「それでは再反論を始めよう。
否定側の反論は要するに、肯定側のプランは無難でつまらなくて非現実的で無意味であるから、それに基づいて論題を判断するべきではない、ということだった」
全くその通りであるが、こうして要約されてみると、何とも無礼で、荒っぽい主張である。
「なるほど、確かに俺の提案は、問題の大きさに比して瑣末なものかもしれない。希望しない企業に強制はしない。推進の程度としては、小さなものだろう。
だが、それの何が悪い? 否定側も、この論題における『推進』の意義について、今より進めばよいということだと認めていたではないか。問題を完全に解決しないとしても、支援があればワークシェアに踏み切るという企業を後押しして、少しでもワークシェアが増えるのなら、それは推進政策であって、論題を見事に満たしている」
当然の再反論。どこまでも冷静に、桜井の無鉄砲な反論をいなしている。
「肯定側の提案が論題を支持するもので、それが望ましいのであれば、論題採択が是であるということになるのだから、肯定側の勝ちは揺るがない。それがディベートだ。
否定側は、先述のように問題なく論題と関連するプランに対して、それがつまらない政策だという主観的な感情論を理由として、それが無視されるべきだと主張しているが、これは独自の見解であって、およそ採用に値しない」
桜井の議論を一刀の下に切り捨てる。
「というわけでこの試合を総括しよう。
この試合では、少しでもワークシェアが望まれている現状について、何の異論もなかった。
その中で、肯定側が提案した、希望する企業向けのワークシェア支援という政策は、たとえ少しとはいえ、確実にワークシェアを増やして失業問題、労働問題を改善し、それでいて副作用もない。まさに、理想の政策だ。
否定側は、この提案が論題と無関係だと主張するが、双方同意のあった『推進』という言葉の意味や、その他論題の文言に照らして、肯定側のプランが論題を支持していることは明らかだ。
そして、否定側が典型例として挙げる全企業へのワークシェア強制は、それこそ企業の実情を無視した極端な例であって、論題の是非を考える上で考慮する必要はないし、肯定側の提案はこれと何ら矛盾なく論題採択の理由を説明できている。
これで、この試合における肯定側の勝利は明白だろう。
以上をもって、肯定側の全発言を終了する。清聴に感謝する」
この試合、はじめて勇人が頭を下げた。それは、ジャッジに対するだけでなく、否定側の選手に対するものでもあったかもしれない。そう思えたのは、桜井の錯覚だろうか。
「ありがとう九重崎勇人君。
続いて否定側の再反論、および総括に入る。九重崎愛良君、前へ」
勇人の総括は、肯定側からすればこれ以上ない、完璧なスピーチだった。アイラが放ち、桜井が必死に守ろうとした議論の矢は、叩き落されてしまったように思える。
俺にもっと、やれることはあったんじゃないか……
「ねえ桜井クン。もしかして、心配してる?」
「いや…そんなことは……」
「大丈夫。これからスピーチするのが誰だと思っているの?」
いつもと変わらない、確信に満ちた表情。真っ直ぐに見つめるダークブルーの瞳に、吸い込まれそうになる。思わず息を呑む。
ふいに、目の前の美しい表情が緩む。
「それに、桜井クンがあんなに頑張ってくれたのに、負けるわけにはいかないわよね」
そう言うなり、静かに立ち上がり、教壇に上がるアイラ。語る前から、勝利を確信したかのような、堂々たる所作。
アイラは、この苦境を打破する秘策を、持っているのだろうか?
その答えは、すぐ明らかになる。
「みんな、これまで議論を聞いてくれてどうもありがとう。感謝するわ。
最初に、肯定側の反論に対して一つだけ再反論を加えるわ」
最終スピーチでは、やみくもに反論して議論を拡散させるのではなく、論点を取捨選択して要点に絞るのが有効である。アイラのスピーチは、その性格とは正反対にセオリー通りで、理にかなっている。
「肯定側は、アタシのパートナーの反論を、感情論だから的外れだって切り捨てていたけど、感情論だからというだけで否定するのもまた、理由のない感情論じゃないかしら?」
パートナーという言葉にドキリとする。確かに、俺はアイラと一緒に準備し、チームを組んだパートナーだ。それは、ディベートの上でのことでしかない。
けど、俺は、ディベートですら、アイラを何にも支えてあげることができなかった。
「肯定側は、提案されたプランが論題を支持していて、それが望ましいものであるとすれば、それだけで論題が支持されることになるという理解を前提としているわ。確かにそう考えるのは論理的だし、原則としてそれが正しいということに異論を差し挟むつもりはアタシたちにもない。
でも、この試合で否定側は、その原則に対する例外があることを証明しているわ。否定側の反論を思い出して。
今回の論題は、ワークシェアを推進すべきかどうかという形で、政策の方向性を問題としているわ。だから、肯定側の提案は、その方向性を十分正当化できているものでなければならないはずよ。
そして、今回出てきたプランは、当たり障りのないケチなプランであって、政策の方向性を正当化するだけのものとはいえないっていうのが、否定側の反論だったわ。この論理自体に、肯定側は何も反論できていない」
自分たちの反論を再確認するアイラ。だが、単に桜井の議論をなぞるのではなく、それを肯定側の議論への例外と位置づけ、整理しなおすことで、然るべき説得力を与えようとしている。
「これを踏まえて、この試合をどのように考えるべきか、総括するわ。
肯定側が、一応論題を支持するプランを出して、それが望ましいことを示したことについては、争う余地はないわね。でもさっき言ったとおり、この試合では、それで肯定側が勝つことにはならないわ。
ディベートで問題となっているのは、提案されたプランの是非ではなくて、論題の是非。その見地から見て、この試合で論題の是非を考える上でよりふさわしいのは、論題のいう『全ての企業に』ワークシェアを行わせるという形で、推進の方向性を明確に示した、否定側の例よ。
少なくとも、試合で勝つために、ワークシェアという政策の問題点から逃げているような安易な提案を評価して、肯定側の目論見に乗ってあげる必要なんてないでしょ。
これは、ただの感情論ではないわ。桜井クン…もとい、パートナーも言っていたように、否定側の議論はこの論題の解釈に基づく理由があるだけでなく、ディベートという競技のあり方からも正当化されるべきものよ。
すなわち、ディベートでアタシたちは、論題にきちんと向き合い、議論を戦わせなければならない。ディベートっていうのは元々議論教育のための競技だから、その要請は無視できないし、そして何より、ケチなプランで勝てちゃうようでは、何にも楽しくないじゃない!」
アイラに珍しく、声を張り上げての演説。高ぶった感情を静めるように姿勢を正してから、またいつもの冷静な声色に戻る。
「だから、この試合では否定側の、より論題に即した政策例を前提として、ワークシェアのデメリットの大きさに基づいて、論題を否定すべきことになるわ。
これで否定側の再反論、および総括はおしまい。以上をもって、否定側の全発言は終了よ。最後まで聞いてくれて、どうもありがとう」
アイラが降壇する音だけが響く。教室にいるすべての人間が、ここまで展開された議論を反芻し、思考に没入している。異様な空間。
普段のディベートとは異なる、論題の解釈やディベートの意義について踏み込んだ空中戦だった。当事者だった桜井自身も完全に把握しきれていない、未知の世界。
「どうだった、アタシのスピーチ」
「…わかりません」
「わからないってどういうこと?」
「きっと、先輩の言っていることだから正しいんだとは思いますけど、正直、こんな議論、想像の範囲を超えていて……」
「そんなの理由になってない」
「……」
「桜井クンの議論が支えてくれていたんだから、間違っているはずないじゃない」
アイラの微笑に、それも理由になってないじゃないか、という指摘は、封じ込められてしまった。