艦隊これくしょん――少年少女は暁の水平線に何を見るか 作:海荷コモルー
それからというもの真剣に議論しているだけに止めるわけにもいかず、ずるずるとお互いの主張を後ろで聞く羽目となった。終盤になると波瀬は少将権限まで持ち出し、八鍬も「私はスープのようなカレーの方が好きなんです!」と理論をかなぐり捨て、お互いの好みを言い合うだけの泥仕合と化す。最終的に二人の腹の音がゴングとなり、八鍬と波瀬は謎の握手をして今回のカレー論争は終了を迎えた。
空腹が限界の俺達は大淀と合流した後、庁舎にある食堂『間宮』に行き、金曜日のカレーを食べた。その時にこっそりと大淀が教えてくれたがこのカレー論争は始めてではないらしく、珈琲を取りに行くのは口実で話が終わるまで船渠に避難していたようだ。大淀さん、なんで連れて行ってくれなかったんですか……。
ちなみにじゃがいもの件は『保留』扱いの為、今後も行われていくのだろう。正直こちらとしてはかなりどっちでもいいので早々に結論を出していただきたい。
それからの食事を済ませた後がすごかった。話が逸れたせいで進んでなかった報告が駆け足になり、前提情報がない俺としては付いていくのが精いっぱいだった。波瀬も時折少し真面目に資料を見ていた気がする。八鍬少佐が進行をして、今回は隣で大淀に補足してもらいながら無事報告会終えたのだった。
「これで今日の業務って終了ですか?」
「はい、野波少尉はこれから寮の案内に、」
「野波少尉。仕事はまだある」
八鍬から渡された三枚の紙。文字が少なく図が大きい、どうやら第四工廠の庁舎、敷地、島全体の見取り図のようだ。
「今から敷地の建物を回ってこい。島は後日でいいが、庁舎内と敷地は今日中だ。ちゃんと行ったか、各管理者に押印してもらえ。話は既に通してある」
「い、今からですか……?」
「今からだ」
時刻は四時五十三分。公務終了の七分前である。
「俺は後日でいいと言ったんだがな。少将の指示だ、流石に逆らえん。ちなみにスタンプラリー案も少将の提案だ。諦めろ」
俺の肩に『ご愁傷様』と言わんばかりにそっと手を置く八鍬。この人もよほど波瀬に振り回されてきたのだろう。表情に出ないだけで実は優しい人なのかもしれない。強い味方を得たと同時に天敵の波瀬を探すが――
「もういない……」
既に波瀬の姿はなく、煙草の匂いだけが残る。飄々としてつかみどころがなく、神出鬼没。あの人は妖怪か何かか?
大淀も一緒に消えており、部屋には俺と八鍬少佐の二人だけになっていた。
「俺と大淀は波瀬少将を車で波止場まで送る。あの人も何かと
「はい! 明日からご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します!」
「期待している」
八鍬も部屋から去っていく。部屋の振り子時計と共に庁舎のスピーカーが公務終了の時間を奏でていた。しょうがない、第四工廠スタンプラリー始めますか……。
部屋、建物ごとにそれぞれ番号が振られている。おそらく「この順番で回れ」、という事なのだろう。庁舎の方が若い順番が多いことから始めの『
執務室には既に『八鍬』と印鑑が押されており、『一』の数字は隣の資料室に書かれていた。夏至の為、まだ日は明るい。日が落ちるまでにはなんとか終わらせたい所だ。取り残された執務室を後にし、資料室へ向かう。
「――――」
「―――――――」
ドア越しに話声。管理者という重い響きにしては若く黄色い声が聞こえる。話が終わるまで待ってもいいが、笑い声も混ざっている為、そこまで重要な話でもなさそうだ。印鑑だけもらってさっさと次の場所へ行こう。
「野波です! 八鍬少佐から押印の指示を受けて来ました!」
ドア越しでもはっきり聞こえるように声を張る。部屋の話し声は一旦止み、足音が近づいてくる。建付けが悪いのかキィと嫌な音と小さくドアが開き、
「な に か ?」
声の機嫌の悪さに思わず固まってしまった。わずかに空いたドアの隙間から警戒心むき出しの顔が覗く。今にも「こっちは忙しんだよ! 空気読めよ、このスカタンが!」と二の矢が放たれてもおかしくない位、声に苛立ちが籠っている。
「あ、あのー……印鑑を頂きに来たんですが」
印鑑の箇所を指差しながら、営業マンのように張り付けたような笑みを浮かべるもぎこちない。せめてもとやんわりと要望を伝える。
「どうしたのー? 大井っちー」
覗いている相手とは別の声の持ち主。「あぁ、ちょっと北上さん!」と若干悲鳴交じり声と共に、ドアの開きも最小から最大へと切り替わる。その際体当たりしてくるドアを俺は体を逸らし避けた。
「どうもー……」
苛立っている茶髪長髪の少女『大井っち』もとい『大井』は恨めしそうにこちらを睨んで来る。「俺のせいじゃないってば!」と言い返したいが、火に油を注ぐ結果になりそうなので、喉元でぐっと堪える。視線を『北上』と呼ばれた黒髪の波瀬に似た雰囲気を持つ少女に移し、「印鑑を下さい」と一言。
「あー君が野波少尉かぁ。ちょっと待っててねー」
『北上』は部屋の奥に引っ込み、ガザゴソと引き出しを漁る。資料室がどんな場所か気になり、部屋の様子を伺ってみた。窓から差し込む夕日が眩しくて、目を細める。中央に長机を二つ組み合わせたような少し大きい机に椅子が二つ。その大きい机には大量の資料がぶちまけられた様に散らかっていた。床にも紙の塔が積み上げられており、部屋の端に並んでいる棚にも仕分け済みの資料ファイルが所狭しと置かれていた。
(これはしんどいなぁ……)
膨大な量の書類。見るだけで嫌な気分になる。
俺は再び『大井』もとい『大井っち』もとい『大井』に視線をやるが、逆にぷいっと目を逸らされてしまった。本当に何か癪に触ってしまったようで、申し訳なくなってくる。
「はい、これー」
「ありがとうございます!」
資料室の箇所に『北上大井』と赤く押印された見取り図を渡される。ようやくこの場から去ることができると思い、声が上擦った。
「私が球磨型三番艦の軽巡北上、こっちが四番艦の大井っち。これからよろしくね。気軽に接していいから」
「よ、よろしく」
なんとなくそうだろうと予想はしてたが、本当に艦娘だったとは……。大淀にもそれと似たような事を言われたのを思い出した。『
「で、次どこなのさ」
北上が見取り図を覗き見てくる。何かを察した大井が北上と俺の間に慌てて割り込んできた。
「き、北上さーん? この後は一緒に夕食を取る予定ですよねー?」
「だって、一人で回らせるのも可哀想だし。大井っちは先に行っててもいいよ?」
「そういう話じゃないです!」
「大丈夫! 大丈夫! 一人で回れるし!」
大井が不機嫌な理由が分かった。これ以上彼女、いや彼女達の時間を邪魔するのは今後の第四工廠生活も考えて非常に危ない気がする。ここはさっさと退散しようと、熊に合った時のように目を逸らさず、ゆっくり後ずさる。
「私だったらどの部屋でもハンコのあるとこだいたいわかるしさー。もし当番がうっかり忘れてていなかったりしたら困るんじゃなーい?」
苦労して作った距離を一瞬で埋める北上。間には勿論大井がいる。
「そ、そうなの?」
それは非常に不味い。初日から任された仕事を蔑ろには出来ないし、今後の信用に関わる。この提案渡りに船、地獄に仏、闇夜に提灯。俺からしたら受け入れない理由はないのだが……。
(そうは問屋が卸してくれないよなぁ……)
『断れ』大井の目がそう言っている、そりゃもうはっきりと。え、大井さん。今「首切れ」ってジェスチャーしなかった?
「そうそう。人の厚意には甘えるもんだよー。それじゃしゅっぱーつ」
「ちょ、ちょっと!」
俺の苦悩を他所に北上はいつの間にか掠め取った見取り図をひらひらさせながら廊下を進んでいく。
背中にビリビリと走る恐怖。恐る恐る背後を振り向くと案の定、俺の背中を睨みつけている鬼がいた。
「大井さん……ホント、なんかすいません。超過分八鍬少佐に申請しとくんで」
最初は親でも殺したかのように睨みつけていた大井だがわかりやすくため息を吐き、
「間宮券二枚」
「はい?」
「間宮券二枚! それで手を打ってあげるって言ってるの!」
まみやけん。それが何かわからないが、とりあえずそれ二枚用意することを交換条件に案内してくれるらしい。
「わかった、用意しとく」
「用意出来なかったら……
対価に比べてお、重すぎる
「大丈夫大丈夫……多分」
保険でかけておいた多分が気に食わなかったのだろうか。じーっとこちらを睨む大井だったが、「ふんっ」と鼻を鳴らし背を向け、歩き出す。
「おーい、二人ともどうしたのさー。置いてくよー?」
付いてこなくて心配になった北上が少し先で見取り図を持った手を振っていた。皺になるからやめて。一応少佐に提出するものだからね、それ。
「北上さぁーん、今行きますねー」
さっき俺を睨みつけていた鬼とは大違いの猫撫で声。
全く不満がないと言ったら嘘にはなるが、それよりも自分の時間を割いてまで手伝ってくれる彼女達を見て感謝を感じざるおえなかった。
自然と速足になる。追いついたら「ありがとう」と彼女達に伝えよう。
「今行くー!」