本編のディベートは、JDA(日本ディベート教会)の第15回春季ディベート大会の決勝戦で肯定側が提出したプランを下敷きにして作成しています。
(注1)上記決勝戦の速記録が次のサイトから閲覧できます。
http://japan-debate-association.org/script/sc09sp.htm
(注2)本編前書きでも記載していますが、フォーマットについては、原作に従い、反駁の順序を立論と同様に肯定→否定としています。その他、ディベートの小説化にあたって演出的な表現等もありますので(例えば、試合中に相手を揶揄する表現は、一般的にはマナー違反に当たります。)、そのようなものと理解してお読みください。
同大会の論題は「日本政府は原則全ての企業に対してワークシェアリング又は同一労働同一賃金の原則を推進すべきである」で、本編ではこれをワークシェアリングに限定しつつ、便宜上、推進対象から「原則」の語を抜いています。
同決勝戦の肯定側は、本編のプランと同様、希望する企業にだけ労働時間の上限を定める政策を提案しています 。これは、予想されるデメリットを限定するための戦略であり、実際に決勝戦では否定側が展開したデメリットが大きく減じられ、小さいながらも成立したメリットが上回ったと評価されたようで、肯定側が勝利しています。
しかしながら、この試合を事後的にみれば、肯定側のプランには本編でアイラたちが指摘したような問題があり、メリット・デメリットの次元ではなく、下記に述べるような理論的問題提起を含んだ議論によって弾劾される余地を多分に含んでいます。否定側はこうした搦め手からの議論を出さずに正面突破を図って敗れていますが、本編でアイラが繰り出したような議論を放っていれば、あるいは結果は違っていたかもしれません。
そういう意味で、本編の内容は、仮想SSというだけでなく、現実のディベートの試合における、違った切り口の議論の可能性を、筆者なりに示したものでもあります。
以下、具体的に、本編でアイラが提出した2つの論点について、そのほかにありえた展開を交えつつ、簡単な解説を加えます(断りがない限り、通説的見解をベースに記述しているので、私見には以下の記述と異なるところもあります。)。
〈トピカリティ〉
アイラが否定側立論で最初に提出した「肯定側は論題と関係ないプランに基づく議論しかしていないから、論題を肯定できていない」という主張は、プランが論題の範囲内にあるかどうかを問う「トピカリティ」(Topicality:論題充当性)の議論と呼ばれます。
ディベートでは論題の是非が議論されるものであって、プランはそれを議論するための道具にすぎません。肯定側が論題を肯定するようなプランを出していないのであれば、肯定側はそもそも論題を肯定できておらず、論題と無関係のプランからどんなに素晴らしいメリットがあるとしても、それによって論題が望ましいということはできません。したがって、トピカリティの論点で肯定側が負けることは、メリット・デメリットの議論と独立して、否定側に投票すべき理由となります。
トピカリティの論点で否定側が勝つためには、①論題の文言を定義したり解釈基準を示したりすることを通じて論題の解釈を示し、②その解釈から肯定側のプランが逸脱していることを示す必要があります。
本編では、否定側が「推進」という言葉の意味や、その対象が「全ての企業」であることなどの文言解釈を通じて、論題の解釈を述べ、そこからして肯定側プランは論題を外れていると主張していました(トピカリティの論点に当てはまる形では述べられていませんが、アイラが最後に言っていた「教育性」や「楽しいほうがいい」という主張も、解釈基準として考慮し得るものです。)。
その後、肯定側から反論があって、否定側は実質的にトピカリティの議論を放棄していますから、この試合ではトピカリティは勝負の直接の決め手にはなりませんでした。しかし、この論点で繰り広げられたやり取りが、後に出てくるカウンターワラントの議論で活きているということは、本編を読まれた方にはお分かりいただけることかと存じます。
なお、アイラは指摘していませんが、今回の肯定側のプランには、もう一つ突っ込みどころがあります。それは、プランの2点目で「制限で減少した労働力については、新規雇用とリストラ計画の撤回によって賄わせる」とある部分が、プランとして許されるのかどうかという問題です。
これは、ディベートにおいて、議論の便宜上プランが実行に移されることを仮定することが許される「フィアット」という概念(これにより「議会が反対するからそんなの実現しない」といった反論を考慮しなくてよくなります。)の限界にかかわる問題です。すなわち、フィアットによって実行の仮定が許されるのは、論題に定められた政策主体――今回の場合は日本政府――がなしうる事項に限られるはずだ(そうでないと、アメリカの法律を変えるといったプランによりデメリットを封じ込めることができるという不当な帰結となります。)と考えられるところ、各企業が自由に定めるべき労働力の補填方法について、プラン2のように政府が口を出すということは許されるのだろうかという疑問があるということです。
もし、そのようなプランが許されないのだとすれば、今回の試合でプランの2点目は考慮されないことになります。すると、プラン1による労働時間上限の撤廃だけでは、仕事を分け合うというワークシェアは実現しなくなるおそれがあり、肯定側プランが論題を満たしていない疑いがより強まります(もちろん肯定側としては、仕事量が変わらないのに対して労働時間を制限して減らせば、当然新規雇用やリストラ撤回などで賄うはずだと反論できます。)。
そこで、肯定側は、プラン2点目は民間企業が自由に定めるべき事項に介入するものであって政府の権限を超えていると主張することで、トピカリティの論拠を一つ増やすことが考えられます。一方、否定側としては、法律によって雇用方法を規定することは当然政府の権限範囲内(正確には、内閣提出の法案を国会で通すことで実現させることになるでしょう。)だという反論をすることができます。
〈カウンターワラント〉
アイラが否定側立論で二つ目に提出し、否定側が最後まで残した「全ての企業にワークシェアを強制するプランに基づいて論題を否定すべき」という議論は、「カウンターワラント」(Counterwarrant:否定論拠)と呼ばれます。
このカウンターワラントというのは、現在ではほぼ絶滅した議論で、筆者も本で読んだだけで実際の試合で聞いたことがありません。その理由は、勇人が肯定側反論で述べていたとおり、肯定側には論題から導かれうるすべての実施例を正当化する義務はなく、望ましい実施例を一つ示せばそれで論題の望ましさを証明できるからです。
もっとも、校長先生が言うように、過去にはカウンターワラントがよく出されていたこともあったそうです。そこでは、現在のように政策の是非を争うという考え方ではなく、論題を科学命題のように捉え、命題の真偽について検証を加える――反例が一つでも見つかったら偽となる――という考え方(仮説検証パラダイム)を前提として、論題の反例としてカウンターワラントが出されていました。しかし、この仮説検証パラダイムという理解自体に理論的な問題があり、カウンターワラントを考慮することは肯定側に過重な負担を強いることになるということから、カウンタープランは「普通はおよそ認められない、理外の議論」となりました。
しかしながら、筆者は、カウンターワラントが現在のディベートの理解の下でまったく成立し得ないかというと、そうは言い切れないだろうと考えています。それは、本編でアイラや桜井が主張している通り、論題の是非を判断するに当たって適当でないと思われるプランについて、トピカリティとは異なる次元で排除する基準があってもよいと考えるからです。
この点について詳述すると本編のSSを超える分量の叙述になりかねないので、とりあえずは本編におけるアイラと桜井の議論および校長先生の判定理由を読んで、読者の皆さんなりに考えていただければと思います。
(注3)ディベートマニア向けに少しだけ補足しておくと、これはいわゆる論題被正当化性(Justification)の議論をプランの次元で考えようとする議論と位置づけることが可能です。論題被正当化性の議論は、メリットが論題の一部からしか生じておらず、論題全体が正当化されていないことをいうものですが、現在の通説は、その趣旨を言うためには否定側から論題の一部を取り出したカウンタープランを提出する必要があり、またそれにより目的は達成されると主張しています。筆者もそのように考えます。
一方、メリットが論題の一部しか支持していないのではなく、プランそのものは論題全体をカバーしているものの論題の意図する方向性を十分反映していないと考えられるような場合に、同様に「プランの提示」という形で処理することは、肯定側が支持すべきオプションを勝手に否定側が差し替えるというものであり、認めがたいところです。そこで、否定側から検討対象となるプランを提示するという形ではなく、肯定側プランの異常性を浮き彫りにする例としてプランを示し、それによって肯定側プランと論題採択の関係性をトピカリティと異なる次元で攻撃できないかというのが、本文での提案です。
なお、この点を少し詳しく説明した筆者の論考として、以下のブログ記事があります。
http://lawtension.blog99.fc2.com/blog-entry-128.html
最後に、カウンターワラントの要件として一般的に要求される内容について説明しておきます。カウンターワラントの可能性を認める論者の多くは、反例として取り上げるプランについて、それが肯定側のプランを無視してでも取り上げるに値するものであるというための「典型性」が必要であると考えているようです。本編でも、否定側の出した「全ての企業にワークシェア強制」という例の典型性が問題とされています。
筆者は、これに代えて、肯定側のプランを無視すべき理由として、肯定側プランの「不当性」を論証することが必要だと考えています。むしろ、この「不当性」こそが、政策の是非を争うディベートモデルにおけるカウンターワラント議論の正当性を支えるものであって、否定側から典型例を反例として提出させるのは、肯定側プランの不当性を例証する一つの方法にすぎないと考えることもできます(校長先生は、それに近い考え方で、典型例そのものに依拠しない形で肯定側プランを排除しています。)。
また、カウンターワラントの成立には、否定側の挙げた例についてデメリットガメリットを上回ることが当然に要求されます。しかし、注3で述べたように、筆者の考えるカウンターワラントの構成では、否定側の挙げた政策例それ自体は吟味の対象となりませんから、その例についてメリットとデメリットを論じることそれ自体には意味がありません。
むしろここで否定側が論じるべきは、肯定側のプランを首尾よく排除した後の、一般論として論題を否定すべき理由としてのデメリットです。肯定側はカウンターワラントで排除される不適切な例に基づくとはいえ、命題的プランから生じるメリットを示しており、このメリットを理由に論題自体の望ましさは一応論証したと見る余地があります。
(注4)この点については、カウンターワラントという形で例外的に肯定側プランと論題の関係性を否定したこととの均衡で、推定を否定側に不利な形に転換したという理解をすることもできます。
もっとも、筆者の私見では、そもそも肯定側は「抽象的に論題を支持する」立場に立っており、かかる抽象的な立場は常に肯定側のオプションとして理解できるのであって、肯定側プランが排除されたとしても、提示されていたメリット自体が一応命題的である(論題被正当化性の場合と異なり、肯定側プランはデメリットを不当に回避しようとしているだけで、論題の方向性から生じるメリットとしては十分評価できる。本編のメリットもそうなっているはずです。)ことから、否定側はこれを攻撃しないと、論題が抽象的に肯定された状態に基づいて負けてしまうという理由から、デメリットの主張立証を否定側に要求しています。
これを排除するため、否定側から積極的に、論題から一般的に想起される(が、肯定側プランでは不当にも回避された)デメリットを論じることが期待されます。その論証のために、否定側が出した政策例を用いることも、それが典型的な例といえる限りで、許されるでしょう。
いずれにせよ、カウンターワラントの議論は通常成立が認め難い、現実のディベートでも極めてマニアックな議論です。そんな議論で勝敗を決めてしまった本編の内容に読者の皆さまがどこまで納得されるのか、正直自身のないところでもありますが、むしろ本編の内容に触発されて、カウンターワラントの新たな可能性について模索しようとするディベーターが出てくるとすれば、筆者としては望外の喜びです。
【参考文献】
蟹池他3名共著『現代ディベート通論 復刻版』(2005年、ディベートフォーラム出版会)