あの夜、自身を死の淵から助け出してくれた人がいま再び目の前に立っている。そう考えると真菰としてはこの再開はなにやら感慨深いものがある。
約10カ月ぶりに会った彼は少し背が伸びただろうか。以前よりも見上げる角度が大きくなっている気がする。
(私は全然身長が伸びないのに、男の子はやっぱりずるいなぁ)
「久しぶりだね、元気そうで良かった」
「……ああ、そっちこそ元気そうで何よりだ、マグロ」
「……」
(……それはどこのお魚だろうか?)
なぜ急に海に棲むという魚の名前を、彼は呼び始めたのだろうか?
まさか、自分の名前を呼んだのではあるまいと真菰は笑顔で首を傾げる。
あれから10カ月、その間確かに会うことはなかったとはいえあれだけ散々会話をしておきながら名前を忘れましたなんてそんな馬鹿なことが許されるわけがないのだから。
「うん?どうした急に黙って?マグロ」
あぁ、そういえば、今日の夕飯に人肉が必要な存在がこの村の近くにはいる筈だ。ちょうど目の前に罠に使えそうな手頃なお肉があるではないか。
にっこりと微笑みを浮かべて、真菰は腰に差した漆黒の鞘から、雄大な空の青さを思わせる色合いをした刀を抜き放つと、そのまま信乃逗の元へと歩を進める。
「……なぜ刀を抜く?そしてなぜ無言で近づいてくるんですかね、お嬢さん?」
「自分の胸に手を当ててよく考えてみるといいよ、
「いや待て、待つんだッ!!ギャーー!?」
◆
アーホー、アーホー
せっかくの綺麗な青空に、間抜けな鳴き声を出して台無しにする鴉をボーッと眺めながら
(俺、これから鬼狩りするんだよね?なんで戦う前からボロボロになってる訳?)
雑魚鬼の爪では斬り裂けないという説明の隊服がところどころ切れて、信乃逗のやや色白の肌が垣間見えてしまっている。
(あとここぞとばかりにその鳴き方するのをやめてほしい。今までそんな鳴き方したことないじゃん、クソ鴉)
「……
「いや冗談だからね!普通に憶えてたから!本当に忘れる訳ないじゃん!」
「なおさら悪い」
(ぐっ、怖い!怖いよこの娘!)
なんで最近の子は冗談が通じないんだろうかと、信乃逗は身体を震わせる。
「カァー!
「必要な情報忘れてたテメェにだけは言われたくないわ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる
再会の仕方こそ困ったものだったが、相変わらず彼は元気そうだ。
「……それで
再会を懐かしむのも悪くはないが、今はそれよりも先にやらなければいけないことがある。自分達は鬼狩りとしてこの村にきているのだから。
「……うん?応援?」
「あれ?違うの?指令が来たわけじゃないの?」
想像とは違う反応を返す
「おいこら鴉君、お前まだ伝え忘れてることがあるんじゃないか?」
「……カァー!
2人でいくのだ!カァー!」
「いま言うんかい!最初に言えよ!絶対忘れてだろうが!いま妙な間があったぞ!……あっ、待てコラ!降りてこいクソ鴉!」
(……本当に元気そうで何よりだ)
言うだけ言って素早く信乃逗の肩から飛び去っていく鴉と、再び騒ぎ出す信乃逗を尻目に真菰は静かに溜息を吐いた。
◆
この村で起きている異変。
村の端にある御堂の近くで遊んでいた村の子供達が、何人も消えているのだという。それほど人口の多くないこの村では将来の働き手が何人も消えていくのは非常に致命的である。
しかし、ただ子供が数人消えただけなら本当に鬼が出たとは限らない。
では、なぜ隊士を2人も派遣したのか。
それはこの村に派遣されたそこそこ手練れの鬼殺隊の隊士がすでに1人、連絡が取れなくなっているからだ。手練れの隊士がただの人攫いに連絡も取れずにやられたというのは考えにくい。
おそらく鬼。それもただの雑魚鬼ではない。異形の鬼、あるいは血鬼術という特異な能力を使用する異能の鬼といわれる類の強力な鬼だ。
「……なるほどね。すでに1人やられてるわけね。そして、そんな重要な情報をうちの鴉君は忘れていたと……やっぱり焼き鳥だな」
「ナヌッ!?」
「なぬ、じゃねーよ!当たり前だろうが!あとなんでテメェは真菰の肩にのってんだ!テメェは俺の
(……話がすすまないなぁ)
何か事情を説明するとこの組み合わせはすぐに言い争いをはじめる。仲が良いのか悪いのかよくわからないがこれでは一向に話が進まない。まだ陽は高いので鬼の活動時間ではないのが幸いだが時間が有り余ってるわけでもない。真菰としては早めに説明を終わらせて調査に移りたいのだ。
「信乃逗も落ち着いて。あとこっちの鴉が煩くなるから君も降りてくれる?」
「カァー!真菰は優しい!信乃逗は口煩い!カァー!」
(え、今の優しかったっけ?)
真菰としては全く優しくしたつもりはないのだが、今ので優しいと捉えるとは信乃逗は普段どんな扱いをしているのだろうか?
「テメェが伝達内容を忘れるからだろうが!……おいこら、なんで真菰は鴉を膝の上に置いてんだ?」
「可哀想かなぁと思って?」
「どこが!?明らかにその鴉がおかしいから!なんで俺が責められてる感じになるわけ!?」
「カァー!役得!」
「役を果たしてからいえよ!お前は得しかしてないじゃん!……真菰、刀を抜くな!それは鬼に振るうものだから!」
変態なのだろうか?と、条件反射で真菰は思わず腰に差した自身の日輪刀を抜いてしまった。
「鬼と変態は斬れってうろ、……育ての人が教えてくれたから」
「怖いわ!なに教えてんのその人!日輪刀を向けるのは鬼!隊員同士でやり合うのは御法度だから!」
「カァー!早く鬼狩りに行け!カァー!」
「誰のせいだと思ってんだ!クソ鴉!」
このまま会話を進めるのは信乃逗としては腹立たしいことこの上ないがすでに多くの犠牲者がでている以上、鴉のいう通り一刻も早い解決が望まれているのは間違いない。
とはいえすでに隊士がやられている状況で闇雲に鬼を探して回るのは危険だ。
「ところで、真菰は何か情報を得られたのか?」
手がかりでもなんでも、今はなるべく情報が欲しい。自分よりも随分と早くに村についていたらしい真菰へと信乃逗が問いかける。
「怪しい話とかを聴いて回ったけど、決定的なものはなにもなかった。あまり家に人がいないみたいでこの村の人ともそんなにまだ会えてないから。……ただ、会えた村の人の話だとここ最近よく村の近くに霧が出るらしいの」
(……霧?)
それは信乃逗には別段引っかかるような情報ではないように感じたのだが、真菰にはそうではなかったようだ。
「この時期にこんな山裾の村で霧が出るのは少し妙だと思う。……それに霧が出始めた時期と子供たちが消えた時期はほぼ一緒。派遣された隊士の人と連絡が取れなくなった日にもこの村では霧が出てたみたいだから、かなり怪しいと思う」
(なるほどね……)
それが事実なら確かに偶然にしてはよくできた話だ。自分と数刻程度しか到着時刻は離れていない筈だが、短時間で随分と有益な情報を真菰は集めることができている。
だが、もし真菰の集めた情報通りに霧と鬼に関係があるとなればそれはそれで厄介なことになる。
「……そうなると今回の鬼は異能の鬼か、厄介だなぁ」
「多分ね。能力はまだはっきりしないけど、霧に関連した血鬼術を使う鬼だと思う」
(……帰りたくなってきたなぁ)
異能の鬼というのは総じて面倒だ。何をしてくるかわからない上、下手に近づくと異能の犠牲になるなんてことも更にある。
身の内から湧き上がるその衝動に信乃逗はげんなりとした表情で空を仰ぎ見る。何しろこの村に着くまで信乃逗は丸2日寝ていないのだ。睡眠不足から鬼狩りに赴く気力が全く湧いてこない。
(真菰に任せても大丈夫な気がするし、もうこれ、村で寝ててもよくない?)
「カァー!信乃逗、減給!減給!カァー!」
「そういう機敏なところは別の場所で発揮してくんないかな!?」
どうして重要な情報は全て忘れるくせにこういうところだけはやたら目敏いのだろうかとそう思った瞬間、信乃逗の全身に悪寒がはしる。
(はっ!)
鴉に文句を言う信乃逗がその感覚に勢いよく振り向くと、真菰の信乃逗を見る目が明らかに冷たくなっていた。
「いや、違うよ!別にさぼって寝ようとかしてないから!真菰に任せといても大丈夫だとか思ってないから!」
(あれ?よく考えたらこれ、逆効果じゃない?)
焦って呟いた後に信乃逗はそのことに気づいた。じんわりと身体を包み込む冷気にも似た何かに信乃逗は思わず腕をさすり、そっと再び真菰に視線を合わせた信乃逗はその感覚が決して間違いではないことを悟った。
「よ、よっしゃ、さっそく御堂に向かってみますかね!さあ、働こう!労働って大事!!頑張ろう!」
何やら気まずくなってしまった空気をなんとか誤魔化そうと背中に冷気を感じながら信乃逗は子供たちが消えたと言う御堂まで現地調査に赴むこうと、勇んで足を動かし始めた。
今回も御一読頂いてありがとうございます!
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そしてやはり真菰ちゃんは神です。