「……すぅ……すぅ…………」
『………………』
仏間に敷かれた布団の上に寝かされたイングヴィルドの腹の上で、デフォルメされた白鳥ような小さめの鳥が脚を畳んで座り込みがら、ペコリと頭を下げていた。また、布団の周りには立香、エレシュキガル、カーマ、ニュクスが集まって座っている。
どうやらこの白鳥っぽい
「さて、イングヴィルドさんをどうするか考えようみんな」
「あなたへのプレゼントだから好きにしていいわよ?」
ニュクスの呟きを無視しつつ、イングヴィルドを囲んでそれは始まった。この場においてニュクスは被告人である。尤も、だからといってニュクスの待遇や処遇が変わることはひとつもないのだが。
まず、イングヴィルドの現状について確認をしよう。
イングヴィルドは種族としては一応、どちらかと言えば人間に当たるが、隔世遺伝で悪魔の力を持って生まれた混血児であり、仮に完全に悪魔となれば、即座に魔王クラス程度にはなれる程のスペックを持っており、ニュクスとしてはそれだけでも買い付ける意味があったのでだろう。
そして、未発現の神器。これは完全に現段階では詳細不明だが、ニュクスが"面白そうな波長"と評価しているため、その性能や希少性はかなりのものと思われる。
最後に問題の"眠りの病"。これは寿命1万年と言われている悪魔にのみ掛かる特異な病であり、実質的な夭折となるため、全ての悪魔から恐れられている原因不明かつ治療方法の確立されていない不治の病と一般には伝わっていた。
まあ、それを眠りを司る神を持ち出して治癒させるというのは、最早反則もいいところの治療方法のため、再現性は特になく、悪魔の種族自体が治療方法を確立するのが待たれるばかりだろう。
そんなイングヴィルドをこれからどう扱うか。この会議の議題は1人の少女だけでなく、今後のことも考えると、とても重要な決定と言える。
そして、真っ先に手を上げたのは――カーマであった。
「はいはーい」
「はい、カーマ」
「手っ取り早くバラして取り出した神器を"
「カーマ、おやつ抜き」
「ちょっ――!? かわいい冗談じゃないですか! やだなー、すぐに本気にするんですからもー!」
だれがなんと言おうと、あのときのカーマの目はどう見ても
そして、次に自信に満ち溢れた表情で手を上げたのはニュクスだ。
「はーい」
「はい、ニュクスさん」
「まず、イングヴィルドちゃんにあなたの事しか考えれないように洗脳するわ。メディア辺りに掛けられたものを参考にするわね。そして、記憶も眠りの病に落ちる前のものなんていらないから全部消すわ。そうすれば、それだけでも立香だけの強くて可愛らしい愛玩人形の出来上がりよ? それから身体と魔力に強化を施す肉体改造では――」
「行ってヒュプノスさん」
『――――――!』
立香の指示を聞いたヒュプノスは、両手もとい両翼を上下に伸ばした構えを取ると、それをニュクスの顔へ向けて目とクチバシを見開き、一言だけ叫ぶ。
『エターナルドラウジネス!!』
「ちょっと、あなたたち今日で初対面――ぐぅ……」
みょんみょんみょんという妙な効果音で放たれたそれは、座ったままニュクスを強制的に居眠りにつかせる。ニュクス被害者の会として一体感を覚えた立香とヒュプノスは思う、"悪は滅びた"と――何度でも甦るけど。
「な、なら……」
「はい、エレシュキガル」
おずおずといった様子で手を上げたエレシュキガルを立香が指す。
すると彼女はイングヴィルドの寝顔を見ながら髪を撫で、優しげでどこかもの悲しげな表情をしながら口を開いた。
「この娘……眠る前は普通の人間として暮らしていたのよね? だったら今の事も昔の事も全部教えて上げなきゃ可哀想よ。酷かも知れないけれど、ニュクスは拾ってきただけで、眠りに落とした張本人ではないからある種自然なこと。だったら、それもまた人生でしょう。私たちに出来ることは……立ち直る手助けだけ――ってなんで泣いているのかしら立香?」
「こういうの……こういうのでいいんだ……」
「………………(こくこく)」
エレシュキガルが見ると、彼女の話を聞いて、涙を浮かべる立香と、翼を腕のように組んで首を縦に振るヒュプノスが目に入る。
想像して欲しい。これまでは問題が起きたときの解決案を上げるのが、カーマとニュクスしかいなかったのである。よって、普通の意見など決して望めなかったのは、想像に難しくないだろう。
会議はエレシュキガルの案を採用し、イングヴィルドを起こして最大限の支援をしつつ、その後に彼女がどうするのかは彼女の意思を最大限尊重するという事に落ち着いた。
◇◇◇
「よろしくお願いしますヒュプノスさん」
『――――――!』
イングヴィルドの枕元に立ったヒュプノスは、立香の頼みに両翼を振り上げて答える。
そして、その両翼でイングヴィルドの頭を包むように囲むと、翼から淡い光を放つ優しげながらどこか涼しげにも見える力がゆっくりと放たれた。
「…………んぅ――ぁ?」
ヒュプノスの両翼から光が止むのと丁度同じタイミングでイングヴィルドが目覚める。初めて見る彼女の瞳は淡いオレンジ色をしており、天井を少し見つめた後で他に目を向ける。
「白鳥と……綺麗な人たちと……男の人……」
イングヴィルドは寝惚け眼で辺りを見回しながらそんな言葉を吐く。その言葉は日本語ではなかったが、母親の教育で一部の外国語を使える立香は問題なく聞き取れ、他の三女神も意味を理解して聞き取れていた。
「ここ……どこ? あなたたちは……? お母さんとお父さんはどこ?」
「――――ッ!」
その問いの答えを知っていた立香は返事が出来なかった。何せイングヴィルドは眠りの病によって、約一世紀ほど眠っており、彼女の両親は悪魔ではなく普通の人間だった。ただの人間だったのだ。
◆◇◆◇◆◇
イングヴィルドが藤丸家で目覚めてから3日後の昼間。平日のため、立香とカーマは学校に行っており、彼の影に潜むニュクスも着いて行っているため、屋内は酷く静かに感じることだろう。
何をするわけでもなく縁側に座って佇むイングヴィルドは、その瞳にしとしとと降り頻る雨を見つめるも、その実、瞳には何も映しておらず、虚空を覗きながら喜も哀もない表情を浮かべるばかりだ。
「………………」
『………………』
また、イングヴィルドは腕と膝で抱えるように乱雑に白鳥のデフォルメのような生き物――ヒュプノスの化身を抱き締めており、時折力を強めていた。
何故かまだ帰っていないヒュプノスは、イングヴィルドにほとんどぬいぐるみのような扱いをされているが、何故かそれを普通に受け入れており、むしろどことなく幸せそうな表情をしているように見えなくもなかった。
ニュクス曰く、"ヒュプノスがイングヴィルドを気に入ったため、加護を与えている"とのこと。まあ、ギリシャ神話の神々が人間などを気に入るのは珍しくもないため、普通の事と言えるかもしれない。
また、この白鳥っぽいものはヒュプノスの化身であり、ダウングレード版の分霊であるため、本体には全く支障がない上、イングヴィルドが再び眠った場合にもすぐに起こして貰えるアフターケアに図らずもなっていたりする。しかし、やはり能力的にはほとんどマスコットに近く、この分霊がなのか本体もそうなのか全く喋らないため、会話は期待できないだろう。
「隣、失礼するわね」
「…………うん」
するとそんな様子で何をしているわけでもないイングヴィルドの隣に金髪の女神――エレシュキガルが座る。
エレシュキガルは三柱で唯一、真面目に家事などに取り組み、留守を預かっているため、イングヴィルドが起きてからの生活のケアの大半を引き受けており、少なからず、彼女に対してイングヴィルドは恩義を感じていた。
「どう?
「……わからない」
「そっか」
エレシュキガルと顔を合わせず、縮こまるようにヒュプノスを抱き締めるつつそんな言葉をイングヴィルドは吐き、少しだけ間が空いたが、再びエレシュキガルが口を開く。
「私ね。生み出されてすぐに冥界の役割を振られて、そこにずっといたから両親についてはあんまり知らない……というよりも面識がないの。貴女が知っている家族という関係よりずっとドライだったと思うわ」
「…………そうなんだ」
エレシュキガルが呟いた両親や家族という言葉にイングヴィルドは興味を示したようで、肩が跳ねて顔を向ける。
「だから……もしよければだけど貴女の知る家族について聞かせてくれないかしら?」
「………………」
そう言って小さく優しげに微笑むエレシュキガル。その様子を見て、"本物の女神様はやっぱりスゴいな"等と考えたイングヴィルドが、ふと彼女が自分の膝に置いている手を見ると――ぷるぷると小刻みに震えている様子が目に入った。
どうやらこの女神は、イングヴィルドをどうにか励まそうとする事にとても緊張し、既に割りと一杯一杯らしい。
その事に気づいたイングヴィルドは、少しだけ驚くと――口に手を当てて藤丸家に来てから初めて笑みを浮かべた。
「――ふふっ」
「わ、笑われたのだわ……」
「ごめんなさい……でもわかった。なら私の家族のことを――」
イングヴィルドはポツリポツリと自身の家族について、少しだけ笑みを浮かべながら語り始める。
最初は父親と母親の特徴を、それから両親の好きなところや思い出を、そして深い話になるに連れて、話はかつての日常の他愛もない話に移り、両親にあった不満点などを話すと、徐々に両親から話は広がっていく。
暮らしていた家とこの家の違い、食事の違い、衣服の違いから始まり、親しかった友人、近所の人間、住んでいた街の様子、そして確かにイングヴィルドの家族が生きていたこと。
それはイングヴィルドにとっては、つい昨日のような事であり、世界にとっては、ほんの100年前の出来事の記憶であった。
「――あれ……?」
ホロリとイングヴィルドの頬を涙が伝った。彼女が涙を流したのは目覚めてから初めてのことである。
その表情は、嬉しげに昨日の出来事を、他愛もない小さな思い出を語るようであり、決して涙を浮かべるような顔ではなかったため、酷く調子外れに見える。
「あれ……あ……れ……? なんで……私?」
実際、泣いているイングヴィルド自身が一番困惑しており、涙の訳を自覚できなかったのだろう。未だに彼女は、笑みを浮かべながら、外で降る雨のようにさめざめと涙を流しており、止めようと手で涙を拭うが、まるで止まる様子はない。
「あはっ……あはは……はは……。ごめんなさい私……すぐに止めて――」
「いいからっ!」
エレシュキガルはイングヴィルドの言葉を遮って抱き寄せ、更に強く抱き締めた。
尚も泣いているイングヴィルドは、エレシュキガルの行動に動きを止めて驚き、ふとエレシュキガルの表情を見ると、彼女の目の端にも涙が浮かんでおり、更に全身が震えていることも直接伝わってくる。
そして、イングヴィルドにとって、肌を通して感じるエレシュキガルの体温は、酷く温かく思えた。
「我慢しないでいいから……! 泣いていいのだわ……!」
「………………ひっ……ぁ……あぁ…………わあああぁぁぁぁぁ!!!!」
大した話ではない。浦島太郎の物語の最後、彼には竜宮城での思い出が残り、他の全てを失った。起きたイングヴィルドには何も残っておらず、彼女は全てを失った。
そして、その現実にたった今はじめて心が追い付いた。ただ、それだけのことだ。
◇◇◇
「すぅ……すぅ……」
『………………!』
泣きつかれていつの間にか眠ってしまったイングヴィルドを、エレシュキガルが布団に運び、ヒュプノスがそっとタオルケットを掛ける。
そして、仕事を終えたとばかりにヒュプノスは、イングヴィルドの枕元に座ると脚を畳んで、香箱座りになるとクチバシを背中の羽毛に差して眠る体勢になった。
「ふふっ、可愛い寝顔……」
エレシュキガルはイングヴィルドの頭を優しく撫で、そんな言葉を呟く。その姿は端から見れば母親か、少し歳の離れた姉に似ていたかもしれない。
「ん……」
そんなとき、イングヴィルドが小さく動き、眠ったままその唇を震わせて言葉を溢す。
「エレシュキガル……おねえちゃん……」
それはただの寝言であり、何かの夢を見たか、たまたま別の言葉がそう聞こえただけなのかも知れない。
しかし、今の状況でその単語はエレシュキガルの中を、冥界の赤雷よりも激しく強く速く全身を駆け巡り、エレシュキガルは嬉しさで破顔するほどの笑みを浮かべると、わなわなと体を震わせ、自身の両手を胸の前で引いてギュッと構え、体を左右に振る。
「――――ッうぅ……本当の妹が出来た気分なのだわ!」
『………………?』
ヒュプノスは"実妹がエレシュキガルにはいたはずだ"と思って片目を開けたが、神話で一度殺したことすらあったことを思い返し、表情に出すことも口を開くこともなく、一瞬だけ垣間見えたエレシュキガルの闇を見ることはせず、そっと開けた目蓋を閉じるのであった。
通りすがりの姉を名乗る不審者「やりましたねエレシュキガルさん! 妹が増えましたよ!」
※原点に近めなFakeのイシュタルの邪神っプリを見る限り、エレシュキガルも原点は相応にアレだと思われるので、あの姉妹がFGOで普通に並んでるのは、本当に奇跡に等しいですよねぇ……。