頭が真っ白だ。いったい、あの議論にどうやって反論すればいいんだ。
足がすくむ。
「桜井君、早く出るんだ」
「…はい」
言葉だけで、足が動かない。
俺のせいで、アイラが、負ける。それだけは、嫌だ。けど、今の俺にできることは、あるのだろうか…
「桜井クンなら、きっと大丈夫」
「えっ」
「あんなヘタレ、恐れるに足りないわ。桜井クンがおかしいと思ったことを、いつものように、真っ直ぐ話せばいいの」
いつものように……
ふと、アイラとはじめて議論を交わした時の様子が浮かぶ。アイラの主張は正しく、そして間違っていた。違和感を分析し、論理のねじれを見つけ、端的に指摘する。そうやって、正しそうな主張を攻撃する。それが、俺とアイラの、ディベートでの出会いだった。
「……ありがとうございます。たぶん、何とかなります」
「たぶんじゃなくて、絶対」
アイラに背中を押されて、教壇に進み出る。深呼吸して、落ち着いてから、頭に浮かんだ言葉を一つ一つ、吐き出すように語る。
「肯定側の反論は説得的に思えますが、大きな矛盾を抱えています。
肯定側は、プランが論題を支持していないという我々の反論に対して、方向性としてワークシェアが進んでいればいい、今よりワークシェアが増えればいいということを主張しています。この解釈が、我々が示した『推進』という言葉の定義に合っている、と。
私たちもこの解釈を認めます。今よりワークシェアを増やすという選択の是非が、この論題のポイントであると」
教室の空気がざわめく。アイラだけでなく桜井も、スピーチの冒頭で相手の議論を認める。
もちろん、それは、続けて放たれる一撃の予兆だ。
「そのように理解するなら、この論題がより強く予定しているのは、ほんの少しだけワークシェアを増やすようなものではなく、ある程度大きくワークシェアを増やすものである、そう考えるべきです。
それは、今回の論題が、例外などの留保を付さずに『全ての企業に対して』ワークシェアを推進するよう求めていることからも、明らかです」
正直なところ完全な自信はない。でも、論を進めた以上、最後まで突き進むほかない。
「肯定側のプランは、今よりワークシェアを増やすという意味では、確かに論題にかなっているように見えます。しかし、否定側立論でも述べたとおり、言葉の意味は大事です。言葉のあいまいさを廃し、客観的に定義しなければなりません。
だからこそ、論題の解釈は一義的に決められるべきであって、論題の理解としてより望ましいものがある場合には、その理解に基づいて議論し、論題の是非を判断すべきです」
強引であることは承知の上で、桜井は言葉を紡いでいく。
「特に、今回の論題は、否定側も認めるように、ワークシェアを増やすという方向性を議論するものです。ですから、ジャッジの皆さんも、この方向性の是非を評価する必要があります。
だからこそ、その方向性をより鮮明に表している、我々の出した典型例、全ての企業にワークシェアを実施させるというプランに基づいて、論題の是非を考えるべきです」
ひとまず結論まで言い終えたが、まだ自分の言いたいことを表現しきれていない。胸のつかえた感じが、桜井を沈黙させる。
「桜井くん……!」
「……」
「桜井クン、遠慮なんて要らないから!」
その刹那。
何かが吹っ切れた。
「…否定側が言いたいことは、肯定側のプランは、論題を自分たちに都合のいい形で解釈して、無難でつまらない議論でもって勝ちを得ようとしている、ということです。
それは、今回我々が論じなければいけない問題から逃げている。ワークシェアの推進という、実際に論議もあり、功罪いずれが大きいか分からない問題について、希望者だけやらせばいいという安易な意見でもって、片をつけようとしている。そういうことが許されてよいのでしょうか。
肯定側が雄弁に語った、現実の失業問題、労働問題は、そんな安易な政策でどうにかなるものではありません。希望した企業だけを支援する? 我々が議論すべきは、そんな優良企業で起こっている問題なのですか? 違うでしょう!」
心の奥から言葉があふれ出す。自分の意思ではあるが、制御しきれないまま、衝動にひきずられて語り続ける。これまでになかった感覚。
「だから、肯定側の提案する、問題の大きさからして非現実的で無意味なプランは、論題を支持するものとして評価すべきでないし、我々が示した例が優先されるべきです。
肯定側の提案は、この論題の判断においては無視すべきです。
以上で、否定側の反論を終わります。ご清聴ありがとうございました」
息を荒げている自分に気付く。それと同時に、自分の発言を振り返り、とっさに勇人の姿を確認する。
勇人は、相変わらずふてぶてしく笑っていた。
「素晴らしい演説をありがとう、桜井祐也君。
では、続いて肯定側の再反論、および総括に入る。九重崎勇人君、前へ」
「ふふん、生意気な後輩はもう一人いたってことか…。ゾクゾクするじゃないか」
ぞっとする言葉を吐いて、桜井と入れ替わりに勇人が戦闘態勢に入る。席に戻った桜井を出迎えたのは、とびきりの笑顔を浮かべた、アイラだった。
「さすが、アタシが見込んだだけのことはあるわ。あのヘタレバカの議論を見事にこきおろしたじゃない!」
「自分でもよく分からないままでした。あんなの初めてです」
「それは、桜井クンが一つ成長したってことよ」
……成長?
「肯定側のスピーチが始まるので、否定側は静かにするように」
本郷の制止を受けて、教室に静寂が訪れる。
それを破る形で、勇人の冷たい声が響く。