自殺する人間は、どのようなことを思って死ぬのだろうか。男は天井から吊り下がった縄を見つめながら、もうすぐ死のうとしているというのに、そのような気持ちが込み上げてきた。一昔前は、自殺は自分よがりの行為として批判され続けたきたと同時に、当時の主にうつ病患者が、今のつらい現実から抜け出すという最後の手段となっており、自殺の増加が当時の社会問題の一つにまでなっていた。最も、今の時代から考えたら、毎日の食事に困ることもない、日雇いにすら溢れるこの世紀末と違う平和な日常で自殺するなんてアホらしいと考えてしまう。
男は苦笑した。男に家族はいない。身寄りも当然ないし、なによりこの世界で何も取り柄がない人間が住んでいくには、あまりに過酷すぎた。
第三次世界大戦。二度の大戦で戦争の愚かさを反省したかに見えた人類だったが、それは勘違いに過ぎなかった。突然現れた未知の物質、コーラップスが発見され、列強各国がそれを求めた争いを始めた。そしてそれと同時期に、北蘭島遺跡という場所でコーラップスが流出、E.L.I.Dと呼ばれる奇病が蔓延し、人類の生存圏を大幅に縮めていった。
そして6年後、世界大戦が一応の決着を見た際には、政府はもはやすべての地区の管理すらできないぐらい疲弊していた。そして大戦と同時に台頭していったのがPMC、民間軍事会社だった。戦争によって疲弊していた政府に変わって、主要以外の地区の管轄すら任せられる巨大なPMCまで存在するようになった。グリフィンもそうしたPMCの一つである。
そして、PMCが管理している地区は、多かれ少なかれ惨憺たるものだった。元々国が見捨てたような土地である。もちろんかなりマシな地区はあるが、特に鉄血と競り合っているこの地区は悲惨だった。ちょっと前までは、職にあぶれた人間が傭兵として鉄血と戦っていた。だが、I.O.Pが開発を進め、戦術人形が確立されると人間は人形に取って代わっていった。もちろん、他の肉体労働も次第に人形が奪うようになっていった。まだ傭兵として戦っていたほうがマシとまで言う声も少なからずあったぐらいだ。
こうして男性は日雇いで職を稼ぐしかなく、女性に残された道に至っては、娼婦しかなかった。その娼婦も、セクサロイドと呼ばれる性行為用の人形が一定数以上の人気を誇っており、並大抵の顔じゃないと娼館ですら雇ってもらえない有様だった。
もちろんこのような仕打ちをうけて黙っているはずもなく、幾度となく民衆によるデモやストライキ、暴動などが発生した。だが、そのたびに戦術人形が出動し、速やかに鎮圧していた。その圧倒的な戦力差に、次第に民たちは全てを諦め始めていた。
その男もそうだった。戦争前は特別優秀でもなかったが、そこそこの大学を出ていたため、職に困ることはなかった。夢などはなかったが、今思えば、毎日が充実していた。だが、今では毎日の食事にも困る浮浪者と成り果てた。孤児だったため、家族はいない。今死んだって誰も悲しむことはないだろう。死ぬ理由はなかったが、生きる理由もないだけだ。足場にしていた木製の椅子から足を離す。縄が首を締め付ける。不思議と苦しみは少なかった。呼吸ができなくなる。意識が遠のく。意識を手放す直前、最後に見たのは、この世界で一度も見たことがない不思議な機械を周囲に囲まれた部屋の中で、希望と期待の表情でこちらを見つめる、見たことがない科学者達の姿だった。
その部屋はこの地区にしては豪華なものだった。椅子も机も良質なもので出来ているのがひと目でわかった。だが、地下で日光がほとんど当たらないためか、部屋全体は薄暗かった。その椅子に男が二人座っていた。互いの背後には護衛らしき人物がおり、二人が只者ではないことを示唆していた。椅子の片方に座る小太りの男が口を開く。
「クスリの供給はどうだ」
そう言うと、もうひとりの男。目付きの鋭い男が返答した。小太りの男が悪徳商人のような風貌、目付きの鋭い男はマフィアのボスのようだった。いずれにせよ、まっとうな世界で生きている人間では無いことだけは確かだった。
「順調だ。奴らは元々生きる意味を失いかけている。そこにちょっと誘惑の言葉で釣れば一瞬で中毒入りだ」
「だが、そんな奴らがどうやって金を持ってくるんだ?ここでありつける仕事なんてたかが知れてるぞ」
「お前は知らないようだな。表には常に裏があるように、仕事を斡旋してくれる場所にも裏があるんだよ。最も、危険は段違いだがな」
そう言うともうひとりのマフィアのボスが苦笑した。この地区には一般的な肉体労働を伴う日雇い斡旋所とは別に、汚れ仕事を引き受けることができる裏の斡旋所がある。しかも、その場所はここの住民なら誰もが知っており、餓死寸前の人間や、その他の希望を失った人間が最後の砦にそこを訪れる。最も、そのような人間が殺しやその他の危険な任務に成功することはほとんどない。
「よく出来たシステムだな。それで、俺達の暗殺とかもその裏の斡旋所のリストに入ってたりしてねえだろうな」
商人が冗談交じりに言う。
「その心配はいらん。むしろあそことは協力関係にあってね。こちらが定期的に金銭を提供する代わりに、こちらが秘密裏に始末して欲しい人間がいたら仕事をあげる提携をしている」
「むしろ仕事を提供してあげる側だったのか。よく出来たシステムだ。だが、グリフィン側からしたらまずいんじゃないのか?もしあんたと手を結んでるのがバレたら、いよいよクリーンなイメージを宣伝してきた看板がぶっ壊れるぞ」
「なあに。心配することはない。どうせここの奴らは戦術人形の恐ろしさにビビって諦めちまってるよ。いまさらどうこうしようなんて言うやつはいねえよ」
「それもそうか。いや何、たまたま気になっただけだ。うっし、そろそろ本題といこうか」
そう言うと小太りの男は護衛の男を手招きで呼び、アタッシュケースを机の上に置いて開け、袋に分けられてあるクスリを計量器の上に載せた。
「ご覧の通り。きっかり1kgだ」
「中身を確認させてもらう。一回偽物を掴まされたことが合ってな。そいつらの末路は、言うまでもないがな」
そう言うとマフィアのボスは、袋を丁寧に開け、中身を触って匂いを感じながら本物か確かめた。
「いや、すまんな。こんな世の中だ。いつ騙されるかわからん。慎重に越したことはねえ」
「いえいえ、お気になさらず。むしろこのくらい慎重じゃないと、今のご時世は生き残れませんよ」
そしてマフィアのボスが指を鳴らすと、後ろにいる護衛の男からアタッシュケースを受け取り、中にあった札束を見せた。
「ではこちらも中身が正しいか確認させてきただきますよ」
そう言うと男は札束を確認し始めた。だが、数え始めている最中、突如外から銃声が鳴り響いた。銃声自体はこの街では珍しくないが、最近は誰もが諦めていたし、あまり聞かなかった。それに、この裏取引をしている最中で、何かあるかもしれないと護衛たちに外の様子を見てくるようにと命令した。するとものもしないうちに銃声が聞こえた。それは護衛と同じの銃声の数だった。
「どうやら外が騒がしいようですね……」
商人は呟いた。そしてマフィアのボスは焦った。ここの現場を押さえられたら、いくらグリフィンにある程度黙認してもらっているとはいえ、言い逃れができないことは明らかだった。
「そんな訳はねえ!いつものように追っ手がいないかは護衛が確認したし、第一、俺達の組織の服を見て逆らえるやつなんて……!」
「ん?どうかしたのか」
「そういえばこの前……変な噂を聞いたんだ。当時はクスリキメすぎて頭おかしくなったやつの妄言かと思ったんだが、同じようなことを言ってるやつが結構いてな……」
「それでその噂というのは?」
二人は焦燥していた。護衛の男たちがいつまで経っても帰ってこないからだ。この世界だと誰に命を狙われてもおかしくない。護衛には一番射撃が優秀な部下をつけていたはずだ。グリフィンとも取引をしている。戦術人形が俺たちを狙う意味なんてない。じゃあ一体、誰が……。
「噂によるとそいつは最近現れた殺し屋らしい」
「おい、殺し屋もどきなんてそのへんの職に困った奴らが行き着く最後の道じゃねえか。どうせ素人に毛が生えた程度だろうが」
「俺も最初はそう思ったさ。だが噂は違った。この数ヶ月でざっと数十人が殺されている。それも全て大物だ。そして数少ない証言と落ちていた弾薬が同じことから同一の人物による仕業と断定できたんだ」
「その男はどんなやつなんだ……?」
「実際に現場を目撃したやつはいねえから詳しいことはわからねえ。ほとんど皆殺しだからな。ただ一つ、やつの髪と目は銀色だろうだ」
「銀髪に銀眼……珍しいな、あまりに」
「つーかこんなコトのんきに話してる場合か!護衛はまだ戻ってこないのか!」
「大丈夫だ、このドアは特別に作らせた扉だ。榴弾程度ではびくともしねえ」
「どっかに隠し扉とか隠し通路とか無いのかよ!」
「あるわけねぇだろ!あのグリフィン、足元を見やがってとんでもねえ量の上納金を要求しやがるんだ」
「でもそうしたらこっちからも手出しできないじゃねえか!」
「うっせえな、心配するな。あまりにも俺が帰ってくるのが遅かったら様子を見に来てくれるはずだ。この面会自体は幹部なら誰でも把握している」
「幹部なら来ない」
すると、突然どこからか声が聞こえてきた。最初は二人共幻聴か何かだと思った。ここの扉は防音だし、扉はしまっていたからだ。だが、現実、そこに男がいた。先程の噂に上がっていた銀髪の男だった。年齢は20代後半から30代前半ぐらいだろうか。この付近ではよく見かけるみすぼらしい外套に身を包み、噂に違わず眼の色は銀だった。その男はアサルトライフルの銃口をこちらに向けて話しかけてきた。
「お前らは聞きたいことがたくさんあるだろうが──」
と言い終わる前に素早くアサルトライフルを商人に向けて発射していた。商人が胸にしまっていたハンドガンを抜こうとしていたのを察知したのだろう。だが、アサルトライフルの銃口を向けていたのは自分だった。商人が胸から拳銃を取り出して男に撃つのと、横にいる男にアサルトライフルの銃口を合わせて、しかも脳天に的確に撃ち抜けるやつなんてそう簡単にいるのだろうか。
「こうなりたくなければ、素直に質問に答えるんだな。まずは一つ。ここは隠し取引の場所の一つ。今回はクスリの取引で、そのクスリを民にばらまいて利益を得ている。合っているか?」
すっかり尻込みしてしまった男は、あ、あぁと怯えながら頷いた。
「じゃあ2つ目。このことはグリフィンにもバレている。でも告発されない。それはグリフィンと契約をしているからだ。合っているか?」
その質問を聞いた男は何か合点が言ったようにまくし立てた。
「ああ、そうか、てめえは別のPMCのところか!グリフィンの資金源の一つを断とうとして──」
銃声が鳴った。男がそれ以上言葉を発することはなかった。頭に穴が空いていた。
「これ以上の情報は何も出なさそうだな」
そう言うと銀髪の男は現金の入ったアタッシュケースを持ってマッチを付け、クスリを燃やして素早くその部屋から出た。
男は廃墟の二階で夕焼けを眺めていた。コーラップスや紛争等で国が直接管理している地区以外はだいたい似たような有様だ。だが、男はこの廃墟の景色が嫌いではなかった。命あるものはいずれ尽きる。まるでその諸行無常を象徴しているかのようで、権力や金を見せびらかしたいだけの豪邸よりもよほど美しいとさえ思っていた。そうして黄昏れていると、足音が一つ聞こえてきた。とっさに銃を構えて壁に身を潜める。この動きもすっかり慣れたものだと男は苦笑した。
「ちょっとぉ~せっかく会いに来て上げたのにその態度はひどいなぁ」
そう言いながら足音の主は歩いてくる。男も緊張を解き、身を出して挨拶した。
「突然足音が聞こえてきたら誰だってビビるだろうが」
「そろそろ私の足音ぐらい見破れないの?」
「お前ぐらいになると足音ぐらい簡単に変えれる。そういうやつと敵対したときのための訓練だ」
「ふぅん」
そう言うと左目に傷跡がある戦術人形は男の方に更に擦り寄ってきた。
「で、今日は誰を殺ったの?」
男はやれやれ、と肩をすくめながら軽口を叩く。
「硝煙以外の匂いは嗅げないのか」
「アポステルの匂いもちゃんと嗅いでるよ」
いつの間にか右手を恋人繋ぎのように繋がれて、そのような鈴を転がすような声で言われたら、殆どの男はイチコロだろうな、と感想を漏らした。
「駄目よ、アポステル。あなたは私が唯一認めた人間なんだから、もっとちゃんとしてよね」
「仕事終わりくらい楽にさせてくれ」
「しょーがないなぁ~うん、いいよ」
よくわからないけど、納得してくれたらしい。
「まあそれはいい。ところでなんで来たんだ?任務ならやめてくれ。今日は疲れてる」
「ただ会いに来たかっただけ、って言ったらだめ?」
男はしばらく無表情だったが、その発言を聞いてふふっと笑い出した。
「最初出会った時はあの作り笑いしかできなかったお前がそんなセリフを吐くとはな」
「あれ、ビジネスだと笑顔は人を好意的に捉えるってプログラムされてるんだけど?」
「まあ、概ね合ってるけどな……」
あそこまで常にヘラヘラ笑ってたら、ただ不気味なだけだ。とは言わなかった。
「まあとにかく、今日の仕事で金はもらえた。しばらくはどこかの空き家で身を潜めてるかな。今日殺したやつはこの地区だと大物だしな」
「あーアイツ?クスリをばらまいてたあのマフィアのボスでしょ?アポステルにも善良な市民をクスリから守ってあげるっていう良心の呵責が残っていたのね」
「金が欲しかっただけだ。取引の際に金が動くなんて今時は子供でも知ってる。ただ、奪うにしては少しガードが厳重なのもな」
「事前に幹部まで全員殺しちゃってさぁ~一人であそこの組織半壊させちゃったじゃん。どうしてくれるの、グリフィンがお金のやりくりに困って私が露頭に迷っちゃったら」
「その時は俺が相棒として雇ってやる」
その言葉を聞いたUMP45は心底嬉しそうに笑った。
「言質取ったからね。ふふっ、初めて自分の体に録音機能が付いていることに心の底から感謝しているよ」
「お前らの身体は便利そうでいいよな。この前見た料理人形なんて胸から調味料を出してきたぞ。お前も口から銃口が出るのか?」
「見たい?」
そんな機能本当にあるのか──そう言おうとして45の顔を見ようとしたら、45が大きく口を開いてそのままアポステルに近づいて唇を合わせた。彼の方も一瞬驚いたが、拒まず、そのまま軽い口づけを交わした。
「俺がグリフィンにいたら人形に劣情を催す変態ってことで毎月の社内新聞に載せられてたな」
「まあ、そんな虫けらがいたら私が消すけどね」
そう言う45の顔は一切笑っていなかった。人形にもこんな顔ができるのか、とアポステルは驚愕した。喜怒哀楽が豊かな人形は数多くいるが、45の凍てつくような表情はそれとは一線を画していた。見るもの全てをゾッとさせる冷酷な顔。眼からはこの世全ての憎しみが込められているような気がした。
「まあ、グリフィンとはなんどか共同戦線もやってるし、もしかしたら俺が指揮官になる日がくるかもな」
と冗談交じりに言う。
「ふーん」
45はそう言うと意味深な笑みを浮かべた。
「なんだよそれ」
「別に。指揮官になってくれたら、今以上に会えるってことだよね?」
「でもお前らは基本別行動だろ。指揮系統も根本的に違うし」
「ふふん、そうだね。障害が大きければ大きいほど乗り越えたときの愛も大きくなるよね」
45は一人で何か納得しているようだった。
気がつくと辺りは暗くなっていた。ずっとこの45と何の中身もない会話を続けていた。だが、男はこの他愛のない会話が嫌いではなかった。
「俺はもう帰るけど、お前はどうするんだ?」
「付いていくよ。もちろん。嫌だって言ったら殺すよ?」
冗談にしては、目と口調が本気だった。軽口が喉まで出かかったが、その凄みと迫力に負けて素直に降参した。
「最初から嫌だなんて言ってないぞ。それに」
そう言うと男の方から45の手を握りしめた。45はそれに気づくと、アポステルですら滅多に見たこと無いような、普通の恋する女子のような照れ顔になっていた。
「俺の身体にも写真を撮影できるマシーンが埋め込まれてたら良かったのに。今の表情は永久保存版だ」
「……」
45は抗議するように握る腕を強めてきた。だが、戦術人形のスペックは人間を大幅に凌駕しているので、本気で握ろうとしたら自分の腕が砕け散るだろう。この絶妙な強さ加減は、45の気遣いとも言えた。
「そういえば」
二人で家路に向かっている最中に、アポステルが、ふと疑問に思ったことを訊ねた。
「もし任務で俺を殺さなきゃいけないとしたら、どうする?」
45はそのまま歩みも表情も変えず、まるで世間話でもしているかのように答えた。
「任務を依頼してきたやつを殺すよ。私は人間に作られて、人間のために生きて死ぬ。そのために生まれた。でも、人形にも自分で未来を選び取る資格がある。そう言ってくれたのは、あなただから」