『今回も、失敗か……』
1枚のガラスを隔てた向こう側で、その男は呟いた。何度も、何度も繰り返すその言葉が誰に向けられたものなのか……それは今、その
『まだこれは始まりに過ぎない。何度でも失敗を繰り返し、必ずその刻までに……』
そう言って伸ばされた手を最後に、視界は真っ白に染まる。だがそれで目覚める訳では無かった。
前後左右も分からない、真っ暗な世界にティアは身体を横にして浮く様に漂っていた。音も無く静かに目を覚ました彼女は地に足を付けられず、混乱しながら姿勢を縦にする。
「……ぅ、うぅ……」
真っ暗な世界。訳の分からない場所に1人で居る事は恐怖でしか無かった。最後に自分が何をして居たかも曖昧な中、ティアは何かに気付いた様にその場を振り返る。……そこに居たのは
『もうすぐ、会えるよ』
「……ぇ……」
同じ姿をしながらも本人とは違って綺麗に話をするそれは、ゆっくりとティアへ近づき始める。やがてその手が彼女の頬に触れた時、嬉しそうに。それでいて優しい雰囲気を出しながら笑みを浮かべた。
『大切に、してあげて。
「ぃもう、と……?」
ティアの返しに再び笑みを浮かべ、突然光り出した彼女はやがて光の粒子となって消えてしまう。それを見送ったと同時に急激な眠気に襲われ、再びティアは真っ暗な空間でゆっくりとその瞳を閉じた。
「で、まだ目を覚まさないんですの? もう1月以上経ちますわよ」
「あぁ。その様だ。奴の話では
「考えても仕方ないわ。今日も私が見ているから、貴女達は貴女達のするべき事をしていて」
某月某日。とあるベッドの上で眠るティアを囲む様に鎧姿の女性が3人で話をしていた。眠るティアを見つめるその目は一様に心配を隠せていない。だが彼女達にも予定はあり、3人の内1人の女性が残りの2人へ告げた。少し苦い顔をしながらもその部屋を後にした2人は閉じた扉へ視線を向け、互いに目を合わせる。
「予想はしてましたが、あの子に夢中ですわね」
「仕方無いだろう。自分と似た境遇なんだ。今はエンネアに任せよう」
部屋に残る女性、エンネアと言う名の女性を思いながら言い切った彼女の名はアイネス。そしてアイネスに言われて「そうですわね」と納得したのはデュバリィと言う名前だった。3人は3人だけで結成されている隊の仲間であり、互いの事に関しては熟知している。故に今現在部屋に残っているエンネアが嘗て
それからしばらくした頃、別の部屋に居たデュバリィとアイネスの元に血相を変えたエンネアが姿を現した。
「目を覚ましたわ!」
《!》
彼女の言葉を聞いて急ぎ足でティアの眠る部屋へ向かった3人。そこにはベッドの上で身体を起こして周りを怯えた様子で眺めるティアの姿があった。突然現れた3人に最初は目に見えて驚いたティアだが、何故か彼女は怖がる様子を見せない。……それどころか、3人の顔を順番に見つめてから静かに口を開いた。
「あ、ぅ……デュバ、リィ」
「えぇ。久しぶりですわね」
「アィ、ネス」
「ふっ。大凡2年振り、か」
「ェンネ、ア」
「あぁティア、お帰りなさい」
名前を名乗られていないにも関わらず、3人の名前を順番に呼ぶ事がティアには出来た。そして彼女に名前を呼ばれた3人は順々に返事を返す。その様子は各々満足そうで、ティアは再び周囲を見回して首を傾げた。
「どう、して……?」
「まず、何処まで覚えておりますの?」
「……ママ、に……会って……みん、なと……会って……あぅ」
「まだ最初の頃だけと言う事か。奴の言葉通りならば、その内思い出せるだろう」
「全く。道化師のお蔭でマスターの厚意も無駄になってしまいましたわね」
「そうね。……でも、正直私は嬉しいわ。またこうして会えたんだもの」
まだ混乱するティアの前で会話をする3人。やがてまだ眠そうな仕草をするティアの姿にアイネスが「寝ておけ」と素っ気なくも彼女の為を思って告げる。弱々しく頷いて再びティアは横になり、寝付くまで3人はその傍に寄り添い続けた。
ティアが眠りに付いた後、今度はエンネアも連れて3人で部屋を出る。そして違う部屋で座りながら、彼女達は会話を始めた。
「それで、これからティアをどうする?」
「元々私達が彼女のお世話をしていたから、今回も自然とそうなったのよね。ならあの時の様に、一緒に居てあげましょう」
「それは賛成ですけど、今は任務が忙しい時期ですわ。3人でずっと、とはいきませんわよ」
「ふむ。なら、ここは鉄騎隊筆頭であるデュバリィに任せよう」
「悔しいけど、仕方ないわね」
「な、何でそうなりますの!?」
アイネスは当然の様に。エンネアは本当に悔しそうな様子で賛成する中、デュバリィは焦った様子で抗議をする。だが結局ティアの主な面倒を見る役割は彼女で決まってしまった。エンネアは時間があれば積極的に手伝うと申し出て、アイネスも「何かあれば手伝おう」と一応協力する意思は見せる。……そしてティアは3人と。主にデュバリィと一緒の時間を過ごす事が多くなった。
ティアの記憶は日々戻りつつ会った。……それはトヴァルやサラと出会う前の記憶。今まで思い出す事の出来なかった記憶。姉が5歳でティアが3歳の頃、彼女達は誘拐された。そこでティアは魔法を生身で扱える様になる為の実験を受ける事となり、だが結局は廃棄。捨てられる形となった。2年近くの実験を重ねられ、5歳になったティアは当然1人で生きて行く事等出来ない。弱った身体は到頭力尽き、命の灯が消え始めたその時。ティアは出会った。
自分を救った相手をティアは『ママ』と呼び、彼女の傍で過ごす様になった。やがて1人の少女が『ママ』と出会い、ティアとも出会った。彼女とも仲良くなり始めた頃、また1人。更に1人とティアは家族とも言える様な存在が増えて行った。……だが、楽しそうに話をするティアと3人の少女達を見ていた『ママ』は決断する。ティアを今のまま、ここで過ごさせる訳にはいかないと。
『ママ』は4,5年共にしたティアの記憶を封印する事で自分達を忘れさせて、両親を探す為に行動しそうな遊撃士の人間に託す事にした。それが以前のティアの記憶に一番新しかった、トヴァルとの出会いである。
「大体、思い出したみたいですわね」
「う、ん……デュバ、リィ……」
「? 何ですの?」
「ママ……は……嫌ぃ……に、なったの?」
「……そうじゃありませんわ。マスターは唯、貴女に平和な世界で生きて欲しかっただけだと、そう思います」
デュバリィの言葉にティアは小さく頷いた。そして彼女に連れられてやって来たのは、とある巨大な戦艦だった。ある人物のサポートをする為に行動する事になったデュバリィ。その任務にティアは間違い無く邪魔でしかないが、放って置く訳にも行かない為に彼女は仕方なく連れて来る事を決断。とても広い船内を歩く中、見覚えのある人物がティアの前に1人の少女を連れて現れる。
「君は……以前、Ⅶ組の特別実習で会った事があるね。確か名前はティア君、だったかな?」
「あ、う……は、ぃ」
「……」
それは嘗てⅦ組に居た頃、2回目の特別実習で出会ったユーシスの兄。ルーファスだった。驚いた様子で声を掛ける彼に怯えながらも答えたティア。するとそんな彼の傍に居た少女が無言でティアを見続ける。余り感情を感じられないその少女は黒いフードを被り、兎の耳の様な物が目立つ。……すると彼女はゆっくりティアへ近づき始めた。
「っ! これは……?」
「名前を、教えてください」
「て、ティ、ア……です」
「ティアさん、ですか。……何故か、貴女とは何処かで会った気がします」
「どういう事ですの?」
少女の行動に驚きを隠せないルーファス。そんな中、ティアは言われた通りに自己紹介をする。するとジッと顔を覗き込みながら告げた少女の言葉に、少女の特殊な出生を知るデュバリィが怪訝な表情でルーファスを見る。が、彼は難しそうに何かを考え込んでいた。……やがて少女はティアの手を握る。驚きながらも不思議と逃げる気が起きなかったティアは、彼女と目を合わせた。
「アルティナ・オライオンです」
『っ!』
名を名乗って握手をする彼女にティアはまるで自分の意思とは違う何かが喜びを見せる様な、不思議な感覚を得た。それが何なのかは分からないが、少なくとも敵意も何も無い彼女に初対面ながらも恐怖を抱かなかったティア。やがてルーファスと共に去って行く彼女をデュバリィと見送り、ティアは彼女と共に船内を歩くのだった。
ティアがデュバリィと一緒の部屋に居た時、部屋の扉をノックする音が聞こえる。デュバリィが入室を許可すれば、現れたのは1人の男性。ティアは見覚えが無い故にデュバリィの背後へ隠れるが、彼の目的は隠れてしまったティアであった。
「何の要件ですか、クロウ・アームブラスト」
「あぁ~、用があるのはあんたじゃ無くてそっちなんだわ」
その男の名前はクロウ・アームブラスト。嘗てティアが居なくなってからⅦ組に編入したクロウと同一人物である。その格好はⅦ組の制服では無いが、クロウは驚くデュバリィを尻目に彼女の背後で隠れるティアへ視線を向ける。
「一体、ティアにどんな用事ですの?」
「……いや、一応どんな奴か見て置きたくてな。……うっしっ、取り敢えず満足だわ」
少しの間ティアを見つめた後、満足した様子で部屋を後にする彼の姿にデュバリィは訳が分からなかった。ティアも困惑する中、開いたままの扉から今度はティアも見た事のある人物が姿を現す。蒼いドレスを着たその女性は、ティアを見つけると笑みを浮かべた。
「久しぶりね、ティアちゃん」
「ヴィー、タ……?」
「今度は貴女ですの?」
「2,3年ぶりの再会くらい、させてくれても良いでしょう?」
「勝手にすると良いですわ。ティア、少し外しますけど大丈夫ですわね?」
「う、ん……ぃって、らっしゃぃ」
クロウと入れ替わりで姿を見せたのはヴィータ・クロチルダと言う名の女性だった。シャロンとは違う、綺麗な大人の女性。同性でも見惚れそうなその容姿と物越しに、話をした記憶も蘇っていた事でティアは恐れずに話をする事が出来る。
「まだ、話すのは得意じゃないのね?」
「う、ん……」
「そう……なら、あの時の様に時間がある時はお勉強をしましょうか。今度は声のお勉強を、ね?」
「あり、がとう。……頑、張る」
ティアが今よりも更に幼い頃、喋る事もままならなかった彼女に言葉を教えたのは彼女であった。他にも読み書きや色々な事を彼女のみならず色々な人物にティアは教えて貰っていた。中には要らない事を教える輩も居たが、その様な人物は大概『ママ』やヴィータの様な人物たちによって制裁されていたのをティアが知る必要は無かった。
少しの間、ヴィータと話をしてから彼女が部屋を出た事で1人になったティア。すると出て行ったヴィータが閉めた部屋の扉が再びノックされる。怖がりながらどうすれば良いか迷う中、何時までも反応が無い事で「入ります」とその人物は入室した。
「あ、う……アル、ティナ?」
「居ましたか。……少し話をしたかったのですが、大丈夫ですか?」
「う、ん……だぃ、丈、夫」
入って来たのはこの場所で出会ったアルティナだった。彼女が何処か自分の意思に困惑した様子でティアに確認すると、ティアは頷いて部屋にあった椅子にアルティナを誘導する。そしてデュバリィと普段使っているティーカップ等を用意して、彼女の見様見真似でアルティナへ紅茶を差し出した。差し出されたそれを少し見た後、口に含んだアルティナ。すると彼女の顔が少し歪んだ。
「渋いです」
「あ、う……」
ティアに紅茶を入れる技術はまだ無かった。