囲内であったが、連邦軍は首都から都市機能を移転させる際、市街地の主だった施設を破壊し尽くしていたのである。また、首都市民も強制的に退去させられていたこともあって、帝国軍が占領した時には荒れ放題であったことも、これに拍車をかけた。

 結果、モスコーでの戦勝パレードは降伏文書調印から一夜明けて、残留する帝国軍と義勇軍将兵とが、記録映像に残す為の簡易なパレードを行うに止め、連邦という抑圧者からの解放を祝う大々的な式典は、今年に限っては*1帝都ベルンにて開催されることと相成ったのである。

 

 私は急ぎ仕立て屋に駆け出し、近衛槍騎兵(ガルデ・ウラーネン)の礼装──流石にここで空軍の制服を着たいなどと言うつもりはない──に急ぎ真新しい黄金の肩章を縫い付けて貰い、宮中内でのスケジュールや参列時の位置など、細かな打ち合わせと戦後にかかる将官としての業務の双方に忙殺されながら、式典の日を迎えるに至った。

 

 式典開催を告げる観兵式にあって、歴史情緒溢れる帝都の建物の壁には戦時下のモットーやスローガンの飾り文字が貼られていた。

 街路は群集ですし詰めとなり、窓という窓からは人々が顔を覗かせて旗とハンカチを振る。バルコニーには年若い子女やご婦人方が、夫や若い兵士達を熱っぽく見つめてキスを投げ、屋根でさえ見物客が埋め尽くした。

 宮廷前の広間には各州から集った顕職が居並んでいたが、立場ある彼らであってさえ戦勝の高揚を隠しきれず、赤らんだ顔を歓喜に緩ませかけ、しかしそれを「職務なのだから」と直そうと必死だった。

 誰もが今か今かと待つ中、高らかに帝国国歌が軍楽隊によって奏じられ、将兵を送り出す祝砲によって、厳かに開催の合図を告げられた。

 帝国軍全体の軍政事項並びに指揮を司る陸相が屈強で毛並みの良い軍馬の手綱を握り、全ての軍種、兵科から集った一万を超す帝国軍ならび義勇軍将兵に挨拶しつつプロシャ王宮広間まで進み、皇帝(カイザー)と各州諸王の名代たる皇・王太子。

 そして参列する連邦の元構成国たる東方諸国代表と、ルーシー王国女王として正式に即位した、アナスタシア大公女の名代たるドミトリィ・ザイツェフ親衛隊長に戦勝の報を諳んじる。

 

 皇帝(カイザー)の名代たるベルトゥス皇太子はそれを受け、厳粛に頷かれた後に中央大戦にて戦死した全ての将兵と、連邦という抑圧者の手によって奪われた無数の命に哀悼の意を表され、祖国の地を守り抜いた帝国軍将兵と国民に、また、祖国の独立と解放を成した義勇軍将兵への惜しみ無い賛辞を述べられた。

 広間に集えなかった市民には、各所に立つ奏上官より同時刻に朗々とベルトゥス皇太子のお言葉を読み上げることで伝える。

 これの終わりを以て、各軍種が連隊旗をはじめとする軍旗を手に帝都を練り歩いた後、儀仗大隊の旗手が帝国と、ルーシー王国を始めとする東方諸国の国旗を宮廷まで搬入するのであるが、今回、その最先鋒に立つのは近衛でも儀仗兵でもなく、第二〇三航空魔導大隊の生存者達であった。

 

 私とシェスドゥープ親衛中佐の決戦と同時に決行された赤軍親衛魔導隊とPMC部隊の襲撃によるモスコー襲撃において、妻の回想の通り第二〇三航空魔導大隊は迎撃にあたり、中央大戦の最古参たる四名の尊い犠牲を払いながらも、地上軍らと協力して果敢にこれを撃退した。その彼らが、ルーシー戦役の開戦劈頭、記録映像の収録のため接収した、あの帝国国旗を帝室に献上すべく歩を進めていたのである。

 

 この旗は今も帝都の博物館に収蔵され、ベルンに訪れた誰もが目にする事ができるが、決して生地も色も──連邦がプロパガンダ用に誂えたものなので当然だが──質の良いものではない。

 それでも、ターニャから陸相の手に委ねられたこの旗を、ベルトゥス皇太子は歴史ある連隊旗の如く厳かに受け取り、その端に口付けて第二〇三航空魔導大隊の勇士一人一人を祝福した。

 そして、サラマンダー戦闘団指揮官にして基幹たる第二〇三航空魔導大隊大隊長たるターニャは、大隊を代表して皇・王太子ならび各国代表らに謝意を表し、亡くなった四名の隊員を始め、大戦で失われた死者への弔辞をここに示したのである。

 

 私とマルタ・サーカスの四名は、その瞬間に立ち会う事は叶わなかったが、この観兵式がこの時代を生きる国民のみならず、後の時代まで永久に残る偉大なものであると確信し、であるが故に、最高の飛行を披露しようと意気込んだ。

 モスコー上空でマルタ・サーカスの皆と飛んだあの鮮やかな赤の機体に乗って、遥か高みから帝都を微かに一望すれば、既に陸軍の行進が宮廷まで辿り着いていた。

 ススキの穂のように立つ、色鮮やかな連隊旗。足音は耳に届かずとも、規則正しい踵の音が響く様を想像できるほどに整った行進。

 石畳の左右から歓声を送る市民の手には、大なり小なりの帝国国旗だけでなく、独立を果たした元構成国や、新たに制定されたルーシー王国の国旗も握られており、それらが相まった鮮やかな斑模様が飛び込んでくるが、それに目を奪われ続ける訳に行かなかった。

 

 我々は、最後尾を進む空軍の英傑たちを空から祝福すべく、地上の行進に負けぬ最高の飛行を成し遂げ、展示飛行の後続たる爆撃隊は空から色鮮やかな紙吹雪を撒いて、空軍のみならず、三軍種全ての将兵と義勇軍を祝福した。

 空軍将兵は我々の飛行に対し、観兵式にあっても全員が制帽を取り、ステップを崩すことなく帽振れ帽で応えてくれた。

 共に凱旋できなかった心残りなど、これで皆失せてしまった。私たちは場所こそ違えど、心は一つである事を再認したのだから。

 

 

     ◇

 

 

 観兵式を終えた二日目には、フォン・エップ上級大将を始めとする中央大戦での勲功著しい上級大将への元帥位叙任式と、各位叙勲式が宮中にて執り行われる事になっており、私も参列と叙勲の栄に与ることとなった。

 過去に類を見ない大戦を乗り切り、長きに渡った戦争にようやく終止符が打たれたことは、皇帝(カイザー)にとってもこの上ない喜びであられたのであろう。

 本来なら帝国軍統帥が授与する帝国軍の最高戦功章たるダイヤ付きの白金十字を、元帥位叙任式の後、今次大戦の後に授与される予定であった将兵に、皇帝(カイザー)が御自らの手で下賜することを王宮が下達したのである。

 戦勝による記念もあってか、ダイヤ付きの白金十字には僅かに手の届かない将兵も繰り上げての受章であるが、それでも新規獲得者は、三軍種合わせて一〇名。私と亡くなったダールゲを含めても一二名しか受章者が存在しない事を思えば、価値が下がることは決してないだろう。

 

 受章予定の面々は帝国の新聞社が挙って顔写真と共に掲載し、戦勝の号外と共に帝国中に撒かれたが、その中にはマルタ・サーカスの四名ばかりでなく、サラマンダー戦闘団指揮官にして、魔導師内においては最多撃墜王として記録を打ち立てた我が婚約者、ターニャの名も記載されていた。

 当然、式典では再会出来る筈で、年甲斐もなく飛んで喜びたいものであったが、此度の叙勲式に関しては私も他人事ではない。

 小モルトーケ参謀総長が偉大なる叔父上に続いて、二人目となるフュア・メリット大十字星章を拝受するに合わせて、既にしてフュア・メリットを拝受した私には、上級将校にしか許されぬフュア・メリットの付加章たる、柏葉を与えられる運びとなっていたからだ。

 

 

     ◇

 

 

 待ち侘びた元帥位叙任式。私をはじめとする全ての空軍将兵が焦がれた、フォン・エップ上級大将が元帥杖を手にするその瞬間。我々にとって、初の仰ぎ見るべき元帥がお生まれになるその歴史的瞬間を前に、皇帝(カイザー)は厳かに口を開かれた。

 

「空の伝説を帝国にもたらした、偉大なる将をここに帥とする。フォン・エップ。誠、大儀であった」

「勝利を陛下に献上できましたことは、この上なき喜びであります」

 

 恰幅の良い肩を震わせ、涙を湛えながら元帥杖を拝受したフォン・エップ元帥大将は、それを持ち上げて空軍の偉功を示した。割れんばかりの拍手が万の言葉より雄弁な喝采を響かせ、誰もがフォン・エップ元帥大将を祝福したのである。

 そして、他の上級大将一人一人に労いと祝辞をかけられた後、皇帝(カイザー)は次なる英雄達の功を称え、報いるべく招いた。

 ダイヤ付きの白金十字を既に手にしている私や、ルーシー戦役の中でそれを手にしたオステンデ海戦の英雄たるレデラー元帥ならび、此度の式典で元帥大将となられたペーニッツ元帥大将を始め、新たにこの最高戦功章を得る八名の英雄は、ルーシー王国の名代たるザイツェフ親衛隊長や東方諸国の大使から数々の外国勲章を与えられ、全身を眩しいばかりに輝かせていたが、むしろここからが本番だった。

 本来、騎士勲章を拝受する者にしか許されぬ騎士の間を開放し、かのアルビオン伝説たる円卓になぞらえて、私とダールゲを含めた一二名を騎士としたのである。

 

「卿らの勇気、献身、忠義……何れもが、帝国在るまで永遠たる逸話となるであろう。汝ら一同を勲爵士(リッター)に叙すると共に、帝国軍最高の戦功章と、青鷲の勲章を授ける。卿ら皆、騎士としての振る舞いを終生忘れるでないぞ」

 

 跪く全員の頬を厳かに打ち、その首に黄金柏剣ダイヤモンド付白金十字を。左胸ないし、肋や首に各々の階級に応じた功の青鷲勲章が佩され、永遠の安息についたダールゲにも、死後追贈として青鷲勲章と勲爵士(リッター)の称号が贈られた。

 中将たる私は星章を賜り、その勲章の重みと期待に恥じぬ生き様を歩まねばならぬと気を引き締めさせたが、これで終わりはしなかった。

 

「リッター・フォン・デグレチャフ参謀中佐。我が前へ」

「……はっ!」

 

 予定になかった故、僅かに戸惑ったのが見て取れる。戦勝後、多くが一階級の進級を受けた中、一人中佐の肩章のままであるターニャは、やや固くも軍人として泰然とした歩みで前に進み出た。

 

「既にして貴官は、勲爵士の称号を得た身である。その功に報いるに、余は貴官にこれを授けよう。その二つ名に相応しき、輝ける『銀翼』を」

 

 燦然と輝く、ダイヤの散りばめられた柏付き銀翼突撃章が肋に留まる。今日、ターニャ・リッター・フォン・デグレチャフ以外、誰も手にする事を許されていない、守護天使の如くに多くの戦友たちを救った証。

 生涯、否、末代まで語り継がれる確かな誇りの形だった。

 

 

     ◇

 

 

 私と小モルトーケ参謀総長の番に移るより早く、宮中に招かれた人物に移ろう。

 帝国化学者、プリンツ・ファーバー博士は前にも述べた通り、騎士勲章と帝国芸術科学国家賞を下賜され、その名誉はここに回復された。

 そして、フォン・シューゲル主任技師もまたファーバー博士と同じく、帝国への絶大なる貢献故に騎士勲章と帝国芸術科学国家賞を下賜されたが、戦時下における最大の功労者たる筈の、エルマーの姿はここにない。

 我が最愛の弟は国家賞の授与を固辞していたのだ。

 

「私は、破壊のみをもたらしました。たとえそれが、帝国の繁栄と帝室の安寧を導き、愛する家族を守るものであったとしてもです。

 私はいつか、必ずやこの罪を贖うことを確約致します。壊し、殺めた以上のものを帝国にもたらし、世界に貢献することを誓います。栄えある賞は、全てを成し遂げた後に頂きたくあります」

 

 国家賞をこのように固辞したエルマーに対して、フォン・シューゲル主任技師もまた同じく固辞するつもりであった。

 しかし、エルマーはフォン・シューゲル主任技師の手掛けた魔導医療は戦時のみならず、傷痍軍人たちの未来に光明をもたらした偉大な発明であり、戦争の道具ばかりに注力した己とは違うと、国家賞を受け取るよう説諭したのだ。

 

 フォン・シューゲル主任技師は賞を受け取った後、エルマーの言葉と贖いを一日でも早く完遂すべく、二人三脚で動き続けた。

 エルマーが技術中将の職を辞した後、多くの大規模な国家プロジェクトをフォン・シューゲル主任技師と立ち上げたのである。破壊の核をエネルギーとして活用する原子力発電。手足さえも復元するに至った魔導医療。世界初の人工衛星と有人ロケットの開発。

 人類を月にさえ送ったその偉業は、今日でも世界中の人々の知るところであるだろう。

 

 軍としては、暗殺の問題も含めて決して手放せる人材ではなかったが、そこはエルマーも理解していたのだろう。

 先に語った国家プロジェクトも、専門の研究機関を設立し、軍の意向に沿う分野に関しても限定的にではあるが、続けることを契約しての退役であったのだ。

 大規模な予算と人員を投じた核を除き、兵器開発の分野においては、フォン・シューゲル主任技師を除けば人の手を借りようとしなかったエルマーは、これを期に軍用機を始めとする兵器開発から離れた企業が戻ることを期待し、企業に限定的な『助言』を与えるのと同時に、帝国の科学者たちにも置き土産を忘れなかった。

 

「これは私が今を生きている人々と、後世に残す『宿題』です。これらの紙面や情報には、即時有効活用可能なものから、現在の技術では不可能な、しかし科学の発展と共に可能なものも存在します。

 中には、我々が先んじて開発しなければ、他国に先を越されてしまうものもあるでしょう。破壊に用いるのも、或いは違うやり方を見つけるのも貴方方次第ですが、決して損はしないでしょうね」

 

『エルマーの宿題』。弟の死後にそう名付けられたこの情報を纏める作業は生前から進められていたが、未だに全てを解き明かすどころか、纏め上げることさえ現在に至るまで完遂できていない。

 エルマーの研究論文たる『宿題』は、エルマー自身がこれまで手がけたように膨大だが簡潔な、所謂『文字だけの説明書』ではなく、『達成できるかは分からない』書かれている内容の先という、完成形が見通せない代物だった。

 その中で拾い上げられた物もあれば、後一歩のところで特許(パテント)を他国に奪われたものもある。

 

 エルマー・フォン・キッテルは今日も、その逸話も含めて世界中から注目される人物であり、中には弟を専門とした研究家もいるという。

 核という、人に破壊と豊穣の世界を与えるエネルギーの革新者。プロメテウスの火を授けた科学の神。或いは、単なる破壊者だったという者もいる。

 だが、ここまで本著を読んで頂いた読者諸氏にとっては、弟は卓越した科学者であっても、決して未知の、人ならざるモノでも、崇めるような存在でもないことは、承知して頂けると思う。

 エルマーは何処までも人間だった。家族を愛し、それ故に行動し、持てる全ての能力を注ぎ込んだだけの、人としては欠点のある、心優しい人間だったのだ。

 

 

     ◇

 

 

 ファーバー博士と、フォン・シューゲル主任技師は騎士の間を去った。

 これをもって国家賞の授与式は終わったが、次は私と小モルトーケ参謀総長の番である。国家賞授与式の合間にお色直しを挟み、さしたる時間もかけぬ内、私は再び騎士の間に踏み入った。

 叙勲式はその内容によって参列する人物が変わるため、これ以前に勲章を授与された者が、この場にいるとは限らない。

 

 エルマーに関しては私の弟であるので、父上や母上同様参列することもできたが、国家賞を固辞した手前、この場に並ぶのは不心得だろうと丁重に断っていた。

 初めてフュア・メリットを拝受した時と同様に、居並ぶ官吏や将軍の煌びやかさに目眩がしかけたが、今となれば私もまた将官である以上、あの時のような無様は晒せない。

 まして、参列者の中にはマルタ・サーカス一同やターニャまでいるとなれば尚更だ。

 だが、ここでも私は不測の事態に戸惑い、ターニャのそれ以上に狼狽した。私を待つ皇帝(カイザー)の傍らには、ヴィクトル・ルイス イルドア王太子妃が、若りし頃に新聞で見た、名誉連隊長としての装いで立たれていたからだ。

 

「近くに」

 

 凛とした、鈴の鳴るような声に導かれる。私は一層に居住いを正し、前に出ると同時に踵を鳴らし、礼を取った後に頭を垂れた。

 

「どのような名声や顕職を得ても、あの頃と全く変わりませんのね。キッテル将軍」

「王太子妃殿下は、よりお美しくなられました」

 

 お上手、とかつて私が、不敬にもお慕いしてしまったルイス王太子妃は、あの頃に見た笑顔のような微笑みを浮かべられ、私の胸にイルドア王国の軍事勲章を授けて下さった。

 

「私は、愛する夫と幸せになりました。貴方も、あの可愛らしい淑女を幸せになさい」

 

 言いつつ、僅かにターニャに視線を投げられた後、「貴方もまた幸せになるように」と告げられて、ルイス王太子妃は私から離れた。これ以上はないだろうお言葉を殿下から賜ることの出来た私は、感涙を抑えながらも僅かにターニャを見やる。

 しんと静まる広間であったし、顔を見れば間違いなく聞こえていたと分かった。貴女を必ず幸せにする。私は視線でそう僅かに伝えてから、このサプライズに感謝し、そして皇帝(カイザー)のお言葉を待った。

 

「跪くがよい」

 

 言われるがまま、言の葉に籠もる皇帝(カイザー)の玉音に、私の頭が理解するより早く体と魂がそれに従った。

 肩に乗るキッテル家の宝剣。以前と変わらぬ流れだが、宝剣に付された土地の数は、何とも長く膨大なものだった。一生に一つ、多くとも三つもあれば、それは後の代にとって輝かしい逸話として語り継がれるというのに、私の戦いによって付された土地は、刀身を埋め尽くさんばかりだった。

 

「キッテル家には、新たな剣を下賜せねばなるまいな」

 

 朗らかに皇帝(カイザー)は笑われた後、肩に乗せた剣を鞘に収めると、雷鳴の如くに声を張り上げた。

 

「エドヴァルド・フォン・キッテル歩兵大将!」

「はっ! 御前に!」

 

 万感の思いで、参列していた父上が歩を進める。鞘に収めた宝剣を右手に持ち、ずい、と前に出された皇帝(カイザー)は、それを取るよう父上に示された。

 

「良き子を持ち、育んだ。兵士の父、エドヴァルド。勇者を余の代に与えたばかりでない。余の赤子を世界に恥じぬ精兵に鍛え抜いたこと、感謝するぞ」

「過分なるお言葉を賜りましたこと、終生の誇りと致します。陛下」

 

 滂沱の涙に濡れる父上の、その肩に手を置けたならと。そうしたいと思い悩んだが、父上は私がそれをするより早く身を引き、私に場を譲られてしまった。

 

「次代のフォン・キッテルよ。新たなる剣を汝に下賜する。余が隠れ、時代が変わるとも、その忠勤が変わらず続くこと、勝手ながら期待しても良いか?」

「永久に変わらず。偉大なる祖国ある限り、キッテル家は末代まで帝室と帝国に忠を尽くします」

 

 

     ◇

 

 

 フュア・メリットの柏葉を賜った私は、この後に現れる小モルトーケ参謀総長に道を開けた。帝国の頭脳にして至高の英雄。比類なき偉功に満ち満ちた御仁が、今まさに門の前から現れた事を衛兵が告げられ、視線を向けた瞬間、誰もがその人物に対して、別人ではないのかと我が目を疑った。

 老いなど微塵も感じさせなかった巨躯は、古くなった果実のように萎み、威風堂々たる足取りは余りに慎ましやかで、短いながらに整っていた美髯は白んでいた。

 勇武の相たるその瞳には未だ輝きが宿っているが、肉の厚かった頬はこけて目は落ち窪み、肌さえ灰色に変わってしまわれている。

 実年齢で言えば、これが自然な姿だろうとは誰もが承知するところではあった。だが、それでもこの急激な老け込みようには、私を含めた全員が瞠目せざるを得なかった。

 誰もがお側に駆け寄り、手を差し伸べたくなる。かつて中央参謀本部を肩で風切った、あの英傑を誰もが知るところであった故に、その悲痛さは絶大であった。

 

「ユリウス……、誰ぞ、手を貸してやれ!」

 

 厳粛な場にあって、最も早く気遣い、取り乱されたのは皇帝(カイザー)その人であったが、小モルトーケ参謀総長は駆け寄られた者たちに手を振って制す。

 貴族として厳かで、同時に柔らかな調子でありながら、その手と視線には有無を言わせぬ雰囲気を滲ませている。

 その動作に立ち止まらざるを得なかった者の中には、泣きそうな顔で立ちすくむ、私の婚約者の姿もあった。

 

“終戦から、体調を崩されていたとは聞き及んでいたが”

 

 小モルトーケ参謀総長本人の言として「肩の荷が降りたことで気が緩みすぎたのだろう」と伝え聞いていた。面会は来るまでもないと謝絶され、医師も何も言わなかったが、叙勲式には参加出来ると伺っていた。

 だが、それらは全て虚勢だったのだ。戦時にあっては昼夜を問わず赤小屋に留まり、東部のありとあらゆる戦局に目を光らせ、日夜全軍が瑕疵なく行動できるよう策を練り続けてきたというのは参謀連の誰もが知るところであり、同時に全ての参謀連が、窶れ老いる様を士気に関わるとして口止めされていたと自白したのは、全てが白日の下に晒されてからだった。

 

 小モルトーケ参謀総長は杖が必要だろうと思える足取りでありながら、皇帝(カイザー)の前にあっては無様を晒すまいと背筋を伸ばし、身が萎んで大きくなってしまった軍服を揺らしながら、自らの足で皇帝(カイザー)の前まで進み出た。

 老いれども、痛めども、この身は未だ皇帝(カイザー)の騎士にして宿将なのだと。我が身は未だ倒れぬのだという意を示すことで、皇帝(カイザー)にご安堵頂くために。

 

「済まなかった。余は、お前に甘え尽くしていた」

「良いのです。良いのです、陛下。私めは、本懐を果たしたのです」

「ユリウス。これを受け取ってくれ。お前の功には、叔父君と同じ勲章であっても、余にはなお足りぬと思う。だが、これ以上のものを今はやれぬのだ」

「陛下。お気持ちは嬉しくありますが、それを受け取ることは、私にはできませぬ」

 

 何を言うか。そう怒りでなく、涙ながらに。己を、帝国を支えてくれた忠臣に皇帝(カイザー)は漏らすが、小モルトーケ参謀総長の返答は変わらなかった。

 

「私は、陛下と帝国の名を辱めました。勝利を希求するがあまり、陛下が禁じられた兵器を用い、ばかりかそれ以上の破壊を嬉々として戦争に用いたのです。私は、叔父上のようにはなれませんでした。騎士道の精神に、恥じる行いをしたのです」

「それでも、余は知っている。ユリウス、お前の行動は帝国の為だった。そこに、一切の私欲は無かった。お前は、常日頃から余を困らせた。余がシュリー伯の後継者になれと言った時も無理だとごねた。自分には出来ないと泣きそうな顔をした。

 だが、ユリウスはいつも最後には余の期待に応えてくれた。このような姿になってまで、お前は」

「それが、私の勤めなれば。ああ、ですが、一つだけお許しを。どうか、暇を。先の短い私の代わりは、既に決めております故」

「許す! 如何様な願いでも許そうとも! 長きの忠勤、大儀であった! 療養の後には、余とかつてのように共乗りに出ようぞ!」

「はい、必ず」

 

 崩折れ、腕に抱かれた小モルトーケ参謀総長は、嗄れ切った声でそう誓われる。私はこの時、皇帝(カイザー)と参謀総長のやりとりを見て、ふと古い絵画を連想した。

『伯爵元帥の死』と表されたその絵画は、古プロシャ時代、戦死された伯爵元帥を担架の傍らにて大王が看取られた、七年戦争の一幕を描いたものであり、古き良き帝国軍人が、皆口を揃えてはこれぞ軍人としての本懐だと述べるものだった。

 だが、実際に涙に濡れる皇帝(カイザー)を、そして精根尽き果てた参謀総長を前にした私達にとって、後世に美談とされる一幕の当事者となったことへの喜びなど、誰も微塵にも感じなかっただろう。

 

 現代を生きる心無い者は、これを演出だろうと言う者もいる。しかし、この情景を目の当たりにしたならば、決してそのような言葉は出せない筈だ。

 忠誠故に、身を痛めてもこの場にやってきた小モルトーケ参謀総長を、涙を流される皇帝(カイザー)を。お二人の一語一語が、心を絞ってのものだったと、信じぬ者はどこにもなかったのだから。

 

*1
 中央大戦戦勝式典は、ルーシー王国を中心とした東部各国の復興以降、モスコーにて五年に一度開催されることが通例となった。




『伯爵元帥の死』なる絵画の元ネタは『Death of Field Marshal Schwerin』。
 七年戦争のプラハで倒れたシュヴェリーン元帥の傍らに、フリードリヒ大王が寄り添ってる絵です。ヒンデンブルク大統領もこの絵を飾って「こういう死に方が望ましかった」と仰られたそうです(マンシュタイン元帥自伝より)

以下、名前・地名等の元ネタ
【史実→本作】
【勲章】
 赤鷲勲章→青鷲勲章


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