環いろはちゃんと共依存的にイチャイチャしたい人生だった 作:風剣
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携帯の画面を閉じた。
端末を机の上に放った少年は、ベッドに身を投げ出すと片手で顔を覆う。
1、2時間ほど前までは階下では通報を受けて駆け付けた警察官の行き来する物音がひっきりなしに響いていたが、その大半は既に引き上げていた。今この家に居るのは鑑識を中心とした現場の確認をする人員に限られているのだろう、人気も少なくなり事情聴取からも解放され、部屋に一人になると。
段々と、胸の奥でこみあげる感情があった。
「……畜生」
顔を覆う片手を掲げる。
潰れた拳も、歪んだ指も、裂けた腕も。家族を殺した魔女によってつけられた傷は鈍痛と青痣だけ残してすっかり消えていて。
座標そのものは間違いなく家にあった筈の白亜の迷宮もまた、黒樹皮の怪物が討たれると同時に崩れ落ち跡形もない。
家のなかの惨状――リビングや智江の私室に広がっていた血の跡やとある置き土産も、時間を置けば元通りになるだろうけれど、それでも。
どうしようもない欠落があった。
取り返しのない損失があった。
もう、家族は誰もいない。
シュウは、ひとりぼっちだった。
「……畜生」
結論から言うならば。
少年は、得体の知れぬ怪物になんの痛痒を与えることもできずに蹂躙された。
『Rrリリ吏Rィ浬――』
『クソ……くそ、くそっ、くそ!! なんで、なんで……! 何なんだよお前――ぎぃっ……!?』
『D84、DOゥ趾Tあ埜――?』
拳を叩きつけても、回り込むように疾走して死角から飛び蹴りを打ち込んでも。この社会のなかで散々持て余した力の全力をぶつけても相手の巨体を僅かに揺らすのが精々だった。
怪物の体表を覆う樹皮を削るとともに拳が軋んで。人生初めての
そうして血みどろになって転がった先では、槍のように伸びた枝に串刺しにされた老婆がいて。白壁に縫い留められるように肩を穿たれた家族を見た少年は、明らかに致死の傷を負った彼女の姿に絶句して掠れた息を漏らした。
『……ぁ? しゅ、う?』
『――ばあ、ちゃん』
『……なんだ、シュウ……まだ、居たのかい。早くお逃げ……ぃがッ、っ――』
『ふざけんな、ふざけんなよ。どうして婆ちゃんまで……!? 待ってくれ婆ちゃん、今助け――邪魔だ糞っっ!!』
『Z哩ィ……!?』
白い迷宮の主の手下なのか、じりじりと迫りつつあった食人花を強引に踏み潰して。死んでもこの人には触れさせるものかと吼える少年に、目を瞬いた智江は口端から血を流しながらくすりと笑って。
『逃げなさい、シュウ』
『わたしは、もうだめだ』
『……! そんなことない、その枝さえ抜いてしまえば──』
『出血で私は死ぬねえ、血も流しすぎたからこれ以上はもうどうにもならんし。だからわたしは、もう良いんだよ』
『──やだよ。大丈夫、すぐに病院に連れていくから』
ごめんねえと、申し訳なさそうに眉を下げる彼女の微笑みを見ていられなかった。
迫る食人花を捕らえては鞭のように振り回し牽制する少年は、視界を溢れる涙で滲ませながら、現実を受け入れるのを拒絶するように首を振る。
『どうして、こんな』
『巡り合わせが悪かっただけさ、気にすることはない。わたしももう、十分すぎるくらいに生きたさ』
『なん、で。そんなこと言うなよ、母さんだって父さんだっていなくなったのに、婆ちゃんまで──』
『…………そうだね、理恵もいないからねえ。まあ……寂しければ環さんとこを頼りなさいな。押しつけるようで申し訳ないけどねえ……』
やめてくれと、喉を震わせてよびかけても老婆は素知らぬ顔で。
血に濡れた手を伸ばして、少年の頬に触れては顔をくしゃくしゃにして笑う。
『お願いしたいこともあるけど……まあ、良いや』
『わたしは、あの娘ほど図太い訳でもなくてねえ。ごめんねぇ、最期に……気の利いたことも、言えないで……』
『ひひっ、ひ。ういたちには、謝っておいて、おいてね。料理を教える約束、まもれそうに、な──』
『あ、あ。ああああああ』
『なん、で? どうして、みんな……いやだよ、ひとりは、いや──、ヅぅっ……! ?』
『mm@6滋!』
『お前……お前……!!』
悲嘆に暮れる暇はなかった。感情の矛先を見定めたシュウは己に襲いかかった食人花の顎をかち割ると片手で振り回していた長躯をぶち当てる。黄緑色の身体を跳ねさせた食人花は他の個体を巻き込んで転がった。
『──!』
『お前は……お前だけは、絶対に──』
赤黒く滲んだ視界の奥。樹皮の割れた巨体に黒枝で編みこまれたドレスを纏っては蔓を伸ばし少年を捕らえようとする怪物に、罅割れた拳を固く握りしめる。
その姿が、ぶれた。
『慕、z黄? ――ィ荏』
蔓で捕らえ損ね姿を消した少年に視線を彷徨わせ獲物を探した怪物、その無貌の頭部に拳が叩き込まれる。
己に迫る蔓をかいくぐり最短最速で向かったのは怪物の足元――張り巡らされた黒枝や根を足場に、腕や胴には食人花から剥いだ牙を突き立てるようにして巨体を駆けあがったシュウは、硬い樹皮とともに砕ける拳にも構わず幾度となく魔女に打ちつけて。
伸びあがった蔓に腕を捕らえられ、腕の関節から嫌な音を響かせ呆気なく投げ棄てられる。
『かっっ、あ゛ぁ――、くそ……』
『ジ■■雅Rヲ……!』
気付けば周囲は食人花によって囲まれていて。目の前では地響きと共に激高した様子の黒樹の女王が迫り来ていて。砕けた腕を庇いながら立つシュウは、荒い息を吐きながら目を細めた。
『――し、ゃる』
殺してやる、そう吐き捨てようとして――言葉も碌に発せないくらいに打ちのめされてしまっているのを、この局面になって自覚する。
とっくに限界を超えていた。
もはやここまでくると執念と殺意だけでようやく立っているだけの木偶に過ぎない。拳を作ろうとしても痙攣するだけの手を見下ろした少年は――迫る怪物の巨体を、呆然と見上げることしかできなかった。
『……くそ』
刹那――認識の外から放たれた矢が、シュウに迫っていた食人花を撃ち抜いた。
『v濡■餌ッ!?』
『棄rw箕☆GiG!?』
『――ヰRRRRR、Z妓GG■!?』
『……な』
次々と配下を穿っていく桃色の矢。縄張りに侵入していた何者かに向け黒枝を放った異形は、直後に頭部に矢の連射を受けその巨体を傾けた。
どれだけの攻撃を加えようと怯みもしなかった怪物があっさりと倒れるのを少年は呆然と見ていて。体から力が抜けてがくりと膝を折った彼は、前方から駆けつけた闖入者にその身を受け止められる。
『――シュウくん!!』
『いろ、は?』
ずっと一緒に居た幼馴染の、恋人の声を聞き誤る訳がなかった。
だけどその声は、自分を抱きとめる華奢な身体は、眼前の怪異と戦うにはあまりにも不釣り合いな筈で。うわごとのようになんで、どうしてと繰り返すシュウに息を呑んだいろははその桃色の瞳を濡らすとボロボロになった彼をそっと横たわらせると出血の一番激しい腕の傷に手をかざす。
淡い光とともに傷が癒えていくのに目を剥いて、混乱の極致に陥りながら少年はぱくぱくと口の開閉を繰り返す。
その額に滴り落ちた、一粒の透明な雫が弾けた。
『ごめん、なさい』
『守れなくて、間に合わなくて。ごめんなさい』
『でも、よかった』
『シュウくんが生きていて、本当に良かった』
――いろは?
言葉にならなかった呼び声に、少女は頬に一筋の水滴を滴らせながらもどうにか笑みの形を作って。涙を拭いながら、最低限の治癒を施した少年に背を向ける。
地の底から響くような唸り声。頭部に矢を浴び倒れていた黒樹の女王が起き上がる。
先の一撃が余程堪えたのか、その巨体をぐらつかせて起き上がった怪物に……魔女に、少年を庇うようにして得物のボウガンを構えて。魔法少女としての白い外套を翻したいろはは、魔女を見据えながら魔力で構築された矢を装填する。
『少しだけ、待っててね。――絶対に、助けるから』
――そうして、少年は助け出された。
主を討たれ崩れ落ちた白い迷宮から脱出すればそこにあったのは普段となんら変わらない我が家で。治癒の魔法をかけられながら、家族を殺した怪物が魔女と呼ばれる存在であること、恋人が魔法少女になって魔女を倒していることを教えられた。
信じられないという思いはなかった。いろはが来るまであの化け物に憎しみのままに戦って……いいように甚振られていたこともあって今更彼女の言葉を疑う気にもなれなかったし、何もできなかった自分の手から零れ落ちていく命の感触は間違いなく本物なのだと、痛いほどに理解していた。
治療を受けたシュウは、ひとまず自宅に転がった亡骸を放置してはおけないと警察に通報して。よく懐いていた智江や家族ぐるみで外出したときにういと一緒に面倒をみてもらったというシュウの父親の死に動揺するいろはを家に帰し駆けつけた警察の事情聴取を数時間かけて終わらせたシュウは、夕飯を摂る気にもなれないままベッドの上に転がって天井を見上げる。
「……」
思い浮かべるのは、幼馴染の顔だった。
自分を受け入れてくれた女の子。自分が今まで守っていた幼馴染。自分が今まで、そしてこれからも大切にしようとしていた恋人。
どんな顔をして会えばいいか、わからなかった。
――いろはを庇って前に出ることに疑問を抱いたことはなかった。だって彼女は優しいけれど気弱で人見知り、少し臆病なところもあったから。いつだって彼女は自分の後ろにいたし、それを不満に思うこともないまま当然のものとして受け入れていた。
性質の悪い輩に絡まれたときも、シュウとの仲に関してしつこくクラスメイトが聞いてきたときも、初対面の人間と話すときだって。いつだっていろはは、自分に引っ付いていたのに。
いつの間にか、前に行かれてしまっていた。
少年ではほとんど傷を負わせることのできなかった魔女を、いろはは負傷した彼を庇いながらどうにか打ち倒して。
何の持ち合わせもなかった少年ではどうしようもなかった全身の怪我も、いろはは魔法で治してのけた。
少年では到底できないようなことを彼女は為せるようになっていて、それを悔しいと、寂しいと思うと同時、少年にとってあのとき現れた彼女は――
あまりにも、■く思えた。
「……クソが」
胸中を占めるのは不甲斐なさか、恐怖か、
毛布にくるまる少年は、悪夢に魘されながら眠りにつく。
翌週。1週間学校を休み、両親が、家主の老婆がいなくなったことで生じた様々な問題の処理を終えいろはを呼び出した彼は――魔法少女をやめろと、そう口にした。
***
「ぇ……?」
どうして、と。そう呟いた少女の言葉に、どうしてもこうしてもあるかと隈の浮き出た目元を揉み解しながらシュウは唸った。
「恋人に好き好んでバケモノ……魔女なんぞと命がけで戦わせるのを認められるわけがないだろう。願いを叶えるだなんて謳い文句に乗ってういの病気を治したのは良い、良いけど……もう、魔法少女として魔女と戦うのはやめてくれ」
「ぇ、でも……ぜんぜん平気だよ!? もう魔法少女になってから何度か魔女と戦ったけれど今のところ全戦全勝をしてて――」
「一回でも負けたらその場で殺されるかもしれないってことは理解してるのか?」
「――それ、は」
「魔法少女だって不死身って訳でもないんだろう? それこそ子ども向けのアニメのように強敵が現れても都合よく強力な味方やアイテム、必殺技がでるわけでもない。何もできずに殺されるかもしれないんだ」
――確かに、弱い魔女ばかり都合よく現れてくれるなら認めても良い。でもそれだって、ミスひとつで命の危険に陥る可能性もあるんじゃないのか。
どこか虚ろに、けれど確かな意思をもってそう糺すシュウに、いろはは何も言い返せなくなる。
「いろはも見ただろう、父さんと婆ちゃんを。警察のひとだって人間どころか飢えた獣ですらあんな傷を負わせられやしないって悲鳴あげてたよ。――大切なひとがみんな、あんな風に化け物に殺されるだなんてこと、考えたくもない」
もう、俺にはいろはしかいないから。
もう、二度と大切な人を失いたくないから。
だから……頼むから魔女と戦うのはやめてくれと、そう懇願する少年の眼差しに。
いろはには、頷くことしかできなかった。
そうして、二度と取り戻されることのない欠損を抱えながらもまた日常は戻る。
……けれど、それは本当に、本当にあっさりと崩れ落ちる程度のものでしかなくて。
ある日の夜。いろはが帰ってこないと、彼女の母親から声をかけられた。
次で
次回、「断絶と再起」