鬼狩りは嗤う   作:夜野 桜

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違和感

「すいません、お待たせしました。本日はどうされましたか、富岡さん」

 

 蝶屋敷の来客用の玄関に向かうと、其処にいたのは珍しいことに現水柱の富岡(とみおか)義勇(ぎゆう)だった。

 

「……雨笠(あまがさ)か、今日は胡蝶(こちょう)は不在か?」

 

「はい、しのぶさんは今、指令に赴いていますので。……怪我をされたのですか?」

 

 信乃逗(しのず)がその出立をよく見ると、彼の肩口には切り傷のようなものが見える。どうやら負傷したようだ。

 

(……柱に傷を負わせるほどの鬼か、やっぱり最近強力な鬼が多いっていう噂は本当みたいだな)

 

 どうも近頃、鬼狩りの指令が多い上、随分と隊士に犠牲者が出ているようで、この蝶屋敷にも重傷者が運び込まれる頻度が増えている。柱の中でもさらに化け物の類の強さを持っている水柱に手傷を負わせるほどの鬼となると、余程強力な鬼だったのだろう。

 

「どうぞ、上がってください。すぐに手当てをしましょう」

 

「ああ、悪いが頼む」

 

 信乃逗は屋敷の奥、普段はしのぶさんが診察室として使っている部屋へと富岡を案内する。

 

「肩以外に傷を負った場所はありますか?」

 

 見たところ肩口にある鋭い爪で裂かれたかのような裂傷以外、傷は見当たらない。

 

「傷は其処だけだ。ただ少し、目が回るような気がするな」

 

 (……目が回る?血を流しすぎたのだろうか?)

 

 其処まで深い傷では無いし、既に呼吸で止血されているので、失血が原因とは考えにくいが。他に何か症状がないか信乃逗(しのず)が聞こうとした時、再び富岡が口を開く。

 

「あと此処に来るまでに何度か吐血した」

 

「……は?」

 

「寒気のようなものも感じる、恐らく毒だな」

 

「……はっはいぃぃぃぃ!?」

 

「どうした?急に騒いで」

 

 いや、お前のせいだよ!!さらに言えばどうかしたかじゃねーよ!?

 何キリッとした感じでとんでもない発言してんだこいつ!?

 

「アオイちゃーん!!診察室に解毒薬持ってきて!!!!」

 

 信乃逗はあらんかぎりの大声でアオイに用件を伝えると、すぐに富岡を診察室にある寝台へと横になるように指示を出す。

 

「全く!!なんで直ぐに言わないんですかね!?」

 

「……大した傷ではなかったからな」

 

「傷の話じゃねーよ!?毒の話だよ!!富岡さん実は馬鹿なんですか!?」

 

 というよりなんだかとてつも無い既視感があるやりとりだ。そういえばこの人も鱗滝さんの弟子だったな。真菰といい富岡さんといい鱗滝さんに育てられると、どうしてこうも怪我に鈍くなるのだろうか。

 

「カァー!!信乃逗(しのず)!!指令に迎え!!」

 

 アオイに持ってきてもらった解毒薬を注射しながら富岡さんに説教していると、開けていた窓から部屋の中に(かすがい)烏が飛び込んでくる。

 

「今治療中だよ!ちょっと待っててくれる!?」

 

「カァー!!手際が悪い!!早くしろ!!」

 

「喧しいわ!?」

 

「……俺は馬鹿ではない」

 

 何故に烏に治療の手際で説教されにゃいかんのか全く理解できない。あともう富岡さんは黙っててください。

 

 

 とまあこんな感じで、日中はこの蝶屋敷で薬の調合にけが人の治療、夜間は鬼狩りの指令と、今の信乃逗は蝶屋敷で働き始める前と比べるとかなり忙しい生活を送っている。救いがあるとすれば、鬼狩りの指令は毎晩のようにある訳ではないので、全く睡眠時間がない訳ではないというところだろうか。まあそれでも、富岡のような急患や、急な指令やらで、徹夜が3日続いたりなんてことはざらにあるが。実際今日も指令から帰ってきてから、まだ一睡も出来ていない。一昨日もそんな感じだったから、幾ら眠気を感じにくくなってきてしまっているとは言っても眠い。こんな生活を1人でしようとしていた訳だから、しのぶが如何に無茶をしていたのかということがよく分かるというものだ。しのぶの大変さと、それを実感できる自身の成長を噛みしめたところで、信乃逗は指令の準備のためにアオイと交代して診察室を出た。

 

 

 

 

 

 神崎アオイにとって雨笠(あまがさ)信乃逗(しのず)という男は、不思議な人だった。はじめ、彼がこの蝶屋敷で働くと聞いた時は、絶対に無理だと思った。人の怪我を治療するというのは言葉で言うよりずっと難しいことだ。鬼殺の剣士として生きることが生半可な道ではないように、人の命を救うという道もまた並外れた覚悟と努力がいる道。

 

 専門の勉強をして知識を身につけ、包帯の巻き方ひとつ取っても何度も練習しなければいけない。

 カナエ様が亡くなってから日々増えていく怪我人の多さに、しのぶ様を始め、この蝶屋敷で働く者は精神的にも肉体的にも、限界に近い状態だった。そんな状況で、知識も経験もない新人を入れるなんてどう考えても無茶だ。今の私達に新人の面倒など見ている暇などない、一から丁寧に教えている余裕などない。しかも聞けば彼は鬼殺の剣士としての仕事をこなしながら、この蝶屋敷で働くのだというではないか。二足の草鞋などそんなことが出来るのはしのぶ様くらいのものだ。一つでも大変な仕事を二つも掛け持ちするような半端なことがそう易々と出来る訳がない。

 

 もしもそれが出来るというのなら私は……剣士でありながら刀を持つことができなくなった私は……

 

 だから彼が蝶屋敷で働くことに私は反対した。

 

 でも、他でもないあの人が現状を最も理解していて、今一番苦しんでいるはずの彼女が、それでもこの蝶屋敷で彼を働かせることを許可しているというのなら、私には口を出すようなことは出来ない。

 

 苦しんでいるあの人の負担が、これ以上増えないように、少しでもあの人の肩の荷が軽くなるように、私がしっかりしなければ。

 

 そんな身勝手な決意は彼が仕事を始めて直ぐに瓦解した。

 

 新人などとんでもない、包帯の巻き方など教える必要がなかった。彼は既に十分に医療に精通していたのだから。西洋の医療器具の取り扱いなどは確かに教えなければいけなかったが、それ以外のことで私が教えることができたことなどまるでない。薬の名前、飲ませ方、当て木の仕方、傷口の縫合、どれも彼ははじめから正確に出来ていた。それどころか私には出来ない、薬の調合すら手際よくして見せる。

 

 しのぶ様にしか出来なかった、調薬を行い、しのぶ様と薬の話を対等にして見せる彼に、私は酷く嫉妬した。彼の才能が羨ましい。あの十二鬼月をも倒すほど、鬼殺の剣士として優秀で、その上医療従事者としてもこの上なく優秀など、信じられなかったし、信じたくなかった。選抜でも運良く生き残って、おこぼれのように剣士になって、その上で刀を握ることができなくなった私とは大違いだ。

 

 ……嫌になる。間近で優秀だと見せ付けるかのようにどんどん前を進んでいく彼も、そんな彼に劣等感しか抱けずに、いつまでも前に進むことの出来ない私という存在も。

 

 

「慌しくて申し訳ありません、水柱様」

 

 急な指令にバタバタと支度をして出て行った信乃逗(しのず)に代わってアオイは富岡の怪我の手当てを行い始める。解毒薬は信乃逗が打っていたので後は傷口の消毒と縫合をするだけだ。

 

「別にいい」

 

 申し訳なさそうに謝るアオイに、表情を一切変えることなく、相も変わらず仏頂面で富岡は答える。彼のこの調子がアオイは少し苦手だった。何を考えているのかまるで分からない。とにかく無口で、それでいていつも不機嫌に見える表情。

 

「アイツは、雨笠(あまがさ)胡蝶(こちょう)に似てきたな」

 

 そんな彼が、どういう訳か今日は珍しくよく口を開く。煮沸消毒した縫合用の針を準備しながら、アオイは彼の言葉に耳を傾ける。

 

「胡蝶も昔はよく怒鳴ってきた」

 

 昔は、というのは、きっとカナエ様が亡くなる以前のことだろう。この人も、カナエ様も、よく怪我をしては大した傷ではないと言ってしのぶ様に怒られていた。

 

「水柱様は御自分の怪我の具合に、少し無頓着なところがありますから」

 

 その姿を見ることは今ではもうできない。カナエ様が亡くなってから、しのぶ様は変わられてしまった。怒ったり、大きな声を出すことが極端に少なくなって、その代わりのようにいつも微笑んでいるようになった。それがいいことなのか、それとも悪いことなのか、私には判断がつかない。でも、しのぶ様の笑顔が私は好きだ。しのぶ様には笑っていてほしいと、そう思う。

 

 其処でふいに、アオイの脳裏に信乃逗(しのず)の笑顔が過ぎる。

 

 (……あれ?似ている?)

 

 その瞬間、何故か2人の笑顔がアオイには重なって見えた。まるで顔の違う2人の笑顔が、どういう訳かこの時のアオイには、酷く似ているように感じたのだ。

 

 ないないと、アオイは脳裏に浮かぶ信乃逗の笑顔を、頭を左右にぶんぶんと振って消し去る。

 

「傷口を消毒して縫合しますので、当て布をお取りしますね」

 

 (……うわぁ)

 

 傷口の確認をしようと、当て布をとったアオイは傷の状態に頬を痙攣らせた。恐らく毒の影響だろう、富岡の傷口周辺の肌が、紫色に変色していたのだ。解毒薬を注射したせいか、徐徐に肌の色は元に戻って行っているようだが、その性で一層気味が悪く見える。ただの裂傷なら、今まで何度も縫合してきたアオイがこんな反応をすることはなかっただろう。しかし、こうまで明かに異常な色彩をした肌を見るのはアオイも初めてだった。

 

(……あれ?なんで?)

 

 そこまで考えたところで、アオイは奇妙な違和感を覚える。富岡の傷は明かに異常だ、一目見ただけでただの裂傷ではないと分かる。

 

 

 そう一目(・・)で分かるのだ。

 

 

 

 なら、どうして彼は気づかなかった?

 

 

 傷の確認をすればこれほどの変色だ、一目瞭然の筈なのに、本人の症状を聞くまで毒に気付かなかったのはどうして?

 

 

 ふと気付いた単純な疑問、しかし考えれば考えるほどに、それは強烈な違和感へと変わっていく。こんな状態の傷に気づかないなんてことがあるだろうか。

 

「……どうかしたか?」

 

「あっいえ、すいません。……傷口を消毒しますね」

 

 考えに集中しすぎるあまり、目の前の患者のことを忘れていた。今はひとまず彼の傷の手当てをしないと。

 

 アオイは誤魔化すように心の中でそう呟いたが、胸の奥に一度燻り出してしまった違和感が消えることはなかった。

 




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