佐藤東沙さま、水上 風月さま、ご報告ありがとうございます!
元帥位叙任式と各位叙勲式に一区切りがついたが、ここで少しばかり時を戻し、私ことターニャ・リッター・フォン・デグレチャフについて語ることをお許し願いたい。
降伏文書調印に伴う終戦の後、帰国を許された私は、麾下の戦闘団が式典までの間特別休暇を言い渡された中にあって、羽を伸ばすことを許されなかったのである。
無論のこと、佐官の、それも戦闘団指揮官ともなれば、終戦を迎えたと言ってもすべきことは多い。そこに授与式典の諸々もあれば、休暇などあったところで名目上の仕事漬けになるだろうことも理解はしていたが……。
“私とて、癒されたい時もあるのだがな”
来る日も来る日も、ライン以上の地獄の真っ只中を突き進んできたし、心に傷も負った。少しぐらいの休みを貰ってもバチは当たるまい。
“まぁ、それもあと少しの辛抱だが”
自分が退役することは、正式に婚約してから軍には伝えていた。当然反発はあったし、各種手続きから後任の任命、引き継ぎ等やることは多い。どれだけ短くとも二年は首輪を付けられるだろうとは予想しているが。
「考え直す気は、ないのかね?」
今ならば連隊長の席も空いている。いっそ中央参謀本部で正式に勤務するという手もある等と、フォン・ゼートゥーア大将は声をかけて下さったし、フォン・ルーデルドルフ大将ばかりでなく、前線で苦楽を共にしたフォン・レルゲン准将までもが、私を必要だと仰って下さったが、生憎と答えは変わらない。
「閣下。自分が軍に志願した、士官であることは心得ております。私にかけて下さった期待と、これまで受けた教育という恩義も、無論忘れてはおりません。ですが、私はそれらに報いるだけの貢献をしてきたとも、同時に自負しております」
要はいい加減解放してくれと言いたいのである。流石に核まで持った帝国に堂々と喧嘩を売る馬鹿はいないだろうが、それでも魔導師というものは、火消しだの極秘任務に駆り出すには格好のポジションなのだ。
軍に残ると言ったが最後。後方勤務でのデスクワークなどすぐに帳消しとなって地獄に放り込まれるに決まっているし、そうでなくとも、私は既に栄達に興味を失ってしまったから、答えなど変えようが無かった。
「何より、私の婚約者はいい年です。いい加減、落ち着いて貰わねばなりますまい」
「それは、そうなのだろうがな」
そこで言い淀む辺り、所属の違う中央参謀本部といえども、ニコの性根は実によく心得ておられる。我が夫は何故こうまで信用がないのかと再三嘆いてきたが、全て身から出た錆だ。
「しかしだな。こういった物言いは宜しからぬと承知しているが、キッテル将軍は結婚を機に変わるような男なのかね?」
「変えさせます」
ぴしゃりと言って、話を区切る。
私とてニコにもう今後は将官としての仕事に専念すると目の前で言われても、一年も持たない癖にと内心ため息を漏らしたに違いない。だが、私はあの飛行機バカの轡を握る術を既に心得ている。
“ニコが泣き落しに弱いのは既にして経験済みだからな。あの手の男を拘束したいのなら、子供を作って『貴方だけの人生じゃないのよ』とでも言えば、ころりと態度を変えてくれるだろう。恒久的に”
斯様に全く婚約者を信用せず、内心地面に縛り付ける計画を練っていたのだが、その予想は良い意味で裏切られた。
戦後、ニコは将官としての勤めを忠実に、そしてこれ以上ない手腕と実績でもって果たし、今もなお現役将官として職責を果たしている。
エルマー兄様程でないにせよ、その机仕事の有能ぶりには彼を知らぬ誰もが驚いたというのは有名な話で、エップ元帥大将も後年「フォン・キッテルは平時型の将でこそ最良の人材だ」と漏らしておられたが、その言に誤りのないことは私が保証する。
優秀でなければ、この齢で将官になどなれる筈もないのだから当然だが、それでも空を飛びたいなどと駄々を捏ねることもなく今日までやってきているというのは、妻となった私としても信じ難かったものである。
そして、これまで何度となく「飛ぶ気はないのですか?」と私や同僚が問う度、ニコはこう笑って返している。
「私はもう、見上げるに留めるさ。愛する妻子を置いてはしゃげる程、無責任ではいられんよ」
個人的には嬉しいが、人前で口にするのは恥ずかしいので止めて欲しかった。
◇
その後も軍への残留を望んだ者達の度重なるアプローチを躱し、私は何とか言質を取って、退役の権利を勝ち取った。
おかしい。婚約時点で退役は決定事項であった筈なのに、何故戦後に苦労しているのだ? 終戦したのだから軍縮は必然であり、ハンモックナンバーが一つ空くことを考えれば、むしろ大手を振って私の退役を認めても良い筈だ。
などと。らしくもない現実逃避は止そう。唯でさえ希少な魔導師の、それも柏付き銀翼持ちの軍大卒など、私が逆の立場なら意地でも手放すものか。
軍の声掛けは正当な能力評価を得ているという点で嬉しくもあったが、私はキッテル家の一員として夫を支え、将来キッテル夫人と共に領地を切り盛りする為にも、貴族としての最低限の知識と礼法を一日でも早く身につけなくてはならない。
軍務の片手間や付け焼刃のそれでは、未来の夫や家に恥をかかせてしまう。勿論、ニコやキッテル家の家族は、武門故に私が暫くは軍に残るとしても嫌な顔はすまい。むしろ、応援さえしてくれるだろう。
ただ、それは甘えというものであるし、何より一日でも早く世継ぎは必要だろう。長男の年齢が年齢なのだから。
“勿論、軍には悪いという思いもあったがな”
左肋に輝く、ダイヤモンド柏付き銀翼突撃章に僅かに視線をやる。自分と同じく軍大学において、一二騎士の席次を持つ勲爵士らが大鉄十字や鉄十字星章を賜った中、一人このような勲章を与えられてしまった時の居心地の悪さといったらない。
軍はこれを知っていて、私を止めようとしたのだろう。その上で広告塔を始め、どのような役割であっても、私が軍に残りさえすればそれだけでも価値があると見込んだのは確実だ。
予備役でも良いから残ってくれ。気が変わったのなら何時でも来いと請われた際のことを思い出し、それぐらいならと今更になって──勲章を貰ったこともあって──気持ちがぐらつきかけたが、私は自分が産んだ子は自分で育てたいという思いもある。
貴族家庭に限らず、現役の婦人武官ならば子息を乳母に任せることも可能であるし──養育費の一環として国から優遇措置を受けられる──家庭教師も幼い頃から付けるものだろう。
しかし、キッテル家は代々母が手ずから我が子を育てるものだと手紙で伝えられている以上、感情と義務は一致している。
予備役勤務といえど、将来産む我が子から離れてしまう時間を考えれば、やはり退役の意思は変えるべきでないだろう。愛情をかけたからといって、必ず出来息子や娘となる訳でないが、愛情もなく育った子が良い大人になる確率は低いものだ。
私のように、捻くれて拗らせた可愛げのない子供になっては目も当てられない。
“ニコは、私の選択に何と言うだろうな?”
ちら、と。私は登城したことで、ようやく再会できた婚約者を見る。
登城したニコの面持ちは厳粛な武人であり、同時に私に声をかけている時ともまた違う、柔らかなイントネーションの中に軍人特有の固さを含ませていた。
“使い分けているな”
それは、私と再会できた時点で実感させられたことだ。瞳は喜色に輝きながらも、その表情や仕草は自制を貫いたものであり、私としてもここは笑うのでなく、合わせねばならないということを意識させられた。
面と向かい、声をかけることも許されないまま進む行事。階級差も相まって、ニコと私は婚約していることが軍事公報や新聞で公にまでなっていながら、それらしい扱いなど一時も味わえず、最後の授与式まで来てしまった。
婚約者の歩む先には、その実年齢より遥かにお若く、お美しいルイス王太子妃。そのご尊顔を拝したニコが、戸惑い故に視線を揺らがせたのを私は見逃さなかった。
「近くに」
鈴の響くような、美しい音色。貴顕の持つ美とはこれ程までのものなのかと、実際この目で見て思い知り、知らず私は礼装のストレートズボンの端をぎゅう、と握り締めていた。
“恋に落ちるのも、無理からぬことだな”
私が一番だと言ってくれた。愛していると伝えてくれた。だが、女として己とルイス王太子妃を比ぶれば、路傍の石と宝石だと自覚せざるを得ず、婚約者の晴れの席だというのに、私はこの場から逃げ出したくなった。嗚呼、けれど。
「貴方も、あの可愛らしい淑女を幸せになさい」
ルイス王太子妃の視線が、僅かに私に向けられた。きっと、先程までの私の感情を見抜かれておいでだったのだろう。
紅潮する自分の顔を自覚した直後、ニコが私を真摯な瞳で一瞥する。
“ああ、分かったとも。だから今は私をこれ以上見るな”
言いたいことは伝わった。もう十分だと私は自分から視線を外して、ニコの叙勲を見届けた。
◇
そうして、最後に現れたのは共に共産主義者を打ち砕くと、滅ぼすのだと誓いを立てた、小モルトーケ参謀総長。
私はあの方の覚悟を、全てを擲たんとする意志の炎を見誤っていた訳ではない。その背を押してしまった以上、不退転の決意を抱かせてしまった以上、このようなお姿になられてしまう事も、十二分に認識出来ていた筈だ。
小モルトーケ参謀総長は、貴族だ。祖国と帝室の為ならば、我が身の破滅など厭いはしないと。それを承知で断崖の先まで駆けさせたのは、他ならぬ私ではないか。
だというのに、いざ全てを終えた今になって、私は後悔に胸が締め付けられる。自分以外の人間の痛みを、こうまで感じるようになってしまったこと。それは紛れもない弱さで、同時に人間らしい感情で……そうしたものを知ってしまったのは、与えてくれたのは、婚約者だけでなく、小モルトーケ参謀総長の存在もあったからだ。
たとえそのきっかけが、私を利用するためのものであったとしても。その一方で、小モルトーケ参謀総長は私を人間にしてくれた。一人の女だったのだと自覚させてくれた。今、こうしてニコと将来添い遂げる間柄になれたのは、間違いなく参謀総長あってのものだ。
“だが、私は一人で勝手に幸福になった”
私とて、戦い抜いた。幾度となく敵陣に切り込み、或いは死守し、
“けれどそれは、幸福な明日が前提だった”
私は卑怯だ。他人の魂を、それも、大恩人の命を火にくべておきながら、一人陽の当たる明日を、最大の功労者がもたらした未来を歩もうとしている。
その罪の重さに押し殺されそうになって、顔を伏せかけた瞬間、広間に声が響き渡った。
「誰ぞ、手を貸してやれ!」
“閣下!”
だが、嗚呼、だが。小モルトーケ参謀総長は私を制す。そして、小さく唇を動かして、私に伝える。
気に病むな。
その一言と視線が、私の体を固まらせる。まだ己には、やるべきことがあるのだと。そう瞳に活力の火を灯し続ける小モルトーケ参謀総長を、私は見守ることしか許されなかった。
忠誠、誇り、伝統……それらを骨子として歩み、辿り着かれた小モルトーケ参謀総長と、その人生を労われる
私には、物語の中の一幕に思えるような、隔絶した世界の出来事。荘厳なオペラのような光景は、けれど唯々痛い時間だった。
参列する軍人ばかりでない。キッテル夫人を始め、貴婦人らにとっても、この光景は余りに衝撃であり、同時に尊く感じられる一時なのだろう。
だが、私には辛い。貴顕のように、胸打つ感動の場面を欠片にでも感じられたならば、この苦しみの麻酔となったのかもしれないが、私にはそれが異なる世界に見えてしまって、どうしても直視しきれなかった。
満足気な小モルトーケ参謀総長も、参謀総長の快復を願う
婚約者の目には、この光景がどう映っているだろう? 誇りか、名誉か、或いは帝室の、祖国の歴史に刻まれる場面の一員となれたことへの感動だろうか?
いいや、どれも違う。痛く、苦しいのだ。
貴族として生まれ、騎士道を是とする古き良き軍人たれと育まれた武門の嫡男であったとしても、この光景は耐え難いのだと私は見て知ってしまった。
どれだけの栄光で誤魔化そうと、未来の名画となる瞬間であろうとも、今そこに生きる者にとって、これは紛れもない『痛み』なのだ。
そうして、最も近しい人物を観察した後となれば、参列した者達への、先程までの『偏見』も取り払われる。
彼らもまた、痛みを共有しているのだ。輝かしいまでの栄光を、祖国にもたらした英雄。その功績に値する恩恵は、しかし全てを手にすることは決してできない。
黄金の時代、黄金の
そして……私と世界にとっての大恩人は、死の間際まで戦い抜かれた。
立てた誓い。己が口にした全てを、決して反故にはしなかったのだ。
◇
宮中での式典の後、私には葛藤が生まれた。
本当にこれで良いのか? 幸せになることは許されるのか?
モスコーで手にかけた少女の顔が、そして小モルトーケ参謀総長の悲愴な姿が私自身に、そう問いかけずにいられなくなる。
女としての幸福を得るため。最愛の人と家族になるため、この平和を迎えるために進んできたというのに、一度振り返れば、そこには自分が為してしまった罪ばかりが見えてしまう。
前さえ向けば、そこには確かに約束された栄光がある。胸に散りばめられた無数の輝き。愛する者と、温かな家族との幸福な日々。それはきっと、余人ならば誰もが羨む人生なのだろう。私の人生の前半期は紛れもなく不幸だったが、それを差し引いたところで、ここから続く道はそれ以上のもので舗装されている。
だからこそ。大きすぎる幸福だからこそ、私は躊躇してしまう。認識票と一緒に通すのでなく、左手に填めた婚約指輪に、どうしても違和感を覚えてしまうように。
「探したぞ、デグレチャフ中佐」
「レルゲン閣下」
金の階級章と赤い将官用の襟章に、黄金剣付白金十字を首から下げたフォン・レルゲン少将は、中央参謀本部宿舎でなく、中央参謀本部にて一人書類を片付ける私にそう声かけてきた。
「ご進級、おめでとうございます」
「貴官あっての生還だ。前線では、幾度となく救われた」
感謝すると笑みを浮かべられるフォン・レルゲン少将は、ルーシー戦役で随分と変わられた。以前は何処となく、私の功利主義に対しての反感や戦争機械めいた態度に警戒心を抱かれていたようだったが、前線で同じく泥に塗れた為か、相当に態度を軟化されていた。
「お互い様であります。閣下の戦闘団なくしては、当戦闘団も相応の被害を免れなかったことでしょう」
「そうだな。だが、互いを称え合うのもここまでとしよう。参謀総長がお呼びだ。執務室まで参り給え」
◇
「デグレチャフ参謀中佐、レルゲン少将、入ります」
ノックと共に執務室に入れば、そこには叙勲式同様、軍装に身を包まれた小モルトーケ参謀総長の姿がある。病院に戻る前、最後に一度だけ、ここに寄らせて欲しいと運転手に願い出たそうだ。
「レルゲン将軍。従卒の真似をさせた事を詫びさせてくれ。余り、特別扱いを知られるのは宜しくなくてな」
「滅相もありません。では、私はこれにて」
踵を打ち鳴らして退室するフォン・レルゲン少将に対して、私は前に進み出る。一体何用なのであろうか? もしや、軍に残るよう説得するために呼ばれたのだろうか?
だとすれば、私に断る選択肢などない。小モルトーケ参謀総長が、私に祖国に尽くせと命じられたならば、唯々諾々と従うだろう。私には、それを退けるだけの胆力など最早残されてないのだから。
「しおらしい顔だ。惚れた男のために、私に直訴しに来た女傑とは思えんな」
呵々と、叙勲式での弱々しい姿などおくびにも出さず、不敵に笑みをこぼすその姿が、一層私を俯かせる。張りも、活力も失われてしまわれた声。細りきった体躯。間近で見れば見るほどに、その姿が御労しく痛ましいから。
「……言った筈だぞ。気に病むなと」
「ですが!」
「私がこうなったは、貴官の責とでもいうのかね? 毒を盛られた覚えはないぞ? 不味い食事は三食続いたがね」
やはり赤小屋の食堂は最悪だと、続けて冗談を仰られる。
「ふむ。これもイマイチだったか。どうにも冗談は苦手だ。真面目な話をしようか。繰り言だが、私がこうなったのは私の勤め故だ。軍人としての本懐を奪われるのは、本意ではないのだよ」
敵を滅ぼすと誓った。
「閣下!」
「ああ、良い。そう老いぼれのように扱ってくれるな。いや、曾孫程の歳の者に労られるのは、幸福なことなのだろうがな」
荒くなる吐息。喋るのも辛いだろうに、小モルトーケ参謀総長は笑顔を崩さず、お側に寄った私を見つめる。
「何度でも言うぞ。気に病むな。貴官は……いや、貴様は幸福であらねばならん」
英雄が勝利の果てに苦しみ、無念の内に倒れるのは神話の世界だけで良い。現実を生きる人間は、その労苦に報いられるべきだと仰られる。
「軍に残りたくないのなら、残らねば良い。人並みの幸福が欲しいなら、手にすれば良い。その権利を奪える者など存在せぬし、奪おうとする者は切って捨てれば良い。何よりだ」
そこで、一層深い笑みを私に作られて。
「まだ、式の招待状を貰っておらんでな」
死ぬにはまだ早いと、小モルトーケ参謀総長は言う。私は前の時より強く、けれど優しく参謀総長を抱きしめて誓い、願った。
「必ず、お送り致します。ですから、どうかその日まで」
「ああ。必ず参るとも。その日まで、壮健で居てやるとも」
約束すると。そう小モルトーケ参謀総長は、私の頭を本当の曾孫にするように撫でられた。
◇
「少々疲れた。やはり、歳には勝てんな。すまんが、電話をかけさせてくれ」
私がと受話器を取ろうとしたが、小モルトーケ参謀総長は先んじて受話器を取り、医師らが車椅子を運んできた。
「閣下、何卒ご自愛下さい」
「言われるまでもない。まだ、陛下と遠乗りもしておらんのだぞ?」
笑いながら車椅子を押され、残された私は、扉の外で待機されていたフォン・レルゲン少将に声をかけられる。
「盗み聞くつもりはなかったが」
「構いません。フォン・レルゲン少将には、お手間を取らせました」
入室の時以上に顔を俯かせた私は、きっと泣きそうな顔になっていたと思う。そのような私を気遣ってか、フォン・レルゲン少将は頬をかきながら私に告げた。
「私も、近々結婚する予定だ」
「それは……おめでとうございます」
初耳である。確かにニコ同様良い年であったが、浮ついた話も女性の影もないだけに、正直意外であった。
「何だその顔は? と、言いたいところだが言わんとするところは分かる。話はあったのだが、開戦で流れてな」
晴れて家庭を持てるというものだとフォン・レルゲン少将は肩を竦めた。ただ、当初の相手は他家に嫁がれてしまった為、一から探す羽目になったそうだが。
「お相手は、幸運なことです。閣下ならば円満な家庭を築けましょう」
「貴官も、そう在れることを祈る。ああ、これは社交辞令ではないぞ?」
式の招待状は送る。だから私からも送れと投げるように言って、フォン・レルゲン少将は息を吐いた。
「中佐。確かにあの戦争は最悪だった。いや、戦争に良いものなどないのだろうがな。後ろを向いて得るものなどあるまい?」
殺し合い、憎み合うのが戦争だ。そんなものを体験したからとて、当事者になったからとて、それが原因で不幸を背負うのは違うだろうと。
「我々は勝てたのだ。素直に恩恵を受け取れば良い」
「まるで、昔の小官のような事を言うのですね?」
「ああ、そうだな。長く現場を経験した身の感想だが、以前の貴官の方が軍人として正しかったのだろう」
私も、随分とすれた男になったものだと。中央参謀本部で染み一つない軍装を纏っていたエリート将校だった方は、泥と雪に塗れ、気疲れだけでない何かを帯びた目で戦場から帰還した。
この戦争で変わらなかった者など、きっと誰一人としていなかったのだろう。
「小官は、変われて良かったと心底感じております」
「私もそう思う。東部でもそうだったが、今の貴官には好感が持てる。何というべきか、ここで貴官を遠目に見るばかりでは『噛み合わなかった』が、前線では違った。貴官は、求めるより先に『応えてくれる』存在だった」
その気など欠片もないのだろうが、まるで告白のようなことを言ってくれる。ああ、件のお相手も、こういった感じに落としたのだろうか?
罪作りな殿方だと肩を竦めた私に、調子が戻ったことへの安堵半分。悪戯めいた視線への不快感半分といった表情を向けてくる。
「何だ、その顔は? いや、良い。どうせ碌でもないことだろう。
ではな、中佐。誰にとっても人生は一度だ。悔いのない道を選ぶがいい」
「ありがとうございます、閣下」
踵を返すフォン・レルゲン少将を、敬礼と共に見送る。少将の仰ることは尤もだ。どのような人生だろうと、理解の及ばないような運命に巻き込まれたとしても、『どうしてこうなった』などと振り返るような人生は正直御免被りたい。
……まぁ、嫁ぎ先と相手を考えれば『どうしてこうなった』が付き纏う人生なのだろうが。人生の終わりに笑えるのならば、それもまた思い出として受け入れられるだろう。