鬼狩りは嗤う   作:夜野 桜

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蠢く影

 

 

 洞窟、その言葉を聞いた時、人はどう思うだろうか。謎めいたその言葉に心躍らせ、冒険心に満ち溢れた表情でもって嬉々として向うのか、或いは陽の光の差し込まない、常世の闇の世界に恐怖し、背を向けて逃げ出すのか。その選択をできるのは洞窟の前に立った人だけだ。

 

「いやー、それにしても暗いですね、だから洞窟って嫌いなんですよねー」

 

 鬼という危険を知る信乃逗(しのず)は、できれば後者を選びたいところだ。しかし、鬼殺の剣士として、鬼狩りの指令を受けた以上、信乃逗に取れる選択肢は前者しかない。故に信乃逗は前へ前と足を進める。妨害とでも言うように正面を塞ぎにくる大きな何かを斬り崩しながら。

 

 陽の光の届かない、暗闇の洞窟内ではその正体をはっきりと見ることはできないが、鈍重な動きと、大男のような体躯から見て、事前に聞いていた土人形という奴だろう。洞窟に入ってから既に四半刻程、ここに至るまで、粉砕した土人形は両手足の指の数をとっくに超えている。際限なく現れる土人形の姿に信乃逗は早くもうんざりとしていた。幸い、連中は鈍く、単調な動きしかしてこないので相手をするのは楽だ。が、いくら対処が簡単でも、こうも懲りずに何度も突っ込んで来られると流石に面倒だ。

 

雨笠(あまがさ)君、無駄口はいいですから、足と腕を振るってくださいね」

 

 ゴツゴツとした岩肌に足を取られないように慎重に、しかし、常人の倍以上の速さで先へと進む信乃逗に、容赦なく振りそそぐしのぶの駄目だし。

 

「えぇぇ、俺、割と頑張って進んでるんですけどね」

 

 背後から飛んでくる言葉の刃にそういえばこれは試験だったと、信乃逗は街でのしのぶとの会話を思い出して、一層げんなりとする。

 そうやって戦闘とは別のことを考えながらも、信乃逗の身体は勝手に動く。左から風なりを伴って放たれた土人形の拳を僅かに首を傾けることで躱し、それと同時に右手に握った刀で土人形を袈裟斬りにする。ボロボロと崩れる土人形を尻目に信乃逗は何もなかったかのように足を前へと進める。

 

 そんな信乃逗(しのず)の姿を、すぐ後ろで見ている(かえで)は、その圧倒的とも言える立ち振る舞いに呆然としていた。こんな視界の悪さの中で、正確に敵の位置を捉える察知能力、一撃で土人形を屠ってしまう攻撃力、そして、その上でまるで無人の野を歩いているかのように、乱れることのない歩み。そのどれもが、信乃逗が自分よりも遥かに格上の剣士であることを物語っていた。これまで、楓は自分の強さを誇っていた。しのぶの継ぐ子になる以前から、数多くの鬼を狩ってきたし、しのぶの継ぐ子となってからは更に実力をつけていると確信している。このままいけばいずれは十二鬼月だって倒せる。楓はそう思っていた。だが今、柱でもない階級が一つ上なだけの先輩を前にして、如何に自分が弱いのかを教え込まれている。楓は信乃逗が戦うところを見るのはこれが初めて。勿論、話では信乃逗が強いということは知っていた。十二鬼月を倒し、今最も柱に近い男として、隊内では有名な話だったから。しかし、楓はその話に半身半疑だった。人の噂というのは尾鰭がつきやすいもの、会話をしても強者独特の風格を感じない彼をそこまで強い人だと思うことはできなかった。だが、実際に今目の当たりにしている現実は信乃逗が強いと、そうはっきり自分に認識させるにふさわしいものだった。

 

 目の前にいる彼と同じことが自分にできるだろうか?できるようになるのだろうか?そんな疑問が楓の頭の中を埋め尽くし、歩みを遅らせる。

 

「楓、雨笠君と距離が少し離れてきています。もう少し歩みを速くしてください」

 

 徐々に開いていく信乃逗との距離に背後にいるしのぶから急ぐように指示される。

 

「も、申し訳ありません!」

 

「……楓、焦りすぎてはいけませんよ。貴方の考えはわからなくもありませんが、それ以上はここを出てからにしなさい」

 

 考えに溺れていた楓は、しのぶの声にハッとして、意識を瞬時に切り替える。いくら襲撃者が案山子同然の戦闘力しかもっていないとはいえ、今楓がいる場所は間違いなく鬼の拠点の中。意識を逸らしていい理由などどこにもない。確かにしのぶのいう通り、今の自分は焦っていた。今この時、確かに自分の力は目の前を歩く男には及ばないかもしれない。しかし、未来永劫にそうであるとは限らない。いつか、目の前にいる男に自分を強いと言わせる。その為に、今はこの場を生き残らなければ。

 

「はい、申し訳ありませんでした」

 

「分かれば問題ありません。さぁ、雨笠君に追いつきましょう」

 

 背中を押すようなしのぶの声に、楓の歩みは先程よりも随分と速くなる。「前に進むのはいいのですが、後ろのことが疎かになりすぎですね。これは減点ですね」と、いう言葉がボソッと後ろから聴こえて楓は頬を痙攣らせる。どうやら厳しい師の前では、あれだけの強さを持つ彼もまた、未熟者でしかないようだ。

 

 減点を喰らっているとは知りもしない信乃逗だが、2人と少し距離が離れていることには気づいていた。だが2人が戦っている様子もないし、楓だけならともかく、最後尾にはしのぶもいる。特に心配はいらないだろうと、歩みを止めることなく正面から向かってくる土人形の相手に勤めていたのだ。しのぶへの信頼感が減点の理由だとしれば、信乃逗としてはさぞかし納得がいかないだろうがなんと言おうと彼女の採点が覆ることはない。

 

 徐々に追いついてくる2人の気配に、信乃逗はほっと安堵の息を吐く。歩みを止める必要はないと思ってはいたが、心配していなかった訳ではない。何か問題でもあったのかと、背後から近づいてくる気配にそう問いかけようとしたところで、信乃逗は妙な違和感を感じる。

 

 背後にいる筈の2人のその更に後ろから同じく2人の人間の気配がする。そう気づいた瞬間、信乃逗は正面へと大きく跳躍する。信乃逗がその場を飛び去った瞬間、信乃逗が先ほどまで立っていた場所に巨大な何かが直撃する。歩きにくかったゴテゴテとした岩肌を綺麗に更地にしてくれるその威力に信乃逗は舌を巻く。直撃していれば命はなかった。飛んできた音の方向からして今のは背後の2人、いや、2人に見える何かと言ったほうがいいだろうか。とにかく攻撃をしてきたのはその何かで間違いないだろう。信乃逗ですら気付かない間に背後へと周りこまれていたのだ。

 

(一体いつの間に……それに、この気配は……)

 

 妙なのはいつ回り込まれたのかというだけではない。その何かから感じる気配、それは今までの土人形とは全く違うもの。まるで生きた人間のような気配を漂わせるその何かを、信乃逗(しのず)は視界に収める。

 

(土人形、なのか?)

 

 暗闇に包まれた洞窟の中ではその全貌をはっきりと確認し切ることはできないが、薄らと確認できるゴテゴテとした容姿から先程まで襲撃してきていた土人形の一種ではないかと信乃逗は推察した。一種という表現をしたのは、その大きさが今までの大男のような物とは違い、信乃逗と対して変わらない背丈をしているからだ。人間のような気配を纏った小柄な二体の土人形。姿形からして明らかにこれまでとは違う。

 

 信乃逗が警戒して刀を構えると、それまで何故か止まっていた二体の人形が信乃逗へと勢いよく飛びかかっていく。

 

(速いっ!)

 

 その動きにこれまでの土人形のような鈍重さはまるで見られない。無駄のない動きは鋭く、今までの土人形の動きに慣れた信乃逗の目には随分と速く見える。が、単調であるが故に動きを予測しやすい。急接近する土人形の一体を半身を引くことで躱し、その反動を利用してくるりとその場で回転、飛びかかってきた二体目の土人形の胴体に勢いよく回し蹴りを叩き込む。

 

(っ!?なんだ?)

 

 回し蹴りが直撃した土人形が勢いよく洞窟の壁へと吹き飛んでいくのを尻目に、信乃逗は今の土人形に触れた足の感触に驚愕する。今までの土人形はその見た目通り、ゴテゴテとした感触の地面のような手応えだった。しかし、今の人形はそうではない。土や岩のような硬い感触ではなく、柔らかい、そう、まるで————人間の腹のような柔らかい感触。

 

 一瞬の思考の合間にも、もう一体の土人形を背後から襲いかかってくる。信乃逗は振り向きざまに自らへと伸ばされた土人形の腕を片腕で掴むと背負い投げの要領で地面へと叩きつける。地面へと打ち付けた土人形のその感触に信乃逗は再びその正体に疑念を抱く。

 

「まさかっ!?」

 

 思い当たった最悪の予想。怖気が走るようなその予感に、信乃逗は抑えつけた土の塊に手刀の要領で土人形の表面を削ぎ落とす。

 

(くそったれがっ!)

 

 土を削ぎ落とした先にあった感触に信乃逗は自らの予想が当たってしまったことを理解し、思わず地面を殴りたい衝動に駆られる。

 が、そんなことをしている余裕もない。信乃逗がこの土人形の正体に気付いたとほぼ同時に、先ほど蹴り飛ばしたもう一体の土人形が再び飛びかかってくる。咄嗟に抑えつけた土人形を壁際に投げつけて、その場から後ろに大きく跳躍して飛びかかってくる土人形を回避する。ドゴォン!と地面が砕ける轟音が洞窟内に響き渡る。その光景を信乃逗は冷や汗を流して見る。今の一瞬、もしもあの土人形を壁際に投げ飛ばしていなければ、今砕かれたのは地面などではなく、あの土人形だった。

 

 背後に着地すると同時に離れていた2人が信乃逗との合流に成功する。

 

雨笠(あまがさ)さん、無事ですか!?」

 

 これまで洞窟内に響いていた破砕音とは違った音の響きにしのぶと(かえで)も早足で信乃逗との合流を目指したのだ。

 

「あぁ、俺は無事なんだけど……厄介なことになった」

 

 心配そうに声を響かせる楓を視界の端で収めながら、信乃逗は苦虫を噛み潰したかのような表情でそう呟く。

 

「何か問題ですか?見たところ今までの土人形とは姿形が違うようですが?」

 

 信乃逗の声色の様子から、しのぶも厄介事と判断し、即座に状況を把握しようと努める。

 

「あれはこれまでの土人形とは全くの別物ですね。速さも、力も今までより数段上です」

 

 戦闘音からして、これまでの土人形ではないということにはしのぶも気付いていた。実際に見てみれば姿形も随分と人間らしいものに変わっており、纏う気配もこれまでの無機質な人形のものではなく、まるで生きた人間がそこにいると錯覚してしまいそうになるほど人に酷似したものになっている。或いは鬼の本体が出てきたかとも思ったがどうやら違うようだ。しかし、いくらこれまでの土人形より強力だと言ってもそれはあくまでこれまでと比較しての話。信乃逗とあの土人形でまともな戦闘にはなるとも思えないので、厄介という表現は当て嵌まらないはず。ならば、彼が厄介と評する何かが別にあるはずと、しのぶは信乃逗の次の言葉を待つ。

 

「それだけならたいした問題じゃないんですが、……どうもあの人形の中、人がいるみたいなんですよね」

 

 続いた信乃逗の言葉に、楓もそしてしのぶも背筋に戦慄が走る。今回、鬼の異能の力は単純に土で出来た人形を作成し、自在に操作することにあるという認識がこの3人の中にはあった。土人形をつくり出すことが能力だというのなら、複数の種類の人形を作成出来ることは容易に想像がつく。当然その中には戦闘力に特化した種類のものがいることも予想はできていた。故に種類の違う土人形が出てきたところでそれ自体は大した問題ではない。だが、それは単純に土人形を破壊することが出来ることを前提としての話。中に人がいるというのであればこの想定は大きく変わる。

 

「あれは土で表面を覆っただけで、中身は完全に人間です。おそらく鬼に攫われた人だと思うんですが、こんな使い方をしてくるとは思いませんでしたよ」

 

「……生死は?」

 

 想定外の自体にもしのぶは冷静に分析を始める。この質問の回答次第で相手の脅威度が大きく変わってくる。単に死体を土で覆っているだけなら最悪ではあるが破壊できなくもない。すでに死んでしまっている以上、救出云々の話の段階ではない。此方に犠牲が出る前に活動を停止させる必要がある。

 

「分かりません。でも、一瞬触った感じではまだ暖かかった」

 

 なるほど、厄介な上にこの鬼の性格は最悪だ。としのぶは今回の鬼に対しての怒りを静かに募らせいく。

 

「あの状態でまだ息があるんですかっ!?」

 

 信乃逗(しのず)の言葉に(かえで)も驚きの声を響かせる。一見すればあれは人の身体を土で覆い隠しているだけのものだ。普通に考えれば呼吸出来ずに死んでいるのではないかと思うのも無理のないこと。それでも生存の可能性があるのであれば、簡単には破壊出来ない。人間の心理をついたなんとも嫌らしい手法。謂わばあれは攻撃の為の剣であると同時に肉の盾でもあるわけだ。

 

「生きている可能性があるのなら、破壊する訳にもいきませんね」

 

 問答無用で破壊する手もなくはないのだが、それは人として取ってはならない最悪の一手。無論、今回の鬼の狙いはそこにこそあるのだろうが、狙いが分かっていようともこの状況でそれを回避することは極めて困難だ。最良の一手は破壊することなく無力化してしまうことだが、それも難しい。そうこう考えている間にも状況はますます悪くなっていく。

 

「しのぶ様!囲まれていますっ!」

 

 先ほどまで全く気配を感じなかった暗闇の空間に次々と気配が満ちていく。土人形でも鬼の気配でもない、生きた人間のような気配。間違いなく、人を元にした土人形だろうという想像は容易につく。攫われた人間全てが土人形にされているのだろうかと錯覚してしまうほどの数の気配。それが今まで歩いてきた洞窟の出入り口を塞ぐように唐突に姿を現したのだ。戦闘において数とは実に単純な暴力。数が多いというのはそれだけで面倒だが、それが破壊できない相手ともなれば尚更に厄介。

 

「4、50体程といったところでしょうか。雨笠君、作戦変更です。この土人形の相手は私がしますので鬼は貴方と楓に任せます」

 

「そんな!?しのぶ様1人を残していくなんて!」

 

 1人でこの数の土人形を相手取るというしのぶに楓は無茶だと言わんばかりに叫び声をあげるが、一方の信乃逗はしのぶの意見には肯定的だった。

 

「それがいいでしょうね。正直、この手の相手は俺よりもしのぶさんの方がいい」

 

「雨笠さんまで!」

 

「楓、落ち着きなさい。私はこの程度の相手におくれをとるつもりはありません」

 

「ですがっ、あまりにも数が……」

 

 いくら柱の一画を担うしのぶであってもこれほどの数を相手に手加減して戦うなど、あまりにも条件が不利だ。楓はなんとかしのぶを説得しようと試みるが、当の本人であるしのぶはもちろん、信乃逗までもが一見無謀ともいえる作戦に賛成している状況に唖然としてしまう。

 

 

「俺達がいてもしのぶさんの足を引っ張るだけだ。逆に俺達がとっとと鬼を狩ってしまえば、しのぶさんを助けることにもなる。退路を塞がれている以上、鬼の首をはねるのが一番手っ取り早い。ほら、いくぞ」

 

 一切迷いを見せることなく信乃逗は洞窟の奥へと足を進めていく。その信乃逗に引っ張られるように楓も歩みを進めるが、背後に悠然と佇むしのぶの姿に楓はキョロキョロと視線を向けてしまう。

 

「楓、私は大丈夫ですから。鬼は任せますよ」

 

 後ろ手を引かれるように自らに視線を向けてくる楓にしのぶは安心させるような声色でそっと呟く。

 

「っ、はい!!」

 

 多数を相手にしても一歩も引くことなく、堂々と立つ師の姿はあまりにも大きく、眩しくて、楓は思わず憧憬の眼差しを向けてしまう。同時に彼女にかけられた期待の言葉に応えるべく楓は、高揚とした気分で信乃逗の後を早足で追いかけていく。

 

 

 




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