環いろはちゃんと共依存的にイチャイチャしたい人生だった 作:風剣
悪い冗談のような1日が終わった。
悪い冗談。そう、悪い冗談だ。
魔女の結界から放り出された先に広がっていたのは過去の世界で、そこにいたのは健在の家族と、まだ6才のいろは。
母さんは魔女になっていない。父さんは五体満足で、婆ちゃんだって健康そのものだ。家にだって、血痕も呪いの臭いも、あの日の惨劇を示すものはなにも存在していない。
いろはだって、魔法少女になんかなっていない。
何も奪われることのなかった穏やかな時代。なんの疑問もなく大人の庇護を受けることのできていた憩いの時。
みんなが生きていて、みんなが無事で。
かつてどうしようもなく取りこぼした日常は、当たり前のようにそこに広がっていた。
――ああ。
最早夢にさえ見ることのなかった景色を前に、どうしようもなく胸が痛む。頭のなかをひっかきまわされたみたいにぐちゃぐちゃな気持ちが心を苛む。
――いっそ、夢ならばよかったのに。
そう思う。元気な姿の家族たちも、ちいさないろはも、平和そのものの穏やかな日常もぜんぶ夢で。目を覚ませばみかづき荘で、隣にはいろはがいて、ななかがいて、大切な妹分や仲間たちがいて――。
この奇跡が夢で終わるのはあまりにも苦痛だけれど、それでも、夢でさえあればまだ。
「んっ……。……えへへ。シュウくん、おはよっ」
「……ああ。おはよう、いろは」
まだ諦めだって、ついたのかもしれないのに。
「おはよー」
「おはようシュウ。……あらあら、いろはちゃんご機嫌だねえ」
「えへへー、お姫さま!」
暫く眠気に身を任せうつらうつらとした後にリビングに降りたシュウ。既に起床しテレビをみていた早起きの智江は、ちいさな幼馴染とともに顔をだした少年がいろはをお姫様だっこで抱えているのを見ると目元を弛めてはクスクスと笑った。
父親の寝間着を借りる彼の腕に童話のお姫様のように大切に抱かれ満悦顔の少女だったが、どうもすっかりそのポジションが気に入ってしまったようだった。穏やかに微笑むシュウがリビングで降ろそうとするのにやだやだと抵抗しだしてぎゅうと腕にしがみついて離れなくなる。ずっとこうしてるの!とでもいいたげな幼馴染の姿にたまらず少年は困り顔になった。
「いろは、ほらそろそろ降りて……」
「むぅ、やだっ! もっとシュウくん抱っこ!」
「あらあらお姫様にそう言われちゃ仕方ないねえ」
「えぇ……じゃあ肩車にしない?」
「………………やだっ、だっこがいいの!」
頑なに首を縦に振らないいろはに観念して洗面所に寄るのを諦め「しょうがないなあ」と柔和に微笑むシュウは腕にしがみつく彼女を抱えなおすとお姫様抱っこのままソファに腰を降ろす。途端機嫌を直してえへへーと笑顔をみせるいろはに苦笑をみせる少年の様子を眺め、2人の分をお茶を用意する智恵は愉し気に声をかけた。
「ふふっ、随分と様になってるじゃあないかい。
「ん? いーや、いろはがおっきくなってからはそこまででも……。あーでもういたち相手にもよくやってたからな、結構慣れてるとこはあるかもだ」
「……なるほどねぇ」
ふにゃりと相好を崩すいろはをあやすようによーしよしよしと揺らし戯れるシュウの手つきには淀みない。慈しむように小さな幼馴染を見つめ存分に甘やかす姿は智江には親子のようにみえた。たった1日で随分とまあ頼もしくなったねえと改めて感じながら数日前まで想像さえしてなかった家族の成長した姿に目を細める老婆は、そこで上の階から降りてくる気配に目線を向ける。
旦那とともに眠たげにして降りてきた理恵が、いろはをお姫様抱っこするシュウを見て途端にテンションを上げて近づくのを眺めながら。特に気負う様子もなくういのことに言及した少年の言葉を反芻する智江は、今はいろはの家ですやすやと眠っているのだろう1才の女の子について思いを馳せた。
(――そういえば昨日、いろはちゃんはういちゃんの病気を治すために魔法少女になるって言ってたね)
きっとそれは成功したし、
魔法少女は、願いを叶えてはいおしまいではない。そのような都合のいいシステムではない。その後に待ち受ける魔女となる末路に至ってしまえば、それは願いをもって救けた身近なひとたちさえ呪いをもって踏み躙ることになる。
孫の仄めかす話や表情を伺う限り、10年先の未来でそうなっていないのは智江にとっては朗報だった。
根本からの解決が見込めなければ、既に魔法少女になってしまったいろはに魔女化の危機が迫るのも時間の問題ではある、が――。
「……ん? どうしたの婆ちゃん、じっと見て」
「いや……。立派になったもんだと、つくづく思ってねえ」
視線に気付いてきょとんとするシュウ。ほんの2日前まで一緒にいた幼子からは想像もつかないまでに大きく成長した孫同然の家族の姿に微笑む老婆は、嬉しそうに目を細めてはじいと少年を見つめる。
――懸念はある。
――きっと、上手くいったことばかりではない。ここまでにいくらだって喪うものがあっただろうけれど。それでも。
――こうも立派な姿に成長したシュウがいるのならば、悪い結末にはならないだろうと思えた。
両腕に確りと抱きとめられるいろはが安心しきった様子で目を閉じてシュウの腕に身を任せるのを穏やかな表情で見つめる少年。彼の腕のなかで少女が微睡む様子を確認した智江はなんてことのない調子で問いかける。
「今日はどういう予定にするか決めてるかい? 昨日は理恵と一緒に夜のお散歩をしていたみたいだけれど」
「んー、そうだな。流石に俺もそろそろ戻りたいし、今日はちょっと外で『出入り口』探して帰るつもりだよ。ガキの方の俺もこっちに連れ戻さないとだしなあ……」
「んん……?」
うとうととするいろはを膝のうえに乗せその頭を撫でるシュウ。会話の意味もわからぬまま頭を撫でる手を受け入れる少女は、幸せそうに頬を弛ませながらすりすりと身を寄せる。そんな彼女の様子を見守るシュウたちもまた顔を見合わせては笑いあった。
――なお。今日も一緒に遊ぶ気満々だったいろはがシュウがひとり外出すると聞いて未曽有のギャン泣き抗議を始めるのは1時間後のことである。
***
『あらシュウが朝ごはん手伝ってくれるの? ……立派になったねぇ……』
『えっ、シュウくんお料理できるの!? すっごーい! ねっねっ! わたしも! わたしも手伝うー!』
『へへっ、まあ見てなって。俺が鍛えたのはフィジカルだけじゃないんだぞぉ……?』
『わわわわわっ、すっごーい! はっやーい! テレビでみたのより早くトトトトンって、あっもうぜんぶ切ったの!?』
『シュウ』
『はい』
『いろはちゃんが真似しようとしたら危ないから丁寧に、ゆっくりね』
『はい……すいません……』
『おぉーーーっ、流石。美味しいよぉシュウ。いやぁほんっと、料理上手いねえ……』
『まあこのくらいは慣れだよな。当番制でごはんの担当任されることもそれなりにあったし』
『ねっねっ、シュウくんシュウくん! わたしもお料理できるようになれるかな!?』
『……はははっ、いろはならぜーったい素敵なお料理を作れるようになるぞぉ。俺が保証する。婆ちゃんやいろはのママだっていろはがやりたいって言ったら喜んでお料理の練習手伝ってくれるさ、な?』
『ふふっ。そうだねえ。シュウの早業練習しようとしてケガなんてされたらいろはちゃんのママやパパに顔向けできないし、しっかり練習みてあげましょうねぇ……』
『ごめんて』
『……うんっ!わたしもっ、シュウくんやみんなにお料理つくってあげたい!』
『ところで私は?』
『母さんは基本味見係だった気がするけどな』
『えーっ』
『キッチンにそんな詰めかけても困るしねえ。ふふっ、シュウがおおきくなってお料理できるようになったら私もお役御免かもねえ』
『……手作りのお菓子やケーキくらいは作ってよ、あれ美味くっておっきくなったういにも大好評だからさ』
『ケーキ! わたしお婆ちゃんのケーキだいすきだよっ!』
『ひひっ、そうかい? 嬉しいじゃないか。今度いろはちゃんにも作り方教えてあげようねえ』
『えっ。シュウくん今日は遊べないの……?』
『あー……。うん。ごめんな、俺はちょっと遠くまでお出かけしないとだから……』
『えぇーっ、一緒に遊びたかったのにぃ……。そ、それじゃあわたしもお出かけついていってもいい?』
『それはぁ……。ちょっとぉ、厳しいかなぁ。ごめんなあ……』
『えっ。……………………………………………………………………うぅぅ』
『あっ』
『やだやだやあだやだーーーー!! もっとシュウくんと遊ぶのぉーーーーーー!!』
『あーやっちゃったぁ……』
『い、いろは落ち着いて……。泣かないで……。か、母さん助けて……』
どんよりとした空模様は、今の自分の心境を明確に表していた。
重々しく息を吐いて、呟く。
「……流石に、寿命が縮んだな……」
好きな子の涙には弱い自覚はあったが、ガチ泣きするいろはは難敵だった。
朝ごはん食べて遊ぼう遊ぼうといわれたのを断った時に泣かれ、説得中も泣かれ、一度泣き止んで納得してもらったあとの外出でもちょっと泣かれ……。全力であやし、落ち着いてもらい、用が終わったらいっぱい遊ぼうと約束して泣き止んでもらったときには既に疲労困憊だった。主にメンタル面が。
女の子に泣かれるの、まぁー慣れんな……。いやまあ慣れたらそれはそれで問題だろうとは思うけども。
今頃は環家に帰された頃か、それとも自分のことを待ってまだ母さんたちの暮らす家にいるのだろうか。記憶と僅かに異なる街並みを行き交う人々のなかに紛れ歩きながら、思い返したのは家を出る直前のやりとりだった。
『……ぐすっ……。シュウくん、ほんとうに帰ってきたらいっぱい遊んでくれる……?』
『ああ、勿論だよ。お土産も買ってくるから楽しみにしてくれよな』
『うん……』
「……」
ずっと服の裾を掴んで離してくれることのなかった、目元を泣き腫らしたちいさな幼馴染との会話を思い返してはちいさくひとりごちる。
「……無責任な約束なんてするもんじゃねえな」
──もう二度と、あの家に戻れるのかもわからないっていうのに。
……いや、違った。
もう、戻るつもりはないのだ。少なくとも、俺は。
とっとと鏡の世界の果てに奪い去られていった
それで、この話は終わりだ。そうしなければダメだ。
「……まあ、遊ぶって約束はガキの方の俺に丸投げすればいいしな」
――叶うならずっとここに、だなんて虫のいい話は許されない。
──互いの帰るべき場所へ帰る。ただそれだけだった。
神浜市の街中を歩き魔女の気配を追う。
俺を『こっち側』に引き込んだ魔女は、バスルームの鏡に溶けるように姿を消してそれきりだ。最悪向こうの世界にとっとと戻っている可能性すらある──。その場合、ここで魔女を発見して仕留めるのはほぼ不可能だ。
けれど、あてはあった。
「──行くか」
爪先で地面を蹴り、身を屈めて力を籠め、跳ぶ。
空中を、壁面を駆けて建物の屋上に着地しそのまま別の建物へと駆けだした。
人はいない。嗅覚、聴覚、あとは勘。周りの空間に存在するものの気配を、今の俺はこれまで以上の範囲で、より正確に探ることができている。多少
障害物を飛び越える大幅なショートカットを繰り返して辿り着いた、人気の少ない商店街。新西中央駅前に建設された百貨店に客層の大半を吸われ半ばシャッター街じみた様相を醸す寂れた店の並びから外れ路地裏へと進んで、その突き当りで足を止める。
『──』
「見つけた」
傾向として、魔女は人の多くいるところか人気の少ないところに現れることが多いというデータがある。
これは婆ちゃんと協力してウワサを各地に放ったねむが調査してわかったことだ。その原因としては、まあ、いろいろある。魔法少女が魔女になりやすい環境だとか、呪いをばらまく魔女の行動原理によるものだとか、あとは魔女の幸福を忌避する性質によるものだとか。
あとは、勘のいい魔法少女の妨害を受けることなく魔女の動きに干渉しやすい状況が
「暫くぶりだな、キュゥべえ。……いや、ここじゃ『初めまして』か。お前にちょっと聞いときたいことがあったんだ。後ろのソイツについてとかも含めて、いろいろな」
「キミは……?」
陽炎のように揺らめく異界への入り口。魔女結界の目の前でちょこんと座っていたキュゥべえは、俺を見てはこてんと小首を傾げていた。
おばあちゃんのことを魔女だと思ってた。
だって黒猫飼ってるし、占い用の水晶玉とかもってるし、よくウソを見透かしてくるし。お気にの黒っぽい恰好をして、あとはたまに着けるとんがり帽とかやったらモロ魔女だったから。
でも、本当の魔女は違った。
ガラスみたいにつるっつるで透明な、でかい指を伸ばした魔女。鏡から突然飛び出してオレを引きずり込んできたやつ。あんなのと同じように言われたらそりゃお婆ちゃんも嫌がるだろうなって思ったからもう魔女って呼ぶのはやめることにした。お婆ちゃんはエセ魔女だ。
鏡の向こうにあったのは10年後? の未来には、でかくなったいろはやうい、マリンちゃんみたいなやちよお姉ちゃん、フェリ姉、鶴乃姉ちゃん、ななかお姉ちゃん、めちゃくちゃかわいい透明人間のさなちゃんがいた。まほーしょうじょ? ってのはよくわかんなかったけど、将来のオレはみんなを助けて魔女退治をやってるんだって教えてもらった!
しょーらいのオレってどうなってるんだろ。でっかくなってるかな? プロレスラーみたいにムッキムキになってんのかな? いろはからもういからもメロメロってくらいかっこよくなってるといいな! あと強くなってるといい! おかーさんやお婆ちゃんもまほーしょうじょみたいだし、帰ったらオレも魔女退治手伝ってあげないとだ、あっちこっちに魔女いるんだったらいろはたちのことも守んないとだしな!
今日はこっちにきてからいっぱい遊んで、みんなでお風呂に入って、明日も遊ぼうねってでっかくなったいろはに言われた。いまは他の人がミラーズとかってとこで準備してるからそれがおわったら帰れるって言ってたけど――。
……そーいえば。
こっちの俺んちってどうなってんだろ? 明日いってみたいな!