寝て起きた。気付いたら違う鎮守府にいた。それも黒い方らしい。 作:朝凪
提督「…………」
……言葉が出ない。
提督「きさ、らぎ……?」
如月「答えてっ! ……貴方は誰なの? ……ここで何をしていたの?」
覚えていない……いや、忘れているのか? 昨日の今日で?
……待て、少し頭の中を整理しよう。取り敢えず冷静になれ。
まず、如月と、おそらく睦月もだが、俺のことを覚えていない……というより、知らない、と言った方がいいか。
この目を見る限り、冗談で言っているようには見えない。そもそも、如月は冗談でこんなことを言うような娘じゃない。睦月もそうだ。あれは、本気で何かに怯えている目だ。
それに、改二の件もおかしい。レベルアップはできても、レベルダウンなんてことはできない筈だ。する意味もない。
……レベル…………練度、か。
提督「……すまない、君達の練度は今いくつだ?」
如月「……? それがどうーー」
提督「いいから。教えてくれ」
如月「っ…………じゅう、なな……」
提督「……なるほど、わかった。ありがとう」
……あぁ、これで確信した。
それだけ聞くと、俺はゆっくりと立ち上がる。そして、未だカタカタと震えている二人の横を通り過ぎ、廊下の奥へと進もうとしたーーその時。
長門「何者だ貴様ぁっ!!」
提督「っ!?」
突然、正面から尋常じゃない速さの拳が飛んできた。
俺は咄嗟に体を横に避けギリギリで回避するが、不意を突かれたこともあり、拳は頬を掠め、頭の横を突き抜けた。いきなりの出来事にバランスを崩しそうになるも、すぐさま体勢を立て直し、次に来るであろう追撃に備える。
しかし、追撃が来ることはなかった。
長門「睦月、如月っ! 大丈夫か!?」
俺に殴りかかってきた張本人である長門は、睦月と如月に詰め寄り、二人の安否を確認している。
提督「この様子だと、長門もか……!」
見ると、長門も改造を受けていなかった。長門はうちで最古参の艦娘の一人だ。そんな奴を改二へと改造した日のことを、俺が忘れるはずがない。
……ここにいては駄目だ。とにかく、今は艦娘と顔を合わせない方がいい。
俺は身を翻し、急いで廊下の奥へと足を運ぶ。
長門「っ! おい、待てっ!!」
後ろを振り返ると、こちらの動きに気付いた長門が走って追いかけてくるのが見えた。それも、向ける相手を間違えていると言いたくなるほどの、殺気の籠った目をこちらに向けて。
提督「くっ……! 今、捕まるわけにはいかないっ……!」
捕まれば、確実に殺される。例え殺されなくとも、拷問レベルの拘束を受けるに違いない。あの目は、そういう目だ。
早く、ここから離れなければ。
* * *
提督「はぁ……はぁ…………ふぅ。……よし、撒いたみたいだな」
あれからかれこれ5分程度、俺は全速力で鎮守府内を走り回った。どうやら後を付いてきてはいないようだが……長門が低速艦で助かった。
とはいえ、まだ追ってきている可能性もない訳じゃない。一刻も早く、この事態に収拾をつけなければ。
提督「……ん?」
頬を垂れる汗を腕で拭ったその時、どこかで声が聞こえた。しかもそれは、最近になって聞いた覚えのある声だ。
提督「何だ……?」
俺は耳を澄ませ、声の出所を探る。するとその声は、廊下の更に奥から聞こえてきていた。
俺は息を潜め、側の階段に空いた空間の壁の陰に身を隠す。しかし、声が一向に大きくならない以上、近づいてきている訳ではなさそうだ。
提督「……艦娘だろうな。他に人間がいるとは思えん」
……行くか。顔を合わせずとも、覗くくらいなら大丈夫なはずだ。
意を決して、その声を辿るようにゆっくりと歩き出す。すると、だんだん声の発信源に近づくにつれて、声の重なりが大きくなっていく。
それも、話し声ではない。呻き声のような、何か……。
提督「…………」
……嫌な予感がする。
提督「……ここからか」
辿り着いたその先、そこには真っ白な両開きの大きな扉があった。扉には装飾が一切施されておらず、ただ金属製の取っ手が付いているだけの簡単な作りだ。
……にも関わらず、ここから滲み出る得体の知れない圧迫感は、一体何なのだろうか。
提督「鍵は掛かっていない……か」
知れず、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
腕を伸ばし、取っ手を握る。掴んだ取っ手を捻り、手前に引くと、キィィィ……と音を鳴らして、扉がゆっくりと開かれていく。
……この時、一瞬でも俺がこの扉を開けることを躊躇していれば、どれだけ良かったかわからない。
少なくとも、こんな惨状を目の当たりにする事は、なかったのだから。
提督「ぅぐっ……!?」
まず初めに飛び込んできたのは、耐え難い程の異臭だった。
だが俺は、この臭いを知っている。軍人なら、誰もが既知であるこの臭い。
提督「これはっ……!!」
……それは、紛れもなく血の臭いだった。それも、かなりの密度でこの部屋に充満している。
背筋に戦慄を覚え、俺は手で口元を塞ぎながら、部屋の中に足を踏み入れる。中は電気がほとんどついておらず、見渡す限り暗闇で先が見えない。この部屋がどれだけ広いのかはわからないが、それなりに大きな部屋だということはわかった。
それは何故か。……ここに来る前から聞こえていたあの唸り声が、今なお木霊するように部屋中に響いているから。
提督「っ…………!」
ふと、廊下から洩れる光の先に、何か床に置かれていることに気付いた。
薄暗さゆえに、最初はそれが何なのかわからなかった。しかし段々と目が暗闇に慣れてくると、徐々にその輪郭が明確になってくる。……そして、見てしまったことを後悔した。
ーー床に転がっていたそれは、二の腕半ばで千切れた人間の腕だった。
提督「ーー!!」
背筋に悪寒が駆け抜け、心臓が堰を切ったように脈打つ。息を荒げるどころか呼吸さえも忘れて、俺はただ立ち尽す。
提督「…………」
次の瞬間、俺は無意識に顔を上げていた。見ない方がいいと、顔を上げるなと、本能が訴えてくるのが嫌でもわかる。だが、もう遅い。
ーー今度こそ、息が、止まった。
提督「ーーーー」
部屋の中は、まるで野戦病院の如く、傷を負った艦娘達で溢れ返っていた。