環いろはちゃんと共依存的にイチャイチャしたい人生だった 作:風剣
いろはちゃんかわいい
プロローグ
『っ、──、──……』
泣きじゃくる声が聞こえた。
幼い少女だ。誰もいなくなった電車の車両で、通路の真ん中に力なく座り込んでぐずる彼女に気付いた相方が、小走りで近付いていく。この結界に引きずり込んだ元凶とでも鉢合わせたのか、肩を震わせすすり泣く彼女と視線を合わせるようにかがんだ制服の少女は、自分たちを閉じ込める電車が不気味な音をたて揺れるたびに怯える幼い子供を安心させるように落ち着いた声音で問いかけた。
――どうしたの?
『ひっ……うっ……私と一緒に、いた子――猫ちゃんの、――が……』
涸れた喉から絞り出される覚束ない説明によれば、彼女とともにこの魔女の結界に連れ攫われた猫が、トカゲのような怪物が現れ隠れている間にいつの間にかいなくなっていたとのことで。必要な話を聞き終えた桃色の髪の少女は、こちらを一瞥して車両の奥へと走って消える。
直後、最後尾の車両の扉が開け放たれ――吹き荒ぶ風。女の子と共に車両に残された少年が窓から軽く外を見やれば、宙に架けられた線路を走る列車と、空間全体を浮遊し蠢く大量の金属塊。
列車から見下ろす限り足場になりそうなのは柱のような形状を成して寄り集まる金属塊のみ――しかもそれまでの高度も馬鹿にならない。それなりに運動神経が良ければ常人でもタイミングよく近くの金属の足場が近付いた瞬間を狙って飛び降りれば問題なく着地することができるだろうが、移動する金属塊に押され潰され、足の止まったところをこの場の主である魔女に襲われれば成す術もあるまい。
これまでに自分が見た、多種多様な魔女の結界のなかでも一、二を争う悪環境。
加え、この結界には守らなければならない一般人の少女と――今しがた電車を飛び降り変身した魔法少女の救助対象に登録された猫もいる。これは初見での討伐は難しそうかなと断じると、肩にバットケースを担いだ少年は幼い女の子の座り込む通路、その横の座席にどっかと腰を下ろす。
彼女はと言えば。自身に優しく語り掛け猫を助けてくれると言ってくれた制服の少女がいつの間にかいなくなっているのに動揺した素振りで周囲を見回していた。
「今の、お姉ちゃん……飛び降りちゃったの?」
魔法少女でも、自分のような
確固たる瞳で少年に意思を伝え、この場を護ってほしいと魔女の縄張りに突き進んだ恋人の後ろ姿を思い出して口元を緩め笑った。
心配しなくても大丈夫。あの娘は──いろはは、強い子だから。
一度心に決めたら全力でやりきれる人だ、だから──すぐに戻ってくるとも。
確固たる信頼を滲ませて微笑む少年に、女の子はきょとんと目を丸くして──轟いた破砕音。
車両の天井──彼女たちを閉じ込めていた魔女の結界をぶち抜いて飛び出した薄桃の装束を纏う少女が、先行して魔女の結界に突入していた黒衣の魔法少女と共に現れる。
その腕には。女の子とはぐれてしまっていたという、小さな猫が抱かれていた。
***
燦々と輝く太陽に。腕を広げて全身で日射しを浴びる。
穏やかなさざ波に身を濡らして、全身で海を満喫し。
彼女とともに浜辺にあがり、焼けるような熱を帯びた砂に悲鳴をあげながらも、不意に足の裏を襲う灼熱すらも愉快で。直前まで海水を浴びせあっていた恋人と笑い合って。
『──■■■■!』
声が聞こえた。
自分を、彼女を、2人を呼ぶ、少女の声。
パラソルの陰にて恋人の両親とともに身を休めていた■■は、■■したばかりなのも手伝ってかはしゃぎながら太陽のもとに身を踊らせて。
カメラを構える父親に気付いた恋人も、■■と一緒に写真を撮ろうと自分の手を引く。
真ん中に■■を挟んで、■人でピースサインをとって。カメラのフラッシュが瞬く。
幸せだった。
本当に大切な時間だった。
だけれど。
それなのに。
どうしてなのか。
今も机に張られた、海の写真には。
真ん中にいた筈の誰かは映っていない。
顔も、年も、声も名前も好きなものも教えてくれたことも約束も思い出も口にしていたことも好きだった食べ物も■■に居たときの姿も■■■も■■と話していたときのことも■■と居たときの■■の笑顔も──、
何も、思い出せない。
そして。
それはきっと、彼女も同じだった。
「──の、ぼんやりとしたもの!環さん!これが何かわかりますか?」
教室の中心から飛んだ質問に、苦々しい違和感を残す微睡みから意識を揺り戻す。
自分と違い眠ってこそいなかったようだが、隣の彼女も授業に集中できていなかったのは同じであったようで。教鞭を振る女性教員の声に慌てて立ち上がりながらも、質問に答えることの叶わなかった少女は頬を紅潮させて謝りながら席についた。
「(……今の質問、なんだったの?)」
「──水着? ああいやごめん俺も意識落としてた」
「えぇ……?」
学園の教室。教壇を半円形に囲む席の列にはクラスメイトが座る。片手を立ててすまんと詫びる少年に、困惑の様子を見せる
そんな彼女の様子を伺って、隣の席に座る
基本的に。何事に対しても生真面目に取り組むことのできる娘だ。大掛かりに魔女狩りに取り組んで徹夜した訳でもないのに授業中に気を散らすのも珍しいもので。――つまり、それだけ気掛かりに感じているものがある、ということだろう。
(――とはいえ、それを聞いて素直に答えてくれるかは微妙なところなんだよなあ)
通常、穏やかで素直だがやや引っ込み思案。自己評価が低く他者を立てた態度を取ることも多いが――その実、本気でこうと決めたものは何があろうと成し遂げんとする鋼の精神の持ち主。
具体的にいえば、恋人の身の危険を案じ魔法少女業をあの手この手でやめさせようとしていたシュウが先に音をあげる程度には頑固で。もしいろはが本心から『自分の悩みで他者に迷惑をかけたくない』『自分ひとりでどうにかしないといけない』などと考えているようなら問題事項ひとつ把握するのも難しそうだなと息を吐いて――、
だから、聞けば迷いながらも、ごねる素振りも見せずに相談をしてくれたのには、本当に驚かされた。
「――願いを、覚えてない?」
昼休み。
唯一の家族である両親も海外出張に行ってしまって今はいないのに作り過ぎてしまったと彼女から渡された弁当――魔法少女を始めた頃から弁当を多く用意してしまうことが多々あるという――を頬張りながら、彼女から告げられた言葉に反駁する。目を見開いたシュウの言葉に頷いたいろはは、膝の上に乗せた弁当に視線を下ろしながらぽつぽつと己の抱いていた違和感について語りだした。
「――お母さんに、言われたの。海外に一緒にいきたいけれど、いろはにやりたいことがあるのなら、仕方がないよねって」
「でも私、やりたいことなんて言われても思いつかなくて。勿論魔女を倒して皆の被害を減らすことができるのは嬉しいけれど……魔法少女が本当にやりたいことかって言うとそれは違うような気もするし」
「でもそれじゃあ、魔法少女として戦ってまでやりたかったことは――ってなると、どうしても」
「……思い出せなくなる?」
こくりと、申し訳なさそうにさえなって小さく頷いたいろはに唸る。
――聞けば、彼女を魔法少女にした張本人(?)であるキュゥべえに聞いてみてもはっきりとした理由はわからなかったのだという。
「……最近派手な大技使った? 強力な代わりに寿命とか記憶とかを失うような危ないやつ」
「そんな怖い技使えないよ……」
(使用が可能だったとして、いざ使わなきゃいけないと判断したら迷わず使うだろうから怖いんだよなあこの娘……)
「それじゃあ魔女に頭ぶたれたりとかは……特にないよなあ」
「うん。特に最近なんかは、昨日の電車の魔女との戦い以外はいつもシュウ君のサポート受けてたしそんなことはなかったかなあ……」
現状原因について考察できる要素も少ない。魔法少女活動から思い浮かべられる心当たりもないようだった。
正直なところ、恋人を含めた年頃の少女を誑かすようにして異形と戦わせる契約を取り付けるあのUMAもどきには不信感しかないが……。それでも、魔女と戦う対価に魔法少女たちの願いが叶えられるという謳い文句が決して嘘や誇張といった類ではないのはこれまでの魔女との戦いでいろは以外の魔法少女と接触することで理解している。
願いの内容そのものは実際に聞いてこそいないが――遭遇した魔法少女の誰もが、実際に叶えた願いに対する
「……キュゥべえは、願いは既に叶えられているって言っていたんだよな? そしてあの白猫……猫? でも詳細は把握できなかったと」
「うん」
「で、その願いのなかには『願ったことを隠したい』といった内容も含まれていた可能性がある、だから内容を自分でも把握できていないのかもしれないと」
「……うん……でも」
周りの人から隠すならまだしも、自分まで記憶をなくすなんて……そんな願い事とか、するかなあ。
「……」
内容の整理もかねていろはがキュゥべえから聞き出した情報を並べると、そう呟いては途方に暮れたように俯く少女に何も言えずに弁当を頬張る。
正直なところ。少女の悩みを解消するにたる発想も思い浮かばないのにはシュウ自身忸怩たる思いがあったが……彼からすれば、いろはの叶えた願いが思い出せないことそのものは、然程気にするようなものではないのだ。
誰だってドス黒いもの……とまでは言わずとも後ろめたいこと疚しいもののひとつふたつ抱えていよう。それを恋人が持っていたところで今更驚きはしないが……。それよりも彼が気にしているのは、相談に乗った甲斐があったのか否か当初よりも表情を柔らかくしながらも、それでも立ち振舞いの節々から色濃い緊張と後ろめたさを残すいろはの姿だった。
……罪悪感でも、持っているのだろうか。
魔女と戦うことを制止していたシュウを巻き込んでまで続けた魔法少女としての活動。命懸けの戦いにまで発展することもある魔女との争いに、自分はもちろん本来なら何事もなく日常にいられた筈の彼さえ危険に晒して──その発端となった、戦いに身を投じてまで叶えたかった願いを忘れてしまっていることに。
「……別に、気にする必要はないんだけどなあ」
ぽつりと呟いた言葉に、いろはが顔を上げる。
「──でも、私」
不安げに瞳を揺らしたいろはを手で制して、せめて彼女の迷いを拭えればと願いながら言葉を紡ぐ。
始まりの理由を忘れたからなんだ。それでいろはが何か失ったか? ……失っているのかもしれない。でも思い出すことができずに、そしてそれで不具合が生じていない以上は失なっていないのとほとんど同じようなものだろう。
……少なくとも、魔法少女を始めた理由を忘れてしまった程度のことで、これまでいろはの助けになりたいと願って戦ってきたことを後悔するつもりはない。
そこまで言って。首を振って、シュウは空になった弁当箱を包みに戻しながら唸った。
「……極端すぎたかな」
「……?」
「忘れた願いが本当にかけがえのないものだった場合、それを否定するような物言いをするのはいろはに顔向けできないなと思ってさ」
「──」
「優先すべきは魔女の討伐になるのだろうけれども、ひとまずは無理のない範囲で願いを思い出すことができるように他の魔法少女にも声をかけたりして情報を集めて──、……いろは?」
「……ううん」
──ありがとう。
自分でも思い出すことのできない、はじまりの何か。少女のことを何よりも大切と言ってくれる彼さえ魔女との戦いに巻き込むことになった原因のひとつといえるものを、自分は無責任に忘れてしまったのに。
それでも忘れた何かを無下にはできないと言った、言ってくれた少年に溢された言葉に。彼は、きょとんと目を丸くして。次いで、耳を赤くしながらそっぽを向いた。
「……別に、まだ何も解決してないんだからお礼なんて 言われる筋合いは……」
「──もしかして、照れてる?」
「照れてない。知性派は照れない。ごちそうさま、美味しかった」
「ふふふ……うん」
追及されないのが逆につらいと内心で呟いて。空になった弁当箱を預け、いそいそと教室に戻ろうとする少年は、不意にぴたりと動きをとめて──弁当をしまって立ち上がったいろはを振り返ると、己の口元を軽く指しながら悪戯っぽく笑った。
「お礼は、まあ受け取っておくけれど……
「──えぇ!? ……う、うん……」
可愛いかよ。
反撃のつもりで軽く要求したセクハラに赤くなりながらもこくりと頷いてくれた少女の破壊力にくらくらしながら。羞恥に苦しんででも言ってみて良かったとガッツポーズをとる。
僅かにぎこちなく談笑しながら教室に戻れば、また二人きりで昼休み過ごしていたのかとクラスメイトにからかわれて。
恥じらう恋人を邪な詮索から遮りつつ。友人と笑い合っていると脳裏をよぎるのは──紅と灰、いつかの喪失の記憶。
――いろは、君はずっと俺に助けて貰っているだなんて言うけれどね。俺はずっと君に助けられていたんだよ。
幼い頃この街に越してきて知り合いも少ないなかで。母親がいつも忙しなくて、父親も仕事に追われて家にはいなくて。心細い思いで過ごしていた時期は、家族と共に遊びに誘ってくれいて。
両親が数日家を離れざるを得なくなって近所の家に預けられた時だって、君と
母さんが帰ってこなくなって。家庭がだんだん壊れはじめてきた時だって、いろはは何度も相談に乗ってくれて。
だんだん良くなると信じていた矢先に、全てぶち壊しにされたあの日だって。
もう全部台無しになったと思っていた時、真っ先に駆けつけて家に現れた魔女を倒した君は、俺にしがみついて泣きじゃくって助けられなくてごめん間に合わなくてごめんと謝り続けてきたけど、違うんだよ。
初めて逢ったあの日も、苦しかったあの日も、大好きだった家族のいなくなってしまったあの時だって。
俺はいつだって、君に救われていたんだ。
だから、これからは。これからも。
君を助けたい。君に助けてほしい。君を守りたい。君に守られたい。
君と――ずっと、一緒に居たい。