1-1
特別オリエンテーリングが行われた日から数日。赤い制服を着た10人の生徒達は本校舎2階の左奥に用意された教室で日々授業を受けていた。旧校舎での出来事を終えた後、サラに改めて説明を受けた面々。特化クラスⅦ組と呼ばれるクラスに入るか、他の生徒達と同じ様に平民と貴族に分かれて学院生活を送るかの判断を任された時、誰よりも先に参加の意思を伝えたのは黒髪の青年……リィン・シュバルツァーだった。そして彼を皮切りに様々な思いを抱え乍ら参加の意思を示した面々。
『フィー。あんたはどうするの?』
『別にどっちでも。サラが決めて良いよ』
『駄目。あんたが決めなさい。あぁ、でも辞退するならティアとは一緒に居られないわね』
『……参加で』
そんな会話もありながら、結局全員がⅦ組としてトールズ士官学院への正式な入学を果たした。他のクラスに比べて少人数で制服も違う。多少目立ちながらも日々を過ごし続け、今日もまた放課後を迎える。担任教官であるサラから明日が自由行動日と呼ばれる授業の無い休日の様な日であると説明を受けた後に解散を言い渡されれば、各々が目的を持って行動を開始する。クラブに入った者もいれば、放課後は自由に過ごす者もいる中。ティアは普段通りフィーに連れられて教室を後にした。
「何か、あの光景も見慣れて来たね」
「あぁ。……にしても驚いた。俺達より小さいとは何となく察していたが、フィーは15歳でティアは12歳だったか。本来、入学出来るものなのか?」
「飛び級って制度があるなら可能な筈だ。けど、ティアはそれにしても幼過ぎる気がするな」
去って行く2人の後ろ姿を眺めて居た時、リィンは入学初日に仲良くなったエリオット・クレイグとガイウス・ウォーゼルに話しかけられる。彼らは自分達よりも幼い少女が同じクラスメイトである事にまだ困惑気味だった。特にティアに至っては飛び級出来る程に何か長けている事がある様には見えず、12歳と聞いた際にはその雰囲気や言動も相まって更に幼いとさえ思ってしまった。唯1つだけ、リィンは特別オリエンテーリングが終わって旧校舎を去る間際にサラがティアへ告げた言葉を覚えていた。
『取り合えず、1人じゃ無くなって良かったわね。まぁ、フィーは殆ど確定だったけど』
『ぅん……』
その会話を聞いた時、リィンはサラがティアにだけ
完全に去った2人を見送った後にエリオットが思い出した様にクラブについての話をリィンへし始める中、教室を後にしたフィーとティアは中庭のベンチに座っていた。僅かに感じる風が心地よく、目を細めてそれを感じる2人。するとティアがフィーへ視線を向けて弱々しく口を開く。
「フィー……クラブ、はぃる、の?」
「まだ考えて無い。……ふぁ~」
「眠ぃ……?」
「ちょっとね」
答えた後に欠伸をするフィーの姿に再び質問したティアは、その答えを受けて何時かの様に膝を軽く叩いて受け入れる準備をする。するとフィーは軽くそれを横目で見た後、「サンクス」と告げて体勢を横にし乍らティアの膝に頭を乗せた。以前と違ってベンチ故に足に掛かる負担は少なく、ティアは何処か嬉しそうに微笑みながらその頭を撫でる。そして徐々に眠気に誘われてフィーが寝付く中、そんな2人を屋上から1人の女性が見下ろしていた。恐らく学生であろう女性。しかしその服装は制服では無く、黒のライダースーツ。彼女は幼女と少女のほのぼのとした空間を眺め、やがて深く息を吐いて空を見上げる。
「あぁ……尊いな……」
彼女の呟きを聞く者は誰も居なかった。
夜。Ⅶ組の生徒達が過ごす第3学生寮、フィーの部屋のベッドで眠気に襲われて船を漕いでいたティアは突然聞こえるノックの音に飛び上がる。それは来客が来た証であり、彼女はベッドの隅で怯えながら扉を見つめ続けた。そんな彼女の姿にフィーは『やれやれ』と頭を振ると、扉の前へ。相手を確認すれば、それはリィンであった。彼の用事は生徒手帳の配布。特別なクラス故か、少々遅れてしまったそれを彼は代わりに預かっていたのだ。
「っと、ティアもここに居たのか。なら、これがフィーのでこっちがティアのだな」
「ん。サンクス……ティア」
「ぁ、ぅ……ぁりが、とぅ」
「あぁ。それじゃあ。お休み」
渡されたそれを受け取ったフィー。ティアも恐る恐る近づくと、それを受け取って弱々しくリィンへお礼を告げる。その後、リィンが部屋を後にすれば渡された生徒手帳をティアは手に取って眺めた。顔写真の映ったそれは自分だけの物。何処と無く目をキラキラさせている様にも見えたフィーは「良かったね」と告げ、同じベッドへ腰掛けた。
「今日はどっちで寝る?」
「……こっち……駄目?」
「別に駄目じゃない」
フィーの質問。それはティアがこの部屋かサラの部屋の何方かで普段寝ている故の質問であった。第3学生寮と呼ばれるⅦ組の生徒達とサラが寝泊りをする寮。そこはまだ部屋に空きがあるものの、ティアの部屋は用意されていなかった。そもそも自分の荷物が殆ど無かったティア。小さな鞄1つで持ち物は事足りる為、現在心を許しているサラかフィーの何方かの部屋で寝るのが現状である。そして今日は本人の意思で、フィーの部屋で眠る事が決定する。お互いに小さい為、ベッドは1つで十分だった。
「じゃ、お休み」
「ぅん……ぉやすみ、なさぃ」
明日の準備をしてフィーが電気を消せば、ティアも答えて共にベッドへ横になる。やがて聞こえる2つの寝息は空が明るくなるまで、部屋の中で静かに響くのだった。
翌日。自由行動日を迎えたこの日、ティアは1人でⅦ組の教室に居た。フィーとは殆どの時間を一緒に過ごしているが、稀には離れなくてはいけない時もある。そんな時、ティアが取る行動は誰も居ないフィーの部屋に籠るかサラの部屋に籠るか……基本Ⅶ組の生徒以外立ち入り禁止の教室に籠る事であった。
「……」
数少ないティアの持ち物。その1つが裁縫セットであった。彼女の手に握られるのはとある人物をデフォルメした様な人形。少しずつ針で糸を通して作り上げるその姿は集中している様で、だが周りの気配には変わらず敏感だった。故に教室の目の前を人が通った時、必ずその手は止まる。そしてもしその相手が入って来た場合、頼る相手の居ないティアはパニックに陥っても仕方なかった。
「あら、ティアちゃん?」
「っ! ぁわわわわっ!」
教室へ入って来たのは同じクラスメイトのアリサだった。彼女の登場に慌てて身体を揺らしたティア。持っていた人形が床に落ち、裁縫セットもバラバラに床へ散らばる中、ティアは教室の隅へ逃げる。あからさまに怖がられていると分かり、少々傷ついたアリサ。だが彼女は優しい微笑みを浮かべて「大丈夫よ」と告げると、落ちてしまったそれを集め始める。そしてまだ完成し切っていない人形を手にして首を傾げた。
「これは、フィー?」
その人形のモデルがアリサには誰かすぐに分かった。デフォルメされたフィーの様な人形。両手両足を突き出した様な体勢で、意外にもその出来は精巧。アリサは思わずティアの腕に感心し乍ら、その人形を机に置いて全てを回収した後に隅へ逃げるティアの元へ。
「驚かせちゃったわね。御免なさい」
「ぁ、ぅ……」
「無理に答えなくても良いわ。……お裁縫、上手なのね」
話し掛けると僅かに反応しながら言葉を返せずに戸惑うティア。しかしそうなる事を予め分かっていたアリサは優しく微笑みながら言葉を続ける。そして机に置いた人形をゆっくりと差し出せば、ティアは恐る恐ると言った様子でそれを手に取った。
「ぁ、の……ぁり、がとぅ」
「! ふふ、どう致しまして」
弱々しくも告げられたお礼。アリサはそれに緩む表情を何とか保ちながら、微笑んで返した後に教室を後にする。1人残ったティアは再び自分の席に座って人形の作成を再開。そして教室を後にして廊下を歩くアリサは……あからさまにその表情を緩めていた。
「はぁ~。……やっぱり、可愛いわ……」
誰も居ない廊下で1人、そう呟きながらアリサは校舎から出る。すると入れ替わる様に違う出入り口から校舎の中へフィーが入り、真っ直ぐにⅦ組の教室へ向かい始める。再び感じた人の気配にティアが警戒する中、その相手がフィーと分かったティアは大きく安堵した。
「ここに居たんだ」
「ぅん……」
「よいしょ。何か作ってるの?」
「フィー、の。ぉ人形……ぃつでも、はぐはぐ……するの」
隣の席へ座ったフィーにまだ完璧では無いものの、殆ど完成間近の人形を説明するティアは自分の腕に前へ突き出された両手両足を引っ掛ける。すると腕を振っても落ちない様になり、ティアはそれを見せ乍ら「ぃつでも、ぃっしょ」と嬉しそうにフィーへ告げた。……まだ心を許せる相手がフィーとサラしか居ない故か、その繋がりを大切にしようとするのは自然な事。そんなティアを前にフィーは徐にその頭を撫でており、不思議そうにし乍らも嬉しさに笑うティアの姿がそこにはあった。
夜。サラの部屋に居たティアはあの後、只管作製を続けて無事に完成したフィーの人形。その名もはぐはぐフィーをサラへ見せていた。彼女はティアから渡されたそれを眺め、少々感心した様に声を出す。
「中々良く出来てるわね」
「次は、サラ……作る、ょ?」
「そう。楽しみにしてるわ。でも今日はもう寝なさい。作るなら明日からよ」
サラの感想を聞いて裁縫セットを取り出したティア。その様子は今からでも作り始めそうで、サラはもう寝る様に釘を刺した。ティアはサラの言葉に頷いてそれをしまうと、ベッドへ横になる。そして「ぉやすみ」と告げて目を閉じれば、数分後に静かな寝息が聞こえ始め……サラは待ってましたとばかりに缶を取り出した。音を鳴らさない様に気を付け乍らブルタブを開ければ、部屋に漂い始めるお酒の匂い。サラはそれに口を付けると、一気に飲み始める。
「プハァ~! って、起こさない様にしないと。流石に子供にお酒を飲んでるところは見せられないものね。く~! でも本当、この1杯の為に生きてるって言っても過言じゃないわ~!」
既にサラがお酒を飲む事はⅦ組の全員が知る事実。だが分かっていたとしても教育上目の前で堂々と飲む訳には行かない。特に一番幼いティアの前では控える必要がある。故にティアがサラの部屋で眠るその日は彼女が眠りに着くまで我慢し、眠ってからサラは思う存分晩酌を楽しむのが何時もの流れであった。部屋に充満するお酒の香りを感じて僅かに表情を歪めながら、ティアはそれでも眠り続けるのだった。