C.E 8/20
プトレマイオス基地 通路
「ふう・・・・」
レナ・イメリアはため息をついた。それが倦怠感からくるものではなく達成感によるものであることは、リラックスした彼女の表情からは簡単に読み取れるだろう。
それも当然だ。テスターに乗り始めて早2週間と2日ほど、機体をローリングさせたりきりもみ飛行したり、何度も加速しては急停止したりでコクピット内を汚物まみれにするような日々から、だんだんとそうなる頻度が低下し、ついに今日、誰一人としていかれた機動を取らずに、戦闘機動をとり、模擬戦を行うことにも成功したのだ。ようやく、最初に使っていたジンにアイザックたちが乗った時と同じ程度にはテスターが動けるようになってきた達成感そのままに、彼女はシャワールームに向かっていた。いかれた機動云々以前に、MSを動かすというのは神経をすり減らし、体力を消耗させるものだからだ。
その途中、見知った人物の背中を見つけた。
「あら、ノマ伍長。あなたもシャワー?」
「ひょうっ・・・・!い、イメリア中尉・・・・」
またこれだ。ビクッとした後におずおずとこちらに振り返るその姿から察するに、いまだに苦手に思われているのだろう。
たしかにこちらに非があるのは確かだが、この一か月間で何度も一緒にMSに乗ってデータ収集を行ったりした同僚なのだから、少しは慣れてほしい。それとも、これは彼女の人柄なのだろうか?
「さすがに何度も驚かれるとショックね・・・・」
「す、すいません・・・・私、昔から”こう”で」
「別に責めてるわけじゃないのよ?」
「はい・・・・あ、シャワーでしたねぇ。そうですよ。イメリア中尉もですか」
「ええ。よかったら一緒に行きましょう?」
そういうとセシルは、わかりました、といっておずおずとレナの隣に並ぶ。
これでも進歩したほうなのだ。最初のころは声をかけるだけで一目散に逃げ出している有様だったのだ。
半ば無理矢理に転属させられた隊で最初に受けたリアクションが、自分以外に向けていたとはいえ特濃の殺気だったのなら仕方ないが、ずいぶんレナや他の隊員にも慣れてきたようだ。先日、エドワードと親しげに話していたのをレナは思い出した。
「そういえば、昨日エドと何か楽し気に話していたようだけど、どんなことを話していたのかしら?」
「ハレルソン少尉と・・・・ああ、昨日のお昼の。たまたま一緒にご飯を食べることになって、たまたまメニューが一緒のカレーライスだったんです。そしたらハレルソン少尉のほうから話しかけてきて、好きな食べ物の話で盛り上がっていたんです。偶然、同じものだったので」
「カレーが好きなの?」
「いえ、ハンバーガーですよぉ?カレーは、たまたま気分がカレーだったので」
「ハンバーガー?少し意外ね」
彼女は、たしか連合軍中将の父を持つエリート家系だったはずだ。もっと、こう、ブルジョワなものが好きなのではないかと思っていたのだが。そう伝えると、苦笑しながら彼女は返答する。
「あ~、確かに軍に入る前はいいもの食べさせてもらってましたけど、好きかどうかっていうのとは別ですよ。それに、同じ”好き”でも、理由は違いますからね」
「どういうこと?」
「ハレルソン少尉は、野菜とパンとお肉、一度に一気に食べられるのがいいっていう”好き”。私は、手軽に食事を済ませられるから”好き”ってことです。ついついゲー・・・・PCに触れていると時間を忘れてしまうんですよね~」
どうやら、噂や家系の想像からは乖離した人物だったようだ。もっとも、自分以外はそのことにとっくに気づいていたのだろうが・・・・。
そんなことを話していると、シャワールームにたどり着く。
どうやら、すでに誰かが使用しているようで、衣類が籠の中に入っているのが見える。しずしずと服を脱ぐセシルと、対照的にさばさばと服を脱ぎ捨てるレナ。そのとき、レナは、セシルが自分を見ていることに気づく。
「どうしたの?」
「ふぇ?あ、えーと・・・・」
言葉が詰まった。その様子から、自分の”痣”のことが気になったのだろう。彼女の体には、頬筋から背中にかけて、まるで花の花弁のような痣があった。
「・・・・変なもの見せちゃったわね」
「えっ?あ、いえ、そんなつもりじゃ・・・・」
「・・・・気にしないでいいわ。もう、だいぶ前のことだもの。いきましょう」
「はい・・・・」
そうして、二人は浴室に入る。すでに使われている一室からは、長い黒髪が見える。
それぞれ個室に入ると、レナはすでに使われていた方へ声をかける。
「お疲れさま、あなたも仕事上がり?」
「あ、はい・・・・もしかして、イメリア中尉、ですか?」
セシルのような、誰かにおびえているようなものとは違う、生来の落ち着きからくるような静かな声。
レナは気づいた。今、隣の個室にいるのはカシン・リー。自分と同じ部隊の仲間であり、コーディネーターだ。
「・・・・リー、曹長」
「ご、ごめんなさい!すぐに出ま」
「待って!」
シャワーを止めて退室しようとするカシンを、レナは引き留めていた。
なぜ、彼女を引き留めた?自分が彼女を、どう思っているか。そして彼女が自分をどう思っているのか。知っているはずだろう。
反対側の個室にいるセシルも、何が起きるかビクビクしているに違いない。
「・・・・とりあえず、いきなり出ようとするのはどうなのかしら?」
ほら、今も堅いことしか言えないくせに。
「す、すいません・・・・」
「いや、こっちこそ・・・・」
その後しばらく、水が落ちる音だけが聞こえる。最初に言葉を発したのは、意外にもカシンからだった。
「・・・・中尉は・・・・」
「・・・・何?」
「・・・・弟さんを、コーディネーターに殺されたから、憎いんですよね?」
ハッと、息を飲む。
カシンの言った通り、レナがコーディネーターを憎むのは、コーディネーターとの紛争で弟を失っているからだ。
「・・・・そうよ。それで、そのことを聞いて、何がしたいのあなたは?」
「・・・・ただ、知りたいんです。どうしたら、中尉の怒りは静まってくれるのか」
それを、いうのか。弟を奪ったお前たちが。
しかし同時に。もう一人、別のことを叫んでいる自分がいるのにも気が付く。
弟を殺したのは彼女ではない、と。
「皆さん、言うんです。コーディネーターめ、化け物め、って。宇宙に帰れって、言われたこともあります。おかしいですよね、私、ここに来る前に宇宙に来た事なんて一度もないのに」
彼女のことは聞いている。調べた。
元は東アジア共和国所属で、志願してきたのだと。だが、彼女からそれほどの気概を、過ちを犯した同胞を止めるためとか、そんなものは感じられなかった。制服を着ていなければ、軍人だということもまったく察せられないような、物静かな女性。それが彼女の第一印象だった。
それに普段の彼女からは、コーディネーターだとか、優れた能力を持っているとか、そんなことを鼻にかけているようなそぶりもなかった。生粋の軍人である自分たちではまともに動かせなかったジンを、すいすいと動かして見せたのに。
「戦争が始まってからしばらくして、大学生だった私の家に軍の人たちが来たんです。『君のご家族は保護している』って。当時の私は、軍人の腰に下げられた銃が怖くて、話をあまり聞いていられませんでしたけど。そのあと、大学を辞めて、軍に入って。そうしてここにいます」
それは、あんまりではないか。
保護?監視と人質の間違いだろう。どうりで、彼女から気概を感じられなかったわけだ。無理矢理入れられた軍での仕事に、だれがやりがいを見せられようか。
「許してほしい、というわけではないんです。今まで軍で会った人たちは、絶対に許さないっていう人たちが多かったですから。ただ、聞きたいんです。どうしたら満足なのか、私が死ねば、コーディネーターが皆いなくなっちゃえばいいのか。理由もなしに憎まれるのって、結構響くんです」
「・・・・」
それを聞いて、思う。自分も、彼女に罵声を浴びせた人間たちと同じだと。知らず知らずのうちに、自分も外道となり果てていたんだと。
「だったら私、生まれてこない方が「曹長!」・・・・!?」
気づけば、レナはカシンの個室に入っていた。驚いた彼女の顔が目に映るが、そんなことは気にしない。言わなければならないことが、あった。壁に手を付けて、彼女が逃げ出さないようにしてから、話し始める。
「いい?一か月前の私ならともかく、今の私ならはっきり言えるわ。”馬鹿にしないで”と」
「え?」
「私の怒りは、弟を殺した奴らにだけ向けられるべきものよ。この痣だってその時に付けられたものだけど、それをしたのも同じやつら。だから、それをあなたが気にするのはお門違い。少なくとも、今はコーディネーターそのものへの怒りなんてないわ。だから気にしないでほしい。それに・・・・」
「・・・・」
カシンはじっと、次の言葉を待っている。その目を真っ向から受け止めて、レナは言う。
「それにこの一か月、同じ仕事をしてきた仲間、じゃないの・・・・。私が言っても、何の説得力もないかもしれないけど、私はそう思ってるわ」
「・・・・私は・・・・」
カシンは意を決して、言葉を放つ。
「私も「あの~、いいですか?」・・・・!?」
今の今まで、存在感が迷子になっていたセシルが、個室のドアからのぞき込むように、話してくる。
「イメリア中尉も、カシンさんも、いったん、出ません?そろそろお夕飯の時間ですし・・・・」
「「・・・・」」
とりあえず、三人でシャワールームを出る。
その後、夕食を共にした3人だったが、今までよりも気楽に会話を行うようになり、苗字ではなく、名前で呼び合うようになったという。
「そういえば、セシル」
「どうしました、レナさん」
「あなた、カシンとは元からフレンドリーに話していたようだけど、いつそんなに仲良くなったの?」
「えっと、カシンさんとは・・・・」
「カシンとは?」
「一緒に、コクピットでリバースしたことを慰めあった時から・・・・」
「・・・・ごめんなさい」
「きっと、誰しも通る道なんですよアハハ…」
「うーん・・・・」
「どうした、ノズウェル中尉?」
「あ、ムラマツ少佐。戦闘プログラムについてなんですけど」
「何かあったか?歩行動作も、宙間機動も、どれも順調にみえたのだが」
「はい、それはもちろん。走ったりスラスターを吹かしたり、むしろ戦闘機動だって、パイロットの腕にもよりますけどできるようになってきたほどです。みなさん、素晴らしいですよ」
「・・・・何か、あと一つ足りない。といった感じかな?」
「はい、お察しの通りです。さすがですね」
「何度か戦術を考えていると、不確定要素はつぶしたくなるようになっていただけさ。それで、どんなデータが足りないんだ?」
「はい。デブリ帯、つまり、障害物のある戦場でのプログラムがまだ・・・・」
「なるほど。デブリ帯がある宙域となると・・・・」
「はい、プトレマイオス基地の領域外。完全に、戦時宙域…いつ敵に会ってもおかしくない場所です」
いつもより短めですが、今回はここまで。少し更新が遅れたのは、展開に少し迷っていたからです。すまそ。
テスターの発達や展開がやたらと早い理由は、スタッフが有能だから、そして、作者が重箱の隅をつつくほどのマメな描写を嫌がったから。許してヒヤシンス。
あと、レナさんの痣については本作のオリジナル設定のつもり。
何か不穏な空気が漂い始めましたが、まあ気のせいでしょう!
誤字・記述ミス指摘は随時受け付けております。