艦隊これくしょん――少年少女は暁の水平線に何を見るか 作:海荷コモルー
チクタクチクタクボーンボーン、執務室の振り子時計が鳴き始める。二時だ、いい加減腹が減ったなぁ。こんな事なら朝食もっと食べておくんだった。
部屋にいるのは俺と波瀬少将、そして第四工廠司令官八鍬少佐。「みんな階級に『少』が入ってますね」なんてこの状況では口が裂けても言えない。頼みの大淀は割れたカップの処理のついでに「もう一度珈琲を入れてきます」と言ったっきり帰ってこない。
「却下だ」
「先ほども申し上げた通りです。変更はありません」
いつになく真面目な波瀬といつも生真面目そうな八鍬。どちらも全く表情を変えないが、テーブルの上には見えない戦線が引かれていた。この島に来た時から立ちっぱなしの俺の足は既に悲鳴を上げている。どうしてこうなってしまったのだろうか——
*
「花壇なんてあるんですねー……」
庁舎に入る途中、赤レンガの壁に沿ってヒマワリの列が左右に伸びているのが見える。どれも立派に咲いており、太陽を追いかけるようにしっかりと日を浴びていた。俺は横須賀の豪華な家具なんかよりこっちの方が全然好印象だ。
「園芸が趣味な子いるので、その子に教わりながらみんなで育てているんです。裏庭には小さいですが菜園もあるんですよ」
「へぇ、それはすごいですね」
油や機械しか知らない俺にはとても新鮮だった。軍学校で行軍演習の際に野草などは一通り勉強したが、何かを一から育てるなんて経験したことがない。少し羨ましい。
そのまま庁舎の中に入るが、中の雰囲気も横須賀とは違い、質素という言葉がしっくり来る。決して汚い訳ではなく、清掃は行き届いている為、不快感は感じない。意外な事に内装はほとんど木造で出来ており、大淀曰く「親しみやすい」らしい。
大淀に連れられ、廊下を進んでいく。
(どこかで似たような建物を見た事があるな……)
ダークブラウンの廊下、少しくすんだ白い壁。廊下から見えるガラス張りの窓。少し広めの部屋に一定間隔で並んだ椅子と机。そして黒板……黒板!?
「さ、作戦会議で使うんですかね? 黒板」
「これは教室です」
「きょ、教室……」
思い出した、田舎の古い学校にそっくりだ。
「どうして教室が?」
「艦娘には小さい子達もいるので学力測定も兼ねて授業をしているんですよ。驚きましたか?」
「はい、ビックリしました……」
「波瀬少将がわざわざ取り計らってくれたんですよ。子供は学校を通わせなきゃダメだ! って。みんな本当の子供ではないんですけどね」
「は、はぁ……」
まさかあの悪戯好きの波瀬少将がこんな事をするなんて。波瀬の評価を上げざる負えない。俺の時もこれくらい気を回して欲しかった……。
「波瀬少将も結構考えて……い……ん?」
足音が一人分少ない事に気づき、振り返る。後ろについてきてると思った波瀬がいない。もしかしてまた道に迷ってしまったのだろうか。
「波瀬少将がいない様なので探しに行きます!」
焦る俺とは対照的に大淀は不思議そうに首を傾げた。
「少将なら一足先に執務室に向かいましたよ……? とても記憶力の良い方なので見取り図を見ただけで大概の場所は覚えてしまうらしいんですよ」
(あの野郎ゥ……人をおちょくりやがって!)
先ほど上がった評価を速攻で取り消す。まさかあの方向音痴も嘘だったとは。やはり一度ガツンと言わないと気が済まない。
「大淀さん! 自分も是非、執務室に案内して下さい!」
「わかりました、それでは執務室へとご案内します。それと今後は大淀とお呼びください。野波少尉」
「了解しまし……了解、大淀」
敬語をなんとか堪え、それを見た大淀は満足そうにクスリと笑った。
来た道を引き返し、途中にあった階段で二階へと上がる。二階はさきほどのような教室はなく、いくつかドアが並んでいる。その中で一つだけ両開きのドアを見つけた。
間違いない、ここが執務室だ。大淀がドアを叩く。
「大淀です。野波少尉をお連れしました」
ドア越しに「入れ」と返事がした。大淀がドアを開け、入ることを促される。緊張でじっとりと汗ばんだ手をズボンで拭う。ふぅ、と一度深呼吸。覚悟を決め、中へと入った。
「失礼します! 野波少尉、横須賀鎮守府特別区画第四工廠に着任いたしました!」
挨拶が終わったのと同時に敬礼をする。正面の執務机に座っている司令官にも波瀬の時と同様の所作を見せた。途端、部屋にボーンボーンと振り子時計が時間を知らせる。着任予定時間きっかりのようだ。
「司令の八鍬だ。楽にしていい」
「はッ」
敬礼を解き、不動の姿勢——気を付けをする。視線を極力そらさないように八鍬の襟章を見た。少尉の襟章に一本黄色の線が追加されている。
(少佐か……階級の割に若いな)
年齢は二十代中盤くらいに見える。その歳で佐官という事は波瀬の言っていた通り相当有能なのだろう。
神経質そうな細面に仮面が張り付いたかのように、ピクリとも表情を動かさない。眼鏡越しに切れ長の目がじっとこちらを見つめてくる。
(なんだか品定めされている気分……)
嫌な汗が首筋を伝う。先ほど拭いた手がもう汗ばんできた。目を逸らしたいが、『子供』だと舐められたくない。こちらも歯を食いしばって耐える。
立ち上がった八鍬はゆっくりと足音も立てず、こちらに近寄る。歩き方だけ見ればとても
ガチャリとドアが開く音がしたかと思うと、部屋の雰囲気に合わないやる気のなさそうな声が響いた。急いで振り向き、敬礼する。
「波瀬少将、ただいま着任しました」
八鍬は腕時計を確認し、ため息をつく。
「波瀬少将、定刻を六分三十五秒も遅れていますよ。軍人として時間管理が甘すぎるのではありませんか?」
「いやーごめんごめん、菜園のトマトが美味しくてさー。ほら八鍬も食えよ」
「私は結構です」
波瀬は「本当は好きな癖にー」と真っ赤に熟れたトマトを八鍬の口に押し付けるが、全く開く様子を見せない。
軽く息切れしている。いつの間にか息を止めていたらしく、何度か深呼吸を繰り返して息を整えた。八鍬の対象は波瀬に移り、品定めの対象から外れた事に内心ほっとする。今回ばかりは波瀬に助けられた。
「相変わらず堅いねぇ、ほんと。もっと肩の力抜いたら?」
「少将は力を抜き過ぎです。少しは自覚して頂きたい」
「そんな事言われてもこれでも真面目にやっているつもりなんだけどなー……」
しゅんとする波瀬。反省しているように見えるが、絶対嘘だ。先ほどの件は先ほどの件であり、これとは別である。現に本人もソファへ座り、さっそく煙草に火をつけている。本当に仕事が早い、皮肉だが。
八鍬はダメ押しにもう一度ため息を吐くが、案の定波瀬には全く響いていない。渋々波瀬と対面のソファに座る。
「で、こっちの様子はどうなの?」
煙草をくわえたまま、器用に喋る波瀬。八鍬は淡々とした口調で話し始めた。
「深海棲艦に関する報告からですが」
「こちらになります、どうぞ」
大淀が波瀬、八鍬、俺の順に資料を配る。目次には深海棲艦、艦娘、特区と他にもいくつかの項目に分けられており、なかなかの厚さである。
「大淀、さっきまでどこにいたの……」
「ずっと部屋にいましたよ。もしかして気が付かなかったんですか?」
大淀の表情が少しかげり「まだ会って数時間ですもんね……しょうがないですよね」と追撃を重ねる。俺は慌てて思い出そうとするが――駄目だ、八鍬の印象が強すぎて何も思い出せない。申し訳なさから謝ろうとするも、大淀が小さく笑っているのがわかった。
「冗談ですよ。野波少尉よりだいぶ後ろに立っていたので見えなくて当然です。だいぶ熱心にお話しされてましたしね」
あれのどこが会話なのか謎だが、笑顔が爆発的に可愛くてどうでもよい。
「な、なんだー……案外お茶目なんですね、大淀さん……あ」
「呼び捨てですよ、野波少尉」
思わず癖でさんをつけてしまった。落ち着いて大人びている大淀にはどうしても年上に見えてしまい、慣れるまでには時間がかかりそうだ。
会議そっちのけで大淀と資料を盾にして雑談していたが、現実に戻される。
「ば、馬鹿な! そんな異論認められる訳あるかっ!」
いつも飄々とした波瀬が声を荒げ、八鍬に詰め寄る。その際、波瀬に注がれたコーヒーがテーブルから落ち、カップが割れた。幸い、中身は飲み切っていたようで液体が床に広がることはなかったが、散らばった破片が刺さったりしたら大変だ。手袋をし、一つ一つ丁寧に拾っていく。同じように大淀も集め始める。が、
「これは決定事項です。いくら少将と言えど口出しする権利はありません。ここの司令は私です」
波瀬から目を逸らさず、眼鏡を掛け直す八鍬。どちらも譲る気はないようだ。一体何で揉めているのだろうか、話を聞いてなかったからわからない。しかし、口を挟む訳にも行かず、黙々と音を立てないように作業を続ける。
「この鉄仮面めぇ……」
どっかりとソファに座り直し、煙草を吸って落ち着こうとする波瀬だが、ライターの着きが悪い。どうやらオイル切れのようで、火を貸そうかと思うが、片手に破片があり、少し悩む。
「野波少尉、どうぞ」
大淀は巾着を開いて差し出す。どうやら『この中に破片を入れろ』という事らしい。遠慮なく破片を入れた後、手袋を外しライターを波瀬に近づけた。
「波瀬少将、どうぞ」
大淀から俺、俺から波瀬。波瀬は「おぉ、気が利くねぇ。それじゃ」と煙草を近づけた。煙草がガスノズルに近づいたのを見てカシュと火をつける。その間に大淀は珈琲を入れてくると言って部屋から出た。
煙草を一度ふかした後、波瀬が切り出す。空気が張り詰める。思わず俺は背筋を正し、固唾を飲んだ。
「金曜の
波瀬が何を言っているのかわからない。
「本来カレーにはジャガイモは入っていません。今年はジャガイモの生産量が少ない為、これを機に西洋式に転換すべきです」
「俺はここで食べる家庭的なカレーが大好物だったんだよ! そして家庭的なカレーにはジャガイモは必要不可欠だ! そのジャガイモを外すなんて貴様それでも軍人か!」
いつになく捲くし立てる波瀬。こんなに熱く話しているのを見るのは初めてだが、内容がカレーのせいでなんとも言えない気持ちになる。え、この大人達さっきからそんなしょうもない事で口論してたの?
「海軍の起源は英国にあり、カレーも同様です。更にジャガイモは炭水化物を多く含んでいる為、ライスと役割が重複します。より効率的に栄養摂取する為にジャガイモを廃止し、他の具材を新規投入すべきです」
「新規投入具材に関してですが……」と理論で責める八鍬。先ほどは幽鬼に見えた八鍬だが、今はただのカレー好きのお兄さんに変わっていた。