環いろはちゃんと共依存的にイチャイチャしたい人生だった 作:風剣
学校には、3日と経たずに行かなくなった。
家族の死について知った学友や教員に腫れ物を触るような扱いをされるのも、遠巻きにこちらを見てはひそひそと好き放題に出鱈目な噂を囁かれるのも、好奇心に忠実に突っ込んでくる輩にしつこく付きまとわれるのも、うんざりではあったが――絶交したばかりのいろはと顔を合わせるのが、今の彼にとっては一番の苦痛だった。
『あ、シュウくん……。お、おはよう! あ……』
『……シュウ、くん。ご飯、よかったら一緒に――うん、そうだよね。駄目だよね。ごめんなさい……』
『――、あ。シュウくんも、買い物? あ、待っ』
登校のときも、昼食のときも、気晴らしに買い物にいったときも。なんでああも行く先々で逢うのか、疑問に思わないでもなかったが……考えてみれば、あの幼馴染とも10年近い付き合いなのだ。元々住まいが向かい合わせになっていることもある、長い時間のなかで行動範囲がほぼ重なってしまっている以上、意図せぬ形で遭遇することとなるのも仕方ないものがあるのだろう。
……それが、いつも通りの関係性であれば素直に喜べもしたのだろう。なんなら予定外のデートくらいはしていたかもしれない。――今となっては、ただただ気まずいだけなのだが。
とうに関係も断たれた筈なのに、もういろはのことなど気にしなくても良い筈なのに。シュウがそっけない対応を取る度に顔を曇らせていた少女を思い出す度心がかき乱される。
恋慕と後悔、親愛と悲憤、憂慮と煩悶。
彼女の顔を見る度に、声を聞くたびに。少年のなかで今にも爆発しそうな感情が渦巻いて膨れ上がる。口をまともに開いてしまえばもう抑えが効かなくなるかもしれないという危惧があった。
だから、距離を取る。
それが何よりの最適解だった。
彼を見れば、少女は自分が間に合わなかった、助けることのできなかった犠牲者を思い出す。
彼女を見れば、少年は何もできなかった自分の無力感と不甲斐なさを突き付けられる。
干渉も、接触も、衝突も、何もかもが逆効果。互いが逢えばもう傷つけあうことしかできない――だから、これが最善。最善である筈なのだ。
けれど、と。机に貼り付けられた幾つもの写真を見ながら、机上に肘を乗せるように座る少年は想う。
部屋から出るなり崩れ落ちて泣きじゃくっていた彼女を思い出すたびに、胸が苦しくなるなら。
大切なものが喪われたあとから駆けつけて魔女を討った後ろ姿を思い出すたびに、どうして間に合わなかったんだと憎悪を吐き出しそうになるくらいなら。
引っ越しでも転校でもして一から全部やり直すための準備をしなければいけない今、こんな情動に振り回される訳にはいかないのに。ずっと一緒に居た少女の笑顔を思い出すたびに、こんなにも心を軋ませるくらいなら。
いっそ、全部忘れられたなら。どんなに良かったことか――。
玄関のチャイムが鳴ったのが聞こえた。
階下から響いた電子音。物思いにふけっていた少年は、郵便なら受け取りに行かないとと思いながらもなかなか立ち上がる気にもなれず。普段なら応対に行ってくれていた家族ももういないという事実に打ちひしがれながらも、沈黙して居留守を決め込んでいると――がちゃりと、扉の開く音が聞こえた気がした。
「……は?」
腰を下ろしていた椅子をガタつかせながら立ち上がった少年は、咄嗟に武器になりそうなものを探して部屋の隅に突き刺さった黒枝に目を向けたが――忌々し気に口元を歪めて仇の置き土産から意識を外すと、気配を忍ばせながら階下の侵入者へと近づいていこうとして。そもそも空き巣や強盗ですらない可能性にようやく思い当たって膨れ上がった殺気を鎮めた。
家主であった智江に肉親はいない。老婆や母親に可愛がられていつでも来なさいねと言われていた環家の姉妹以外に合鍵を持っている者も居らず、そして鍵を無理にこじ開けたにしてはあまりに早すぎた。
まず間違いなく身内だろうと部屋を出た少年が玄関へと向かいながら思い浮かべたのは、姿を消した家族の姿で――、
「あ……、お兄ちゃん! 良かったぁ、やっぱり居た! 顔色悪いけれど大丈夫……?」
「……うい、か」
意気消沈するのを顔に出さぬよう押し殺し。それでも予期せぬ来客の存在に動揺するのを自覚しながら、退院して早くも一月近く過ぎた少女を迎え入れた少年はリビングに彼女を案内する。食材の少ない冷蔵庫を開いてはジュースを注いだコップを出すと、ういは顔を輝かせて受け取った。
「わあ、ありがとうお兄ちゃん!」
「……ん、別にいいよ」
智江が、ほとんど家族のように思っていた家主の老婆が孫同然に可愛がっていた少女。魔女に身内が殺されてからは後処理に追われていたこともありなかなか落ち着いて話せてなかったなと思い出し、懐いていた老婆の死を彼女がどのように受け取っているのかも気になったが……どんな用でこちらに来たのかもわからないのに暗い話題で空気を悪くするのも褒められたことではないだろうと首を振る。……合鍵を持たされているとはいえ住人の断りなく家に入ってきたのにはどうかと思わないでもなかったが、それについては次から気を付けるようにと注意するに留めた。
「お兄ちゃんが学校に来なくなったってお姉ちゃんが言ってたから。外でピンポーンって押しても来なかったし外で遊んでたらどうしようって思っちゃった」
「そこまでお兄ちゃんは不良じゃありません。学校サボってまで遊びに行ったりはせんよ」
とはいえ――嫌なタイミングで来たなと思う。どのような要件なのかもういの顔を見るとおおよそ察してしまえて、本音を言えば今すぐ立ち去って貰いたいところではあったが……無理に追い出すなどできる訳もなく。少し、陰鬱な気持ちになった。
「……じゃあ、何やってたの?」
「寝てる。……体調悪くなった訳じゃないぞ、ただ学校に行きたくなかっただけ」
「学校に行きたくないって……それって」
「……お姉ちゃんに、会いたくないから?」
「……」
もう少し面の顔が分厚ければ、そんなこと一言も言ってないだろうとでも言って話題を逸らせたのかもしれないが。少年にできたのは、肩を竦めて平然とした素振りを装うことくらいで。
何も言わず、けれど否定はしなかった彼を見て。ういは、困惑も露わに眉を寄せた。
「どうしてケンカなんてしちゃったの……?」
「……さて、どうしてだろうね」
大切なひとと同じ桃色の瞳は、ひどく悲し気で。そういえばここ暫くいろはにはそんな顔しかさせてなかったなと思い出しながら、重々しく息を吐いた。
「――お姉ちゃん、泣いてたよ。あの日帰ってからずっと。毎日、わたしやお父さんお母さんに隠れて泣いてる」
「……」
「ねむちゃんや灯花ちゃんだって絶交もケンカもしてたけれど……あんな風になったことなんてないよ。お兄ちゃんといっしょに居たときのことを話していたときのお姉ちゃんは、いつだってすごく楽しそうだったのに。お兄ちゃんの話が出たときにあんな辛そうな顔をするだなんて、知らなかった」
「そっか」
「最初は、なんでもないって言ってたけれど。泣いてたときに声をかけたら、絶交したって教えてくれたよ」
「わたしが悪いのって言ってた。嫌われちゃったかもしれないって泣いてたよ。話しかけようとしても逃げられちゃうって。目が合うたびに困った顔をしてそっぽを向かれるって」
「帰ってくるのもいつも夜になってからで。すごく、つかれた顔をしてるの」
嫌になるくらいに、彼女の顔がいろはと重なってしまって。もうやめてくれと音をあげてしまいそうだった。
どうしてもあの日見た泣きじゃくるいろはが脳裏にちらつく。耳朶にこびりついた大切な女の子の泣き声が胸を裂く。
「ねえ、お兄ちゃん」
「――やめろ」
勘弁してくれと呟く。
もう知ったことではないのだ。これからが、かつて大切に想っていた少女を忘れて前へ進むために一番大事な時期なのだ。己の感情に区切りをつけ、己の手を離れたいろはを忘れて。新しく一からやり直すために身辺の整理をしようとしていたのだ。
自ら窮地に身を投げ出すことを決めた馬鹿な女などに、今更構ってなどいられないのに。
ふつふつと、湧き上がる思いを押し殺して。低い声で、ういに淡々ともう終わったことなんだと告げる。
「もう別れたんだ、別れたんだよ。俺はあいつを止められなかった。あいつは……いろはは、他人のために俺との約束を破ることを決めた。俺は、そんな馬鹿な真似をするのはやめろと再三いって。絶交まで切り出してもあいつは、いろはは譲らなかったんだ。身を危険に晒してまで、俺と別れてまで。それでもやると言った馬鹿なんぞに、構ってなんか――」
「……わたしには、むずかしい話はわからないよ」
でも……ひとつだけ聞かせて、と。
困惑を滲ませながらも。一緒に居るのが当然、いつだって想い合っていた2人が離れるだけの何かについて理解することができなくても。それでも、ういには聞かねばならないことがあった。
だから、言う。
ういやねむ、灯花の病室に見舞いに来ていたときだって、あれだけ優しい目で互いを見ていた2人の心がそんなにあっさり離れた筈がないと信じて。
「本当に、お兄ちゃんは。お姉ちゃんのことが、嫌いになっちゃったの――?」
「――」
「まだ、お姉ちゃんと一緒に居たいんじゃないの……?」
「喧嘩したって、別れちゃったって、そんなこと言っても……お兄ちゃんだって、お姉ちゃんに負けないくらい辛そうな顔してるよ」
「好きなんでしょう――?」
懸命に平然とした様子を取り繕っていた仮面が、罅割れた気がした。いろはとシュウの抱えた問題の内容も碌に理解できていないういの放った言葉は、無知であるが故に少年の心理を深々と刺し穿っていて。
束の間絶句していた少年は、何度か口を開こうとして、喋ることもままならずに開閉を繰り返して。やがて、がくりと首を折って小さく呻いた。
嫌いになれる訳、ないだろうと。
「……好きだよ」
「好きだよ、ずっと好きだったよ。今だって大好きだよ」
「でも駄目だ、駄目なんだ。危ないって言ったのに、やめてくれって言ったのに。いろはは全然譲ってくれなかった。俺じゃあ止めることなんてできなかった」
だから、もう駄目なんだよ。
そう呟く彼に、ういは目を瞬いて。何を悩んでいるのかといいたげに、首を傾げた。
「諦めちゃうことなんて、ないと思うんだけどな……」
「……ぁ?」
弱り切って項垂れながら視線を向ければ、彼女は手を広げながら無邪気に笑っていて。
「だってお兄ちゃん、すっごく強いでしょ? お姉ちゃんが危ないことをしていて、傷つくかもしれないのが嫌なら――お兄ちゃんが守ってあげればいいんだよ!」
***
「またねー、お兄ちゃん! お姉ちゃんと仲直りしたら皆でお出かけ行こうー!」
「……仲直りしたら、な」
「大丈夫、ぜったい上手くいくよ! お姉ちゃんずっとずっとシュウお兄ちゃんのこと大好きなんだから‼」
「ぬ……」
向かいの家屋へ走り去っていく少女の言い残した言葉に僅かに硬直して。ういを見送った少年は、彼女が無事に家に戻ったのを確認するとやれやれと息を吐いた。
それとなく話を聞けば、ここ最近少年の身の回りに起こる災難に振り回されていた間は両親からあまりシュウの家には行かないようにと言い含められていたのを、今回だけはとごねにごねて強引に許可をとっていたらしい。話が終わればういは少し名残惜し気に、けれどあっさりと帰っていった。
「――姉妹揃って、人の気も知らないで。本当に好き勝手言いやがって」
……結局、ういの言を受けてもシュウにはすぐに頷くことはできなかった。
いろはを助ける。……魔女と戦って? あの、家族を殺した怪物と同じ、魔女と?
それができたらこんな話にはなっていない。そもそも戦意らしい戦意が残ってたなら、家族を殺された憎悪を燃やして根絶やしにしてやるとでも吼えて魔女を襲撃して回っていただろう。
『魔女を放置してたら今度はういが、父さんが、母さんが――シュウくんが襲われるかもしれないのに放置なんかしておけないよ! 私だって、好きで戦いたい訳じゃない!』
『なら戦うなよ! 魔女くらい、もしまたきたって俺、が……!』
あのとき、いろはとの言い争いのなかで。俺が魔女をどうにかしてやると、そう言い切ることができなかったのは――つまり、そういうことだった。
身の回りの人間にぶつけるにはあまりに危ういと抑え込む続けていた力は、拳が砕けるまで叩きつけても本物の怪物にはほとんど痛痒を与えることができなかった。
膂力を制御するべく培った精神力は、魔女に対してなんら効果を発揮することがなかった。
家族が今にも息絶えようとしていたとき。魔法も何ももっていなかった自分には、何もできなかった。
何もできずに魔女から少年を庇ういろはを見守ることしかできなかった無力感も、家族の命が掌から零れ落ちたときの絶望も、魔女に徹底的に叩きのめされて生じた恐怖も。そのすべてが、少年から魔女と戦う意思を奪うに足るもので。
けれど。それでも――いや、だからこそ少年は選ばなければならないのだろう。
譲れぬもののために心に刻まれたトラウマへ立ち向かうか……、あるいは、全てを投げ棄てて逃げ出すか。
「……」
……とはいえ、仮に戦うにしても徒手空拳で魔女がどうにかなる訳でもないのは身に染みていて。自室に戻って椅子に座り込んでは決めあぐねるように頭を悩ませたシュウは――外から聞こえた羽音とノックに意識を向ける。
窓の向こう側。見覚えのあるアクセサリーを頸につけたカラスが、外からがっがっと嘴で窓枠を突っついていて。瞠目した少年は、窓を開けて周囲を見回した。
「おま……生きてたのか。婆ちゃんがいなくなってからめっきり姿を見なくなったからてっきり死んだかと……どっちだ? 多分婆ちゃんチョーカーの色で見分けてたと思うんだが分らんな……」
「グァッ、グァッ」
ムニンとフギン。智江がそう呼んで可愛がっていたカラスの片割れが見当たらないのに、飼い主を亡くして飢え死にしたのかなと想像したが……ひとまずは餌を準備するかと腰を浮かせた少年を、バッサバッサと翼を広げたカラスが牽制する。
「ガッ、グァっ、ががー!」
「やかましいな耳元で叫ぶな! 羽根舞うからバサバサすんのもやめろって――吐いたぁ!?」
唐突に机のうえに異物を吐き出した鳥畜生にお前もし今ので写真汚してたら首をへし折ってたぞと毒づきつつ。ティッシュを手に取って机の上を拭おうとした彼は、ぴたりとその手を止める。
「……おい」
「ガァ」
「お前……これ。何で、お前が持ってるんだよ」
「……」
言葉を語る術を持たない鴉は、ただそこにあるものだけを使ってものを語る。
机の上に落とされたものを一瞥し、乱れた羽毛を嘴で整える鳥を苦々しい表情で睨みつけて。やがて溜息をついたシュウは、心底辟易したように頭上を仰いで呻吟の声を漏らす。
「お前は……お前らも。俺に、戦えってのか」
「ガー!」
うじうじするなと言わんばかりに威勢よく鳴いた鴉に射殺さんばかりの視線を向けながら、それでも力ずくで黙らせてやる気にはなれずにいた彼は一瞬だけ、迷子の子どものように目を彷徨わせて――部屋の片隅を見つめる。
そこには、自室の一角を占拠するように少年の身の丈にも迫る大きさの枝が鎮座していて。
ごくりと息を呑んだ彼は、鴉の吐き出したものをティッシュ越しに握りしめ静かに仇敵の置き土産へと近づいて行った。
――いろはが魔女を討って。白亜の迷宮が崩れ落ちて跡形もなくなっても、それだけは部屋に遺されていた。
一度だけ欝憤をぶつけるように何度も殴りつけたが、本体の魔女同様に……あるいはそれ以上にその黒枝は硬くて。拳を砕きそうになってようやく破壊を断念したシュウは、魔女の亡骸はなくなったのだし時間をおけばなくなる筈といういろはの言葉を聞いて放置していたが……魔女が現れ、そして討たれてから2週間近くが過ぎても黒枝は変わらずに傍に在って。
廃棄しようにもあのデカブツが遺しただけあってひどく重く、腕力にものをいわせて床から引き抜こうにも迂闊に触れようものならばまたあの魔女が家に現れてしまいそうな気がして。棄ててやりたくても、部屋の隅から動かすことができなかった。
けれど、今は――、
床に突き刺さった黒枝、その上部に触れると。枝から伸びた根が、手に絡みついた。
「っ――」
口端から零れそうになった悲鳴を呑み込む。目から溢れそうになる涙を堪える。鴉の鳴き声が部屋に響き渡るが無視した。鴉にも伸びた根を踏みつけにし離れろと叫ぶ。
脳裏を過ぎった悪夢。鮮明に思い出す零れ落ちた命の記憶。目の前で串刺しにされ首を折った父親が、串刺しにされた老婆が、間近に転がった家族が虚ろな目で見上げてくるのが、何もできずに丸呑みにされたいろはがフラッシュバックした。
体が竦む。手が強張って固まる。腰が引ける。呼び起こされるトラウマは、今にも少年の心を砕こうとしていて――その直前で、少女の言葉が脳裏を過ぎった。
いろはを今でも好きだと言って、守ってあげればいいんだよと言われてもそれでもまだ迷っていたとき。ういが、立ち去る少し前に言った言葉が。
『うん。……大変だもんね。まだ悩んでることもいっぱいあるんでしょう?』
『お姉ちゃんも大変そうだけど、ねむちゃんや灯花ちゃんと相談してなんとか元気づけてみる。だから、お兄ちゃんもがんばって』
『……もう、まだ言ってる。お姉ちゃんもずっと会いたそうにしてるし、お兄ちゃんならきっと大丈夫だよ。幾らケンカしたって絶交したって、別れただなんていっても――』
それでも、好きなんでしょう――?
「……本当に」
無防備な少年に続々と巻きついた根が、蔓が捕らえた獲物をずるずると引き寄せる。
体に寄生して生命力でも吸い上げるつもりなのか、あるいは魔力に溶かして取り込むつもりなのか。黒枝を掴んだまま立ち竦んでいたシュウを雁字搦めにして形成した牢獄のなかで――ぶち、ぶちと、なにかが裂ける音がした。
「本当に、敵わないな」
腕に力をこめて。全身を覆う黒枝の拘束を裂きながら、一歩前に踏み込む。今まで確かに餌でしかなかった少年を捕らえるべく伸ばされた蔓を根を、知ったことかと引き千切る。
腰に重心を乗せて。黒枝を握る手の感触を確かめるように指の開閉を繰り返して。
ぎしりと、黒枝を万力のような力で軋ませる。
「――実際に触って、こうして捕まって……ようやくわかったよ。お前はあの魔女じゃない」
残留思念、分霊、眷属、遺骸……言い方はなんでもいい。重要なのは家族を殺した魔女は間違いなく死に……後に遺されたこの『置き土産』は決してあの怪物のように手下を使役することもシュウの膂力を抑えるだけの力を持たず、そして非常に飢えてるということだった。
「魔女の餌なんて知らないし、もしそれが人だったら絶対にくれてやるつもりはないが……同じ魔女でいいのなら、俺に使い潰されても構わないのなら。あのバケモノどもを嫌と言うほど食わせてやる」
「だから、俺に従え。腕力だけじゃ魔女には勝てないから丁度いい武器が欲しかったんだ。……ああ、同意も拒絶もしなくていいよ、取り敢えずお前は徹底的に削り潰す予定だし。抵抗するなら好きにすればいい」
だから――俺も好きにすると、そう言って。身を束縛しようとする蔓を根を引き千切りながら、彼は手に取ったそれを黒枝に振り下ろす。
金属音にも似た異音。彼に向って伸びていた蔓が痛みに悶えるように地に墜ちて痙攣した。
彼によって打ちつけられた箇所は、僅かに欠けていて。拳を叩きつけても全く変化のなかった黒枝から手のなかの
槍の穂先のように鋭く尖った先端を血に染めた黒い樹木――鴉から受け取った、魔女の欠片を高々と振り上げて。
「――まずは、最低限。振り回しやすい形に整え直すか」
その後のことは、分かり切った結末でしかない。
少年は荒削りの黒木刀を手に最後に残った大切なもののために命を懸けて。少女もまた、彼の想いに応えて魔女を討つ。連携も最初はぎこちなく、また絶交していたこともあって暫くは気まずい空気が続いたが……それでも、時間を経て仲は修復され、連携もまた少しずつ磨き上げられていった。
そして――いつの間にか2人の傍からは、絶交していたときも仲を取り持つべく奔走してくれていた筈の少女がいなくなっていた。
回顧のときは終わる。
喪ったものは戻らない。
恐れも、痛みも、苦しみもなくなることはない。
それでも――譲れないもののために、前へと進む。