朝早くから、一人の少年が泥門高校のアメフト部の部室を訪れていた。
彼の名前は小早川 瀬那。つい先日、アメフト部主将の蛭魔 妖一と同じくアメフト部所属の栗田 良寛からスカウトされ、アメフト部の主務として入部することになった。
そして今日がセナにとって初めての部活となる。事前にヒル魔から「打ち合わせ」があると聞いていたために、いつもより早く登校してきたのだった。
(ヒル魔さんに強引に入部させられちゃったけど、ほんとに僕なんかがアメフト部に入っちゃっても大丈夫なのかな~……
で、でも主務だし、運動神経は関係ないよね)
その場で何度か深呼吸し、意を決してアメフト部の扉を開く。
「おはようございます……って、あれ?」
てっきりヒル魔と栗田がすでに部室に居ると思っていたのだが、そこに二人の姿はなく、見慣れない少女の姿があった。
美しい黒色の髪を腰の辺りまで伸ばした、可愛らしい小柄な女の子だ。椅子に腰掛け本を読みながら、片手にはコーラの缶を持っていた。
少女はセナの存在に気づくと顔を上げた。顔立ちも整っており、かなりの美少女であることがわかる。
「す、すいません!間違えましたぁ~!!」
セナはそのことに驚き、慌てて部室を飛び出した。
彼が知っているアメフト部の部員は二名。どこぞのチンピラのような風貌をしたヒル魔と、関取にも引けをとらないほどの巨漢を持つ栗田だ。
そんな人物たちが所属している部活に、あのような少女がいるはずもない。間違えて文芸部の部室にでも入ってしまったのだろうかと疑うが、そもそもアメフト部の部室は校舎の裏に一軒だけ佇む寂れた建物で、見間違うはずもない。
ここがアメフト部の部室であることをもう一度よく確認しながら、セナは恐る恐る扉を開けた。
「人様の顔を見て急に飛び出すとは、随分と礼儀知らずなやつだな。見たところ新入部員か?」
先ほどの少女が腕組をしながら、怒気を滲ませた声でそう言った。
上目遣いで睨むその姿に、少しの間見惚れてしまう。こんな些細な表情が一つの絵になるほど、彼女は可憐だった。
はっ、と我を取り戻したセナは「すいません、すいません!」と何度も頭を下げながら、少女に恐る恐る尋ねた。
「あの~、ここアメフト部の部室で合ってますよね……?」
「無論だ。 で、君の名前はなんという」
少し変わった口調で話す少女に戸惑いを覚えながらも答える。
「1年の小早川瀬那です。アメフト部の主務をやらせていただくことになりました」
「主務……? 妖一のやつめ、選手も集めずなにをやっとるんだ」
虚空を睨みながらぶつぶつと呟く少女に、何かまずいことでも言ってしまっただろうかと冷や汗を流すセナ。
少しの間を置き、少女は改めてセナのほうを見た。
「失敬。私の名を名乗るのを忘れていた。2年の榊原 水月だ。
一応、アメフト部に所属している」
「よ、よろしくお願いします。
……あの、榊原さん、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ。私に答えられる範囲でいいなら何でも答えてやろう」
水月の言葉を聞き、疑問を口にしようとした刹那、水月から待ったの合図が出る。
「ふふ、分かったぞセナくん。私に彼氏がいるかどうか知りたいんだな?
安心しろ、私はフリーだ。……だが、セナくんはちょっと細身すぎるな。私に告白する前に、もっと男らしさを身につけてから────」
「ち、ち、ち、違いますっ!!」
女性への免疫をまったくと言っていいほど持ち合わせていないセナは、顔を真っ赤にさせながら大声で叫ぶ。
そんなセナの様子をどこか面白そうな様子で見る水月に、セナは気づいていなかった。
「そこまで嫌がることはないじゃないか。私でも、傷つくことはある……」
目の端に涙をためながら、すんすんと小さく鼻をすする水月に、セナは見ていて哀れなほど狼狽し、果ては土下座まで始めた。
そんな空間に乱入者が現れた。蛭間 妖一である。ヒル魔は土下座して頭を床に擦りつけているセナと、笑いを必死に堪えながらぷるぷると震えている水月の両者を見やった。
「ケケケケ、随分と愉快なことになってんじゃねーか」
「妖一か。久しぶりだな」
「アメリカ旅行はどうだったよ、糞狸」
「ふふふ。なかなか楽しめたさ。だがやはりこの国に戻ってくるとほっとするな」
「ケケケ、なにはともあれお前が戻ってきたのはグッドタイミングだ。
────おらっ、いつまで床に抱きついてんだ糞チビ! さっさと朝練行くぞ!」
ヒル魔は未だに土下座を続けているセナの尻を勢いよく蹴飛ばすと、片手でセナの襟を引っ張り、もう片手で銃を空に向かって乱射しながら運動場へ向かった。
「またしばらくは、退屈せずに済みそうだ。時が来るまでは、ここで馬鹿をやっているのも良い……」
そう呟きながら、すでに遠くなってしまった彼らの後ろ姿を見つめて笑みを浮かべる。
そしてまた、彼女も彼らと同じようにグラウンドへ向かうのだった。
「み、み、水月ちゃ~~~~ん! お帰りーーー!!」
「ああ、ただいま良寛。おっと、そのまま抱きつかないでくれよ?
お前の馬鹿力で締め上げられては、私の身など木っ端微塵になってしまうからな」
熱い抱擁を交わそうとしていた栗田は、直前で立ち止まった。
「あはは、ごめんね水月ちゃん」
「よいよい。それにしても、二月見ない間にまたデカくなったのではないか?
ラインマンは体が丈夫でなくてはならないが、食い過ぎで病気にでもなったら本末転倒だぞ」
申し訳なさそうに頭を掻く栗田の大きな腹を、水月がコーラを飲みながらぽんぽんと叩く。
「でもこれで四人だねっ! 創部以来初めてだよ~」
嬉しそうに語る栗田の影で、セナが「僕、主務のはずなんだけど……」と呟いた。
そういえばと、セナは先ほどの一件で有耶無耶にされた疑問を、改めて水月に問いかけた。
「榊原さんってマネージャーをしてるんですか? それとも僕みたいに主務────」
「そいつは選手だ」
答えたのは、ヒル魔だった。セナは信じられない、といった風に目をパチパチさせる。
「で、でも榊原さん、僕より小柄だし(たぶん女子全体で見ても小柄な部類に入ると思うんだけど)、そもそも女性だし……。アメフトって相手と、こう、ぶつかり合ったりするんですよね?
いくらなんでも危ないんじゃ……」
そんなセナの不安をよそに、ヒル魔は愉快そうに笑った。
「ケケケ、だとよ糞狸。ずいぶんと舐められてんじゃねーか」
「ふむ。特に人にどう思われていようが特に気にはしない」
そう言いつつ、いそいそと鞄の中からジャージを取り出す。
「私も練習に参加しよう。生憎、今日はユニフォームを持ってきていないが……少し待っていろ。着替えてくる」
数分後、ジャージに着替えた水月と、ユニフォームに(強制的に)着替えさせられたセナの前で、ヒル魔が40ヤード(36メートル)走測定を提案した。
「糞狸はジャージで本格的な練習はできねーし、そろそろ時間的にも余裕がねぇ。今日はこれやって終いにすっぞ」
まず第一走者は栗田。結果は6秒5。
その結果がお気に召さなかったのか、ヒル魔は執拗に栗田の体に蹴りを入れる。
第二走者はヒル魔。5秒1。
自己ベストタイだったらしく、かなり上機嫌になるヒル魔。栗田もまるで我が事のように喜ぶ。
そして第三走者────
「私の番か」
静かにスタートラインに立つ水月。運動をするために、髪は後ろで纏めてある。その姿にセナがまた一瞬見惚れたという事実は割愛する。
「アメリカ帰りで疲れてた、なんて言い訳は聞かねーからな」
「ふふふ、手厳しいな。まぁ善処するとも」
ヒル魔の軽口にも微笑で返す。
カウントダウン────スタート。
そしてゴールへ一直線に進む。
ゴール地点で栗田がストップウォッチを押した。
結果、5秒8。
「まずまずだな」
「ケケケ、さすがに糞デブより遅くはなかったか」
最後に第四走者。
スタートラインについたセナを見て、水月はヒル魔に声をかけた。
「セナ君を本当にアメフト部に入れるつもりなのか?」
水月の問いは言外に、セナを選手として使うつもりなのか、という意味を含んでいた。
「まぁ見てろ。上手くいけば、お前に次ぐもう一人のジョーカーになるぜ」
ニヤリと笑みを浮かべたヒル魔から視線を外し、再びセナを視野に収める。
「なるほど、お前がそこまで言うのならば期待してもいいんだな?」
「ケケケケ!」
ついにセナがスタートを切る。ロケットのような飛び出しに、水月の目が大きく開かれる。
セナがゴールすると、水月は早足に栗田の元へ向かった。
「良寛、結果を見せてくれ」
「うん、うん! すごいよ、これ! 5秒ジャスト!
セナ君にこんな才能があったなんて!」
興奮する栗田。対して、水月の表情は良くなかった。
(5秒だと……? あれだけのスタートを切っておきながら、結果が5秒?)
「妖一」
「ケケケ、言われなくても分かってるっつーの」
ヒル魔がどこからか取り出した犬用のおやつ『骨元気』をセナのユニフォームに挟んだ。
「ケルベロス!!」
ヒル魔の呼び声を聞きつけて、牙をむき出しにした凶暴な犬が姿を現す。
そしてセナの姿を見つけると、唸り声を上げながら襲いかかった。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃい!!」
命の危険を感じたセナが、先ほどとは比べ物にならないスピードでグラウンドを駆けた。
「Yaーhaー! 見やがれやつの本領を!」
ちゃっかりタイムを測っていたヒル魔が、ハイテンションでタイムを栗田と水月に見せつける。
「高校記録どころじゃねぇ! プロのトップスピードだ。
こんなもん誰にも止められねぇ!」
ヒル魔の手に握られたストップウォッチ。そこに表示されていたタイムは────4秒2だった。
「く、ふ……ふふふ……ふははははは!
素晴らしい!素晴らしいぞセナ君!ははははっ!」
水月が腹の底から笑い声を上げる。愉快だ。堪らないと。
アメフトは個人競技ではない。個がどれだけ優れていようとも、集団の前では意味がない。だからこそ彼女は待っていた。
寄せ集めではないチームメンバー。それも自分以外のエース級の存在を。
ヒル魔も栗田も決して凡才というわけではない。しかしアメフトというゲームの性質上、相手からポイントをもぎ取るという役割を担う存在が彼女以外にはいなかった。
────行ける。クリスマスボウルに!
ケルベロスに追われ悲鳴を上げるセナの姿を見つめながら、三人は同じ想いを胸に抱いていた。
「そういえばもうすぐ大会だね。
いつだっけ、大会?」
「明日」