環いろはちゃんと共依存的にイチャイチャしたい人生だった   作:風剣

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Lost memoria ー瓦解ー

 

『シュウ、逃げ――がっっ!?』

『あ。……しまったなあ』

 

『……なんだ、シュウ……まだ、居たのかい。早くお逃げ……ぃがッ、っ――』

『わたしは、もうだめだ』

 

 自分は特別な人間なのだと思っていた。

 

 だって、そうだろう。

 少し加減を忘れて力を入れればあっさりとものは砕ける。少し加減を忘れて踏み込めば同年代の子どもなどあっさり追い抜いて周回差をつけられる。

 我を忘れ。感情のままに振る舞えば――あまりにも簡単に、人は壊れる。

 

 だから自分はいろはと、家族以外の人間で初めて絶対に傷つけたくないと思えるような女の子と出逢って、死に物狂いで幼い体に有り余る力を抑えるためにずっと試行錯誤を重ねて。力を思うままに振るうにはあまりにも息苦しい社会で生きていくために年に体格に見合ったラインまで能力に制限をかけて過ごしながらも、それでも自分さえいれば何かあってもどうとでもなるだろうと信じていたのに。

 その気になれば何だってできると思っていた、どこへでも届くと思っていた手から。

 

 命が、どうしようもなく零れ落ちていく。

 

『よかった』

『シュウくんが生きてて、本当に良かった』

 

 なんで、どうして。

 自分は。ずっと、ずっと守っていたかった、守るつもりだった少女の後ろにいるのか。

 紅く滲んだ世界のなかで、目に涙を溜めて。己を守るように、庇うようにして魔女と相対するいろはの姿に。どうしようもなくどす黒い感情が燃えるのを自覚する。

 

 不甲斐ない自分が。

 あまりに……情けなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「──シュウくん?」

「……ん」

 

 間近からかけられた声に反応すれば、少年と向かい合うようにして移動させた席に座るいろはが気遣うようにこちらを見守っていて。彼女の瞳が心配そうに揺れるのに、思わず顔をしかめて首を降った。

 

 ──何やってんだ俺、わざわざいろはに相談に乗って貰ってるのに……。

 

 放課後。ホームルームを終え生徒たちが家に部活にと立ち去って人気のなくなった教室で、いろはに引き留められたシュウは数日前に生じたある問題に関して恋人と情報を共有し合っていた。

 ……現状なんの手がかりも見つけられていない以上は、それもあまり有益なものにはならなさそうではあったが。それでも、何もやらないよりはまだマシだと思えたし……今ではひどく重苦しい空気となった我が家で過ごすよりは、内容こそ憂鬱なものであったとしてもいろはと過ごす方がまだ気が楽だと素直に思えた。

 

「……ごめんな、話してたのに。少し、ぼうっとしてた」

「ううん、大丈夫。大丈夫だけど……シュウくん、凄い顔色が悪いよ。保健室に行った方が良いんじゃないかな」

「……そこまでかあ」

 

 物心ついては病院にお世話になったことはとんとないんだがなと苦笑する。この無駄に頑丈な体の数少ない利点が風邪もアレルギーもまずないという点であり、走れば多少寝坊したところで余裕をもって学校に着くこともあって小学校の頃は無遅刻無欠席、中学でもこのまま達成できそうだったのだが──心労ばかりはどうにもならないらしい。先生に注意されて早退されてもしょうもないし気を付けないとなと冗談めかして笑ったが……いろはは曇った顔のままだった。

 誤魔化さないでと糺すでもなく、シュウの抱えこむ問題に対して過剰に反応をするでもなく。ただ悲しそうな顔をして見つめてくる恋人に、少年もまた無理に取り繕うのをやめお手上げとばかりに両手を上げた。

 

「その、シュウくん。……そんなに、酷いの?」

「……どうだろうなあ。まあ、いつも通りとはいかないのは仕方ないと諦めてるけど。家のなかの空気は、俺の知る限り最悪だよ」

 

 ──母さんが、桂城理恵(かつらぎ りえ)が帰ってこなくなって、5日が経った。

 

 彼女と最後に言葉を交わしたのはシュウ。予約していた美容院に行ってくると口にし午後家を出てから、彼女が戻ってくることはなくて。美容院を出てから買い物をしていたという母とメッセージのやりとりをしていたという智江も、夜になってからは既読のひとつもつかなくなったと愚痴をこぼしていた。

 そうして彼女が帰らぬまま深夜になって。夕食の時間になっても帰ってこなかった時にはまだ楽観的に捉え然程気にしていなかったシュウも、父親も、智江も──。家族で電話やメールの送信を幾度となく繰り返し躍起になって連絡を取ろうとしていたが、理恵がそれに反応することはついぞなかった。

 大切なものは失ってから初めてその大きさに気付くというが……たった一人いなくなっただけでこうも違うのかと、ここ数日の家のなかの様子を思い出して力なく笑う。

 二晩が過ぎたあたりで「多分理恵は死んでるよ」などと最悪極まる予想を口にしてキレたシュウや彼の父と罵り合った智江は理恵の死を騙りながらも彼女を探すように夜な夜な徘徊し。

 シュウの父親は何を吹き込まれたのか、悲嘆に暮れ酒に走って。最低限『いつも通り』に振る舞いつつも、仕事を終え家に帰っては浴びるように酒を飲んで酔い潰れる日々を送るようになっていた。

 

 どちらも、自棄になって周囲に当たり散らすようなことはしていない辺りまだ安心ではあるが。それはそれで、溜め込んだ鬱憤が許容を超えたときに派手に爆発しそうな不安感があって素直に喜べるものでもなかった。

 

「……まあ、1回言い合ってからは静かなもんだよ。警察にだって捜索願を届け出たばかりだし、母さんがいなくなった心当たりすらないのに今の段階からどうこう言っても仕方ないからね」

「……信じられないよ。理恵さんがいなくなったことだってそうだけど──だって、なんで智江お婆ちゃんが……」

 

 沈黙してシュウの話を聞いていたいろはだったが、やはり思うところはあったのだろう。動揺も露わに声を震わせた彼女は、混乱したように首を振ると少年を見上げて問いかける。

 

「シュウくん……お婆ちゃんは、その。理恵さんが死んじゃったなんて、本気で言ってたの……?」

「冗談で許される言葉でもないだろ。……いや、俺も最初に聞いたときは真面目に怒ったけどさ」

 

 じゃあもし理恵に、何か不測の事態が起きて家に帰れなくなるような事情があったとして。お前は本気で、母親が家族に対して何も言わずにいなくなるような人間だと思うのかと、そう言われてしまえば──何も言い返せなくなってしまうのも、事実だった。

 

「それ、は……」

「事故に巻き込まれたってことも、今のところはなさそうだしねえ。となるとまあ考えられるのは誘拐だとか、あとは浮気……いや、それはないか。もうやめるわ憂鬱になる」

 

 ……浮気しての駆け落ちが、それこそどこかで野垂れ死なれてるよりはよっぽどマシなのではないだろうかと思わないでもないが。まずそれはないだろうと可能性から除外する。

 もし誰か、母親と深い仲を形成する男性が居たとして、それと駆け落ちするという選択を選んだとして。それを、誰にも言わずに姿を消すような不誠実な人間では絶対にないとシュウは確信をもって言えたし──もし本気でシュウや夫から隠れてそのようなことをしようとしても、理恵が学生の頃から親密な仲であったという老婆の目を誤魔化すのはまず不可能だろうと確信を持てた。

 

 考えれば考えるほどもう二度と母親と会うことができないような気がしてきて、眉間に皺を寄せて陰鬱に息を吐く。

 

「あーー、本当……死んでそうで、嫌になるなあ。いっそ覚悟決めた方が良いのかも─―」

「――それは、駄目だよ」

「……いろは?」

 

 諦観混じりに呻くシュウの悲嘆を遮るようにして放たれた言葉に前を向けば、目の前で悲し気に、けれど確かな否定の意を籠めていろはが自身を見つめていて。

 

「どれだけ不自然なことだったとしても、どんなことを聞いたのだとしても、それだけは――シュウくんだけは、そんなこと言っちゃだめだよ。まだ何もわかってないのに、シュウくんがそんな風に諦めちゃったら……理恵さんだって、帰るに帰れなくなっちゃうよ……」

「……ッ。俺、だって――俺だって、好きでそんなこと言った訳じゃないよ。だいたい……っ」

 

 ――いろはに何がわかるのだと、お前はあくまで部外者だからそんなことを言えるんじゃないかと反駁しようとして。

 つい険しくなってしまったシュウの視線に怯みながらも、それでも譲りはしなかった彼女の顔を見て口を噤む。

 桃色の瞳に涙さえ浮かべて彼を見つめるいろはの目は、どこまでも真摯だった。

 

「……ごめんね、大変な思いをしているのにそんなこと言って。でも、それでも……」

 

 沈黙して彼女の言葉を聞く少年は、目を潤ませるいろはに。今の今まで失念していた事実を思い出す。

 この幼馴染もまた、向かいの家に住む少女たちを娘同然に可愛がっていた理恵に懐いていて。それこそ家族のように思って、自身の母親と仲良く話していたことを。

 

「……わかった、わかったよ。もう、何もわかっていやしないのに諦めるようなことは言ったりしないから。……ごめん」

「……ううん、私こそごめんなさい。一番辛いのはシュウくんなのに……何かできることがあったら言って? お母さんもお父さんも、ういも、私だって。理恵さんが見つかることを願ってるのは同じだから……」

「………………うん。ありがとな、いろは」

 

 向かい合わせになるよう移動させていた席を戻すと、鞄を背負っていろはと並んで教室を出る。窓から夕陽の差し込む廊下を歩けば校庭からはシャトルを打ち合うバトミントン部の掛け声が聞こえた。

 活気ある掛け声に合わせ響くラケットで打ち合う音。通りがかった教室では演劇部が高らかに声を出して劇の練習をしているようだった。正面玄関で靴を履き替えるいろはを待ちながら校内で多くの部が活動しているのだろうことを想像すると、何となく気が滅入って重々しく息を吐く。

 

「……あーあ。剣道部もなあ、顔出しづらくなったからなあ。どうしたもんか……昨日きたときかなり酷い態度して雰囲気悪くしちゃったからなあ」

「それは、謝らないとね。……部活の皆も、理恵さんのことは知ってるの?」

「どうだろ。部長と顧問は知ってる筈だけど他はなあ、噂を又聞きした程度なんじゃないかねぇ。師範のところにも婆ちゃんが母さんを探すとき声をかけようとしたらしいけれど、あの人も入院してるらしいからなあ。嫌なことは重なるもんだね」

「道場に倒れてたらしいね……? 良くなるといいんだけど……」

「いや本当に話聞いたときびっくりしたんだけどね。まさかあの人がなあ……、持病とかあったのかもしれないけれど全然そんな違和感感じなかったよ」

 

 見慣れた街並みのなかをゆったりと歩いていく。

 中学に進学するにあたって幾つか存在した選択肢のなかでもシュウたちの通う学校はやや家から離れた位置にある。時間に余裕がないときや雨が降っているときは電車を使わないでもないが……それでも徒歩で十分通える範囲だ。人通りのまばらな通学路を一緒に歩いていると、既に家に一度帰ったのか私服姿のクラスメイトが自電車をとめ信号待ちしていたようだった。

 こちらに気付いた彼はシュウといろはに気付くと目を丸くし、次いで笑顔になって手を軽く振る。

 

「よぉシュウ、いろはちゃん。夫婦揃って帰り? 」

「ふう、ふ……」

「よしてくれよいろははそういう冗談もまだ慣れてないんだから。あと結婚はあと3年くらい待たないと駄目だからまだ夫婦じゃないぞー」

「しゅ、シュウくん……!?」

「……まだ、かあ。お前そういうところ変に強気だよな、2人きりになると肝心なところでヘタれるくせに――やっべ俺ゲーセンで町田たちと待ち合わせしてるから行かなきゃー!」

「は、おまこの……逃げるなア!」

「ふはははは何度も絞められそうになったら学習するわ! いろはちゃん置いて追ってこれるか――うわ来るな来るな怖いわ!」

「ったく……」

 

 好き勝手言っては自転車をこいで走り去る友人を見送って鼻を鳴らす少年に、気軽な言い合いを見守っていたいろははくすくすと微笑みながらも頬を熱くしていた。夫婦呼ばわりに少し思うところがあったのか、街を照らす夕日の陽射しを浴びてもわかるくらいに頬を色づかせていた彼女は、シュウの顔もまともに見れぬま目を泳がせる。

 

「……シュウくん。そうやって言ってくれるのは嫌じゃないけれど、その、他のひとに揶揄われるよりずっと恥ずかしいから……」

「俺だって恥ずかしいものは恥ずかしいんだぞ。でもなあ、どいつもこいつも油断ならなくって牽制は欠かせないからなあ」

「えぇ……ひゃわぁ!?」

 

 あとは、いろはがちょっと無防備すぎるのも深刻な問題だった。

 伸ばされた腕に肩を抱かれると手頃な路地まであっさり引き寄せられ、彼の腕のなかで目を白黒させては顔をだんだんとのぼせたように赤くさせる少女に口元を緩めたシュウは、1本に結わえられた桃色の髪から覗く白いうなじに顔を埋めて微かに漂う甘い香りと温もりを堪能する。

 

「な、しゅ、シュウくん……! くすぐった……待って誰に見られるかわからないから……ひゃあ!? ――シュウくん?」

「……あーやだ。ほんっと憂鬱になる……いろはぁ俺帰りたくないよ、このままいろはの家行って良い? というか泊めて……ほんとあそこ今最悪の空気だから……つらい……」

「シュウ、くん。……それは、良いけど、でも――ぁ」

「?」

「今の、魔女の――ごめんシュウくん!」

「えっ」

 

 少女の細腕によるものとは思えない想定外の力で腕を引き剥がされた少年が困惑するなか、シュウの腕から逃れたいろはは今まで彼が見たこともない早さで走って恋人から離れていく。

 

「ごめんシュウくん、急用ができちゃったから先に帰ってて! ういも心配してたから家に来るなら顔を見せてあげてね!」

「ぇ、それは別に良いけれど――いろは!?」

 

 たった今いろはが発揮した今まで見てきた幼馴染とは比べ物にならない身体能力に対する疑問を気のせいと断じることはできなくて。あっという間に路地の奥へ消えていったいろはに困惑を滲ませるシュウだったが、やがて嘆息すると肩を落として帰路につく。

 一人きりになると、見慣れた通学路も随分と寂しく感じた。

 

「……あー、警察といろいろ話もあるだとかで父さんも今日は休みだったんだっけか……つっら……」

 

 ほんと、嫌になるなあと溜め息を吐いて。さぞピリついているであろう我が家が見えてくると、顔を合わせたときのことを憂うように顔を曇らせた。

 ……いっそ、他人を巻き込みさえしないならば盛大に爆発してくれた方がまだマシなのだ。それならばまだ同様の苦痛を覚えた者として受け止められるし、こちらも存分に欝憤を吐き出すことができる――、けれども現状、父親も同居する老婆もひたすら溜め込むばかりで。表面上はいつも通りを取り繕いながらも張り詰めたな空気を漂わせるものだから流石に堪えるものがあった。

 

「……? なんだ、これ」

 

 荷物だけ部屋に置いたらいろはの家に避難しようかなとぼやきながら家の前で立ち止まって。鍵を開けたシュウの知覚を刺激した奇妙な感覚――まるで巨大な生き物が自身のすぐそばで身を潜めているかのような圧迫感に目を瞬く。

 とはいえ、首を傾げて何度か外から確認しても、やはりそこにあるのは普段と変わりない我が家で。疑問符を浮かべながらも、ひとまずは帰らないとどうしようもないと扉を開く。

 

 直後、世界が塗り潰された。

 

「……あ?」

 

 少年が立ち竦む場所は家の玄関ではない。下駄箱もなく、リビングやバスルームまで続く廊下もなくて、自室へ繋がる階段も背後にあった筈のたった今開いたばかりの扉さえない。自宅と結びつく要素は周囲から忽然と消え失せていた。

 代わりに彼の目の前に広がるのは、大理石を思わせるような白い石材で構築された大きな広間で――、家に帰った筈がこのような場に放り込まれた事実にシュウの思考が停止する。

 

「え、なんだこれ……え……? どうして、俺は間違いなく家に――そうだ、父さん」

『――おかけになった番号は現在電源が入っていないか、電波が届かない場所にありま――』

「……クソ」

 

 家に帰った筈が見覚えのない場所に唐突に足を踏み入れていた以上は、父親や老婆もいるはずだと携帯を開いて家族と連絡を取ろうとするが……繋がらない。

 胸中の不安を押し殺すようにして舌を打った少年は、携帯を閉じるとひとまずは出口を探すべく広間を見渡す。円形の広間は足元を構築するものと同じ白い石壁に囲まれており、出入り口らしき空間は正面のひとつだけだった。

 試しに1発、2発、3発と壁を殴りつけてみたが……全力で叩きつけた拳でようやく壁に罅割れが走ったのに渋面する。とてもではないが脱出の手段に採用するには非効率的すぎると切り捨てて広間を出た。

 

「にしても一体なんなんだここ……アニメやら漫画の世界にでも迷い込んだみたいになってんな……」

 

 白い石材によって構築された回廊も広間も、みれば随分と奇妙なものだった。

 灯花のような頭脳を持ち合わせている訳でもないしうろ覚えでしかなかった知識では正解とは断じて言えなかったが……例えば大理石によって建てられた神殿やらの石材は大概が四方形に削りだされた大理石が幾つも組まれて構築されていたはずで、それも床や足場に限定されていた筈だ。だが今シュウの移動する回廊にも、先程までいた広間にも石材を組み合わせたような痕跡も分かれ目もなくて――触れた感触も、磨かれたガラスに触れたかのようなツルツルしたものだった。

 

 ……これでは寧ろ建物というより、どちらかというと洞窟のような――、っ!?

 

 そんな思考を遮るように、聴覚が捕らえた人の気配。

 ――父さん?

 目を見開いたシュウは、回廊の先の分かれ道を迷うことなく進んで耳に届いた呻き声に向かって突き進んでいったが――背後からずるりと通路に躍り出た何者かに視線をやると、その異形にいよいよ顔を強張らせる。

 

「得体のしれない迷宮に、モンスター……これまた随分と――うぉ!?」

『箕ヂ致致――!』

 

 いろはくらいなら簡単に丸呑みにしそうなくらいに太い長躯を蠢かせ飛び掛かった蛇のような怪物――それが()()を開いてずらりと鋭い牙のならんだ口腔を剥き出しにして迫ってくるのに悲鳴をあげた。咄嗟に頭を庇うように腕を掲げ、直後にぶちぶちと肉を裂くいやな音が響く。

 

「づ、ぁ――!? この、はな……せ、糞……!!」

 

 腕で爆ぜた激痛に目に涙を浮かべ引き剥がそうとするが、腕に噛みついて深々と牙を食いこませた食人花はなかなか離れなくて。歯を食いしばったシュウは、己の腕に食らいつく食人花の顎を空いた腕で掴むと、口腔のなかで牙を突き立てられている腕にも力を籠める。

 動かなくなる顎。花弁を開いた食人花は危機を察したように脱け出そうとしたが――もう遅い。噛ませた手で牙ごと口腔を握り潰し身動きを封じると、両腕に溜め込んだ力を爆発させる。

 

『看箕gッ、芭』

「死ね……!!」

 

 顎を裂く。

 顎から強大な力で真っ二つに裂かれ崩れ落ちた食人花の前で荒い息を吐くシュウは、食らいつかれた片腕から奔る激痛に顔を歪めさせた。

 

「いっづ……」

 

 皮を裂き肉を抉られた左腕は動かせないこともないだろうが……それでも万全ではない。3日は包帯を外せないだろうなと呻きながら、少年は奥へ進む。

 そのとき前方から響いたのは、如何なる意味をもつのかも判然としない異形の笑い声で。それを聞いたシュウは、背筋が凍り付くような悪寒を覚えて硬直した。

 

『――――イ事M、パ』

「……おい、待てよ」

 

 だって、そこには、その先には間違いなく家族がいる筈で。蒼白になった少年は、全力で走り出そうと白い足場を踏みしめて。

 その目の前で、目の前の広間から少年を遮るように炎が爆ぜた。

 

「――な」

「こふっ、がはっ……」

「父さん!?」

 

 燃え盛る炎のなかから倒れ込んできたのは、火の粉ひとつ浴びていないシュウですらたじろぐような熱量のなかで火傷ひとつ負わずに、けれど赤黒く袖を染めた片腕が奇妙な方向に折り曲げられた男性で。

 目を見開いたシュウの悲鳴に、ひどく腫れた目をうっすらと開いた彼は呻き声をあげた。

 

「シュウ、か……俺は、まもら、れ――まず、早く逃げないとあいつが」

「父さん喋るな! 嘘だろどうなってんだよこれ、俺が背負うから早く」

「俺は、いい。お前も怪我してるだろう」

 

 そう呟いて何かに気付いたように目を見開いた彼は、手を伸ばして。それを肩を貸して欲しいのだと解釈したシュウもまたその手を取ろうとしたが――、ドッと、伸びた腕に肩を押され倒れ込む。

 

「えっ」

「シュウ、逃げ――がっっ!?」

 

 勢いを弱めた炎の奥から伸びた槍。

 黒い、黒い枝先が、直前まで少年の居た場所を――シュウを突き飛ばした父親の胸の中心を、深々と貫いていて。

 彼もまた、呆然としたように己の心臓を貫いた、赤黒く染まった枝を見下ろして。

 困ったように、笑った。

 

「あ。……しまったなあ」

「待っ、父さ――」

 

 直後、胸部を穿たれた彼ごと、伸びた枝が一気に縮んで。

 置き去りにされ呆然と焼けた広間に消えていった父親を見送ったシュウは、弾かれたように走り出す。

 

 なんで、やだ、ふざけるな、どうして──!!

 

 思考が定まらない、意識が揺らぐ。何も見なかったことにしろ、今すぐ立ち去って逃げろと囁く理性を捩じ伏せて。通路を飛び出し、待ち構えていた食人花を拳ひとつで打ち砕いた先。

 見た。

 

 ぐったりと首を折った父親を打ち捨てた。女性らしいシルエットを黒い樹皮で覆った、6m近い巨体をもつ怪物を。

 ぴくりとも動かずに倒れる男性から広がる血だまり。その中心に君臨する怪物は──立ち竦むシュウに視線を向けると、嗤った。

 

『a嗚呼、蘿M-*★△……La、阿』

「──ふざけるなよ」

 

 大丈夫。

 まだ立てる。

 何があっても止まってやるものか、こいつだけは、こいつだけは殺す殺すぶっ殺してやるどんな手を使ってもあの面を粉々に砕いて叩き潰して殺してやる死ね、死ねお前だけは、お前だけは、絶対に──、

 

 直後。視界が紅く染まって、暗転した。

 

 


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